侠客の遺産
マスター名:村木 采
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/07/18 20:15



■オープニング本文

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 今を遡ること、十年余。

 気の早い虫が、草陰で鳴いている。
 提灯を手にした男が、近付いてくる足音に声を掛けた。
「おう、坊主。こっちだ」
 成人したばかりといったところだろうか。少年が、提灯の明かり目掛けて走り寄ってくる。
 息一つ乱さずに目の前へ来た少年の頭を、男は乱暴に掻き回した。
「遅えよ」
「走ってきたよ」
 少年の三白眼が、不服そうに男の顔を見上げた。
「何だよ、こんな夜中に」
「おう」
 男は少年の頭から離した手で、今度は自分の頭を掻き回す。
「参謀の影政は‥‥まあ奴ぁいつもの事だが、今回は若親分まで、自分は行かねえと言い出しててな」
 少年は、頷く。
「多分、俺達ぁここまでってこった。捨て石にされんだろう」
「捨て石?」
 少年の顔が、不安に歪んだ。
「人情紙の如したぁ良く言ったもんだぜ」
「幾らでも代わりは買ってこられるからなあ」
「いやあ、志体持ちを買ってきたのが、お上にバレそうだってえ噂だぜ。いなかった事にしてえんだ、俺達全員」
 居並ぶ男達が、呆れ半分で同調した。
 少年が、顔を強張らせて男達の顔を見比べている。
 最初に声を掛けた男が、少年の肩に手を掛けた。
「ま、そういうわけだ。戦いが始まったら、坊主はとっとと逃げな。その年で死ぬこたあねえ」
 少年は、目を丸くして男達を眺め、一瞬頷き掛けたが、慌てて首を左右に振った。
 男は、笑顔で少年に言い含める。
「ずっと、出て行きてえっつってたろ」
「丁度いい機会だ、出て行っちめえ」
「影政の野郎に見つかるんじゃあねえぞ」
 男達が、威勢の良い声を掛ける。
「みんなも‥‥」
「馬鹿。俺達が戦わなかったら、誰が町を守るんでえ」
 男達は、一斉に彼をこづき回し始める。
「若親分も、影政の野郎も、いけ好かねえけどなあ」
「堅気の連中にゃ、世話にもなった、迷惑も掛けちまったからよう」
「生き残ったって、どうせ適当な理由をつけて消されるだけだろうしな。なら、町の為に死んだ方が俺達も満足できらあ」
 小突かれる力が強すぎて額に痣を作りながら、少年は地面に尻餅をつく。
「じゃ、そういうことで。決まりな」
 少年は尚も首を左右に振る。
「じゃ、何だ? お前、俺達と一緒に死にてえか?」
「こんなむさ苦しい男共と心中してえか」
「腰のモン使う前にくたばっちゃあ、それこそ恨めしくてアヤカシになっちまわあ」
 明るい笑いが巻き起こった。
 尚も首を振り続ける少年の頭を抱え込み、男が言う。
「なあ。今までおめえをほったらかしにして来たがよ。こう、柄にもなく、最後に一つくらいは先輩らしいこともしてやりてえ、そんな気分になったんだよ。ちったあ良い恰好させな」
 別の男が、照れ臭そうに首を掻く。
「今町を守るのが、俺達の役目。おめえ自身が綺麗な嫁さん貰って、ガキ作って、普通に暮らせるような、そういう町にな、三倉を変えてやんのが、おめえの役目だ」
 尻餅をついた少年は、呆然と男達の顔を眺めている。
 最初に声を掛けた男が、少年に手を貸して立ち上がらせた。
「なあ竜介。おめえが誰に命令されることもねえような、そういう町にしてくれよなあ」



