【黒夜叉】毒髏丸
マスター名:御言雪乃
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/12/20 08:26



■オープニング本文

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「小僧。お前か、俺に用があるというのは」
 うずたかく積まれた死体の上に座した男が見下ろした。
 精悍な風貌の持ち主。が、人間ではない。その全身から放散される妖気により、周囲の空間が歪んで見えた。
「そうだ」
 こたえ、見上げたのは少年であった。年は十歳ほどであろうか。ぎらつく瞳をしていた。
「ほう」
 男の口の端がやや吊り上った。少年の瞳の奥にある光を見たが故である。
 それは彼の中にあるものと同じ光。そう、それは狂気の光。
「貴様」
 少年の傍らに立つ鬼が睨みつけた。
「蛮十郎様に何という口の利き方を」
「いい」
 少年を連れて来た鬼を蛮十郎は制止した。そして少年に問うた。
「で、俺に用とは何だ?」
「殺してほしい奴がいる」
「殺してほしい、だと?」
「そうだ。本当は俺が殺してやりたい。でも、そいつは強い。俺じゃ殺せないんだ。だからお前に頼む。そいつを殺してくれ」
「ほう」
 蛮十郎がニヤリとした。
「面白い。が、俺に頼みごとをしてタダで済むとは思っていまいな、小僧」

 かつて、陰殻に鴉一族なるシノビの氏族があった。が、数人の生き残りがいるのみで、今は滅んで、ない。滅ぼしたのは夜叉一族なるシノビであった。
 その夜叉一族も滅んだ。滅ぼしたのは開拓者である。正確にいえば、たった一人の開拓者であった。
 どれほど前のことであったろうか。鴉一族生き残りの少年――隼人の依頼をうけて開拓者が動いた。そして鴉一族を襲撃した夜叉シノビ四十二衆を斃したのであるが、その開拓者の一人である竜の神威人のみが夜叉の里を襲ったのである。
 夜叉一族の里には戦う術をもつ里人は残っていなかった。燃える里の中で、その開拓者は告げたのである。少年に向かって。
「俺が憎いか、小僧。ならば強くなって俺を殺しに来い」


「わかった、仇が」
 少年は言った。名を獅子丸という。
「ほう」
 蛮十郎は薄く嗤った。
「それはめでたいな。ならば俺から祝いをやろう」
「祝い?」
 獅子丸の眼に戸惑いの光がゆれた。アヤカシが人間に祝いなど、どういうつもりであろう。
「そうだ。やはり仇は自らの手で討ちたいだろう。だから」
 蛮十郎があごをしゃくった。すると獅子丸の傍らですうと異様なものが立ち上がった。
 影だ。そうとしかいいようもないほど黒く、薄く、そしてそれには目鼻や口はなかった。
「毒髏丸という」
 蛮十郎はいった。
「そいつを受け入れろ」
「受け……入れる?」
「そうだ。そうすればお前は強くなれる。自身の手で開拓者を殺すことができるくらいにな」
「俺の手で……」
 獅子丸の脳裏を一瞬疑念がよぎった。が、それを冷静に分析するには獅子丸は幼すぎた。さらにいえば獅子丸の憎悪は深すぎた。
 だから気づかなかった。彼を窺う蛮十郎の瞳に、この時、鼠を甚振る猫のような残虐な光がやどっていることに。
「よし。受け入れる。そしてあいつを殺す」
「そうか」
 蛮十郎はニンマリと嗤った。

 獅子丸は去った。しばらくして、鬼が蛮十郎の問うた。
「良いのですか、頭領。毒髏丸が憑依を解いた時、あの小僧は死ぬのでは」
「そうであったか」
 ククク、蛮十郎は可笑しそうに嗤った。
 毒髏丸。それは影のアヤカシであった。似たようなアヤカシに惰良毒丸がいる。憑依能力を持ち、憑依した相手を操ることができた。さらに毒髏丸は憑依した相手の能力を超人域にまで高めることができる。 
「忘れておったわ」


