【黒鎖包】絶海の島
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/09/03 21:48



■オープニング本文

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●岩牢
 岩と岩。壁と壁。木と木。逆巻く風がそれらの間を吹き抜ける。
 ひゅうひゅうと鳴る音は、まるで食い破られた喉から空気が漏れだす音にも似ていた。
「‥‥」
 冷たく無機質な石の床は、容赦なく体温を奪い取っていく。
「――?」
「‥‥」
 目を開ければ光と共に闇が浮かんだ。
 そこで何かの声がする。
「――――」
「‥‥」
 風鳴りの音は鮮明に耳朶を打つ。しかし、目の前にいる『そいつ』の声だけは何故か、理解が出来ない。
「――」
 誰だ? また一人現れた。
 光が闇を、闇が光を互いの威勢を振るう。
「ここは‥‥どこだ‥‥」
 声がした。
 久しぶりに聞いた声は、何故か聞き覚えがある。
 そんな感傷と同時に襲ってくる喉の痛み。
 これは‥‥。
「僕‥‥の、声‥‥か」
 思った事を口に出して見た。
 やはり聞こえるのは懐かしい我が声。
「――――」
 また、目の前の奴が何か言っている。
「‥‥」
 何故だろう。発している声は聞こえないのに、酷く不快だった――。

●奏啄
「悪いけど辞退させてもらうよ」
「ど、どういう事だ!」
 男の突然の申し出に、道は慌てて問い詰める。
「どうもこうも、海賊の出る島になんかわざわざ行く訳ないだろう」
 身なりのいい男は、当然だろうとでも言いたげに、あからさまに怪訝な表情を向けた。
「か、海賊なんて出てないぞ! アレは襲ってきたりしねぇ!」
「‥‥やっぱり何か出るんだ。例え海賊じゃなくても、正体不明のものが出る所になんて行きたくない」
 男は追い縋る道を振りほどくと、その脚で人ごみに紛れる。
「お、おい!」
 すでに人ごみに消えた男の背を未練がましく見つめる道の姿は、道行く人々にとって酷く滑稽であったのだろう、そこかしこから含み笑いが聞こえた。

「畜生‥‥!」
 心津を結ぶ航路にはいまだ海賊と思しき船が居座っている。
 これが心津観光に打撃を与えていた。わざわざ海賊の出る航路を通り、辺境の島などに誰が渡りたいと思うだろうか。
 何年もかかり、ようやく積み上げて来たものが、こんなにも簡単に音を立てて崩れ去る。
 道は悔しさのあまり握りしめた拳からは、一条の血が流れた。

●商家
「あいつ等の考えを参考に色々纏めみたが、黒い船は航路を封鎖が目的じゃないな」
 湖鳴が主を務める商家。
 相変わらず客など一人もいないこの店は、相談事をするには適した環境だった。
「封鎖が目的じゃねぇって‥‥何が目的なんだよ!」
 もう隠すつもりもないのか、道からは焦りしか見えない。
「落ちつけ」
 湖鳴の言葉すら嫌味にしか聞こえない。
「儂が思うに、相手の目的は人の行き来の遮断だ」
「はぁ? そんなら何で攻撃してこないんだ!」
 焦りはイラつきに変わる。
 道は湖鳴に大声を上げた。
「攻撃? 相変わらず単細胞だな、お前は」
「む‥‥」
 しかし、流石は老練な海の男湖鳴。道の癇癪などお構いなしに話しを続ける。
「考えても見ろ。本当に海賊行為なんかしたら、朱藩の軍が動く。あの海は朱藩領なんだぞ? しかしだ。ただ居座るだけならば朱藩が軍を動かす道理が無い。被害が出ていないからな」
「被害なら出てるだろ! 心津によ!!」
「あの船の登場で、心津の地が侵されたか? 心津の民が飢えたか? 答えは否だ。実質的な被害はまだ出ていない。出ているのは風評だけだ」
「風評も立派な被害だろう!」
「それだけで軍が動くとでも思うのか?」
「民を救うのが軍の役目だろう!」
 道の口調はさらに激しさを増して行く。まるで湖鳴が軍の人間であるかのように、言葉を荒げていった。
「‥‥道よ。軍を動かすには巨額の資金がいる。数百を越える人と船を動かすんだからな」
「それがどうした!」
「そんな巨額の資金を誰が出す? 心津が持つのか?」
「うっ‥‥」
 ただでさえ貧しい領地である心津が、軍などと言う金食い虫を養えるわけがない。
「軍を導入させる事無く、心津への人の流れを止める。それには風評を利用するのが一番だろうな」
「噂か‥‥!」
「まぁ、それを全て考えての上のあの行動だろう。実に周到な‥‥いや、悪辣な手腕だ」
 最小限の行動で、最大限の成果を上げる。湖鳴は相手方の戦略に純粋に感心していた。
「くそっ‥‥! ただのいやがらせかよ‥‥!」
「ああ、ただの嫌がらせだ。だからたちが悪い。‥‥道、どうする?」
 被害が出れば軍も動いてくれるだろう。
 しかし、今のまま続けば、心津は兵糧攻めをされているにも等しい。
 ゆっくりとじっくりと、真綿で首を絞め続けられ、やがて――。
「‥‥方針は変わらねぇ。あいつ等の力を借りて、こっちから打って出る!」