「‥‥そうかい」
 手足を包帯だらけにした竜三を前に、仁兵衛は嘆息した。
 ぼそぼそと、竜三が呟く。
「その‥‥迷惑掛けて、申し訳ない」
「取り敢えず、お前さんが無事だってえ事だけは綾さんに伝えておくよ。約束なんでねえ」
 竜三は反射的に顔を上げる。
「但し、無事だって事以外は、お前さんがその口で伝えな。あたしぁご免だ、そんな面倒な話」
 仁兵衛はさらりと言い、冷たい茶を一口啜った。
「あたしぁ綾さんを良く知らねえ。何を伝えるのが良いのか、何を伝えねえのが良いのか、見当もつかないんでねえ。お前さんが、自分で判断するんだよ。子供じゃあないんだからねえ」
 竜三は黙って頷いた。
「よし」
 仁兵衛は頷くと、後ろにあった孫の手を放り出す。
 部屋の隅で仰向けになり、涎を垂らして居眠りをしていた風螺の顔面を、孫の手が直撃した。
「もふ!?」
「おう風螺、神楽の都の開拓者ギルドに連絡だよ。南の山に出たアヤカシ退治をお願いしますと、風信器番に伝えて来な」
「だ、旦那、何するもふ‥‥何すんだよ!」
「こないだ、あたしの秘蔵の菓子を勝手に食っただろ。たまには働きな。さもねえと、冬にお前さんから刈った毛袢纏を、今お前さんに着せて外におん出すがね」
「行ってくるぜ旦那!」
 風螺は一声上げると、転がるようにして部屋を飛び出して行った。
 それを見送った仁兵衛は、竜三に視線を戻す。
「で、竜三。怪我は酷えようだが、戦えるのかい‥‥と聞きゃあ、戦えると答えんのがお前さんか」
 竜三は黙って頷く。
「お前さんに何かあったら、あたしが綾さんにこっぴどく叱られるんだがねえ」
「それでも、戦いたい」
「お前さんに死んでもらっちゃ困ると言ってるんだよ」
 仁兵衛は獣耳の裏を指で掻き、嘆息する。
「まあいい、開拓者の皆さんについて行きな。皆さんが戦っていいと言ったら戦やあ良い。戦うなと言われたら、大人しく支援なり監視なり何なり、別のことに専念しな。もし皆さんから、お前さんが指示に従わなかったと聞いたら、今聞いた話をあたしが全部綾さんに話しちまうから、覚悟しておくんだよ」
 竜三は予想もしなかった交換条件に、言葉に詰まった。
「いいかい。殴るばっかりが戦うことじゃあねえよ? 解ったかい」
「‥‥解った」
 竜三は頷き、立ち上がる。
 咄嗟に仁兵衛は、懐の煙管を投げた。煙管は高い音を立てて、竜三の後頭部に命中する。
「馬鹿、今からどこへ行く気だい。開拓者の皆さんが来るまでここで待っていねえ。全く、血の気の多い‥‥」


■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694
45歳・男・サ
平野 拾(ia3527
19歳・女・志
ルー(ib4431
19歳・女・志
ライア(ib4543
19歳・女・騎
蓮 蒼馬(ib5707
30歳・男・泰
ヴァレリー・クルーゼ(ib6023
48歳・男・志


