【荊道】孤独と祈り
マスター名:みずきのぞみ
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/01/03 21:35



■開拓者活動絵巻

■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●結賀の孤独
「庵盛に被害が出た様子。報告によれば、興月の手の者とか」
 わざと重々しく切り出した老臣に、樹の持つ扇がパシンと乾いた音をたてる。
「…報告によれば、とは。噂の段階も含むという意味か?」
「畏れながら、某の知人づてに聞き及んだものであり、確かな筋の情報です」
―――己が正しいというか。
 パシンとまた扇を開いては閉じる。
 丈豊を治める興月に切り込めという戯言は聞き飽きた。
 口実を作ってはならない、と樹が律して否定すればするほど、古くからの臣下は些細な小競り合いを拾ってくる。
「これ以上、庵盛が狙われるのを看過できませぬ。今こそ反撃のご決断を」
(庵盛の宝珠を奪えと言った口で、あたかも庵盛を案じるような言葉を吐く…)
 結賀家の内圧は、興月家を倒すことへ向かいつつある。その力は感じている。
 例えその切っ掛けが些細なものであっても、決壊するときは一瞬だ、と樹は思う。
(庵盛が宝珠を差し出したと聞けば、またその口から出る話も変わるのだろうがな…)
 樹は立ち上がった。
「言いたいことは分かった。だが、詳しくは金城の報告を以て聞こう。委細分かるまで、くれぐれも慎むように」
 思わず、最後の語尾がきつくなる。
 老臣の両の拳が一瞬、力で白くなった。
 弱腰な主を如何にして焚きつけるか、彼らはこの後議論に忙しくなるのであろう。

 その実、主上である樹は金城から報告を既に得ていた。
 結賀の現況を鑑み、宝珠を持ち帰っている件を主上に隠し通す事に利はないと金城が判断した。
 結果、庵盛にとっての苦渋の決断を強いたことに思い至り、樹は目を閉じた。よくぞ、と庵盛の長に対しては思うが、護り手と宝珠を笙覇が握っている事実に、内心冷や汗が出た。
 誰もが己の信じる、正しいと思うことをする―――
 たったそれだけの道理が、この世にあっては争いを生むのだと再び樹は目を閉じた。
 己も、またその一人。
 その呟きは、誰にも聞き咎められる事はなかった。



●沈思黙考
 ガシャンと陶器が割れる音がする。
 とうとう三個目、と鈴鹿が筆を置き、嘆息しながら襷をかける。
「内緒話だったら、片付けを呼べない状態を作らないで欲しいんですが…」
 湊様が静かだった数日間は幻だったかと、鈴鹿は肩を落とす。
「どちらも強情ということなんでしょうけど」
 ちらり、と鈴鹿は自室の続きの間に目をやった。


