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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 闇の中、光が揺れている。 提灯の灯り。手にしているのは初老の男であった。 名は樫村喜左衛門。北面の若き候王である芹内王に仕える重臣の一人である。 と―― 物陰からするりと人影が忍び出た。笠をかぶっているために顔は見えない。喜左衛門を追って歩み出す。 芹内王に仕えるだけあって喜左衛門は手練れであった。その喜左衛門に気づかれることなく尾行する笠の人物の手練はいかなるものか。 さらに数歩足を運び、突如笠の人物は足をとめた。 闇が凍りついている。凄愴の殺気によるものだ。いや、妖気といった方がよいか。 刹那、悲鳴に似た音が響いた。 風の唸りであるが、漆黒の殺気が滲んでいると判じた瞬間、笠の人物は跳び退った。が、遅い。 ぼとり、と笠の人物の腕が地に落ちた。しぶく鮮血は一息二息後。さらに灼熱の激痛が笠の人物の肩にはしったのはもう二息ほどの後のことであった。 「馬鹿な」 笠の内から愕然たる呻きが発せられた。 風の中に何かいる。そうは察せられても、その正体を見とめることはかなわなかったのだ。 再び死の冷たさの滲む風が唸りをあげた。すでに利き腕を失った笠の人物は、それでも逆手で刀を抜き払った。心中、絶望の雄叫びを発しつつ。 戛然! 鋼の相搏つ響きが闇に木霊し、雷火のような火花が散った。その火花に、一瞬蒼く浮かびあがったのは凄絶に美しい相貌だ。夜が氷結したかのように。 刀を鞘におさめると、その男は倒れた笠の人物を見下ろした。すでに殺気は消え去っている。 「貴殿は‥‥もしや村雨主水殿‥‥か」 笠の内から切れ切れの声が問うた。こたえの代わりに村雨主水かと問われた男が肯いた。 「助かった」 笠の内の越えに喜色が滲んだ。 村雨主水は北面の首斬り役人で、恐るべき使い手だ。そうでなければ芹内王が首斬り役を任せるはずがない。その主水に助けられたのは、今宵、笠の人物にとって最高の幸運であった。 「俺は‥‥もうだめだ。お報せしてはくれまいか。芹内王に」 笠の人物の震える指がのびた。 ● 「橋本雄之進が死んだか」 重い溜息とともに呟いたのは落ち着いた物腰の男であった。歳は四十半ばほどあろうか。 芹内禅之正。北面を纏め上げる芹内王である。 「偶然とはいえ、おぬしが通りかかってくれて助かった。のう主水」 芹内王は氷で造り上げたかのような冷然たる美貌に眼をむけた。主水は無言のまま芹内王を見返している。芹内王も無口であるが、主水はさらに口数が少なかった。 ふっ、と芹内王の口辺に微笑が刻まれた。彼は村雨主水の剣士としての技量と人物を認めていたからだ。どことなく自分と似ていると感じていたからかもしれない。 「樫村喜左衛門の様子がおかしいと聞き、ひそかに橋本雄之進に調べさせておったのだが。‥‥橋本雄之進を殺したのがアヤカシであるというのは確かか」 「鬼のようでありました。両の腕が刃と化した」 「樫村喜左衛門と関係があると思うか」 「さて」 主水はかすかに首を捻った。 「私には」 「わからぬか。ならばおぬしが調べてはくれまいか」 主水の顔を窺うように芹内王は見た。 樫村喜左衛門は重臣である。名誉のためにも表立って調べることもできぬ。また確たる証もなく詰問したとて正直にはこたえまい。もし何かあるとして、だ。 「開拓者」 主水はいった。 「志士を使えば噂も立つかもしれませぬ。が、彼らなら」 「わかった。では主水、お前にすべて任せよう。調べてくれ。樫村喜左衛門が夜毎どこに通っているか。また、そこで誰と会っているか。さらには橋本雄之進を殺害したアヤカシと関わりがあるのかどうか」 芹内王は命じた。 |
