【遼華】蒼海の彼方へ
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/01/25 19:19



■開拓者活動絵巻
1

綾鳥






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■オープニング本文

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●港街『海赤』
「気分はどうだ?」
 薄暗い倉庫の奥、気付かぬよう小さく区分された一角にその部屋はあった。
「‥‥」
「‥‥食事だけは取っておきなさい」
 落ち着きのある声でビルケは呟き、小さな机に食事の乗った盆をコトンと置いた。
 部屋には小さな寝台と、一人掛けの机、窓も無い薄暗いこの部屋を照らすのは、ただ一つの行灯だけであった。
「‥‥いらない」
 寝台の上で膝を抱えうずくまる遼華が、かすれるほど小さな声で囁く。
「‥‥ここに置いておく」
 小さな机の上には食事が数食分、まったく手が付けられずそのままになっていた。
「古い物は下げておく。少しでも食べるんだ」
 諭すようにビルケが遼華へ語りかけ、冷めた食事を下げる。
「‥‥」
「‥‥もう少しの辛抱だ」
 再び穏やかに遼華に話し掛けるビルケは、音もなく小部屋を後にした。

 ビルケが退室し、再び静寂に包まれる小部屋。
 じりじりと、火種が油を焦がす音だけがこの空間を支配していた。
「父様‥‥お泉‥‥」
 もう涙も枯れてしまったのか、遼華は虚空を見つめ、うわごとの様に二人の名を呟く。
「あたし、どうすれば‥‥いいの?」
 生気の無いその表情が紡ぐのは、問いかけの言葉ばかり。
「父様‥‥お泉‥‥」
 懐に抱いた形見の短刀をギュッと握り締め、遼華は想う。
 最愛の、故人を――。

●港
 数多の船が停泊し、荷揚げに奔走する水夫達の怒鳴り声が響く海赤の港。
 停泊する船の数と、水夫達が醸し出す港独特の活気が、この港の盛況ぶりを物語っていた。
「‥‥来るか」
 そんな港の喧騒を他所に、桟橋の先で一人の老水夫が瞳を閉じ、じっと海風に身を任せている。
「湖鳴」
 そんな老人を呼ぶ声がした。
「ご主人か」
「ああ、どうだろう海の様子は」
 湖鳴と呼ばれた老水夫は、振り返ることなく声の主に返事を返す。
「出航は明朝」
「‥‥わかった。用意させよう」
 湖鳴の言葉に、ビルケは小さく頷き、桟橋を後にする。

「逃避行か‥‥因果なものよの‥‥」
 湖鳴の囁きは、餌を求め鳴く海鳥の声に掻き消されたのだった。

●『海赤』郊外の屋敷
「‥‥」
 月明りが照らす中庭で、田丸麿が愛刀を月にかざしていた。
「人を斬ったのは久しぶりだね」
 小さな声で愛刀に話し掛ける田丸麿。
「‥‥あまりいい気分では、無いね」
 凛とした冬空の空気の元、田丸麿は呟いた。
「田丸麿様」
 そんな感慨に更ける田丸麿に、影より名を呼ぶ声がする。
「‥‥見つけた?」
 田丸麿は愛刀を見つめたまま、影の呼び声に答えた。
「標的の所在はいまだ‥‥」
「そう‥‥」
 淡々と抑揚の無い声で囁きかける声に、田丸麿は興味なさそうに答える。
「しかしながら、出国は明朝と‥‥」
「ふーん」
「いかがいたしますか?」
 影の問いに、田丸麿はしばし黙考の後。
「――行こうか」
 短く呟き、腰を上げた。
「では、船の用意を」
「任せるよ」
 その言葉に返す声は無い。
 田丸麿は愛刀を鞘に戻すと、
「‥‥早く会いたいね」
 月夜に向け、小さく囁いたのだった。

