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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 蝋燭の火が灯った。数は七つ。 その光に濡れ、黄色く浮かび上がったのは七つの顔であった。 「開拓者は始末できず、のみか夜叉三忍を失ったか」 御簾のむこうから軋むような声がもれた。憎悪の滲むぞつとするほど冷たい声音。夜叉一族頭領、夜叉骸鬼である。 「見損なったぞ、夜叉の者ども。わずか数人の開拓者のために、手もがれ、足もがれ、残る夜叉シノビは我を含めて八忍」 「申し訳もござりませぬ」 ぎりぎりと口惜しそうに歯を噛んだのは玉虫兵庫という名の夜叉シノビであった。そして御簾に敵愾の炎が燃える眼をむけると、 「今一度機会を。まだ七忍残っておりまする。我らの存亡、意地をかけ、必ずや開拓者どもを根絶やしに」 「やめておけ」 骸鬼のひどく冷淡な声がした。いや、と腰を浮かしかける兵庫を骸鬼はしずめた。 「もはや奇襲は効かぬ。開拓者どもに同じ手は通じぬであろう。とはいえ、奴らはきっと来る。必殺の使者と化して」 「ならば里にて待ち受けるのでございますか」 「いや。里の者、下手に人質とされては手が出せぬようになる」 「では」 「そうじゃ。陰殻、いや夜叉の里に至る街道はひとつ。此度こそは必ずや開拓者どもを仕留めてくれる。いや、開拓者だけではない。鴉一族生き残りの小娘。何で生かしておけようか」 「小娘の始末、お任せを」 顔を上げたのは紋蔵という名の夜叉シノビであった。すると御簾のむこうから返答があった。 「お前は残れ。小娘の始末は他の者にやらせる」 「他の者?」 「乱童」 骸鬼が呼んだ。すると、すうと気配が部屋の片隅にわいた。恐ろしく高圧の気の持ち主だ。 「お前は」 数人の夜叉シノビから驚愕の声があがった。彼らほどのシノビがまったく気配を感知することができなかったからである。さらにいえば、彼らは気配の主である乱童という人物を知っていた。 乱童。 それは名張の抜け忍であった。下忍であったが、その実力は五十三家の上忍にも匹敵するといわれ、抜けることを許さぬ苛烈な名張の追っ手を悉く撃退したことで知られている。 骸鬼が命じた。 「鴉の小娘を殺れ」 「わかった」 乱童の気配が消えた。ややあって骸鬼がいった。 「ゆくぞ、夜叉のものども。生き残るのは夜叉か彼奴らか。血戦じゃ」 ● それは何時のことであったか。 夜叉一族なるシノビ一族が鴉一族の里に攻め入った。生き残ったのは数人の鴉一族である。 その生き残りの中に隼人なる少年がいた。一族の、そして姉の復讐を誓い、隼人は開拓者を雇う。が、その復讐戦の最中、隼人その人は敵の手にかかり、逝ってしまった。 隼人の遺志。それを継いだのは、同じく鴉一族生き残りの千鶴であった。様々な試練を経、開拓者の助力を受け、ついに夜叉一族を追い詰めた千鶴。 「とうとうここまで来た。いや、来れた」 千鶴が振り向いた。そこには開拓者の住まいがある。彼女を匿ってくれている開拓者の住まいが。 残る夜叉は骸鬼を含め、あと八忍。おそらくは次の依頼が最後のものとなるだろう。 千鶴は空を見上げた。蒼空に隼人の面影がある。 「あなたの信じた開拓者。ここまで来れたのは開拓者のおかげ。彼らの力がなかったら、あの強力無比の夜叉一族をここまで追い詰めることはできなかったわ」 高く蒼い空の彼方。隼人の面影に寄り添うように幾つかの顔が見える。開拓者達の顔だ。 気づけばいつも抱きしめてくれている、まるで姉のような女開拓者。 いつもむっつりしているけど、とびっきり優しい開拓者。 何を考えているかわからない、まるで猫のような開拓者。 飄々として、でもたくましい兄のような開拓者。 何か大事なものをしっかりと抱えて戦っている開拓者。 誰よりも隼人を、そしてわたしを気遣ってくれている一途な瞳の開拓者。 全身の傷だけ優しさを胸に秘めている開拓者。 昏く、恐い、そして寂しい開拓者。 綺麗な顔の、楽しいお友達のような開拓者。 そして―― 「最後まで、彼らを信じていいよね」 千鶴が問うた。 その時―― 千鶴は知らなかった。恐るべきシノビが疾風と化して来襲しつつあることに。 「鴉一族の小娘か」 乱童は喜悦の笑みをうかべた。その顔に――いや、露出しているすべての部分に刺青にも似た不気味な紋様が一瞬だけ浮かび上がる。 