 その視線を受けた先。襖の奥。
 割れた茶碗は見るも無残である。
「―――そもそも! ミコトを連れて行くなんて話は聞いてなかった」
「話していないのだから当然。湊、貴方に話していたらきっと事は成っていない」
「一歩間違えば、ミコトが危なかったんだぞ?!」
「だから開拓者を雇ったし、飛空船も手配した。湊をここに残した」
「だから!俺を残してどうするんだっ…!」
「貴方が一番不安要素だと思ったからだ、といっている!何回説明すれば分かるんだ?!」
 何度も同じ事を言い合っていれば、金城から敬語も迂遠な言い方も吹き飛んでいた。
 ミコトが庵盛に赴いたことを湊が知れば、てっきり怒鳴り込まれた上で数発喰らうであろうと覚悟していた金城だったが、それに関してはあてが外れた。
 何が湊に起こったのかはわからないが、話し合いで何とかしようと努めている…らしい。
 らしい、というのは、金城にしてみれば『話し合い』といえる代物では無いからに他ならない。
「余計な知恵を…」
 殴られた方が早かった。
 無茶無謀を地で行っていた人間が、何故話し合う姿勢になったのか金城は頭を抱えそうである。
「結局、少女も宝珠も揃っているのだから問題はないし、福禄の宝珠を奪還するため、照來の宝珠から情報を得ればいい」
「ミコトを道具として使うのか……」
「道具としてかどうか、理由をつけても結果に変わりはない。見返りとして、護り手の力を取り除くこともできる…命の保障はできないが、本人が望むなら」
「………ミコトが望んでいるのか」
 湊が深く息を吐いた。
 長く長く、考えては、いつもこの部分になると心が鈍る。
 系譜に刻まれていた、護り手から宝珠の欠片たる力を分離する方法は、反作用として護り手の生命を削り取ることに等しかった。
 湊にはその内容が告げられずにいた。
 言えばミコトはどうするだろう、知れば苦しむのではないかとも思っていた。
 護り手になること、命を削って護り手から開放されること。
(その二つを選べと突きつけられるミコトに何がしてやれる…)
 庵盛から無事戻っているとは聞いているが、会いに行くのが躊躇われていた。
 家宝の宝珠は奪還する。必ず。
 その想いは変わらないが、一方で自由にしたはずのミコトを笙覇の理由で束縛している気もしてならない。
「………今はまだ、力を失くすことを望まない。湊の宝珠を探すまでは、と言っている。理由は会って聞けばいい」
 金城が思考を見透かしたように助言した。
「……………」
「福禄の宝珠の所在を割り出すため、ミコトは三日間精進潔斎をして、照來の宝珠と引き合わせる」
 決定事項は揺るがない。金城は改めて言を重ねる。
 湊がそれを正面から見据える。
「取りやめる事は出来ないのか。何度足を運んでも」
「他に取り得る手段があれば、やっている」
「……時間が欲しい。納得できるだけの時間が。無理なのは、我侭であるのは…分かっている。城の中が大変なのも。―――ただ、本当にそう思うんだ」
「……それについては同感だ」
 譲れないまま、時間が過ぎていく。
 
 そのもどかしさを内包した二人は、視線を外し、しばし己の思考の軌跡を辿るのであった。



●朧月楼、再び
 薄い月が夜空に貼りついている。
 気持ちを切り替えようと開けた格子に湊が手を掛ける。
 浅い眠りから戻ってきた思考が、その月のようにぽかりと一つの帰結を導き出す。
(可能性でしかない。でも今はそれに縋るしかない)
「朧月楼を取り戻す…警戒している今なら、一点を突破すればあるいは」
 興月との因縁がある朧月楼(ろうげつろう)を抑えることができたなら、老臣たちの溜飲を下げることができよう。
 そして、福禄の宝珠があるかもしれない。
 朧月楼までの最短距離は分かっている。前回、湊を助けに来た開拓者達が持ち帰った情報もある。
 結賀の臣下には、照來の宝珠が手中にあることは知られてはいけない。
 笙覇からの正式な応援は望めない。
―――――開拓者、か。
 崖下からの突破になるだろう。
 力を貸してくれるだろうか。
 
 今までの日々を確認するように月を見入ると、やがて踵を返す。


 朝陽が月を消し去る前に、湊は金城と樹の元へ赴くのであった。





■参加者一覧
玖堂 柚李葉(ia0859
20歳・女・巫
鳳・月夜(ia0919
16歳・女・志
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟
万里子(ib3223
12歳・男・シ
マルカ・アルフォレスタ(ib4596
15歳・女・騎
六車 焔迅(ib7427
17歳・男・砲


■リプレイ本文

●祈りの黎明
「森は、庵がある崖下まで一気に駆け抜ける。時間がかかれば興月の増援も駆けつける可能性がある」
 湊が地図を広げた。数を増やした開拓者達は、情報を互いに交換し、突破方法を確認する。
「結賀の方からも数人ですが、演習方と称して兵をよこしていただきますわ」
 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)も補足して飛空船の係留地を指した。主上である樹と参謀の金城に許可をとって出撃する今回は、ごく側近の密命として兵を動員することが叶った。
 失敗すれば自分を単独犯であると処分すればいいと湊は金城に申し出た。樹は最後まで反対していたが、湊の願いを無視する事はできなかった。笙覇にとって苦渋の決断だった。
「朧月楼奪還作戦、がんばるんだよ!」
 万里子(ib3223)が湊に元気に声をかける。両手の拳を握って突き出し、励ましてくれる格好に湊はつられて笑んだ。
「今回も助けてくれてありがとう。危険な任務だけど、よろしく」
 湊が八人の開拓者をゆっくりと見渡すと、飛空船が降下を開始した。