●小部屋
「‥‥」
 昼か夜かもわからぬ薄暗い小部屋には、遼華とビルケの息遣いの音だけがいやに耳についた。
「遼華」
「‥‥」
 名を呼ばれる遼華は、以前と変わらず寝台の隅に膝を抱え座り、俯いている。
「遼華、君を待っている者達がいる」
 そんな遼華にビルケはそっと囁きかけると、遼華の肩がピクリと揺れた。
「‥‥」
「君を護りたいと願う者達がいる」
 尚も遼華に浴びせられるビルケの言葉。
「妻は‥‥お泉はなんと言った?」
「っ!」
 突如出たお泉の名に遼華は、なおさら身を強張らせた。
「逃げてほしいと言ったのではないのか?」
「‥‥言った」
 ようやく発した遼華の声は、至極小さいもの。
「そうか――」
「言ったわよっ! なんでそんな事言うのっ!? お泉が死んでまで、あたしが逃げなきゃいけないのっ!?」
 ガバッと身を起こした遼華は、飛びかかるようにビルケに詰め寄り、その上着を力いっぱい掴む。
「何でっ!? どうしてっ!? 答えてよっ!!」
 感情を制御できぬ遼華は、涙を浮かべビルケを怒鳴りつけた。
「‥‥誰もが」
 そんな遼華の頭に、そっと手を添えビルケが囁きかける。
「誰もが、君の幸せを願っている」
「あたしの何処が幸せだって言うのっ!? こんなのが幸せなら、私はいらないっ!!」
 しかし、遼華はその手を強引に振り払い、尚もビルケに詰め寄った。
「‥‥悲しいことを言うものでは無い」
「あ‥‥」
 ビルケを見上げる遼華。
 そこには、流れる一筋の涙があった。
「ご、ごめんなさい‥‥」
 悲しいのは自分だけでは無い。
 遼華はその涙で悟ったのだ。
 この人も大切な者を失ったのだと。
「さぁ、行こう。皆が待っている」
 自分を恥じる遼華に、ビルケは優しく微笑み、その手を引いた。 

●沖合い
「田丸麿様、どうぞお手を」
 洋上に浮かぶ戦船。小船から乗り移った田丸麿を、穏が甲板で迎えた。
「この船を出すのも久しぶりだね」
 そんな穏の手を取り乗船した田丸麿は、自分の船をくるりと見回し満足げに頷いた。
「田丸麿様! これを見てくれよ!」
 甲板に上がった田丸麿に、道が駆け寄り声をかける。
「じゃーん!」
 道の背後にあったもの、それは。
「『大砲』だ!」
「へぇ、初めて見たね。これが大砲か」
 まるで我が子を自慢するように大砲を見せつける道。
 田丸麿も興味深そうにそれを見つめた。
「そうさっ、これさえあれば、どんな船だって木っ端微塵だぜっ!」
「試作品だがな」
 尚も自慢げに話す道に、穏が割り込んだ。
「ふむ、まだ試射もしてないの?」
「あ、えと‥‥」
 怖いくらいの笑顔で道に問いかける田丸麿。
「つい先日納品されたばかりですからね。試射はおろか、弾を込めたことすら無いようです」
 助け舟は穏であった。
「ふーん、使うなら色々と覚悟が必要だねぇ」
「ええ、できれば使わずに済ませたいところです」
 大砲を見つめる田丸麿と穏。
「出航なさいますか?」
 そんな二人に、悦が声をかけた。
「そうだね、いこうか」
 遥か水平線を望み、田丸麿は答える。
 声に小さな決意を秘めて――。

●港
「帆を張れ!!」
 湖鳴のしわがれた怒鳴り声が、甲板を支配する。
 その声に、日に焼けた水夫達が一糸乱れぬ動きで答えた。
「‥‥」
 遠くで遠雷が轟く。
 嵐の前触れに、港にいつもの活気はなく、しんと静まり返る。
 そんな中、この船ただ一つだけが出航準備に追われていた。
「抜錨!」
 湖鳴の掛け声に水夫達は、声を合わせ答え、碇が繋がる巨縄を力一杯引きはじめた。
「もう帰ってくる事もあるまい。しかと目に焼き付けておけ」
 握る舵から目を逸らすことなく、湖鳴は隣で佇む遼華に声をかける。
「‥‥」
 その言葉に、遼華はちらりとだけ陸に視線を揺らした。
「出航だ!!」
 そんな遼華を他所に、湖鳴は自分の仕事を淡々とこなす。
「‥‥」
 最早戻る事は叶わないであろう故郷を、遼華はただじっと見つめていたのだった。


■参加者一覧
真田空也(ia0777
18歳・男・泰
一ノ瀬・紅竜(ia1011
21歳・男・サ
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
煉(ia1931
14歳・男・志
佐竹 利実(ia4177
23歳・男・志
御神村 茉織(ia5355
26歳・男・シ
輝血(ia5431
18歳・女・シ
神咲 六花(ia8361
17歳・男・陰


