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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ● 茜に染まる西の空を見ていた。 東から迫る夜は藍を深め、互いの色が滲む位置は沈み行く陽に誘われるように山際に吸い込まれていく。 折から吹いた風が黒褐色の髪を巻き上げ、草の鳴る音にふと振り向いた。鳶色の双眸に映る光景は、いつもとまるで変わらなかった。 ――どこか、いつもと違う。 その時には気づく事が出来なかった。陽の沈む頃から聞こえ始めるはずの虫の音色が、その日に限って全く聞こえていない事に。 ――それに気づけていたら、変える事ができていたのだろうか。 遠くで、母が名を呼ぶ声が聞こえる。次いで弟の声。 たどたどしい足取りでこちらへ駆けて来る弟が転ばぬうちにと、笑顔で駆け出す。 この後、村を惨劇が襲うであろう事を知っていながら気づく事が出来ない矛盾。 傍観者でありながら『今』を体感している当人であるという状態を引き起こしているのは、あの日を境に切り離してしまった過去の自分と、それからを生きてきたもう一人の自分。 今はまだそれに気づく事も無く。 二つの心は『鬼灯』と呼ばれている身体の奥深くに沈んだまま――。 ● 龍風家の一番奥には、内側から錠を下ろせる部屋がある。 十年前。開拓者だった母は、自らの命と引き換えに子供達を守った。それを受け止め切れなかった末の子は人と――家族とでさえ――接触を拒んだ。 錠の部屋は、その子の為に作られたものだった。 時が経ち、末の子の傷は癒えた。完全では無いものの、自らの心を錠で縛る必要がない程に。 だから数年の間その部屋の錠が下ろされることはなく、物置の一つとして使われていた。 しかし数日前から、その部屋は再び錠で閉ざされている。 「あいつ、まだあの部屋にいるのかよ」 居間の障子を開けるなり言ったのは三男の三雲である。不機嫌そうな弟の声にも穏やかな表情を崩さずに二帆が答える。 「さっき夕食を置いて来たけれど、昼食も手付かずだったよ」 「よくそんな‥‥」 反射的に言いかけた言葉を三雲は飲み込む。兄が落ち着いているのは、心配していない訳ではない。行き場の無い苛立ちを言葉でぶつけてしまう所だった。 ひとつ深呼吸し、三雲はいつもの場所に腰を据える。 「ギルドでのあいつ、昔に戻ったみてぇだったぜ」 開拓者として依頼を終えて立ち寄ったギルドで騒ぎに居合わせた。何事かと人だかりを分けた先で、暴れる弟が取り押さえられていた。 暴れる、と言っても無闇に暴行を働く訳ではない。人の接近と接触に過剰に反応し、感情を抑えきれず混乱した状態になる。おそらくある種の防衛行動なのだろう。激しく手足を動かし、声を発しながらも、その瞳は中身の無い瓶の硝子のようで。 職員から借りたギルド制服の羽織を被せ、なだめながら何とか家に連れ帰ると、そのまま奥の部屋へ駆け込んだきり出て来ない。 「気に掛けてる志士が意識不明になった報せが理穴のギルドから届いて、ああなったってギルドで聞いたけどよ」 理穴北東部海岸沿いに、魔の森を観測する為の砦がある。 滅んだ故郷を探して開拓者と共に魔の森へ踏み込んだ隻眼隻腕の志士は、数日後その砦に運び込まれた。 その時既に意識は無く、今も尚眠ったままの状態が続いているのだという。そのまま意識が戻らなければ、衰弱の後に死に至る、と。 「親しくなった開拓者が怪我したり命を落としたりは、ギルドで仕事してりゃ嫌でもある。そんくらいであんなになるかよ」 三雲の言葉に、二帆は記憶を辿る。 