たとえ、荊の道だとて。
マスター名:みずきのぞみ
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/21 20:58



■オープニング本文

―――彼の宝珠はすでに他の者の手に渡った。

そう分かったとき、引くべきであった。
己の密名も存在も全て跡形もなく消して。
例えそれが顔を知られた人間だったとしても例外なく。
 だが、そう叩き込まれた手が止まったのは、それが人間に見えなかったから。
 ぴちょん、と水滴がしたたるひんやりとした石室が続く廊下の先。
 奥座敷の隅に、押し込められた長い髪の細い後姿。
 その松明を手に、その場を通り過ぎて、このアジトの抜け道を目指せばいいものを。
「何をしている」
 仲間が刀についた血を拭き取りながら湊(みなと)に合流した。
「悔しいが主上に報告せねば。我らはまんまと踊らされたのだぞ」
「先に行け」
「何?!」
「後始末が残っている」
 盛大に燃える松明を差し出すと、その熱を感じたのか、ゆるゆると石壁に映った影が揺らいだ。無表情に振り向いたのは、ひたすら長い髪を床に這わせた少女だ。
 その様子を見た仲間は、湊に無言で相槌を打って、地下へと続く階段を駆け下りていった。
 誰にも時間はない。
 この惨状を知れば、敵は躍起になって湊たちを追ってくるだろう。
 顔を知られた薄汚れた娘など、たった一突きで終わらせてやる。
 湊が一振りして刃にまとわりついている血を吹き飛ばし、歩み寄った。
 少女がぼんやりと顔を上げる。
「‥だぁれ?」
 聞きなれない、という風に足音に首を傾げる。
 湊の手が止まった。この少女の目は閉じられたままだ。
(見えていないのか?)
 よく見ると、粗末な薄い衣一枚をまとい、足にはおざなりに鎖がつけられている。鎖に対する抵抗の後は見られないが、それでも衣から覗く手足には傷が刻まれている。
 どのような扱いを受けてきたのか、想像に難くない。
(飼われていたのか)
 そう思ったとき、己の中で激しい感情が波打った。正義感か、同情か‥それらを起爆剤にして、怒りが湊に太刀を振り上げさせた。
「‥‥‥‥!」
 少女はびくりと震えた。何が起こったかわからない。
 だが、囚われの象徴だった長い髪とともに鎖が切断されたとわかると、そろりと身じろぎした。
「立てるか」
 短く言って湊は少女の腕を取った。驚いた様子でよろめきながら、力強い腕に縋って立ち上がる。
「――神、さま‥?」
「‥‥‥」
「ずっと、祈ってた‥」
「違う」
「じゃ、だれ?」
「とにかく、今はここを出る」
 何故助けるのか。
 顔は見られていないからか。
 放っておいてもこの様子ならきっと影響はない。だが、再びこの少女が弱き者として誰かに虐げられるのを‥よしと出来なかった。
 今を永らえても、判断が誤ったとあれば、あとで殺めればいい。
 それは言い訳なのかもしれなかった。
 しかし、湊はふらつく少女を連れて地下道へと降りていった。



 抜け道である地下道の出口には、伏兵が三人いた。先に脱出した湊の仲間が既に刃を交えている。
 数少ない見張り番は、肩を上下して、搾り出すように問う。
「さては、笙覇の手のものだな」
「名乗りはすまい、いずれ散るもの」
「祠の仲間に何を!――まさか」
「生ける者などおらぬ。お前達が我らにしたことと同じことをしたまで」
「くそぉ!」
 怒りをたぎらせながら切り結ぶ伏兵達を、冷静に受け流す密名者。数にして優位に立ちこそすれ、力任せの太刀筋など通用するはずがなかった。
 一人、二人、と湊の仲間が伏兵を倒したところで、脱出してきた湊の姿が出口に見えた。
「ちぃ!」
 敵の一人が、苦し紛れに湊へ焙烙玉を投げつけた。
「―――!」
 咄嗟に気づいて湊は中へと引き返したが、爆音と共に岩がふりそそいできた。風化した岩は脆くなり、焙烙玉一つで頭上部分が崩落してしまったのだ。
 湊と少女の出口は塞がれてしまった。
 土煙を吸い込んで、少女がげほごほとむせる。
「‥ここを爆破するか。それとも」
 湊がそう呟いて腕で口元を振り返るといると、走ってきた地下道から荒々しい足音が響き渡ってくる。
 追っ手だ。
 少女を抱えてこのまま戦い抜けるか。背後にも何処にも逃げ道はない。
(一か八か)
 二発目に地下道の岩盤がもつかどうか、それは賭けでしかない。
 だが、迷っている暇はなかった。
―――敵に下るわけにはいかない。
 腰にぶら下げた頭陀袋から取り出した焙烙玉は、勢いよく放り投げられた。