●絶海
 荒ぶる風が海を激しく打ち、激しく白波を水面に立たせた。
「‥‥」
 前後左右大きく揺れる望遠鏡の焦点を何とか合わし、道は海に浮かぶ岩山を睨みつける。
「もう何時間そうしている」
 言葉にはせずとも焦りが色濃く浮かぶ道の表情を横目に、湖鳴は背に手を当てた。
「‥‥いつ戻ってくるかわからねぇ」
 応える道は片時も望遠鏡の小さなレンズの先にある景色から目を逸らさない。
 数刻前に放った斥候が、円に捉えられるまでと。
「‥‥見張りは他の者に任せておけ。いざと言う時、船長が動けぬでは話にならんぞ」
「‥‥」
 湖鳴の言い分はよくわかる。
 しかし、この胸に去来する不安はなんだ?

 その時。

「っ!」
 岩島の一角に接岸していた小舟が島を離れる。
 しかし、様子がおかしい。
「どうなってる!」
 望遠鏡から得られる情報では、向うがどうなっているかまではわからない。
 ただ――焦っている? いや、何かから逃げている?
「くそっ‥‥!」
 望遠鏡を握る道の心にはただ、焦りだけがつもっていた。


 潮の流れを借り、小舟は桔梗丸に何とか辿り着いた。
 しかし、ようやく辿り着いた小舟の船底は――血の海。
 そこに一人の男が沈んでいたのだ。
「お、おい! しっかりしろ!!」
 道は自ら小舟に乗り移ると、男を抱き上げる。
「うぅ‥‥」
 まだ息がある。しかし、その背には無数の矢が刺さっていた。
「おい! 死ぬな!! くそ‥‥誰か治癒を!!」
 道は桔梗丸の甲板を見上げる。
 甲板では、船員達がお互いの顔を見合わせ、戸惑っていた。
 桔梗丸に治癒術を使える人間はいない。そんなことはわかっていた。しかし、叫ばずには居られなかった。
「くそっ! 今助けてやる!! ――!」
 道は苦しそうに息をする男の背に手を回すと、刺さる矢に手をかけた。
「うぐぁ!」
「な‥‥」
 呻き声を上げる男。しかし、道は手に持った血まみれの矢から目が離せないでいた。
「ま、まさか、そんな‥‥」
 それは、とある男が使う矢によく似ている。
 いや、似ているのではない。そのものなのだ。
「あ、あいつがいるのか‥‥!」
 かつて、戦場を肩を並べて歩んだ男。
 物静かと言うより無口な気障野郎。
 気に食わない男だったが、嫌いではなかった。
「悦‥‥!」
 道は矢を握りしめたまま、岩島を睨みつけた。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
一ノ瀬・紅竜(ia1011
21歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
アルティア・L・ナイン(ia1273
28歳・男・ジ
水月(ia2566
10歳・女・吟
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
夜刀神・しずめ(ib5200
11歳・女・シ
リラ=F=シリェンシス(ib6836
24歳・女・砂


■リプレイ本文

●此隅ギルド
 ギルドは今日も開拓者や依頼人でごった返していた。
「――ギルドでわかるのはこれくらいですね〜」
「そうか」
 吉梨から差し出された資料に目を落す一ノ瀬・紅竜(ia1011)。
(武天の氏族『越中家』――歴代の武天の王の側近を排出した事もある名家か)
 歴史書に記された名を追い、紅竜は眼を奔らせる。
(領主田丸麿が死に、伯父の実時が家督を継いだ――これが空か)
 まさに家督相続の現場にいた紅竜はその時の光景を脳裏に思い浮かべた。
(その後――謀反を企てお家断絶!? どういう事だ‥‥?)
 武天に身を置く氏族の経歴の記された書に書かれた一文に、紅竜は眼を見開いた。
(一年前か‥‥出奔した実時はこの時から行方不明に‥‥)
「で、その越中家がどうかしたんですか〜?」
 資料とにらめっこしている紅竜に、吉梨が興味深そうに声をかけた。
「今の依頼で少し、な」
 応える紅竜は言葉を濁す。
「ふ〜ん」
「それより助かった。これは返しておこう」
「はいは〜い。資料が必要でしたらいつでも言ってくださいね〜」
「ああ、助かる。じゃ、俺は依頼へ向かうとする」
「お気をつけて〜」
 返された資料を受け取り、しまりの無い笑顔を向ける吉梨に紅竜は応えの代わりに手を上げた。

