【夜叉鴉】鴉の里
マスター名:御言雪乃
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/11/21 20:20



■オープニング本文

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「‥‥鴉一族の生き残りがいる」
 声が流れた。おしころしたそれは男のものであった。
 が、声の主の正体は知れなかった。墨を流したようなとろりとした闇が辺りを圧しているからだ。
 そこは堂の中であった。大きさはわからない。
 声にならぬどよめぎ起こった。ややあって別の声がわいた。
「馬鹿な。鴉一族は根絶やしにしたはすだ」
「ところが生きていたのだ。そやつのせいで俺の手下が四人殺られた」
 声が軋んだ。
「そういえば」
 第三の声がした。
「鴉の里を襲った時、取り逃がした小僧がいた。確か名は隼人」
「何っ」
 愕然として叫んだのはふたつめの声だ。さすがに声に怒りの響きがある。
「そのようなことは知らぬぞ。何故黙っていた?」
「小僧一人、たいしたことはないと思っていたのだ」
「その小僧のために夜叉l忍が殺られた」
 四つめの声。妖々たる響きは男のものとも女のものとも知れない。ただ他の三つの声は沈黙した。
 声は続けた。
「確かに小僧一人、さしたることはあるまい。やわか夜叉四忍がむざと殺られる
はずもなし。おそらく百足丸達を手にかけたは開拓者」
「開拓者!? ふうむ」
 二つ目の声が呻いた。おそらくは開拓者のことを知っているのであろう。
「確かに開拓者ならば」
「うむ」
 肯く気配があった。四つめの声の主だ。
「その隼人とやら、この先も開拓者を雇い、我らをつけ狙うであろう。このまま見過ごすわけにはいかぬ。紋蔵」
 声が呼ぶと、第三の声がハッといらえを返した。
「何か?」
「うぬは隼人とやらの顔を知っている。下忍どもをひきつれ、神楽の都にむかえ。隼人は必ず開拓者ギルドに姿を見せるはず。そこを狙うのだ」
「承知」
 ふっと一つの気配がきえた。
 ややあって第四の声が再び発せられた。
「大丈夫とは思うが念のためだ。鴉の里の四忍にも知らせよ」


 ゆっくりと隼人は眼を開けた。身を起こす。呆然として宙を見上げた。
 いつも見る悪夢。鴉一族滅亡の夜の光景だ。その時、彼を救うために姉は死んだ。
 その悪夢を、あの夜以来隼人は絶えることなく見続けていた。悲鳴とともに隼人はずっと目覚めてきたのである。
 ところが、今朝は悪夢を見なかった。どこか清々しい。たっぷり眠ったという実感があった。
 何故か――
 理由はわかっている。鴉の里に生き残りがいると知ったからだ。おそらくは夜叉一族にとらえられているのだろう。その事実が隼人の凍りついた胸に亀裂を入れたようであった。
 今までは復讐の旅路であった。それは不毛な戦いだ。得るものはない。
 が、今度は違う。救うべき命がある。守るべき存在がある。そこにあるのは血の奔騰だ。
 開拓者ギルドに依頼を出すべく、隼人は起き上がった。

 隼人は足早に街路を歩いていた。浮き立っているつもりはなかったが、無意識的に気が急いていたのかもしれない。それが油断というものであった。
 いつもは慎重に街をゆく隼人であったが、その日は違っていた。心はすでに開拓者ギルド――いや、鴉の里へと飛んでいる。その心の間隙を衝くようにして襲撃行われた。
 すっと刃が隼人の首に凝せられた。
「動くな、小僧。動けば殺す」
 笠をかぶった男が告げた。
 街路は人であふれている。が、誰も襲撃の事実には気づいていないようだ。
 隼人は人形のようなぎごちなさで振り向いた。眼を上げ――
 かっと眼を見開いた。
 笠の内の男の顔。決して見忘れることのないそれこそ姉を手にかけた男のものであった。
「き、貴様」
「久しぶりだな、小僧」
 男が笑った。あの夜と同じ笑みであった。
「今度は逃がさねえぞ。悔しいだろうなあ。せっかく姉ちゃんが身体をはって逃がしてくれたのに、よ」
 男は再び笑った。真っ黒な笑みだ。
「くそっ」
 ほとんど反射的に隼人は飛んだ。それは蘇った恐怖のためであった。
「逃がさぬ!」
 隼人を取り巻く数人の笠をかぶった者の手から銀光が噴出した。
 次の瞬間だ。隼人の七つの急所を七つの手裏剣が貫いていた。
 女のものらしい悲鳴があがったのは、隼人の身体が地に叩きつけられてしばらくの後のことであった。すでに七人の夜叉一族の姿はない。
「大丈夫か」
 一人の男が隼人に駆け寄った。抱き起こす。すでに隼人は虫の息であった。
「か、開拓者ギルドに‥‥」
 隼人の唇が動いた。震えるそれは、すでに青黒く変色している。
「鴉の生き残りを‥‥救ってく」
 声が途切れた。力なく垂れた手が地をうつ。隼人の旅は今――
 終わった。


