【黎明】新たな牙を
マスター名:真柄葉
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: やや難
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/04/22 21:24



■オープニング本文

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●遭都
 狂いのない真四角な敷石が、隙間なく嵌められた道を進む。僅かな凹凸すら排除された鏡面の様な道に、カツカツと乾いた音を響かせた。
 振り返ることなく道を進み、巨大な朱色の門をくぐると、ようやく一心地つける。
「……ふぅ、何度来てもここは慣れないな」
「まったく、同感です。用事がなければ近寄りたくはないですね」
 二人の男が天頂の太陽さえも覆い隠すほどに巨大で荘厳な朱の門を見上げた。
 ここは天儀王朝のど真ん中。武帝の座す朝廷であった。
「お帰り、どうだった?」
「ん、まぁ、いつも通り。とってもありがたいお話って奴を聞いてきたよ」
 声に振り向いた二人の前に、艶やかな赤髪を揺らす女性が憐れむような視線で待っていた。
「拘束の方はどうなんだ?」
 そしてもう一人、太い骨格が服の上からでもわかる大男。
「一応は無罪放免かな。またいつ呼び出されるかわからないけどな」
「……そのいい方じゃ、私達が犯罪者みたいじゃない」
 紅一点はその答えにむっと唇を尖らせる。
「おいおい、忘れたわけじゃないだろ、レダ。俺達は空賊だぜ? そりゃ立派な犯罪者様だ。なぁ、嘉田」
「その通りですね。ですから、こんな場違いな場所からはさっさと退散するとしましょう、黎明」
 少女じみたその仕草を微笑ましく見つめながら、嘉田と黎明は二人の元へ。
「石灰、『レア』は?」
「飛行場に泊めてる、と言いたいとこだが、すぐに出ると思ってな」
 石灰と呼ばれた大男は、その太い腕を天へと向ける。
 そこには遭都の空を悠々と泳ぐ白銀の船が、暖かな春の日差しを反射させていた。
「よし、乗り込むぞ!! 目指すは理穴国沢繭! 空賊『崑崙』、抜錨だ!!」

●奏生
 薄暗い蔵の中。差し込む僅かな光に、舞い上がった埃がキラキラと舞い踊っていた。
「本当に構わないのですか……?」
 重厚な扉に守られた蔵の奥の更に重厚な扉。それを押し開けると、古い紙にも似た匂いが漂ってきた。
「くどいぞ頼重」
 埃の積もった床に足跡を刻みながら、大柄の女性が頼重と呼ばれた男を従え、まっすぐに最奥を目指す。
「しかし、かの弓は袖端家の家宝が一張。なにもそれほどの業物を……」
 頼重は困惑に揺れていた。この話を提案したのは他でもない、彼自身なのだ。
 そして、その提案を主であるこの女傑はあっさりと承諾した。

 切っ掛けは一通の手紙であった。
 数年前に知己となった者から届いたその文には、簡潔にこう書かれてあった。
『理穴が誇る武器が欲しい』と。
 何の為にかと問うことはしなかった。その者達が追っているものが何なのか知っていたからだ。

「……その空賊」
「え?」
「お前や振とも縁浅からぬ関係なのだろう」
 主人が振り向いた。その表情は揺れる灯の影となりはっきりとは見えないが、何か決意めいたものを感じさせる。
「そ、そうではありますが」
 と、目の前を行く女性が立ち止る。そして、意匠を凝らした台座に掛けられていた一張を手に取ると。
「我が袖端家が誇る一張『釼弓【竜の髭】』。持っていけ」
 袖端家当主、袖端 友禅は、頼重に向けその一張を差し出した。

