【遼華】未踏の東方4
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/04/25 22:50



■オープニング本文

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●心茶屋

 カンカンカン――。

 鉄槌が釘の頭を打ち付ける。
「よぉし、出来たぞ!」
 屋根の上で一人の男が額に浮いた汗を拭った。
「なかなか見事なものだな」
 と、そんな男に向け落ちついた声がかけられる。
「お、これは穏殿じゃねぇか。わざわざこっちまで?」
 地上から見上げる顔馴染みの声に、大工は嬉しそうに屋根から身を乗り出した。
「うむ。代行殿からの依頼で資材を運ぶ途中だ」
「おぉ、それはそれはご苦労なこってす。資材の運搬なんて雑用までしなきゃぁなんねぇとは、宮遣いも楽じゃねぇですな」
「はは、好きでやっている事だ。苦ではない」
「ふーむ、と言う事は、おサムライ様も廃業ですかな?」
「うむ、それも悪くないな」
 屋根と地上。見上げる者と見下ろす者。
 二人は奇妙な位置関係のまま、いつものように言葉を交わした。

「お、そうだそうだ」
「うん?」
 突然ポンと手を打った男は、慣れた手つきでかけられた梯子を降りると、
「どうです、中で一杯」
 と、穏に向けくいっと盃を傾ける仕草を向けた。
「誘いはありがたいが、これでも職務中なのでな」
 大工の誘いをやんわりと断る穏。
「おっと、これは失礼。それじゃお茶でもどうですかい?」
「そうだな。茶なれば頂くとしようか」
「お、そうこなくっちゃな! ささ、中へ」
 と、茶の誘いに頷いた穏を、大工は出来たばかりの茶屋の中へといざなった。

「生憎と心津には桜は咲きませんからね。せめて酒だけでもって奴でさぁ」
「そうだな。ここの気候では桜は咲かぬか」
「まぁ、咲かなくても酒はありますがね」
 打ちつけられる杯と湯呑み。暖かな春の気候に包まれる心津の昼下がり。
 二人は束の間の休息をゆっくりと過ごしたのだった――。

●心津温泉
 もうもうと湧き立つ水蒸気は絶え間なく。
 鼻腔をくすぐる硫黄と鉄の香りが春風に乗って真冷山脈へ。
「わわっ! ここが噂の温泉ですねっ!」
 赤銅色の出湯がこんこんと湧き出る泉を前に、遼華は嬉しそうに声を上げた。
『ふっ‥‥。俺様が見つけたんだ。どうだ、すごいだろ?』
 そんな遼華の足元では、一匹のもふらがこれでもかと言うくらいのドヤ顔。
「はいっ、すごいですっ! よくこんな所見つけましたねっ!」
『ふふっ‥‥この俺様にかかったら、こんな温泉の一つや二つ――』
「え? まだ他にもあるんですかっ!?」
『え‥‥? い、いやそれは言葉のあやってであってだな――』
「じゃ、次もあるんですねっ! 早く行きましょうっ! わぁ、どんな温泉か楽しみですっ!」
『や、ちょ、ちょっと待てっ!?』
「何してるんですか、わたがしさん? ほら、次の温泉が冷めちゃうかもしれませんよっ!」
『いやいや!? そもそもここにも入ってないだろっ!?』
「何言ってるんですかっ! 人前でお風呂入れる訳ないじゃないですかっ!」
『えぇっ!? そこだけ常識見解!?』
「ほらっ、抱いてあげますから、急ぎましょっ!」
『お、おう。‥‥ほう、なかなかどうして、出るとこ出てきやがって――』
「? 何か言いました?」
『いや、何でもない。このまま行こう。何処までもなっ!』
「え? 次の温泉までですよ?」
『えぇっ!? またそこで素に戻るっ!?』
「はて?」
 こうして、一人と一匹はあるはずもない次なる温泉を目指し、野を越え山越え――たのかもしれない。

●陵千
「ふ〜ん」
 春の日差しが優しく差し込む領主屋敷の一室。
「辿りついたんだねぇ」
 一枚の報告書を片手に茶を啜る、この屋敷の主『高嶺 戒恩』がどこか嬉しそうに呟いた。
「さてさて、霧ヶ咲島の女神さんは彼らにどんな景色を見せるのかな」
 そして、窓の遥か外。先日開拓者達が見つけた砂浜の方角を見やると、一度だけすっと微笑んだ。


■参加者一覧
万木・朱璃(ia0029
23歳・女・巫
一ノ瀬・紅竜(ia1011
21歳・男・サ
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
ミル ユーリア(ia1088
17歳・女・泰
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
アーニャ・ベルマン(ia5465
22歳・女・弓
フレイ(ia6688
24歳・女・サ
夜刀神・しずめ(ib5200
11歳・女・シ