「お姉ちゃん」
 顔の半分に火傷の傷がある、それでも美しい少女が口を開いた。
「何だい、千鶴?」
 姉として暮らしている女開拓者が顔をむけた。千鶴とは、鴉一族生き残りの少女であった。
 すると千鶴と呼ばれた少女は思いつめた眼で女開拓者を見上げると、懇願した。
「私はお姉ちゃん――開拓者の皆さんに助けてもらって救われた。幸せになっていいって。だから、今度は私の番なの。私が依頼者になる。だから、その子を救ってあげて」
 千鶴がいった。すると女開拓者は嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑って立ち上がった。ぐいと大刀を取り上げる。
「可愛い妹の頼みだ。いってこようか」


■参加者一覧
志野宮 鳴瀬(ia0009
20歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
孔雀(ia4056
31歳・男・陰
亘 夕凪(ia8154
28歳・女・シ
狐火(ib0233
22歳・男・シ
グリムバルド(ib0608
18歳・男・騎
成田 光紀(ib1846
19歳・男・陰
蒔司(ib3233
33歳・男・シ
カルロス・ヴァザーリ(ib3473
42歳・男・サ
桂杏(ib4111
21歳・女・シ


■リプレイ本文


「アヤカシと共にある人の子を救えと……」
 やや驚いて振り返ったのは、どこか神秘的な雰囲気を漂わせた娘であった。名を志野宮鳴瀬(ia0009)という。
「そうだ」
 答えたは剛直そうな面魂の男だ。こちらは名を大蔵南洋(ia1246)。彼は依頼人である千鶴とは顔なじみである。
「わかりました」
 鳴瀬が立ち上がった。
 驚いたのは落ち着いた物腰の女だ。年齢は三十に届いてはいないだろうが、すでに貫禄のようなものを身につけている。亘夕凪(ia8154)である。
「わかりましたって……依頼を受けるつもりなのかい?」
 夕凪は問うた。
 此度の一件、実は根が深い。それ故か、前回の依頼を受けた者の中には発端となった事件に関わっていた者が数名いた。
 が、その事件に鳴瀬は関係ない。いや、正確には関わったことはあるのだが、当事者というわけではなかった。
 すると鳴瀬は微笑した。当然だといわんばかりに。
「仔細は存じませんが、そう願える少女の想いと覚悟は無下に出来ませんでしょう? 依頼人の代理は亘殿、という事になりましょうか? なれば事の次第を改めてお聞かせ願えませんでしょうか」
「仕方ないねえ」
 苦く笑って、夕凪は一件の詳細を語った。
「……酷いお話でございますね」
 ややあって鳴瀬が嘆息した。語り終えた夕凪は砂を噛んだように顔をしかめている。
「……胸の中の天秤なんざ人其々だが、けったくそ悪い話さ」
 夕凪は吐き捨てた。
 事の発端となった竜の神威人、即ちカルロス・ヴァザーリ(ib3473)の成した事。それは夜叉一族の皆殺しであった。
 己が愉しみのためだけに。里人全てと……結果、三人の命を巻き込んだか。
「仇が知れた今……此度の件は少年が正論、仇討ちの邪魔は本来ならば野暮やも知れぬ。それだけに返り討ちだけは避けなけりゃならない。大蔵さん、手を貸しとくれ」
 夕凪はいった。カルロスがおこなった千鶴への無残な仕打ち。それを彼女は忘れた訳ではなかった。愉しみを満たす為の助力なぞお断りだ。
「いわれなくとも手助けするつもりではあるが」
 間に合えば良いが、という言葉を南洋は飲み込んだ。
 夕凪は何とか少年の命を救おうとするだろう。が、はたしてそれが成るかと問われれば、南洋は難しいと答えざるを得ない。
 願いを叶えようというアヤカシと取引して、無事に済む者など殆どおらぬからだ。あるとすれば、余程相手に気に入られるか、もしくは人を人のまま手駒として使う術に長けたアヤカシくらいのものであろう。
 その考えを南洋は胸の底に閉まった。夕凪には言えるものではない。
「じゃあ、そろそろいこうか」
 夕凪は腰に刀――天津甕星をおとした。天から降り落ちた星の神の意志が乗り移ったといわれている魔刀である。
 外に出る直前、夕凪は足をとめた。振り返り、じっと見送る少女を見つめる。千鶴を。
 どれほどの想いを抱いて、今、この少女はここに立っているのだろう。姉となった夕凪を見送っているのだろう。
 夕凪には痛いほどその想いがわかっていた。故に告げる。
「命を救う事は難しいかも知れない。それでも。……魂は護ってやれるよう祈ってておくれな?」
 夜叉の少年は……千鶴自身だ。憎しみの中で触れた者が、開拓者かアヤカシであるか。道を違えたのは些細な、しかし根底的に違う切っ掛けである。もし千鶴がアヤカシを頼っていたら――哀れなるかな、夜叉の少年。
 そして、ああ、と南洋は嘆息した。
 夕凪は気づいているのだ。残酷な運命を。ならば俺もできることをしなければならない。
「……桂杏」
 南洋が振り向いた。そこには二十歳ほどの娘が座していた。どこといって目立つたところのない娘であるが、しかしその瞳は常人とは違っていた。その輝きにおいて、そのひたむきさにおいて。
 南洋の妹、桂杏(ib4111)であった。
「何でしょうか、兄さん」
「お前にひとつ頼みたいことがある」
「私に?」
「ああ。俺の杞憂であればよいが、もしもの場合、最悪の事態になりかねぬ。お前にはそれを防いでもらいたいのだ」
 南洋の眼がきらりと光った。