●沢繭
「これは……」
 差し出された弓に、今まで数多くの武器と邂逅してきた黎明も息を飲んだ。
 2mを超える大弓。弓束は女性でも楽に握れるほどに細く、弓弦は女性の黒髪の様に艶やかな張りを持ち、弓弭には荘厳な龍の彫刻がなされていた。
「瘴気をも『喰らい尽す』とされている大弓だ。不足ないと思うが?」
「不足どころか……本当にいいのか?」
 そう問うてしまうほどの業物である。黎明は頼重と弓を二度三度と見比べた。
「我が主の意向だ。私もここまでのものが出てくるとは思わなかったがな」
 脳裏によぎった不敵な笑みを浮かべる主の顔に、頼重は苦笑い。
「すまない、助かる」
「礼なら主に言え、と言うところだが」
「言うところだが?」
「礼など言われても喜ぶ御仁ではないのでな。結果で見せてくれ」
「結果……か。わかった、主殿へ伝えてくれ、必ず望む結果を届けると」
「期待しよう」
 そう言って差し出された弓を、黎明は静かに受け取った。
「次は此隅に向かうのだろう」
「ああ、よくわかったな」
「ならこれを持っていけ。我が主家の御璽が押してある」
「そんなことまで、してもらっていいのか……?」
 旧知であるとは言っても会ったのは一度きりだ。
 なのにこの厚遇。さすがの黎明も困惑する。
「なに、あの時受けた恩に報いるにはこれでも足りんくらいだ」
「それほど大したことをしたわけじゃないんだが……」
 黎明にしてみれば、それはいわば『ついで』だった。これほどの見返りがある方がおかしいと思えるほどに。
「要らぬのならここで破り捨てるが?」
「い、いや、貰う! すまない、恩に着る」
「もう恩は沢山だ。これで貸し借りなし。それでいだろう」
「……ああ、それでいい」
 二人はどちらかともなく差し出した相手の手を取ったのだった。


■参加者一覧
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
水月(ia2566
10歳・女・吟
黎乃壬弥(ia3249
38歳・男・志
御調 昴(ib5479
16歳・男・砂
クトゥネシリカ(ic0335
16歳・女・志


■リプレイ本文


 遥か天空を浮雲が漂う。風は春を孕み心地よく吹き付けていた。
「進路を西へ! 風に乗れ!」
 伝声管から響く声に、操舵士である石恢は舵を右に切る。
 空へ漕ぎ出して数年。空賊船『レア』の船体にも幾多の戦いで受けた傷が至る所に刻まれていた。
「やっぱりレアの風は温かい匂いがする」
 瞳を閉じ甲板を吹き抜ける風を肌で感じる天河 ふしぎ(ia1037)。
「そうなのか?」
「黎明はいつも感じてるから気にならないんだよ」
「そういうもんか」
「そういうもんだよっ」
 2年ぶりに再会した戦友との何気ない会話が、ふしぎにはこの風のように心地よかった。
「そうだ黎明、僕、自分の船を持ったんだっ!」
「おぉ、ついに夢がかなったんだな」
「うんっ!」
 これから待つ苦難も忘れ、今はただ友との懐古に浸る。

「嘉田殿、久しく」
「ああ、これは皇さん、ご無沙汰しています」
 申し合わせた試合の様に、互いに深く礼をする皇 りょう(ia1673)と、嘉田。
 レアの船室で久しぶりの再会を果たした二人は、各々の近況を報告しあっていた。
「……また、大変な事になっているようだな」
「まぁ、いつもの事ですけどね」
 神妙に瞳を伏せるりょうに、嘉田は苦笑いで返す。
 空賊団『崑崙』は、天儀王朝からその行為を公認されている空賊だ。もちろん、その利権を守るためは多大な見返りが必要になる。
 そんな影の労力を知るりょうは、苦笑の裏に隠された嘉田達の苦労を感じ、
「崑崙に武神のお導きがあらんことを」
 ただそう告げて瞳を伏せた。

「すっごいいっぱいあるね……これ、つまみ飲み可?」
「いいわけあるか。俺の秘蔵っ子達だぞ」
 船倉に山と積まれた木箱を前に、じゅるりと口を拭うクトゥネシリカ(ic0335)に、黎乃壬弥(ia3249)がこつんと拳骨を落とす。
「えー、こんなにあんのに……?」
 大して痛くもない頭を涙目でさすりながら、クトゥネシリカは恨めしそうに壬弥を見上げた。
「はは、お久しぶりね」
 そんな二人のやり取りを微笑ましく眺めていたレダが船倉に姿を見せる。
「いよぅ、副長、久しぶり。相変わらず空に置いとくにゃ勿体ねぇ美人さんだな」
「副長? へぇ……」
 入り口から現れた赤髪の美女を興味深げに眺めるクトゥネシリカとは対照的に、壬弥は馴染みの看板娘にでも声をかける様に気軽に手を上げた。
「ありがと。そちらはどうなの?」
 副長ことレダも慣れたもの。壬弥の軽口を笑顔でかわし、問いかける。
「そうだな、うちの娘が嫁に行きそうなくらいかねぇ。ま、俺はご覧の通りだ」
「まぁ、それはおめでとう。うまくいくことを願ってるわ」
「器量よしの美人だ。問題ないだろう。それより、お前達はどうなんだ? もう一緒になったんだろ?」
「さぁ、どうかしらね」
 再び壬弥の問いを笑顔でかわしたレダは、そのまま船内へと去って行った。

