絆―信―
マスター名:村木 采
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2011/05/24 17:49



■オープニング本文

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 香山城、二の丸。
「逃げただと」
 焼け落ちた本丸が左手に見える二の丸の最上階で、典膳が扇子を床に叩きつけた。
「儀光め、何を考えている」
「儀忠爆死の報を聞いての事とすれば‥‥野に下り、殿のお命を狙う機会を窺うつもりでは」
 典膳は険しい顔のまま、窓から夜闇に抱かれた濠を睨み下ろす。
「儀光に限って、そのような事は無いと思うが‥‥」
「そうでございましょうか。何せあの儀忠の息子、待姫様への情愛よりも父子の義を重んじたとして、何の不思議がありましょう」
 典膳は思わず唸った。
「城を落ち延びる折、やはり儀光を討っておくべきであったか」
 言い、典膳は目の前に畏まる男を見やった。
「お主だけでも生きていてくれたことは儂にとって僥倖であったが‥‥」
 男、眉原啓治は深々と頭を垂れる。
 啓治の後ろの薄暗闇には、眉原衆の副頭達が控えていた。
「勿体なきお言葉なれど、あの時は某にもこのような事になろうとは解りませなんだ。‥‥そして今、真に儀忠が死んだのか否かも解っておりませぬ」
「儀忠が? あの燃え盛る天守にあって、生きていよう筈があるまい」
「であれば、良うございますが」
 眉原はゆっくりと首を振って見せる。
「儀忠が死んだという姿を見た者は、あの開拓者どものみ。そして、あの者どもは儀光の話し相手として呼ばれた者達。裏で通じ合い、儀忠を密かに逃したとしても不思議はございますまい」
 典膳の顔はますます険しくなる。
「儂を、たばかったというのか。あの者達が」
「何とも申し上げられませぬが、その可能性は否定できませぬ」
 虎鶫の鳴き声が、遠くから響いてくる。
 灯明が揺れ、壁に映った人影が蠢いた。
「‥‥ならば、何故儀光が逃げた。儀忠を助けた今、逃げる理由がどこにある」
「それこそ、父子で軍を整え、再び香山の地を狙うつもりやも知れませぬ」
 典膳の顔色が、徐々に血の気を帯び始める。
「儀忠め。今の地位では満足が行かぬというのか」
「無論、まだ決まったわけではございませぬが」
 眉原は微かに口の端を歪め、続けた。
「しかし、儀忠が真に生きているや否やを確かめ、儀光をあぶり出す方法ならば、既にこの頭にございます」
「‥‥ほう」
 怒りに震え始めた典膳の顔が、僅かに冷静さを取り戻した。
「流石よな、啓治。して、その方法とは」
「確実ではございませんが、儀光の性格を考えれば糸口を見つけることは出来るかと。まず‥‥」



 香山城の前庭。
 虎鶫の悲しげな鳴き声が、篝火の音を掻き消して辺りに響き渡る。
「待姫は、外部と連絡を取れぬようにしてあるな」
「はっ。真倉城の風信器は使えぬように致しました」
 月明かりの中で杉原は、深々と頭を下げた。
「しかし啓治様のお考えを疑うわけではございませんが、本人を使わずとも偽者をお使いになればよろしいのでは? 子供とはいえ、儀光がこのような餌に飛びつくかも怪しいところ」
「ふん。儀光自身は来るまいがな」
 冷たさの残る風を受けながら、眉原は鼻で笑った。
「だが、あの忌々しい開拓者どもは来るであろう。開拓者が来ず、待姫が真北様の家に入ればそれも良い。儀光が生きている事さえ姫の耳に入らねば、姫も許婚を死なせた片棒を担いだなどとは口にするまい」
「なるほど」
「加えて、輿は待姫のものだけを運ぶわけではない。囮、偽物の輿も複数用意させた。たとえ開拓者と言えども、容易には本物を捜し出せまいよ」
「しかし、儀光が生きていると知れば、私が儀光を害しようとした事、真北様に注進なさいましょうな」
「無論。確実に儀光と開拓者の口を封じねばならん。そちらは任せたぞ」
 杉原は再び眉原に深く一礼し、夜闇へと消えた。
「開拓者どもが、待姫に飛びつけばそれもよし。飛びつかずとも、それでよし‥‥」
 眉原は、部屋で一人低い笑い声を漏らした。



