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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●偽りと真と優しい嘘 「旦那、旦那。怪我の具合は如何?」 「熱いのを吹いて、食べさせてあげようか」 「それとも、薬酒の酌がいい?」 いつになくきゃあきゃあと、遊郭の一角は遊女達の声で賑やかだった。 「えぇいっ。買いもなびきもしてやれねぇから、散りやがれっ」 からかうような誘いと笑い声を、床で半身を起こしたゼロが睨みつける。それでも部屋を覗いていた女達は臆さず悪びれもせず、ころころと鈴を鳴らすように笑いながら引っ込んでいった。 「相変わらずですなぁ、ゼロの旦那」 遊女らを見送った遊郭の主人はニヤニヤと笑い、布団の傍らで膝をつく。 「面倒をかけた上、世話になったな。てめぇンとこの若い衆のお陰で、命拾いをしたぜ」 「いえいえ。これを機に、また贔屓にしていただけたら有難いんですがね。御新造さまには内密にしておきますんで」 「てめぇまで言うかよっ」 辺りをはばかるように手で口元を隠した主が誘えば、恨めしそうにゼロは口を尖らせた。 「実際、旦那は『上客』ですんで。久方ぶりに顔を見た女どもがはしゃぐのも、無理ありません」 「部屋を貸してくれた事に礼は言うが、今日にでも長屋へ帰るぜ」 「まぁまぁ。それで旦那の傷がぶり返しでもしたら、こちらが人情を欠いて追い出したんじゃあないかと噂されます。それに辻斬りも、店の中まで押し入ったりせんでしょう。それとも、夜な夜な遊び声に悶々とされているんで? だったら申し付けて下されば……」 「うっせ、ほっとけ。大きな世話だっ」 ぐるぐると唸るゼロに主人もやはりニヤニヤ顔で、わざとらしく「おっと、つい口が」などと誤魔化してみせる。 「失礼。ゼロさんにお客が……」 そこへ男衆がやって来て告げ、主人は軽くゼロへ会釈をしてから腰をあげた。 「怪しい者ではないだろうな」 「開拓者、だそうです。同じ依頼を受けていた縁で、見舞いにと」 「それなら、通してやってくれ」 二人の話を耳にしたゼロが迷う事なく促し、思案した主人は男衆に頷く。 やがて男衆に案内されて背黒(せぐろ)が姿を現せば、問題ないとゼロは身振りで主人に示し。人払いを頼まずとも主人は男衆と席を外し、部屋には開拓者だけが残った。 「調子はどうです?」 「まだ万全じゃあないが、動けない程でもねぇ。ヤブ医者の見立てじゃあ、もう二日か三日は大人しくしてろって話だがな」 「よかったです。例の依頼は依頼人が仕舞いにしたって話ですが、そちらはどうされるおつもりで?」 「話は聞いた。だが俺は、もう少しあの女を……追っかけるつもりだ」 「斬られた恨み、です?」 探るように背黒は話す調子を落とし、布団の上で胡坐をかいたゼロはちらと脇の宝珠刀へ視線を投げる。 「ナンとも言えないが、何にせよ個人的なモンだ。てめぇらには関わり合いのねぇ事だから、付き合う必要はねぇぜ」 「あの女から手を引いてもらう事は……どうあっても、出来ないですかね」 重ねて、搾り出すような声で背黒が妙な事を聞いた。 「それは無理だ。あの女は諦めないだろうし、俺も見過ごす気はねぇ」 だがそれには触れず、記憶を辿るようにゼロは鋭く目を細める。 ――刺されて川に落ちた際、視界のどこかで赤い薄布を垂らした市女笠を見た気がした……その下の女の顔は、分からなかったが。 「だとしても。旦那が狙われる事自体が、そもそもは『お門違い』なんです」 手を引く気配は微塵もない様子に、正座した膝の上で拳を強く握った背黒が身を強張らせた。 ――そうと決めたなら、目の前のサムライは必ず彼女を殺しに来るだろう……ならば。 「神楽の外れ、川のほとりにある人目につかぬあばら家に辻斬りを……信乃を、かくまっています。近いうちに引き払う算段ですが、もし手出しなさるのなら俺の屍を踏み越えていくお心積もりで」 ピンと張り詰めた気配に、怪訝そうなゼロが不機嫌そうに眉根を寄せる。 「ナンで、わざわざ所在まで教える」 「どこで仕掛けられるか分からないよりは、まだマシです。それに……罠かもしれませんですよ」 俯いた背黒は藪睨みで応じるが、不意にゼロはけらけらと笑い出した。 「てめぇは、そんな器用な輩(やから)じゃあねぇだろ」 そのあっけらかんと笑う様は、寸前に命のやり取りを話していたと思わせない陽気さだ。 (それが恐ろしい)と、思う背黒の背に寒気が走る。ゼロの近くにいた時間は短かったが、何故そこで邪気なく笑えるのかが自分にはついぞ分からなかった。 「いずれにしても。斬りにきたなら、俺がお相手しますので」 「そっか。そりゃあ、残念だぜ」 残念そうにゼロは視線を落とし、それが訣別の言葉となった。 それ以上は語らず背黒は一礼をして去り、ぽつんとゼロが呟きを落とす。 「あいつ……訳あり、だったのか」 それでも刀を納める事は出来ないと、傍らの刀を見つめた。 ○ 番屋の傍を避け、同心や岡っ引きと顔を合わさぬようにしながら、神楽の賑わいに背を向けた背黒は寂しい川原へ出た。既に刑期は終えた身だが、身についた癖は抜けないものだ。 「なんでこう、俺は間が悪いんだろうなぁ」 ふと足を止め、寒い風に愚痴を混ぜる。 