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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 「杉原は上手くやっておりましょうか」 「餌が待姫だ、開拓者共が掛からぬ筈はあるまい。‥‥仮に討ち取れずとも、釘付けにさえできればそれで良いのだからな」 金蚊が、熊蜂が、顔の周りを飛び回る。初夏とは思えぬ強い陽射しが木立をすり抜けてくる斜面を、鎧兜で武装した集団が歩いていた。 あるものは刀を、ある者は槍を持ち、またある者は陰陽服に身を包んでいる。 「儀光の気晴らしなどに開拓者が出てきたのが誤算だった」 三尺一寸の太刀を佩いた中年の鎧武者が、枯れ枝を踏み折りながら吐き捨てた。 眉原啓治だ。 「それさえ無ければ、落ち延びる混乱で儀光を殺して終わりだったものを」 「先に儀光を殺すのが確実だったのでは?」 遠慮がちに言ったのは、その隣を歩く陰陽狩衣の男だった。 「申し付けて下されば、衆の監視をかいくぐって殺しましたものを」 「典膳様に儀光の護衛を申し付けられた以上、その信任を損ねられまい」 啓治の足が、ふと止まった。 その足の前に草木染めの縄が張ってある。その縄の先を辿ると、木立の中に木石を山と乗せた網が張られていた。 「ふん。下らぬ罠を」 陰陽師が鼻で笑い、張られた縄を跨いだ。 その足が地に着いた瞬間、地面近くから弓音のようなものが発せられた。僅かな間を置いて、雷鳴の如き音が森に響き渡る。 僅かな間を置いて地響きが起き、視界の向こうから人間大の岩と丸太が斜面をなだれ落ちてきた。 「隠れよ!」 木陰に飛び込みながら、陰陽師が絶叫する。丸太が後ろを歩いていた男の顔面を直撃し、張られた縄を動かした。 上から更に木石が降り注ぐ。 轟音が立て続けに辺りを満たし、土煙が森の中を覆った。 ● 勒戒村。 志体持ちの生まれることが多いこの村は自主独立を重んじ、小高い丘を逆茂木や濠で要害の地に仕立て上げて、外部との接触を極力断って生活してきた。 特に志体を用いて外部の戦に関わることを厳に禁じ、勒、くつわを用うることを戒むる村として、勒戒村と名付けられたのだった。 その村が、今、禁を破った者によってもたらされた禍を前に、危機に陥っていた。 あちこちに苦無の刺さった鎧に身を包む中年の武者、元儀忠は朽ちた床に頭を擦りつける。 「ひとまず襲撃は退けましたが‥‥私の浅慮ゆえに、申し訳ございませぬ」 「気に病むな、儀忠」 勒戒村の長、倉野漆平はゆっくりと首を振った。 「この村は、多くの志体持ちの働きのもとで長らえてきた。なれば、村の志体持ちによってもたらされるものは、良きも悪しきも受け入れるが道理」 「そうそう」 儀忠とは対照的に、草木染めの野袴に胸当て、手甲という軽装の男達が笑う。彼らもまた、身体のあちこちに苦無による傷を負っていた。 「‥‥その、何だ。時々な、みんな、自慢したもんだ。村のもんが、使番の組頭にまで出世したってな」 「村の自慢を守らずに、何のための志体だってんだ」 儀忠は再び頭を床に擦りつける。 「‥‥この儀忠、最期の時まで村のために」 「無理はするな。お主には、守るべき息子がおろう」 漆平は笑う。だが、儀忠は首を振った。 「元よりこの身、香山の地で散っていたはず。今生きながらえている事がそもそも筋違い。なれば、私と儀光をかくまって下さった村の為に使うが道理」 「馬鹿者め」 言いながらも、漆平の目は優しかった。 「死なせぬぞ。儀忠」 ● 既に、村の柵の目の前まで鎧武者達が迫っている。最後となる落とし穴の罠もくぐり抜けられたようだ。 食い違う形で作られた濠の境目、人一人がやっと通れようかという足場の中央に、儀忠は一人仁王立ちしていた。腰の刀が鞘走ると同時に、正面へ迫った武者が胸から血を噴き上げる。 武者達の後ろに居た男が、思わず声を挙げた。 「相変わらず良き腕よ!」 啓治だった。二人の視線が、空中で衝突した。 「儀忠! ここまで生き延びるとは、某も予想せなんだぞ!」 「死なば貴様もろともよ!」 二人が同時に刀を振り抜き、二条の桔梗が交叉する。 儀忠の胸甲と啓治の腹甲が裂け、鮮血が飛び散った。それを合図として、眉原衆が儀忠に殺到する。 村の中から散発的に矢が放たれるが、儀忠の支援としてもあまりに頼りない。 「‥‥許せよ、儀光」 一人対十数人だ。生き延びる事が叶わぬ事は、誰の目にも明白だった。 「死にたい者から、掛かって来い!」 