「姫様?」
 もふらのぬいぐるみを抱き締め、輿の中に小さく座った待は、唇を真一文字に引き結んだまま答えない。
 白無垢の襟は、頬を伝い落ちる涙で重く濡れていた。
「おめでたい事なのですから、そんなにお泣きにならないで下さい。より良きお相手をお父上が探して下さったのですよ」
 純白の角隠しは輿の隅に打ち捨てられ、ぬいぐるみの顔は涙でびっしょりと濡れている。
 輿の簾越しに聞こえてくる老女の声に、待は涙ながらに首を振る。
「待は、‥‥待は、儀光さまのつまになると、決めました。今さら、ほかの方にとつぐなど、かんがえられません」
「姫様。儀光様とは夫婦になる前だったではございませんか」
 弱り果てた老女の声が言う。
 行列は野次馬の並ぶ宿場を抜け、見晴らしの良い平原に差し掛かっていた。
 ずらりと並ぶ長弓と槍が、輿の簾越しに見え隠れする。
「真北様も、姫様が嫁がれる一尚様も、仁者と名高いお方。きっと姫様にお優しくして下さいますよ」
「待は、儀光さまのつまです! ほかのだれにも、とつぎません! いやです! ぜったいにいや!」
 涙声で、待は叫んだ。輿の周囲を固める者達が、ぎょっと輿を見る。
「姫様、お気持ちはお察ししますが‥‥泣き暮らしたところで、亡くなった儀光様がお帰りになるわけではございませんよ」
「儀光さまがなくなったなんて、待はしんじません! 神咲さまが、玲璃さまが、まもってくださったって、待はしんじています!」
 待は叫び、両手で顔を覆って激しく泣き出した。
「まったく‥‥」
 ほとほと手を焼いた老女は、溜息と共に輿を離れてしまう。
 待はとめどなく涙を流して幾度もしゃくりあげ、ぬいぐるみと共に、懐に忍ばせた物を抱きしめた。


■参加者一覧
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
九法 慧介(ia2194
20歳・男・シ
神咲 輪(ia8063
21歳・女・シ
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ
蓮 蒼馬(ib5707
30歳・男・泰
雪刃(ib5814
20歳・女・サ


■リプレイ本文


「聞いた? 儀光様の話」
「ね。馬姿の砦に潜んで、姫を取り返そうとしてるって」
「あの輿入れ、真北様を討つためなんだってな」
「え、本当?」
「おう。あの別嬪の楽士の姉ちゃん、嘘を言ってる目じゃなかったぜ」
 町は、旅人の持ち込んだ噂で持ちきりになっていた。
 車や馬の行き交う音、どこからともなく聞こえる笛の音、人々の騒ぎ合う声、この場から散るよう声を嗄らす役人の叫び、待姫が滞在している宿の周囲は大変な騒ぎだ。
「ご推察の通り、待姫の様子が変わったと。目に生気が戻り、頻りに外を気にしているようです」
 男が、杉原の前に片膝をついて報告する。
「‥‥手段は不明だが、接触したのだろうな。ここで仕掛けてくるつもり、というわけだ」
 杉原の指が、宿場町一帯の簡単な地図を叩く。
「川の中で仕掛けられると、面倒ですかな」
「むしろ好都合。敵は輿の判別ができぬ。本物の輿を探る間に、一網打尽にできる」
「では、他の渡しの足止めをせずとも?」
「構わん。身の程知らずの開拓者どもめ。‥‥まあ、ここで討てずとも構わぬのだがな」
 杉原は低い笑いを漏らした。
 妙なる笛の音が、杉原の安心と油断を煽るかのように部屋の空気を揺らしていた。