 曇天の下に広がる鬱蒼とした森は、息を飲んで成り行きを見ているようであった。飛空船を降りた時からぞくりと肌を撫で上げる緊張感。
(――突破してみせる)
 『湊』の背に『ミコト』が負ぶさり、少女の胸元にはしっかりと『宝珠』が抱かれる。
「本当に湊さんと御凪さん、何処か雰囲気が似てるなって…」
 衣装を取り替えた祥と湊を見比べてご縁なのかもですね、と佐伯 柚李葉(ia0859)が笑う。
 湊を装っているのは御凪 祥(ia5285)であり、ミコトに扮しているのはシャンテ・ラインハルト(ib0069)であった。
 ミコトと宝珠が領地を横切ろうとすれば、見過ごせないだろう。囮を使い、敢えて目立って引きつける策を講じた。
 護衛の役目は、マルカと万里子がかってでる。湊はというと、囮の後から、後詰めとして他の開拓者と共に崖下を目指す。アグネス・ユーリ(ib0058)と鳳・月夜(ia0919)に前後を大人しく挟まれながら歩いていた。
「体調戻ったらこんなに警戒されるって…」
 湊が暴走しない様に、護っているというより見張っている感が漂い、六車 焔迅(ib7427)は思わず苦笑した。


 音に集中していた万里子の足が止まる。僅かに聞こえる、枯葉の音を押し殺す足取り。森を巡回している興月のシノビだ。
「…走るんだよ!」
「湊様、ミコト様、早く!」
 声をあげ、一斉に走り出した。木の幹を駆け上がるように手裏剣が続けて穿たれ、苦無が影を追って地に突き立つ。キィンとマルカが幾つか剣で打ち落とす。
「……もう一人!」
 祥がシャンテを背負って駆けつつ、行く先にもう一つの影を感知する。シャンテは振り落とされないように祥の肩に回した手に力を込める。
 両手が使えない分、祥が攻撃をかわす動きは制限される。護ってもらいながらも幾つかは祥の手足に朱線を刻む。髪の重さが違うのも慣れない要素の一つか、と自嘲気味に笑う。
(包囲されても――辿り着く)


 「綺麗な髪ね」
  アグネスが祥の髪を櫛で梳きながら感想を漏らす。
 「一思いにやってくれ」
 「祥さん…」
  湊に扮する為髪を切るよう言い出した祥を、湊は何度も止めた。だが、祥は用意をしろと退かなかった。アグネスの手で刃が当てられると屋敷の冷たい床に祥の長い黒髪が散ってゆく。
  湊は座して唇をかみ締めていた。
  月夜が近寄ると、湊の胸を指差した。
 「…1つ覚えておいて。私は貴方が好き。ミコトも好き。だから手伝ってる。危険だとか道義がどうとかで、一々協力してもらえるか、なんて考えない」
  思ったとおり言えばいい。
  湊が目を閉じてその言葉を受け止めた。ここで揺らいでいては、誰も護れないのだと思い知らされる。開拓者たちの強さを学ばなければならない。
 「湊。美里はお前の母でもあるのか?」
  祥が髪を結い上げながらポツリと聞く。長い沈黙が流れた気がした。湊は理由を聞き返さなかった。ただ、「そうだ」とだけ答える。
  ややあって。
 「ミコトは俺の妹だ」
  湊は明朗に答えた。そうか、と祥が立ち上がる。
 「それを聞いて軽くなった」
  頭を振ると、祥は記憶の底にある笑顔を思い出し、自身も笑みを浮かべた。