 逃げようのない爆風と轟音に、湊が少女を抱きかかえて岩にしがみつく。
 暫時、何もかも分からない状態に陥った後、土煙が止むまで二人はしばらくそうしていた。
 口元を覆っていた少女がもそり、と蠢いた。
「‥もった、のか」
 長息とともに湊が起き上がる。けほけほと咳き込む少女から慌てて身体を起こす。自分の体重で壊れてしまいそうだった。
 あたりは濃い闇に包まれている。
 松明は爆発騒ぎでどこかへいってしまったらしい。どのくらいまで長さを取れたのかは分からないが、自分たちは恐らく両方を岩で塞がれた通路に取り残されているようだ。
「無事か」
 言ってから、湊は無駄なことを聞いたと思った。助けても助けなくてもよい命だったはずだ。だが無事かどうか、見えようもないのだからつい聞いてしまったのだ。
「うん? ミコトは大丈夫」
 少女は可笑しそうな声で返すと、そっと指を伸ばした。湊の顔に触れて細い指が戸惑ったが、遠慮がちにその輪郭をなぞった。眦、口元、頬。
「大丈夫。暗闇でも分かるから」
 光を必要としない生活が長いことをうかがわせて、ミコトは湊の手を自分の頬にあてた。
「優しい人。ミコトは大丈夫。あなたは?」
 微笑んでいることが湊の指先から伝わってくる。
「大丈夫だ」
 優しいなどといわれたことに戸惑いを覚え、わざとぶっきらぼうに答えて、湊は手を引っ込めた。
 ミコトの手を振りほどくようにして起き上がり、壁を伝いながら脱出方法を考えようとした。
(仲間の救出を待つしかないのか。)
 湊は得物である太刀も探し求めて地下道を歩き出した。
 空気はあるようだ。
 だが、持ち合わせのわずかな非常食だけで生き続けることは困難だ。水もなければその先、少女と共に湊の命は尽きるしかないのか。

 湊は悔しげに拳を壁に打ち付けた。


■参加者一覧
九法 慧介(ia2194
20歳・男・シ
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟
鳳珠(ib3369
14歳・女・巫
郭 雪華(ib5506
20歳・女・砲


■リプレイ本文

●試されるとき
「いつまで待つの」
 責めるのではなく、単なる疑問形で尋ねた。湊は答えない。
 何も答えてくれないまま何日たっただろう。
「‥あなた、名前は?」
「‥‥‥‥」
「じゃあ、神さまって呼ぶ。それでいい?」
「‥‥‥‥みなと」
「みなと。みなと、ね!」
 良い事を聞いたかのように反唱して、小さく口元で両手を合わせる。ミコトは壁から身体を起こし、地下道の奥を向いた。
「空気が湿ってきた。奥に水がたまってるかも」
「おい、そんな‥」
「大丈夫」
 ミコトは壁を頼りに歩き始めたかと思うと、そろそろと戻ってきて、湊の傍に跪く。
「ね。水滴」
 手探りで湊の乾いた唇に指を這わせる。微かな水の湿り気。
「きっといつか水溜りが奥に出来るわ」
「じっとしていろ!」
 ちょろちょろと動くミコトに苛つく湊は、襟首を掴んで座らせた。無駄に動くと体力の消耗である。
「‥あと、あとね」
「何だ」
「ミコトは置いていっていいから、湊はここを出て行ってね」
「? 何のことだ」
「助けたこと、後悔しないで。後悔‥されるなら、置いていかれたほうがいい」
 だからお願い。
 どんな顔をしているのか判別もつかない暗闇の中で、少女はぎゅっと拳を握りしめた。