 南洋と同じ呟きを漏らした者がいた。
 三十歳ほどの男。全身傷だらけの黒獅子の神威人だ。茫乎として佇む姿に、しかし一切の隙はなかった。
 彼はある墓標の前に立っていた。隼人の墓標だ。
「よもや夜叉の縁の者が……開拓者が仇とあらば人を頼る事もできん、か」
 男は軋るような声をもらした。
 しかし、である。問題はここからだ。よもやアヤカシが厚意で人間の子供の仇討に力を貸すとは思えない。そこには何らかの裏があるはずだ。
「手遅れにならんけりゃええが……」
 その時、あの夜見た少年の姿が隼人と重なった。もし少年が隼人のように憎悪を越えることができれば夢を見つけることもできようが――否、そも里を喪わねば、憎悪に命を委ねる事もなかったかもしれぬ。
 男の脳裏に別の影がよぎった。事件の発端となった竜の神威人の虚無的な姿が。
 あの男さえいなければ、と男は思わざるをえなかった。
 そう、あのカルロスという男さえいなければ、少年は道を踏み外すこともなかったであろう。此度の悲劇の根源は間違いなくあの男だ。が――
 嗚呼、嗚呼、と。
 男は胸の内で吼えた。
「しかし刃を向ける先を違えてはならない。今一度、刃の下に心を隠し、絶つのは、悲劇の連鎖」
 男は墓標に背をむけた。
 彼の名は蒔司(ib3233)。開拓者であった。


「……あの時の小僧か」
 寒風に吹かれながらカルロスは呟いた。手にしていた杯を縁台におく。
 夜叉一族を皆殺しにした記憶はある。面白かったという記憶が。が、見逃した小僧の顔は覚えていなかった。
「まさかアヤカシとつるむとはな」
 カルロスはクククと嗤った。あの時の座興がこのような結果を生むとは思ってもみなかった。
「詰まる所、取り溢しではないか」
 嘲るような声がした。カルロスがちらりと眼をやる。狩衣をまとった二十歳ほどにに見える、尊大な態度の若者が立っていた。成田光紀(ib1846)である。
「あれ程望まれているのだ。君、一つ死んでやってはどうだね」
 天気の具合を尋ねるかのように気安く告げる。
 ふん、カルロスは鼻を鳴らした。
「余計なお世話だ」
「とはいかんのだ」
 光紀は薄く嗤った。揶揄するように続ける。
「君も暇つぶしに里を潰したのだろう? 此度の一件、俺にとっても良い暇つぶしなのだ。とはいえ、やはり結末は面白い方がよい。時に、鴉一族とは件の少年の一派に滅ぼされた民であろう。最後を看取りにでも行くかね? 言いたい事の一つでもあれば言っておくのがよいぞ。亡くしてしまうのだからな」
「余計な世話だといっている」
 冷たく吐き捨てるとカルロスは立ち上がった。

