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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●安州 「‥‥いけませんね、気ばかり焦ってしまって」 ふぅ、と大きく一息、夕暮れ染まる空の空気を肺へと送り込む。 「‥‥折角これだけの戦力が救出のために尽力しているのですから、一人の焦りで台無しにしてしまうわけにもいかない‥‥とは分かっているのですけれど」 今孔明『最上 頼重』球すつ作戦が僅か6名で行われるのには理由がある。少数精鋭による敵本陣への奇襲作戦がその作戦の基幹部であるか、それも単独行動をしろという訳ではない。 頭ではわかっている、わかっているのだが、考えと気持ちとバランスは一向に釣り合いをとってくれはしないのだ。 駆け廻る考えと焦燥に頭を左右に振った女はふと、両手に抱えた湯呑に視線を落す。 「まぁ、茶柱」 もう湯気も立っていない冷めた茶の中央に、波紋を広げながら漂う茶の一枝。 「お待たせしました――どうかされましたか?」 「はい?」 背後から掛けられた声に振り向き、かくりと首を傾げる。 「なんだか‥‥いえ、気のせいの様です。申し訳ありません。それより、何か思い出されましたか?」 「はい、領主屋敷での事ですが隠し通路の様なものは存在しないと、確か伺った記憶があります」 「隠し通路が無い、ですか‥‥領主屋敷だと言うのに、些か不用心な様な気がいたしますね」 「そうかもしれませんが、戒恩様はこうおっしゃっていました。『こんな田舎に誰が来るんだい?』と」 壮年の男性の真似が余程似ていたのか、それとも正反対か、目の前の落ち着いた雰囲気を放つ女性は、ぱちくりと目を見開く。 「‥‥確かに、そう言われれば身も蓋もありませんが‥‥やはり正面突破しかないのでしょうか」 見開いた目を笑顔に変えた女性はすぐに表情を険しいものに変え、右手を口元に添えた。 「そうですね。一先ずの目標としました蔵へはどうしても領主屋敷の脇を通らなければいけませんし‥‥」 前回の潜入で確認までは行かなかったが、たった一年前にその場所を訪れているのだ。場所と内部構造は瞳を閉じればすぐに浮かんでくる。 「幸い、蔵の周りは竹藪ですので、付近まで行けば隠れられる場所もあるかと」 「‥‥もし蔵が頼重様の監禁場所なのでしたら、シノビや‥‥もしかすればアヤカシも居るでしょうか。こちらに隠れる場所があるのでしたら、相手方からも不意打ちも可能ですね‥‥」 「絵心はあまりありませんので簡素な物になりますが見取図を用意しておきました。戒恩様にお伺いすればもう少し詳細な物ができたかもしれないのですが‥‥」 「‥‥今、お手を煩わせるわけにはいきませんね。見取図ありがとうございます」 「いえ、これくらいしかできることがありませんので」 軽く会釈する女性に対し、どこか疲れの見える力無い笑みで答える。 「索敵は貴女様が頼りなのですから、そのような弱気を見せないでください。姫様に伝播しては困りますよ?」 と、どこかでくしゃみでもしているかもしれない小さな姫君を思い浮かべ、二人で顔を合わせ苦笑した。 「‥‥そうですね。まだ、何も解決していないのでした」 「そう言う事です」 穏やかな優しさの裏に確かな石の強さを感じる炎を宿す給仕服姿の女性を前に、自分の意識をもう一度奮い立たせる。 自分でも何処までできるかわかわからない。だが、関わったからには必ずやり遂げる。もう、日和見では許されない。そう、自分に言い聞かせて。 ● 「兄はん、見舞いに来たでー」 病室だとわかっていてやってるのか、拍子木を思いきり打ったのではないかと思わせる盛大な音を響かせ、襖が開け放たれる。 