■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072)
25歳・女・陰
赤銅(ia0321)
41歳・男・サ
志藤 久遠(ia0597)
26歳・女・志
狐火(ib0233)
22歳・男・シ
フィン・ファルスト(ib0979)
19歳・女・騎
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
ユーディット(ib5742)
18歳・女・騎
宍戸・鈴華(ib6400)
10歳・女・サ |
■リプレイ本文 ● 仁生。 北面国の都である。 その仁生のほぼ中心に樫村喜左衛門があった。 「鬼の暗躍、か」 物陰から呟く声がもれた。 潜む人影。はだけた胸元から覗く身体は赤銅色で、隆たる筋肉に覆われていることをうかがわせる。さらりと着流しをまとっているだけなのだが、それが実に良く似合う徹頭徹尾漢くさい男。名を赤銅(ia0321)という。 「それだけなら世情なんだろうが、また王に近い所での騒動ってのがなあ」 「また王、ですか」 不審そうに眉をひそめたのは、赤銅と同じく物陰に身を隠した女であった。 十八歳ほど。凛然たる美少女で、存在の奥まで見通すような蒼の瞳が煌いている。これはユーディット(ib5742)といい、赤銅の仲間であり、開拓者であった。 ユーデットが眉をひそめたのも無理はない。一国の王にかかわる依頼を、実にユーデットは四度も受けていたからだ。その四度とは東房に君臨する天輪王からの依頼であった。 「鬼、アヤカシ、王の憂鬱。つまらん三題噺だ」 苦く笑うと、赤銅は仕込みの傘を片手に、樫村邸から裏道に視線を転じた。通行人の様子を探る。 これは極秘の依頼であった。樫村喜左衛門のみならず、他の誰にも開拓者の潜伏を悟られるわけにはいかなかった。 ユーデットもまた樫村邸から眼を離さない。失敗はおかしたくなかった。無論、騎士としての誇りのためだ。 さらに理由はもう一つ。実利、である。 ユーデットは帝国貴族、ジュノー家の娘であった。が、ジュノー家は零落して久しく、ユーデットはその腕のみで家族を支えているのであった。だから金が、いる。依頼を果たし、依頼料を得、優秀なる弟の未来を切り開いてやらねばならなかった。 「内偵中の志士が殺害されているので黒は確定でしょう。問題は樫村氏が操られているのか、それともアヤカシが成り代わっているのか」 「操られているのなら救いはあるんだがな」 赤銅は暗鬱な顔で首を振った。 樫村喜左衛門は北面の重臣である。何者か――おそらくはアヤカシであろう――の精神操作を受けているのなら罪は軽い。が、自ら何かを策しているのだとしたら―― 溜息とともに赤銅は眼を上げた。 「表門は桂杏(ib4111)が見張っているはず。桂杏なら一人でも大丈夫だとは思うが」 その桂杏は、樫村邸に出入りする者を見張っていた。髪を短く切りそろえただけの彼女の風貌はやや地味で、あまり目立つことはない。 が、それが桂杏の全てかといえば、違う。敬愛する兄の背を追って踏み込んだ開拓者の道。今では幾多の試練を経て、桂杏の裡の刃は極めて鋭利に研ぎ澄まされつつある。桂杏の恐るべきところは、むしろその内面にあった。 「不審なところはないようですが」 桂杏は考え深げに眼を伏せた。 さすがに北面の重臣であるだけに人の出入りは多い。身形から判断すれば志士であるようだ。 依頼主である村雨主水(iz0173)に問うた内容について、桂杏は思考を巡らせた。 樫村喜左衛門。北面の中枢に位置する重臣の一人であり、芹内王ですら遠慮する人物であるという。