■リプレイ本文

●矢立ヶ原
 薄くかかる霧が茶の原木達を幻想的に隠す。
「‥‥淡い緑の林、か」
 未踏の東方の玄関口『矢立ヶ原』の入口に立った皇 りょう(ia1673)が、眼前に見える風景を眺め小さく呟いた。
「開拓が始まり、早4カ月か」
 踏み込む一歩は開拓の証。
 りょうは幾度となく踏みしめた新たな道に、今日もまた一歩を記した。

●心津温泉

 砂と岩の世界を抜け、それは顔を現した。
 霧とは少し違う靄が立ち上る。
 赤銅色に濁った泉。そして、辺りを覆う硫黄に香。

「心津にこんな所があったなんてな」
 長く心津に住まうも、初めて見る光景に男は感嘆の声を上げた。
「でしょでしょ!」
 そんな男にアーニャ・ベルマン(ia5465)は嬉しそうに頷く。
「で、俺がやるのは何処だ?」
「ここですよここっ!」
 と、辺りを見渡す男にアーニャは赤銅色の水が湧き出す泉を指差した。
「ここって‥‥俺に温泉掘れって言うのか?」
 指された場所を訝しげに見つめ、男はアーニャに問いかける。
「違いますよ〜。掘った後を漆喰で固めて欲しいんです」
「漆喰で湯船作るって言うのか?」
「そうです! 真っ白な湯船に茶色いお湯。なかなか素敵だと思いませんか〜?」
「いや、まぁ、綺麗だろうけどよ‥‥」
 温泉の完成図を思い描き説明を続けるアーニャに、男は困った様に言葉を詰まらせた。
「あれ? 何かまずい事でもありますか〜?」
「漆喰で湯船作るなんて聞いた事が無いからな」
「え‥‥そうなんですか?」
「漆喰は仕上げ用だからな、見た目は綺麗だけどな。まぁ、防水効果はあるから出来なくもないかもしれねぇが――」
「しれないが?」
「湯船を全部漆喰で作るなら、乾くまでに何月かかるかわからねぇぞ?」
「え‥‥そんなにかかるんですか‥‥?」
「塗る厚みにもよるけどな。それに、乾いたら縮んで割れてくる。で、補修だ。そんなの繰り返してると結構かかるぜ?」
「そうなんですか〜‥‥」
「いっそ、湯船は木かなんかで作って、漆喰は目隠し用の壁に使ったらどうだ? 壁にする分にゃ丈夫で長持ちするぞ」
「木でですか〜‥‥」
「まぁ、白い湯船なんてなかなかお目にかかれねぇだろうから、気持ちはわかるけどよ。ほれ、アレ見てみろよ」
 と、悩みこむアーニャに男は温泉近くの岩を指差した。
「赤茶色の岩ですか〜?」
「この温泉、鉄含んでるんだろ?」
「はい、鉄含泉ですね〜」
「その鉄が問題だ。岩にこびりついて錆ちまってる」
「‥‥あ」
「ま、そう言うこった。折角真っ白な湯船作っても、一月もすれば真っ赤だぜ」
 と、気付いたアーニャに男は少し申し訳なさそうに話しかけた。
「う〜んう〜ん、それじゃ湯船を木で作るとして‥‥あ」
「うん?」
 悩みこんだ末、何か閃いたのかポンと手を打つアーニャ。
「確か竹はいっぱいあるんですよね?」
「うん? ああ、領主さんの屋敷の裏には一杯あるな」
「それを使いましょう〜!」
「ほぉ、竹の湯船か。面白いな」
「丸いままだと痛いので、出来るだけ平らに削って‥‥。敷き詰めた隙間は鉄が塞いでくれますよね〜? それにそれに、竹を使ってこの石の上に敷けば、洗い場もできますし、脱衣所も!」
 次々と浮かぶ案。アーニャは口早に言葉を並べていく。
「後は目隠しの壁を漆喰で白く染めて‥‥これなら、見た目も綺麗ですね〜!」
「へぇ、よく考えつくもんだ」
 と、アーニャの閃いた案に男は感心したように聞き入った。

