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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●石鏡の社 「これが浄化結界を形成する基幹護符です」 「‥‥」 すっと差し出された翠の文字が浮かぶ護符を受け取った。 「本来であればここで結界を展開すればいいのでしょうが‥‥むざむざと誘い出されてくれる程、低位のアヤカシではないでしょう」 「‥‥」 神主の言葉は正鵠を射ている。 あの姿、あの物言い。あの思考。確かに人かそれ以上の存在だった。 こちらが張った罠になどわざわざはまりには来ないだろう。 「せめて朱藩本土のどこか誘いだせるような場所に仕掛けなさい」 今自分達がいる石鏡では遠すぎる。朱藩の南洋に浮かぶ霧ヶ咲島で待ちうけるあのアヤカシを呼び込むには――。 「しかし、これだけは理解してください。そのアヤカシ――『亜螺架』が施した呪縛でさえ我々の術では破れなかった」 悔しさと無念の滲む声でつづる。 「その術が利く可能性は――」 「‥‥大丈夫なの」 申し訳なさそうに見下ろしてくる優しそうな瞳を真摯に見つめ返した。 「‥‥ありがとうなの。それから、今までお世話になりました」 身体をくの字に曲げ、深く深くお礼する。 何のかかわりもないのに自分達の願いを文句一つ言う事無く聞いてくれたこの神主さんに。 一歩間違えば自分達も被害を被るかもしれない危険に挑んでくれた神職の皆さんに。 ●神楽 外の喧騒とは隔絶された世界。 朝日の暖かさと埃っぽい匂いのする静寂の世界。 「はぁ‥‥」 「うーん‥‥」 積みに積まれた山の中、何度目かの朝を迎えた。 「首なしアヤカシで言えば、有名なのはここにも載っている『ローザ・ローザ』でしょうか‥‥」 『賞金首』と大きく書かれた本ではない紙をめくる。 「でもあのアヤカシは『首なし』なのですよね? それだと私達の探している『首だけ』とは‥‥」 「‥‥まさか、『ローザ・ローザ』の首が『亜螺架』‥‥?」 「それはないんじゃないでしょうか? このリストにも載っている通り、別のアヤカシの様ですし‥‥」 熟練の格闘家とは思えないほど白くて細い手が、次の一枚をめくった。 そして現れる『亜螺架』の文字。 「申請の方はうまくいったようですね」 「はい、これで開拓者の皆様が狙う目標になった筈です」 それは喜ぶべきことなのだ。今まで正体不明のアヤカシを限られた少数で追っていたのが、今後は大規模な掃討作戦も可能になる。‥‥だけど。 「‥‥決着をつけたいですね」 「ええ、出来れば私達の手で」 向いで微笑む百合の様な笑顔の持ち主も、同じ考えをしていたのだ。 「その為にもここで休むわけにはいきません!」 「はいっ! これ以上被害を広げない為にも必ず見つけましょう!」 力強い視線と頼もしい言葉。それだけでこちらのやる気と気力が戻ってくるのがわかる。 何としても正体を。そして突破口を。 手近にあったまだ新しい本を手に取った。 ●酒場 「で、ではあれはあくまで社会勉強であったと‥‥?」 「ったく、頭のかてぇお嬢ちゃんだな。何度もそう言ってんだろ?」 お猪口になみなみと注いだ澄んだ液体を、一気に喉へと流しこむ。 「そ、そうなんだぞ! あああ、あれは社会勉強なんだからなっ!」 「‥‥何故そのように狼狽を‥‥やはり怪しい。も、もしや、とても口に出来ぬ様な‥‥!」 「なななっ!? ぼ、僕は見てただけなんだからなっ!」 ったく、若いねぇ。青春ってのは人生一度きり。もっと謳歌しろよ? なんて、しばらく見つめていたいがそうもいかねぇな。 