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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 「いかん、いかん。それじゃ表面しか削れんぞ」 「爆発の向かう方向を考えろ、表面に置いても威力は上に逃げるだけだ」 「岩というのは放っておいても崩れようとしてくれる、火薬はそれを手伝うだけで良い」 老人の声が、ひっきりなしに響く。 「さすが、本業は違う」 胸を撫で下ろしながら、里長にして刀匠でもある野込重邦は呟いた。 武天は水州、刀匠の里理甲。 砕いた岩を川に流して砂利や砂とし、下流の池で比重の差を利用し砂鉄を採る「鉄穴流し」の準備が、里では着々と進んでいた。 鉄穴流しで堆積する砂を利用し棚田を作りたい下流の村が、理甲に採石用の火薬を提供したのだった。 その火薬の運搬中、奇妙なことがあった。火薬を狙って襲いかかった山賊が開拓者に一蹴されたのだが、その指揮を執っていた男は捕らえられたのち、奇妙な事を言い出したのだ。 「必ず返すから、火薬を貸して欲しい」と。 そして男はあろう事か、朱房付きの十手を取り出した。同行していた砲術士の老人もまた、房こそついていないが、十手を持っていた。 朱房付きの十手は、本物の同心の証だ。重邦が風信術で代官の岩崎に尋ねたところ、裏も取れた。男、山田則実は、確かに武天の同心だった。 ● 山田に話を聞いてみると、彼らは元々山賊でも何でもない、世捨て人だったらしい。家族を失った、世の理不尽に嫌気が差した、天災で畑を失い借金が返せなくなったなどの理由で行き場を失った者同士が寄り集まり、共同生活を営んでいたのだという。 その中に、偶然数人の砲術士がいた。うち一人が、彼らの指導者でもある木所彦六だった。 しかし徐々に増えていくあぶれ者の中に、荒くれの浪人者や反省のない犯罪者などが混じり始め、遂に山賊行為を働き始めたのが三ヶ月前。 もちろん彦六は慌てて止めようとしたが、新たに頭領となった砲術士の高見義満は、彦六の孫娘である燕を監禁してしまった。 だが彦六は諦めず、敢えて代官の岩崎に直接掛け合い、こう言ったのだ。 「自分は縛り首になっても良い、孫娘と仲間達の安全を保証してもらいたい。代わりに本拠地の場所や活動予定を教える」と。 岩崎はそれを快諾しただけでなく、彦六を目明かしとして取り立てて内通者として使い、更に同心の砲術士、山田則実を、山賊達の入団希望者として潜り込ませた。 志体持ちだった山田は瞬く間に穏健派を従えて高見に恭順を誓わせ、信頼を勝ち取った。そして彦六の監視役と別働隊の隊長を兼ね、活動を始めることとなる。 山田の指揮のもと、穏健派はある意味徹底したやり口で山賊行為を働いた。 人を傷つけず、被害者達には近くの町までの路銀を残し、しかも死者や怪我人が出たと吹聴する事を約束させて解放する。 しかも奪った品や金品の帳面を岩崎に送り、岩崎から厳重な口止めと引き替えに被害の補償をさせたのだ。 そうして山田は彦六と共に、慎重に慎重を重ねて燕の居場所を探った。そして十日前、燕が山賊の拠点から二里ほど離れた丸太小屋に捕らえられている事を突き止めたのである。 ● 岩崎は、刀も売れず奪われる物も金もない理甲には関係あるまいと、山賊や山田の話を重邦にまったく伝えていなかった。 その一方で、高見から少量の銃砲と火薬しか与えられていなかった山田は、山賊と一戦交える弾薬として、理甲の火薬に目を付けた。 そこへ持ってきて「代官に山賊の情報を書面で知らせた者がいる」と聞かされた山田は燕の身を案じ、岩崎への連絡も後回しに、襲撃を実行してしまったのだった。 岩崎と山田の連絡の齟齬が、火薬襲撃に繋がってしまったというわけだ。 結局重邦と彦六老人は話し合い、孫娘と仲間の安全を確保する代わりに、採石作業を以後手伝ってもらう事で、話が落ち着いたのだった。 「‥‥で、常に三部隊のうち一部隊は拠点にいるわけですな」 地図を眺める重邦の言葉に、山田は頷いた。 