●海岸
 何度訪れても、ここだけは別世界。
 抜ける様な青空と、その青に負けぬ海の蒼。そして、真っ白な砂浜が二本の岬に抱かれる。
「うぇ‥‥またドロドロ‥‥」
 そんな絶絶景を前に、ミル ユーリア(ia1088)はその清廉とは対照的な自分の身なりにウンザリと溜息をつく。
「いい加減、『ふしぎの道』はどうにかしないとな‥‥」
「ふしぎの道ってなにさっ!?」
 そして、その後ろでは同じく泥鼠と化した一之瀬・紅竜(ia1011)と天河 ふしぎ(ia1037)。
「ほんと、毎回バッシャンバッシャンやってたんじゃ、観光客の人も大変よね‥‥」
「百歩譲って夏はいいとして‥‥冬は拷問だぞ」
「し、仕方が無いんだからなっ! ここまで来るのにあの方法が一番なんだからっ!」
「うーん、まぁ、そうよね。流石に湿地を泳いでくるわけにもいかないし」
「そうだな。すまん、ふしぎ。言い過ぎた」
「うん、フシギ。ごめんね」
 と、怒りを露わにするふしぎに、二人は氷死するほど素直に首を垂れた。
「え‥‥そ、そんな二人ともやめてよっ。別に僕だって、もう少しいい方法があるかなとか、思ったり――」
 と、二人の謝罪に面食らったのか、もじもじと照れた様に俯くふしぎ。
「ま、もう少し何とかしないとね」
「ああ、俺も一案あったんだが」
 そんなふしぎを放っておいて、二人は再び話し込む。
「いい案なの? やってみればいいのに」
「いや、それがな――」
「なになに? 他の案?」
「ああ。‥‥ま、隠す事でもないか。実は湿地帯で夜刀神と別れる前に――」
 と、紅竜は道すがら別れたしずめとの会話を、二人に話して聞かせた。

「あかんあかん、話にならんわ」
「そうか? 心津にあるものを使えるし、いい案だと思うんだがな」
「天河の兄はんがゆぅとった、浅瀬に作る遊歩道。それやったら、わかる。せやけど、ここは話がちゃう」
「というと?」
「一ノ瀬の兄はんがゆぅのは、ただの遊歩道やない。――まだ見つけてへんけど、ここには絶対山葵があるんやで?」
「ああ、遼華の話ではそうみたいだな。だが、それと道とになんの関係があるんだ?」
「大ありや! そも砂利なんかで道を作ったら湿地が破壊されるんや」
「おいおい、大袈裟だろ、それは」
「大げさでも何でもない! ええか? 砂利で湿地を埋め立てて道を作る。まぁ、砂利は同じ土地のもんやし、『毒』はでぇへんやろうけど。それでも環境は一変する」
「一変する‥‥?」
「水の道が止まるんや。いくら湿地で水の行き来が少ないゆぅても、流れはちゃんとあるんや。砂利なんかで堰止めたら、それこそあの湿地はただの水溜りになり下がるで」
「‥‥なるほど」
「止まった水は腐るだけや。そんな事になったら、折角自生しとる山葵も全滅。悪いけど、うちは賛成できへん」
「ふむ‥‥」

「とまぁ、そんな感じだ」
 と、話し終えた紅竜は、どこか自嘲気味に笑うと二人を見やる。
「はは‥‥なんだか、その場にいたみたいに想像できるよ」
 そんな紅竜の話に、苦笑いのふしぎ。
「ま、シズメの言う事にも一理あるんじゃない?」
 一方ミルはしずめの言い分に理解を示した。
「だな、何で別段反論せずに任せて来た。前回調べた時に打った杭もそのまま残してあるから、安全な道筋はわかるだろう」
「そうだね。うまく生かしてくれるといいなっ」
「ま、小さいがあいつならうまくやるだろう」
「小さいは余計や! って、霧の向うで真っ赤になってそうだけどね」
「同感」
 霧の向うで一人湿地帯と格闘する小さな仲間を三人は頼もしく見つめた。

●矢立ヶ原
「立派な茅葺。それに、軒先も広くて‥‥うん、これなら十分ですねっ」
 海から吹きつける潮風に金の髪を揺らし、万木・朱璃(ia0029)は矢立ヶ原に出来上がった茶屋を満足気に見つめる。
「注文通りに仕上がってると思うんだけどよ」
「はいっ。これならお客様をお迎えしても恥ずかしくないと思いますっ」
 と、大工の言葉に朱璃は嬉しそうに答えた。
「穏の旦那にがんばってもらって、材料揃えたからな」
「まったく、心津に無いものばかり注文しおって」
 そんな大工の後ろには、腕を組み呆れる様に肩を落とす穏の姿。
「穏さん、資材調達ありがとうございましたっ」
「いや、お前等ががんばってくれているのだ。私もこれくらいはさせてもらわなければな」
 そんな穏にぺこりと首を垂れる朱璃。
「そう言っていただけると、私も助かります」
「そうか、助かるか‥‥助かる?」
「はいっ! えっと、こんなに立派な茶屋が建ったんです。次は内装と人員確保ですよっ」
「ふむ‥‥、して私は何をすればいい?」
「おぉっ! 話が早いですねっ! そんな事もあろうかと、実は必要なものを紙に書いてあるんですっ!」
「お前は気が早いな‥‥」
 どこか困った様な笑顔を浮かべる穏に、次々と頭の中の構想を説明していく朱璃。
 そんなお転婆娘と頑固親父の会話にも見える風景を、男はくくくと含み笑いで見つめたのだった。