 山から運ばれてくる冷たい風で、日陰は少々肌寒い。
「輿が止まったぞ。護衛の半分が輿の周りにいて、残りの半分は渡河を続けてる」
 褌一丁の男性が言う。
「待ち伏せを警戒していますね」
 胸元に十字架を掛けローブを重ね着した玲璃(ia1114)が、腕を組んだ。
「護衛と姫が共に先に渡り始めれば、手前の岸での待ち伏せは無意味。川の中で姫が止まっている間に残る護衛が向こう岸を調べれば、対岸での待ち伏せも不可能。考えましたね」
「加えて川の中なら、『どれが本物の輿か判らない』以上、姫の奪還に手間取る筈‥‥というところか。じゃ、行きましょうか」
 六尺超の長身を弓掛け鎧と陣羽織に包んだ青年、九法慧介(ia2194)が、口の端を持ち上げた。褌の男性は水棹を抜くと強く岩を押す。
 舟が川の流れに乗り、滑り出した。
 毛糸の帽子の横に狐面をつけ、忍装束の上に虹色の外套を羽織った少年、羽流矢(ib0428)が口に咥えていた草を吹いて捨てる。
「それよりさ、本当にいいの? 千文で」
「十分十分」
 男性は笑った。
 借りた皮鎧と小具足を纏い、大小を腰に差した儀光が刀の鯉口を押し切る。
「オルゴールの音は聞こえますか」
 羽流矢は頷いた。
「前から三番目の輿」
「待‥‥」
 儀光が示された輿を睨んだ。
「気持ちは分かるけど、自分の身も全力で守ってくれな」
 儀光の頭に、羽流矢の手がそっと乗った。
「俺らも全力で守るけどさ」
「‥‥皆様、改めて申し訳ありません。このような危険なことに」
 儀光が深々と頭を下げる。
「ま、罠なんだろうけど、別に構いやしないよ」
 鬼面頬を兜に取り付け、慧介は秋水清光を抜き放つ。
 その刃が、初夏の陽射しを浴びて鮮やかに輝いた。
「さっくり破って儀光くんの所に連れていくだけさ」
「だね」
 厚司織に外套を羽織っただけの軽装で長大な斬竜刀を抱いた雪刃(ib5814)が、豊かな胸を誇示するかのように大きく伸びをする。
 白銀の髪が、陽光を浴びて眩く輝いた。
「はまって、踏みつぶして、先へ行く」
「敵が、こちらに気付いたようですね」
 玲璃が端正な顔を風霊面で隠した。真鍮製の白い聖杖ウンシュルトが、待ちきれないかのように玲璃の練力を吸い込んで輝き始める。
「さ、儀光」
 斬竜刀を掴んだ雪刃が儀光の背をつつく。
 儀光は、大きく息を吸い込んだ。
「そこな行列、足を止めよ! 我が名は元儀光!」
 護衛の、旅人の視線が、声の主へと吸い寄せられる。
 小舟の舳先に仁王立ちした儀光は、鳳凰の雛を思わせる誇り高さと猛々しさを兼ね備えていた。
「眉原啓治の謀により城を追われしも、志ある者達の助力を得て、今、許婚の待姫を取り戻すべく参上仕った!」



「構え!」
 小舟を目掛け、護衛達は一斉に弓を引き絞った。
 弓の数、およそ三十。槍兵にも弓を携行していた者がいるようだ。
「やば、ごめんっ」
 予想を超える反撃に危機を察した羽流矢が、船頭を川に蹴り落とす。途端、川面に弦音が響き渡った。
 雪刃が儀光を庇って前に立ち、斬竜刀で数条を叩き落としたが、五人の身体に二十条を超える矢が浴びせられる。
「おいっ! 何すんだ!」
「脅されたって言ってくれて良いからっ」
 矢を受けて加護結界の光を散らしながら、羽流矢は水中の船頭に片手を立てて謝る。
「余分に金置いとくよっ」
「今治療を」
 自ら受けた矢を気にすることなく玲璃は杖を振るい、船上にいる癒しの光を投げかけたた。息をつく間もなく、続く弦音が川に鳴り響く。
「‥‥玲璃自身が矢の雨に晒されていて、回復が思うに任せない。行くぞ」
 上半身をはだけて裾をたくし上げ、腰紐一本で裸身に留めた黒髪の徒渡し、蓮蒼馬(ib5707)が、肩に跨った女性に呟く。
 袋状にした長着の中には、娘から送られた根付けとブローチ、袋に入れた狼煙銃、絡踊三操だけが忍ばされている。
 忍装束に薄手の衣を纏った女性、神咲輪(ia8063)は唇を噛んで行列の様子を見守っていた。
「まだです、蓮さん‥‥まだ、槍兵が居すぎます」
「だが旅人は行列から離れつつある。これ以上ここに残っても、敵と判断されるだけだ」
 蒼馬の言う通り、輿の周囲にいた徒渡しや連台が散り散りに行列から離れ始めていた。
 その時、杉原が怒鳴った。
「下流へ後退しろ! 可能な限り接敵までの時間を稼げ!」
 行列は隊伍を乱し、下流へと、蒼馬と輪に向かって、移動を始めた。