怒号に合わせ、斜面の下から数名の鎧武者が駆け上がってくる。 儀忠は唇を噛んだ。 「まだ兵力を残していたか」 「杉原か、早かったな」 啓治が唇を歪め、肩越しにちらりと振り返る。 が、面頬の下の目が訝しげに凝らされた。 駆け上がってきた武者達は、迷わず眉原衆へと駆け寄ってくる。啓治は叫んだ。 「備えよ! 敵ぞ!」 鎧武者達は、眉原衆に合流するどころか、その最後尾に食らいついた。 無傷のまま近寄った武者達と眉原衆とが入り乱れ、斬り合い始める。 鎧武者の一人が、槍を振り回して叫んだ。 「殿、ようやく見つけましたぜ。圧木の渡しで噂を聞いて、すっ飛んで来ましたよ」 香山の城で解散を命じた筈の、元衆だった。 儀忠は目を瞠り、怒鳴る。 「なぜここに来た!」 「どうせ俺らも使番に弓を引いた逆賊だ!」 別の男が、肩口に苦無を刺されながらも笑う。 「同じ死ぬなら、あんたの為に死にますぜ!」 「この、莫迦共が‥‥!」 儀忠は天を目掛けて喉も裂けよと咆哮をあげた。 「退けい、雑魚が!」 目の前に立った男が渾身の一太刀を避け損ね、額を断ち割られて崩れ落ちる。 儀忠は、啓治目掛けて突進を始めた。 その刃から発せられる鎌鼬が、立て続けに眉原の配下達を切り裂いていく。数的優位が揺らいだ眉原衆は、浮き足立ち始めていた。 啓治の判断は早かった。 「一度下がれ! 立て直すぞ!」 眉原衆の多くが、驚愕の目で啓治を見た。思わぬ反撃にこそ遭ったが、まだ退却を決断するほどの苦戦ではない。 だが啓治は断固として命じた。 「退く事は、恥ではない! 死すことこそが恥と心得よ! 杉原達が合流さえすれば、我々の勝ちは揺るがぬ! これ以上衆が死すことは許さぬ!」 眉原衆は蜘蛛の子のごとく散開し、森へと退いていく。 啓治もまた向かってくる元衆を一刀のもとに斬り捨て、斜面の森へと後退していった。 追いすがろうとする元衆が、森の中から放たれた苦無と啓治の桔梗を浴び、血塗れになって斜面を転がり落ちる。 「儀忠、次だ! 次こそ、貴様の首を貰う!」 木立の中から、怒鳴り声が響いた。 |
■参加者一覧
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
神咲 輪(ia8063)
21歳・女・シ
羽流矢(ib0428)
19歳・男・シ
蓮 蒼馬(ib5707)
30歳・男・泰
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ |
■リプレイ本文 ――(待姫を守るのは自分の役目と信じているらしいな) (はい) 真っ直ぐに蒼馬の目を見つめ返し、儀光は頷いた。 蒼馬は頷き返す。 (その信念はいい。だが忘れんでくれ。その為に君が命を失ったら、結局は待姫を不幸にしてしまうのだと) 儀光の両の瞳は、微動だにせず蒼馬の視線を受け止めている。 (命を捨ててもなどとは本人の身勝手な自己満足に過ぎん。どんな時でも諦めず、生きる事を考えてくれ)――(邂逅) ● 「ごぶじで、帰ってきて、下さいね」 もふらのぬいぐるみと手を繋いだ待の目から、涙がこぼれている。 「姫様は泣き虫ね。大丈夫、また会いましょうね。絶対」 待を抱き締めていた忍装束の女性、神咲輪(ia8063)はそっと身体を離すと、小指を差し出した。待の短く細い指と、輪の長くしなやかな指が、そっと絡み合う。 「流れる川に足を踏み入れて、その温度で春が近付いたとか逆に冬が近いとか感じたり、思わぬところで木の実を見つけて一息ついてみたり‥‥」 銀髪と獣耳をカフィーヤに包んだ雪刃(ib5814)が、微かに表情を緩めた。 「覚えてる?」 「はい。覚えています」 儀光が真っ直ぐに雪刃の紺碧の瞳を見返す。 「終わったら、できるといいね」 雪刃は長大な斬竜刀を肩に担ぎ上げた。 「それじゃスティーブさん、頼んだよ。必ず迎えに来るから‥‥」 羽流矢(ib0428)が脚絆の紐を締めながら、長身の黒人職員、スティーブに視線を送る。 「お任せ下され」 「儀光君。君たちには、一番良い未来を、見て欲しい」 儀光は、深々と頭を下げた。 と、 「お待たせしました。お手伝いに来ましたよ、羽流矢さん」 身の丈五尺ほど。巫女袴にローブを羽織り、青い帽子を被った少女、佐伯柚李葉(ia0859)が戸を潜って顔を出した。 「悪い、いきなり呼び出して」 「いいえ。加護結界と、手の回らない方面の回復のお手伝いですね?」 羽流矢が片手を立てて謝る。 待の頭を撫でながら、輪が微笑んだ。 「柚李葉さんね? 話は聞いてるわ、よろしくね」 「はい。