「まぁまぁ、そのくらいにしといてやれや。そんな事より‥‥聞いてるとは思うが天儀王朝は亜螺架を冥越なんたらの一体と認定した」 「う? う、うむ、それは私も聞いた。だがやはり認定だけなのか‥‥? 何らかの情報提供は‥‥」 「ないな。つぅか、情報自体そもそも持ってねぇみたいだった」 神妙な面持ちで覗きこんでくる瞳を一瞥し、再びお猪口を煽った。 「‥‥でもそれならなんで冥越八禍衆の一体だって断言できたんだろう?」 「そんなもん俺が知るか。お偉いさん方にはなんか思う所があったんだろうよ」 「しかし、賞金首ともなればそれこそおいそれと出せる認定ではあるまい。高名なものであればなおの事」 「じゃぁ、聞くがよ。そもそも冥越八禍衆だって確証って何だ? そんなもん後付けでも何でもいいんだよ。現に亜螺架は街一つ食っちまってるアヤカシだ、それだけで賞金首にするには十分じゃねぇか」 「え‥‥? 認定されたんだよね‥‥?」 「街一つ食える程のアヤカシだ。過去にいた正体不明の似たようなアヤカシに置き換えたのかもしらねぇ。その方が箔もつくしな」 「箔がつくつかないの問題ではなかろう! 人の命が散っているのだ! 不確かな認定など天儀王朝は一体何を考えている!」 「そうだよ! そんな適当な情報に振り回されたら戦いに向う人達はどうするんだよ!」 「お前等の怒りは分かるがな。ま、お偉いさんなんて、存外そんなもんだろ? 前線の事なんざ将棋の駒程度にしか思ってねぇのかもな」 ったく、若ぇな。そんなに俺を睨んでもなんにも解決しねぇよ。その怒りは別のとこに向けろ。ま、どこかは自分で考えてな。 ● 「ごめんなさい。有用な情報はこれといって‥‥」 「‥‥気を落さないで」 「神楽のギルドの書架でさえ情報が無いとは」 「冥越八禍衆という悪名高いアヤカシなのに、それこそまるで黒い霧に隠れる様に‥‥」 「うまいこと言っててもなんも解決しねぇぜ」 「そ、そうだよ! きっと、きっと何か手掛かりが‥‥っ!」 気合だけが空回りする。 得られた情報は確かに皆を驚かせるものだった。 ただし、それだけ。 時間がない。もうすぐ、あの不気味なアヤカシと相対さなければならないのに、決定打どころかその正体にさえ触れる事が出来ていない。 そんな五里霧中の中、情報提供を依頼していた五行から連絡が入る。 『朱藩及び武天に出現した『亜螺架』と呼ばれるアヤカシは、冥越滅亡の切欠を作った一端『アラカ』と目される』 それはすでに皆が結論付けていた事実。 『加える。『アラカ』は黒い霧を使ったとの記述が残されている。黒い霧を操り、生ある物全てを包み込み、浸食し、喰らったと』 これもすでに得ている情報だった。だが――。 「浸食し、喰らった‥‥?」 小さな違和感に、書かれた文字を読み返す。更に――。 『実際に会い、戦った貴方達の方がそのアヤカシについてより深くわかっているのではないですか?』と、神主の言葉が蘇る。 「実際に会い、戦った‥‥」 「‥‥思い出しただけでも胸糞悪くなるな」 一年ほど前に経験した凄惨な戦いを二人は思い出す。 黒い霧に蝕まれ消えた街一つ。 人の尊厳すら失って尚、人を恨み人に敵対した一人の男。全てを飲み込み復活した炎の巨鬼との壮絶な対決。 そして、霞のように消えた黒い嘲笑。 「街を包み込み、浸食し、喰らった‥‥。確か、街を喰らったのは‥‥」 「うん‥‥。もしかして、亜螺架の正体って‥‥!」 |
■参加者一覧
天河 ふしぎ(ia1037)
17歳・男・シ
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
水月(ia2566)
10歳・女・吟