 槍兵の連台が上流に残り、弓兵の連台が下流へと動き始める。
「先に行きますよ!」
 舟の舳先を蹴り、真っ先に連台に飛び移ったのは慧介だった。その胸目掛けて突き出された槍の穂先が消え失せ、川面に水飛沫が上がる。
 だが横手からの鋭い突きが、慧介の腰を抉った。攻撃を避け損ねた慧介は、引き戻される穂先に合わせて隣の連台に飛び移る。
 青白い精霊力を纏った槍に胸甲を削られながら、慧介は秋水清光を脇構えに隠し、長い呼気を吐いた。その量腕から練力を吸い込んだ刀が妖しく輝き始める。
 槍の穂先の青白い残像が、清光の赤い残像と交錯した。
 腹を切り裂かれた男が落とした槍を左足で蹴り上げ、宙で掴み取ると、渾身の力で弓兵へと投げつける。
 弓兵が突如として膝を折り、槍の穂先をまともに胸に浴びた。
 その足が、あり得ない方向へと捻れ、曲がっている。
「待姫は、返して頂きます」
 玲璃のウンシュルトが、陽光を受けて輝いている。仲間の傷を癒す傍ら、隙を見つけては襲い来る敵の足を狙って力の歪みを放っていた。志体持ちでない護衛の中には、足をねじ切られさえして川に落ち、溺れる者もある。
 その玲璃の前を、人影が走り抜けた。
 槍衾を前にし、儀光の身体を抱えた羽流矢だった。重量の偏った舟が大きく傾き、玲璃が身体の均衡を失って尻餅をつく。
 同時に、舟の床は乗り移ろうとした男の足をすくい上げていた。二つ、派手に水飛沫が上がる。羽流矢は一人持ち上がりすぎた舳先へと駆け戻り、苦無を弓兵に放つ
 舳先の立てた水飛沫を突き破って、銀光が舞い踊った。
「謀をもって儀忠を唆し、儀光を闇討ちにしようとしたことは既に明白!」
 銀光の正体は、雪刃の長く豊かな銀髪、そして銀色の耳だった。
「大人しく待姫を返せば良し! 手向かうなら容赦はしない!」
 天を衝く斬竜刀が翻り、連台に立つ護衛三人を一太刀で薙ぎ倒した。
 雪刃一人になった連台に、杉原が降り立つ。
「戯れ言を。儀光様はお亡くなりになった」
 杉原の刀が文字通り火を噴いた。
「待姫を拐かさんとする不埒者、その罪万死に値する!」
 だがその手が斬撃に移るよりも早く、雪刃の身体は一陣の銀風となって杉原に襲いかかった。
 天墜の長大な刀身が杉原の太腿を切り裂き、連台を半ばまで断ち切る。
 炎を纏った突きに肩の肉を切り裂かせながら、天墜は杉原の眉間に落ちかかった。
 辛うじて受け止めた刃に額を裂かれ、溢れ出す血を杉原の舌が舐め取る。
「良き敵よ! 我は杉原忠助! 名乗れ!」
「‥‥興味ないな、そういうの」
 雪刃の筋肉が幾何学的な形に膨れあがり、杉原の刀を押し始めた。