■リプレイ本文

●海赤近海
「嫌な空だね」
 響く遠雷を船首で眺めながら神咲 六花(ia8361)が呟く。
「まったくだな。こうでもしねぇ逃げる事もでき無いのか」
 その隣では御神村 茉織(ia5355)が、苦々しく暗雲を見つめていた。
「強くなりたいね‥‥誰も泣かせなくても済む位にさ」
 六花の見つめるその先には、今は失われた優しく微笑む面影。
「‥‥なればいいさ。強くな。じゃねぇと誰も護れねぇ。もちろん俺もな」
「そうだね。強くなろう」
「ああ」
 そして、二人はお互いを鼓舞するように強く頷き、遠くに広がる暗雲をいつまでも見つめた。

「あと一息‥‥か。なんとしても乗り越えなくてはな‥‥」
 マストに身を預け、俯く煉(ia1931)が呟いた。
「この先に未来があるんなら、尚更な」
 その隣で武器の手入れをしていた真田 空也(ia0777)が、言葉を添える。
「‥‥うむ」
「‥‥どうした? 顔色が真っ青だぞ?」
 反応の鈍い煉を、空也が心配そうに覗き込んだ。
「‥‥気にするな。生まれつきだ」
「ならいいけどな‥‥これ使え」
 平静を装う煉に、空也がそっと手桶を差し出す。
「‥‥要らぬ世話を」
 そう言いつつも煉は差し出された桶を有難く受け取った。

「ビルケ殿」
「なにかな?」
 船倉で荷の確認をしていたビルケに、皇 りょう(ia1673)が声をかける。
「追っ手の船に対して、この船では分が悪いと思うのだが‥‥悪路を航行してはどうだろうか?」
「ふむ‥‥言い分は最もだが、ここは海上、我々素人が口出しすべきことでは無いと思うが?」
「そうか‥‥ビルケ殿がそう仰るのであれば」
「なに、湖鳴は海の上では無敵だ。任せておけばいい。それより遼華を頼む」
「‥‥要らぬ世話を焼いた。遼華殿のことは任されよう」
 静かに語るビルケに、りょうは深く一礼し、船倉を後にした。

「船長、この海域に岩礁地帯などはあるのか?」
 操を握る湖鳴に、一ノ瀬・紅竜(ia1011)が声をかけた。
「あるにはあるが、どうするつもりだ?」
 彼方の海から視線を離さず湖鳴が答える。
「追っ手がついている。そこにうまく誘導――」
「嵐の中をか?」
 紅竜の言葉を遮った湖鳴が、そう言って指差す方角には、黒く不気味な暗雲がたちこめていた。
「追っ手とやらを撒く前に、こっちがお陀仏だ。操舵は任せておけ、悪いようにはせん」
「‥‥そうか、すまなかったな。よろしく頼む」
 嵐に挑む船乗りの力強い瞳に、紅竜は安心したようにそう返した。

「これでは折角の船旅も台無しですね」
 船縁に片足を乗せ佐竹 利実(ia4177)が残念そうに呟く。
「来るなら来るといいですよ。守ると約束しましたからね」
 飄々とした表情のままに呟く利実の言葉には、強い決意が込められていた。

「さて、この嵐の中には何がいるのかな?」
 迫り来る暗雲をマストの上で輝血(ia5431)はじっと見つめ呟く。
「鬼が出るか、蛇が出るか‥‥はたまた人魚でもいるのかな?」
 輝血は口元だけを楽しげに歪めた。
 
「お前ら準備はいいか? 突っ込むぞ!」
 遼華を護る8人の勇士達に声をかけ、湖鳴は力の限り舵をきった。

●船室
 嵐の前触れが船を大きく揺する。
 そんな揺れる船内。扉の前に一つの影があった。
「遼、少しいいですか?」
 船室の扉をコンコンとノックし、遠慮がちに利実が顔を覗かせる。 
「‥‥」
 しかし、部屋の主は黙して蹲るだけ。
「無理はしなくてもいいと思いますけどね」
 扉の前に立ち、利実がおもむろにそう呟いた。
「そうだ、釣りなんてどうです? ちょっと海が荒れてますけど、気分転換になりますよ」
「‥‥」
 楽しそうに語る利実につられたように遼華が顔を上げた。
「守ると言った責任は取りますよ」
 そこには決意に満ちた利実の笑顔。
「‥‥佐竹さん」
「はい?」
「ありがとう」
 そんな利実に、遼華は今出来る精一杯の笑顔で返したのだった。