 ややあって光紀は口を開いた。
「そこの君。君は彼がどうなった方がいいと思う?」
「さあて」
 木陰からすうと人影がわいた。男だ。彫りの深い端正な相貌。そこにあるのはあるかなしかの皮肉っぽい笑みである。
「興味はありません。少年も彼も縁もゆかりもないことですからね」
「が、彼をつけている。それは君が依頼を受けた開拓者だからだろう。名は確か……」
「狐火です」
 男はこたえた。その言葉通り、狐火(ib0233)は少年やカルロスがどうなろうと知ったことではない。
 が、覇弓を消滅せしめた雷には興味があった。以前相対したことあるアヤカシ――凶風連の頭目である蛮十郎が操る雷に似ているような気がするのだ。
「好きにやらせていただきます」
 その言葉の響きが消えぬうち、すうと狐火の姿が消えた。


 月の冴えた夜。
 孤影、ただ寂然とゆく。カルロスである。
 足をとめるとカルロスは夜空を見上げた。
「この辺りであれば、思う存分、暴れられるな。逃げも隠れもせぬよ。野暮なことは無しだ、楽しませてくれ」
 カルロスが呟いた。
 次の瞬間だ。はじかれたようにカルロスは振り向いた。
 闇の中。何か、いる。
「……気づいたか」
 闇の中から少年が姿をみせた。夜叉の獅子丸だ。
 カルロスはニンマリした。
「小僧。お前が夜叉の生き残りか」
「そうだ。覚えているか、俺の顔を」
「いいや」
 カルロスは首を振った。
「見逃した蟻の面なんぞ、お前は覚えてはいるまいが。……それよりもアヤカシはどうした? 俺を殺すよう頼んだのだろうが」
「ふふん。もうアヤカシの力は必要ない。俺のこの手でお前を殺してやる」
 刹那、少年の身から凄絶の殺気が迸り出た。

 カルロスが獅子丸と相対する少し前のことだ。
 夕凪の住まい近く、白い人影が現れた。
 男だ。しかし女のように濃い化粧を顔に施している。どこか得体の知れぬ雰囲気をもっていた。名は孔雀(ia4056)。
「ここね」
 毒蛇の笑みをもらし、孔雀は戸を叩いた。しばらくして戸が開く。現れたのは千鶴であった。
「怪しい者じゃないわ。貴方の依頼をうけた開拓者よ」
「開拓者?」
 千鶴の表情がゆるんだ。その顔を見下ろし、孔雀は陰惨に嗤った。
「実は貴方に訊きたいことがあって来たの。貴方にとっての幸せって何かしら? 彼等の死体の上に築いた人生を豊かに生きていく事が望みなの? 貴方の望む幸福と、貴方の起こした復讐による犠牲者達の不幸は、アタシには釣り合いが取れる様に見えないけど」
「そ、それは」
 千鶴は言葉を途切れさせた。その心の間隙に、さらに孔雀は毒を打ち込んだ。
「死んでいった者たちと、独りぽっちで闘っている可哀想な少年に、貴方が取るべき真の行動は開拓者の私達に少年を殺させる事ではないわね。この復讐の連鎖を止める最後は貴方。可哀想な少年に孤独な旅をさせてはいけないわ。貴方みたいに賢くて強い女の子なら、きっと答えが出せるわよね。貴方はとっても優しい子よ、私には解るの。そして意志の強い子。貴方の生き様、見せて頂戴」
 孔雀の唇の端が鎌のようにつり上がった。魔的な笑みだ。
 孔雀が手を伸ばす。その手にはナイフが握られていた。


 反射的にカルロスは抜刀した。目にもとまらぬ抜き打ち。が、たばしる銀光の上に少年の姿はあった。
「しゃあ」
 少年の身が駒のように回転した。
 まずい。
 カルロスの裡の黒い獣が叫んだ。咄嗟に竜人は跳び退った。
「ぬう」
 カルロスは呻いた。腹が裂かれている。跳び退るのが一瞬でも遅れていたら胴を分断されていたところだ。
「待て」
 少年の前に飛び出した者があった。