■参加者一覧
霧崎 灯華(ia1054
18歳・女・陰
空(ia1704
33歳・男・砂
斎 朧(ia3446
18歳・女・巫
輝血(ia5431
18歳・女・シ
亘 夕凪(ia8154
28歳・女・シ
藤丸(ib3128
10歳・男・シ
蒔司(ib3233
33歳・男・シ
桂杏(ib4111
21歳・女・シ


■リプレイ本文


 沈黙が落ちていた。
 鉛色の、重苦しい沈黙だ。
 と、突如響いた一つの声が沈黙を破った。
「依頼人が死んだ依頼とか久々だぜ。報酬の方はちゃんと出るみたいだがな」
 声の主は手をのばした。卓におかれた金子を掴む。
「まぁ俺はこの前の奴を斬ることができればそれでいい」
 声の主はニヤリとした。
 男。端正といえなくもない顔立ちだ。
 が、恐い男であった。笑みの奥には毒蛇の牙が閃いている。
 空(ia1704)。開拓者であった。
 同じく冷笑をうかべた者がいる。
 こちらは十八歳ほどの少女だ。華奢で、まるで人形のように美しい。が、その手の得物は異様であった。
 少女の身の丈ほどの大鎌。ひどく禍々しい。
 霧崎灯華(ia1054)という名の陰陽師もまた金子を手にとると、
「あたしは隼人の仇を討つつもりは無いわ。けど夜叉衆はムカつくからぶっ倒してやる」
 ふらり足を踏み出した。幼さの残る笑みは口辺にとどめてはいるが、その眼は笑っていない。死神の眼であった。
 この時、灯華は真っ赤な血を見たくてしようがなかった。夜叉一族シノビの五体をばらばらに切り裂き、その返り血で真紅に染まらねばどうにかなりそうであった。
「今回も独りでやらせてもらうわ」
「ふむ」
 十八ほどの、こちらはしっとりと濡れた印象のある少女が肯いたのは、灯華の姿が消えた後のことあった。
 少女は斎朧(ia3446)というのだが、いつも通りの謎めいた微笑をうかべたまま、先の二人にならって金子をとった。
「人を殺そうというのであれば、自分もまた狙われて然るべき。当然といえば当然の帰結ではありますか」
 何事もなかったかのように呟いた。確かにそうだ、と応えが一つ。それは朧と同じ年頃の少女の発したものであった。
「隼人だってこっちの世界にいたんだ。自分がこうなることくらい覚悟は出来てたはず」
 少女――輝血(ia5431)は冷然たる声で続けた。
 彼女の名、即ち輝血はある忍び一族の長が受け継ぐものであり、その名を継いだ時からすでに輝血は感情を捨てている。その証は蛇の刺青となって背で牙をむいていた。
 何に――蛇が牙をむけているのは偽りに満ちた世の全てに対してだ。輝血にとって己の操、さらには命すらも仮初のものにしかすぎない。
 ただ戦う。人形のように。冷たく、空虚に。それがシノビであり、温もりなど求めてはいけない。この裏切りの荒野の只中では。だけど――
「依頼はまだ続いてる。やつらを片付ける理由なんてそれだけで十分だ」
 輝血は軋るような声を発した。薄汚れた世界に見つけたたった一つの真実を踏みにじった夜叉を皆殺しにするつもりであった。
 この場合、朧はふふ、と微笑った。何を考えているかわからぬところのある少女だ。朧はいった。
「討ち漏らした責は確かにありますし、最後の依頼、何とか果たすと致しましょう」