■リプレイ本文


「戦っている」
 端的に言ったのは、真紅のコートを羽織った銀髪の中年男性、ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)だった。中に着た腕甲で肩が幾何学的な形に盛り上がっている。
「ついて来るなと言っても無駄なのだろう? 絶対に突出と無茶はせんように」
 諦めたような視線に、竜三は頷いた。ヴァレリーは薄く笑う。
「かつての仲間の攻撃方法や得意技は覚えているか?」
 身体の前面を覆う鎖帷子に羽織を着、髑髏型の兜に面頬を被った青年、蓮蒼馬(ib5707)が声を掛ける。その胸元には、古代龍を象ったブローチが光っていた。
「もし覚えているなら、戦闘中に指示を出して貰いたい。今お前がすべき事は傷を癒す事だ」
 無表情を装って頷く竜三を、不安げに蒼馬が眺める。
「我慢する事もまた戦いだぞ」
 竜三は答えない。
 蒼馬が続けようとすると、低い声がそれを遮った。
「竜三。お前が戦おうが何をしようが俺は一向に構わんが」
 金色の大鎧に勾玉を掛け、紅樺色の羽織に身を包んだ偉丈夫、鬼島貫徹(ia0694)だ。
「せめて彼等に対し、今の自分はこうだと胸を張れる振る舞いをせよ」
 竜三は小さく息を呑み、露骨に視線を泳がせた。鬼島の口許が微かに綻ぶ。
「今になって再び‥‥というのは、寝ていた所を叩き起こされたようなものなのだろうか」
 羽根飾りの付いた鉢金を締め、ライア(ib4543)は身の丈ほどもある両手剣を抜いた。
「まずは彼らを倒す事から、か」
「竜三さんの、大切な人達なのですよね‥‥」
 胴丸の上から羽織った外套に深紅のお守りを下げた少女、拾(ia3527)が笠の下で小さな唇を引き結んだ。
「早く、とむらってあげないとっ‥‥」
「元気なのはいいが無茶をせんようにな」
 ヴァレリーが気遣わしげに拾に声を掛けた。
「ヴァレリーさんも、おともだちを心配させないように無茶しないでくださいねっ!」
 心配された事が嬉しいのか、拾は俄然目を輝かせてヴァレリーの顔を見上げた。
「腰、いたかったらすぐ言ってくださいですっ」
「‥‥私のことは心配せんでいいから集中したまえ‥‥」
 眼鏡を中指で押し上げ、ヴァレリーは何かを押し殺した声で呟く。
 二人の様子を、笑いを噛み殺して見ていたルー(ib4431)は、灰色の刀身を持つ泰剣を抜き、額のゴーグルを下ろして竜三の背を叩いた。
「ここでの事にけじめをつけなければ、綾さんに話すにしても黙っておくにしても、前に進めないでしょ?」
 微かに首を傾けて微笑むルーに、竜三は黙って頷いた。



「逃げ場なんてもんがあるとしたら、そいつぁここだ!」
 怒鳴り、全身から血と膿を流しながら、男が槍を頭上に掲げる。
 その胸元から、剣が生えた。その切っ先が、ゆっくりと引き抜かれる。
「新手‥‥」
 男が振り向き様に払った槍は後方へと流され、泳いだ男の胸に「雷斬」が突き刺さった。
「もう、いいの。もう休んで」
 痛ましげに囁いたルーは突如首を竦め、唸る刃を潜った。
 死角から薙ぎ払われた槍が、韓紅の髪を数本引きちぎる。
 ルーは石突きの一撃を肩で受けながら踵で槍使いの足を刈った。体勢を立て直す暇すら与えず、軽い突きが目まぐるしく槍使いの身体に叩き込まれる。
 槍使いが苛立ちの声を上げ、足を踏ん張った。ルーの身体が猫のように丸まる。
 渾身の一撃を待っていたルーの「雷斬」が、槍使いの胸を抉った。暗紅色の血がゆっくりと垂れ落ち、地面に血の花を咲かせる。
 と、暗い森に蘭の花が舞った。
 蒼馬の蘭華鎧だ。枯れ木が砕けたかのような、硬い音が響く。
 足跡さえ残さない踏み込みからの柔らかな双掌打だったが、撃ち込まれた気は男の背から宙に抜け、背骨を折られた身体はその場に崩れ落ちた。
「至近距離の拳打が来る!」
 竜三の声に反応し、蒼馬は横手から飛びかかる男の親指を掴み、引いた。その肩の裏に立つと左手を離し、顔面に裏拳を叩き込む。
 それで視界を遮られた男の肋の間に、反転した蒼馬の貫手が叩き込まれた。
 続けて背後の殺気に応じようと振り向いた蒼馬は、目を疑った。
 そこには、徒手空拳の男が棒立ちになっていた。一本の素槍が、地面に転がっている。
「時が過ぎ、姿を変えても尚、三倉を守ろうとするその執念」
 戦斧を振り下ろした鬼島が、男の後ろで呟いた。
 その腰には、亡者さながらの姿で男が一人しがみ付いている。
 槍を手放した男は呆然と鬼島の方を振り返った。途端、一撃で両断されていた胸が斜めにずれ、地面に落ちる。
 鬼島の左手が腰にすがり付く男の喉を掴み上げ、地面に叩きつけた。
 瞬間、何かを理解したかのように、男の顔は鬼島の顔を見上げる。
「散々、傷付けて‥‥殺してきた」
 鬼島は、呻く男に一つ頷いてみせる。
「守りたかった‥‥最後くらい‥‥若い奴の未来くらい」
「見事」
 鬼島の一言と共に、男の眼窩から赤い光が消えた。