こちらこそ、よろしくお願いしますね」 柚李葉は六尺ほどの杖を握り、嬉しそうに微笑む。 「‥‥しかし、立場がある人というのは面倒だねぇ」 薄水色の兜の緒を結び、九法慧介(ia2194)が肩を竦める。 「表でイイ顔して影でコソコソ動くからこうやって潰される羽目になるのさ」 「表裏を持つのは人の性ですが、悲しいことですね」 袖の隠しに手を入れ、玲璃(ia1114)が大きな魔法帽を被る。 儀光と握手をした慧介は、深呼吸をすると面頬を被った。 「でも、やり口は好かないけど、一方では感謝しているよ。おかげで儀光くんにも待姫様にも会えたし」 雪刃が儀光の頭を撫で、戸に向かう。 「ようやく元凶との決着になるから、ね。ここで全てを出し切ろう」 「蓮様」 集中しているのか、一言も発する事なく戸を潜ろうとした蓮蒼馬(ib5707)に、儀光が声を掛ける。 「儀光。俺達を信じてくれるか?」 肩越しに振り向いた蒼馬に、儀光は即答した。 「信じます」 「それなら、俺たちは決して負けん」 蒼馬は口の端を微かに持ち上げ、逆光の中、戸を潜っていった。 ――(できるだけ他の人にはわからない様、お召し物の中に常に忍ばせておいて頂ければ幸いです) (‥‥なぜですか? 人に見せてはいけませんか?) (何かあった時のお守りになるからですよ) 目深に被った魔法帽の下で、玲璃の目が優しく笑う。 (はい、わかりました!) 待は嬉しそうに言い、手渡された物を大切そうに振り袖の隠しに入れた――(邂逅) ● 「大丈夫ですかね」 「掠り傷だ。気にするな」 火の回っていない家に寄りかかり、儀忠は右腕に布を結び付けながら答える。 「殿は俺より後に来て下さいよ」 槍を握った男が明るく笑った。 「あっちで露払いをしておきますんでね」 「莫迦者が」 悲壮さの欠片もない男の様子に、儀忠は呆れ顔をする。 瞬間、儀忠の刀が地に転がり、兜が金属音と共に宙を舞った。儀忠の膝が地面につく。 「殿!」 元衆が血相を変える。だが、 「問題ない」 勢いよく跳ね上げた顔から、血が舞い上がった。額の肉を削り取られはしたが、命に別状はないようだ。 儀忠の視線が、鎌鼬の発射点を睨む。 そこには、太刀を肩に担いだ啓治がいた。 「手こずったが、某の勝ちと見えるな」 儀忠は手拭いを額にきつく巻き付ける。 「どうかな」 「悪いが、時間が無くてな。杉原が開拓者を討ち漏らした以上、遠からぬ内に奴等もここへ来よう」 啓治が左手を柄尻に添える。突き出された元衆の槍が弾き飛ばされ、返す太刀が鎧の腹を薙ぐ。 だが元衆の両腕が、啓治の胴を両腕ごと抱え込んだ。 「好きに‥‥させるか、ど阿呆」 「貴様!」 啓治は血相を変え、元衆を振り払おうと暴れ出す。 「殿! 逃げるんですよ! とっとと!」 「杉原! 儀忠を殺れ!」 啓治が怒鳴った、その時だった。 草が、木が、大気が。家々の壁が、障子が、柱が、細かく震え出した。 獣の断末魔のごとき咆哮が人のものだと理解するのに、儀忠でさえ数秒を要した。殺気に満ちた大音声に、辺りの小動物や鳥たちが一斉にその場から逃げ出す。 兜の白い飾り房を宙に踊らせ、先陣を切って突進してくるのは、弓掛鎧に陣羽織の剣士、慧介だった。その後方に長大な斬竜刀、そしてカフィーヤに頭を包んだ雪刃が見える。 「眉原が頭なら、それを倒せば一気に勢いは覆る」 「任せましたよ。雑魚は引き受けます」 雪刃と慧介が怒鳴り合いながら、柵の隙間へと突入した。 啓治は元衆を振り払い、その兜を足蹴にしながら怒鳴った。 「杉原、佐藤! それぞれ一名を連れて某と共に儀忠を討つぞ! 残りの者は開拓者を討ち果たせ!」 ――羽流矢は幾らか刀傷の残る脚絆を巻いた足を曲げ伸ばしし、ゆっくりと草の海に上半身を沈めた。 (おい) 声が射程に入った瞬間、羽流矢の手が夜に溶けた。闇に紛れる黒い刃が、弓術士の胸と下腹部に突き刺さる――(信) ● 忍装束の上に羽織った革の羽織が、湿気を帯びた風に揺らめく。 「出て来たら?」 右手を後ろに隠し、羽流矢は静かに呟いた。 「良く気付いたな」 「横合いからさっくりやられちゃ困るんだよ。どちら側の口封じでもね」 鉢金の下で、大きな茶色い目が細められる。 現れた男は、黒い忍装束に黒い忍刀を二口腰に差した中年の男だった。 「遊撃の得意なシノビがいるって聞いてね。逃げる村人を狙って潜んでるなら、咆哮に反応するんじゃないかと思ってた」 男、梅野は舌打ちを漏らした。 「好機と思っていたが」 羽流矢の身体に隠された右腕が、微かに動く。