 一行が崑崙の乗組員達と旧交を温めている中、レアはとある戦場へと到達した。


「突然の来訪、申し訳ありません」
 レアから降り立った御調 昴(ib5479)が、陣中の武将達に深々と首を垂れた。
「無礼を承知でお願いするの。こちらにお出での巨勢王様と面会をおねがいします……」
 水月(ia2566)が理穴より持参した書状を差し出す。それを、兵士の一人が受け取り、陣幕の中へと消えた。
 どことなしか緊張した空気の中、しばらくの時が流れた。
「王が面会されるとの事、陣中へ入られよ。くれぐれもご無礼なきようにな」
 陣幕より出てきた兵士の言葉を受け、責任者と思しき老将が声を上げる。
 一行は陣外の兵士や武将達に視線で礼を述べ、陣幕をくぐった。

「……はじめましてなの」
 床几に深く腰掛ける巨勢王に、水月が深々と頭を下げた。
 それに倣う様にして、他の開拓者、そして、崑崙の面々が礼をする。
「はずは用件を聞こう」
 ゆっくりと開かれた口から紡がれる声にさえ、巨国『武天』を支える重みを感じる。
 そんな野太く力強い声に気圧されまいと、水月は一歩前へと出た。
「……巨勢王が持ってる、『赫刀【緋桜】』という刀を貸してほしいの」
 突然の無心に、部下達がざわめく。
 ここで怖気づいていては亜螺架と正対などとても叶わぬと、水月は自らを奮い立たせ、巨勢王の鋭い眼光を真正面から受け止めた。
「見ての通り、ここは戦場。死地より剣を奪う行為を、容易に是とするとは思っていまいな?」
 低く威圧的な声が質問を投げつける。
 その声に出した一歩を思わず引き戻しかけた水月の背中を片手で支え、昴がその横に並んだ。
「僕達は今、とても手強い敵を相手にしています。巨勢王程のお人であればご存知かと思いますが」
 と、ここで一呼吸置いた昴は、巨勢王の鋭く光る瞳を真っ向から見つめながら、言葉を紡ぐ。
「大アヤカシ『亜螺架』です」
 その名に、巨勢王の回りに侍る武将や兵士達に再びざわめきが起こった。
「僕達はここに居る空賊『崑崙』の皆さんと協力し、まだ、上級アヤカシであった頃の『亜螺架』を対峙しました――」
 視線だけは鋭く、しかし、黙して語らない巨勢王を前に、昴は水月に目配せする。
「……言葉だけじゃよく伝わらないともうの」
 こくりと頷いた水月は両手を胸の前に組み合わせると、春の鶯にも似た凛と響く歌声を響かせ始めた。

 上級アヤカシであった頃の亜螺架が起こしたと思われる事件の数々に挑み、そして、討ち砕いてきた経験。
 人間の闇に囁きかけ、狡猾に張り巡らされた策謀に踊らされ続けた苦い経験。
 そして、全てを凍えさせるあの山の頂で、数々の秘宝をもってついに討ち果たした勝利。