「志士‥‥少し前に四葉が連れて来た事があるんだ。もしその人なら、理由はそれで間違いないかもしれない」 「なんで」 「雰囲気がね、どことなく母さんに似ている感じだったから」 二人が黙ったその時、家の奥から棚や何かが倒れるような音と振動が伝わってきた。二帆が立ち上がるより早く、三雲は錠の部屋に駆け出す。 依然閉ざされたままの扉の奥からは、中に仕舞われている物が倒れたか崩れたかした余韻が聞こえて来る。 三雲は木戸を叩きながら中へ呼びかける。 「おい、大丈夫か!? お――っと!?」 拳が空を切ると同時に、脇をすり抜けて飛び出した影。遅れて駆けつけた二帆と廊下で鉢合わせる。 「四葉‥‥」 二帆の呼びかけに即答せず、一度ぐっと唇を噛み締める。 見上げた顔には、いつもの溌溂とした笑顔は無く。それでも二帆が常と変わらぬ微笑を返したのは、四葉の瞳に光があったからだ。兄の笑みに力をもらい、四葉は言った。 「心配掛けてごめん。――行ってくるね」 頷く二帆の横を抜けて、四葉は家を飛び出した。 鬼灯が意識を取り戻さない――また、自分は何も出来ないままに失うのではないか。 均衡を失った心を取り戻すのに、あの部屋へ入った。少し時間が掛かってしまったけれど、部屋の中に入れられなければ自分を保てなかったあの頃とは違う。部屋に入る事で、自分を取り戻す事が出来た。 食を断っていた為おぼつかない足で通りを掛ける四葉が手に握っているのは青い蜻蛉玉の簪。 昔、錠の部屋の床板の下に隠した母の簪。あの部屋が物置になって、棚や箱の下敷きになったままになっていたが、それがあの部屋にいた頃の心の支えだった。 (鬼灯さんが自分を見失っているなら、助けないと――お母さん、力を貸して!) 四葉が目指す先は、もちろん開拓者ギルドである。 ● ギルドに集まった開拓者達に四葉は現状を説明する。 「お医者様の話によると、鬼灯さんは心的要因で眠りから覚めることができずにいるみたい。家族や、親しい友人が呼びかける事が一番効果的らしいんだけど‥‥」 鬼灯に家族や親戚はいない。当人が人との接触を必要以上に行なわない節があるため、ギルド関係者以外で親しい友人と呼べる存在を探しても見つからないだろう。 「開拓者として一緒に戦った皆が、鬼灯さんにとっては近しい存在のはず。皆で迎えに行って呼びかけたら、眼を覚ましてもらえるかもしれない――ううん。眼を覚まさせるために、鬼灯さんの所に行って欲しいんだ」 四葉は往路の説明に使用した理穴東部の地図を広げる。 「魔の森を避けた海沿いの道は今、豚鬼や大毒蛾、浮き目玉なんかの出現報告が上がってきてる。それでも、魔の森の真ん中を抜けるより危険は少ないし、ここを行くしかないと思う」 一旦言葉を切り、四葉は皆と視線を合わせる。 「そんな中、こんなお願いをするのは申し訳ないし、足手纏いになる事もわかってる。でも、お願い‥‥四葉も一緒に連れて行ってください!」 言って、深々とその頭を下げた。 |
■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176)
23歳・女・巫
芦屋 璃凛(ia0303)
19歳・女・陰
桔梗(ia0439)
18歳・男・巫
虚祁 祀(ia0870)
17歳・女・志
巴 渓(ia1334)
25歳・女・泰
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
真珠朗(ia3553)
27歳・男・泰
トカキ=ウィンメルト(ib0323)
20歳・男・シ |