梅野の視線が揺らいだ瞬間に左手が閃き、八方手裏剣が木の幹に突き刺さった。 梅野の姿が霞み、咄嗟に身を捩った羽流矢の腕が左手の忍刀に切り裂かれる。更なる一撃は肩口を抉った。 だが当の梅野は、右の眉骨上から血を流しながら跳び退る。 「貴様、急所を庇うどころか‥‥」 「良く躱したなあ」 羽流矢は口笛を吹く。彼の身を捩る動きは、梅野の無刃から急所を庇うだけでなく、漸刃の一撃目となる右横打の準備動作と一体になっていた。 左の脇腹に拳を叩き込まれ、「蝮」で額を裂かれてもなお、梅野は顔色一つ変えていない。が、刀の構え方が微妙に変わっていた。左の肋を庇う動きだ。 「肋やられて、左で攻撃できないだろ?」 「ほざけ!」 梅野は再び突進する。羽流矢は左前方に身体を流し、血で塞がれた梅野の死角に身を隠した。 それを予期していた梅野は残る忍刀を右で抜いていた。手甲に受け止められた忍刀は、鋒半寸が羽流矢の脇腹に刺さる。 「!」 羽流矢の身体が縮こまった。攻撃に使えない筈の左手が心臓目掛けて突き出されたのだ。防御が間に合わず、その鋒が忍装束の鎖を裂いて胸を抉る。 「手応えがおかしいとは、思わなんだか‥‥!?」 瞬間、梅野は背中に焙烙玉の爆風と鉄片の雨を浴び、目を剥いた。「蝮」がその右肩を串刺しにし、胸筋の端と動脈を両断する。 「自分で殴って、手応えが解らないわけないだろ」 羽流矢は痛みに顔を歪めながらも笑った。 梅野の膝が折れた。 「貴様‥‥いつ、焙烙玉に着火した」 羽流矢は忍刀を鞘に戻し、荒縄を取り出す。 「最初に手裏剣投げた時、音に紛れて。火縄の臭いは煙の臭いに紛れるし」 「二撃目の防御が遅れたのは‥‥、玉を投げたからか‥‥!」 「あ、ちなみに口笛は、焙烙玉の火縄の音を聞かせたくなかったから」 梅野の身体が、地面に崩れ落ちた。 その手に手早く荒縄を掛けながら、羽流矢はぼやいた。 「あーあ。こんな所で焙烙玉使っちゃったよ」 ――(ま、罠なんだろうけど、別に構いやしないよ) 鬼面頬を兜に取り付け、慧介は秋水清光を抜き放つ。 その刃が、初夏の陽射しを浴びて鮮やかに輝いた。 (さっくり破って儀光くんの所に連れていくだけさ)――(信) ● 先陣を切る慧介が、秋水清光を崩し八相に構える。面頬の下で黒い瞳がゆっくりと冴え渡り、冷たい光を宿した。 「泣いても笑ってもこれが最後の戦いだ」 振り下ろされる刀が慧介の肩口を狙う軌道を外れ、地面に突き刺さった。 眉原衆の胸甲は持ち主の刀ごと両断されていた。崩し八相から車へと移行した慧介の刀が脇構えへと移り、膝を斬られた男は地面に倒れ伏す。 「悔いの無いように掛かってくるといいよ」 陣羽織が、湿気を吸って微かに重みを増している。泰兜の飾り房の動きも鈍いようだ。雨が近い。 「この男を、殿に近づけるな!」 陣羽織が突如舞い上がり、巨大な円弧が不用意に近付いた四人の身体を吹き飛ばした。腹から血を噴き出しながら、その身体が仲間に激突する。 その上を、銀色の風が行き過ぎた。雪刃が鞘つきの斬竜刀を地面に突き立て、それを支点に眉原衆の頭上を飛び越えたのだ。 咄嗟に眉原衆の一人が戦列を離れ、踵を返す。瞬間、力無く垂れ下がっていた慧介の飾り房が激しくはためき、風が渦を巻いた。 「まぁ、泣くのはあなた方で‥‥」 風はただ一点、秋水清光の鍔元へと吸い込まれていた。半身になった慧介の身体が前方へと沈み込み、秋水清光の鋒が天を指す。 血を吐かんばかりの絶叫が、村を焼く炎の音を掻き消した。 「笑うのは俺たちだけどね」 慧介の放った桔梗は、振り向いた男の右腕を一撃で両断していた。 寄らば円月、下がらば桔梗。地面に転がる仲間を見て眉原衆が思わず足を止めた。 だが、槍を持った男がそれを怒鳴りつける。 「怯むな、寄り合うな。ああも消耗の激しい技を幾度も使えるものか」 力任せに突き出される槍が慧介の腕甲を貫き、その体勢を崩させた。隙を逃さず、眉原衆が殺到する。慧介は刺さる槍の柄を絹糸のように両断し、地面を転がった。 迫り来る剣林が慧介の兜を、小鰭を、裾板を削る。 兜に、雨粒が落ち始める。慧介の身体に、泣き出した曇天とは比較にならない暖かい光が降り注いだ。 「お待たせしました」 「助かります、本当」 純白の神衣と羽織、そして漆黒の魔法帽を被った玲璃だった。胸の十字架の前に杖の先端、薔薇の形をした石が構えられている。 「‥‥回復役か」 玲璃は殺気を感じて杖を翳し、声の聞こえた方角とは反対に跳んだ。突き出された忍刀は杖に当たって進行方向を変え、玲璃の腰に刺さる。 円月に吹き飛ばされた一人が、いつの間にか慧介の側を離れていたのだった。