●南海
 大波のうねりが中型船である桔梗丸の船体を容赦なく揺らす。
 天を薄い三日月が照らし、瞬く星々がその隆盛を競っていた。
「‥‥道さん」
「うん?」
 怪しげな孤島を目指す為、一行が小舟に次々と乗り込む中、最後に残った水月(ia2566)が見送る道に声をかけた。
「‥‥くれぐれも気をつけて欲しいの」
「気をつける‥‥? そりゃ、気をつけるが」
 当たり前の事だと道は、水月の言葉に生返事。
「‥‥」
 しかし、その答えに水月はふるふると首を懸命に振った。
「ん? 違うのか‥‥?」
「‥‥相手は本当に、何をやってくるかわからないの」
 かすれる声で語尾を紡いだ後、水月は再び口を開く。
「‥‥桔梗丸を狙ってるかもしれない‥‥の」
 それは確信ではなく憶測。
 それも飛びきり後ろ向きな憶測であった。
「この船を? もしそれが目的なら、わざわざこんな所におびき寄せて――」
「‥‥」
 見解としては道が正しいのだろう。誰に聞いても十中八九、その答えが返ってくると思う。
 しかし、これまでこなしてきた依頼で、尽く裏をかかれた水月には、その考え自体が危険だと、経験が警鐘を鳴らしている。
「‥‥気をつけて欲しいの」
 しかし、水月の口から出た言葉はそれだけであった。
 それだけを言い残し、水月は皆の待つ小舟へと乗り移った。

「――行ったようだね」
 アルティア・L・ナイン(ia1273)は桔梗丸から離れていく小舟を眺め、水タバコを吹かした。
「お前はいかねぇのか?」
「僕は少し野暮用があってね。それよりも、今の言葉、しっかりと覚えておいた方がいいよ」
「なんだ、お前も同意見だってのか?」
「同意見、と言えば同意見かな。それよりも例の矢」
「‥‥ああ」
「間違いないかい?」
「間違いないな。矢は本物だ」
「矢『は』?」
「他人が奴の矢を使ってるかもしれない」
「――彼の矢を使う理由が無いよね」
「‥‥全くその通りだ。ったく、何であいつがここにいるんだ」
 それは相手に否定してもらう為の会話。
 道は呆れる様に、降参を示す両手を上げた。
「悦くん、か。見舞えるのは久しぶりだね。それに――田丸麿くん」
 アルティアが口にした人物の名に、道はびくりと肩を揺らした。
「‥‥居るのだろうな」
「覚悟はしておいた方がいい――と、それは僕に対する言葉かな」
 おどける様に大仰に肩を竦ませたアルティアを、道が真剣な眼差しで見据える。
「気を付けろよ」
「ありがとう」
 と、アルティアはにこりと微笑んだ。

●孤島
 月を抱く夜空は暗く。辺りには波打ちの音だけが響く。
「辺りは暗礁になっています。ゆっくりを船を進めてください」
 望遠鏡を右手に、コンパスを左手に、フレイア(ib0257)が船頭に的確に指示を飛ばした。
「慎重に――気付かれてはお終いです」
 暗闇に浮かぶ黒。
 目の前にそびえる岩山は、月明かりさえ喰らい尽くし、夜の闇に黒く沈んでいた。
「‥‥あそこに打ち波が緩やかな場所があります」
 望遠鏡を覗き込み、フレイアが一点を指差した。
 そこは波の上下こそあれ、打ち付ける勢いの無い絶好の船寄せ場。
「中にはやはり人の気配」
 数多穿たれた洞窟からは、中で焚かれている松明の火が見える。
「――敵の根拠地です。何が起こるか分かりません。皆さん、細心の注意を」
 フレイアの指示の元、小舟はゆっくりと岩島へと接舷した。

●上陸
 一行は夜陰に紛れ島へと上陸を試みる。
「ふしぎ君、手を」
「あ、ありがとう」
 差し出された万木・朱璃(ia0029)を、天河 ふしぎ(ia1037)が掴む。
「まったく、無茶も程々にしてくださいよ?」
 まるで姉が弟の悪戯を叱る様に、朱璃は手をとったふしぎに向け呟いた。
「う、うん‥‥ごめん」
 諭す様にかけられた朱璃の声に、ふしぎはしゅんと俯いた。
 それもそのはず、ふしぎの体はこの強行偵察にとても耐えられる状態ではなかったのだから。
「こんな事は言わなくてもわかってると思いますけど、無茶と無謀は違いますからね?」
「‥‥うん」
 困った様な言葉の裏に見え隠れする朱璃の優しさが、今のふしぎには痛い。
「あんまりいじめちゃ可哀想よ」
 と、不自由な体で懸命に岸へと取りつこうとしていたふしぎの体を、リラ=F=シリェンシス(ib6836)が後ろから押してやる。
「いじめている訳じゃないんですけどね。さぁ、少し痛みますよ」
 朱璃は少し困った様な表情を浮かべ、ふしぎの腕を一気に引っ張った。

「はぁはぁ‥‥」
 仲間の力を借りて上陸するだけでこんなにも息が上がる。
 ふしぎは四肢をつき、懸命に呼吸を整えた。
「本当に大丈夫なの?」
 膝を折りふしぎの顔を覗き込むリラは、不安そうに声をかける。
「う、うん。ありがとう、リラ」
 ふしぎはリラに向け今できる精一杯の笑顔を返す。
「ねぇ、無理しないで帰った方がいいんじゃない? 無茶して死んだら元も子もないわよ」
 今回の作戦に乗り気ではないリラは、最悪の事態に陥る前に、撤退もありだと考えていた。何が待っているかわからない場所に、この人数で乗り込むのだ。自殺行為だと、リラは訴える。
 しかし、リラの提案を否定した者がいた。それが仲間でもあり所属する小隊を束ねるふしぎだった。
「何度も言うけど、こればっかりは引けないんだっ。弱音を吐いてなんていられない、この体でも出来る精一杯をしなくちゃダメなんだっ!」
 ふらつく足取りで立ち上がったふしぎは、リラに向け真摯に語りかける。
 何かしなくちゃいけない。なにかなさなくちゃいけない。それが事を進める唯一の手段だといわんばかりに。
「それが大切な人達の為になるなら、僕は立ち止れないっ!」
「‥‥死んでも知らないわよ?」
「それでもだよっ」
 そして、ふしぎはリラの腕に手をかけると、道を開けろとばかりに体を押した。

