|
■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 闇に血飛沫が散った。 黒影は朱に染まりながら、倒れた娘を見下ろした。何の感情もない、それは硬玉のような眼であった。 「これで最後か。――金は?」 黒影が振り返ると、別の黒影が肩に担いでいた箱を下した。どしりと畳が軋む。 「ここに。見込みどおり、かなり溜め込んでおりました」 「ふふん。盗人働きなど所詮は余技だが。まあ、よかろう。夜叉の里の土地は痩せておる。金はあっても困るものであるまい」 血の海を見回してから、黒影は闇に中に姿を溶け込ませた。 ● 蒼い闇が、やがて漆黒の闇へと変わった。 開拓者ギルドが閉まるのを確かめてから、その少女は背を返した。 美しい少女だ。いや、少女だったというべきか。その顔は無残に焼け爛れていた。 少女は夜道を音もなく歩き始めた。その足取りは猫族の獣のようにしなやかである。 と―― 通りに面した家屋の屋根から何かが飛んだ。小さな黒影である。 闇に銀光の亀裂が刻まれた。反射的に少女が跳び退る。その面上には糸のような朱の線がはしっていた。 「夜叉の椿、覚悟!」 黒影が叫んだ。月明かりに浮かぶその顔は少女のものである。椿と呼ばれた少女よりも年下で、さらに美しい。が、驚くべきことにその顔もまた焼け爛れていた。 「何だ、お前は!」 椿が忍者刀を抜き払った。眼を眇め――はっとして瞠目した。椿はその少女の顔を見知っていたのである。 「お前――千鶴か!」 「そうだ!」 「ふふん」 椿が嘲笑った。 「のこのこ一人で出て来るとは。もう開拓者を雇うことはやめたのか」 「私は‥‥誰の手も借りない。一人だ!」 千鶴の手から手裏剣が飛んだ。が、椿はなんなくその手裏剣をかわしてのけた。 「馬鹿が」 今度は椿の手から手裏剣が飛んだ。かろうじて千鶴が避ける。それは開拓者より仕込まれた手練の故であった。 「やるな。だが」 椿が素早く印を組んだ。 次の瞬間だ。千鶴の足元の影から針が噴出し、千鶴の足を貫いた。たまらず千鶴が膝をつく。 「鴉のシノビが夜叉シノビに喧嘩を売るなんて百年早いわ」 ニンマリすると、椿は千鶴の顔面に蹴りをぶち込んだ。 ● 男は血にまみれた棒をおろした。ちらと見上げた視線の先、吊るされた少女の姿がある。 千鶴である。半裸にむかれ、全身から血を滴らせていた。 男はいった。 「吐け。他の鴉一族の生き残りはどこにいる?」 「し、知らない」 千鶴の破れた唇が動いた。 「知らぬはずがなかろう」 男が棒を振り上げた。 「待て」 部屋の隅に凝った闇の中から声がした。 「それ以上はならぬ。殺してしまっては元も子もない」 「では、このまま捨て置かれるのですか」 「いいや。下手に鴉一族の生き残りに動かれは困る。今のうちに始末するに如かず。そのためにはこの娘の口を何としても割らねばならぬのだが。――鉄牛」 「おお」 のそりと小太りの男が動いた。あつぼったい唇からは涎が滴り落ちている。 闇の中から含み笑う声が流れ出た。 「女を責めるに鞭打つだけとは芸があるまい。のお、鉄牛」 「おお」 鉄牛の口を割って濡れた舌がのびた。それは千鶴の半裸の胸をぬめりと舐め上げた。 ● 「夜叉の椿と千鶴という娘が戦っておっての。それで負けた千鶴を夜叉の椿とやらが連れ去っていきおった。ただの喧嘩ならよいが。‥‥気になるので調べてくれんか」 開拓者ギルドを訪れた老人は告げた。 肯いたギルドの者が依頼書から顔を上げた。すでに老人の姿はない。ただ卓の上に金がおかれていた。 |
■参加者一覧
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
亘 夕凪(ia8154)