 シノビが合流し、勢いは更に増してくる。
「ミコトと宝珠を笙覇から奪え!」
「結賀の者、生かしては返さぬ!!」
 襲撃せよとの笛を聴き、集まった敵は口々に叫びながら攻撃を仕掛ける。
「邪魔はさせませんわ!」
「ここはみんなで通るんだよ!」
 マルカがぶつかるようにして力で跳ね返す。万里子は釵を両腕に沿わせて盾と化した。必死で防ぐ様子に敵の意識が侵入者達へ向いた。
 囮班が引き連れる数も限界だと思われた。崖まではあと少し。
「大丈夫ですか?!」
「頭を伏せていろ。落ちるなよ!」
 祥とシャンテが声を掛け合う。両側から挟み打たれ、思わず祥が半身を退いた刹那、苦無が無防備な脚を深く切り裂く。
 狙われている状態を見ていられず、湊が抜刀しようとした。が、柚李葉がその袖を引いた。
「今は湊さんは御凪さんです。だから…」
 柚子葉がじっと顔を見つめ、辛抱するように訴える。
「だが…!」
「そのために私達がいるんでしょう? 大丈夫。きっと切り抜けます」
 柚子葉が願うように前方を見て言い切る。
「………」
 柚子葉の横顔を見て、焔迅が静かに狭間筒を構えた。その時の為に過たず撃てるよう。
 湊は二人の様子を見て、今は耐えるのだと己に言い聞かせた。


 敵が五人になると囮の速度が上がらなくなった。祥の息も乱れ始めてくる。
 シャンテが宝珠に似せた布包みにからローレライの髪飾りを取り出し、握りこんだ。
(ミコト様は、覚悟を示されました……私も、一歩、踏み出さないと示しがつきませんね)
 生まれながらの自由を制約されたミコトに何がしてやれるか、それをシャンテなりに考えていた。
 すう、と息を吸い込んだ。戒めを強いていた『言葉』を己の中から開放する。
『魂の御手は優しく包みたもう
全ての罪は許され朝日の下に闇と共に消える
聞き届けたまえ、わが声、わが歌……』
(ミコト様のために、ミコト様のように)
 シャンテは声で奏でるように歌う。
「…面妖な……!」
 一人のシノビが耳を塞ぎミコトを集中して狙うよう指示する。しかし、その体から力が抜け始める。
 焔迅の狙撃が敵の肩に命中した。マルカが力を盛り返して懐へ攻め入り、刀ごと体を預けて一人倒す。
 そこへ風を巻いて現れたのは、月夜、アグネスと湊。疲労している囮班と入れ替わるように敵に対峙する。
「…もう一人?!――――おのれ、謀ったな」
 湊と祥を見比べながらシノビが新手に恨みの声を発する。祥とシャンテも偽装を解く。
 此処に至って、シノビ達は欺かれた事、一行の目的が庵であった事に気づく。
 まさか笙覇が少数で攻めに転じるとは――――
 庵に知らせるための笛を、焔迅の気弾が続いて弾いた。月夜が敵の眼前から沈む。抜かずの鞘を鋭利な角度で鳩尾に突き立てた。月夜はズルリと倒れかかる体を突き飛ばして、右から飛来する手裏剣を避ける。
 投擲した敵へ駆けたのはアグネス。樹上に避難したシノビを追って勝負を挑む。跳躍して枝をつかんで回転すると、ふらつく敵の元へ降りる。黒装束の懐から抜いた短刀にナイフの刃が拮抗する。
「邪魔しないで…急いでるのよ」
 繰り出された刃を腕ごととり脇に挟み込むと、その背中に静かにナイフが沈んだ。
 残る二人と戦っていたのは、湊と祥だった。
「怪我は?!」
「後続の憂いを残したくないんでな、治療はあとだ…―――人の心配ができるようになったか」
 湊へ皮肉めいた呟きを残し、祥が血を振り払って柄を握ると、敵の手にある苦無を跳ね返した。痺れるように振動する刀を力で切り返す。右手でシノビの懐剣の抜刀を押さえつけた。袈裟懸けに刀を打ち下ろすと、更に重心を移動してそこから突く。敵の背から雷撃が突き抜けた。
 湊が鍔迫り合いで相対した相手は、湊の首を狙っている。
「弱った結賀に…我らが負けるものか」
「必ず取り戻す。お前達に負けるものか!」
 湊は歯を食いしばり、腕に切りつけられるのも構わず、体ごとぶつかって男を倒した。
 腕を斬る痛みに一瞬ひるみかけたが、敵の首筋に太刀を深々と突き立てた。
 やがて、絶命を確認して太刀を引き抜く。