「遼華、ちょっとこれ見てみろ」
「え?」
 部屋に入った茉織は人差し指を遼華に突き出すと、そのまま天井を指差す。
 遼華はその指を追うように、ぽかんと口を開け天井を釣られ見る。
「!?」
「少しは食っとけ。甘味は疲れも癒えるし頭も冴える」
 茉織は開いた遼華の口に、小さな飴を放り込んだのだ。
「‥‥甘い」
 遼華は口の中に広がる甘みを、瞳を閉じて味わった。
「ずっと一緒にいてやれねぇが、心はいつも傍にある」
 遼華の頭をわしゃわしゃと掻き撫で茉織が明るく話し掛ける。
「あんたの笑顔と幸せを願って逝った、二人もな」
「‥‥うん」
 遼華は撫でられるまま俯きながらも、はっきりと答えたのだった。

「遼華入るぞ」
 船室の扉をくぐったのは空也だった。
「‥‥真田さん?」
 聞き慣れた声に、椅子に腰掛ける遼華が顔を上げた。
「えー、なんだ‥‥元気か?」
 じっと見つめてくる遼華の視線に耐え切れず、空也は視線を逸らし天井を見上げる。
「‥‥あまり」
 そんな空也に、遼華は覇気の無い苦笑を持って答えた。
「あ! いや、すまん‥‥! 悪気は無いんだ‥‥ごめん」
 沈む声に空也は慌てて頭を垂れる。
「いえ、大丈夫ですよ‥‥どうかしました?」
「えっと、その、朱藩に着いたらどこか綺麗な景色でも見に行かないか‥‥?」
「‥‥それはお誘い?」
「あ、いや! い、嫌ならいいんだ、嫌なら‥‥」
「くすっ‥‥考えておきます」
 顔を真っ赤に慌てる空也に、遼華はにこりと微笑んだのだった。

「‥‥」
「煉さんこんなところでどうしたの?」
 船室の扉を前に行ったり来たりを繰り返していた煉に、六花が声をかけた。
「‥‥いや、何でも無い」
「ふーん、それをお嬢に?」
 煉の懐には小さな包みがあった。
「‥‥何か気を紛らわせるものでもあればと思ったのだが‥‥だめだな、こういうのはどうも苦手だ‥‥」
 気恥ずかしさらか、六花と視線を合わせず呟く煉。
「ふふ、煉さんらしいね。僕もお嬢には元気になってもらいたいし、一緒に――」
 そう言って、六花が遼華の部屋をノックしようとした、その時。

 船を揺らすほどの轟音が辺りに鳴り響いた。

●船倉
「くそっ! とまらねぇ!」
 無尽蔵に吹き出てくる海水を、必死に押さえ留めようと茉織が格闘していた。
 嵐にも耐えうる頑丈な船底には、人の頭ほどの穴がぽっかりと口を開け、大量の海水を吐き出している。
「茉織、どうしたの?」
 轟音を聞きつけ船倉に現れた輝血が、海水と格闘する友人に歩み寄った。
「輝血か! いいから見てないで手伝え!」
「やだよ、濡れるし」
「おまえなぁ! ん?」
「さっさと塞ぎなよ。沈むよ?」
 怒鳴る茉織に、輝血が差し出したのは、船倉に置かれた予備の帆。
「助かる!」
 帆を受け取った茉織は、帆を丸め開いた穴に突っ込んだ。

「なんだ今の音は!」
 そこに一歩遅れて煉が現れる。
「わからねぇ、だが――」
 苦々しく茉織が指差す先には、中より爆ぜたであろう木箱の残骸。
「‥‥破壊工作か」
「沈みはしなかったが、大分水が入っちまった‥‥」
「この程度で済んだと思うべきか‥‥」
 海水の流入はほど止まっているが、すでに海水は煉達の脛の辺りまで浸水していた。
「お取り込み中申し訳無いけど、早く行かないと――来るよ?」
 唇を噛む二人に輝血が甲板を指差した。

●桔梗丸
「来た!」
 嵐を目前に六花が叫ぶ。
 後方には肉眼でもはっきりとわかるほど大きく敵船の姿が見えた。
「帆を畳め! 突っ込むぞ!」
 甲板に湖鳴のしわがれた怒声が響き渡る。
 桔梗丸は船体に傷を負い速力を落としつつも、嵐へと突入した。 