「‥‥なんやおらへんやんか」 冷やかしも兼ねて部屋を訪れた少女は、ずかずかと中へと大股で進むとクイクイっと首を左右に振るが、部屋の住人たる男の姿は何処にもない。 そして、徐に空になったベッドの敷布団と掛け布団の間に手を突っ込んだ。 「――んー、四半刻ゆぅとこか」 冬の外気で芯まで冷えた手に、柔らかな温かみが伝わってくる。 「そんな薄着でこの寒空の中、出ていったら風邪こじらせて肺炎なって死んでしまうでー」 と、少女は棒読みの台詞で開け放たれ窓に向け呟いたのだった。 「はぁ‥‥はぁ‥‥」 身体が重い。足が上がらない。息が続かない。 いつも自分の考えに即座に反応する四肢達が、休ませろと悲鳴を上げ抗議している。 枯れ葉の積もる森中を素足で歩くと、悲鳴にも似た破砕音が耳についた。 「くそ‥‥」 嗚咽の様に吐き出された言葉は、森の中を抜ける寒風にかき消された。 それは、暗い洞窟の中、嘲笑にも似た卑下た笑みを浮かべる長身痩躯の白衣に向けられたものか、それとも、見込みが甘かった自分自身に向けられたものか――。 どちらでもいい。そんな事より、こんな所で立ち止まるわけにはいかない。こんな何でも無いただの『依頼』なんかで、歩を止める訳にはいかない。 悲鳴を上げる右足に、拳で鞭を打ち。次の一歩を刻ませる。目的はただあの場所、無様に逃げ帰ったあの白衣の元だ。 ● 昼であれば、濃い海の蒼、薄い振るの空の青、二色の光彩が美しい境界線を引いていたであろう水平線は今は全く見えず、夜の帳が海と空を黒一色に染める。 星と月だけが照らし出す夜の世界を大型の飛空船が飛翔していた。 「おっ、おっ! 霧が晴れてきたよっ!」 「ほう、本当に天気を読めるとはな。まったく便利なもんだ」 少女が指差した方角を眺め、この船の船長栄は感心した様に顎髭に手を伸ばす。 「せいぜい2日後までだけどね。ねぇ、今何時になった?」 「えっと、今は丁度日が変わった所だから‥‥」 蒼髪を夜風に揺らす女性の問いかけに、少女は懐からすっと取り出した金の懐中時計が刻む時をじっと睨みつける。 「零時ね‥‥やっぱり行動するには夜の方がいいのかしら‥‥」 「うーん、どうだろう。霧が無いのは見やすくていいと思うけど、相手も見つけやすくなったりするんじゃないかな?」 「そうなのよね。その危険があるんだけど‥‥」 遠く月明かりに照らされる霧の島を眺めながら、船縁に両手を着いた二人がふぅと同時に溜息をついた。 「やっぱり、問題は陵千の中よね‥‥」 「うん‥‥陵千までは裏道でいけそうだけど、中はあのアヤカシがまだ居るだろうし‥‥」 「こんな事なら見つかる覚悟で一戦やらかしてくるんだったかしら」 「駄目だよっ! そんなことしたら救出作戦ばれちゃうかもしれないじゃないかっ!」 「そうよねぇ‥‥」 進退極まるとはまさにこの事か。ただでさえ困難な救出作戦であるこん作戦に、できうる限り好条件をそろえ望みたい。二人は無言で霧にかすむ島を眺めた。 「‥‥まったく、厄介な島に籠ったものね」 「うん‥‥」 月光に映し出される霧の島は、巨大な入道雲のようでもある。絶海の孤島は、今や難攻不落の要塞と化している。 「‥‥何かもう一手、必要な気がするな」 背後で栄がぽつりとそう呟いたのだった。 |
■参加者一覧
出水 真由良(ia0990)
24歳・女・陰
叢雲・なりな(ia7729)
13歳・女・シ
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
更紗・シルヴィス(ib0051)
23歳・女・吟