黎乃壬弥(ia3249)
38歳・男・志
趙 彩虹(ia8292)
21歳・女・泰
御調 昴(ib5479)
16歳・男・砂 |
■リプレイ本文 ●真冷山脈 誇張ではなく実際に身を切り裂く程の霙を交えた極寒の吹雪が吹き荒れる。 ここは三千m級の山々が連なる真冷山脈の一峰『言現山』。 普通の人であれば物の数分で凍え息絶えるであろう過酷な環境にあっても、進まねばならぬ理由があった。 「いよいよか‥‥」 鎧の上から防寒着を着こみ寒さに備える皇 りょう(ia1673)が、寒さで凍りついた頼りない縄を命綱に崖を降りる。 「うん‥‥」 一番先を行く天河 ふしぎ(ia1037)がりょうの呟きに答える。 いつもの生気溢れる若々しい声はなりを顰め、凛然とした声で。 「‥‥絶対助けるの」 「はい、もちろんです」 登山隊の中隊では、水月(ia2566)と趙 彩虹(ia8292)が互いに顔を見合わせ、頭上を見上げた。 そこには雪山によく映える赤髪が揺れていた。 「‥‥あの戦いの時、すでに答えは出てたんだな」 黎明に担がれ崖を下るレダを見つめ黎乃壬弥(ia3249)がぽつりと呟く。 「答え、ですか?」 並ぶように崖を下る御調 昴(ib5479)がその呟きに反応した。 「ん? ああ、何でもねぇよ。ちょっと昔の事を思い出して感傷に浸ってただけだ」 「古傷ですか‥‥?」 「古傷か。まぁ、そうかもしれねぇな」 あの時受けた傷は今も跡となって体に刻まれている。 壬弥は一瞬だけ自嘲気味の笑みを浮かべると、 「でしたら、しっかりと癒さなければなりませんね。今日、この場所で」 「‥‥言う様になったじゃねぇか」 昴の返しに目を見開き驚く壬弥。その顔は子を見守る親の様に、どこか穏やかであった。 ●言現山 三百mは下っただろうか。以前、千覚冷を手に入れた場所よりも少し山頂に近い位置に適当な平地を見つけ、一行は布陣する。 「先日、亜螺架が現れるまでの時間を考えると、あまり猶予はない。早々に準備いたそう」 拓けたといっても剣の如く切り立った山の中腹。更に雪も積もっている。一歩間違えば滑落の危険もある危険な場所だ。 「‥‥りょうさん、ありがとうなの」 皆に加護結界を施した水月は、神職より託された方陣の準備に取り掛っていた。 「いやなに。我が事ながら、交渉というか、駆け引きにはまったくもって向いていないからな。せめてこれくらいは手伝わせてくれ」 「‥‥そんな事無いのりょうさんは‥‥その、強いから」 「気を使わなくてもいい。私自信、自分の不甲斐なさに辟易している所だ。まったくもって未熟、だな」 「‥‥りょうさん」 「さぁ、結界の設置はこれでいいのか? 他に何かすることがあれば遠慮なく言ってくれ」 「‥‥大丈夫なの、ありがとうなの」 はた目から見ればすぐにカラ元気だとわかるそれでも、今の水月にとっては心強く映る。 これから迎える、一瞬たりとも気の休まる時の無い『邂逅』に向けて。 「やっぱり壬弥もそう思うの?」 「ああ、それしか考えられねぇだろ。あいつの正体は」 一時の暖をとる為に焚かれた焚き火を囲み、ふしぎが壬弥を見上げた。 「ですけど、カビのアヤカシなんて聞いた事も‥‥」 「はい、図書館で色々調べましたけど、そのような記述はありませんでした」 対面には昴と彩虹の姿。 「そもそも謎が多いアヤカシって触れ書きだったからな。載ってないのも仕方ねぇかもな」 「しかし、カビですか‥‥。すでに倒されましたが霧のアヤカシというのもいましたし、同種のアヤカシなのでしょうか」 「えっと、ちょっと違う感じがするんだ‥‥どこがどう違うって聞かれると答えられないけど‥‥」 「単純に、霧は自然現象、カビは仮にも生物です。