「この嵐でも平気で近づいてきますか。さすが戦闘船」
 降り注ぐ雨と風。そして放たれる矢を刀で捌きながら、利実が感心したように頷いた。
「言ってる場合か!」
 隣では、敵船を近づけさせまいと空也が必死に弓を絞る。
「くっ! この雨では‥‥!」
 手にした焙烙玉を見つめりょうが呟く。
 容赦なく降り注ぐ豪雨が、辺りを水気で満たしていた。
「例の補助機関か‥‥!」
 煉が苦々しく言葉を漏らす。嵐の大波をものともせず、敵船はありえぬ速度で迫り来る。
「お前達、すまん‥‥!」
 苦渋に満ちた湖鳴の声。船体に傷を負った船を、荒れる海面に何とか漂わせる湖鳴の技量はさすがであった。
 しかし、彼我の速力の差は目を見るより明らか。

 そして、一行がなす術なく見守る中、敵船が船首を立て桔梗丸の船腹に突っ込んだ。

●甲板
 接舷された船から乗り込んできた多数の敵を食い止めようと、桔梗丸の甲板ではいたるところで乱戦が繰り広げられていた。

「‥‥たまには熱くなるのも悪くないね」
 血の滲んだ符を握り締め、六花が小さく呟く。
「へへっ、なかなかやるじゃねぇか!」
 六花に対峙するのは道。楽しげに口元を歪ませた。
「退けない戦いってのも、あるんだよ!」
 叫ぶ六花に呼応するように、符が燃え上がる。
「うおぉぉ! 燃えろ!!」
 六花の放つ渾身の『火輪』が、道目掛けて放たれた。

●船室
「一ノ瀬さん!」
 激しく内から叩かれる扉を背に、紅竜が槍を携え佇む。
「‥‥俺は死なない」
「え?」
 背に聞こえる激しい息遣いに向け、紅竜が囁く。
「これ以上誰も死なせん。それが先に逝った者達への俺の誓いだ」
「あ‥‥」
 紅竜の決意に満ちた声に、遼華は押し黙った。
「話は済んだか‥‥」
 そのやり取りを黙して待っていた悦が呟く。
「悪い、待たせたな」
 槍を握り直した紅竜は、静かに弓を構える悦に切っ先を向けた。
 
●船倉
「こそこそと何をしてるのかな?」
 船倉にもぐりこんだ界に、輝血が声をかける。
「‥‥ちっ、見つかったか」
「それを取ると、沈んじゃうんだよね。この船」
 界が手をかけていたのは、海水の流入を防ぐ為につめられた帆。
「あんまり手を煩わせないでくれないかな。面倒くさいよ」
 にこりと微笑む輝血の笑顔は、底知れぬ冷たさを纏っていた。

●甲板
「貴様は決して許さぬ‥‥!」
 悠々と歩みを進める田丸麿の前に、りょうが立ち塞がった。
「‥‥道を開けてくれないかな?」
 そんなりょうに、田丸麿は怪訝な表情を持って答える。
「私の技量が貴様の力量に及ばぬ事は重々承知している‥‥。しかし、退くわけには行かぬのだ!」
「ふむ、命を粗末にしちゃいけないよ?」
 発せられるりょうの怒気を受けて、田丸麿は刀の柄に手をかけた。
「貴様の所業、この刀を持って断罪してくれる!」
 田丸麿の静かな迫力に、りょうは後退りしそうになる足を必死で押しとどめ。
「皇 りょう、参る!」
 青白い気を纏った刀を携え、りょうが田丸麿へ向け刀を振り下ろした。

 ザシュ!

「――え?」
 決死の覚悟で斬り込んだりょうの手に残る確かな感触。それは、肉を絶った時特有の感触であった。
 田丸麿は己の刀を抜き放つことなく、りょうの刃によってその身を裂かれていた。