●砂岩地帯
「荒涼たる原野、か」
 草木もほとんど生えぬ荒涼とした風景を見渡し、りょうがふと呟いた。
「西に樹林、東に大河――」
 そして、ゆっくりと首を振るりょうは、通ってきた西、そしてこれから続く東へと視線を巡らせる。
「あら、こんな所でどうしたの?」
 と、そんなりょうを温泉までの街道整備に乗り出していたフレイ(ia6688)が見つけ声をかけた。
「なに、これまでの開拓の軌跡を今一度踏みしめていた所だ」
「まだ開拓途中なのに、随分と気が早いわね?」
「確かに。だが、こうやってゆっくりと歩かねば見えぬものもあるのではないかと思ってな」
 と、りょうは来た道をそしてこれから行く道をゆっくりと見渡した。
「見えるもの?」
「ここを観光地にすると決まったからには、島外より客人を招く事になるであろう」
「まぁ、そうね。その為の開発と整備だし?」
「うむ。であればこそ、危険な個所を残す訳にはいかぬ。見落としが無いよう、じっくりと見て歩いている」
「なるほどね。で、これまでに危ない場所はあったの?」
「いや、街の皆がよくやってくれているようで、これまでの道には特に危険な個所などはなかった」
「そう。貴女のお墨付きなら、ここの人達も鼻が高いでしょうね」
 と、真剣に結果を報告するりょうに、フレイは楽しそうに答える。
「私のお墨付き‥‥? いや、そのような大層なものでは‥‥」
「ふふ。謙遜ばかりしていては損するわよ?」
「そ、そのようなつもりでは‥‥」
 フレイの言葉に困り俯くりょう。
「ま、あなたの気の持ちようって事ね。それじゃ、私は整備に戻るわ」
「う、うむ。よろしく頼む――あ」
 フレイに礼を述べたりょうであったが、ふと何かを思い出したのか顔を上げた。
「うん?」
「お、温泉の件なのだが‥‥」
 と、足を止めたフレイに、りょうは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
「温泉? 今アーニャが湯船作ろうって張り切ってるわよ?」
「う、うむ。アーニャ殿に任せておけば問題無いとは思うのだが、少し思う所があったので‥‥」
「なに? 何かあるなら伝えておくわよ?」
「大した事ではないのだが‥‥温泉の熱を冷ますのに川の水は使えないだろうか、と思ったものでな」
「ふ〜ん、川の水を足して温度を下げるのね」
「もしくは逆か」
「逆って言うと‥‥温泉を川に引くって事?」
「うむ。どちらにせよ、適温に調整せねば今の所、入れそうにないとおもう」
「そうね、わかったわ。伝えておく」
 と、どこか恥ずかしそうに呟いたりょうに、満面の笑みを浮かべフレイは大きく頷いた。
「う、うむ。よろしくお願いいたす」
「それじゃ、私は行くわね」
「う、うむ。――あ、あの」
「うん? まだ何かある?」
「いや、あの、その‥‥温泉が完成した暁には‥‥」
「暁には?」
「わ、私も、その‥‥」
 もごもごと口籠り俯くりょう。
「わかってるわよ。貴女も一緒に、ね」
 りょうが何を言いたいのか、フレイにはよくわかった。
 フレイはくすくすと小さく笑う、とりょうに向け妹に向ける様な優しい笑みを向けた。
「う、うむ。その時はよろしくお願いいたす」

