|
■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●湊 「あと少しだ」 寒さの中、歩く度に泥のような疲れが湊の足に溜まっていく。頭からすっぽりと大きな外套をかぶった湊の背中に、こちらも深く外套をかぶったミコトが負ぶさっている。 無事崩落した地下道の出口から救出されたものの、湊はミコトという正体不明な少女を連れて人目を避けるようにして先を急ぐ。 笙覇の里に帰る飛空船と落ち合うまで、あと少し。 だが、そろそろミコトの体力が限界だった。歩くと言い張っていたが、長く閉じ込められていた上、目が見えないので精神力も消耗するのだろう。日に日に口数も少なくなる。 大人しく背負われたミコトをつれて、湊が大きな門の前に立つ。明け方はまだ寒く暗く、この街に入るものは湊たちの他にいない。 やがて、刻を知らせる鐘とともに、大門が開く。 湊はミコトを背負い直し、目当ての見世を目指して歩き出した。 「どこでどうしてるかと思いきや‥」 煙管をぷかりとやって、艶っぽく女が笑う。支度前の格好で湊をあげたのは、この見世で一番の売れっ子女郎の「白蓮」である。 不寝番が伝えてきた不審な男の様相に白蓮は耳を疑ったが、すぐさま湊だと確認して、女将に入れてくれるよう頼み込んだ。 女将も湊には信用があったので、やむなく許しが出た。 「で、その子はなんだい? まさかあんた‥」 「違う!」 「じゃあ‥」 「それも違う」 「―――何も言ってないじゃない‥あんたの女でも、売りにきたのでもなければ何しにきたのさ」 「ただ、この子を休ませてほしい」 「‥随分と高くつく宿ですこと。でも‥」 と白蓮が顔を上げると、障子の隙間に並ぶ目。白蓮はするりと立ち上がると、障子を開け放った。 「あんた達!」 「あん、もう。ちょっとくらいいいじゃない姐さん」 「湊さんお久しぶり〜」 「あ! こら」 「湊さんうちの部屋にこない?」 するりと白蓮の部屋に入ると、きゃあきゃあと正座している湊の傍に集まってくる。湊たちは姿を隠すときにこの見世を利用させてもらうのだが、客として遊ばない湊に誰もが興味津々である。 「この子だぁれ?」 横たわって眠っているミコトを禿(かむろ)達が不思議そうに覗き込む。自分より年が上のようだが、痩せぎすの身体のミコトを痛々しそうに取り囲んだ。 「こうなると密談もないわねぇ‥。で、湊。この子を休ませればいいのかい」 「ああ、頼む。風呂に入れてやって飯を食わせてやってくれないか。代金は必ず払うから」 「金の心配のことじゃないさ。湊」 す、と白蓮が湊の襟元から懐に白い手を差し込む。色事になれているはずの遊女達がきゃあ、と釘付けである。 「‥‥っ」 ばねのような均整のとれた身体にきつく巻かれた包帯とさらし。それを指で確認すると白蓮がため息をつく。折れているアバラを騙し騙しここまできた湊だったが、お見通しらしい。 「あんたも込み。世話ならあたしじゃなくても焼いてくれるさ」 「あたしやる!」 「ずるい、私が!」 「‥‥見世がない子だけね」 「じゃあお茶挽きになったらね! うふふ楽しみ〜」 ぶっきらぼうで誘いにものってこないこの若い男が存外人気である。 「湯屋が開いても歩けるかどうか。用意しておあげ」 白蓮がそういうと、おかっぱ頭の禿達が次々にコクリと頷いて、ぱたぱたと廊下を走っていく。湯を用意しにいったのだろう。 「さて、今日のところはここまで」 白蓮がぽんと煙管を鳴らすと、女郎たちが名残惜しそうに部屋を後にしたのであった。 ●使命 湊が湯をもらい、着替えを済ませた頃には、どっと疲れがやってきた。高ぶっていた緊張がほぐれたのか、思考がぼんやりとしてくる。 傍で安らかな寝息をたてているミコト。きちんと布団で休ませてやれるのは有難かった。ギルドに預けることも考えたが、ミコトは手足の治療だけを受けてすぐさま出発した。湊が仲間に報いねばと必死であることを知っていたのだ。 ―――助けたこと、後悔しないで。 ミコトの言葉の意味を理解できないが、とりあえず、あの時歌い始めたミコトに驚いたのは確かだ。志体もちなのか尋ねたが、何のことかわからない、と首を振った。 