「あいつぁ俺達の子供みてえなもんだ」
 斧槍を大上段に構えた男が、虚ろな眼窩を燃え上がらせる。
 軽く膝を落とし、右半身で待つヴァレリーの視界の端には、野太刀を相手に身軽に立ち回る拾の姿が常に収められていた。
 男の頭上で一回転した斧槍が、遠心力を利用してヴァレリーの頭部を襲った。
 鈍い音。
 地面に突き刺さった斧槍の柄からは、二本の手がぶら下がっている。
 男は呆然と己の両手首を見た。一瞬遅れて、白い骨の覗く腕から黒い血が流れ出す。
「君達のお陰で三倉も竜三君も無事だ」
 抜き身の刀を提げたヴァレリーは、淡々と言う。
 なおも断ち切られた手首を振りかぶる男の首が裂け、黒い血が零れ落ちた。
「あとは我ら生者に任せて、もう‥‥」
 刀を振り下ろしたヴァレリーは短く片手を立て、瞑目した。
「休みたまえ」
 男の暗い眼窩が闇に閉ざされ、その身体が崩れ落ちた。
 目を開いたヴァレリーの視界の端で、拾の姿が大きく動いた。
 振り下ろされる野太刀の軌道から飛び退き、続く突きを杖で受け、悲しそうに唇を引き結ぶ。
 男が黒く朽ちた歯を食いしばった。
「まだ死なねえぞ! 畜生!」
「今少し、待っててください‥‥」
 拾の目が決意に満ち、杖の先端が動いた。中程で迫り合っていた杖を軸として、拾の身体が流れるように半回転する。
 逆手に握った仕込み杖が、男の腹に深々と突き刺さった。
「ひろいたちが皆さんの戦いを終わらせますので!」
 拾の手が仕込み杖を抉り抜き、更に反転しながらの一刀が男の胸を袈裟懸けに切り裂く。外套を翻して地を転がり、駆け寄ってくる殺気から距離を取った。
 その横手を抜けた男は、竜三に飛びかかろうとしていた。
「させませんっ!」
 咄嗟に拾の小さな掌から刀身へと立ち上った精霊力は黄檗色の電撃へと姿を変え、瞬き一つの間に男の身体を撃ち抜く。
 電撃で硬直した身体に、赤と銀色の塊が激突した。男の身体は蹴飛ばされた鞠のように宙を滑り、腰から樹の幹に叩きつけられる。
「あなたたちの志は、既に引き継がれている」
 ライアだった。吹き飛ばされた男は、その場で受け身を取って長刀を構える。
 遠距離からの片手突きをいなしきれず腹から赤い血を流しながらも、ライアは前へ進んだ。間合いに入れまいと、男は後方へ一歩下がる。
 ライアの身体が沈み、更に踏み込む姿勢を見せる。危機を察した男が後方へ飛び退く。だがライアは踏み込まず、じわりと間を詰めた。
 一瞬の睨み合いの後、長刀の刃圏ぎりぎりから、ライアの後足が地を蹴った。
 更に下がろうとした男の背が、樹の幹に触れた。樹の位置を計算していたライアが眼前に迫る。
 咄嗟に身体をよじろうとした男の顎が、ライアの突き上げた柄尻に叩き割られた。
 続く斬撃に両断された胴が黒い血を流し、地面に転がる。
 瞬間、蒼馬の怒鳴り声が森に木霊した。
「避けろ竜三!」
 ライアが顔を上げる。黒い手甲をつけた男が竜三に飛びかかっていた。一同が目の前の敵から視線を切り、拾とライアは敵の攻撃の直撃を受けてしまう。
 乾いた音が響いた。
 ルーの手の中で、宝珠銃「皇帝」が白煙を上げていた。
 深い足跡が、森の地面に刻まれている。背後の気配を常に窺っていた蒼馬の貫手が、腐りかけた男の腹を貫いていた。
 男の眼窩に宿っていた赤い光が、急速に薄れていく。
「竜介? ‥‥何で‥‥逃げねえ‥‥馬鹿ガキが」
 男の手が、竜三の肩を握る。
「祥兄貴‥‥兄貴」
 竜三の目に、大粒の涙が浮かぶ。
 男の手が、そっと竜三の額を小突き、力を失って垂れ下がった。