 再び崑崙の元に集った者達が共有する過去を、昴は水月の歌に乗せ粛々と語っていった。

 歌声が鎮まると、勇壮な叙情歌にじっと聞き惚れていた兵士の間からは小さな溜息と喝采が上がる。
 しかしそれも、巨勢王の一睨みで沈黙。陣内は再び静寂に包まれた。
「……物語としてはよくできているな」
 一つ大きく頷いた巨勢王は、虎さえも一捻り出来そうなほど太い腕を組み、一行を見渡した。
「だが、物語だけで宝刀一本借用できるとは思っていまい?」
 水月の歌に乗せた昴の言葉は、武将や兵士達の心に訴えかけ、気持ちを奮い立たせるものであった。
 しかし、巨勢王は首を縦に振らない。それは、暗に次の一手を見せてみろと言わんばかりでもある。
「巨勢王……さまっ! 聞いて欲しいんだ……ですっ!」
 巨勢王の気迫に押されたのか、ふしぎが前に出た。
 慣れない敬語を何とか使いつつ、思いの丈を訴えかける。
「彼奴が……亜螺架がこれ以上力を増したら、本当に取り返しの付かない事になるんだ……ですっ! それは、天儀の各国が総力を挙げて進めている、『魔の森からの解放』に大きな影を落とす事になる……ですっ!」
 中世的な顔を紅潮させ、ふしぎは言葉に力を込めた。
「彼奴の事は僕達が……実際に戦った僕達が誰よりもよく知っていますっ! だから、だからこそ僕達を信じて宝刀をお貸し願えませんか! 必ず彼奴の脅威を天儀から取り除いて見せますからっ!」
 若いゆえに直情的に、言葉以上の理由も以下の理由も乗せず、ただありのままの想いをぶつけるふしぎ。
「……では問うが、わしにお前達の何を信じろというのだ? 上級であった頃のアヤカシ一匹葬った程度の実力を買えと?」
 しかし、帰ってきた言葉はやはり厳しいものであった。
「ち、ちがっ! 僕達は……!」
 言葉足らずは自分のせいだとわかってはいるが、自分の想いが相手に伝わらない事が悔しくてふしぎは、必死に心の中の言葉を探す。
 しかし、どれもこれも一国の王を相手にするには小さすぎた。ふしぎは次第に声のトーンを落としていく。
「よっと、遅くなっちまったな」
 陣内が消沈しかけた頃合いを見計らっていたかのように、陣幕をくぐる者達がいた。
「特級支援物資、おとどけに参りましたよっと!」
 大きな木箱を両脇に抱えた壬弥と、三段積みの木箱を抱えるりょう、そして、木箱を器用に頭にのっけたクトゥネシリカであった。
 三人はずかずかと陣中へ足を踏み入れ、木箱を中央にドカンと置いた。
「ジャンジャン呑んでよ、このおっちゃんの奢りだからねっ!」
 クトゥネシリカが手際よく箱のふたを開けると、そこには数々の酒瓶が詰まっている。
 それを見た兵士達の間から歓声にも似たざわめきが巻き起こった。
 配下の兵達が陣中見舞いの酒に目を輝かせる中、壬弥は巨勢王に相対す。
「ちょっと気分を変えて、どっか見晴らしのいい所で気分転換でもしねぇか?」
「なっ! 何を無礼な!!」
 壬弥が発した無礼を通り越して極刑ものの物言いに、木箱に手を伸ばしかけた老将が思わず手を止めた。
「一国の王を酒飲み仲間か何かと勘違いでもしておるのか! それに我等は戦中であるぞ!」
 盛大に唾を飛ばしながら激高する老将に、三人は互いの顔を見合わせる。
「アヤカシであれば、我等三人でおおむね撃退させてもらった」
「な、なにっ!?」
 りょうの言葉に、老将はあんぐりと 見れば三人の服装はずいぶんと汚れていた。
「誰か……誰か見てまいれ!」
 老将に命じられるままに兵士が陣を飛び出ていく。
程なくして帰ってきた兵士の報告は、りょう達の言にあったそれだった。
「巨勢王、数々の無礼はご容赦願いたい。我々にもあまり時間がないのだ。であるから、無礼を承知で開拓者流の最も効果的な演出で『挨拶』させて頂いた」
 志士として最も礼儀礼節に則る仕草で首を垂れるりょう。その流麗と表現するに足る、隙の無い仕草に騒めいていた場が静けさを取り戻した。
「ってことだ、しばらく戦は休んで、取って置きの一本を開けようぜ、王様」

●レア
 あれほど緊迫感に満ちていた陣内が嘘のように、甲板には春風の如き穏やかな時間が流れていた。
「あー、もう少し右だ。お、そこだそこ」
 岩かと錯覚しそうなごつい筋肉は、開拓者であるクトゥネシリカの握力をもってしてでもちっとも解れはしない。
「こっの、筋肉だる――」
「ん? なんか言ったか?」
「ななな、なんでもない! こっの地獄み――」
「んん?」
「ヨクコッテマスネ」
 巨勢王を載せたレアは本陣の上空高くにある。眼下を見下ろせば戦場が広がり、陣幕も小さく見えた。
 ここに部下の眼はない。それは自由を意味していた。

「行くなら先に言ってくれればよかったの……」
 大将モードの巨勢王を相手にするより、アヤカシ相手の方がどれほど楽か。
 水月は頬をぷぅっと膨らせて抗議する。
「寿命が数年縮みましたよ……」
 今そこでりょうに酌をさせ、クトゥネシリカに肩を揉ませている大男をちらりと横目で見やりながら、昴も額に浮いた汗をぬぐっていた。
「はははっ、わりぃわりぃ」
 一方の壬弥はというと、まるで悪びれる風もなく、二人の背をビシバシと何度も叩く。
「正直、正攻法じゃ、あの王様は落とせねぇと思ってな」