ただ、頭に響いたので、歌っただけだという。 (とりあえず、連れて行くか) 自分の里に帰れば、志体に詳しいものもいる。そうすればミコトも生きる術を見につけられるかもしれない。 (今は休むこと‥) 布団を引き上げると、湊の意識を疲れが掠め取った。 「姐さん、これじゃ頭重いよ〜」 騒々しくミコトに群がってるのは遊女と禿。一夜明けてミコトが小奇麗になると、その銀色の髪をいじりたくて仕方がない彼女達が次々とやってくる。 「ミコトの髪、変?」 「違うよ、逆。すごく綺麗」 「沢山食べて早くよくなりなよ」 「‥ありがとう」 ミコトが照れながらくすぐったそうに笑う。見えないけれど、優しい人たち。美味しいお菓子をくれて、あたたかく抱きしめてくれる。ミコトの身体の傷をみても、黙ってぬか袋でそっと洗ってくれる。 「すっかり人気だねぇ」 白蓮が湊とその様子を離れて見ながらほほえましそうに笑った。 「置いていってもいいのだが」 「下働きにはもったいないと女将が言い出したらどうするのさ。第一、あの子はついていくだろ。‥さて、依頼は出してきたのかい?」 「出してきた。だが、集まってくれるかどうか」 「最短距離をとると沼地を抜けなきゃならないからね。‥瘴気にひきこまれないでおくれよ」 「詳しいな。姐さん」 湊が驚いて感想をもらす。 「別に。弟が開拓者だっただけさ」 「開拓者‥。すごいな、あの人たちは」 「いろいろ背負ってるものがあるからね」 誰にでもあるものだけど、と意味深に白蓮が湊を見る。湊はその視線を受けて、苦笑する。主からの密命を背負って全てを賭している人間もまたその一つ。 笙覇の里から奪われた宝珠を見つけるまで、戦いは続くのだ。 |
■参加者一覧
鳳・月夜(ia0919)
16歳・女・志
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
ユリゼ(ib1147)
22歳・女・魔
郭 雪華(ib5506)
20歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ●その手をとって 別れを惜しむ遊女たちに見送られたあと、約束の場所である大門の外に向かった湊とミコトを待ちかねたように迎える影。 「貴方達が依頼を‥?」 湊の足が止まる。急に足を止めるものだから、湊の袖を持っていたミコトがぶつかった。 「どうした? 不満か?」 湊の驚きの表情に混じる安堵の色を見抜きながら、御凪 祥(ia5285)が待ちかねたように静かに大門から身を起こした。 「――いや。とんでもない」 湊がはっきりと唇に笑みを浮かべながら祥に答える。 それを合図に開拓者達が二人の傍に集まってくる。 「良かった! 元気そうで!」 きゅうとミコトがアグネス・ユーリ(ib0058)に抱きしめられる。びくっとしながらも少しは人の好意に慣れたミコトである。 「アグネス様、挨拶より先に抱きついては‥」 そういいながら、シャンテ・ラインハルト(ib0069)も微笑みながらミコトに声をかける。ミコトは助けてくれた人達だと気づいて嬉しそうに抱きしめ返した。 「湊殿は怪我も治ってないのに無茶をする‥」 「すまない。己だけならなんとでもするが――」 郭 雪華(ib5506)の控えめな諌めに、湊が自嘲気味に答える。二人分を案じて白蓮に開拓者を頼るようきつく勧められたのだが、相変わらず自分の分は考えないらしい。 「祥。アグネス。シャンテ。雪華。‥でしょ?!」 順番に手をとっては、ミコトが名前を言い当てる。無防備に懐に飛び込んでくるので祥や雪華はそっと得物をひいてやる。 「‥あと。えっ‥と?」 「初めまして。鳳 月夜よ。アグネスから聞いてるわ」 「私はユリゼよ。よろしくね」 「――初めまして! 月夜。ユリゼ。湊のお友達ね! 私はミコト」 鳳 月夜(ia0919)とユリゼ(ib1147)の間に立って、ミコトがニコニコと握手をする。開拓者を知らないミコトは、すっかり湊の友人だと思いこんでいるようだ。 「随分と社交的になったようだな」 ちろと祥の視線が大門に注がれたのを見て、なにをどこから説明すべきかどうか微妙に言葉に詰る湊なのであった。 ●阻むもの 街を抜け、やがて山あいに差しかかると、沼を予見させるように湿地帯が現れる。 行く手に待ち構える沼には、瘴気が溜まっている。そしてアヤカシが瘴気に還ってもそれから新手が湧いてくることから、実質の殲滅は望めない。 湊は当然、自分がミコトを背負おうと思っていたのだが、アグネスがミコトを背負うといわれて呆気に取られた。 「それは女性には‥」 「‥‥ねえ、男ってカッコつけなきゃ生きられないイキモノなの?」 「だが――」 「前に進むため、だ」 「そうそう。祥のいうとおり。志体もちだから、ミコトぐらいどってことないわ」 任せなさい。そう言われて何も湊には言い返すことが出来なかった。 「それが依頼だから‥」 月夜が湊の横を追い抜きざま、そう呟いた。 開拓者たちにとっては、依頼の一つ。だがその言葉には不思議と諦観や不満が含まれているわけではなく、ある種の使命感が漂う。 (成すべきことを成す。それは誰もが同じ――) 最短距離を取ると決めたのは自分であり、変更もできるはず。 けれどそれをさせないのは己に課された義務感と責任感でもある。ミコトの身を心配するのならば、ひいては湊の目的のために協力している彼らに、今は従うべきであった。 この先に、救出された報告を受けてよこされる小型の飛空艇がある。 宝珠奪還ならずの知らせが届いた後ではあるが、湊には郷に戻らねばならない理由がまだ他にある。 (必ず宝珠は取り戻す) 滲んだ汗を拭い、一行と沼地を目指しながら、湊は主への言葉を胸のうちで繰り返すのであった。 瘴気は黒く目視ができるほどに沼の水面に漂っている。確かに沼を避ければ崖をうねって登る横の山道を登るしかなく、時間を奪われる。 「どうしてあの娘、助けたの?」 沼を見渡しながら、月夜が湊に尋ねた。今ミコトはアグネスの傍で歌を教えてもらっているようだ。それを確認してから湊が口を開く。 「最初、殺そうと思った。助けたのは‥‥気まぐれだ」 「それだけ?」 月夜の言葉に太刀を握る手が止まる。 揺らめく火影に振り向いたミコト。あの時の表情は。感情は。勢いよく太刀を振り上げたあの時の己の衝動は。 ひとつひとつが湊の中にまだ熱を持って残っている。 目を閉じて、それらを確認しながら湊が言葉を紡ぐ。 「――昔の自分と似ていた‥のかも知れない。死ぬことも生きることも誰かの手中に委ねられて、抗えない運命にもがく姿が」 「‥‥‥」 「せめてあいつは助けてやりたいと思った‥」 「‥ん。ありがと」 月夜が得心したように頷く。 「ちゃんと送り届ける。約束は護るわ」 「‥ありがとう」 「ねぇねぇ!湊さん!」 離れたところから思い出したように駆け寄ってきたのはユリゼである。泰服を広げて湊にあてがう。 「うん。寸法はあいそうね。あと靴も渡しておくわ」 「これは?」 次から次へと手に預けられる品物をみて湊が固まる。薬草に岩清水、お守り‥。 「泥だらけで旅も出来ないでしょ。渡ったら手当てと着替えをしてね」 ぽすぽすとそれらを湊の荷物に入れながら、準備万端とユリゼは満足げに明るい笑みを浮かべた。そして、少しでもと、湊の怪我が治るよう癒しの術をかける。 「とにかく無事に渡ること。真っ直ぐ前を目指すこと。あとは任せて、ね?」 前へ、と。ユリゼ達開拓者の志が湊の決意を押す。 「さて。作戦通り一気に行くぞ」 祥が先頭に立ち、湊を後ろにつけさせると、そのあとにミコトを背負ったアグネスがつく。最後尾は月夜だ。 「このあたりが丁度いいかな‥沼を見渡せるね‥」 大きめの岩に登り、沼に突き出た枯れ木を見渡す雪華。沼を渡らずに残るのは、シャンテとユリゼも同じである。後方からの支援を行うのだ。 一同が目を合わせると、シャンテがフルートにそっと息を吹き込んだ。旋律は水面を揺らさずに滑るように広がっていく。澱んだ沼の下で、アヤカシの動きが鈍くなり、やがて眠りに落ちる。鋭い背びれが幾つか水面に突き出てきた。 「このまま‥やや北西より」 沼の淵ギリギリでアヤカシの影を脳裏に捉えながら月夜が道を確認して呟く。おおよその位置どりがきまると祥が沼に降りた。 その音に何者かが反応している。