立て続けの斬撃を、玲璃は杖の重い先端ではなく、軽い尻を使っていなす。 男の身体が沈み込む。玲璃は杖を地面に突き立てて蹴りを辛うじて防いだが、男は蹴り足に力を込めて杖の先端を払う。 忍刀が、玲璃の脇腹を斬り上げた。 「我らが殿の、邪魔はさせん」 地に落ちた杖を軽く蹴飛ばし、男は玲璃に組み付く。 「玲璃さん!」 嵩に懸かって襲い来る眉原衆をいなしながら、慧介が叫ぶ。玲璃の端正な顔が、痛みに歪んだ。忍刀の鋒が玲璃の喉元に近付いていく。 だが、 「‥‥貴方達の陰謀もここまでです」 破裂音が響いた。 玲璃は息をつき、右手の中の小型拳銃を懐に仕舞う。胸に鉛玉を叩き込まれた男は口から血の泡を吹き、悶絶していた。玲璃の魔法帽に、繰り返し雨粒が当たり始める。 「心配無用でしたかね」 慧介が、雨と汗で滑りやすくなった柄を握り直す。 「円月を使わぬのか。それとも、使えぬのか」 「さてね‥‥」 慧介は、視界の端に動く雪刃の銀髪に気付き、舌打ちを漏らした。桔梗の射程からは遠く離れている。視界の奥で、怪しい人影が動いた。 「迎撃に留めておくつもりだったのにね」 強まりつつある雨の中、突如慧介の胸から立ちのぼった光が、そよ風に舞う桜の如くその身体の周囲を踊り狂う。 「散れ!」 危機を感じ取った男が叫ぶのと、慧介の足が濡れた土を蹴るのとが同時だった。 咄嗟に刀が振り下ろされる、槍が突き出される、矢が放たれる。兜を二寸下げて鏃の当たる角度を変え、肩口目掛け振り下ろされる鋒は体を開いて躱す。返す刀はそのままに、胸甲で受け止めた。 体を開く動きで右の腕甲を一寸持ち上げ、穂先の狙いを逸らす。慧介の身体が、そのままの勢いで一回転する。雨粒の中に、桜色の細かな光片が横倒しの渦を描く。 桜色の渦の中心を断ち切る白銀の円弧が、一瞬だけ浮かび上がった。 僅かな間を置き、胸甲を両断された四人が血を噴き上げて背中から地面に叩きつけられた。残された弓と槍を持った男が、呆然と慧介を見る。 と、弓の男の膝裏が血を噴き上げた。慧介の視界の奥にいた羽流矢が息を合わせ、早駆で奇襲を掛けたのだ。 慧介は羽流矢と視線を交わし、その場を羽流矢と玲璃に任せて雪刃のいる方角へ駆け出した。 ――(儀光様っ) 輪は既に草の海を掻き分け、真っ直ぐに儀光の元へと駆け寄っていた。 うつ伏せに倒れていた儀光の身体を、小柄な輪の細い腕が抱き起こす。 (冷たい‥‥!) 儀光の肌は蝋細工のように白く、唇はすっかり血の気を失っていた。呼吸は浅く遅く、頼りない。 (かん‥‥き‥‥ま‥‥) その目は、既に虚ろだ。その唇が、微かに動いた。 (ま‥‥ち‥‥は) (こんなになってまで‥‥!) その身体を抱き締めた輪の大きな瞳から、涙が溢れ出す――(生) ● 降り出した雨は、見る間にその勢いを増しつつあった。放たれた火を消すには至らないが、延焼を防ぐ程度の効果はありそうだ。 湿った土にまみれ、地面に倒れても尚しがみつこうとする元衆の手を、啓治は蹴飛ばす。 「邪魔だ!」 「止しなさい!」 銀光と共に薄衣が宙を舞い、啓治が強かに尻餅をつく。その兜が、濡れた地面に落ちた。 忍装束の上に透き通る外套を纏った輪が、菊一文字の一振りを囮に眉原の頬を蹴飛ばしたのだ。 「儀忠様! ご無事で」 「神咲。蓮」 儀忠は血の気の失われ始めた顔に、僅かな安堵の色を浮かべる。 「ここは任せて後方へ。長に治療ができるなら、これを渡して治療を」 遅れた駆け付けた蒼馬が、儀忠に小袋を渡した。儀忠と元衆が、肩を支え合って交代していく。 「来たか、開拓者ども」 指の股に符を挟んだ佐藤と、刀を構えた杉原が進み出た。立ち上がった啓治が、忌々しげに二人を睨む。 「だが、愚かな。その数で某を討てるとでも‥‥」 「眉原」 杉原が、次いで啓治が、そして佐藤が、血相を変えて振り向いた。 そこには、雪刃が立っていた。雨の中、耳と尾を覆う銀色の毛は逆立ち、発せられる剣気に長い白髪がざわめいている。 「蒼馬。私にやらせてもらえるかな」 押し殺した雪刃の囁き声に、蒼馬は小さく頷いて見せた。 「負けるなよ」 「首刎ねちゃったらごめん」 雪刃は鞘を地に落とし、長大な斬竜刀を大上段に構える。 「殿」 「案ずるほどの腕でもなさそうだ。そちらは任せたぞ」 啓治は雪刃の方へ歩み寄っていく。 「必ずや、あの二人の首、御前に」 啓治に背を向け、杉原と佐藤、そして二名の眉原衆が蒼馬達と相対した。 髑髏を模した兜と面頬の奥で、蒼馬の瞳が冷たく光る。 忍装束の上の護身羽織は、雨を吸って重く垂れ下がっていた。