「大事ないか、竜三殿」
 ライアが気遣わしげに尋ねると、竜三は黙って頷いた。
「彼等が安らかに眠れるよう、力は尽くす。少し待っていてほしい」
 その三白眼は碧色の水面をただ見つめていたが、その薄い唇が微かに動いた。
 池の水面を、風が撫でる。
 大きく息を吐き、褌にさらしだけの姿になった蒼馬が水面へと顔を出した。
「どう?」
「同じだな。水底を手で探ってみても、何もない」
 荒い息をつきながら、蒼馬は首を振る。
「お疲れさま」
 ルーの差し出す手拭いを受け取り、池の縁に上がった蒼馬は顔を拭く。
「瘴気の異常が今回の原因を招いていることは、想像に難くない」
 鬼島が汗と血で濡れた茶筅髷を洗い、結い直しながら言う。
「考えられるのはそれらの元となる存在が、一帯に現れたか。さもなくば自然環境の変化に伴って、瘴気濃度に変化が現れたか。‥‥ふむ」
 鬼島は宙を睨み、訳知り顔で頷いた。拾が目を輝かせ、その顔を見上げる。
「何か分かったのですか!?」
「良く分からんということだけは分かった」
 けろりと鬼島は言い、拾の身体が斜めに傾いた。
 ルーは困惑し、豊かな胸を抱えるように腕を組んだ。
「最近渇いた様子のある鉱道に、水位を増したらしい碧池‥‥池から鉱道や二の倉に流れていた水の流れが変わった事が原因?」
 鉢金を外して額の汗を拭ったライアが口を開いた。
「いずれにせよ、最終的には碧池を元の流れに戻したいところだな」
「それは、ひろいもそう思います! きっと川の流れが元に戻れば、何か変わると思うのですっ」
 拾が、小さな手を強く握りしめる。
「川の流れが結界の役目を果たしていた、ということはないか?」
 濡らした手拭いで眼鏡を拭いていたヴァレリーは思案顔だ。
「それが途切れた為瘴気が蔓延‥‥考えすぎか」
「いや、そうとも言い切れないのでは? 池の辺りには瘴気が無い。という事は何らかの浄化作用でもあるのではと思うのだが」
 ライアは鉢金を巻き直す。
「或いは池の水を撒いてみるもアリかもしれん」
「なるほど‥‥取り敢えず思いつく限りのことは全て試してみるべきだろう。‥‥どっこら‥‥」
 ヴァレリーは腰を上げかけ、ふと我に返った。
 俯いて肩を震わせる拾を見て、大きく咳払いをする。
「どっこら‥‥辺から手を付けようか、と言おうとしたのだ」
「はいっ」
 拾は小さなお尻をつねり、必死に笑いを堪えていた。見れば、残る四人も似たような顔だ。
 憔悴しきった竜三の顔が、微かに緩んだ。