山賊達の拠点を示す×印は、街道から丸一日は雑木林を歩かねばならない位置にあった。 「穏健派で一部隊、山賊が二部隊。俺達穏健派が失敗した話は遠からず奴等に伝わるだろうから、ゆっくりはしていられないが‥‥」 山田はぐるりと辺りを見回した。 彦六老人の指示に従い、穏健派の男達はせっせと働いていた。元はと言えば、やむにやまれぬ事情で堅気から世捨て人になった者達だ。むしろ真面目に働く方が性に合っている。 「高見の率いる最大部隊は、俺達の部隊が帰る三日前に一稼ぎしに行くことになってる。その間に拠点に残るもう一隊を撃破しておきたいな」 「捕らえられている彦六殿の孫娘はどうされるおつもりです」 「居場所は判ってる以上、予定では爺さんが少数精鋭を率いて助けに行く予定だったけどな‥‥」 言いながら、山田は地図の別の場所を指差した。 川の支流沿い、森の中に小さな丸印がつけられている。 「ここに丸太小屋があって、高見直属の志体持ちが常に二人見張ってる。もし開拓者の皆さんが手伝ってくれるなら、二手に分かれてもらうのが良いと思う」 「同時に襲撃すると?」 「そうなるな。二〜三人で一彦を救出してもらって、残る五〜六人は俺の道案内で拠点を襲う。早めに合流できれば、拠点で帰ってくる高見を迎え撃てる」 |
■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
深山 千草(ia0889)
28歳・女・志
神咲 輪(ia8063)
21歳・女・シ
十野間 空(ib0346)
30歳・男・陰
羽流矢(ib0428)
19歳・男・シ
鳳珠(ib3369)
14歳・女・巫
ソウェル ノイラート(ib5397)
24歳・女・砲
十 砂魚(ib5408)
16歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ● 「山賊たちを一網打尽にすれば良いですの?」 マスケット「クルマルス」を脇に寝かせ、紅玉髄付きの腕輪をした狐耳の少女、十砂魚(ib5408)が言う。 途端、 「イチモーダジン! あみでお魚をつかまえるみたいにってことだよね。砂魚姉ちゃん、かっこいい!」 雲雀が、眼を輝かせた。その腕の中で、白い毛玉のように身体を丸めた猫又、ハバキが少女の狐尾を目で追っている。 砂魚がはにかみがちに頬を掻いた。 「ただの賊相手とはいえ、数だけ見ればこちらの数倍」 絵巻から抜け出たかのような、胴巻に陣羽織、鉢巻に面頬という出で立ちの男、鬼島貫徹(ia0694)が顎を撫でた。 「おまけに敵の拠点で有る以上、地の利も相手方にあろう」 「となると、奇襲で押し切るのが良さそうですね」 狩衣に巫女袴を履いて鍔広の三角帽を被った少女、鳳珠(ib3369)が、漆黒の手袋を填めた指を顎の脇に当てて小さく息を吐いた。 「うむ。冷静に対応されると、多少なりとも手間取る可能性があるからな」 「それにしても情報って大事ってのがよくわかるね」 道中で銃を掛け通しだった左肩を回しながら、振り袖にマスケッターコートを羽織った黒髪の女性、ソウェル・ノイラート(ib5397)がぼやいた。 「お代官も部下の努力が無駄になる様な事しちゃ駄目だよ、ホントに」 「‥‥面目ない」 則実が肩をすぼめ、上目遣いにソウェルの顔を窺う。 「別に則実が謝る事じゃないよ」 「知らぬ事とはいえ、ごめんなさいね。お二人とも、さぞや命の縮む思いをなさったでしょう」 紅色の華やかな大鎧に陣羽織を着た黒髪の女性、深山千草(ia0889)が緩やかに頭を下げた。 「燕ちゃんも合わせて、三人の為に、少しでも罪滅ぼしを」 「と、とんでもない! 開拓者の方なら当然のこと」 「うむ、全く。それに孫を助けて頂けるとあれば、何の文句があろう」 二人は勢い良く頷き合った。微妙にその顔が赤らんでいる。 その時、 「さ、皆、出発前にどうぞ」 襖を開け、忍び帷子の上から厚司織の筒袖を着た女性、神咲輪(ia8063)が現れた。簪で留めた青みがかった黒髪が、背中の下まで垂れ下がっている。 