夜刀神・しずめ(ib5200)
11歳・女・シ |
■リプレイ本文 見上げれば朧な月が輪郭を歪ませる。静まり返った獣道に砂を蹴る足音が小さく木霊した。 「ここからは更なる警戒をお願いしますね」 道案内にと先頭を行く出水 真由良(ia0990)が振り返るとそこには、ぎゅっと結ばれた唇に緊張の色を色濃く映し出していた。 「う、うん!」 「そんなに緊張しとったら、大事な所でヘマするで」 真剣みを帯びた表情に二度三度と首を振るなりな(ia7729)の背を夜刀神・しずめ(ib5200)が、とんと押した。 「見えましたよ。陵千の町境の柵です」 と、真由良が指差す先にはぼんやりと格子状の影が浮かび上がっていた。 「霧は相変わらずか‥‥」 「大丈夫だよ! 私達には音があるもんね」 視界不良であるこの状況でもシノビの二人にとっては然したる問題ではない。目以上に利く『耳』がある。 「頼りにしています。では――」 一瞬いつもの朗らかな笑みを浮かべ引き締める。真由良は立ち止り懐から取り出した符に命を吹き込んだ。 ●浜 「本当に霧の無い綺麗な浜‥‥ここが今から」 この島に何度も足を踏み入れ独特の地形がもたらす難儀を感じた身としては、話に聞いたこの浜の事を実際に見るまでは半信半疑であった。 更紗・シルヴィス(ib0051)は眼下に映る美しい浜を見下ろし、憂う様に呟いた。 「おかげでこうやって飛空船を絡めた陽動ができるんだから、少し荒れちゃうのには目をつぶってもらわないとね」 そんな更紗の心情を想ってか、ユリア・ヴァル(ia9996)がそっと肩を抱いた。 「そろそろ行くぞ。耳塞いでろよ!」 そんな二人の思いを知ってか知らずか、栄は甲板から一段高くなった場所から指揮棒を振り上げた。 「ド派手にかましてやれ! これが朱藩空軍の戦い方だ!」 途端、吐き出された砲弾が浜に穴を穿ち、白砂を空高く舞い上げた。 「総員、降下開始!」 間髪いれず船縁に結び付けられた縄を掴んだ兵士達が一斉に宙に身を躍らせる。 「豪快な宣戦布告だ」 豪快な一撃に派手を好む朱藩の気風を感じたか、竜哉(ia8037)は細く微笑むと砂が舞落ちる浜へ視線をやった。 「‥‥これで敵の目がこちらに集まればよいのですが」 「その心配はないみたいよ」 朱藩軍の精鋭達が浜へと降り立つと同時、浜を囲む濃い霧に中から黒い影が躍り出てくる。 「やはりここにも配置してあったか」 「まぁ、これだけ目立つ場所だしね。当然と言えば当然でしょ」 「我々も‥‥行きましょう!」 現れた人影は一目でシノビとわかる。越中家のシノビであれば手練、例え朱藩軍でも苦戦するだろう。真っ先に縄に手をかけた更紗に続き、竜哉とユリアも宙へ身を躍らせた。 ●陵千 「シノビの姿はない様で――また来ます。これでデュラハンは5組目ですね。‥‥うっ‥‥そろそろ限界ですか」 空を漂っていた視界が、人魂が消える感覚と共に自身へと戻ってくる。真由良はふぅと息をつき顔を上げた。 「‥‥やっぱり変や」 人魂が見た情報に、しずめは眉を顰め怪訝な表情を向ける。 「どうしたの?」 「気付かんかったんか? 今回もあの首なし、人魂に気付いてへんかった」 三人が身を潜める民家は街に入ってすぐの所で通りからは少し離れている。そこから真由良が人魂を飛ばし、首なしアヤカシの挙動を探っていたのだが。 「感知能力を持ってへんもんを守備につかせるとは思えへん‥‥なんか別の索敵方法を持っとるはずや」 「うーん‥‥それって、視覚か聴覚かって事?」 「熱感知や‥‥生命感知などという可能性もありますね」 「さすがに一個ずつ調べる訳にはいかへんか‥‥」 「見つかれば一斉に襲ってくるか、警報で侵入を知らせるか‥‥ともかく、楽しくない未来が待っていそうですね」 「うへ、それは嫌だなぁ。