「上手くすれば開拓者とやらと殺りあうことができるかもしれん。奴らの手並み、見届けておくのも一興か」 びたりと乱童の足がとまった。その眼前、三人の男が立ちはだかっている。身ごなしから察するにシノビであろう。 「よく陰殻に戻れたものだな、乱童」 男の一人が嘲りのこもった声を投げた。男達は名張のシノビであった。 「今度こそ始末してやる」 「やってみろよ、カスが」 乱童がニンマリした。 次の瞬間だ。男達から幾つもの白光が噴出した。手裏剣だ。 不規則な軌道を描いて疾る手裏剣は狙い過たず乱童へ。しかし乱童は身動きひとつしない。にいっと笑う乱童の身に無数の光流が吸い込まれ―― わずか後、乱童は再び陰殻の地を疾走していた。後には三人のシノビの骸が残されていた。 |
■参加者一覧
音有・兵真(ia0221)
21歳・男・泰
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246)
25歳・男・サ
御樹青嵐(ia1669)
23歳・男・陰
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
輝血(ia5431)
18歳・女・シ
亘 夕凪(ia8154)
28歳・女・シ
グリムバルド(ib0608)
18歳・男・騎
レイス(ib1763)
18歳・男・泰
藤丸(ib3128)
10歳・男・シ
蒔司(ib3233)
33歳・男・シ
カルロス・ヴァザーリ(ib3473)
42歳・男・サ
アルフレート(ib4138)
18歳・男・吟
リィムナ・ピサレット(ib5201)
10歳・女・魔
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲 |
■リプレイ本文 ● くしゃり、と柔らかな髪が撫でられた。 大きな温かい手。見下ろす眸もまた温かく、優しい。――グリムバルド(ib0608)である。 「いよいよ最後か」 「あの」 少女は端正な――半顔にはいまだ火傷による傷は残っているのだが――顔をあげた。千鶴である。 グリムバルドは感慨深げに、 「長かったなぁ。色々あった」 「はい」 千鶴は肯いた。そう、本当に色々とあった。が、ついにこの時がきた。夜叉との決着をつけるときが。 「千鶴の為にちゃんと終わらせてみせるぜ」 「あの」 千鶴は縋るような眼でグリムバルドを見返した。 「グリムバルドさんたちにもしものことがあったら」 「まだだ」 力強くいいきったのは神威人の少年であった。 名は藤丸(ib3128)。鳶色の瞳に真摯な光をうかべている。まだだ、と藤丸は繰り返した。 「まだ夜叉は残っている。それじゃ約束を果たしたことにはならないんだ」 「約束?」 「そう。俺達は隼人と約束した。夜叉を斃すって。それに夜叉を斃すという隼人の志は、もう遺志なんかじゃない。俺達の意志でもあるんだ」 「そうや」 木漏れ日のような笑みをうかべて肯いたのは、これも神威人の男であった。藤丸は柴犬であるのだが、この男は黒獅子であるらしい。 男――蒔司(ib3233)は千鶴を兄のような眼で見下ろすと、 「藤丸のいうとおりや。千鶴が気にする必要はなんもない。命をかけるんは、わしらの勝手じゃきに」 「そうそう」 ニッ、と。その少年は綺麗な顔に輝くような笑みを滲ませた。名は叢雲 怜(ib5488)。 「怜……ちゃん」 千鶴が呟くと、怜はさらに笑みを深くした。 「やっと千鶴姉、俺の名前呼んでくれたのだぜ。もうこれで心置きなく戦えるのだぜ」 「怜ちゃん」 たまらなくなって千鶴が声を途切れさせた。 開拓者達が戦ってくれるのは嬉しい。が、それはあまりにも悲愴な決意であった。 残る夜叉は八忍。対する開拓者は九人。数だけでいうならば一人多い。とはいえ亘夕凪(ia8154)と怜は都に残るのである。 「だから俺達がいる」 声がした。 はっとして振り向いた千鶴は見た。涼風に吹かれて佇む五人の男女を。 ● 「音有か。よう来てくれた」 蒔司が声の主に笑いかけた。それは五人中の一人。鍛え抜かれた身体の持ち主で、不敵な笑みをうかべている。名は音有兵真(ia0221)。 「蒔司さんの頼みじゃ断れないからな。で、かなりの手だれが敵と聞いたが」 「ああ。恐ろしい奴らじゃ」 すると、やや垂れ気味の大きな眸の持ち主である十歳くらいの少女が闘志満々の様子でニンマリした。 「そっか。強いのか。