「‥‥はぁ、うちの団長には困ったものね」
 出来の悪い弟でも見る様に、リラは這いずってでも前へ進もうとするふしぎの後を追った。

●洞窟
 夜陰に紛れ島へと上陸した開拓者達は、辺りを警戒しながらも斥候からの情報にあった内部への進入路を探す。
「ここですね」
 フレイアが指し示したのは、子供が立って歩ける程の小さな洞窟。
「‥‥斥候さんの話だと、20歩も歩けば中に入れるそうなの」
 重傷を負った斥候の言葉を思い出し、水月が皆に告げる。
「いえ、ここを使うのは避けましょう。斥候が使ったとなれば敵にも知られています」
 斥候が使った穴以外にも、穿たれた穴は多い。
 しかし、目に見える穴は敵も当然全て把握しているとフレイアは考えたのだ。
「‥‥新しく掘るの?」
「そうしたいのは山々ですが、さすがに時間がありません。ですので掘りかけの穴などを開通させ利用しましょう」
「でも、どうやって掘りますか? さすがに紅竜さんのスマッシュとかでやると音が‥‥」
「‥‥」
 フレイアが一行を見渡すが、誰もこの案に適したスキルを持ってはいない。
「ララド=メ・デリタを活性化してくるべきでしたね‥‥」
「ないものをねだっても仕方がない。ある穴から入ろう」
 悔しそうにうつむくフレイアの肩に手を乗せ、紅竜が別の穴を指した。
「‥‥うん、大丈夫、中に人の気配はないよ」
 岩影へ背を預けながらも、ふしぎは指された穴の中の『音』を探っていた。
「さっさと調べて帰りましょう。こんな所に長居する気はないわ」
 乗り気でないリラは、早々に目的を達成しようと急いている様にも見える。
「俺が先頭で行く。皆、続いてくれ」
 と、紅竜が皆の前へ歩み出た。

「悪いんやけど、うちも別行動や」
 突然、上陸まで行動を共にしてきた夜刀神・しずめ(ib5200)が立ち止った。
「しずめ君まで抜けるんですか?」
 しずめの申し出に、朱璃が驚き困った様な表情を浮かべる。
「侵入者がぞろぞろと大挙しても、目立つだけやろ?」
「それはそうですけど、単独行動は危険ですよ? それにこれ以上の戦力分散は‥‥」
「まぁ、纏まって動いたほうがえぇっちゅーのはわかる。せやけど、この島だけやなくてアレもある――」
 と、しずめは波打ち際にも関わらず全く揺れる事無くその場に係留される巨大な黒い船を指差した。
「ここに居れても日が昇るまでやろ? 時間があらへん。ある程度は危険を承知で分かれざるをえんのちゃうか?」
「それはそうですが‥‥」
 しずめの言いたい事はわかる。しかし、この一行の癒し手は自分と水月だ。手の届かない所にいては、例え癒し手が二人も居ようと意味が無い。
 朱璃はしずめの正論と、巫女としての矜持に揺れていた。
「お任せしましょう」
 と、そんな朱璃にフレイアが声をかけた。
「この島では何が起こるか分かりません。が、警戒ばかりしていては時間が足りません」
「そう言う事や。調べるだけ調べたら、そっちの後詰めに回る。うちがおらな、調べるんも大変やろ?」
「ああ、そうだな。それじゃ、アルティアに無理はするなと伝えてくれ」
「なんや、わかっとったんか。ま、了解や」

●牢獄
 岩床を打つ清水が規則正しく音を打つ。
「‥‥嘉田、しっかりしろ」
「うぅ‥‥」
 芋虫の様に地に這いつくばる仲間の名を呼ぶ石恢。
「くそっ‥‥! この縄さえなけりゃ!」
 後ろ手に縛った縄は巧みに編み上げられ、志体持ちの力であっても断ち切る事が出来ない。
「ぐ‥‥」
 苦しそうにうめく嘉田に、石恢のしてやれることはない。
 出来る事と言えば、早く眼が覚める様に呼びかける事だけだ。