 コトン。

 その時、田丸麿の右手が床に落ちる。
 床には血に塗れた巨大な手裏剣が深々と突き刺さっていた。
「‥‥空か」
 袈裟切りに身体を裂かれ、右手を落とされた田丸麿が見つめるのは、背後の船縁。
 そこには嵐の風をもろともせずに佇む、人影があった。
「なんだ!」
 駆けつけた空也が見たもの、それは。
 崩れ逝く田丸麿。それを呆然と見つめるりょう。そして、口元を歪ませ船縁に佇むビルケ。
「りょう! いったいどうなって‥‥」
「‥‥」
 りょうの元に駆け寄った空也は事の顛末を問いかけるが、りょうは血に塗れた自身の刀を呆然と眺めていた。
「波が来るぞ! なにかに捕まれ!」
 その時、突然の湖鳴の声。
 声に導かれるように視線を移した二人の目には、巨大な波が桔梗丸を飲み込まんと迫る。
「やべぇ! りょう、行くぞ!」
「あ、ああ」
 迫り来る波に、空也は急いでりょうの手を引きマストへ向かった。

 そして――

「‥‥遼華君」

 大波が桔梗丸を飲む。田丸麿の呟きと共に。
 波が引いた甲板に、田丸麿の姿はなかった。

●桔梗丸
 嵐が止んだ。
 荒々しい自然の暴力は、まるで田丸麿の命と共に消えるように、過ぎ去り失せた。

「ははは! よい餌になってくれたことを感謝しよう!」
 狂気にも似たビルケの笑い声。
「空、なぜ裏切った!」
 田丸麿の船の船首で笑うビルケに向け、一行と死闘を演じていた穏が叫んだ。
「なぜ? 愚問を‥‥。そうだな、そこのシノビにはわかるだろう?」
 言ってビルケが指差すのは、茉織と輝血。
「‥‥光?」
 そう答えたのは輝血だった。
「ははは! よくわかってるじゃないか、その通りだ!」
 高笑いをあげるビルケは、至って満足そうに答えた。
「越中家を乗っ取ろうというのか‥‥!」
「乗っ取る? 違うな、返してもらうのだよ。不出来な甥からな」
 りょうの問いかけに、ビルケは楽しそうに答える。
「甥だと‥‥!?」
 驚愕の声を上げる悦。
「なるほど、家督相続のいざこざに、俺達は巻き込まれたわけですね」
 滅多に怒りを露にしない利実も、今は声に多分の怒気を込める。
「そんな事の為にお嬢を追い詰めたのっ!」
 湧きあがる怒りを押さえることなく、六花が叫んだ。
「そんな事とは随分な言い草だな。ジルベリアの血を引いているが為に、俺がどれほど――」
「‥‥そんなことはどうでもいい!」
 不愉快に歪むビルケの言葉を遮り、煉が叫ぶ。
「‥‥遼華が‥‥お泉がどれほどお前を信頼していたと思っているんだ!」
「笑止! 騙されるほうが悪いのだ!」
 激昂する煉に対するビルケの表情は余裕に満ちたもの。
「てめぇ‥‥!!」
 今にも飛びかからんとばかりに、空也が船縁に足をかけるが。
「その船はくれてやろう。せいぜい沈まぬように気をつけることだな!」
 捨て台詞を残し、ビルケは田丸麿の船を桔梗丸から離し、海域を離脱した。

●凪の海
「あの‥‥」
 紅竜に連れられ、甲板に姿を現した遼華が一行に恐る恐る声をかける。
「遼‥‥」
 迎えた利実の表情に、苦々しいものが浮かんでいた。
「終わったようだな」
「ああ、終わった、全部な」
 紅竜の囁きに、空也が答える。
「‥‥大円団とは言い難いがな」
 怒りに震える煉が、搾り出すように小さく呟いたのだった。

「君達はどうするの?」
 縄に捕われマストに縛りつけられた四天王に、輝血が声をかける。
「けっ、どうにでもしろ! もう、雇い主もいねぇんだ」
 その声に自棄になった道が悪態をつく。
「じゃ死ぬ?」
 顎に人差し指を当てかくりと首をかしげた輝血が、ぼそりと囁いた。
「輝血、ちょっと待て! もう血を流す理由がねぇだろ!」
 短刀を構える輝血を、茉織が羽交い絞めで止める。
「もぉ、相変わらず甘いなぁ、茉織は」
 必死に止める茉織にくすりと微笑みかけた輝血は、抜き放った短刀を鞘に納めた。

「見えたよ。霧ヶ咲島だ」
 六花の声に視線を移した一行の目に飛び込んできたのは、その名が示す通り霧が咲いたように島を包む孤島の姿であった。
「あれが霧ヶ咲島‥‥」
 遠くに霞む島影を見つめながら遼華が呟く。
「長い旅であったな」
 遼華の隣に静かに佇むりょうが、海へ向かい呟いたのだった。