「お手数をお掛けした」
 蒼馬が深々と頭を下げた。老巫は御幣を脇に置き、笑う。
「何。仁兵衛殿の頼みとあれば、聞かぬわけにもいきますまい」
 川に岩を運んで流れを元に戻し、そこから男達の居た場所へと水を撒いた一行は、遺品と遺骨を回収し、仁兵衛の知り合いの老巫に浄化を頼んだのだった。
「よほど壮烈な最期をお迎えになったのでしょう、相当な瘴気を帯びておりました。全て霧散するには時を要しましょうが、瘴気が瘴気を呼び、未練に立ち上がることはございますまい」
 老巫は手拭いで額を拭いた。
 その後ろで、何も知らされずに連れてこられた綾は竜三を睨み上げていた。
「‥‥心配したんですけど」
 竜三の姿を見た時から、綾はずっとこの調子だった。拾が両手をきつく握って綾の様子を窺い、その度ヴァレリーにつつかれては顔を引っ込めている。
「あと、いまお弔いした人達、どなただったんですか」
 綾の苛烈な視線を受け、疲れ切った表情の竜三は助けを求めるように開拓者達を見た。
「ん、んん‥‥正直な、その辺りの機微はよくは判らん」
 ライアは咳払いをし、居心地悪そうに視線を泳がせる。
「判らんのだが‥‥言うは早いが良いと思う、な」
「所帯を持つつもりならいずれは話すべきだろう」
 言ったのは、ヴァレリーだった。
「しょっ‥‥!」
 綾が顔を赤らめ、絶句する。ヴァレリーは淡々と続けた。
「逆の立場なら知らぬ方が良かったと思うかね」
「きちんとお話して『ごめんなさい』したほうが良いと思うのです!」
 拾が勢いよく頷く。
「きちんと話してごめんなさいってすれば、綾さんもほっとするかと! お二人が仲良しなほうがひろいはうれしいのですっ」
 目を輝かせて綾と竜三を見比べる拾に、竜三は頭を掻く。
 鬼島は中指で顎を撫でつつ、面白そうに二人を見守っているばかりだ。
 竜三は、渋々口を開いた。
「その‥‥俺は」



 綾が上目遣いに竜三の顔を見上げる。
「その‥‥じゃあその‥‥それで今まで‥‥素性とか、話してくれなかったんですか」
 竜三は無表情に頷く。
 重い沈黙が一同の間に降りた。
 青い空から、白々しい程明るい陽射しが地面に降り注いでいる。
「そうなんですか‥‥そう‥‥」
 綾が、苦労して言葉を吐き出した。
 竜三は拗ねたように口を曲げ、ただ黙っている。
「でも‥‥私、もう竜三さんのこと、知りませんから」
「えっ、あのっ、でも竜三さんはっ!」
 慌てて助け船を出そうとした拾だったが、はっと口を閉じた。恨みがましさと怒りの混じった綾の涙混じりの視線は、まるで針のようだ。
「知りませんっ! 七夕だって、楽しみにしてたのに! 馬鹿! 嫌い! 知らない!」
 最後の二語を竜三に怒鳴り、拾が制止するのも聞かず、足早に社を出て行ってしまう。
 竜三は、呆然とそれを見送るばかりだ。
「‥‥まずかっただろうか」
 蒼馬が気まずそうに竜三の顔を窺う。
「隠し事は理由如何を問わず大体良い結果にならぬ‥‥気がする、のだが」
 ライアが自信なさげに金髪を掻き回す。
「‥‥いや、いい」
 刺すような陽射しの中、竜三はとぼとぼと白い砂の上を歩き出した。
「今駄目なら‥‥後でも駄目だったと思う。疲れたから、休ませてくれ」
「あ、あのっ、竜三さんっ! 綾さんは、七夕楽しみにしてたのにってゆっただけでっ!」
 竜三は答えず、綾とは反対側、自分の道場がある方向へと歩いていく。
 本来以上に猫背になった竜三の後ろ姿を、ルーが心配そうに見送る。
「‥‥綾さん、結構気にしてた?」
「どうだろうか‥‥私には意外と気にしていないように聞こえたがね」
 ヴァレリーは小首を傾げ、小さくなっていく竜三の背中を見送る。
「何。多少の困難が無くて何が恋愛か」
 鬼島は平然と言い、荷物を掛けた斧を肩に担いだ。
「喧嘩大いに結構。その程度も乗り越えられぬようで、所帯は持てまい」
 社を抜ける風に、木々の葉が笑い囁くかの如くさざめいていた。