見つからずに行く方法かぁ‥‥」 と、なりなは民家の影から霧の霞む陵千の街を見渡す。 「うーん、やっぱり視界は悪いねぇ‥‥だとしたら首なしも視覚感知じゃないかな?」 「だとすると聴覚かそれとも別の何かか。ともかくここに潜んで見つからないと言う事は、それほど索敵範囲は広くないのかもしれませんね」 「しゃーない。巡回タイミングを出水の姐はんに計っといてもらいながら、街の外をぐるっと大回りして屋敷に近づくしかあらへんやろな。で、時間は?」 「あ、もうすぐだよ。後1分で竜哉達が陽動をかける!」 なりなが手元に視線を落した。金に光る時計の針は約束の時間である午前0時の少し前を指していた。 ●浜 「一斉射! てぇー!!」 火薬を焦がす臭いが立ち込め、連続する轟音が夜の浜に響き渡る。一列横隊になった朱藩軍はその練度の高さ見せつけるかのように、一糸乱れぬ軍隊行動で霧の中から現れるシノビへ集中砲火を浴びせていた。 「すごいわね。流石朱藩国軍って感じ? 私達の出番ないじゃない」 砲術士数十人による3列横隊が入れ替わり立ち替わり鉛の雨を浴びせかけている。 ユリアはこの圧倒的ともいえる砲火を前に感嘆の声を上げた。 「ユリア様、瘴気の捜索を」 「おっと、そうだったわね――」 更紗の言葉を受け、ユリアが瘴気捜索の印を結ぶ。 「‥‥いないわ。アヤカシはこの浜付近には居ない様ね」 「という事は、相手はシノビ集団だけという事ですか。それでしたら」 街で見たという首なしのアヤカシが居ない事に安堵したのか、更紗がほっと一息つく。 「どうかな。どうやら奴ら、あそこから出てくる気はないみたいだ」 と、竜哉はすっと前方を指差した。それは朱藩兵越しに見える壁の様な霧の層。シノビはこの濃い霧を巧みに利用し、砲撃の的を絞らせず抗戦を続けている。 「あの霧は厄介ね‥‥そもそも何なのよあの濃霧。あれじゃまるで煙幕じゃない」 「シノビは聴覚に優れていますから、あの中でも行動が可能‥‥なるほど、見事な防衛陣ですね‥‥」 いくら砲撃を浴びせようと銃士隊が罵倒して挑発しようと、シノビは月光に姿を晒す気はない様だ。 散発的に――これはこちらを挑発しての事か――姿を現しては、苦無や手裏剣による正確無比な投擲を行い砲術士を負傷に追いやっていた。 「で、竜哉どうするの? あの向うへ行くの?」 「‥‥」 ユリアの問いかけに竜哉は沈黙する。 事前に島の住民達に聞いた話では、この浜から内陸へ向うには目の前に白い壁の如くそそり立つ霧の層を越えなければいけない。更にあの異様に濃い霧の下は足元がぬかるむ湿地帯だと言う。 「‥‥更紗、子守唄は届くか?」 「苦無と手裏剣に身をさらせば」 朱藩国軍と霧の壁までの距離は約30m。これ以上軍を前進させれば正確無比な投擲武器の餌食になる者が飛躍的に増えるだろう。 かと言って、更紗の歌う子守唄の射程はせいぜい20mがやっと。必然的に両軍団の真っただ中に身を晒す必要があった。 「‥‥」 「‥‥捨て身と言っても差し支えない作戦ではありますが、私は構いませんよ」 沈黙を続ける竜哉に更紗はまるで自分の事など気にするなと、凛とした声を響かせた。 「あまり褒められた作戦じゃないわね。それでも行くの?」 「多少の危険は覚悟の上だ。こっちの負担で成果が上がるなら‥‥分の悪い賭けじゃない」 「賭け、ね。まったく、相変わらず何というか‥‥ま、そう言う所は嫌いじゃないけどね」 溜息をつく落胆とは裏腹に、ユリアの瞳には信頼にも似た色を帯びていた。 「‥‥準備出来ています。いつでもどうぞ」 ハープを抱えた更紗の姿を確認し、ユリアは再び竜哉に視線を振った。 