■リプレイ本文 ● 頭を下げた四葉に、野乃宮・涼霞(ia0176)は頷いた。 「一緒に行きましょう。何があっても護るから」 自分の言葉が鬼灯に届くか──不安はある。だが迎えに行くと決めたその気持ちは揺るがない。 トカキ=ウィンメルト(ib0323)も多少ふらつく四葉を馬車まで誘導しながら、四葉と皆に向けて言う。 「大した力にはなれないかもしれないけど、宜しくお願いします」 夜が更けるのを待ち、精霊門を通り理穴へ。そこから馬車へ乗り込み北東を目指し出発する。 馬車の中、巴 渓(ia1334)は故郷痕での鬼灯の様子を皆から聞いて呟く。 「ふむ、大体分かった。おそらく突然沸き上がってくる記憶のせいで、心を閉ざしてやがるな‥‥」 それからまっすぐに四葉を見た。 「小僧。鬼灯を起こすって事は、終わりの無い復讐の地獄に再び叩き込むって事だ。分かっていて尚起こすなら、俺は止めんがな」 「それは‥‥」 四葉はすぐに返事を返すことができなかった。 涼霞は小さな包みを広げて微笑みと共に渡す。 「握り飯を作って来たの。先は長いから、休めるときにしっかり休んでおかないと、ね?」 「食欲は無いかもしれないけど、食べた方が良いですよ。目的を果たす前に倒れたら元も子もないでしょう」 トカキにも言われ、四葉は握り飯を口に運ぶ。 四葉の状態は発つ前に職員から聞いている。桔梗(ia0439)は気遣わしげな色を湛えた瞳を向けた。 「何だか、顔色も悪い気がする。疲れたら無理せずに、言って」 無理がかえって迷惑をかける事を理解している四葉は素直に頷き返す。 九法 慧介(ia2194)も四葉を元気づけるように笑顔を向けて、 「少しでも早く辿り着けるよう、全力を尽くそう」 「ありがと‥‥お願いします」 彼の笑みにつられるように、四葉も笑顔を見せた。 桔梗は涼霞に、 「幻覚を見せるアヤカシ‥‥四葉が走り出したり、とか、しないように、紐だとかで手でも繋いで貰えるだろうか?」 「わかったわ。何としても四葉くんと鬼灯ちゃんを引き合わせてあげないとね」 「ん‥‥」 涼霞の言葉にこくりと頷く。 (悔やむ事と、前を見ない事は、別‥‥だから) 過去からも目を背けず、進むべき道を見つめる。四葉に欠片も怪我をさせまいと、桔梗は心に誓った。 ● 馬車で行けるのはを川を越えるまで。 川向こう、魔の森を避けて北上する辺り一帯は、先の大雨の影響で広くぬかるんでいる。 暮れ始めた西の空を見やり、虚祁 祀(ia0870)がぽつりと。 「焦って無理をさせすぎた‥‥とは思いたく、ない」 それが鬼灯を指していると気づいた真珠朗(ia3553)が 答えるともなく口を開く。 「あたしは『倒れない人間』じゃなくて、『倒れても立ち上がれる人間』が好きなんですよねぇ。さて‥‥鬼灯のお嬢さんはどうなんでしょうかねぇ」 「わからない──けど‥‥」 痛みは崇高なものなどではなく。かといって忘れ去ってしまった身ではたどり着けない場所も、きっとある。 痛みを忘れようとする心が鬼灯を眠らせているなら、心のどこかで立ち上がりたいと思っているなら。 「立ち上がって欲しい、と思う」 沼の手前で野営をし、交代で見張りを立てて身体を休める。四葉の体調の事もあるが、沼の中ではアヤカシが目撃されているという。闇夜の中での戦闘を避ける為でもあった。 翌朝。四葉の護衛をする護衛組と、アヤカシの発見、討伐を担う先行組に別れて沼へと踏み入った。 芦屋 璃凛(ia0303)はこの場にいない姉の事を思う。 (姉さんと一緒が良かったんだけどな‥‥仕方ない、うち一人でやるしかないよね) 寂しさを振り払い、アヤカシの気配を察知できるよう気持ちを切り替える。 