 雪刃と鍔迫り合いを繰り広げながら輿を窺った杉原の目が、驚愕に見開かれた。
 水面を掠めるかの如き低い軌道で白刃が、そして血飛沫が舞う。
 高く結った艶やかな鉄紺色の髪は腰にまで届き、斜め上下を指した細く白い手には手裏剣が握られている。腰に差した白い笛が、陽射しを浴びて一際輝いていた。
 その女が、川面を、まるで当然の如く、歩いていく。
「う、撃て!」
 弓兵の一人が叫ぶ。まばらに放たれ始めた矢の中を、輪が波紋を残しながら走り出した。
 鍔迫り合いを続けながら、杉原は叫ぶ。
「馬鹿者、それ以上撃つな! 姫に、味方に当たる!」
 その声を引き金にしたかのごとく、蒼馬の鍛え上げられた肢体が水飛沫を上げて連台へ上がる。
 弓兵が小太刀を抜くのと、蒼馬の右手が腰に伸びるのとが同時だった。弧を描く絡踊三操の一節目を小太刀が受けようとした瞬間、蒼馬の右腕が前に伸びる。
 小太刀を跨ぎ、刀身に巻き付くように軌道を変えた一節目が男の顎を揺らした。
 引き戻した三節棍に首後ろを跨がせ、左肩上から繰り出した一撃で弓兵のこめかみを砕く。三節棍の連々打を防ぐのは、例え志体持ちでも容易ではなかった。
「姫様っ」
「神咲さま! 待はここです!」
 輿の簾を上げ、待が連台に飛び出した。
 輪の両手が半円を描き、待に近付こうとする弓兵の足に二条の銀光が突き刺さった。
 待が連台の端に寄る。輪が近付いていく。隣の連台で絡踊三操に頬を砕かれた男が昏倒する。
 輪の手が、待の小さな手を、掴んだ。待の身体が宙に浮き、輪の腕の中へと引き寄せられていく。
 蒼馬の手が腰に伸び、鉤形の金属塊を取り出した。
「短銃!?」
 弓兵達が一瞬足を止める。
 銃口が天空へ煙を噴き上げた。それを目にした瞬間、雪刃が、慧介が、玲璃と儀光、そして羽流矢の待つ小舟へと走り出す。
「待て! 逃げ」
 杉原の声を掻き消すかの如く、爆発的な水飛沫が川面を駆け抜けた。
 川へ弾き飛ばされ、水面に顔を出した杉原は目を剥いた。数名の兵が失神し、衝撃波に砕かれた舟の残骸に混じって川面に浮かび上がる。
 舟の舳先に戻った雪刃の斬竜刀が、地断撃を放ったのだ。
「槍兵、散れ! 弓兵、手を休めるな!」
 杉原が怒鳴る。
 散り散りになり遠巻きに戦いを眺めている舟の一艘が、川面を滑り出した。
 待を抱いた輪が連台を蹴り、水面を走り出す。
「させぬ!」
 杉原の刀が水平に振り抜かれ、鍔から噴き上がる電撃が刀身を走り抜けた。紫電は鋒の描く弧をなぞって、最も手近にいた蒼馬へと突き進む。
 弓兵と渡り合っていた蒼馬の身体が、電撃に撃たれて竦み上がった。
 その胸に、弓兵の小太刀が突き刺さる。別の弓兵の小太刀が蒼馬の左腿を裂き、右肩口に食い込んだ。蒼馬の膝が折れ、その身体が川へと転げ落ちる。
「神咲さま! 蓮さまが!」
 水面を走る輪の腕の中で、待が叫んだ。
 川の色が赤く染まっていく。夥しい出血があるのは一目瞭然だ。
 蒼馬の身体は、浮かんでこない。
「弓兵三隊は下流、残りは上流だ! 逃がすな!」
 護衛達が二手に分かれ、連台と舟を捨てて散開を始める。
「射ろ! 射殺‥‥な、何だお前は!」
 怒鳴った弓兵の顔面がひしゃげ、後頭部から川へ落ちた。
「センセー! 今助けるよ!」
 振袖に墨染めの帯を締め、甚三紅の髪を漆黒の髪紐で留めた少女が、先刻川面を滑り出した舟の舳先を蹴った。高々と舞い上がった身体が水飛沫と共に着水する。
 少女、石動神音(ib2662)を中心に、川の流れが渦を巻いた。
 神音の掌から放出された気弾が水飛沫を上げて突き進み、固まって立っている弓兵を二人、まとめて吹き飛ばした。
「こ、このガキ!」
 流れに乗って駆け寄ってきた男の突き出す槍を手の甲でいなし、掌で掴み、引き寄せ、男の腹に渾身の正拳突きを叩き込む。
 破裂音と共に男の身体はくの字に折れ曲がり、水中へと崩れ落ちた。
「神音ちゃん!」
 待を舟に乗せ、蒼馬の身体を引き上げた輪が叫んだ。神音は頷き、まばらに射込まれる矢を叩き落としながら、水面下へと身を投じて舟を追った。