28歳・女・シ
グリムバルド(ib0608)
18歳・男・騎
レイス(ib1763)
18歳・男・泰
藤丸(ib3128)
10歳・男・シ
蒔司(ib3233)
33歳・男・シ
カルロス・ヴァザーリ(ib3473)
42歳・男・サ
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ● 「…無茶な事を」 秋の陽光を受けた女の顔には暗澹たる色が滲んでいた。立ち居振る舞いに独特の艶と落ち着きがある。名を亘夕凪(ia8154)といった。 その夕凪の手には依頼書が握られている。内容から推測できることは一つだ。 千鶴は自ら夜叉の椿に仕掛けた。そして椿に倒され、連れ去られた。 「そういうこったろうな」 溜息をもらした顔の右半分を覆う眼帯をつけた若者だ。名はグリムバルド(ib0608)といい、いつもはその若い狼めいた顔に飄然たる笑みをうかべているのだが、さすがに今は、ない。 「えらい事になったもんだ。本当に無茶するな、あいつ」 「ああ。姿を消した理由の察しはつくが」 「うむ」 一人の男が肯いた。 三十歳ほどであろうか。赤銅色の肌に無数の傷痕を刻んでいる。剣呑な雰囲気をまとってはいるが、日溜りのような優しい瞳をしていた。名は蒔司(ib3233)。 蒔司は痛ましげに眉をよせると、 「先の一件の時、千鶴が何ぞ誤解をしちょる様子やったのは藤丸(ib3128)から聞いたが」 部屋の片隅にぽつねんと立ち尽くしている少年を見遣った。 犬の耳、円らな瞳。神威人だ。藤丸である。 「ごめん。みんな俺がしくじったせいだ」 藤丸は悄然として項垂れた。 前回の依頼。ともすれば突出しようとする千鶴を諌めるため、藤丸達は一計を案じた。が、それが裏目に出た。千鶴は開拓者、つまりは藤丸を裏切り者と勘違いし、遁走したのであった。 「そんなことはないさ」 夕凪は柔らかく首を振った。が、溜息をつかざるを得ない。皮肉な運命のめぐり合わせにである。 鴉一族の一件にかかわった開拓者中、実は最も彼らのことを案じているのは藤丸であったろう。今にして思えば悔やまれる。千鶴へと辿られぬために極力接触を避けていたことが。もし千鶴が藤丸の人柄を知っていれば―― 「そうそう、なのだ」 美麗な相貌の少年が肯いた。磁器のように白い頬は滑らかで、まるで少女のようだ。 叢雲怜(ib5488)という名のその少年、蒼紅の妖しい瞳に屈託のない光をうかべると、 「立ち止まって迷っていてもしようがないのだぜ。こうしている間にも千鶴の身には危険が迫っているのだぜ」 「確かにそうだ」 男が口を開いた。 悪相というのだろうか。ごつごつした面相をしている。が、そのくせ妙に人を魅了するものをもっていた。 名を大蔵南洋(ia1246)というその男は開拓者達を見回すと、 「考えるべきはこれからのこと。忍び宿かどこか、ともかく夜叉の息がかかった場所に千鶴が連れていかれたと考えるのが自然だろう。なんといっても娘二人が普段着で旅路につくのは目立つからな」 「問題は、その場所ですね」 冷然たる声。発したのはグリムバルドと同じ年頃に見える少年であった。 が、印象はまるで違う。レイス(ib1763)という名のその少年はグリムバルドと違って、華奢で可憐であった。 とはいえ、レイスには弱弱しいところはまるでない。細く研ぎ澄まされた針のような物騒な雰囲気があった。暗殺者の針のように。 「考えられるのは」 南洋が腕を組んだ。 「娘一人増えようが減ろうが誰も気にしない場所、となればやはり悪所ということになろうか」 「春夜楼」 くく、可笑しそうにと笑ったのは異形の者であった。角と翼を備えている。竜の神威人だ。 