異常なほどの対東房強硬派であり、その点、主水は危ういものを感じていたようだ。 「東房を憎む男、か」 何かが桂杏の脳裏で閃いた。 ● 「村雨主水?」 立ち止まり、一人の少女が首を傾げた。明るい瞳の、いかにも天真爛漫といった風情の少女。騎士のフィン・ファルスト(ib0979)だ。 「もしかして翔さんがいってた人かな?」 今になって思い出した。村雨主水のことを。 翔とは天草翔のことで、若年にして北面の首斬り役をつとめていた剣の天才である。その翔と以前にフィンは依頼で同行したことがあり、その際に村雨主水のことを口にしたことがあったのだ。化け物級に強い奴だと。 「ふーん、強い人なんだなあ」 フィンは素直に感心した。そして周囲を見回した。橋本雄之進が殺害された現場である。 「あっ」 フィンがある人物に眼をとめた。鮮やかな蒼の髪の、二十代半ばほどの美しい娘である。都人の形をしているが、立ち姿は勇ましく、豹のように俊敏そうで、あまり上手く扮装しているとはいえなかった。 「久遠さん」 フィンが娘――志藤久遠(ia0597)に駆け寄っていった。ちらと久遠が表情のない眼をむける。 「フィン殿もここに?」 フィンは肯くと、 「何か情報は得られましたか」 「まだ」 久遠は首を振った。 この辺りは商家が立ち並んでおり、店が閉まった夜ともなれば人通りは絶える。目撃者がいた可能性は低い。 久遠は油断なく周囲の気配を探った。 「敵も開拓者を警戒している可能性はあるが、萎縮していても仕方ありませんからね」 冷然と告げた。内心の焦りを押し隠して。 久遠は志士であった。その志士たるを隠して志士を探る。もどかしい限りであった。 「そうですね」 瞳を輝かせてフィンは小間物屋らしい店に飛び込んだ。 突き進む。それがフィンの美徳の第一である。 土産物を物色するふりをし、旅の者としてフィンは問うた。橋本雄之進殺害の一件を。 すると店主らしい女が身を震わせ、何も知らない、とこたえた。 「近頃仁生も物騒になったと知り合いの店主とも話してるんですよ」 最後に女は何事か呟いた。 陽天琥貴神珀。 それは、そう聞こえた。 ● 「まあ、綺麗」 簪を、それから行商人の顔を見つめ、娘は陶然とした。簪に見惚れているのか、それとも行商人の若者に見惚れているかよくわからない。おそらく――若者だ。 それほどに若者は美麗であった。すっと通った高い鼻梁といい、彫の深い顔立ちといい、まるで異国人のようである。狐火(ib0233)であった。 当初、狐火は樫村邸の隣家などに入り込むべく働きかけていた。が、そこは北面の重臣の屋敷が立ち並んでおり、行商人が立ち入ることなどできなかった。 その時である。偶然狐火は樫村邸に入る商人らしき男を見出した。後を尾行すると、その商人は樫村家出入りの酒屋であることがわかった。そこで狐火は下働きの娘に声をかけたというわけであるが―― 「それはそうと」 ちらりと狐火は娘を上目遣いで見た。 「これほどの大店ともなると、北面重臣の方々のお屋敷にも出入りなさっているのではありませんか」 「紹介してあげてもいいわよ」 声がした。四十をすぎた年増女である。 「けれど、それには条件がある」 年増女――酒屋の女将はぬめりと濡れた舌で唇を舐めた。 ● 夕刻の頃である。 黄金色の光に染まる道をフィンは急いでいた。樫村邸での見張りに加わるためである。 と―― 突然、フィンが後方に跳んだ。ひやりとする殺気を感得した故である。 フィンの足が地に着いた時、彼女の胸元に朱の線がはしった。 刃を抜きうったのは前から歩いてきた剣士であった。笠のために顔はわからない。 反射的にフィンは練力を丹田にためた。気をぶつけ点火。一気に放出する。 強大な闘気、いや鬼気がフィンの身体から立ち上った。空間がミシリと軋む。 