霊拳「月吼」の宝珠が、象牙色の淡い光を帯びる。 「神咲。背の守りは任せたぞ」 「終わったら神音ちゃんに、きちんとご挨拶にいかなくちゃね」 悪戯っぽく笑い、隣に並んだ輪は蒼馬と互いの裏拳を合わせた。 「‥‥何の挨拶を?」 蒼馬が訝しげに呟いた瞬間、眉原衆が動いた。 杉原の斬撃を「月吼」の甲で滑らせ、どこか目を虚ろにした蒼馬が追い突きを放った。杉原が輪の方向へ半歩ずれたことで、蒼馬の右肘が輪の左肩に触れる。 微かに鈍った拳は、刀の棟で受け流された。が、その刀は輪の菊一文字に弾き上げられ、燕の軌道を思わせる鋭い蹴りが脇腹に突き刺さる。髪と同じ鉄紺色の残像が、輪の身体にまとわりついた。 蒼馬の爪先が跳ね上がり、完璧なまでの弧を描いて杉原の側頭部を狙う。杉原の左手甲がそれを受け止め、大振りな一太刀が蒼馬の胸を襲った。 蒼馬は大きく前に踏み込み、刀はハバキ元を蘭華鎧に食い込ませるに留まる。地面に足をめり込ませた蒼馬の逆突きが、杉原の胴巻に罅を入れた。 蒼馬に斬りかかる眉原衆の刀が横に流れ、その股へ滑り込んだ細腕が掬い投げを仕掛ける。見事に転倒した男の鎖骨を踏み付け、輪の身体が後方へ跳んだ。 刹那の差で、その空間を残る眉原衆の刀が空過する。 直後、二人の身体を淡い光が包みこんだ。 「助かる!」 「負けないで下さいね!」 いつの間に駆け付けたのか、柚李葉の手が杖を回転させ、象牙色をした癒しの光を投げかけていた。 「村の方の治癒は終わりました! 人魂での見張りをして下さっています!」 「面倒な」 杉原は、身体が持ち上がるほどの蒼馬の蹴りを受け止め、その勢いで後方へ転がった。 「そこの二人の足止めをしておけ!」 言い残し、そのまま踵を返す。その突進する先には、柚李葉の姿があった。 輪の姿がゆっくりと透き通り始めた。 「蒼馬!」 名を呼ばれ、蒼馬が右掌を上に向けて肩の脇に出した。輪の草原のブーツが、その掌底に爪先を合わせる。 蒼馬の腕に血管が浮かび上がり、輪の身体が高々と宙を舞った。残像のように鉄紺色の髪を靡かせていた輪の姿は、ぐんぐんと上昇しながら雨の中に溶け消える。 「杉原! 上だ!」 佐藤が怒鳴る。 咄嗟に杉原が振り向いた。視界に入るのは、ふくらはぎを切られ、背に三本の苦無を浴びながら突進してくる蒼馬の姿だけだ。 爆発的な加速で間を詰めた蒼馬の右足が跳ね上がり、先刻に酷似した軌道で杉原の側頭部を襲う。 だがその爪先は勢い余って狙いを外れ、兜の前立ての上を通過した。蒼馬の身体は空中で回転を続け、左の踵が高々と振り上げられる。 瞬間、軽い足音が杉原の脇で派手に水を跳ね上げた。そちらに注意を引かれた杉原の左鎖骨に、熊の一撃もかくやという衝撃が叩き込まれる。 膝をついた杉原の脇腹に、姿を消して跳躍していた輪の菊一文字が突き刺さる。 杉原の手が、顔が地についた。俄に勢いを増し始めた雨の中、輪と蒼馬が肩を並べて振り向く。 佐藤が血相を変えて振り返った。 「‥‥の、儀忠だ! 今の内に」 「儀忠さんがどうかしましたか」 その視線の先に立っているのは儀忠ではなく、眉原衆の一人を切り捨て、雨に返り血を洗われている慧介だった。 ――長身の上に乗っていた笠が、夜闇へと舞い上がる。 (力を貸す、その約束はまだ生きてる) 笠の下から現れたのは、提灯の明かりで薄紅色に輝く銀髪の女性、雪刃だった。髪からは純白の毛に覆われた耳が覗いている――(生) ● 「上手く嵌めたつもりだろうけど。私達が待救出になんで儀光を連れていったと思ってるの?」 突き出される鋒は、雪刃の右胸を裂いた。天墜が唸りを上げ、啓治が血相を変えて後方へ飛び退く。 「答えは、私達が動いてる隙の口封じを防ぐ為。そして儀忠は、わざわざ逃がさなくても貴方達に討たれるほど弱くなかった」 啓治は激しくなってきた雨に打たれながら荒い息をつき、血塗れの雪刃を睨み付ける。 長大な刀の、大振りな攻撃だ。避けることは容易くないが、しかし難しくもない。 だが雪刃の攻撃は全て、輪に兜を飛ばされた啓治の首だけを狙っている。その刃圏に飛び込む事は、啓治の精神力を着実に消耗させていた。 加えて、要所で発せられる剣気。何より、捨て身の殺気。 ―山川の末に流るる栃殻も身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ― そんな言葉が、啓治の脳裏に浮かぶ。これだけの深手を負いながら、それをかくも忠実に体現している剣士を、眉原は見たことがなかった。 「無駄な小細工、御苦労さま。