 前へ進むために立ち上がリ、起き上がる。
 シノビを倒した開拓者達と湊は、崖下へと急ぐのであった。



●道を拓く、その先
 朧月楼には先日の報を受けて守りを強化する為、興月がサムライを配置していた。
 警邏を担当するシノビから定時の合図が無い。
「合図を怠るとは…嫌な予感がするな」
 侵入者に討たれたことを知る由もない彼らは、今少しと待ちながらも静か過ぎる森に徐々に不安を募らせていく。
 それが形を結ぶのは、覗き込んだ崖の岩肌に人影が見えた時だった。
「敵襲?!…奴らはどうした」
 見張りのサムライが仮眠中の仲間を呼びに庵へと走った。


「崖の上に人影が…気づかれました。存外早い―――」
「ええ、…どうかご無事で…」
 シャンテと柚子葉がハラハラとしながら崖の壁面を見守っている。
「…援護します。…なにが、あっても邪魔は、させない」
 キリと眉を上げて決意を表す焔迅の様子を見て、柚子葉も落ち着こうと胸に手を当てる。
 簡単な治療しか施す時間は無かった。治し切るよりも柚子葉は力を温存する。
 湊が用意してきた縄と楔、それが崖を登る間の全て。
 足場があるところで腕をひと時休ませることができても、身を覆い隠す場所は無い。登攀中の防御策はなく、崖の上からは静止に近い的となった。
「落とせ! 庵に着く前に落とせぇっ!!」
 サムライの一人が矢を射掛ける。柚子葉の白霊弾がその人影に向けて掌中から放たれる。僅かでも狙いを外すために。
 外れた弓矢は月夜の左腕の先を掠め、湊の頭上を飛び越えていく。
 落とされた石は焔迅の砲撃で砕かれて、方向を変える。仲間の援護を信じてひたすら登り続ける開拓者が壁をじりと進む。
 致命傷は避けられたが、下から見ていると目を覆いたくなる危うさがある。腕や脚を掠め、時には片手が外れて落ちそうになる。
 祥と湊は血を失って眩む視界を叱咤する。傷に加え、失血と疲労でじわりと体が重い。
「あたいは煙遁使うから、利用する人は煙の中に入ってね」
 万里子が苦無を使って跳躍すると身軽さを生かして大きく煙幕を張った。それを契機にアグネスが一同から離れた壁に取り付く。
 短銃をサムライが持ち出すや否や、シャンテが高い胸声で相手の思考をかき乱す。
『知らしめせ。疑いなき世界にありて律たる力。わが声とともにあり―――』
 一瞬、攻撃の手が緩んだ。
 アグネスが跳躍を繰り返し、サムライ達に気づかれずに残りの高さを一番に登り切った。
(連絡手段を断たなきゃ)
 傷の痛みに耐えながら、アグネスは気配を隠しながら庵に近づく。崖下からの反撃に戸惑っているサムライが二人。
 庵に居たのは一人。狭い間口で箱を開けて連絡用の砲弾を探している。それで応援を呼ばれたら―――
 そう思った瞬間、アグネスが短銃を構えた。