 コツンコツン――。

「くっ‥‥」
 石畳に響く靴の音に、石恢は意識朦朧とする仲間の元を離れ、元居た場所へ這いずって戻る。

 コツンコツ――。

 足音が止まる。
「ご機嫌いかがですかな?」
 年の頃は30前か。
 卑屈に歪める口元が特徴的な細身の男がいつもの様に牢屋の中を覗き込んでいた。
「俺達を捕まえて、一体何をするつもりだ‥‥」
「内緒ですよ」
 キッと見上げた石恢の視線すら快楽と言わんばかりに口元を歪める男との、変わらぬ問答。
「俺達の仲間はどうした!」
「仲間? ああ、あのむさ苦しい連中ですか」
「‥‥どうしたって聞いてんだ!」
「喰われましたよ。半分は」
「なっ!?」
 さらりと吐き出された言葉に石恢は絶句する。
「いやぁ、アヤカシというのは凄いですね。研究の為に陰陽師になろうかと半ば本気で思いましたよ」
「アヤカシだと‥‥!」
「ああ、もう半分は私の実験を手伝って頂きました。耐えれた人はいませんでしたけどね」
「お前‥‥!」
 にこりと微笑む男の顔は実に好青年である。
 しかし、そのうちに渦巻く黒々とした狂気が、石恢の背筋に冷たいものを押しつける。
「貴方達は貴重な志体持ちですからね。もう少し後でお相手しますよ。では――」
「お、おい、待て! 待ちやがれ!」
 それだけを言い残し男は牢から立ち去った――。

●岸辺
「いらっしゃい。ようこそ、南国の島へ」
 まるでジルベリアの執事がする様な礼で持って、後発のアルティアを迎えたしずめ。
「本日はお招きに預かり、光栄至極」
 そんなしずめなりのからかいにも、アルティアは動じず逆に涼やかな礼を持って返した。
「なんや、つまらへんな」
「つまらなくて結構だよ。――で、しずめくんは何故ここにいるのかな」
 単独行動をとるつもりで、後発として島へ上陸した。しかし、待っていたのはしずめの接待。
 アルティアは言葉の裏に多少の怒りを滲ませ問いかける。
「危なっかしい世捨て人な兄はんをほっとけん」
 帰ってきた言葉にアルティアは思わず目を見開いた。
「というか、抜け駆けはシノビの専売特許やで? 異国かぶれの兄ちゃんには譲られへん」
 ない胸を張り、どどーんと指を突き付けてくるしずめ。
「――あはは。いや、まいったね」
 敵地だというのに、声を出して笑ってしまった。
 目の前の幼いシノビは実に狡猾に人の心と行動を読む。
「じゃ、共をしてもらおうかな。いや、共をさせてもらえるかな?」
 笑いの波が去ったアルティアは一呼吸置くと言葉を続けた。
「しゃーない、ええやろ」
 優雅な礼をするアルティアに、胸を張ったままのしずめはしたり顔で頷いた。

●採掘場跡
 剥き出しの岩影を照らし出す松明の炎が、ここには人がいると告げていた。
「気配はすれど姿は見えず、ですか。警備すらいないとは、随分と不用心ですね」
 不気味に揺れる松明の炎を眺め、フレイアが呟いた。
 そこは至る所に人工の穴が穿たれたちょっとした広場になっている。
 壁面にはらせん状に組み上げられた木製の階段が、ずっと上の方までとぐろを巻き続いていた。
「‥‥アヤカシの姿もないですね。感じるのは外の船だけですね」
 瘴気を探る結界を張り巡らせる朱璃は、あの嫌悪に満ちた独特な気配がこの空間には無い事を告げる。
 一方、壁を挟んで外。岩場に係留された黒船からは、ビンビンと嫌やな気配が漂っていた。
「人がいるかはわかりませんけどね」
 朱璃の結界ではアヤカシの存在は知れても、人は見つけられない。
「人なら‥‥僕が」
 壁にもたれかかったふしぎが、皆に精一杯の笑顔を向ける。
「聞き逃したりはしないよ‥‥!」
「‥‥あまり無理しちゃダメなの」
 傷付いた体には気休め程にしからなないかも知れない。
 水月は今日何度目かの癒しの風をふしぎに送った。
「‥‥ありがとう、水月。でも大丈夫だよ。音を聞くだけなら」
 癒しの風を受け若干顔色のよくなったふしぎは、周囲の音に耳を傾ける。
「‥‥気配を消してるかもしれないけど、何も聞こえない」
 ふしぎに聞こえる音に怪しいものはなかった。今いる空洞、そして、外の船からもだ。
「ひとまずは安全て事かしら?」
 張り詰めた緊張の糸を緩めるリラ。
「いや、気を抜くな。斥候の話ではここで狙撃を受けたそうだ」
 一見すれば敵の気配の無い広場。
 しかし、紅竜の言葉が再び一行に緊張をもたらす。
「‥‥上の方かもしれないの」
 と、水月が吹き抜けになっている上部を見上げ呟く。
「そうですね。ここは物置に使われているの様ですし」
 フレイアは広場の脇に積み上げられた真新しい木箱の数々を指差した。
「ねぇ、この辺りで引くべきだともうけど」
 それは気遣いか、それとも何かの予感なのか。
 リラは辺りを伺う一行に向け再び提案した。
「‥‥ダメだ。行こう‥‥! このまま帰ったんじゃ、結局何もわからずじまいだ!」
 しかし、再びふしぎの言によって拒否された。
「だな。リラ、すまないがもう少し付き合ってくれ」
 そして、紅竜がリラの答えを待たずして、階上へ続く階段へ足を向ける。
 紅竜に続く様に他のメンバーも階段へ向かった。