 さらに三人の開拓者が去り、後には数名の開拓者が残された。
 亘夕凪(ia8154)、藤丸(ib3128)、蒔司(ib3233)、桂杏(ib4111)の四人である。
 と――
 ぼそりと藤丸が声をもらした。
「託してくれたんだ。‥‥信じてくれた隼人に応えなくちゃ」
 声を途切れさせる。柴犬の神威人である藤丸はいつもころころと快活であるのだが、さすがにこの時ばかりは元気がなかった。
「そうやな」
 肯いたのは赤銅色の肌の、精悍な風貌の男。、黒獅子の神威人、蒔司である。
「開拓者になりたいと、彼はいうた。復讐しかなかった隼人が、紛れもなく明日を見て歩き出そうとしよったんや。が、溢れた水が器に返ることもない。ならばせめて隼人の願いは叶えてやりたい。力を尽くすと約束したきに」
 蒔司は、身体に刻まれた無数の傷痕のひとつに触れた。その一つ一つに昏い痛みがある。
 が、蒔司は昏い世界から光満ちた場所に歩み出ることができた。それは彼のいと小さき命にも価値があると知らされたからである。
 隼人もそれを知った。いや、その真実を掴みかけた。それを夜叉一族は無残にも――
 蒔司の肉体が膨れ上がった。憤怒の内圧のためである。ぎちぎちと筋肉が音をたてる。
「私には」
 ふっと声をあげたのは、髪を短くしているためでもあるまいが、地味な印象の娘であった。桂杏である。
 桂杏は苦渋に満ちた声音で、わからない、と続けた。
「身を隠し、然るべき時を待つよう諌めたのは正しいことだったのか。あの時、共に戦う道を選んでいたらあるいは」
「もしもは、もしも、さ」
 壁に背を預けていた女が口を開いた。それほど大柄でもないのに。妙にどっしりとした重量感がある。それは人の厚みというものか――夕凪である。
「今更悔やんでもしようがない」
 さばさばとした口調で告げる。愕然とした様子で藤丸は夕凪を見た。
 八人の開拓者中、夕凪が最も隼人を可愛がっていた。まるで弟のように。また隼人も心の内で夕凪に姉の面影を重ねていたような節もある。だからこそ夕凪に鴉一族の里の場所を教えたのであろう。それなのに何故夕凪はこうも冷たく――
 夕凪の瞳を覗いた時、藤丸ははっと息をのんだ。そこは血の坩堝であった。かつて藤丸は、これほどの怒りと憎悪に満ちた眼を見たことがなかった。
 夕凪は足を踏み出した。
「いこうか。まずは神楽に巣食う溝鼠退治だ」


 すでに陽はかたむいていた。灯華の姿は、裏路地に面した酒場のならぶ一角にあった。
 ここに至る前、灯華は隼人の身体を調べていた。すると一枚の紙片が見つかった。そこには七人の名が記されており、そのうちの四つの名が消されていた。
 消されていたのは百足丸、血頭、吉川勘助、陣内。残っているのは牛頭丸、馬頭丸、海老坂典善であった。
 灯華は一軒の居酒屋に足を踏み入れた。そこは鴉一族の情報を与えてくれた男のいたところである。
 灯華は居酒屋を見回した。が、男の姿は見えない。
 仕方なく灯華は酔客の一人に声をかけた。
「ねえ、面白い話があるんだけど」
 妖しく笑い、わざと大きな声をあげた。
「知ってる? 夜叉衆の馬頭丸ってシノビが夜道で女の子を襲ったらしいんだけど、返り討ちにあって寝込んでるらしいわよ」
「ほう」
 酔客がけたけたと笑った。灯華は続けて、
「で、その夜叉衆のお偉いさんも鴉のなんとかってガキの暗殺に失敗したそうよ。近々、夜叉衆から馬鹿衆に改名するとかしないとか‥‥」
 ふっと灯華は振り向いた。一瞬だが、気配のようなものを感じたのだ。針の先のようなもの。殺気だ。
 が――
 すぐに気配は消えた。後にはただ喧騒とすえた臭いのみ残されていた。