面白そうだなー。やっぱ、来てよかった。お手伝いするよ!」 少女――リィムナ・ピサレット(ib5201)は大きな声を張り上げた。 「わたくしもお手伝いさせていただきます。必要な処に手を差し伸べてこそ開拓者ですから」 華奢な娘が会釈した。ヘラルディア(ia0397)という名の巫女であるのだが、その生業にふさわしく蒼の瞳には無限の優しさが滲んでいる。 「そういうことです。が」 濡れたように艶やかな黒髪の若者が開拓者を見渡した。冷厳なその相貌に笑みはない。 御樹青嵐(ia1669)。彼にはわかっているのだ。これほどの顔ぶれが揃っているのに、糸ほどの油断もない。敵はそれほどの相手なのだ。 そして、六人中の一人。アルフレート(ib4138)と名乗った十八歳ほどに見える若者は琵琶の弦をぴいんと弾いた。満足そうに肯く。この若者、吟遊詩人なのである。 「うん。いい音色だ。これなら、やれる」 「へえ」 興味津々といった様子でリィムナがアルフレートの琵琶を覗き込んだ。リィムナもまた吟遊詩人なのである。 「珍しい楽器だね。なんていうの」 「琵琶だ」 アルフレートがこたえる。ふーん、と唸ったリィムナは眼を輝かせた。 そのリィムナの様子を見やり、くすりと小さく笑みをもらしたのはレイス(ib1763)という名の若者であった。 リィムナという名の少女。どこか似ているのである。彼の主である娘と。その元気さにおいて。その強気において。そして何より、そのひたむきさにおいて。 と、その時、レイスは気づいた。離れたところにひつそりと佇む一人の少女の姿に。 そのレイスの視線に気づいたか、少女が会釈した。髪が短く、身軽そうな美少女である。紫の瞳は明るく勝気そうであるが――しかしレイスは気づいていた。その少女の瞳の奥にある、ぞっとするほど凍てついた闇に。 そして、もう一人。少女の存在に気づいていた者があった。秋桜(ia2482)という名のシノビである。 「シノビ……ですか」 秋桜は少女の正体を見抜いた。そして、すうと秋桜は仲間から離れた。 それに気づいたか、気づかなかったか。貫禄といってよいほど落ち着き払った女が促した。夕凪である。 「大蔵さん、そろそろ」 「ああ」 無骨な面構えの漢が肯いた。大蔵南洋(ia1246)である。 「ゆくか。千鶴のこと、頼んだぞ」 南洋がいった。今度は夕凪が肯く番であった。 「任せてもらおうか。皆が心置きなく夜叉の元へ向かえる様、背を護るのが私の役目だからね」 夕凪は千鶴の肩をそっと抱いた。 「戻る皆を千鶴が笑顔で迎える時こそが……総ての片が付く、その時さ。だから」 守る。何としても千鶴を。 まるで本物の姉妹のようだな。 南洋は小さく微笑った。岩のようにごつい笑みだが、不思議と人懐こい微笑である。 南洋はいった。 「ゆくか。血戦の地に」 ● すうと刃がのびた。 「何者ですか」 問う声。秋桜だ。 「またあの名前と対峙することになるなんてね。因果は回るか、どこまでも」 少女が呟いた。秋桜が眉をひそめた。 「因果? この件に関わりがあるようですね」 「ええ。あたしの名は輝血(ia5431)。隼人のことは良く知っている」 輝血と名乗った少女がこたえた。まさに輝血は隼人を知っている。最初の隼人の依頼を受けた開拓者の一人が輝血であったのだから。 「因果は断ち切らなければならない。あたしも約束したんだ、隼人と。その約束は果たす」 輝血は冷然たる語調で告げた。 開拓者、そして千鶴が立ち去った後。 その場にはうっそりと佇む人影が取り残されていた。 くくく。 竜の神威人であるその男、引き締まった肢体をゆらせて昏く、しかし楽しそうに笑った。 「血で血を洗う戦いも、遂に佳境か……」 どこか寂たる翳を笑みににじませて、男は歩き出した。開拓者を追って。 男の名はカルロス・ヴァザーリ(ib3473)といった。 ● ふっ、と千鶴は眼を開いた。身を起こす。 「眠れないのかい」 窓の隙間から外を窺っていた夕凪が顔をむけた。 彼らがいるのは宿屋であった。夜叉対策のために居所を転々と変えているのである。 千鶴は小さく首を横に振った。 「そうだ。千鶴、これを」 夕凪が一振りの刀を差し出した。 名は翠礁。緑色の刀で、細かく小さな翡翠が使われており、美しい斑模様になっている。 「隼人の遺志を以て、おまえを救った一振りだ……護り刀に相応しい」 紙縒りで封をし、夕凪は翠礁を千鶴に手渡した。 