 その時、アヤカシの咆哮と銃声が岩壁の向こうから聞こえてきた。



 生憎の崩落現場は、薄暗く、不吉な雲に覆われつつあった。六人の開拓者達は、依頼人である湊の仲間から、救出を託された。
―――我らとて、救出に向かいたい。
 だが、任務を全うするために、戻ることは許されない。苦しげに語る笙覇の者は、彼が生存していることに賭け、湊の特徴と崩落した場所を告げた。
 今、開拓者達は一つの命を救うために彼の出自を問わず、救出へと向かう。
「何の仕事をしていたかは知らないけど、随分困ったことになったみたいだねぇ」
「頼まれた以上は最善を尽くし救出するまでのこと」
 掛矢を担いで飄々と呟く九法 慧介(ia2194)に、淡々と臨む御凪 祥(ia5285)。
 教えられた場所に着いて辺りを見渡したが、崩れた岩肌がむき出しになった例の出口は、却って容易に見つけることが出来た。
 順調すぎて、怖いほどに。
「急いだ方がよさそうだわ」
 アグネス・ユーリ(ib0058)が促すとシャンテ・ラインハルト(ib0069)が相槌を打つ。
「私達の行動で人の命が助かるかどうか決まるというのなら、迷っている暇はありません、ね」
「空気が通っていればいいけど‥時間は限られている‥」
 周囲を警戒しながら、郭 雪華(ib5506)が抜かりなく遠雷を構える。空が思わしくない。決着は早期に決しなければ。
――何もかも、時間がない。
「行こう。アグネス達は後から」
 視線を移して、前方を睨むと、慧介と祥が一気に駆け出した。
 張り巡らされた何かの敵意に引っかかることは了知の上、分断されることを回避したい開拓者達は一斉に崩落場所を目指す。
 ざわり、というのは草のなびきの音だけではあるまい。
 骸がゆっくりと起き上がる。生者の放つ命の輝きに嫉妬するように不気味な唸り声を漏らしながら。
「邪魔しないで欲しいね」
 陣形を整えるまで、慧介と祥がアヤカシをひきつけた。後衛が崩落現場を背後にして護りの形をとるまで、次々と起き上がってくる屍のアヤカシを引きつける。
 祥が雷刃を放つと、数体のアヤカシが同時に吹き飛んだ。
 だが、屍はそれでも咆哮をあげて仲間を呼び寄せ始める。
「この距離は‥まだ僕のテリトリー‥」
 ターン、と連続して空気を引き裂いて、雪華が前衛二人を援護し始める。
「着いた! いくわよ?」
「了解です」
「お二人とも、存分に!」
 鳳珠(ib3369)が詩人の二人の前に立つと、きりと唇を引き結ぶ。盾を構えると、加護結界を張り巡らせた。
 慧介、祥の背後に援護の雪華と守護の鳳珠が並び、二人の吟遊詩人が崩落現場を背後にすると、深く息を吸う。
 チリン。と鳴ったのはベル。アグネスが声を震わせた。人間には理解できない音階のそれに、アヤカシの動きが止まった。
(聞こえる? あたしの声が!)
 祥の槍が撫でるようにして眼前のアヤカシの胴体を寸断した。槌を振りぬく慧介は、灰色の肌に虚ろの暗渠を穿たんと、全力で叩きつける。
 再び、アヤカシが呼応するように大きな咆哮をあげる。音を邪魔するためだ。
「‥‥っ」
 祥が耳を押さえて苦い表情を浮かべながら、右手で槍を繰り出す。そこへ雪華の火線が援護として延びる。祥に鳳珠から閃愉の力が注がれる。
(倒れるな。何があっても)