「巨勢王よ、我等の目的は理解していただけたかとは思う。何卒、刀をお貸し願いたい」
 酌は10杯を超えたあたりから数えるのをやめた。
 りょうは言われるままに酒を注ぎながら、巨勢王に率直に願い出る。
「ふぅむ」
「その刀は、只の刀にあらず。だからこそお借りしたい。何か見返りが必要なのであれば、我等も全力で答えるつもり――」
「ほう、ならば」
 と、巨勢王は徳利に添えられていたりょうの腕を掴んだ。
「では、その見返りとやらを頂くとするか。なに、別に減るもんでもないだろう」 
 目を見開くりょうに、巨勢王は男の眼を向ける。
「……うん? なんだ、減るもんか。まぁ、なんだ。それならばなおの事――」
 まさか無骨者の自分が巨勢王のお眼鏡にかなうと、予想もしていなかったのか。
 それとも、武士に二言はないと覚悟を決めたのか。りょうは掴まれた腕を見つめ、プルプルと震える。
「ぷっ……くはははっ、悪いがわしは妻に操を立てていてな。こんなこと娘の耳にでも入ったら、なんといわれるか」
「まったくだ、危なく姫さんに報告するところだったぜ」
 豪快に吹き出しりょうの手を離した巨勢王に、壬弥が呆れながら寄ってきた。
「なぁ、王様よ、覚えてるか、捺来って街を」
 壬弥がぼそりと呟いた言葉に、巨勢王の笑みは止まる。
「忘れたわけじゃぁねぇよな、あの街のこと。おい、ふしぎ、資料だ」
「うんっ」
 ふしぎが用意していた資料を差し出す。
 そこには、亜螺架との壮絶な闘いの記録が事細かに記されていた。
「水月、『見せて』くれ」
「……」
 資料に目を通す巨勢王の傍ら、こくりと頷いた水月の輪郭がぼんやりと崩れていく。
 ついで像を結んだのは、黒い女。それが誰であるかは、この場にいる者ならば即座に答えることができた。
 黒鎖の王『亜螺架』。
 禍々しく歪んだ幻影に、誰しもが目を奪われる。
「かの者は即刻討たねばなりません」
 皆が亜螺架の幻影に息を飲む中、声を上げたのは、今までのゆるい態度とは一変し、正道に則った礼を取るクトゥネシリカであった。
「理穴は袖端家の家宝『釼弓【竜の髭】』を貸与した。武天もそれに続けば、亜螺架討伐が成った際、その誉はかの国に負けるとも劣らず、天儀中に鳴り響くだろう」
 まっすぐな瞳に真摯な言葉を添え、クトゥネシリカは利を説く。
「それが宝刀『赫刀【緋桜】』であれば、天下万民も納得するというもの」
「……」
 淡々と状況を述べ、利を説き、理に訴える。クトゥネシリカの物言いを黙して聞いていた巨勢王は、ふと腰に下げていた一振りを無造作に甲板へと放り投げた。
「使えるならばもっていけ。使えるならばな」
 ころころと転がる刀に目を奪われた開拓者達へ向けられたのは、試すような声。
「これが『赫刀【緋桜】』……? なにか話と違うようですが……」
 噂では収める鞘もない程に赤熱しているはず。しかし、目の前の刀はどうだ。装飾こそ豪華であれ、普通の刀にしか見えない。
 昴は困惑に首をひねった。
「そいつは使い手を選ぶ。お前達はどうだろうな」
「使い手か……おい、嬢ちゃん」
 巨勢王の言葉の意味をかみ砕くと、壬弥はりょうへ視線を送る。
「うっ……? 私か?」
「抜いてみろよ」
「……う、うむ、では」
 促されるままにりょうは甲板に転がる刀を拾い上げると、音も立てず鞘から抜き放った。
 抜かれた刀は蒼天に映える真っ赤な刀身を持ち。刃縁には桜の花びらを模した刃紋が浮かぶ。
「錬力を込めてみろ」
 巨勢王の指示にこくりと頷いたりょうは、握りを深く柄に力を伝えていった。
「……すごいの」
 思わず漏れた水月の言葉通り、緋桜は真っ赤に赤熱を始め、吹き出る熱波が春風を押しのける。
 まるで鍛冶場の熱を思い起こされるほどに激しい熱気に、一行はしばし見とれた。

『赫刀【緋桜】』は、巨勢王の手から開拓者達へ渡った。
 これで二つ。かの強敵に相対すための準備は、着実に進んでいた。