「帰ってこれる保証はないわよ?」 「その時は海にでも身を投げる」 ●陵千 「‥‥変化はありませんね」 「陽動は失敗と見た方がええみたいやな」 「むぅ‥‥」 仲間達が上陸した浜は陵千から10数kmも離れている。ここからの援軍が動かないことからも、陵千を護る部隊と浜を守備する部隊は全く独立しているのだろうとわかる。 「頼れないものは仕方ありませんね。我々だけで参りましょう」 真由良の言に二人のシノビもこくんと頷く。 「小隊と小隊の間隔が約50mだから、その間に次の家までダッシュ?」 「そうなるやろな。それで領主屋敷まで行けるかどうかわからへんけど‥‥やるしかあらへんやろ」 「まるで『だるまさんが転んだ』のようですわね」 「ああ、なるほど! そう考えればちょっとは気が楽かも?」 「そんな暢気なもんちゃうで‥‥」 今から命をかけた緊張の只中に身を置こうかというのに、いつもの朗らかな笑みを浮かべる真由良の笑顔はまるでそんな事など感じさせない。 そんな笑顔に当てられたのか、シノビ二人もどこか憑き物が落ちた様にふぅと大きく息を吐き。 「なんだかいけそうな気がして来たっ!」 「行けそうやない。いかなあかんねん」 向日葵の様な笑顔と不敵な笑みで返した。 ●浜 砲撃が止むと同時、霧の壁から不規則に苦無の雨が降り注ぐ。 「はぁ!」 巻き上げられた砂浜の砂が、確かな力を持って苦無の雨に波頭をぶつけた。 「後5歩!」 一歩進むごとに増す雨は勢いは暴風の如く旋回する二本の槍が、その尽くを弾き飛ばして行く。 「2歩!」 雨は豪雨へ、そして暴風雨へ。弾いた武器の数はゆうに百を超えた。一体この霧の向こうには何人のシノビが潜んでいるのか。 いつ止むとも知れぬ凶刃の雨を受けながらも二人は確実に歩を進ませる。そして、ついに最後の一歩を踏み出した。 「更紗!」 ユリアの叫びと共に、シックな衣装を纏った落ち着き払ったメイドが音もなく流麗に躍り出る。 「――深き深き闇の沼へ、心、永久に沈め」 砲撃と斬撃、阿鼻と叫喚が狂乱する戦場に、木霊す銀糸を弾くハープの音。紡がれる言葉を銀の音波に乗せ、更紗が銀糸を爪弾く――。 雨が止んだ。 「‥‥相手も手練。効果は長くは続きません。お早く!」 背中から掛けられた声に、竜哉は振り向く事無く頷くと一片の躊躇もなく霧の壁へと飛び込んだ。 ●陵千 「意外といけるものですね」 「うへぇ‥‥寿命が13日位縮んだよぉ‥‥」 「えらい中途半端な数やな‥‥」 なりなとしずめの聴覚、真由良の人魂。可能な限りの索敵を駆使し、三人は首なしアヤカシの警戒網をみごとに抜けた。 「こういう形で戻ってくるとは‥‥予想していませんでしたね」 真由良がこじんまりとした門を見上げる。三人が至ったのは領主屋敷の裏門であった。 「でも、見張り居ないね?」 と、なりながきょろきょろと辺りを伺う。アヤカシの警戒網に絶対の自信でも持っているのか、裏門には見張りの一人もいないのだ。 「絶対ここまで辿りつかれへんとでもおもとるんか‥‥それとも‥‥とにかく、今はこの状況を利用させてもらうで」 しずめの言葉に二人はこくりと無言で頷く。 「中の様子は?」 「見える範囲では人はいませんね」 「音もしないね」 人魂の眼、超越した聴覚、どちらにも人の存在を知らせるものは映っていない。 「無人‥‥?」 「さすがにそれは無いかと思いますが、ここから屋敷までは少し距離もありますし、そちらに多数で詰めているのかも」 「うへぇ‥‥そっちに行くのは御免被りたいなぁ‥‥」 「心配せんでもうち等の目的は屋敷の裏や。出水の姐はん、また案内頼むで」 真由良の無言の返事を確認したしずめは、門の閂に手をかけゆっくりと押した。 ●浜 竜哉が消えた霧の壁をちらりと一瞥し、ユリアが叫んだ。 「練力切れ‥‥! ごめんなさい、回復は打ち止めよ!」 数分前に再開された霧の壁からの刃の雨は、再びその激しさを増して行く。 「残念ながら今回の突破は困難な様ですね」 ユリアの言葉に阿吽の呼吸で呼応する更紗もまた、よく通る声を響かせた。 二人の言葉に戦線を維持する朱藩国軍に一瞬動揺の色が奔るが、そこは訓練された兵士たちである。 不平を述べる者も無く、一時的な指揮官となった二人の命を受け入れた。 「一端戦線を放棄して撤退するわよ!」 「聞いただろう、お前達! 今日はこの位で勘弁してやるぞ!」 下したユリアの命を栄が復唱する。 朱藩国軍は隊列を乱すこともなく、理路整然と撤退を開始した。 ●領主屋敷 夜を包む霧は薄く、目を凝らせば屋敷に灯る光がぼんやりとした輪郭を浮き上がらせる。 三人はシノビ二人の聴覚と、先行させる真由良の人魂の目を最大限に生かし、母屋を大きく迂回し裏へと回り込んでいた。 「‥‥!」 人魂の目を通して記憶にある竹藪を見つけ、真由良は無言で手を真横に振り上げた。 「居るね‥‥この気配はシノビ、だね」 「見張りやろうな‥‥2、3‥‥6人」 なりなろしずめはすっと目を閉じ、立ち止った場所から真由良が指差す方角に耳を傾ける。 鋭敏な二人の耳にのみ届く息使い、足音、心拍。微かな違いから、何者なのかはもちろん、人数までも割り出す。 「私行こうか? 姿を消してそっと近づく事も出来るよ?」 「いえ、やめておきましょう。相手もシノビなのでしょう? でしたら音で気付かれる可能性があります」 なりなの言葉を遮り真由良がゆっくりかぶりを振った。 志体は持っていなくとも相手はシノビ。常人ならざる聴覚を有している事は想像に難くない。 「うーん、じゃ人魂で中は覗けない?」 「‥‥もう少し近づければあるいは」 残念ながら人魂の射程はそれほど長くない。今居る場所からではせいぜい見れても蔵の壁だけだろう。 「‥‥これ以上近づいたら、さすがにばれるで」 志体持ちと一般人の差はやはり大きい為、今はこちらから一方的に索敵を続けられるが、近づけばその優位性も失われる。 しずめの言葉に落胆の色を浮かべる二人、ゆっくり首を振りながら、こう続ける。 「霧の中でこんだけ厳重に、しかもシノビが警備しとるんや。おっちゃんが捕まってるのはここで間違いないやろ」 しずめの推測と二人も頷いた。三人は薄い霧の中、互いの顔を合わせると再び来た道を音もなく退いた。 ●臨望橋 「おや、知らせを聞いて来てみれば、いつぞやの賊ですか」 「そう言うあんたは奥義まで使って開拓者一人仕留められなかった魔術師さん、だったか?」 霧の壁に覆われた湿地帯を越えた砂岩地帯にかかる巨大な石橋の上で、二人の志体持ちは再び相対した。 「どうせでしたら、二度ある事は三度あると、港から来てほしかったものですけどね」 「三度目の正直という言葉もあるがな」 ドクの後ろに侍る無数の人影をちらりとねめつけ、竜哉はすっと後ろ脚を引いた。 「まぁ、どちらでも私は構いませんよ。どうせ貴方の運命はここで潰えるのです」 と、身構える竜哉の事など意にも介さず、ドクは魔力を増幅させる。 「ここまでこれたことを誇りに思い――死になさい」 膨れ上がる魔力の気配は一度見た奥義のもの。詠唱の終わるまでには一瞬の時がある。 竜哉は欄干から覗く景色に目を凝らす。岩と砂、そして川。橋の下に流れる大河は断崖へと続き、海へと流れおちる。 「‥‥今はせいぜい、お山の大将気分を味わっておくんだな」 そう吐き捨てると竜哉は迷うことなく川へと身を投げた。 |