先行組は璃凛、桔梗、祀、渓の四人。 元々水はけの悪い土地だという事だが、一歩進む毎に足が脛の中程まで沈み込む。所々急に深くぬかるんでいる場所があるから質が悪い。 桔梗は霊木の杖で探りつつ、深みを避けるように進路を取る。 その後方、両組の姿が確認できる程度に距離をあけて護衛組が続く。 「沼を避ける道があれば良かったんだろうけれど‥‥大丈夫?」 涼霞の問いかけに、四葉は小さく笑って頷く。手を繋いだ二人の手首は桔梗から借りた鉢巻の両端を結んである。 護衛班は涼霞、慧介、真珠朗、トカキだ。 前方から響く弓弦の音に、真珠朗がギルド貸与の望遠鏡を覗く。 「おいでなすったようですかね」 祀は弓に矢を番え左前方へ向けて引き絞る。 泥に足を取られる状況で、敵は空中を自在に動き回り毒の鱗粉や幻術を駆使する相手。 「刀で相手取るのは不利──距離のあるうちに、少しでも多く墜とす!」 祀が引く弓は五人張りの名を持つ剛弓だ。放たれた矢は紅蓮の燐光を散らし百メートルの距離を越えて群れ成す影を貫いた。 次々射る矢をかいくぐり、蛾の群れが向かってくる。矢の全てが当たる訳ではないがそれでいい。護衛組に近づけぬよう引きつけるのも目的なのだ。 「精霊よ、この者にまやかしを払う加護を与えたまえ──」 桔梗は前衛から順に加護法を。璃凛は陰陽符「九十九」を手に、祀の矢で手傷を負った蛾に狙いを定める。 「弓にはかなわないけど、この距離なら──行けっ、霊魂砲!」 手元を離れた符は輝き霊魂となって空を翔け巨大蛾を撃ち落とす。 蛾の中に紛れ浮遊する眼球そのもののアヤカシが渓を睨む。刹那、何の前触れもなく衝撃が渓を襲う。涼霞の加護結界が無ければ確実に傷を受けていた。 「──っ、これが思念の刃ってやつか。小僧には近づけさせんぞ」 言う間にも放った気功波で浮き目玉を迎え撃つ。 護衛班に近づこうとする敵を優先的に叩くが、次第に集まってくるその数に対応しきれず。 「こちらにも来ますね」 乞食清光を抜きはなった慧介は鋭い視線を前方へ向けた。真珠朗もまた彼と同じく、四葉を背に庇うように前へ出る。 彼が風魔手裏剣を投じたと同時にトカキの詠唱が成った。 「貫け‥‥」 アストラルロッドから迸る魔力が風魔手裏剣を受けた目玉を電流で包み込む。目玉は甲高い音を立てて蒸発するように瘴気へ戻っていく。 「四葉くん、顔を上げないようにね」 涼霞は四葉に言う。桔梗に言われたように毒鱗粉対策に口元を手ぬぐいで覆っているが、それでも油断はできない。 護衛班の盾となってる先行班は飛び交う蛾の羽から散る毒鱗粉と浮き目玉の思念攻撃に苦戦していた。 「ごほっ‥‥数が多いよ──!」 璃凛は斬撃符と賊刀の一閃で近づいてきた蛾を倒したが、その毒が身を蝕む。 「璃凛、解毒を‥‥」 毒蛾の体当たりを身を沈めてかわして駆け寄った桔梗が巫術で毒を浄化し、続けて精霊に力を請う。 「傷ついた者達を癒す光を──」 桔梗の身体から閃く光が皆の受けた傷を塞いでいく。 「四葉くん、こっちへ!」 涼霞は自らを盾にするように四葉を庇い退がる。 「行かせない!」 慧介が抜き放った刀身から飛ぶ真空の刃が、涼霞達に寄ろうとする毒蛾を牽制する。 サンダーの射程を生かし先行組の援護をしていたトカキも詠唱を変え、 「翅さえ落としてしまえば──焼き払え‥‥」 撃ち出された火球が翅を燃やし、飛翔能力が落ちたところに間髪入れず真珠朗の七桜剣が急所を狙って突き立てられる。 「五匹目、と。この調子で火力を集中して確実に仕留めて行きましょうか。残りは十、で合ってますかね?」 問われた慧介は刃を振るいながらも心の眼で気配を探り、頷き返す。 