「どうだ、馬頭丸?」
 笠の内から声がした。問うたのは墨染めの衣をまとった雲水だ。
「どうやら隼人のことは知らぬようで」
 答えたのも雲水だ。夜叉一族が一忍、馬頭丸である。
「であろうな」
 雲水が肯いた。笠の内の眼はじっと灯華の消えた居酒屋の入り口に向けられている。
「夜叉一族に対する悪口雑言は先日同様我らを誘き寄せるためのものであろうが」
 ふふ、と雲水は笑った。単純だが、それ故に有効な手段である。
「かまえて乗せられるなよ。しかし」
 笠の内から舌打ちの音が響いた。
「紋蔵めが仕留めたことを確かめてさえいれば、我らがこのような手間をかけずにすんだものを」
「典善殿、隼人とか申すガキ存命のこと、本当でござりましょうか」
 馬頭丸が問うた。
 隼人襲撃の後、直接手をくだした羽黒紋蔵とその配下である六忍は夜叉一族の里へと戻った。残った海老坂典善達三忍はしかし、ある驚くべき情報を耳にする。それは殺したはずの隼人が命を拾ったというものであった。
 それは慎重に開拓者達が流した偽の噂であるが、無論その事実を典善達は知らない。故にその真偽を確かめているところであった。
 典善は背をむけた。
「ゆくぞ。牛頭丸が何か掴んだかもしれぬ」

 わずか後。
 ふふふ、と笑う声は屋根の上からした。老人の発したものである。
「‥‥これで開拓者達は鴉の里にむかうか」
 老人は顔を撫でた。すると――
 少女としかみえぬほど美しい少年の顔が現れた。年の頃は十五ほどか。
 と、その少年の傍らに別の影が現出した。
 こちらも少年。が、老人に化けていた少年と違って腕白小僧のような印象がある。背に巨大な手裏剣を負っていた。
「おめえ、いいかげんにしろよ。目立つなっていわれてんだろうが」
「小次郎、てめえにいわれたかぁねえんだよ」
 美しい少年が鼻を鳴らした。すると小次郎と呼ばれた少年はニヤリとして、
「灯華って娘に惚れたか」
「馬鹿。俺は年上には興味はねえよ」
 少年は再び顔をなでた。顔は老人のそれへと戻っている。
「俺はしばらく姿を消すぜ」


 夜道を二つの人影が歩んでいた。
 一人は少女だ。狩衣に巫女袴といういでたちからして巫女であろうか。
 もう一人は少年のようであった。ようであるというのは、顔が見えないからで。
 少年は黒猫の面をかぶっていた。身体のところどころに包帯を巻きつけているところからみて怪我人ででもあろうか。
「大丈夫、隼人さん?」
 少女が労わりの言葉を与えた。朧である。
 少年が頷いた。これは藤丸であった。
 この時、藤丸は隼人のことを思い出していた。それは隼人に扮するために必要であるからからであったが――
 初めて会った時、生意気な奴だと思った。それに陰気な奴だと。快活な藤丸は反射的に嫌いになった。
 が、真実を知るにつれ、その想いは変っていった。
 一族と姉の復讐。そのような重い荷を己は背負ったことがあるか。ない。
 それを隼人は一人背負っていたのだ。それなのに隼人は笑って――
 藤丸は唇を噛み締めた。涙が溢れそうであった。
「隼人の頼みを終わらせるまで泣くな。泣くんじゃない、俺」
 藤丸が呟いた時だ。
 背後に気配がわいた。
 二つ。牛頭丸と馬頭丸であった。朧は牛頭丸の顔のみ見覚えがある。
「娘」
 牛頭丸が口を開いた。
「貴様、開拓者だな。となれば‥‥小僧、顔を見せろ」
「隼人!」
 朧が促し、藤丸が走り出した。二人の夜叉シノビが追う。
「‥‥動いたな」
 木陰にわいた声。輝血のものだ。
 牛頭丸と馬頭丸は隼人襲撃の現場に潜みんでいた。そして朧と藤丸の後をつけていたのであったが、さらにその後を彼女は尾行していたのであった。
 輝血は夜叉二忍を襲おうとし――はじかれたように横に跳ね飛んだ。振り返り、身構える。背後に一人の男が立っていた。
「ほう。俺の気配に気づいたか」
 男が笑った。海老坂典善である。
 愕然として輝血は忍刀をかまえた。
 超越聴覚を働かせていたのだが、典善の気配を捉えることはかなわなかった。では典善の実力は――
「むだだ」
 典善の笑みがさらに深くなった。嘲りの色を添えて。すでに印を結び終えた手には紫電がからみついている。
「うぬでは俺に勝てぬ。うぬはここで死ぬのだ」
「死ぬのは」
 声とともに影が跳ねた。反射的に典善が振り返る。その眼前に舞い上がった不吉な魔鳥のような黒影は――おお、空だ。
「貴様だ!」
「ぬかせ!」
 絶叫がふたつ。同時に空の忍刀が唸りをあげて疾った。典善の手からは雷光煌く手裏剣が。
 空の忍刀が典善の胴を薙ぐ。その瞬間、鋭い痛みが彼の胸を襲った。典善の放った雷火手裏剣が空の胸に炸裂したのだ。
 腹を手で押さえて典善が飛び退った。その背にぴたりと張り付く殺気の塊がある。
「貴様!」
 呻く典善は見た。背後に光る北の星のように冷たい眼を。
「お前の真実を見せてみろ」
 輝血は凍てついた刃を、深く典善の首の付け根に刺し入れた。