「これが、きっとお前を守ってくれる」 「俺も守るのだぜ」 怜がのそのそと起きだしてきた。夕凪が苦笑する。 「叢雲さんまで起きてしまったのかい」 「そうなのだぜ」 眠そうに眼をこすってから、怜は千鶴の顔を覗き込んだ。 「千鶴姉、火傷、かなり良くなったみたいだぜ」 怜がいった。その瞳の奥にちろちろと殺意の炎がゆらめいている。 「その火傷の落とし前、きっちりつけてやるのだぜ」 「待って、怜ちゃん」 千鶴がとめた。そして少し悲しそうに眼を伏せると、 「わたしのこと心配してくれる怜ちゃんの気持ちは嬉しい。でも、もう復讐とかやめにしたいの。だから……ごめんね、怜ちゃん」 「そっか」 怜は屈託なくこくりと肯いた。 「千鶴姉がいいっていうのなら、俺はいいのだぜ。ところで千鶴姉、夜叉を討った後はどうする?」 怜が問うた。すると千鶴は戸惑ったように眼を瞬かせた。復讐が成った後のことなど全く考えていなかったのだ。 「どうだい、千鶴。ひとつ提案があるんだけれど」 夕凪がいった。 「提……案? それはどのような」 「今はまだいえない。それは夜叉を滅ぼした時に、さ」 夕凪が片目を瞑ってみせた。 ● 「ほう」 レイスが眼を見開いた。青嵐の調理の手際に驚いたのである。焚き火にかけられた鍋は青嵐が持参したものであった。 「酒肴をつくることに凝っていましてね」 「ありがたい」 グリムバルドが鍋の具をつまみ、口に放り込んだ。 「店の料理はみんなヘラルディアの解毒の術に頼ってたからなあ」 「まだ油断しちゃだめですよ」 めっ、とグリムバルドを睨みつけ、ついでヘラルディアは鍋にむかって解毒の法を施した。 「こういうのもありますよ」 ヘラルディアが蜜酒と節分豆をとりだした。今度は青嵐が眼を見開いた。彼はうわばみで酒にはめがなかったのである。 焚き火の前にふたつの人影があった。アルフレートとリィムナだ。 静かな時が流れる中、時折リィムナは眼を閉じていた。眠っているのではない。気配を探っているのであった。 若年であるが、このリィムナという少女、実は開拓者中もっとも感知能力が高い。さらには超人的聴力を発揮することもできた。 と、気配を感じ、リィムナは振りむいた。 開拓者だ。南洋、藤丸、そして蒔司であった。 「眠れなくてのぅ」 蒔司が焚き火の前に腰をおろした。 「ねえ」 リィムナが南洋達を見渡した。 「夜叉ってどんな奴らなの? 報告書には眼を通してみたんだけど」 「あいつらは人じゃない」 砂を噛むような声で藤丸がこたえた。 「あいつら……喉笛に食らいついてでもトドメさしてやる」 リィムナとアルフレートは息をひいた。あまりにも激しい藤丸の憎悪の炎に炙られて。 「ともかく油断はせぬことだ」 重々しい声で南洋が告げた。 「藤丸のいうとおり、夜叉一族を人と思ってはならぬ。不倶戴天の敵の敵に変わりがないとはいえ、上位アヤカシの方がまだ会話が成立するかもしれぬ。今更ながらヒトとは恐ろしいものよ」 ごくりとアルフレートが唾を飲み込んだ。 「蒔司。きみもシノビだったんだろう。夜叉とはそれほど陰惨な連中なのかい」 「夜叉だけやない。俺も一緒や」 ぼそりと蒔司はこたえた。そして胸の内で独語する。違うのだ、と。 命の価値は、皆等しいと言う者もいる。だが違うものがある。己自身が嘗てそうであったように、さくり、さくりとただ絶えていくだけのもの。そう導いたのは、自らの生き方だ。最早他の何者とも等価ではないのだ、俺や、夜叉よ、貴様らの命は。 恐らくはこれが憎悪、これが哀切。何と理不尽で、何と身勝手な秤。しかし今や、俺は俺の殺意を以て、貴様らを葬ると決めたのだ。残される恨みも虚しさも、全て持って行っていく為に。 ゆらり、と蒔司は立ち上がった。 ● 「来たのだぜ」 怜が告げた。はじかれたように夕凪が身を起こす。 時は夜。月光が降り注いでいる。 「手筈通り私が前に出る。叢雲さんは千鶴を」 夕凪がいった。その瞬間だ。堂の戸が吹き飛んだ。 もうたる塵煙の彼方に人影が見えた。巨漢だ。 「ずいぶん手こずらせてくれたじゃねえか」 巨漢が笑った。 「俺の名は乱童」 「乱童!?」 夕凪の背をつつうと冷たい汗が流れ落ちた。いまだ剣をあわせぬうち、すでに夕凪は敵の恐るべきことを感得している。 ずい、と乱童が足を踏み出した。 その瞬間、怜が漆黒の銃をかまえた。魔弾という名のマスケット銃だ。 流れるような動きで怜が乱童の額をポイント。トリガーをひく。 「狙い撃つのだぜ!」 銃が火を噴いた。