「見えているだけで全て、潜んでいる敵はいないようです」 やや引いた位置で敵と味方の状況把握に努める桔梗が声を飛ばす。 「渓、後ろからも来てる‥‥!」 「ちっ、少しでも足場がありゃ楽なんだが‥‥!」 周囲は泥ばかりで岩も木も無い。愚痴を零しながらも渓は雅崇甲に包んだ両拳と、そこから放たれる気功波の中距離攻撃を巧みに使い分け敵をさばく。 火球で撃ち落とした蛾の背後から現れた浮き目玉の瞳孔がかっと開かれる。突如トカキの周囲は濃い霧に包まれた。 「幻術か‥‥!?」 「待って、今──」 すかさず涼霞がその手に印を結ぶ。 「精霊よ、その御力にて彼を現へと呼び戻して‥‥」 術から解き放たれたトカキは強く杖を握り、念の刃を発現する恐ろしげな姿を睨み据え雷を呼ぶ。 「恐怖ならとうの昔に味わった。それに比べれば‥‥」 トカキのサンダーを受けた目玉に、力強く踏み込んだ慧介が刀を水平に薙ぐ。 「これで終わりだ──!」 上下に分断された目玉は崩れるように瘴気へと還った。 慧介の言葉通り、護衛組を取り巻くアヤカシは全て消し去った。 先行組の周りを飛ぶのも数体の大毒蛾のみとなっている。加勢せずとも程なく勝負はつくだろう。 涼霞は四葉に怪我がないか確認をし、皆が受けた傷に閃癒を施す。 真珠朗は七桜剣を鞘に納めて言う。 「倒せたからとて油断は禁物、気を緩めないようにしておきますかねぇ」 魔の森は縮小しつつあるとはいえ、近辺を行く以上いつアヤカシが立ちふさがるか知れない。 全てのアヤカシを討伐し終えると、僅かばかりの休憩を挟んで再び北を目指して歩き始めた。 ● 沼地は抜けたものの、四葉の消耗は思いのほか大きく。休んだり、交代で背負ったりしつつ先を急ぐ。 豚鬼の襲撃を受けたのは野営場所を探している時の事だった。 動きの鈍重な豚鬼に攻撃を当てるのは容易だが、戦死者から奪ったであろう武具で身を固めているうえ、いくら刃を当ててもなかなか倒れない。 何とかこれを打ち破って翌朝。 隊列の中央、四葉の前に立ち上空にも注意を払っていたトカキが飛翔する影を見つけた。 「アヤカシ‥‥!? そこへ隠れましょう」 皆即座に岩影に身を潜め、真珠朗はそこから望遠鏡で影を捉える。 遠く、はっきりとは見えないが、人のようでありながら獣のようでもあり。背に二対の翼を広げて悠然と旋回し魔の森の中へと消えていく。 「あの場所‥‥」 はっと呟く璃凛に祀が頷く。 「たぶん鬼灯の故郷があった辺り、だ」 だとすると、あれが鬼灯の探しているアヤカシなのだろうか。 しかし四葉を連れた状況では確認しに行く訳にも行かない。皆は遙か前方に見え始めた砦へと急いだ。 ● 砦に到着した皆は理穴の兵に奥の一室へと案内される。 廊下を行きながら慧介は、緊張した面持ちの四葉に告げる。 「俺は詳しい経緯は知らないけど、四葉さんがその人を大事に思ってるって事は端から見ても分かった。無事送り届ける事ができて良かったよ」 「四葉。鬼灯と、ゆっくりと、話して‥‥」 桔梗に促されるまま、四葉は扉を開く。 寝台に横たえられた鬼灯は、ただ静かに眠っている。手に母の形見を握り締め、歩み寄り、身を屈めた。 母に似た面差しを前に、声が出ない。 ただ、その手を──失われていない温もりを確かめるように握った。 その痛々しい背中を見かねて祀が口を開く。 「過去の事は、変えられない。どうしようも無いから、目を逸らしたくなる。それじゃ駄目だなんて、言えはしないけど‥‥鬼灯、目を覚まさなきゃ、自分と四葉の未来までどうにも出来なくなるよ?」 「鬼灯ちゃん、聞こえる? 過去だけに囚われないで。