じわりと沼の泥が動いた気がした。 ユリゼが湊とアグネスに杖を振りかざしてアクセラレーターを施す。特にこの二人の敏捷をあげて、沼に取り残されないようにしなければ。 「行くぞ。止まれば先へは進めまい。一気に走る!」 祥の号令にシャンテの楽曲ががらりと変わった。激しい曲調と鼓舞するような音律で、速さで、全員の能力を瞬時に引き出す。 祥が精霊の力を用いて、鋭い一撃を沼に叩きつけた。『天辰』の発動である。高い水飛沫と共に数匹のアヤカシが水ごと分断され、沈んでいた泥が左右に弾き飛んだ。 「走れ!」 泥が少なくなった軌跡へ四人が飛び込んだ。 湊は太刀を抜き放ち、微力ながら祥の防御の足しにならんと続く。 「ミコト、手を離しちゃダメよ!」 恐怖で声が出ないまま、ただミコトはアグネスの背中にしがみつく。その二人を護って月夜が追う。 粘度をもった泥はじわじわとそれでも足元に絡みつきはじめる。そして目覚めたアヤカシが集まり始める。 「もう一度!」 大技での体力消耗をいとわず、祥が再び道を拓く為に槍を振り下ろす。 水面に背びれが集まり始めて、意志を持つように速度を上げて四人に集まってくる。己の持つ尾の力で水面からアヤカシが跳躍した。 「く‥!」 かろうじて湊が弾く。 魚とは思えない大きさのアヤカシは、人の頭を飲めるほどの口を開け、鋭い歯を見せつつ沼に戻った。沼では不要なのか、目は退化し、あるべきところに見当たらない。 祥はアヤカシに対する防御を構えず、振り返らず、先頭で泥沼を切り拓く。仲間の力を信じ、全員前だけを目指す。 足元から食いつこうとするアヤカシの頭が弾けとんだ。 「例えどんな環境の相手だろうと‥僕の狙いからは逃がさない‥」 落ち着いた言葉と裏腹に素早い動きでリロードする。 ターゲットスコープで追いかける雪華の援護が四人の足元で次々と飛沫を上げる。 月夜が左右から飛び込んでくるアヤカシを察知して滑るように脇差を抜き放った。炎をまとう刃に真っ二つに分断されたアヤカシは瘴気の煙を上げつつ沼に落ちる。 「約束したもの‥」 息も切らさず、足場の自由が利かない状況において上半身の動きでそれを補う。そして腕や肩のすぐ傍を、雪華の援護が縫い、シャンテの曲が吹き渡っていく。 痛みに顔をしかめながらも、なんとか湊も応戦している。 「祥さ‥」 「構うな湊!」 防御の薄くなる祥ではあるが、正面に向かってくるアヤカシは難なく大技の予備動作で切り捨てる。仲間を信じているから振り返らないと決めた。 もちろん祥とてこの方法で己に対して満足しているわけではない。表情は見えないが苛立ちは声に滲んで聞こえた気がした。 ●信じるもの 「絶対に渡らせる‥邪魔はさせない‥‥」 沼を行く仲間たちを守るために、雪華は銃口を降ろすことなくアヤカシを撃ち抜いていた。 だが、その数が多くなってきた気がする。 沼を半分以上渡ったところであった。 他のアヤカシよりもはるかに頭抜けて大きい背びれが水を切り裂き彼らに迫ってきた。 「‥湊!」 アグネスの声に気づいた湊が沈んだ魚影に刀を突きたてた。 だが、泥に突き刺さった感触のあと、そのまま横に引っ張られた。少しは知恵があるのか、刃を銜えて身体をよじったようだ。 いつもなら踏ん張りも効くが、意図しない方向に力を加えられ、怪我の痛みと疲れが湊にそれを許さない。 手を離すこともできず、そのまま均衡をくずして沼に膝を没した。 「‥‥‥っ!」 ドロリと泥が下肢にまとわりつく。 「湊?!」 「暴れちゃダメよ。ミコト!」 湊の様子が心配で降りようとするミコトをアグネスが思いとどまらせる。 しかし、アヤカシたちがその音と振動で湊に狙いを定めてくる。立ち上がろうにも枯れ木に手は届かない。 「湊!」 「湊さん!」 月夜が祥の刻んだ道を少し外れ、アヤカシとの間に割って入る。 様子を見ていたユリゼは思わず沼に入って杖を構えた。ばしゃばしゃと水音をたてて獲物に集まるアヤカシたちに凍てつく吹雪を連続で叩き付けて蹴散らす。 シャンテが少しでもアヤカシを鈍らせるため、眠るように祈りを込めてフルートを操る。 (――止まって、お願い!) 「湊! 立って!」 