 そして、二人はその場を離れる。
 フレイは温泉へと続く街道の整備に。そして、りょうはこの先に続く言葉川へと――。

●湿地帯
 まるで雲の中にでも入ったかのような錯覚が訪れる者を襲う。
「相変わらず鬱陶しい霧やな‥‥」
 そんな霧をウンザリと見つめる夜刀神・しずめ(ib5200)。
「はよ見つけな、いつまでもこんな事に手ぇ取られとる訳にはいかへん」
 と、決心したように呟いたしずめは、ぐいっと腕を捲った。
『うむ、俺の為には早く見つけろ』
「‥‥」
『‥‥』
「‥‥なんでここにおるかは敢えて問わんとこ。とりあえず、手ぇださへんから出てき」
 霧の中から響いた声に、しずめは頬をひくつかせ静かに答える。
『ふっ。そこまで頭を下げて乞われれば仕方ないな』
 と、勝ち誇った様に呟いた声は、深い霧にその影を映しだす。
「頭なんか下げてへんわ! なんでおまえがここにおるんや!」
『‥‥』
 濃い霧を割りしずめの眼前に現れた白いもふ体。
 しかし、しずめの問いかけにもわたがしは答えない。
『‥‥来るんだ、アレが‥‥西からゆっくりと‥‥』
 ようやく口を開いたわたがしはどこか怯える様に西方へと視線を送った。
「はぁ? あぁ、皇の姐はんか。まだ逃げてるんか‥‥」
 と、しずめは呆れる様にわたがしの恐怖の元をズバッと言い当てる。
『な、なぜわかる‥‥!?』
「あほか‥‥。誰が見てもわかるわ‥‥。ま、がんばってな。うちは忙しいねん」
 と、驚愕に震えるわたがしをあしらい、しずめは再び霧の湿地に向かった。
『ま、待ってくれ! ここしかないんだ、ここしか!!』
 そんなしずめにいつものプライド?を捨て必死にすがりつくわたがし。
「‥‥知らんわ。うちには関係あらへん」
 しかし、しずめは面倒臭そうに払い除けた。
『な、何でもする! だから、匿ってくれ!!』
 だがわたがしも諦めない。迫りくる恐怖から逃れるために。
「ほほぉ‥‥、今『何でも』ゆぅたな?」
 と、そんなわたがしの言葉にしずめの瞳が怪しく光る。
『お、おう‥‥』
 言い知れぬしずめの迫力に、わたがしは震える様に頷いたのだった。

●海岸
 相変わらず、ここだけが切り離された様な別世界。
 霧の島『霧ヶ咲島』にあって、まったくと言っていい程霧の気配がしない場所。
 空には春の蒼天が覗き、海には穏やかな白波が立つ。
「さてと、二人はどうするの?」
 そんな別世界かと思える砂浜に降り立った三人。
 ミルが他の二人に向け問いかけた。
「俺は岬を調べてみようと思う。何か発見できる物があるかもしれない」
「僕は砂浜までの道をもう一度検証してみようと思う」
「うん? シズメに任せるんじゃなかったの?」
 ふしぎの申し出にミルが首を傾げる。
「うん、任せておけば問題ないと思うんだけど‥‥ほら、しずめも山葵探しに忙しいかもしれないし」
「確かに、あの湿地も結構な広さがありそうだしな」
「うんっ、だからもう一度安全に通れる道を探そうと思うんだ」
 と、ふしぎは来た道を振りかえる。
 そこには蒼天広がる海岸とはまるで違う、白く煙る世界が広がっていた。
「もちろんその後はここの調査もするよっ! 折角の景色だから、来た人たちが一番いい形でここを楽しめるようにしたいもんっ」
 そして再び振りむいたふしぎは、広がる蒼の世界に向け大きく両手を広げた。
「あ、それでミルはどうするの?」
 今まで聞き手に回っていたミルに、ふしぎが問いかける。
「あたしは海を調べるわ」
「海って、海?」
 ミルの言葉にふしぎは小さく白波を立てる蒼海に視線を移した。
「そそ。折角の砂浜だしね。夏は海水浴とかしたいじゃない」
「そうだな。心津で海水浴が楽しめる場所なんてここくらいだろうし」
「うん。だから危険が無いか調べとかないとね。見た目は綺麗でも海の中には恐ろしい魔物がーー!!」
「うわっ!?」
 ぐわっと襲いかかる様なしぐさで二人を威嚇するミルに、ふしぎは思わず一歩後退。
「なーんて話しじゃ、折角今までしてきた開拓も無駄になるじゃない。今までみたいに、終点もきちんと整備しないとね」
「そ、そうだねっ! よしっ、僕も頑張らなくっちゃ! じゃ、行くね。二人ともまた後でっ!」
 と、頷いたふしぎは踵を返す。霧煙る湿地帯へ。
「ああ、気をつけてな。あそこはまだ何もわかってないからな」
 見送る紅竜がふしぎに声をかける。
「大丈夫っ! じゃね!」
 そして、ふしぎは来た道を駆け戻っていった。

「‥‥さてと、あたしもあたしのやる事をやろうかしら」
「そうだな。俺も――って、おい!? いきなりここでかっ!?」
「うん?」
 突然マフラーに手をかけ、外しにかかるミルに、紅竜は慌てて声をかける。
「‥‥はは〜ん。取るのはこれだけよ。まったく、何期待してんのよ」
「うっ‥‥」
 呆れる様な表情を向けるミルに、紅竜は視線を外しドギマギと答えた。
「服も泥だらけだしね。丁度洗えて一石二鳥よ」
 と、ミルは徐にマフラーを外すと、ぽいっと紅竜に投げてよこす。
「持っててくれる? それだけは代えが効かないから」
「お、おう」
 と、それだけを言い残し、ミルは蒼く澄んだ海へと飛び込んだ。