その手の菓子鉢と湯呑みを乗せた盆を見て、鳳珠が何かを思い出したのか、懐から黄緑色の棒を取り出した。 「すみません、神咲さん。これを」 「なあに?」 鳳珠が輪に渡したのは、先端を閉じた竹の筒だった。 「甘酒です。もしお腹を空かせていたりしたら、燕ちゃんにあげて下さい」 「ふふ、奇遇ね。私もチョコレートを用意してきたの。じゃ、確かに燕ちゃんにあげておくね」 輪は盆を畳に置くと、大切に竹筒を懐に仕舞った。 「地図はできた?」 「ええ。‥‥見晴らしの良さだけでなく、砂利で足音が消し難い事も考慮しているかもしれませんね」 長い人差し指に乗せた小筆の均衡を取りながら、三十路に入ったばかりと見える陰陽師、十野間空(ib0346)が難しい顔を作った。 「解りやすい地図ね」 背後の声に十野間が振り向き、柔和な笑顔を返す。 「彦六さん、見張りはどんな氏族で、どんな技や獲物を使うかは解るかしら」 「泰拳士と志士じゃな。泰拳士は棍、サムライは槍を使う」 マスケットの手入れをしながら彦六が答える。 「雲雀ちゃん待ってろよ、可愛い女の子の友達連れて来るからさ」 狐面を側頭部に着けた忍び装束の少年、羽流矢(ib0428)は胸元の旅立ちのブローチをいじりながら地図を頭に叩き込んでいたが、やおら雲雀の柔らかな髪を撫でて微笑んだ。 「ん! 羽流矢兄ちゃん、怪我しないでね!」 ● 柳や胡桃の雑木林は、典型的な河畔林だった。 川の氾濫に土壌が攪拌されるため樹木が大きく育たず、陽光が大いに射し込む明るい林だ。だが灌木が随所に生え、身を隠す場所は少なくない。 「心眼で見たけれど、巡回や見張りは櫓だけね」 千草がソウェルに囁いた。 「有り難うございますですの。では、私は向かって右。ソウェルさんは左をお願いしますの」 「了解。‥‥人に銃口を向けるなんて、ぞっとしない話だけどね」 ソウェルと砂魚は囁き合い、二人は日の傾き始めた雑木林の茂みに身を伏せた。 「でも、ソウェルさんの協力が無いとよ」 緊張と不安を隠しきれない則実の声に、ソウェルは苦笑を返した。 「解ってるよ。小さな子どもの命が掛かってるし、きちんと役目は果たすって」 ソウェルは空を見上げた。これ以上明るければ、敵に見つかりやすい。これ以上暗くなれば、発射時の火花が狙撃手の位置を教えてしまう。ソウェルはゆっくりと、砂魚は素早く、銃を構えた。 ソウェルが小声で拍子を取る。 「一、二、の‥‥」 「三ですの」 橙色に染まった雑木林に、爆発音が轟いた。 入り口左の櫓に立っていた男は吹き飛ばされてもんどりを打ち、乗り越えた手すりを掴み損ねて、櫓の床にぶらさがる。 右の櫓に立っていた男は、砂魚に右手首を、則実に右肩を撃ち抜かれ、櫓の上に崩れ落ちた。彦六の弾丸は、虚しく宙へと消えていく。 それを合図に、巨大な両刃戦斧を大上段に構えた鬼島、朱天を左車に構えた千草、やや遅れて龍の頭を模した長杖「ドラコアーテム」を抱えた鳳珠が、総丸太造りの拠点へと駆け込んでいく。 「砂魚、裏手へ」 「はいですの。櫓なんて、良い的ですの」 ソウェルと砂魚は、即座に茂みの中を移動し始めた。 「爺さん、装弾は移動しながらにしろって」 その場で次弾を装填し始めた彦六を急き立て、則実がその後に続く。 鬼島が入り口に辿り着くより先に、拠点の扉が開いた。 「‥‥馬鹿、暴発か? 何やってんどわあああああ!」 呑気に扉を開けた男が悲鳴を上げた。何の前触れもなく、目の前に六尺超の大斧が振りかざされているのだ。 男は腰を抜かし、四つん這いで建物から離れていく。そのふくらはぎを鬼島が踏みつけた。 「他の連中は、中か?」 「な、中です、飯食って、花札やってます、た、たす、たす」 男の首筋を柄尻で突いて気絶させた鬼島の身体に、微かな精霊力の煌めきがまとわりついた。鬼島は俊敏さを増した身のこなしで建物の中へ飛び込んでいく。鳳珠の神楽舞「瞬」だ。 廊下に面した半開きの扉の奥を覗き込み、鬼島の唇が微かに緩んだ。 部屋には、五人の男がいた。うち二人は、ジルベリア風の巨大な丸太机を前に、花札に興じている。 能面のような無表情で鬼島は両足を踏ん張り大斧を振るった。