「まったくもぉ‥‥」
 階上へと続く階段へ足をかけた一行を、リラは呆れながら追った。

●断崖
 切り立った崖はまさに壁。とても飛び移りながら登れるような傾斜ではなかった。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
「ああ、心配をかけてすまないね」
 切り立った崖を隻腕で登るのはかなりの労力を必要とする。
 アルティアはしずめの力を借りつつも、何とか壁面を登っていた。
「さてと、こんなとこやけど、本心聞かせてもらおか」
 と、突然登るのを止め、しずめは岩肌の平地になっている部分に腰を下ろした。
「――まったく、君とはやりにくい」
 そんなしずめを驚いた様に見上げたいたアルティアは、フッと微笑むとしずめの横へと腰を据えた。
「敵には悦くんがいる。これは事前の情報から間違いないだろう――となると田丸麿、それに五番隊とやらもいる」
「なんや、新手か?」
 吹き付ける風が五月蠅い。しずめは確認するように問いかけた。
「新手、うーん、真打と呼んだ方がいいかもしれないね」
「なんや、黒幕やゆぅんか?」
 別にアルティアの言葉を疑っている訳ではない。
 しかし、確信を持って語られる言葉には、どこか真偽が見えない部分がある。
「限りなく確信に近い予測だと言っておくよ」
「あのなぁ、別に言質とろぉゆぅてるんやないで?」
 はっきりと肯定しないのはいつもの事。しずめは諦める様に溜息をついた。
「もっとも、『アレ』が好む策では無さそうだけどね」
 アレが何を指すのか、しずめにはわからない。
 しかし、けして気持ちのいい響きではなかった。
「とにかく、それを警戒しとけ、ゆぅ話やな?」
「警戒してどうにかなる相手ならいいのだけどね」
 そう言うとアルティアは立ち上がった。
「さて、僕は行くよ。しずめくんはもう少し休憩かい?」
「あほか。うちも行くわ」
 アルティアに続きしずめも立ち上がる。そして、二人は再び険しい崖を登り始めた。

●階段
 風切り音を上げ、一本の矢が目の前の壁に突き刺さった。

「っ!? 止まれ!」
 慎重に階段を上る一行の先頭に立っていた紅竜が、手で進行を止めた。
「‥‥この矢、桔梗丸で見せてもらった矢なの」
 岩壁にまで突き刺さる矢羽を見、水月が呟いた。
「悦だ‥‥!」
 短く呟いたふしぎ。
「防御陣を敷くわ」
 暗闇からの攻撃にリラが狭い階段の上で防御陣の指示を出す。
 リラは紅竜を先頭に、足場の悪い階段に見事な十字防御陣を築いた、その時。

「やはり来たか」

 闇から発せられる声は、敵意をむき出しに一行に投げかけられる。
 そして、一人の男が段上に姿を現した。
「悦君‥‥」
 普段は、ほわほわ脳天気な朱璃。
 しかし、昔馴染みの男と会ったこの瞬間に、その表情を一変させた。
「ようこそ。と言いたいところだが」
「へぇ、悦君もそんな冗談が言える様になったんですね」
 短い言葉からも相手の心境の変化が見て取れる。それは平時であれば喜ばしい変化なのかもしれない。
「でも、冗談は時と場合を考えないとダメですよ」
 しかし、今は非常時。朱璃は階上から見下ろす悦の眼をじっと見据えた。
「しかし、よくもそんな布陣で乗り込んで来たものだな」
「‥‥招きも受けてないのに、大挙するのは無礼というものですからね」
 地の利は完全に相手に取られている。朱璃は少しでも事態を好転させる時間を稼ごうと、悦に向け挑発的な言葉を投げかけた。
「人の家に土足で入るのは無礼ではないのか?」
「お掃除されてなくて土足で上がれなかったんですよね」

「‥‥操られてないの」
 二人の口上の最中、悦をじっと見つめていた水月が呟く。
 術視を持って、悦にかけられたものがないかと探ったのだ。
「という事は、奴は正気か」
 何者かに強制的に操られるのではなく、悦は自らこの場所にいる。
 紅竜は周囲全体に気を巡らせ呟いた。
「‥‥紅竜、悦がいるって言う事は」
「ああ、奴がいる」
 肩を貸すふしぎが漏らした言葉に、紅竜は大きく頷く。
「どうしてこんなところに‥‥!」

「‥‥話はそれだけか」
 何度となく挑発的な言葉で消しかける朱璃に対しても、悦は冷静な仮面をはがしはしない。
「もう少し聞き分けのいい子だと思っていたんですけどね‥‥!」
 全てを受け流される舌戦に、朱璃の顔にも焦りの色が滲んでいた。
「‥‥悦さん、はじめましてなの」
 そんな朱璃の脇から顔を覗かせる水月が、段上の悦に向け礼儀正しく礼をする。
「‥‥」
「‥‥どうしてこんな事をするんですか?」
 それは実に子供らしい問いかけ方であった。
 水月は、自身の思う事をそのまま真っ直ぐに悦にぶつける。
「‥‥ふ」
 不安そうに見つめる仲間達を置いて、悦はその質問に初めて表情を和らげた。
「‥‥何かを奪うの?」
 続けて投げかけられる問い。
 それは前回の失策により奪われたモノを悔いている様にも見える。
「奪うとは、何をだ?」
 しかし、悦は逆に問い返した。
「‥‥桔梗丸、とか」
「商船などいらぬ――」