吐き出された弾丸は乱童の額へ―― カン、と。鋼と鋼の相搏つ響きを発して弾丸が弾かれた。衝撃に、わずかに顔を背けさせた乱童がニヤリとした。 「忍法、鎧胴。小僧、良い腕だが、俺には効かねえ」 次の瞬間、乱童の姿が消失した。そうとしか思えほどの迅速の踏み込み。ぬっ、と夕凪の眼前に乱童の姿が現出した。 「ぐっ」 凄まじい衝撃に夕凪の身が後方にとばされた。堂の床を削るようにして滑る。 衝撃の正体は乱童のもつ刃の刺突であった。咄嗟に夕凪は身体を硬質化させて防いだのだが、わずかでも遅れていたらどうなっていたかわからない。 「次は小娘、貴様だ!」 再び乱童の姿が消失した。千鶴に迫る。 「怜ちゃん、逃げて!」 「馬鹿いうなだぜ!」 千鶴に叫び返し、怜が銃をかまえた。が、遅い。乱童の手が銃身をはじいた。 「小娘、終わりだ」 乱童の刃が疾った。千鶴の顔面めがけ―― 疾風のように馳せた人影の手刀がひるがえり、乱童の刃をはじきとばした。くるくると回転した忍者刀が堂に床に突き刺さる。 「今だ。逃げろ!」 兵真が叫んだ。と同時に足をはねあげる。槌のような重い膝蹴りが乱童の腹に突き刺さった。 「くうっ」 呻いたのは兵真の方であった。まるで岩にぶち当てたような衝撃に足が痺れてしまっている。 「兵真兄!」 怜が再びトリガーを引いた。撃ち出したのは閃光弾である。世界が真っ白に染まった。 「ええいっ」 「おう」 同時に兵真と夕凪が襲った。刃と脚。その二撃を、乱童は左右の手で防いだ。 乱童が跳び退った。衝撃を逃すためである。 「やるな、開拓者ども。が」 乱童がにいっと笑った。するとその顔に、いや、露出しているすべての部分に刺青に似た異様なものが浮き上がり出した。 ● 奇しくも襲撃の時は重なった。 ふっ、と顔をあげたのは秋桜である。 「どうかしましたか」 問うたのはレイスであった。 瞬間、風を裂く音がした。反射的に秋桜とレイスが跳ぶ。二人の居た空間を何かがはしりすぎていった。 「夜叉だ」 レイスが叫んだ。一瞬にして他の開拓者達がはねおきる。同時に無数の手裏剣が怒涛のように開拓者達めがけて疾った。 「えいっ」 ヘラルディアが横に飛んだ。が、その肩に深々と手裏剣が突き刺さった。 「毒に気をつけて」 レイスの忠告がとぶ。はっとしてヘラルディアは手裏剣の刃を見た。黒々と染まっている。毒に違いない。 ヘラルディアは自らに解毒の法を施した。それから周囲を見回す。他に手裏剣の攻撃を受けてしまった者がいた。青嵐とグリムバルドだ。藤丸、アルフレートとリィムナは天幕にいて攻撃を受けてはいなかった。 「青嵐様」 ヘラルディアが駆け寄ろうとした。その背後に黒々とした影が化鳥のように舞った。 猿塚佐助。前回、夕凪を襲った夜叉シノビである。 「させるか!」 横から飛び出した人影が佐助を盾で払った。グリムバルドである。 「グリムバルド様、ありがとうございます」 「なんの」 こたえはしたものの、グリムバルトはがくりと膝を折った。毒がまわっているのである。 「そんな身体で……わたくしのために」 痛む胸をおさえ、ヘラルディアは呪文を唱えた。急速にグリムバルドの身体から毒が消えうせていく。 その時、闇の奥からしわがれた声が響いた。 「開拓者ども」 「その声は」 ぎりり、と蒔司が歯を軋らせた。 「夜叉骸鬼!」 ● 夕凪が刃をはしらせた。かるく乱童がかわす。一瞬後、乱童の姿は夕凪の背後にあった。 「何っ」 夕凪が呻いた。 迅い。あまりにも迅すぎる。これではまるでアヤカシ―― 乱童の拳が夕凪の背にぶち込まれた。筋肉が悲鳴をあげ、骨が軋む。夕凪の身が吹き飛び、堂の壁を突き破って外に転がり出た。 「夕凪姉!」 叫ぶ怜の前に兵真が立った。 「ここは俺に任せろ。お前は千鶴を守るっていう大事な役目があるだろ」 にっと笑った兵真の姿が消えた。一瞬後、その姿は乱童に肉薄している。 「迅さなら俺も負けちゃあいない!」 兵真が踵をうちおろした。鉈のように重い一撃が乱童の頭蓋をうつ。が、乱童は平然としている。 「くっ。これも効かんか」 兵真が跳び退った。が、同じ距離をまた乱童も跳んだ。蹴りを放つ。 乱童の重い蹴りをうけて、兵真の身体が空に浮き上がった。その瞬間、乱童が跳んだ。今度は蹴りを兵真の顔側面にぶち込む。血反吐と共に兵真の身体が床に叩きつけられた。 「千鶴姉、逃げて! ここは俺がおさえるのだぜ」 千鶴に背をむけ、怜が銃をかまえた。撃つ。 カン! 