重い唸りを上げて黒銀色の衝撃が部屋の中に走り、咄嗟に身体を庇おうとした腕ごと宙に浮いた二人は、五尺ほども吹っ飛んで壁に激突し、動かなくなる。 「お、お、おわ、何だ‥‥!?」 「馬鹿、逃げろ、逃げろ!」 残る三人は机を挟んで部屋の反対側を、扉に向かって走り出した。 だが鬼島は大斧の平を使って渾身の力で巨大な丸太机を殴り飛ばした。 蛙が潰されたような声を発し、男達は壁と机に挟まれて悲鳴を上げる。 「ま、待って‥‥降参降参‥‥! するから‥‥!」 両手を挙げて頭の後ろで組んだ一同に頷いて見せると、鬼島はつかつかと部屋を出て行った。 今度は隣の部屋から悲鳴が聞こえてくる。 男達はやっとの思いで机を動かして隙間を作り、へたりこんだ。 「‥‥け、結局‥‥何だったんだ‥‥?」 「わ、解らん‥‥」 ● 「おおい、助けて、助けてくれよ」 情けない声が、櫓から響く。 「後で助けて差し上げます、から‥‥!?」 逃げる山賊に備えて東の入り口に立っていた千草の左手が、反射的に動いた。 南方から破裂音が響き、千草のガードから木片が弾け飛ぶ。 役目を終えた千草の加護結界が消滅し、精霊力の残渣が粉雪のように地面に落ちて消えていった。 「鳳珠ちゃん、大丈夫?」 左腕の血を気にも留めず、千草が鳳珠を気遣った。 「大丈夫です。それより、こちらへ」 鳳珠は千草と共に建物の壁際に立った。 「奥の櫓からでは、建物が邪魔になって今の狙撃はできない筈ですね」 「でも、奥の櫓の方から聞こえたわね」 鳳珠のドラコアーテムが低い唸りをあげた。竜の口から溢れ出した精霊力が、千草の身体を包んで僅かに光る。 千草は建物の角に、細めた目を向けた。 その眉間が精霊力を帯び、微かに光っている。 「見張りはまだ櫓に残っているわね。見張りとは別に二人、砲術士が外に出てきたみたい」 「他の山賊とは対応の速さが違います。志体持ちでしょうね」 「恐らくね。‥‥今撃ってきた南側の砲術士はまだ装弾している筈。北からも誰か近付いてきてるわ、行きましょう」 千草は背後から来るであろう銃撃に備え、鳳珠を前に押し立てて走り出した。 迷わず建物の陰から飛び出してきた二人に、槊杖で火薬と弾丸を押し固めていた男は舌打ちを漏らした。咄嗟にバヨネットで男は二人を牽制して後退を始める。 千草は男から二歩の距離を保ち、ゆるやかに前進した。その身体に、神楽舞の微かな煌めきがまとわりつく。 「鳳珠ちゃん、壁際に貼り付いていてね」 バヨネットで弾かれた刀身は、右に弾かれれば右回りに、左に弾かれれば左回りに、水に浮く丸太が回転するかのごとく戻ってくる。男の正中線は、朱天の切っ先から逃れられない。 だが後退を続ける男の目的は、後方の櫓に近付くことにあった。櫓上までの角度がつくほど、仲間が自分を気にせず千草を狙撃できるようになる。 後方で爆発音が響いた。 だが、悲鳴は後方で上がった。男が反射的に振り向いた瞬間、櫓の上にいた砲術士が手すりを乗り越えて地面へと落下を始めた。 更に爆発音が響き、北西の櫓からも悲鳴が聞こえる。 「な、な‥‥」 「‥‥櫓のお掃除は終わりですの‥‥」 「‥‥入り口に‥‥戻らないとね‥‥」 丸太を組んだ壁越しに、女性達の声が聞こえてくる。 バヨネットが地面に落ちる乾いた音で、男は我に返った。 「まだ、やりますか?」 マスケットの先端が鋭利な断面を見せて切り取られていた。「朱天」の切っ先が、喉元に突きつけられている。 「‥‥参った」 千草は流麗に朱天を回転させ、静かに鞘へと収めた。 ● 白い柄長が、小川の傍でふっつりと姿を消した。 「昼間と変わりませんね。一人が中で暖を取り、一人が入り口前。それだけです」 十野間が顔を上げた。柄長の形を取らせた人魂で、小屋の様子を見ていたのだ。 「入り口前が槍、中が棍を持ってますね」 「ふうん。サムライとかだと、力で勝てないからな」 羽流矢が腹に一物ありげな笑みを浮かべる。 その足下には、彼の忍眼に敢えなく発見され、紐を切られて地面に落ちた鳴子があった。 「そろそろ行こうか」 「そうね。