「‥‥リラ、右!」」
「そこ!」
 何の予備動作もなく放たれたリラの銃弾が岩を打ち、金属音と共に火花を上げる。
「シノビ‥‥!」
 一瞬飛び散った火花が闇を照らし、黒衣の暗殺者達の姿を浮かび上がらせた。
「囲まれてますね」
 フレイアが闇をじっと見据える。
 そこには僅かだが、今までなかった人の気配が漂っている。
「はぁ、だから言ったのよ‥‥皆、陣を崩さない様にね」
 呆れる様に呟いたリラ。
 しかし、再び防衛陣を堅固な物へと張り直す。

「悪いが問答は此処までだ。死んでもらう――」
 階段の途中では行くも帰るも死地。
 進退極まった開拓者達に、悦は矢先を向けた。

●牢
 二人は小さな光取りの窓を使い牢の並ぶ階層へと足を踏み入れた。
「見張りも無しか、不用心やな」
「僕達が罠にはまるのを高みの見物してるかもしれないよ?」
 松明の炎の揺れる牢屋。
 しずめとアルティアは、軽口を叩きながらも細心の注意を払い一つ一つの部屋を確認していく。
「アホな事――!」
 突然、しずめが足を止めた。
「人がおる」
 しずめの研ぎ澄まされた聴覚にのみ届く呼吸音。
「‥‥息が荒い。相当弱っとる」
「‥‥奥だね」

「君は確か――石恢くんだったか。何故こんな所に」
 しずめが捉えた音を頼りに、二人は数ある牢の一つの前に立った。
「お前は‥‥」
 突然の訪問者に石恢は驚いた様に顔を上げる。
「感動の再会は後や。開けるで」
 すぐさま取り出した道具で、しずめは牢の鍵開けに入った――。

 カチリ――。

 軽妙な金属音を上げ、鍵が開く。
「助けるんやったら、はよしぃ」
 しずめの申し出に頷いたアルティアは牢へと入った。

「すまねぇ、助かった」
「まさか、こんな所で再開するとはね」
 きつく結ばれた石恢の縄を剣で斬り解放する。
「嘉田くんは僕が手を貸そう。早く外へ」
 と、アルティアは力無く横たわる嘉田の体を起こし上げると、自由になった体を動かす石恢に声をかけた。

 その時、異変は牢外で起こった――。

●階段の攻防
「悦! お前が警戒しているのは俺たちなのか!」
 矢先を向けられて尚、紅竜は隙を伺おうと悦に声をかける。
「自惚れるな」
 しかし、悦は紅竜の挑発を無視し弦を掴む指を解いた。

 狙いは水月。
 陣の中央に位置するもっとも弱い部分に狙いを定めていた。

「水月!」
「‥‥!」
 紅竜が咄嗟に庇おうとするが、矢の速度には到底追いつけない。
 狙われた水月は眼前に迫る矢をただただ見つめるしかなかった。――その時。
「そうはさせないんだからな‥‥!」
 時が止まる。
 夜の時を渡るふしぎが剣を一閃。水月に迫る矢を何とか斬り落とした。
「はぁはぁ‥‥これ以上誰も傷付けさせない‥‥!」
 しかし、満身創痍のふしぎは、気力を振り絞ってさえ、矢を弾くのが精一杯である。
 苦しそうに肩で息をするふしぎは、がくりと膝を追った。
「せめて一瞬の隙でもあれば」
 悔しそうに言葉を吐くフレイア。
 しかし、希望は薄い。悦だけならば何とかなるかもしれないが、相手には数多くのシノビまでついている。
 少しでも動けば気取られるだろう。ゆえに一行は身動きが出来ないでいた。
「‥‥外の二人は――」
 進退極まったこの状況で、朱璃は縋る様にそう呟いた。

●牢
「がはっ‥‥! なんて、力‥‥や」
 しずめの細い首に、レダのか細い指が容赦なく食い込む。
「レダくん、それ以上はやめろ」
 田丸麿と対峙するアルティアは脇目を逸らしレダに声をかけた。

 ボキっ。

 ほぼ密閉された狭い洞窟に響き渡る骨折音。
 しずめの細首がねじ切られた――と、アルティアが思った瞬間、音を立てしずめの体が床に落ちた。
「がはっ‥‥!」
 解放されたしずめは欲していた空気を肺いっぱいに吸い込む。
 一方、その光景を虚ろな瞳で見下ろしていたレダは――。
「レダくん、その指‥‥」
 首を締めあげていた指が折れ、あらぬ方向へと曲がっていた。
「人の意を操り、痛みを感じさせず使役する下法らしいよ」
 言い知れぬ不気味さを放つその光景に釘付けになっていたアルティアに、田丸麿が懇切丁寧に説明する。
「‥‥田丸麿くんはよく知っているんだね」
「知りたくもなかったけどね」
 じりじりと後退するアルティアと田丸麿の距離は徐々に開いている。
「逃げるのかい? まぁ、それが賢明な判断だけど――」
 ふと肩を落した田丸麿の姿が――消えた。
「っ!?」
 瞬間、目の前に現れた田丸麿の顔に、アルティアは咄嗟に後ろへ飛ぶ。
「遅いねぇ」
「がはっ‥‥!」
 しかし、次の瞬間、アルティアの腹部に田丸麿の刀の柄が突き刺さっていた。
「さてと、ここで殺すのは簡単だけど」
 と、壁を背に痛みで膝を折るのを必死に耐えるアルティアから視線を反らし、田丸麿はレダを見る。
「‥‥」
「友人が死にそうなのに、まったくの無関心か。いやはや、恐ろしい下法だね」
 折れた指から血を滴り落とし、虚ろな瞳で虚空を眺めるレダに、田丸麿は邪まな笑みを浮かべた。
「じゃ、死のうか」
 再び、アルティアへと向き直る田丸麿は、左の腰に下げた刀を抜いた――。