カルロス・ヴァザーリ(ib3473)というその男は、虚無そのもののような笑みを他の開拓者達にむけた。 「千鶴が連れ去られた先は、おそらくは春夜楼。女の地獄に、また女が一人落ちたというわけだ」 「いって良いことと悪いことがあるぜ」 グリムバルドがちらりと眼をむけた。その瞳の奥にめらと殺気の炎が燃え上がったように見えたのは気のせいであろうか。 いや、気のせいではない。グリムバルドは怒っていた。 千鶴が顔を焼いたのは誰のせいか。カルロスの仕業である。そのことがあって以来、グリムバルドはカルロスのことが気に入らなかった。 かつてグリムバルドには幼き弟妹がいた。が、その弟妹も死んでしまった。小さき子を見るたび、グリムバルドの胸には弟妹の面影が蘇り、彼の胸をしめつけるのだ。千鶴の時もそうであった。 「何が悪い?」 嘲弄するような眼で、カルロスが見返した。 「わからないのなら教えてやる」 グリムバルドの手が壁にたてかけてあった長槍へとのびた。 と、そのグリムバルドの手を夕凪がおさえた。 「今は仲間内で争っている場合じゃない。時は一刻を争うんだよ」 「その通り。千鶴さんを正気で取り戻したければ急ぐことです」 レイスの声は氷の欠片を含んでいるかのように冷たく、そして鉛のように重く響いた。 ● 七人の開拓者がギルドを出た後、カルロスは裏口から外に出た。 「いるんだろ、葉隠」 「抜け目のない奴だな」 声は上から降ってきた。 屋根の上。老人が座している。が、発せられた声は少年のものであった。 カルロスはニヤリとすると、 「依頼人はやはり貴様か」 「まあな。が、現場を目撃したのは俺じゃねえ。蕎麦屋の爺様だ。爺様はただの喧嘩だと思っていたらしい。だから俺が代わりに依頼を出してやったというわけさ」 「聞かせろ。何故この件にかかわる? 貴様ら葉隠にとって何の得にもなるまいが」 「葉隠一族は損得じゃ動かねえ。が、まあ、これは俺の勝手さ。だから動けるのもこの程度だ。ところでカルロス。お前こそ何故依頼を受ける? 千鶴がどうなろうと知ったことじゃないくせに」 「知ったことさ」 カルロスの口の端がきゅっと吊り上がった。邪悪な笑みだ。カルロスは屋根の上を見上げると、 「復讐の闇に囚われ、人間不信に陥り、夜叉の手に落ちた千鶴。純真無垢な娘が破滅に向かう姿を眺めているのは良い退屈凌ぎではあったが、これで終わりでは呆気ない。もっと楽しませて貰わなければ困る」 「カルロス。てめえは本当に胸糞の悪くなる野郎だな」 老人が吐き捨てた。その響きが消えぬうち、老人の姿が消えた。 あとに残ったカルロスは小さく呟いた。 「胸糞が悪い、か。くく」 カルロスの口から気味の悪い笑い声が流れ出た。 ● 「やられたねえ」 憮然として夕凪は呟いた。 錦屋。夜叉の関係する娘が入り込んでいた商家だ。凶賊の手により一家皆殺しとなり、今は戸をかたく閉ざしている。 夕凪は悔しげにきりりと唇を噛んだ。 基本、開拓者は依頼を受け、依頼目的に沿って動く。そのために今回のように不穏の動きがあるとわかっていても勝手には動けないのだ。もどかしい限りであった。 さらにもどかしいといえば鴉一族生き残りの娘達のことである。知り合いのところに一時的に預けてあるのだが、下手に動けば夜叉を導きかねない。 「金蔵を破られ、女子供まで手にかけているようだ。徹底したやりようじゃないか」 面白げにいってのけたのはカルロスだ。 「が、な。皆殺しというわけではない」 「何だって?」 夕凪は不審げに眉をひそめた。カルロスは平然として、 「娘が一人消えた。身元は良くはわからぬそうだ」 「いいや、なのだぜ」 怜がニカッと笑った。 「近所の子供達がいっていたのだぜ。行方知れずになった娘の姿を以前に見たことがあるって」 「どこだい、それは?」 