 己を叱咤する祥の脳裏に鮮明に浮かぶのは、古い記憶。あの時の言葉。
 だが、今しも、ここをくぐりぬけて助けなければならない人がいる。
「アグネス、次だ」
「大丈夫なの? 祥!」
「一掃する。‥盛大な奴を頼む」
「‥了解。シャンテ、鳳珠、よろしくね」
「ええ!」
「頑張って、アグネスさん」
 瘴気が充満してきた此処にどれだけの精霊が集まるか。だが、それを躊躇するつもりは毛頭ない。
「精霊達はどんな踊りを見せてくれるのかしらね」
 歌いながら軽やかに踊り始める。アグネスの指先に、つま先に、揺れる髪に、淡い光が降りてくる。
(踊りなさい。全ての力で)
「‥‥‥‥!」
 全てのアヤカシが苦悶の声を上げ始めた。風が運ぶ光を振り払うかのごとく手足を振り回し、得物を打ち付ける。何体かは混乱をきたし、同胞を攻撃し始めた。
「本当に‥刀以外を振り回すのは、久しぶりだなぁ」
 わざと皮肉めいた微苦笑で、慧介が利き手をゆっくりと擦る。
 精霊達があたりを疾走する気配に、びりびりとした感覚を覚える。
 瘴気と狂気。
 そのどちらにも惑わされないだけの正気を保つことが開拓者たる資質。
 やがて、歌が止むと、シャンテのフルートの音が滑らかに聞こえてきた。心の平穏を保つように緩やかで優しい旋律は、慧介が感じる振動を落ち着かせた。
「次、くるよ‥‥」
 照準眼鏡越しに雪華が数える。同士討ちで数を減らしたものの、力の強いアヤカシが残った状態で、次の攻撃を受け止めなければならない。残りは五体。
 祥が槍を回転させて音もなくその体を刻めば、慧介が身体を砕く一撃を繰り出す。手足を斬ったところで、完全に動きは停止しない。瘴気を立ち上らせながら、魂のない骸は生者を仲間にせんと前進してくる。
 その身体をバラバラに刻むか、砕き尽くすまで。
 消耗戦の様相を呈してきた。
 遠くの敵に照準を合わせていた雪華の下にも、前衛をかいくぐった屍があった。
 苦無を首に生やしたまま‥ずるりと雪華の服を掴んで足のない体で這い上がった。
「雪華さん!」
「雪華様!」
 鳳珠とシャンテが叫んだ。前衛の二人が振り向いたところで、屍は両の手を雪華の肩にかけている。屍肉もこそげた大きな手で。
「‥‥‥!」
 アヤカシの手が雪華の白い喉に迫る。引きちぎろうというのか。
 雪華の足元にガシャンと遠雷が落ちた。
――しかし、手には短銃が握られていた。
「‥近い‥‥」
 怜悧な目でアヤカシを真正面から見つめると、アヤカシの上半身を素早く銃身で殴って跳ね飛ばす。
 自分から離れたとみると、大火力を発揮するバーストハンドガンで打ち抜いた。虚空を跳ねるようにして弾かれたアヤカシは、砕けながら地に落ちる。
「‥この距離は嫌いだよ‥‥戦場全体の空気を感じられないから‥」
 何事もなかったように、雪華は短銃をしまい、鳥銃を拾い上げた。
「やるなぁ」
「びっくりしましたわ‥」
 慧介の感想にほぅ、と鳳珠が安堵し、閃癒で仲間達を次々と癒していく。
 あと少し。
 シャンテのフルートの音色が今一度、アヤカシに向かう力を駆り立てる。この後ろに護るべき命があると信じて、開拓者達が戦い抜く。
「これで最後」
 振り下ろした槍に一寸のブレもなく、祥に頭蓋を真っ二つにされたアヤカシは、最後の叫びを上げ、瘴気の煙を漂わせながらくずおれていった。