●温泉
 運び込まれた大量の竹が、小気味のいい音を響かせ割られていく。
「竹の温泉だなんて、何だかすごそうですねっ!」
「はいっ! 竹の香りは気持ちを落ち着ける効果もあるんです! それにこの湯船はですね、青竹踏みの法則を応用して――」
 と、割られた竹が規則正しく並べられる様を感心し見ていた遼華に、アーニャはその有用性を説いていく。
「お、おぉ‥‥奥が深いんですねっ」
「そうなんですよ〜!」
「まったく‥‥相変わらずね」
「え? あ、お姉!」
 熱弁を振るうアーニャ達の元に苦笑交じりに現れたのはフレイであった。
「代行さん相手にお説教?」
「もぉ、お説教じゃないよっ! って、それより街道の方は終わったの?」
「ええ、架橋の作業をしていた人たちが少し手伝ってくれたから、任せて戻って来たわ」
「わわ、整備お疲れ様ですっ!」
 自ら見た道を振りかえるフレイに、遼華はぺこりと首を下げる。
「皆すごいやる気ね。これなら温泉が出来るまでには、この道も出来上がると思うわ」
「おぉっ! それじゃ、この心津温泉のオープンは大々的にやらないとだね〜!」
「ええ、そうね」
 自ら受け持った温泉の完成と、姉が携わった至る道。
 二つの開拓が同じ時期に完成する。その事にアーニャは嬉しそうに頷いたのだった。

●心茶屋
「うん? それはなんだ?」
 進みゆく内装作業を見つめていた穏が、指揮をする朱璃に問いかけた。
「あ、これですか? 磁石ですよっ」
 それは朱璃が手元でコロコロと転がしていたモノ。
 先日の開拓で見つけた磁鉄鉱であった。
「磁石? そんなもので何をするんだ?」
「そうなんですよねぇ、何をしましょう?」
「おいおい、聞いているのは私の方だが」
 逆に問いかけてくる朱璃に穏は苦笑交じりに答える。
「先月の開拓の際に、この磁鉄鉱の鉱脈を見つけたんですけど」
「ほぉ、この心津にそんな物があったのか」
「そうなんです。でも、いざ見つけてみてもこれをどうしようかと思ってまして」
「ふむ‥‥」
「とにかく折角出て来た資源ですから、何かに利用したいとは思うんですけど‥‥」
「磁石‥‥と言えば羅針盤か?」
「ですね。ちなみに、心津には鍛冶屋さんはいます?」
「鍛冶屋? まぁ、何人かはいるが‥‥まさか羅針盤を作らせるのか?」
「いえいえ、これはまだ磁鉄鉱ですからね。このままじゃとても羅針盤に使える様な磁石にはならないです」
 穏の問いに朱璃は困った様に首を横に振った。
「ふむ‥‥で、一体どうしたいんだ?」
「一体どうしたいんでしょうね?」
「‥‥おいおい」
 再びオウム返しに問いかける朱璃に、穏は呆れる様に肩を落とす。
「製鉄出来れば、羅針盤に使える磁石としても、刀を打つ玉鋼として精製して輸出も可能だと思うんですけど‥‥」
「そんな大々的な設備、ここには無いぞ?」
「ですよね‥‥。う〜ん‥‥やっぱりこのまま売るしかないんでしょうか‥‥」
 折角見つけた磁鉄鉱。しかし、そのまま単体ではとても使い物にならない。
 朱璃は腕を組み首を捻る。
「そうだな。ジルベリアのアーマー技師にでも聞いてみるか?」
「あ、そういえばしずめさんもそんな事言ってましたね」
 と、音がふと口にした言葉に、朱璃は思い出したように顔を上げた。
「宝珠の力で動いているものだから、使うかどうかはわからんがな」
「そうですね。とにかく何かに使わないと勿体ないですっ」
「そうだな。よし、その件は私が聞いておこう」
「はいっ、お願いします!」
 嬉しそうに頷いた朱璃は穏に向け、大きく首を下げた。

●湿地帯
「作業は順調の様であるな」
「あ、りょう!」
 現れた人影を泥まみれのふしぎが出迎える。
「なんや、皇の姐はん、追いついたんや」
 と、同じく捜索の傍らふしぎの作業を手伝っていたしずめが顔を上げた。
「追いついた、とは何の事であろう?」
「あぁ、気にせぇへんでえぇで。それより、こんな所に何しに来よったん?」
「開拓を皆に任せて申し訳ない。私は今まで開拓した――」
 問いかけるしずめに、りょうは一礼し自身が訪れた理由を説明する。

「なるほど! 流石りょう、よく気がつくねっ!」
「開拓ではあまり力になれぬ故、こんな事ででも手を尽くさねばな」
 りょうの説明にふしぎはいたく感心する。
「で、なんか危ない場所はあったん?」
「うむ、これまではあまり危険な場所は見受けられないな。橋はまだ完全に完成しているわけではないので、出来てから調べねばならぬが」
「と言う事は、後はここと海岸だけだねっ! 早く道を作って海岸につなげないとっ!」
「うちもこればっかりに構ってられへんな」
 りょうの報告に、二人は触発される様に再び霧に向かう。