それだけでもかなりの違いじゃないでしょうか?」 「ふむ‥‥では、レダさんに施された呪縛も、そのカビが何らかの原因だと‥‥?」 「術に関しては詳しい訳じゃねぇからな、断定はできねぇが‥‥『解呪』できねぇって事は、呪いや術の類じゃねぇって事じゃないのか?」 「水月様ほどの術者であっても見えたのは抽象的な影だけだそうですし、そもそも術ではない可能性もあります」 「え‥‥? 術じゃないっていう事は、物理的にって事?」 「そうかもしれないとしか今は言えませんが。可能性としては高いかも‥‥」 「案外、聞けば素直に教えてくれるかもしれませんね。あの呪縛の正体は何ですか?って」 と、冗談交じりに昴が呟いた、その時。 『待たせたか』 音も気配も前触れもなく、突然一行の眼前に黒い瘴気が渦巻いたかと思うと、声が聞こえた。 「遅刻だぜ、さっさと姿を見せやがれ」 ただ、突然の登場に動揺する者などここにはいない。 迎える一行の前に立った壬弥が、つまらなさそうに渦へ声をかける。 『すまんな。まだ時間という概念に疎いものでな』 時にして2,3秒だろうか。渦は瞬時に凝固すると、あの見慣れた人型を取った。 「‥‥」 以前はそれほど気にも留めていなかったその瞬間をふしぎは瞬き一つせずじっと見つめる。 霧が実を結ぶ時、何か決定的な何かがそこにあるかもしれないと。 『ふむ、律儀に連れてきた所を見ると解術は失敗したか』 まるで他人事のように亜螺架は力無く眠りに落ちるレダを見やった。 「‥‥っ!」 解呪に並々ならぬ力を注ぎこんだ水月は、この物言いに激昂しそうになるが、 「‥‥ここで言い争っても何もならぬ」 りょうに諭され、吐き出そうとした言葉を何とか飲み込んだ。 「そうです。そんな事をすれば、相手の思うつぼです」 水月を庇う様にスリ足で位置を変える昴は魔槍砲二丁のうち一丁を亜螺架に照準を合わせる。 『では、早速だが答えを聞かせてもらえるか?』 開拓者達が臨戦態勢を整えるのを待っていたかのように、亜螺架はしばらくの時を置き答えを求めた。 「その前に‥‥おい、カビ野郎」 壬弥の言葉に、普段は能面の如き美しき笑顔を張りつける亜螺架の表情が一瞬曇った。 『‥‥ようやく身の程を知ったか』 両手を天に上げどっかと座りこんだ壬弥に向けられた抑揚のない声は、どこか怒りの色を含んでいる。 「ああ、俺達の負けだ‥‥だから、最後に一つだけ聞かせろや」 『いいだろう、聞いてやろう』 「お前ぇの目的は一体何だ? 何故レダを捕えて何をしていた?」 『何をしたい、か。そうだな、我は知りたいのだ。人間は近しい者が囚われた時、どのような反応を示すのかがな』 「な、なんだと‥‥?」 『貴様等も興味があるだろう。飼い犬に芸を覚えこませるには、どのような餌を与えるのがよいか』 「私達はお前にとって犬も同然だという事か‥‥!」 その言葉にじっと押し黙っていたりょうが声を上げる。 『気を悪くしたのならば謝ろう。すまんな。他によい例が思いつかなかった』 不快を露わに殺気立つりょうをあしらう様に、亜螺架は薄ら笑みを浮かべる。 『さぁもういいだろう。答えを寄こせ』 そして、再び一向に問うた。 「‥‥レダ様の代わりは私が勤めます」 と、彩虹が臨戦態勢を取る皆から一歩前へ歩み出した。 『ほう、そちらを選ぶのか。我を滅する方を選ぶと思っていたが』 「‥‥さ、彩虹さん、そんな事しちゃダメなの!」 「私なら大丈夫です。相手の要求が身代わりである限り、誰かが犠牲にならなければなりません。それならば一番耐久力のある私が身代わりになるのが一番なんです」 「‥‥そんな、ダメなの‥‥ダメ‥‥」 目に涙を溜める水月や他の仲間の止める言葉も聞かず、彩虹は薄ら笑みを浮かべる亜螺架へと向け、ゆっくりと確実に歩を刻む。 