おかげで待は助けられた、ありがとう」 「‥‥猪武者が!」 斬竜刀の鋒が天を衝く。啓治の胃が縮み上がる。渾身の力で地を蹴り、雪刃の懐へと飛び込む。斬竜刀が唸りを上げる。 突き出された太刀は鎧らしい鎧も着ていない雪刃の鎖骨上、僧帽筋を貫いた。斬竜刀は啓治の頭を外れ、左上腕の肉を削るだけに終わる。 雪刃の紺碧の目が、啓治の目を射抜く。その奥に燃える底知れぬ怒気に、啓治の中で危険を知らせる鐘が乱打された。それまでとは比べものにならない速度で振り上げられた斬竜刀が、啓治の左脛を脚絆ごと切り裂く。 「何があっても、貴方はここで倒す。企みも白日の下に晒す」 雪刃の白い肌は、血を失って更に白くなっていた。それでもその細腕が、長大な刀を上段に構える。 しかしその角度は徐々に下がってきていた。その唇は青白く、微かに震えている。 それを勝機と見て取った啓治の唇がつり上がった。 啓治を中心として水溜まりに波紋を生まれた。車に構えられた刀身が吸い込んだ練力を刃とし、獲物を求めて膨れあがる。 桔梗が、雪刃の身体を袈裟懸けに斬る軌道を描く。それを追って啓治が突進する。 重みを支えきれなくなったか、雪刃の白い両腕が僅かに下がる。振り下ろされる気配はない。勝利を確信した啓治は太刀に練力を叩き込んだ。 精霊力を帯びた刀が地面に落ち、突進の勢いのまま、啓治は肩から地面に転がった。 「?」 顔に、強かに雨が打ち付ける。 啓治は地面に仰向けに倒れていた。不可視の何かを浴びた全身の肌が、粟立っている。 桔梗の直撃を受けた雪刃は地に膝をつき、震える声で言った。 「この一太刀に賭けてた」 地面に突き刺した天墜を支えに、胸の傷口から微かに白いものを見せた雪刃が、生まれたての子鹿のように立ち上がる。 「力を貸す。その約束は、まだ生きてる」 啓治は慌てて立ち上がろうとし、無様に地面に転がった。そこで漸く、自分の足に走る灼熱感に気付く。 両膝下が、骨の見えるまで断ち切られていた。 防具のない頭を散々狙ったのは、意識を上に向けさせるためだった。天墜の構えが下がったのも、疲労ではなかった。渾身の剣気を交えて逃げ足を断つ、この一太刀のためだったのだ。 その時、雨と失血で霞む雪刃の視界の端に、白い旗の翻るさまが映った。 「!?」 いつの間に近付いたのか、村は完全に攻囲されていた。ずらりと並ぶ鏃が雪刃達に向けられている。その数は少なく見積もっても百を下らないだろう。 雨に濡れた旗印を見て、啓治の顔が生気を得た。 「あれは、杉巴紋。‥‥真北様!」 荒い息を吐きながら、啓治は低く笑い出した。 「やはり、某の勝ちのようだな。儀忠の首は、梅野が挙げていよう」 「‥‥外道」 雪刃は、震える腕で斬竜刀を掲げようとし、膝から崩れ落ちる。咄嗟に駆け寄った慧介が、その肩を支えた。 と、啓治が目を剥いた。 「誰が首を挙げてるって?」 眉原衆を片付けた羽流矢と玲璃が、梅野の身体を引きずって現れたのだ。 弓を構えた男達の間から、一人の青年が進み出る。 「不埒者を捕らえよ」 その言葉に応じ、控えていた男達は身構えた開拓者達を素通りして啓治の腕を取った。 「‥‥一尚様!? 何を」 「何を? おめでたい男だ。圧木の渡しに流れた噂を何とする」 青年、真北一尚は啓治を一瞥し、吐き捨てた。 「使番、内藤正純、可部芳治、三島兵座、三名の調べにより、元が受け取った書状を作りし右筆、真倉城の下女が証人として確保された。事の顛末を、納得のいくよう説明してもらおう」 組み伏せられた啓治の顎が、泥の中に打ち付けられる。後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされた啓治が、血走った目で一尚を見上げた。 開拓者達に目を転じた一尚が、軽く会釈を送る。 「ギルドの面々とお見受けする。此度の香山の地における騒乱について、証言を頂きたい。そちらの元儀忠ともども、ご同道願えまいか」 ――(儀光さま、儀光さま! はい! あーん!) (神咲様‥‥) 困惑顔の儀光には知らんぷりで、輪は後ろ手に待の背中をつついてけしかけている。 (あーん!) (‥‥あ、あーん)――(疑心) ● 「楽にせよ」 畳敷きの広間で、開拓者達がゆっくりと顔を上げた。 座布団に胡座をかいている真北は、頬が痩けて白髪混じりの男だった。側に控える青年は、勒戒村に駆け付けた息子、一尚だ。 「待たせたな。何ぶん巨勢王がああいう気性のお方ゆえ‥‥徒衆を警備に配するだけでも一苦労。加えて諸役の任命に目付共の監督、旗本どもの管轄、なかなか時間が取れなんだ」 一同が深々と頭を下げる。