●救いしもの
 討ち漏れがないことを鳳珠の瘴索結界で確認すると、休む暇もなく、湊の救出に当たった。
 慧介と祥が心眼で探ったところ、人らしき存在が二つあることに驚いた。一つは湊だとして、もう一つには心当たりがない。
 岩肌の前に座り込んでいた二人が結果を伝えると、鳳珠が瘴索結界でその場所を探る。
「アヤカシでは‥ないようですね。どちらも人間のようです」
「湊殿‥? 聞こえたら返事をしてもらえるかな‥」
 雪華がギルドから借りてきた鏨(たがね)で岩を軽くたたいてみた。すると、しばらくして同じ間隔でかすかに音が返ってきた。中に生存者がいるらしい。
「砕くしかないな」
「小天幕も持ってきたのは正解でしょうね」
「男手は二人と寂しいが、やるしかないな」
「そうですね」
「あたしも掘るわよ!」
 むぅ、と膨れながら祥と慧介の会話に割り入るアグネス。先ほどの大技で大層疲れたはずだが、救出作業に混ぜるよう抗議した。
「私も、お手伝いします。六尺棍も使ってください」
 岩を支点にして大きな岩はテコで動かせるよう、シャンテもしっかりと準備をしてきた。
「僕は‥小天幕に岩をのせていくよ」
「私もやり方さえ教えてくだされば、砕くのを手伝います」
 慧介と祥が顔を見合わせて少し笑った。彼女達も開拓者だ。
「じゃあ、今回は特に砕く方向に注意しよう」
 祥と慧介が鏨と槌の使い方を教え始めた。



「誰か来てくれたみたいだ」
 戦いの音が長く続いて、その後に訪れたのは、岩を叩く音。敵か味方か戸惑いはしたが、今は構っていられない。
 ここから出られなければ、どうにもならない。
 何度か岩で叩いて返答をしたら、作業が始まったようだ。
 コツコツと慎重に岩を砕いていく音。自分達の方向に真っ直ぐ伸びてきていることに内心舌を巻いた。
「助かるの?」
「ああ、きっと助かる」
「よかった」
 ミコトが小さく息を吐く。危ないからと二人して岩から下がって、コツコツという音を聞いていた。
「みなとは助かるのね」
 もう一度、ミコトが密やかに呟いた。