『見つけたぞ! さすが俺様!!』

 と、そんな三人の元に、一際誇らしげな声が響いた。
「む、あの声は?」
 と、その聞き覚えの得る声にりょうは霧の奥へと視線を送る。
「ほんまに空気読みよるわ」
 後ろでくすくすとほくそ笑むしずめの事など気付かずに。
『やはり、出来る男はちが――』
 と、誇らしげに語り霧から現れたたわたがしは、咥えていた一株の山葵をぽろっと落とし、表情を凍りつかせた。
「これはわたがし殿、このような所で手伝いをされていたのか。道理で姿を見ないはずだ」
 そんなわたがしをりょうは感心したように見つめる。
『ななな、何でお前がここに‥‥!?』
 対照的に短い手足を振るわせ、怯えたように声を上げるわたがし。
「うむ、先程お二人には説明したのだが――」
『そう言う事聞いているんじゃなくてだな!?』
「ふむ? 一体何をお答えすれば――ああ」
 激しい剣幕で木りたてるわたがしに、困り果てていたりょうは一つの事に思い当たる。
「これの事であろうか?」
 と、りょうは袋からこげ茶色をした塊を取り出した。
『なっ!?』
 りょうの取り出した物体に、わたがしは再び凍りつく。
「観念するんやな」
『い、いやぁぁぁぁぁ!!!』
 邪まな微笑みを浮かべわたがしの身体を持ちあげたしずめは、ずいっとりょうに差し出した。
「料理教室に通い、習得した一品である。なんでも、ジルベリアの祭り『ばれんたいん』で出される料理だそうだ」
 と、短い手足で必死の抵抗を見せるわたがし。
「なかなかの好評を頂いたものであるのだが‥‥いかがであろう?」
 そして、りょうは取り出した『ちょこれいとけぃき』をわたがしの口にねじ込んだ。

『う、う、う‥‥』
「そうか、泣く程美味いんやな‥‥」
 りょうの料理を咀嚼し、言葉を詰まらせるわたがしに、しずめは同情するように嘘泣き。
『うめぇぇぇぇっ!!??』
「‥‥は?」
「そうか、それはよかった」
 いつもとは違う歓喜の絶叫。りょうはその事を知ってか知らずか、ほっと胸を撫で下ろした。
「そ、そんなはずは‥‥」
「皆もいかがであろう? 皆に振る舞おうと多めに作って来たのだが」
「あ、僕も食べてみたいっ!」
 美味しそうにりょうの手料理を頬張るわたがしに触発されたのか、ふしぎが大きく手を上げた。

 そしてしばらくの時が経ち――。

『もう無いのか!?』
「あ、僕も!」
「沢山用意してあるから、慌てられなくとも大丈夫だ」
 次々と伸びる手に、りょうは丁寧に作品を手渡して行く。
「夜刀神殿もいかがであろう?」
 と、一人手を出さないしずめにりょうが問いかけた。
「う、うちはこれがあるからいらん‥‥!」
 しかし、しずめは必死で首を振ると、わたがしが持ってきた山葵を思いっきり頬張った――。

●温泉
「う〜ん‥‥今回も入れそうにありませんね‥‥」
「湯船が出来ないんじゃしょうがないわよ」
 ずーんと落ち込むアーニャを、フレイは慰めるように頭を撫でる。
「なんだ、入りたいのか?」
 と、そんな二人に左官職人の男が不思議そうに声をかけた。
「入りたいです〜!」
「そうね。折角目の前に温泉があるんだから、入らないのはもったいないわよね」
 不思議そうに問いかける男に、二人は力強く答える。
「なら、入ればいいんじゃねぇか」
「え?」
 そんな葛藤を続ける二人に、男はあっさりとそう告げた。
「幸い湯量は豊富みたいだしな。ほれ、川に流れ込んでる部分をその辺の石集めて堰き止めれば、簡単な湯船の出来上がりだ」
 と、男は温泉が流れる先を指差した。
「ああ、そう言えばりょうさんもそんな事言ってたわね」
 男の言葉に、フレイは先程聞いたりょうの言葉を思い出す。
「すごい〜! それって、ほんとの露天風呂っ?」
「そんなにいいもんじゃないと思うけどな」
「そう? 雄大な大自然を眺めながらお風呂に入れるなんて、素敵だと思うけど」
「うんうんっ。お姉、わかってる〜!」
 と、アーニャはフレイの腕にしがみ付きしきりにうんうんと首を縦に振った。
「ま、やるならやってもいいが‥‥」
「うん? 何かまずい事でも?」
 そん二人に苦笑しつつ、男は言葉を詰まらせる。
「丸見えだぜ?」
「うっ‥‥それは流石に‥‥」
「あら、アーニャ。自身が無いの?」
「お姉っ!? 今それとこれとは別でしょっ!?」
「そうかしら?」
 目を丸くする妹を楽しそうに見つめる姉。
「と、とにかく、湯船に入るのは今度のお楽しみにして、今日は足湯で我慢っ!」
 そんな姉にアーニャは前より構想していた事を提案する。
「足湯? なるほどな。それなら問題ないか」
 そんなアーニャの提案に、男は少し残念そうに豪快な笑みを浮かべた。
「決定〜! お姉、いいかな?」
「ええ、もちろんよ。慣れない力仕事して疲れてるから、早く入りたいわね」
「じゃ急いで作らないといけませんねっ!」
「うんうん! お姉は休んでていいよ〜! 遼華さんお手伝いしてもらってもいいです?」
「もちろんですっ!」
「それじゃ、少し休ませてもらおうかしら」
 そして、転がる岩に腰かけたフレイは、河原へと走っていく二人の背を嬉しそうに見つめた。