「それを手にしてはいけない」
 桂杏が叫んだ。びくりとして千鶴は伸ばしかけていた手を止める。
「わたしは……責任をとらなくてはいけない。一人のうのうと生きていてはいけないのです」
「そうよ」
 孔雀の眼がぎらりと光った。
「貴方がやるのよ」
「違う!」
 桂杏は叫んだ。
「貴方は生きなければならない。死でなど、何も償えはしないのだから。もし多くの死に責任があるなら、貴方は生きるべきです」
「邪魔をしないで」
 孔雀の指の間に符が現出した。
 次の瞬間だ。激痛が孔雀の身を襲った。いつの間にか肩を切り裂かれている。
 わずかの躊躇いもなく、孔雀は背を返した。桂杏が秘術「夜」を使ったと看破したからだ。さすがに「夜」相手では分が悪い。
「ええい。いまいましい」
 舌打ちし、孔雀は駆け去った。その背を見送り、今更ながら兄の慧眼に桂杏は感服する。もし兄の助言がなければ、今頃千鶴はどうなっていたことか。
 桂杏は振り向いた。呆然と千鶴が立ち尽くしている。
「わたしは……どうすれば」
「考えるのです。生きて、懸命に生きて、苦しんで、考えるのです。本当の責任の取り方は何かを」
 桂杏は震える千鶴の身を抱きしめた。
「貴方は独りじゃない。夕凪……お姉さんも私や兄もいます。一緒に考えましょう」
「……はい」
 その後の言葉は、嗚咽で聞き取れなかった。

「復讐は復讐しか生まぬ。連鎖を止めぬ限り、誰かを手に掛ければ、またその縁の者がお前を滅ぼしに来る。裁きはお前が成さずともいずれ下ろう。止める気はないか、此処で」
「黙れ」
 くぐもった声を獅子丸は押し出した。その眼が赤光を放つ。
「邪魔をすればお前も殺す」
「無駄だよ」
 光紀が物陰から姿を現した。
「その少年の動き。もはや人のそれではない。おそらくアヤカシの力を得たのであろう」
「その人外の力、アヤカシに依るものか」
 ふふん、とカルロスは鼻を鳴らした。
「何の代償を払って力を手にいれた? 美味しい話など、この世界には存在しないものだ。ふっ、暇潰しに利用されたか。アヤカシの気慰みに利用されるのは癪に障るが、まあいい、俺はうぬの精神を毀した。うぬは俺の器を毀すことができるか?」
「やってやるさ」
 獅子丸が跳んだ。視認不可能な速度で。同時にカルロスも跳んだ。重なり合う二匹の陰獣。いや――
 二匹の間に白い壁が立ちはだかった。光紀の呪だ。壁を蹴ってカルロスと獅子丸が後方に跳ねた。
「くそっ」
 獅子丸が背を返した。が、その前に立ちはだかったふたつの影がある。夕凪と南洋だ。
 獅子丸が襲った。凄まじい一撃を南洋に叩き込む。
 南洋はあえて受けた。筋肉が軋む。が、南洋は立っていた。動かざること山のごとし。
 瞬間――
 がくりと獅子丸は崩折れた。
 刹那、地に何かが縫い止められた。それは影であった。縫い止めたのは番天印である。
 影に止めを刺すと、狐火は立ち上がった。
「少年の人間離れした動き、凶風連であるならば、チェーニのようなアヤカシがいてもおかしくはないと思いましたが……」
「まずい」
 鳴瀬が駆け寄った。彼女は惰良毒丸なるアヤカシを知っていたのだ。そして惰良毒丸の憑依が解けた時、その人間がどうなるかも。
 夕凪が獅子丸を抱き起こした。すでに獅子丸は虫の息だ。
「もはや……夜叉の子よ、其の魂……鴉が預かろう。鳴瀬」
「はい」
 鳴瀬は手をあわせた。そして――
 鳴瀬は見た。獅子丸の楽しかった思い出を。その中で獅子丸は幸せに包まれて微笑んでいた。

 その数日後のことだ。獅子丸の遺骨を抱いた夕凪と千鶴が夜叉の里に旅立っていった。

 そしてカルロスは――
 今もまだ彷徨っていた。無明の闇の中を。