「法興寺」 「法興寺!」 夕凪の眼がカッと見開かれた。怜は大きく肯くと、 「親に連れられて墓参りにいった時、その娘を見たことがあったらしいのだぜ」 「寺といえば雲水、というわけかい」 「そうなのだぜ」 怜は再びニカッと笑った。 ● 楼港。 いわずと知れた天儀最大の歓楽街である。南洋と蒔司の姿はその只中にあった。 街路に面した店をひやかしつつ、歩む。やがてその足は一軒の廓の前でとまった。 春夜楼。赤い格子のむこうに女達の姿が見える。 ここに至る前、南洋は茶店などで聞き込みを行っていた。そこで彼は有力な情報を得ていた。 件の夜、一人の少女が別の少女を抱きかかえるようにして歩いていたのを目撃されていた。目撃した老婆はもめごとであろうとあまり気にとめなかったらしいのだが。 「良い女がおるのう」 蒔司がゆるりと女達を見渡した。女シノビがまじっているかもしれないが、すぐにはわからない。 内心蒔司は歯軋りした。焦慮の炎がその背を灼いている。 もしかすると千鶴はこの廓の中に囚われているかもしれないのだ。その場合、どのようなめにあわされているか。 シノビのやりくちは、同じシノビである蒔司は承知している。責めるに手段は選ぶまい。レイスがもらした言葉通り、急がねば千鶴は正気を失ってしまうだろう。 馬鹿、と蒔司は叫びたい心境であった。 隼人の願い。それは何より千鶴に生きて欲しいというものだ。 その焦りを押し隠し、蒔司はニタリとすると手を振った。 「また来るきにのう」 ● 茶店から一人の少女が現れた。 半顔を焼け爛らせた少女。椿である。 椿は周囲にちらと視線を走らせてから神楽の都の中心へむかって歩き出した。 ややあってのことだ。今度は娘が現れた。儚げな風情は散る花のように可憐で。夕顔である。 夕顔もまた周囲に視線をくれてから、椿とは反対の方向へむかって歩き出した。と―― 木陰から小さな影が忍び出た。藤丸である。駆け出したいのを必死にこらえているのは、その強張った顔でわかった。 できることなら夕顔をとらえ、千鶴の居所を吐かせたい。そして千鶴を救出し、誤解を解きたい。が、それが無理であることも承知している藤丸であった。 だから今は夕顔の足音を追う。これもまた戦いであった。 その時である。突如足音が途絶えた。 反射的に藤丸もまた足をとめた。それがまずかった。 前回のこともあり、夕顔はいつにも増して警戒していた。藤丸同様時折周囲の気配を探っていたのである。 そして追跡者の心臓の鼓動をとらえた。足音もしないのに。シノビであることは明白であった。 次の瞬間、夕顔の駆ける音を藤丸はとらえた。こうなっては尾行は不可能である。誰が後を走る者を見逃そうか。 「くそっ」 藤丸は地団駄を踏んだ。なまじ業の多彩さが彼を追い詰めた。皮肉な結果である。 仕方なく藤丸は茶店にもどった。するとカルロスの姿が見えた。茶店を張っているらしい。が、遅い。他の場所をまわってきたためだ。 藤丸はカルロスの傍らを通り過ぎざま、ぼそりと告げた。 「もう夕顔は来ないよ。春夜楼にいこう」 ● 春夜楼。 すう、と女が立ち上がった。香苗という名の女郎である。 見下ろした先、畳の上に蒔司が倒れていた。頭の横に杯が転がっている。 「馬鹿な奴。すでに顔がわれていることは承知のはずなのに」 嘲笑い、香苗が背を返した。と―― 香苗の首に腕が巻きついた。一瞬にして首をへし折る。蒔司であった。 「生憎わしには毒は効かんのや」 ● 「レイス」 呼びとめる声。レイスはぴたりと足をとめた。 声の主はグリムバルドであった。物陰に身を潜めている。他にも数人の開拓者の姿があった。 「潜り込めなかったのか」 グリムバルドが問うと、さすがにレイスは悔しげに肯いた。潜入するには、やはり内部からの手引きが必要であったのだ。