「皆が幸の道を選べる様に、私は祈るだけじゃなく動く」
 鼓舞しながらぐいと細い腕で引きあげて、月夜の体が崖の頂上に辿り付いた。援護が月夜の背中越しにその体を押し上げる。
(アグネス――)
 先に辿り着いたはずのアグネスがいない。月夜が索敵の範囲を広げて庵の中を確認する。
「笙覇め!覚悟ォ!!」
「どいて」
 冷気を帯びた応答で、月夜がサムライの太刀を避けて庵側へ転がった。仲間から攻撃を逸らし、弱った握力を何とか回復させようと尽力する。
 続いてマルカ、万里子が登りきり、サムライを牽制しつつ祥、最後に湊、を崖の上に無事辿り着かせた。
 しかし、柚李葉から回復を受けても、登攀に割かれた疲労と痺れが戦闘力を一時的に麻痺させた。受けた傷を庇いながら、敵の攻撃を各々の得物で受け流す。
 ドン、ドンと庵で炸裂音と銃声が轟いた。
「アグネスが中にいるはず!」
 月夜の短い叫びに、突かれたようにその場の全員が庵を見た。一度握り閉めた手を開いて月夜が降魔刀に手をかける。脚の感覚は鈍い。
 二人の相手になるには不十分。それでも―――
 月夜の居合いが炎の弧線を描いた。
 視界に映る切っ先に左の肩先を裂かれながらも、確実に一人をしとめる。
「月夜…!」
 祥がその体を抱きとめた。
「平気」
 月夜が左手を動かしてみると祥がほっとした。マルカが二人を庇って仲間の流血に悔しさを滲ませながら、残ったサムライに向かい、剣を抜き放つ。
「……仲間のため、結賀の我が友の為、この地、取り戻させていただきますわ!」
 危険なことなど承知の上。それは敵とて同じこと。
 だが、崖の上に辿り着いた開拓者達は明らかに背負っている重みが違った。マルカが刃を払いながら一歩ずつ踏み込む。サムライが退く。手数を打ち込むうちに戻ってくる手足の感覚―――
 大きく速く横に凪いだマルカの一閃がサムライの胸を深く抉った。


 腕を押さえたまま庵へと駆け寄っていく湊を万里子が追いかける。
「アグネス……!」
 庵の開け放たれた木戸から信号弾の煙が漏れている。煙の中に勢いよく万里子が飛び込むとアグネスを見つけた。
 距離を詰めながらサムライと撃ち合った結果、信号弾が左腕に当たったらしい。折れてるかもしれないけど、とアグネスが万里子に肩を借りながら、ふふといつもの笑顔で笑う。
「心臓とまるかと……」
「あら、湊がいつもやってることじゃないの?」
「そう…っかもしれないけど…―――」
 ずるとへたり込みそうになる脱力は、成程、味わいたくは無いものである。アグネスのいつもの口調に安堵しながら、湊が戸口にもたれかかった。
 ―――その時。
「結賀…湊……」
 地の底から這うような声がしたと思うと、残ったサムライがゆらりと煙をかき分けた。
 アグネスの至近の一発を腹に受け、ごほりと血を吐きながら立つその手に、短銃を握っている。
「宝珠は渡さぬ。結賀…め…」
 ニヤリと口元を上げ、倒れながら最後の力で引き金を引いた。


 ダーン、とマルカの狼煙銃が笙覇の仲間に庵の奪還を告げる。あとに続けて二発、今度は銃声が空に向かって轟くと、焔迅が合図に眉根を寄せた。
『負傷者アリ。』
「湊! 湊?!」
 アグネスと万里子に揺さぶられ、湊が目を開ける。脇腹にぼんやりと痛みを感じる。
「もうすぐ、飛空船が来るから。しっかりして湊―――」
 大丈夫、と頷くつもりが、呆と意識が霞む。
(ミコトがまた泣く…)

 宝珠は手に入らなくても、一つ進んだ。だから、泣かないでくれ。

 それだけを伝えるまで、しばらくの間湊の意識は途絶える。
 朧月楼を制圧し、笙覇と丈豊の争いが全面に出る。宝珠奪還の悲願は祈りと共にそれぞれの心を締め付けるのであった。