●海岸
 長らく人の侵入を拒んできた心津の東方。
 それは自然の姿がそのまま残ることを意味していた。
(ずっと遠浅ね‥‥おっと、こっからは深いわね)
 海へと潜ったミルは陽光を透き通すほど透明度の高い海水の中を沖へ沖へと進んでいた。
(――うん? 壁?)
 と、海中を進むミルの前に行く手を遮る様な岩の壁が姿を現す。
(‥‥これ、壁って言うより――)
 その壁に手をつき、左右を見回したミルは、一旦呼吸の為に海面へと浮上した。

「ふぅ‥‥」
「おつかれさま。どうだった?」
 と、息つぎに顔を上げたミルに、上方から声がかかった。
「綺麗な海ね」
 そんな声に崖を見上げたミル。そこには岬の調査に乗り出していた紅竜が。
「だろうな。ここから見ていてもそれはよくわかる」
 海面から十数mはあるだろう岬の上からミルを見下ろす紅竜。
「沈没船の一つでもあれば面白かったのに」
「おいおい‥‥」
「ま、それは置いといて」
「うん?」
「この岬繋がってるわね」
「繋がってる? 海の中でか?」
「そ。結構浅いから、干潮になれば姿現すと思うわ」
 と、水面に浮かぶミルは岬と岬が突き出した狭い海峡を指差した。
「へぇ、外海はこんなに流れも波も激しいのに、湾内は静かなのはそう言う理由か」
 ミルの言葉に、紅竜は再び湾内と外海を見比べる。
「そう言う事みたいね。これならいい海水浴場になるんじゃない?」
「そうだな。なぜだかここだけは霧も出ないようだし、夏は最高の観光施設になるな」
「そうね。ほんと不思議。何でここ霧が出ないのかしら」
 と、ミルは青く晴れ渡る大空を見上げる。
「案外、湿地帯に霧を発生させる宝珠とかあったりしてな」
 そんなミルに、紅竜は冗談交じりに呟いた。
「そんないいもんあるなら、見つけてうっぱらってやりたいわね」
「はは、違いない」
 呆れる様に両手を上げるミルに、微笑む紅竜。
「ま、こっちはそれくらいかな。そっちはどう?」
「こっちは特にこれと言って問題はなさそうだな。流石に何か建てる程の空間はないが」
 と、紅竜は歩いてきた岬を今一度見つめる。
 両端を断崖絶壁と成す海にせり出した岬は背の低い草が生い茂り、人が歩く分には問題の無い広さではある。
 しかし、それも十分とは言えず、建築物を置くには狭すぎた。
「ふ〜ん。展望台とかもダメ?」
「いや、それ位なら問題ないだろう。逆を言えばそれ位しか使い道が無いかもしれないな」
「そっか、それじゃふしぎが言ってた様な宿とかは建てられそうにないって事か‥‥」
「それは砂浜の方にしか無理だろう」
 と、紅竜とミルは湿地帯を抜け辿り着いた砂浜へと振り返る。
「浜かぁ」
「まぁ、あの湿地帯を資材が運べる、って条件付きだがな」
「それも問題よね‥‥。海からなんてとても運べないだろうし」
「残るは空か。と言っても、心津に飛空船なんてあるわけないよな‥‥」
「ないでしょうね」
 青い海と空、そして白い砂浜、緑の草原。ただそれだけが広がる景色を、二人はゆっくりと見渡した。


 着々と進む終着点への道。
 次々と出来上がる施設。

 ただ荒々しい自然だけがあったこの東方は、今姿を変えつつある。
 果たしてこの結果を、東方の女神はどう感じるのだろうか――。