遊女、もしくは商人に扮することも考えたが、見知らぬ者が内部に入り込めるはずもなかった。 「となると、あの二人に賭けるしかないねえ」 不安と期待を滲ませた眼を、夕凪は春夜楼にむけた。 その時、南洋は肉の海に溺れていた。 彼は当初遥という女郎を指名した。が、すでに客がついているとかで朱里という女が現れたのである。 南洋は蒔司に女郎――香苗をあてがい、自身は朱里と部屋に入った。そして朱里を抱いたのであるが。 朱里は、あのカルロスすら肉欲の海に沈めた女である。なんで初心なところが拭えぬ南洋に耐えられよう。桃色の闇に南洋の意識は消えた。 南洋が喪神したことを確かめ、朱里は裸身のまま立ち上がった。 「あの男――蒔司のことだ――を連れてきたことが運のつき。殺しはせぬが、しばらく眠っておれ」 朱里は薄く笑った。 影のように廊下を進み、蒔司は南洋から聞いていた物置部屋へと忍び入った。 部屋をぐるりと見回す。確かに長持ちなどが置かれているだけで何の変哲もない。 闇の中、蒔司の眼が黄色く光った。夜行性の肉食獣のように。 「ここか」 蒔司は長持ちの蓋を開けた。積まれている着物をどける。探ると底が微かに動いた。隠し戸だ。 窓から折鶴を放ると、蒔司は戸を開けた。階段が下方に続いている。灯りがもれていた。 階段を下り、蒔司は様子を窺った。 部屋の奥、全裸にむかれた千鶴がいた。そして、その全身を一人の男が舐め回している。異様に長い舌で。 それを見るまでが蒔司の我慢の限界であった。一瞬にして間合いを詰めると、蒔司は男の首に投扇刀の刃をぶち込んだ。 「女を責めるしか能のない奴が」 あっけなく死んだ男を見下ろすと、蒔司は冷酷に告げた。そして千鶴の戒めを解いた。どうやら千鶴は正気を失っているようだ。 千鶴の細い身を担ぎ上げると、蒔司は階段を駆け上がった。そして廊下へ。 その時、空を裂いて何かか疾った。針だ。激痛が蒔司の背を貫いた。 「香苗をよくも」 朱里であった。 「腸が煮えくり返っているのはこっちの方や。千鶴は返してもらうきにの」 蒔司が飛んだ。窓をぶち破り、外へ。屋根を転がり落ちた。 「逃がすものか!」 朱里もまた飛んだ。月光をきらりとはねかえしたのは針だ。千鶴を抱きかかえたまま地に叩きつけられた蒔司はとっさに身動きもならない。 「死ねっ!」 朱里が針を放った。蒔司の胸めがけて。 「ぬっ」 呻く声は朱里の口から発せられた。 針は蒔司の胸を貫かなかったのである。針は藤丸の背によって防がれていた。 「もう誰も傷つかせるもんか!」 「ぬかせ!」 朱里が三度針を手にした。刹那―― 銃声が轟き、朱里の額が鮮血を噴いた。 「そこまでなのだぜ」 硝煙のたちのぼる銃を手に、怜が告げた。 「逃さぬぞ」 低い声は声は屋根の上から発せられた。女の姿が二つ見える。 「やめておけ」 応えは地上から。南洋だ。 「ここで刃を交えるのはかまわんが、よいのか。せっかくつくった夜叉の隠れ処が露見するが」 「ううぬ」 二人の女が歯軋りした。まさに南洋の指摘通りである。 グリムバルドは凄絶に笑った。 「いいんだぜ俺は。貴様達をこの場でぶちのめしたくて仕方がないんだから。かかってこいよ」 「くっ」 二人の女が身をのけぞらせた。グリムバルドから放たれる凄愴の鬼気によって。 「ゆくよ。奴らが動けぬうちに」 夕凪が千鶴を抱き上げた。痛ましげに抱きしめる。 「千鶴は私が預かる。もう遠慮はしない。そも隼人から託された大切な幼子。相手が夜又だろうが開拓者だろうが‥此れ以上この子の身を傷つけさせるのは真っ平御免だからね」 夕凪が地を蹴った。他の開拓者もまた。闇の中に駆け込む。 ここに千鶴の奪還は成された。それは夜叉との最後の戦いの幕開けであった。 |