刹那、笠の剣士が動いた。フィンもまた。 フィンの槍が深々と笠の剣士の腹を貫いた。笠の剣士がかわした様子はない。フィンの槍をかわすことは不可能と咄嗟に判断した剣士は、自ら槍を受けたのであった。のみならず剣士はさらに身を進めた。 瞬間、フィンは槍を手放し、跳び退った。が、遅い、笠の剣士の剣が唸り、フィンを袈裟に斬り下げた。 ● 一人の少女が足をとめたのは、もはや蒼黒い闇の頃であった。 その少女は――異様な身形をしていた。野性味をおびた相貌は男のようだが、それなりに可愛らしい。それよりも得物である。背丈の、およそ二倍はあろうかという矛を肩に担いでいた。 「オ前、カ。アヤカシ、ト戦イタイト望ム、サムライ、トハ」 闇の中から声がした。少女が振り向く。 「そうだ。ボクの名は宍戸鈴華(ib6400)。強い者と戦い、そしてそれが悪い奴なら退治することを望みとする者だ」 こたえながら、鈴華の口元がやや綻んだ。 今日一日、鈴華は仁生のあちらこちらでアヤカシを追っているとの内容をふれてまわった。それは小難しいことが苦手である彼女なりの調査方法であったのだが。案の定、何者かが接触してきた。 「何か知っているのか。そのアヤカシについて」 「知ッテイル、トモ。俺ガ、ソノ、アヤカシ、ナノダカラナ」 「何っ!?」 雷に撃たれたかのように鈴華が跳び退った。そして張翼徳と名づけられた蛇矛を軽々とかまえる。信じられぬ膂力であった。 「でたな、アヤカシ!」 刹那、鈴華の腕がビキッと異音を発し、膨れ上がった。筋肉そのものの容量が増したのである。 「どんな奴が来たって、ボクがぶっ飛ばしてやる!」 鈴華は叫んだ。が、本心ではない。野生児ならではの直感で、鈴華は察している。アヤカシと独りで戦うことの無謀さを。 「ヤレル、カ」 声とともに何かが疾った。それが風であると気づくと同時に、鈴華の頬に痛みがはしった。つつうと鮮血が滴り落ちる。 これが村雨主水のいっていたアヤカシか。 鈴華は心中に呻いた。 彼女の周囲を取り巻くように疾風が渦巻いている。その中に、鈴華は異様な気配――いわば妖気のようなものを感じ取っていた。が、姿は見えない。 この場合、鈴華はむしろ前に出た。自身の戦闘勘の命じるまま。 白光は月輪を描いた。おおん、という苦悶の雄叫びはアヤカシの発したものである。 ぽとりとアヤカシの腕が落ちた。それは刃そのものであった。 かかったな、アヤカシめ。 背から鮮血をしぶかせながら、鈴華が倒れた。逃走するアヤカシを眼で追いつつ。 前に出たのは鈴華の策であった。逃走すると見せかけ、アヤカシを誘い込んだのである。間合いは矛の方が圧倒的に遠いのがつけめであった。 闇に鈴華の血笑が滲んだ。 ● 襖ががらりと開いた。行灯の灯りだけが闇を溶かす部屋の中には一組の布団が敷かれている。 「これは」 久遠は言葉を失った。このような場所で何をするか、さすがに世事に疎い久遠でもわかる。 「お前がいいだしたんだろ。お偉いさんの醜聞なら閨での寝物語ででも聞いてみたい、てよ」 男が久遠の胸元に視線を這わせた。ゆるめられたそこからは真っ白な乳房の半ばまではみだしている。 男が久遠の胸元を一気にはだけた。桃のような乳房がぷるんと溢れ出る。 「何をする!」 ほとんど反射的に久遠は手を閃かせた。 常人から見れば久遠は超人といっていい。何でたまろう。男は子猫のように吹き飛んだ。 あっ、と思った時は遅かった。男は布団の上で喪神してしまっていた。 「うーん。胸までは我慢すべきであったか」 久遠は悔しげに唇を噛んだ。 ● 同じ夜。 ある居酒屋に二人の男女の姿があった。 一人は浅黒い肌の、はちきれそうな肢体の美女である。二十歳半ばであるが、しっとりとした艶やかは若年とは思えない。 