今の貴女は独りじゃない。幸せと笑顔を願う四葉君や私達が待っているわ」 涼霞もそっと腕に触れ、想いを全て言葉に注いで呼びかける。 「だから戻ってきて、未来へ進む為に。貴女ともっと一緒に過ごして思い出を作りたいの。お願い、帰ってきて‥‥」 桔梗は躊躇いがちに伸ばした手を一瞬止め。それでも止めきる事が出来ず、四葉の手に重ねて鬼灯の右手をしっかりと包む。 「一人で寂しい場所に居ないで、こちらに戻っておいで‥‥俺たちはここに居る。一緒に、歩いて行こ。鬼灯の、未来を」 そしていつか過去の記憶を振り切ってくれた時のように戻ってくれることを祈って名を呼ぶ。 皆の様子に遠慮がちながら璃凛も、 「うちさ、姉さんが居るって知った時混乱したけど、今は素直に嬉しい。色々あってまだ距離はあるけど、何があっても、どんなに辛くてもさ、生きてる事が大事なんだよ」 その言葉は、面と向かっては言えない姉へにも向けられていた。 「だから、戻ってきてよ‥‥皆の、四葉のためにもさ」 皆の真摯な呼びかけを聞き、トカキはぐっと眼を閉じる。 鬼灯と面識は無く、過去を──家族を全て放り出して国を出た自分には伝えられる事は少ない。けれどこれだけは──。 「あなたにはこんなにも待っている人がいる‥‥だから戻ってきてください。今、あるものまで捨ててしまうのですか?」 「人生の先達として一つあどばいすしますが」 そう前おいて、真珠朗も呼びかける。 「逃げられないなら、受け入れるしかないんで。一人でそれができないなら、差伸べられた手を掴めばいいだけだですよ。ま、決めるのは貴女ですが。『手を差し伸べるのは自由だ。尤もそれを払うのも自由だ』‥‥貴女は倒れても立ち上がれる方だと思ってたんですけど、ねぇ?」 皆の言葉を聞きながら、渓はじっと鬼灯を見つめる。 (他人の安い同情なぞ、今の鬼灯には毒にしかならん) 当事者にしかその痛みは分からない。他人がそれに口を出す事はできない。 「鬼灯。本懐を遂げんまま、朽ち果てても構わんなら俺は止めん。あの世で家族や友人と再会する方が親切って奴だ」 「な──貴女‥‥!」 思わず涼霞が抗議するが渓はその先を許さず反論する。 「今の鬼灯に必要なモチベーションは怒りと復讐心だ。無論、褒められた情動とは言わん。だがな、この世は綺麗事だけじゃ片付かん事だってあるのさ」 渓は再び鬼灯に言う。 「仇を討つのは諦めて、そのまま寝ているんだな。貴様の覚悟は、そこまでだっただけだ。鉤爪の妖魔は俺が倒す」 「──! 今‥‥」 四葉が驚き顔を上げた。視線の合った桔梗もその瞳を輝かせる。 「動いた‥‥鬼灯」 四葉にもう迷いはなかった。 璃凛の言うように、生きている事が大事なのだ。 例え渓の言う通り、目覚めた鬼灯が復讐の地獄に陥る事になっても。皆や自分が、鬼灯を救い出せばいい。 「来る時に、鬼灯さんが探しているアヤカシかもしれない影を見たの! お願い、目を覚まして」 皆が口々に呼びかける中、閉ざされていた鬼灯の隻眼がゆっくりと開かれた。 皆の安堵の、または歓喜の声の中、桔梗は鬼灯を見つめて言う。 「おはよう、鬼灯‥‥それから、ありがとう」 それは戻ってきてくれた事に対する素直な気持ちを乗せた言葉だった。 「過去は思い出せたんで? だったら、お嬢さんの本当の名前を聞かせてもらえませんかね」 真珠朗の問いに、鬼灯は自らの内を辿るように瞳を閉じ。再び開かれた鳶色が真珠朗を捉える。 「今はまだ‥‥鬼灯、と──」 あのアヤカシを討ち、悪夢を断ち切るまで。その時までは──。 目覚めた鬼灯と疲弊した四葉の回復を待って、皆は無事神楽へと戻り目的を果たしたのだった。 |