乱童の額に着弾した弾丸が空しくはねかえった。 「もっと撃ってみなよ、小僧」 乱童が掌を突き出した。怜が撃つ。 カン! カン! 今度は掌で乱童は弾丸をはじいた。 「ば、化け物なのだぜ」 「化け物たあ、いってくれるぜ」 獰猛に笑うと、乱童は怜に迫った。 げふっ、と。怜の口から鮮血が溢れた。その腹には乱童の拳が突き刺さっている。 「待ちなよ」 乱童の背後から夕凪の声がかかった。ゆらり、と夕凪が刀をかまえる。すでに身体はがたがただが、魂は前進することを命じていた。 「お前の相手は私だ」 夕凪が踏み込んだ。袈裟に刃光をはしらせる。それは幾つにも見えた。 柳生無明剣。夕凪の必殺技であった。が―― 乱童は夕凪の剣を軽々とかわしてのけた。兵真の使う瞬脚と同様、いや、それ以上に迅い動きで。 次の瞬間、夕凪が床に叩きつけられた。凄まじい衝撃に、もはや動くことはできない。 ふふんと笑うと、乱童が歩み出した。が、すぐにその足がとまる。 彼の足を掴んでいる者がいた。怜だ。 「い、いかせない……のだぜ」 「れ、怜さん」 夕凪が苦痛にゆがむ顔をあげた。 その時だ。彼女の頭に閃くものがあった。 怜の弾丸をはじくのに、乱童は掌を使った。それには何か別の意味があるのではないか。もしかすると、それは―― 「千鶴! それを」 夕凪が叫んだ。戸惑いは一瞬、すぐに千鶴は紙縒りを破り、抜刀。乱童めがけて刀を投げつけた。 「音有さん!」 「おおっ」 夕凪の叫びにこたえ、兵真が一瞬にして乱童との間合いつめた。 「ぬん」 兵真の手が閃いた。飛び来る刃をはじく。それはベクトルをかえ、斜め上方へ。 「ぐおっ」 乱童の口から呻きがもれた。その左眼に、兵真がはじいた刀が突き刺さっている。 「おのれっ」 乱童が跳び退った。血濡れた刃を投げ捨てる。 その時だ。乱童の身体に浮き上がっていた紋様が薄くなった。 「ぐっ」 乱童が顔をしかめた。激しい苦痛にたえているかのように。 と―― 乱童の眼がちらりと動いた。舌打ちする。 「くそっ。名張の奴ら、かぎつけやがったな」 乱童が再び跳んだ。一気に堂の外に躍り出る。そして―― 兵真がかまえを解いた。乱童の気配は完全に消え去っている。 「夕凪さん、怜ちゃん!」 泣き叫び、駆け寄る千鶴をちらりと見やり、兵真はゆっくりと倒れた。 ● 「此度こそ皆殺しにしてくれる!」 夜叉骸鬼が叫んだ。 その瞬間、綱を解かれた猟犬のように夜叉シノビが開拓者めがけて殺到した。 「生憎だけど、皆殺しになるつもりはないよ」 アルフレートがゆるりと琵琶を奏ではじめた。調べに自身の魂の力をのせ、仲間に分け与える。これである程度の術は防ぐことができるはずだ。 「来る。右と左!」 リィムナが告げた。彼女の超聴覚はすでに夜叉の存在をとらえている。 「俺達と同じ耳をもつか。が、遅い!」 リィムナに迫る影。一息で間合いをつめ、リィムナに肉薄。リィムナがあっと思った時は遅かった。影はすれ違い様、目にもとまらぬ一閃をりィムナの首に―― ぴたりと影の手がとまった。別の手がそれを掴みとめている。レイスだ。 「久しぶりですね。相変わらずたいした暗殺術。が、僕に同じ攻撃は効きませんよ」 疾風と化して藤丸が馳せた。同じく疾駆するのは白子丈助という名の夜叉シノビであった。 たちまちのうちに接近。火花を散らしてすれ違う。 「がきが」 丈助が嘲弄した。が、内心彼は舌を巻いている。十歳ほどの少年に、夜叉シノビともあろう者がおされているのだ。 がきじゃない、と藤丸はいった。 「俺は藤丸。夜叉を食い破る者だ」 法楽半十郎の手から幾筋もの銀光が放たれた。手裏剣だ。 複雑な軌道をえがいてはしるそれは、それぞれが意志あるかのように南洋の急所めがけて吸い込まれた。 「やるせるかっての」 グリムバルドが二つの手裏剣を盾ではじいた。一本はあえて腕で受けている。 「グリムバルド殿!」 「いけ! 奴らをぶっ潰せ」 「おお」 南洋が跳んだ。横殴りの一閃。刃からとんだのは真空の刃である。 刹那、半十郎の前に玉虫兵庫が舞い降りた。その身に真空の刃が叩きこまれる。が、噴いたのは鮮血ではなく、砂であった。 「夜叉をなめるなよ。夜叉忍法、肉槍!」 兵庫がかっと口を開いた。その口の中から槍のようなものが噴出した。 それは舌であった。兵庫は伸縮自在の舌をもっており、それを刃のように硬質化させ、敵を貫くことができるのであった。 咄嗟に南洋は避けた。避けえたのは南洋なればこそだ。