十野間さん、援護はよろしく」 樹上から囁き声が降ってくる。 輪は見張りに発見される危険を分散するべく、樹上に身を潜めていた。 「任せて下さい。‥‥風呂敷は使わないんですか?」 「道中に試してみたんだけど、風が目を抜けちゃって、気休め程度にしかならないみたい」 輪はおどけて肩を竦める。 三人は声に出さず笑い合うと、身構えた。 まず動いたのは輪だった。立っていた木の幹を蹴り、更に林の縁に当たる木の幹に足を触れた。ブーツ越しに気を発し、輪の姿が更に高々と舞い上がる。 完璧な放物線を描いてとんぼを切った輪が、毛皮の外套をはためかせて砂利の上に降り立った。 「!?」 小屋の前に腰掛けて欠伸をしていた男は、凍り付いた。 目の前に降り立った小柄な女性は真っ直ぐ、横からは狐の面を付けたシノビが、目にも止まらぬ速度で駆け寄ってくるのだ。 咄嗟に男の取った槍の柄が、顎を狙って振り上げられた峰とぶつかり、鈍い音を立てた。 「な、何だこのアマ!?」 男は咄嗟に槍の柄を押した。だが輪は力比べに付き合わず、男が押せば引き、引けば押して、鍔競り合いを保つ。 離れれば、槍の間合いだ。槍の柄を離させない輪の動きに焦れ、男は横っ飛びに小屋の入り口から離れた。 瞬間、男の身体が青白い光に包まれて後方へと浮き上がり、壁に後頭部から激突した。 「流石十野間さんね」 輪は会心の笑みを浮かべ、押しつけられた外壁から落ちて来る男の顎を柄で打ち上げた。 同時に、羽流矢の身体が小屋の鎧戸を突き破って中へと転がり込んだ。羽流矢はその場で片膝を付き、部屋を見回す。 部屋の奥に、目を丸くしている少女。入り口の前に、棍を握った男。 「燕ちゃんだね?」 羽流矢は狐面を持ち上げ、燕に顔を見せた。 「だ‥‥だあれ?」 「お祖父ちゃんに頼まれてきたんだ、もう大丈夫だからな」 男が棍を右手に持ち、低い体勢から羽流矢の脛目掛けて突き出した。だが面を被り直した羽流矢の足が根の先端を踏みつけ、その動きを封じる。 男は、棍を押す事も引くこともできずに羽流矢と睨み合った。 羽流矢の手が僅かに動き、男は棍を振り上げた。羽流矢の身体は空中で綺麗に一回転し、男の顔に何かを叩きつける。 「まともに相手してる暇は無いんだよっと」 辺りに散らばったそれは、節分豆だった。瞼で豆を挟み込んでしまった男は、咄嗟に左手を顔に持って行く。 その手首を、苦無が掠めた。 羽流矢が舌打ちを漏らした瞬間、今度は男が羽流矢の突き破った鎧戸を通り抜け、地面へと転がり落ちた。 「や、野郎、覚えてやがれ! 仲間を連れてきて、ぶっ‥‥こ‥‥」 男は、その動きをぴたりと止めた。男の隣に、経帷子を着た、腰まで届く長髪の女が立っている。いや、浮かんでいる。 女はゆるゆると男の身体に手を回し、その耳に血の気の無い唇を寄せた。 男は悲鳴を上げた。犠牲者の精神力を削る、当人にしか聞こえない絶叫がその耳から流し込まれたのだ。 男は、三秒ともたずにその場で昏倒した。 ● 秋口の薄着のままで捕らえられていた燕は、輪に借りた毛布を身体に巻いたまま羽流矢の背に負われていたが、山賊達の拠点の前に立つ老人を見るや、地面に飛び降りて駆け出した。 「おじーちゃん! おじーちゃん、会いたかったよう!」 「すまん、すまん、怖い思いをさせたのう、すまん、許してくれ。すまん」 彦六は燕を抱き締め、乱暴にその頭を撫でた。 と、彦六の服に何やら茶色い汚れが付いた。 「燕? ‥‥何やら、甘い香りがするぞ?」 その粘つく汚れからは、甘い香りがする。彦六が顔を近づけると、その口からも香りが漂ってきていた。 「あ、私たちがあげたチョコレートと甘酒ね」 「おいしかった!」 燕がぱっと口を開いて笑うと、歯が抜けた穴がちらりと覗いた。 「おお、そうか。あんた方、有り難う、本当に有り難うのう」 彦六は顔をくしゃくしゃにして笑い、頻りに頭を下げた。 その目尻に、微かに光るものが浮かんでいる。 安堵の溜息をつき、則実は入り口から見える木立を眺めた。 「‥‥さて。後は、帰ってくる本隊を迎撃するだけだな。ちゃんと働かねえと、岩崎様にどやされちまう」 |