その丁重さに苦笑しながら、真北は肘掛けに腕を置いた。 「まあ、本題に入るとしようか。各々の処遇についてだ。嘉木典膳については、使番の任を解き徒衆へと降格申し渡した」 「‥‥か、徒衆にですか? それは」 慧介は思わず驚きの声を上げた。徒衆と言えば知行は百石未満。知行千石の使番からの降格など、生き恥とさえ言える。 「配下の不和と奸計を見抜けず、無辜なる民を危険に晒したこと、許されるものではない」 「でも、嘉木さんも騙された一人だったんじゃ‥‥じゃ、ないでしょうか」 慣れない敬語で訴える羽流矢に、真北は穏やかに頷いた。 「お主達の陳情は既に評定所に伝えた。結果、切腹を申し付けるべきところ、そのような裁きが下った次第だ。聞き分けてくれ。元家の事もある」 「儀忠さん達の?」 真北は穏やかに頷く。 「まあ、聞け。‥‥眉原啓治は、知っての通り斬首となった」 一行は頷いた。 「民のため尽力すべき身でありながら同胞に一方的な憎悪を抱き、反乱を唆して多くの人命を失わせたこと。更に謀をもって無実の子供を害さんとした事。言語道断の所業」 「恐れながら、真北様。残る眉原衆、元衆はどうなりましょう」 玲璃が遠慮がちに口を開く。真北は目を丸くした。 「その方は男であったか‥‥いや、許せ。それにはまず、儀忠の処遇について話す必要がある」 真北は軽く咳払いをする。 「親の情につけ込んだ周到なる奸計、見抜けぬのも無理はないが、虚言に惑わされて兵を起こし、多くの命を失わせたことは許し難い」 真北の口角が、微かに持ち上がる。 「よって、徒組頭への降格を申し渡した」 一瞬の間を置き、全員が顔を見合わせた。 徒組頭。徒衆を統括する立場だ。 「と、いうことは」 「嘉木は元儀忠の指揮下に入るものとした。眉原衆と元衆は解散、全て徒衆に吸収する」 「あの、待姫様と儀光様は‥‥」 「それで、待姫と儀光は‥‥」 輪と蒼馬の声が、綺麗に重なった。二人は視線を交わし、気まずそうに口を閉ざす。 真北は意味深な笑みを浮かべた。 「今や両家の家柄から不自然であるゆえ、儀光の嘉木家婿入りの件は取り消しとする。然る後、そこの一尚と待姫との婚礼の儀を‥‥」 「でもそれは」 雪刃が咄嗟に声を上げかける。 構わず、真北は続けた。 「儀光存命の折であったゆえ無効として発表する。待姫が元家に嫁入りをするのが、最も自然であろう」 一同、ことに輪の顔が、ぱっと明るくなった。 「ありがとうございます!」 「二人には、幸せにと伝えましたよ」 一尚は目を細めた。 「それから待姫からの贈り物を渡しておく。心ばかりの礼だそうだ」 一尚が、真北の肘掛けから取り出した物を一同に手渡していく。 それは、小さな愛らしいお守りだった。 「開拓者たちよ。その方達の働き、真に見事と言う他はなし。嘉木の愚昧、眉原の奸計を阻止せしは、他でもない、その方達であった」 一同は再度平伏した。 「また眉原衆の杉原、梅野、佐藤を確保し、元儀忠を保護したことにより、眉原の奸計の裏付けを取ることも、実に容易であった。礼を申す」 真北は座を降り、深く頭を下げた。 「今後とも天儀の為、いや民草の為に、大いに尽力してほしい」 「それから、私からも一つ」 一尚が、悪戯っぽく付け加えた。 「つまらぬ事ですが、折あれば、そう、数年後にでも勒戒村へ行ってみて下さい。心ばかりの礼とでも言いますか、入れ知恵をさせてもらいました」 ● 後の史書に曰く。 ――香山の地に、元なる一族あり。 病によりてかアヤカシによりてか、乱心の末に兵を起こし、城一つを奪いたるも、勇臣某の決死の抗戦により多大なる損害を受け、立て直すこと能わずして領主嘉木に攻め滅ぼさる。 人質たりしその息子、城より逃れたるも嘉木の命により討ち取られ、その幼妻は悲嘆の内に濠へと身を投じ命を落としたるとぞ言う。 元一族の古里たるろっかい村、勒(くつわ)用うるを戒むる村たりとて、勒戒村と言うは皮肉と言うほか無し。 さりとて、斯様なる話に異説つきまとうは世の常なり。村の古老の語り伝えたるに、勒戒村は古き名なり。 父子は姫の機転と、開拓者なる者どもの力に依りて村に戻りき。 勇臣たりと見えたる者佞臣たり、生き延びて父子の首を求め村を襲えども、開拓者ども之を退けて村を救えり。 之に依りて村の名は六名の開拓者に因み、六開村と改むるなり。今以て村人の名に玲、慧、輪、羽、蒼、雪の字を冠したるものの多きは、六人の名に因みしゆえなり。 而して元家の年若き夫婦、村にて子宝に恵まれ、末永く穏やかに暮らしたるとなむ語り伝えたる―― |