「こんなんとやりおぉても、何の得にもならへんで――」

 痛む首筋を押えながら何とか起き上ったしずめ。
「これでも喰らいや!」
 しずめは、懐から取り出した粉末の止血剤を田丸麿に向って投げつけた。
「む‥‥」
 白い粉が一瞬視界を塞ぎ、同時にアルティアが動く。
 アルティアはしずめの体を抱えあげると、錆て腐りかけた小窓を割って外へ身を躍らせた。

●階段
「上にも居たか」
 上階からの物音に、悦の注意が一瞬それた。
「詠唱破棄――凛塊『ブリザードストーム』!!」
 悦の見せた一瞬の隙をつき、フレイアの氷嵐が階上に向けられる。
「今のうちに撤退を。ここは敵に利がありすぎます」
 吐き出した氷嵐の結果を確認する事無く、フレイアは階段を下り始める。
「フレイアの言う通り。ここじゃ勝てないわ」
 リラもフレイアの後に続く。そして、一行は一気に来た道を下った。

●撤退
「急げ!!」
 殿を務める紅竜が急な階段を駆け降りる一行をせかす。
「足止めできるのも僅かな時間です。効力はそれほど長くありません」
 フレイアの氷嵐は略式であった為効果が薄い。
「言われなくても逃げてるわよ」
 撤退しながらも、防御陣を維持するリラ。
「‥‥皆、あそこだ! 待ち伏せはないよ‥‥!」
 リラに肩を借りたふしぎが入ってきた狭い空洞を指差した。
「アヤカシもいません。急ぎましょう!」
 咄嗟に張った結界には何の反応もない。
 朱璃は先導するように、小さな空洞へと駆け込んだ。

●海岸
「やぁ、遅かったね」
 逃げて来た皆を迎えたのは、岩に背を預ける血だらけのアルティアと、ぐったりと息荒く横たわるしずめであった。
「アルティアくん!?」
「‥‥たいへんなの!」
 その姿に朱璃と水月が駆け寄った。
「すぐに治しますから――」
「しずめさんは私が診るの――」
 二人の癒し手は、傷付いた二人の前に膝を折り、祈りの風を起こした。

「小舟は無事の様ね」
 リラはいち早く係留していた小舟に取りつき、破損がないか調べにかかっていた。
「皆早く乗って。追手が来るわ」

●洋上
 波高い洋上を小舟で懸命に進む。
 海岸には追ってきた悦を始め、シノビの姿が見え始めていた。
「相手は弓だ! 気を抜くな!」
 船尾に立ち槍を構える紅竜が叫んだ。
「抜いてなんか居ないわよ!」
 懸命に櫂を漕ぐリラが恨めしそうに答える。
「何とか逃げ切れたでしょうか‥‥?」
 リラとは逆の船縁で櫂を握る朱璃が、人ちきつく様に呟いた。
「‥‥あ、あれは!」
 と、ふしぎが突然声を上げ、洋上を指差す。
「‥‥アヤカシ兵器、なの」
 荒れる波間から覗くそれは、水月には見覚えがあった。
巨大な貝殻に幾本もの触手が生え蠢いている。
 以前、相対したアヤカシの姿そのものであったのだから。
「‥‥ここを目指していたのか‥‥! くそ‥‥どうして僕はこんな時に怪我なんて」
 悔しそうに船縁に拳をぶつけるふしぎ。
「さすがに洋上では分が悪すぎますね‥‥」
 陸上であれば数多取れる策も、洋上ではその数を激減させる。
 いつも冷静に事を見るフレイアの額に、一筋の汗が流れた。
「どうやら、ここまでの様だね。南無三南無三」
 船縁に背を預けるアルティアがこともなげに呟く。
「あほか。うちはこんなとこで魚の餌になるんはごめんやで」
 同じように船縁に背を預けるしずめがアルティアに突っ込んだ。その時。

「お前等、急げ!!」
 波間に覗く触手の群れを呆然と眺めていた一行に、前方から声がかかった。
「道君!」
 聞き覚えのある声に、朱璃が顔を上げる。
 そこには、船首に立ち大声で叫ぶ道の姿と、巨大な桔梗丸の船首が見えた。

 九死に一生とはまさにこの事。
 向えに現れた桔梗丸は一行を拾い上げると、宝珠推進を使い海域から一気に離脱した。

 この強行調査の結果、敵の陣容の一部と島の内部情報の一部が知れた。
 しかし、囚われの者の救出は成らず、敵の戦力も見えぬままであった。

 闇は黒き鎖の様にじわじわと一行の心を包んでいくのだった――。