「貴女が欲しいのは力でしょう。それならば、レダ様を使うより私を使いなさい。これでも泰拳士としては名を馳せた身。不服があるとは言わせません!」 そして吐き出した強烈な言葉を亜螺架へとぶつけた。 『不服など無いがな。ふむ、お前が代わりか。なるほどな』 しかし、亜螺架はさして驚いた風でもなく、歩み寄ってくる彩虹を舐める様に見つめた。 「‥‥いや、代わりは俺だ」 5歩ほども歩いた彩虹の背後から声が上がる。 「れ、黎明様、なにを言っているんですか!?」 「‥‥黎明さん、ダメなのっ!」 その声の主は黎明であった。 しかし、彩虹が身代わりとして出る事は事前に打ち合わせていた事。納得入っていなかったが理解はしてくれていたと思っていた。だが――。 「ダメだ。そんな事を君達にさせる訳にはいかない。これは崑崙の問題だ」 黎明はその答えを覆した。すっと歩み出すと彩虹の隣へと並ぶ。 「私も‥‥立場は違えど、崑崙の一員のつもりです! レダ様を‥‥黎明様を助けたい。この気持ちは本物ですっ!」 ダメだと首を振る黎明に、彩虹は頑として退かない。 事前に申し合わせていた時は、うんと頷いたのに。どうして今になって、黎明は作戦を反故にする様な事をするのか。 「‥‥黎明さん、ここで黎明さんがレダさんの身代わりになったら‥‥残ったレダさんはどうするの? 一人ぼっちは‥‥寂しいの」 彩虹の必死の説得に、水月も加勢する。 「‥‥レダは強い女だ。俺なんかいなくてもどうとでも生きていけるさ」 しかし、黎明は頑なに首を縦には振らなかった。 『話は纏まったか?』 黎明と彩虹。二人はそれぞれに身代わりになると譲らない。 「私が身代わりに――れ、黎明様‥‥?」 名乗りを上げようとした彩虹のこめかみに、銃口が突き付けられる。 冷たい感触に彩虹が恐る恐る振り返り見た黎明の眼は、冷たく色の無いものであった。 「悪い、これは俺とレダの問題だ。君に代わってもらう訳にはいかない」 「‥‥この程度で私を止められると思っているのですか?」 突き付けられた銃口を睨みつけ、彩虹は黎明の隙を伺う。 「どうだろうね。出来れば引き金は引きたくないけど」 「‥‥くっ」 黎明とて歴戦の砲術士である。銃口を突き付けられたという絶対的不利を覆せるほどの実力差は二人に無い。 「亜螺架、俺を身代わりにしろ。できれば早くな。あんまり時間をかけるとこいつらが悪戯しかねない」 銃口を突き付けたまま、黎明は亜螺架へと向き直った。 『ははは、面白い。実に面白い寸劇だった。いいだろう、望みを聞いてやろう』 一頻り笑い声を上げた亜螺架が軽く手招きをすると、まるで見えない糸に引っ張り上げられるように、仰向けに寝かせられていたレダの身体が不自然な形で起き上がる。 『さぁ、代わりが来たぞ。呪縛を解いてやろう』 ふらふらと生気なく立ち上がったレダはゆっくりと亜螺架の腕の中に納まった。 『――』 亜螺架は腕の中のレダを見下ろすと、人には聞きとる事の出来ぬ音階で何かを呟くと、レダの口から白い息にも似た黒い霧が吐き出される。 途端、糸が切れた様にその場に崩れるレダの身体。 「時よ!」 ふしぎはこの時を待っていた。レダが亜螺架の呪縛から解き放たれるこの時を。 即座に時を止めたふしぎに与えられた僅かな時間。ふしぎはすぐさま地を蹴ると一直線にレダへと向かう。 「レダ、少しの辛抱だよ!」 そして、亜螺架の足元からレダの身体を抱え大きく横に飛び退った。 再び時は動き出す。 「‥‥今なの!」 今ここが最良。水月は高速で印を結ぶと結界を発動させる。 