さらにいえばアルフレートの黒猫白猫のおかげでもあった。 とはいえ完全には避け得なかった。舌が南洋の首をえぐった。切断された動脈から鮮血がしぶく。 「大蔵様!」 ヘラルディアが癒しの呪をとなえた。涼やかな光が広がり、南洋の傷を癒着させる。 「ほほう。厄介な娘がいる」 すうと闇の中に姿が浮かびあがった。夜叉骸鬼だ。頭巾をかぶっており、顔の前には呪符が揺れている。顔は見えなかった。 いち早く発見したアルフレートが指し示した。 「頭領がいるよ」 「見つけましたよ」 青嵐の指の間に呪符が現出した。 「もう逃がしませんよ」 青嵐の手から呪縛符が飛んだ。それは空中で式と変じ、夜叉骸鬼にからみつく。 「終わりです。疾ッ」 青嵐の背後の空間がゆがんだように見えた。高圧の式神によるものだ。 空間をゆがませ、何かが空をはしった。夜叉骸鬼を喰らうために。 「ふん」 夜叉骸鬼が右掌を突き出した。空間に暗黒の渦が巻く。空をはしる何かが突如消滅した。渦に飲み込まれたのだ。 「思い知ったか、我らの頭領の力を」 嘲笑ったのは、前回秋桜襲撃をしくじった夜叉シノビである。名は小妻太四郎。 「今度こそ殺す」 手裏剣をうけて倒れたままの秋桜を見下ろし、太四郎は刃をふりかぶった。 刹那だ。地より白光が噴いた。長巻直しの一閃だ。 「わたくしに毒は効かぬのでございますよ。うん?」 秋桜の顔がゆがんだ。彼女の放った一撃は太四郎の胸寸前でとまっている。彼女の身体を影が縛っていた。 「殺れ、太四郎!」 印を結んだ佐助が叫ぶ。おお、と叫び返した太四郎が刃を振りおろし――刃は秋桜の胸寸前でとまった。 「な――これは!?」 愕然とした太四郎は気づいた。その身体を縛る影があることに。 「影縛りができるんは、うぬらだけやないぜよ」 印を結んだ蒔司がいった。その瞬間である。呪縛を解いた秋桜の長巻直しが太四郎の胸を貫いた。 きゃあ、と悲鳴が響いたのはその時である。はっとして振り向いた南洋は見た。ヘラルディアが炎に包まれている様を。 南洋がヘラルディアに駆け寄った。衣服についた炎を払う。 「大丈夫か」 ヘラルディアを抱き起こし、口に薬水を含ませた。煤に汚れてはいるが、ヘラルディアの顔に生気が蘇る。 「ありがとうございます」 「なんの。そなたは文字通り我らの生命線であるからな」 大蔵、というアルフレートの叫びと、馬鹿め、という兵庫の声が重なった。直後、兵庫の口から舌がのびた。南洋の背めがけ、空を裂く。同じ時、地をえぐりつつ疾る衝撃あり。 衝撃に舌が断ち切れた。まるで別の生き物のように舌が地で蠢く。 「ふふん」 舌を足が踏みつけた。カルロスである。 「ご自慢の舌も、こうなっては台無しだな」 「ううぬ。兵庫殿をよくも」 木陰に潜む夜叉シノビが舌打ちした。山彦紋蔵である。 ならばと紋蔵は別の標的を狙った。先ほどからフルートを吹き鳴らしている小うるさい小娘――リィムナである。いかなる力が込められているのか、夜叉シノビが着実に損傷を与えられつつある。 「燃やし尽くしてやる」 紋蔵が印を結んだ。が―― 紋蔵は呪を唱えることはできなかった。彼の胸から刃の切っ先が覗いている。背後にあるのは輝血の姿であった。 「闇の中なら見つからないと思ったか。しかし、あたし――蛇からは逃れることはできない」 氷の如く冷たい声で輝血はいった。 「ここからは誰一人逃がさない。それがあたしと隼人の『約束』だ」 紋蔵を突き飛ばすと、はじかれたように輝血は振りかえった。凄絶の殺気に吹かれたためだ。夜叉骸鬼であった。 「させんきに!」 蒔司が飛んだ。空を舞い、一気に夜叉骸鬼の頭上へ。 同じ時、輝血は印を結んだ。夜叉骸鬼もまた。そして、時はとまった。 「間にあったようでございますね」 ニッと笑むと、秋桜が夜叉骸鬼の胸を深々と刃でえぐった。 ● ぐおおおおおおお。 獣のような雄叫びが闇を引き裂いた。夜叉骸鬼のあげる断末魔の絶叫である。 「お、おのれぇ! ようも、この骸鬼を」 夜叉骸鬼の胸から黒血が噴いた。いや―― その正体に気づき、さすがの秋桜も後退った。 夜叉骸鬼の胸から噴出するもの。それは血ではなかった。瘴気である。黒い霧のようなものの中に呪字がおどっている。 「アヤ……カシ? まさか、我らが頭領が」 茫然自失となった丈助がうわ言のように呟いた。 「あっ」 刃が丈助の胸を刃で貫いた。藤丸である。 「隼人、やったぞ!」 藤丸が凱歌の雄叫びをあげた。