北條黯羽(ia0072)。開拓者である。 一方の男は夜がそのまま凍結したかのような美青年であった。そのあまりの美しさに居酒屋内の女、いや男ですら忘我として見つめている。 北面首斬り役、村雨主水であった。 「だめでしょ」 女将が小さな女の子を叱った。黯羽にじゃれついているからである。 その女の子と黯羽は昼間出会った。どこが気に入ったのか、女の子は黯羽に懐いてしまったのである。その女の子の母親が居酒屋の女将であった。 「かまやしねぇよ」 黯羽はニヤリとすると、 「それよりもさ、訊きてえことがあるんだ。ま、こっちへ」 女将を呼んだ。 女将は一瞬躊躇った。それが羞恥の故であることは頬に散った紅でわかった。 黯羽は苦笑した。主水の美貌があれば大抵の女の口は軽くなると踏んだのだが、効果は覿面であるようだ。 女将にむかって黯羽は問うた。 「最近、夜間なのに妙に人が集まる場所が出来ていたりしねぇかな」 「それは」 女将はちらと主水の顔を窺った。主水の歓心を買いたくて仕方ないようだ。 「もしかすると天陽様のことかもしれない」 「天陽様?」 黯羽の眼がきらりと光った。 居酒屋を後にし、黯羽は墨を流したような暗い街路を歩き出した。 ちら、と傍らの主水を見遣る。見れば見るほどいい男だった。 黯羽は皮肉に笑った。 「俺も旦那がいなけりゃあ、どうなっていたことか」 刹那だ。ぴたり、と主水が足をとめた。 「殺気だ」 「何!?」 慌てて黯羽は振り返った。さすがの彼女にしても殺気などは感じ取れない。が、主水がいうのだ。間違いはなかろう。 黯羽は駆け出した。居酒屋の裏にむかう。 「あっ」 黯羽の口からひび割れた声がもれた。 薄暗い居酒屋の裏。女将が血まみれで倒れている。 「しまった」 黯羽が周囲に視線をはしらせた。が、もはや何者の姿も見えなかった。 ● 闇に沈む樫村邸の裏門が開いた。現れたのは一人。提灯に浮かぶ顔は樫村喜左衛門のものであった。 ややあって闇からすうと浮かび上がる者達があった。いうまでもなく開拓者達だ。 「東房においても王の近くに敵の影があった。そして今回は北面の重臣。さて、単なる偶然か」 呟いたのは狐火だ。酒屋の女将の誘いをとりあえず断り、この場に駆けつけたのだった。 気配を消し、狐火は樫村喜左衛門を追った。距離を開け、その足音を。 どれほど時が経ったか―― 狐火の動きがとまった。彼の超常の聴覚が迫る異音を捉えたのである。 風音。 そう判じた時、狐火は印を組んだ。その姿が闇に溶け――いや、闇から鮮血が噴いた。 「くっ」 闇から狐火の呻きがもれた。地を濡らしたのは滴る鮮血である。胸を大きく切り裂かれていた。 それでも致命の一点をかわしえたのは狐火なればこそであった。さらに一瞬だが垣間見た敵――鬼は片腕であった。それが狐火に味方した。 その時、再び鬼の刃の腕が閃くのを狐火は見た。もはや狐火にはその一撃をかわす余力はない。 が―― 鬼の腕がはじかれた。地を抉りつつ疾った衝撃波によって。 「これ以上はさせねえ!」 偃月刀を逆袈裟に薙ぎ上げた姿勢のまま赤銅が叫んだ。 「かっ」 鬼が吼えた。再び疾風に乗る。いや―― 鬼の胸から刃が突き出た。その背のむこうに輝く影は――ユーデット! 「今です!」 「おおっ!」 空に飛んだ赤銅が、一気に鬼を斬り下げた。 ● 豪壮な屋敷の前で樫村喜左衛門は立ち止まった。周囲を見回す。と―― 戸が開いた。吸い込まれるように樫村喜左衛門が姿を消す。戸が静かに閉まった。 そして幾許か。 屋敷からやや離れた木の背後から人影が滑り出た。桂杏である。 二重の尾行。それこそが開拓者の秘策であったのだ。 「なるほど。ここが鬼の棲み処ですか」 桂杏が呟いた。その響きが消えぬうち、彼女の姿は再び闇に隠れた。 |