アグネスが武器を持たない歯痒さに声を震わせる。雪華とユリゼの援護をもってしても月夜は月夜で泥に苦戦を強いられ、救出が間に合わない。 「ミコトを先‥っに‥」 湊の言葉が途切れる。どうやら水面下で喰らいつかれている。短刀を帯から取り出し湊がそれらに頭上から突き刺す。だが、時折もれる苦悶の声。 「やだぁ! 湊! 湊ぉーー!」 不穏な音声しか聞こえないミコトは混乱して湊の名前を呼ばわる。悲痛な声。 アグネスは暴れるミコトをなんとか抑える。 「月夜‥!」 「ええ、つかまえたわ‥」 追いついた月夜が湊を助け起こす。その声に目を向け湊が小さく頷いた。 ここで誰が欠けてもいいはずはない。依頼主である湊を失ってはなおのこと。 援護射撃と遠隔魔術を受けている間に湊が足に最後の力を込める。アヤカシもシャンテの曲で少し動きが鈍ってきた今、だった。 ふらつきながらも沼から立ち上がる湊を見て、アグネスが真っ先に先頭の祥に声をかける。 「祥! お願い!」 「わかってる!――これで最後!」 祥の『天辰』が最後の道を拓くと、すぐさまアグネスを対岸へ通し、月夜から湊の身体を受け取りにいった。右手を湊の腰に回して力を込めると、ズルリと湊の足が泥から抜ける。 「‥‥‥っ」 怪我の程度は泥で分からないが足が無くなっていないことに祥が安堵のため息をついた。 「‥‥‥すま、な‥」 「黙ってろ。俺は今すこぶる機嫌が悪い」 左手で回転させる十字槍が、主の意志を伝えんとたわみながら水面を切り裂き、アヤカシをぶつ切りにする。 月夜と祥は共に後退しながらアヤカシをなぎ払いつつ、沼を渡りきった。 沼から上がる瞬間、追いすがるアヤカシたちに向かって祥が槍を振りぬいた。 雷撃が全ての怒りの象徴のように水面に突き刺さり、あたりの枯れ木までをも感電で焼いた。 「みなと‥湊が‥っ」 横たえられた湊の傍で泣きじゃくるミコト。 「大丈夫だ」 ぐたりとしていた湊だが、短くそう言ってミコトの頭にぽんぽんと手をおいた。左足の怪我は抉られずにすんだようだ。早速ユリゼにもらった岩清水や薬草も役に立ってしまったが。 「でも、でも血の匂いがいっぱいっ‥」 そろそろと湊の足や懐を触って、熱いものにでも触れたかのように手を引っ込めると、またミコトが涙を浮かべる。 「大丈夫よ。止血剤もあったし」 「ほんと? アグネスほんと?」 「ホント。――だけどねぇ」 もぉ、とアグネスが湊にまだ怒っている。確かにアヤカシとまともに戦えというのは無茶だったかもしれないが、置いていっていいわけがない。 湊という人間は、自分の心配が勘定に入っていない性質ではないだろうか。 「‥これからどうするの」 月夜がポツリと口にする。 「少し休んで、この足が動けるようになったら行く」 「‥本当に無茶をする。あんたこそ背負われるか?」 祥が面白くなさそうに言う。助ける度に無茶して怪我をされていれば苛立ちも募ろうかというものである。 「助けてくれたのにすまない。‥感謝してる」 湊が片肘をついて苦しそうに半身を起こす。あわててミコトが小さな身体で支えようと湊の腕をとる。 「ミコトも置いてはいけないし、敵の手に絡められる前に戻らねばならないから‥」 と湊が独白めいた呟きをもらした。 覚悟、というものが湊にもあるのだろう。 「‥‥‥縁があったら、また会いましょ」 それに触れた気がして、説得を諦めたようにアグネスが立ち上がった。 「無事でいないと承知しないけどね!」 「ああ、わかった」 苦笑しながら湊が片手を上げる。岸に残ってくれたシャンテ、雪華、ユリゼにも礼を言ってほしいと伝えた。 三人の開拓者は二人を気遣いながらも、仲間と無事を確認しに、沼を迂回して戻ることにする。 その背を見送り、開拓者達といる時間に後ろ髪を引かれる思いを残しつつ、沼を渡りきった二人が目指すのは、飛空艇。 楽観に過ぎると怒られるかもしれないが、薬が効けば、多少無理でも動き出すことが出来るだろう。 「湊‥」 「心配するな」 湊が今、ミコトにいってやれるのはそれだけである。 だが、そのたった一言にミコトは泣き笑いのようになるのである。湊が無事でいてくれてよかった。 そう思ってぎゅうと腕にすがるのであった。 |