 宿場町の人々から輪と羽流矢の集めた情報に従い、儀光達陽動班が丈の高い草を掻き分けて、用水路の橋の下に滑り込んだ。
 期待と不安の入り交じった待の視線が、疲労と安堵を色濃く映す儀光の視線と絡み合う。
「‥‥待」
 待の大きな目に涙が浮かび上がった。
「のり‥‥」
 それ以上は、声にならない。とうに真っ赤に泣き腫らし、荒れ始めていた目尻から、更なる涙が流れ出す。
 儀光が一歩踏み出した途端、待は儀光の身体に飛びついた。
「待。心配を掛けたね」
「もう‥‥ど‥‥も‥‥」
 待は何かを言おうとし、しゃくりあげるばかりで言葉にならず、再び儀光の肩口に顔を埋めて嗚咽を漏らした。
「良かった。待、良かった。もう、どこにも行かないよ」
 白無垢姿の待の嗚咽は、誰はばかることない泣き声に変わっていた。
 儀光も目に涙を浮かべ、待と頬を重ね合わせた。
「よく頑張ったね、儀光も。待も」
 玲璃に癒されても治りきらないほどの傷を受けた雪刃が、豊かな胸ごと抱き寄せた膝に頭を預け、穏やかな目で儀光達を眺める。
 年若い恋人達を安堵の表情で見つめながら、神音が岩に寄りかかって座っている蒼馬に声を掛けた。
「センセー、大丈夫?」
「ああ。‥‥久々に、危ないところだった」
 蒼馬は血の気の失せた唇を笑みの形にした。その腹にかいがいしく包帯を巻きながら、神音はさりげなく顔を蒼馬に近づける。
 が、蒼馬は神音の真意に気付かない。
「輪、無事か?」
「私は何とか。でも蒼馬さん、娘さんをちゃんと見てあげないと‥‥」
 突如傷口にきつく包帯を巻かれ、蒼馬は悲鳴を上げた。
「か‥‥神音‥‥何か、俺に恨みがあるのか‥‥」
「むー! ないっ!」
 神音は唇を尖らせ、蒼馬の手当を続ける。
 雪刃が、大きく息を吐いた。
「私も、玲璃がいなかったら死んでたかな」
「無茶な戦い方をするからですよ」
 比較的傷の浅い慧介は岩の上に立ち、追っ手が来ないか四方を確かめていた。
 防戦に回っていた羽流矢も、そこまでの重傷ではないようだ。
「でも、これで一件落着じゃ‥‥ないだろ?」
「ええ。‥‥多分、まだ何か仕掛けてくると思いますわ」
 輪の顔が、ふと引き締まった。
「‥‥実際、気になるのは、眉原が来なかった事ですかね」
「確かに」
 玲璃は頷いた。
「指揮を執っていた男もなかなかの腕利きでしたが‥‥眉原自身が来るまでもないと思っていたのでしょうか」
 慧介が、岩の上から軽々と地面へ飛び降りる。
「これで一件落着ではないだろうね」