 ポツリ、と泥まみれになった頬に落ちてきたものが、雨粒だとは気がつかなかった。
 慎重に岩を砕きながら土砂と格闘し、もう少しという所まで掘り進んでいた。
 シャンテが降りかかる雨に気づいて頭を上げた。
「雨、ですね」
「本当に」
 泥まみれになった指先で雨粒を拭い、鳳珠が頷いた。
「嘘!」
「危ないね‥」
 アグネスが恨めしそうに睨む曇天に、雪華が面白くなさそうに嘆息した。交代で掘る組と運搬する組とに分かれてきたが、雨となると事情が変わる。
「大雨になるとやっかいだな」
「上の土砂が更に降ってきますかね」
 祥が天幕を利用した担架に乗せていた土砂を捨てると、六尺棍で岩を動かしていた慧介の元に戻ってきた。
「どうする」
「作業速度を上げましょう。あと少し」
 二人が心眼でさぐると、湊たちのところまではあと少し。二人は岩を砕く班と交代した。
―――雨が、降り始めた。
「湊、聞こえるか!」
「‥‥聞こえる」
 かすかに岩の向こうから聞こえてくる青年の声。
 しかし、その湊の返答を掻き消すように雨は激しくなり、遠くで雷が鳴り始める。
「俺達はギルドの依頼を受けた開拓者だ!」
 半ば叫ぶようにして祥が告げた。
「‥開拓者‥」
「お前達の敵でも味方でもない。俺達は、お前の命を救うよう依頼を受けた」
「‥‥‥‥」
「だが‥‥敵だの味方だの言わず、しっかり助かれ! 死んだら許さないからな!」
 せーの!という慧介の声と共に、鏨に大きな力が打ち込まれた。鍛え抜かれた鏨は折れることなく、強固な岩を二つに砕いた。
 幾つもの小さな泥だらけの手が岩を取り除き、女性の細い腕が狭い空間の土砂を掻き出していく。どの手も腕も傷だらけで血が滲んでいる。
「頑張って、あと少し!」
「もうすぐ、あと少しですよ!」
 岩で切れて痛かろうと、土で爪が割れて辛かろうと。
 疲労の限界で痺れる腕を叱咤しつつ、それでも開拓者の手は止まらない。
「もう一度!」
 止まず打ち下ろされる慧介の槌。
 吹き込んでくる雨粒と外気の匂い。湊の胸元にそれらがぐっと迫ってくる。なぜ依頼とはいえ、この者たちは自分を助けるのだろう。
 何人もの命を軽々と奪ってきた自分が助かろうなどと何故望んだのか‥。今更、と湊は唇を噛んだ。
「‥‥‥」
「手を出して。応えて」
 やっと出来た隙間から、アグネスが腕を伸ばす。
「みなとを助けて。お願い」
 声の方向に身を乗り出し、背伸びしてその腕に触れたのはミコトだった。
「‥わかったわ。二人とも無事ね?」
 こくりと頷くミコトの頬を優しく撫でて、細い腕は戻っていく。
「お前が先に行け」
「違う。みなとが先」
 ミコトは勢いよく首を振った。
「俺が助かるより、お前が助かったほうがいい」
「違う!違う違う。ミコトがみなとを助ける番‥ね?」
 ミコトが胸の前で手を握り合わせると、鈴のような声で歌い始めた。
「これ‥」
 シャンテの手が止まる。この曲は、シャンテが戦闘で奏でた「再生されし平穏」であった。一度聴いただけで全てを覚えたというのか。
 しかしその曲想は、回を重ねるごとに豊かになり、彼女のものとなり、言葉を載せていく。そのミコトを呆然と見つめる湊。
(愛しき慈愛をもつ子らよ)
「開いた!」
 最後の岩を取り除くと、危うい均衡ながらも人が通れる穴が開いた。
(魂の再生を。祝福の言葉を。)
「湊!」
 幾つもの腕が湊とミコトに差し伸べられる。
(我請い願わん。再び蘇るぬくもりの中に。)
「‥‥‥ミコト!」
 ふつ、と歌が途切れた。

 湊に初めて呼ばれた名に、ミコトがかすかに微笑んで気を失ったからだった。



「この子、吟遊詩人なの?」
 二つの小型天幕の下でアグネスとシャンテが見つめるのは、眠ったように動かないミコトである。
 雪華と鳳珠から手当てを受けた湊はというと、礼を言った後、終始黙っていた。二度の爆発の衝撃であばら骨にヒビが入っているようだが、命に別状はない様子だ。
「さて、無事でなによりだが」
 ミコトの方は依頼になかった為、対応に困っている開拓者一行である。ギルドに預けて身寄りを探してもらうのも一つの手、ではある。
「そか。湊はこの子助けて遅れたのね‥」
 ぽんと何かに気づいたように手を打つアグネス。包帯だらけの湊をみてふふ、と意味深に笑う。
「な、何だ‥‥」
「いい男じゃないの」
「違う。助けたんじゃない」
 と湊が言い訳を続けようとすると、むくりと起き上がったミコトが
「みなとは助かったの?!」
―――とあたふたし始めた。
「俺達はギルドにお前を連れて行けばいいから」
「?」
「そこから先はとめないわよ」
「それにしても‥随分懐かれてるみたいだねぇ」
「え?」
「雨‥止んだら行くかな‥‥」
 誰も何も説明がないが、なんとなく湊が保護者で決まり、な雰囲気の中、シャンテと鳳珠がそっと湊の肩を叩いたのであった。
 つまりはそういうことらしい。


 無事に生還を果たした湊は、正体不明な少女を連れて、帰路へと就くことになりそうだ。