天まで登る光の柱が雪山を照らし出すと共に、結界内の亜螺架を包み込んだ。 『む‥‥』 姿の消えたレダに意識を奪われていた亜螺架は完全に虚をつかれた。普段であれば容易に抵抗が出来たであろう結界に縛られる。 「弾けろ、ヒートバレット!」 ヴォトカを浴びた亜螺架に突き付けられていた火口が業火を吐きだす。 「二式発射!」 続けざまに放たれる業火砲。 昴は二丁の魔槍砲の砲撃を時間差で亜螺架へと発射した。 「ちっ、やるのかよ! ったく!」 業火に包まれる結界内へ向け壬弥はヴォトカを放り投げる。 「どうだ!」 「やりましたか‥‥?」 ヴォトカの酒気を加え鉄すらも溶かしそうな炎の勢いと熱量が結界内を激しく燃やした。 『ぐ‥‥やってくれるな。だがこの程度の事で――!』 一行が火柱を見つめる中、突如業火と共に結界が破砕する。そこに立っていたのは、ざわりと輪郭を霧化させる亜螺架だった。 「隙あり!」 しかしそれは亜螺架が見せた最大の隙。 今までじっと耐え無言で挙動を見つめていたりょうの白刃がきらめいた。 陽光にも似た白刃を携えりょうが駆ける。相手は結界突破で硬直するアヤカシ『亜螺架』! 「我等に武神の加護やあらん! 皇家内伝一の太刀『雲断』!!」 袈裟がけに振り抜いた一閃は、亜螺架の胴に白き炎の傷跡を刻む。 「やるからには徹底的にやってやるぜ!」 身を焼かれる白い炎を身ごと削り取った亜螺架に、神速の紅蓮燐光が襲いかかる。 目のも止まらぬ一撃は確実に亜螺架の首をはね飛ばした。 「吹き飛ばしてやる‥‥! そして、核を見せろ亜螺架!!」 ごろりと地に落ちた首を横目にふしぎの旋刃は主を探す様に蠢く体へ。 巻き起こされた旋風が残った亜螺架の身体を捉え黒い霧へと霧散させた。 「やった‥‥?」 「油断は禁物です‥‥」 捉えられる目標は消失した。しかし、相手は霧化もできるアヤカシだ。 一行は戦闘態勢を崩さない。 「‥‥黎明さん、レダさんを早く連れていってください」 何かを感じ取ったのか水月が黎明に向けて呟いた。 「まだ終わりじゃないみたいなの‥‥!」 それと同時に、切り刻まれた亜螺架の身体が霧と化す。 『‥‥なかなか痛かったぞ』 爆発的に膨れ上がった瘴気と殺気。何も無い空間からびりびりと肌に突き刺さるそれが低く吠える亜螺架の声と相まって、一層異様を感じさせた。 『だがまあいい。そちらがその気ならこちらにも考えがある』 「まだやるってのか? もう人質はいないんだぜ?」 先の一斉攻撃で倒せなかったとはいえ、レダはこちらにあり、開拓者達は皆無事でいる。壬弥は眉を顰め訝しげに問いかける。 『‥‥我が分身は貴様等の目にすら見えぬ』 「そ、それがどうしたって言うんだっ! 見えなくたって何度でもやってやるんだからなっ!」 「そうです! レダ様が解放された以上、貴女のいいなりにはなりません!」 「姿を見せろ亜螺架!」 姿の見えない亜螺架に、ふしぎと彩虹、それにりょうが武器を構えなおした。 『ははは! まだわからぬのか、まったく愚かだ。いいだろう教えてやる。我は――黴なり。そして、我が一部は呼吸と共にすでに貴様等の身体に入っている』 「「「な‥‥」」」 亜螺架の嘲笑。7人は咄嗟に口を押さえる。 「ぼ、僕達の身体に‥‥っ!」 昴が服の胸元をぎゅっと握り吐き出す様に呟いた。 「‥‥嘘なの。そんな筈はないの‥‥!」 自らの身体、そして仲間達を見つめる水月の術視には何も映ってはいない。 『‥‥嘘か。まぁ、そう思うなら思えばいい。だが身代わりは確かに頂いた。志体をもった身代わりをな』 遠雷の如く響く高笑いと共に黒くまとわりつくような殺気は消え、肌を刺す様な強烈な冷気が再び一行を包んだ。 |