同じ時、レイスが孫九郎を、半十郎をグリムバルドが、そして佐助を南洋、兵庫はカルロスが仕留めている。丈助同様気死した夜叉を斃すことは彼らにとって造作もないことであった。 その時、夜叉骸鬼の前に蒔司が舞い降りた。地に着くと同時に肉薄。夜叉骸鬼の首に刃をつきたてる。 「殺った!」 「おのれぇ!」 夜叉骸鬼が顔を隠している呪符を引きちぎった。現れたのは端正な、しかし冷たい相貌である。切れ長の眼に細く高い鼻梁。薄い唇は血を塗りつけたように赤い。 がっ、と夜叉骸鬼の口が開き、何かが飛び出した。 何か――それは巨大な蛇であった。毒に黒く濡れ光る牙をむき、蒔司の首に―― 時をとめた輝血が蛇の首をつかんだ。 「蛇の始末は、蛇の頭であるあたしがつける」 ● 墓地の片隅。 墓石があった。手入れのいきとどいた、綺麗な墓石である。 その墓石の前に佇む影は六つあった。兵真、夕凪、南洋、藤丸、蒔司、そして千鶴の六人である。 兵真が手をあわせた。 一人の少年の想い。その絆がさまざまな運命を導いた。万感の想いを込め、今開拓者達はここにいる。 兵真と同じように合唱していた南洋が、ふと呟いた。 「これもひとつの縁。あれが開拓者として向き合った最初の依頼人が、ここに眠っておるのだな」 あれ、とは南洋の妹である。隼人の依頼をうけ、南洋の妹は開拓者の道を歩み出した。彼の背を追っていただけの娘が、今では己の道を進んでいる。 「隼人」 藤丸もまた手をあわせた。それから千鶴をみると、 「隼人って」 「えっ?」 「いや……隼人ってどんな奴だったのかなと思ってさ」 「知りたい……ですか?」 くすり、と千鶴は微笑った。 「弱虫で泣き虫だったんですよ」 「本当?」 藤丸は眼を丸くした。出逢った時の隼人は生意気で気が強くて、とてもそんな風であったとは思えない。 「本当ですよ。いつもわたしが庇ってあげてたんですから。それにね」 千鶴が藤丸の耳に口をよせた。藤丸が噴き出す。可笑しくてたまらぬかのように。 つられたように蒔司も微笑した。墓石に花を手向ける。 「遅うなったが…依頼は完遂じゃ。待たせたのぅ」 隼人に告げる。斃した夜叉骸鬼は瘴気となって消えた。 蒔司は己の手を見つめた。 この手は血生臭く、最早お前達に触れる事すら躊躇われるが、 「千鶴よ」 どうか隼人の分まで…強く生きろ。辛苦を越え、再び光を見出したお前なら…必ずできる。 「千鶴」 夕凪が千鶴の手をとった。 「依頼を果たした時、提案があるっていってたよね。そのことだけど……どうだい。千鶴さえ良けりゃ、このまま私の妹として一緒に暮らさないかい?」 夕凪ほどの女が、おずおずと切り出した。まるで初恋の相手に告白するかのように。 その時、千鶴の脳裏をよぎるものがあった。去り際にレイスとグリムバルドが残した言葉だ。 貴方のこれからに幸あらん事を。レイスはいった。 幸せになりな。資格? そんなもん知らね。グリムバルドはいった。 「そうか。わたし、幸せになっていいんだ」 千鶴は夕凪の手を握り返した。 それを見届け、蒔司と藤丸は空を見上げた。にこり、と隼人が微笑んだ気が二人にはした。 ● 同じ頃。 魔の森の奥。獣のような咆哮が響き渡った。 「おのれ……開拓者め」 絶叫の主はきりきりと歯を噛み鳴らした。 闇に溶けるその顔。もしこの場に開拓者がいれば、あっと驚愕の声をあげたに違いない。 夜叉一族頭領である夜叉骸鬼の貌。それと絶叫の主の顔は瓜二つであったから。 「陰殻を地獄と変える我が計画、着々とすすんでいたものを」 ぎらりと絶叫の主の金色の眼が光った。 彼の名は魍魎丸。 冥越を滅ぼした伝説のアヤカシである八禍衆の一旗であった。 そしてまた陰殻の片隅。夜叉一族の里。 里を炎が蹂躙していた。火をつけたのはカルロスである。 「ふふふ。夜叉一族の殲滅をもって完了だ。そうだろう、隼人」 冷笑すると、カルロスはあえて生かしておいた少年を見下ろした。 「俺が憎いか、小僧。ならば強くなって俺を殺しに来い」 少年はこたえず、ただカルロスを憎悪の眼で睨みつけていた。運命の輪は、また回り始めたのである。 ● 「終わったよ、全部」 孤影、寂と。輝血である。 彼女の前には隼人の墓石があった。すでに開拓者と千鶴の姿はない。 「随分久しぶりで随分遅い報告になっちゃったけど。まぁいいよね。千鶴もあの通り。何も心配いらない。また気が向いたらくるよ。そっちで会わないうちは、ね」 寂しげに蛇の刻んだ少女は微笑った。 |