 藤丸と朧が逃げる。二人の衣服はところどころ破れ、血に染まっていた。夜叉二忍の放つ手裏剣によるものだ。朧の神風恩寵なくばとうに二人は倒れていただろう。
 それよりもシノビの追跡をよく二人は逃れ続けた――のではない。夜叉二忍がわざと二人を逃していたのであった。
 理由は一つ。追うのが楽しかったからだ。鼠を甚振る猫の残虐性である。
 が、そろそろ潮時であった。嬲るのにも飽きた。
「小鼠ども、どこまで逃げるつもりだ?」
 馬頭丸がせせら笑った。
 その瞬間だ。ぴたりと藤丸は足をとめた。
「ここまでだ」
 振り返りざま、藤丸は手裏剣を放った。雷に撃たれたかのように二人の夜叉シノビが横に飛び離れる。その間を冷たい銀光が流れ過ぎた。
「ふふふ。窮鼠、猫を噛む、か」
 牛頭丸がニヤリとした。
 刹那だ。牛頭丸の背後に灼熱の気配がわいた。
 慌てて牛頭丸は振り返った。遅い。すでに殺気の主――桂杏はその殺気を針のように研ぎ澄まされた刃に込めている。
「逃がさない。もう一人たりとて」
 桂杏の相貌がつりあがった。それは菩薩の顔であったか、はたまた鬼相か。
 咄嗟に牛頭丸は腕で首を庇った。桂杏の刃はその皮を、肉を貫いた。それでもとまらぬ刃は牛頭丸の首を刺した。が、浅い。
 どす黒い血をしぶかせ、牛頭丸が飛び退った。一気に十数メートルの距離を。
 その時、疾風の速度で何かが地を馳せた。常人には視認不可能なそれを、シノビである牛頭丸のみは見とめている。それは満身傷痕だらけの男であった。
「嗚呼、隼人」
 飛び散る血飛沫を浴びつつ、傷痕だらけの男――蒔司は叫んだ。
「敵を緋色に染め上げ、自らもまた朱に染まる絶望。お前はそうでない道を選べた筈なのに」
「何を――」
 ほざく、という牛頭丸の絶叫ごと、蒔司が斬り下げた。その腹に刃を差し込まれつつ。そして、吼えた。
「生きるお前を見守っていたかった!」
「ぬおっ」
 獣のような呻きをあげて、牛頭丸は悶絶した。

 牛頭丸が殺気に振り返った時、馬頭丸は前に跳んでいた。彼もまた背に吹きつける、これは凍てつくような殺気を感得した故である。
 地に降り立つなり、身をひねりざま、再び馬頭丸は地を蹴った。数メートルの距離を軽々と飛翔し、殺気の主に襲いかかる。
「はっは。それで奇襲をかけたつもりか」
 馬頭丸が殺気の主の腹に刃をぶち込んだ。馬頭丸の口がニンマリと歪み――次の瞬間、その笑みが凍りついた。殺気の主の手が馬頭丸のそれをがっしと掴んだからである。
「‥気にいってたんだよ。背負う物がなけりゃ少年らしく生きられた、あの子をね」
 夕凪の手の中で馬頭丸のそれがミシリと音をたてた。
「これだけかい、あんたが与えられる痛みは? 隼人の苦しみはこんなものじゃなかったはず」
 夕凪は右手に力を込めた。すでにらその手に握られた刀の刃は馬頭丸の胴に凝されている。
「その笑顔を奪った代償を‥払わさずに治まるかい」
 夕凪は斬り払った。


 七人の開拓者は陰穀にむかった。目指すは鴉一族の里である。
 が、七人の開拓者はその場において愕然とする。鴉一族の里には夜叉一族がいたのであった。
 七人の開拓者はやむなく鴉一族の里を後にした。生き残り救出のための準備をしていなかったからである。
「悪いね。ちと待たせるが‥必ず辿りつくからね」
 夕凪は振り返った。黄昏の光に濡れて、鴉一族の里は血の色に染まって見えた。