彼がそれを知った時にはいつも、何もかもが後手だった。 ――椿が遊女になったのも、自分が自由の身となった時には死んでしまっていたのも、信乃が辻斬りを働いているのも。 誰かに胸の内を明かせれば、楽になったかもしれないが……それも既に遅い。 重い足を引きずるように再び背黒は開けた川原を歩き、枯れたススキに囲まれたあばら家へ入った。 「信乃。ほら、饅頭を買ってきた。少しは喰わないと、身が持たない」 抱えた包みを傍らに置くが、幼馴染の女志士は関心を示さない。彼女へ辿り着いた時に背黒に突きつけた、見た事のない黒い懐刀をじっと見つめるのみだ。 食べ物を置いた背黒は重ねて声をかける事もせず、足音を忍ばせてあばら屋をそっと出る。 何をどう思い違っていたとしても、惚れた女を前にして「実は自分が、お前の惚れていた女の『旦那』だった」と言えようか。しかも人様から盗んだ金で……それが例え、恋慕した相手を助けたい一心からだったとしても。 (弱い、なぁ……本当に俺は、弱い) そんな自分がほとほと嫌になっても、一つだけ心に決めた事があった。 不甲斐ない自分がしてやれるのは、せめて最期まで惚れた女の側に立って守ってやる事くらいだと。 |
■参加者一覧
香椎 梓(ia0253)
19歳・男・志
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
静雪・奏(ia1042)
20歳・男・泰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
グリムバルド(ib0608)
18歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ●荒涼の川原 「聞こえやすか?」 枯れススキを冷たい風が揺らし、その陰から一つの影が小声を混ぜた。 「あっしはゼロさんの顔見知りで……勝手に辻斬り追ってた情報屋っす。話したい事があって、一人できやした」 刺激せぬよう、姿を隠した以心 伝助(ia9077)は遠くススキの間にあるあばら家へ目を向ける。 「逃げ隠れしていないか確かめろと、頼まれでもしたんですか」 後は口をつぐんで『超越聴覚』で凝らした耳へ、ゼロを見舞った際に聞いた声が届いた。 「そんな些末を頼む人じゃあないっすよ。ゼロさんは」 「失礼。どうやら本当にお知り合いのようで……そのお方が、何を?」 「背黒さんに聞きたい事がありやして。『椿』を、知っていやすか?」 用心深く訊ねれば、迷っているのか相手は押し黙る。だが即答しない事自体が答えも同然で、明瞭な返事を待たぬまま伝助は先を続けた。 「ゼロさん側の事情を多少は知ってる身っす。おそらく信乃さんは、利用されているだけだと……」 「背黒さん、いますか。話をしたいのですが」 言い切らぬうち、別の声が問いかけを遮る。腰を落とした伝助が草陰より伸び上がって窺えば、あばら家から少し離れた位置に香椎 梓(ia0253)がいた。 「一緒に飲んだ仲なのに、水くさいですね」 「飲んだ仲とか、よく仰いますね……こちらはまるで、番屋でのお調べを受けている心持でしたが」 背黒は姿を現した様子もなく、警戒の声色だけが応じる。それに気付いていないのか気にしないのか、なおも梓は問いを重ねた。 「あなたは『斬りたくて、斬っている訳じゃない』と言いました。つまり、信乃さんは自分の意思で辻斬りをしているのではない? 何故、あなたは彼女を止めないのでしょうか。止められない理由でも?」 「では、香椎の旦那は俺が最初から信乃をかくまいながら、六人も手にかけるのをみすみす野放しにしていたと……そう、思ってるんですか」 「あなたは臆病者で、狡いお人です。命を懸けて守る……その方は、あなたの思い人なのでしょう。なぜ、止めてあげない、助けようとしない。あなたは、ただ、死んで逃げようとしているだけではないでしょうか」 返事は、ない。 それでも梓は説得するつもりなのか、けしかけているのか、構わず一人で話し続ける。 「もし操られているのではなく、既にアヤカシにされてしまって手遅れなのであれば……私達が討ち漏らしても、いつか誰かに信乃さんは斃されるでしょう。惚れた女が、他の男の手に掛かって死んでも、あなたは何とも思わない? 最期を見届けずに、先に逝ってしまうつもりなのですか? 自身の手で、楽にして差し上げては……?」 それでも、背黒は答えない。 「何故、命を懸けてまで辻斬りを守ろうとするのか……気になったのですが。致し方ないですね」 返事がない事に飽いたか、ひとまず梓は川原を去った。 「背黒さん、あっしは情報屋です。もし貴方が望むなら、今日話した事は墓まで持って行きやしょう」 まだ聞こえている事を願って伝助は再び呼びかけてみるが、返る言葉はなかった。 「さて……どうなるかな」 思案まじりに、静雪・奏(ia1042)が言葉を落とす。 背黒がゼロへ明かした話は、辻斬りに関わっていた六人全員が聞いていた。その上でそれぞれの『準備』をし、各々の意志で辻斬りを討つ為に集っている。 「ま、放っておいてさよなら、って訳にもいかんよなぁ。詳細は判らぬ点も多いとはいえ、こっちは相手方に上手く踊らされたらしいし」 がしがしと乱暴に鬼灯 仄(ia1257)は髪を掻き、ちらと目の端でゼロを見やった。まだ体調は万全ではないが見舞いにと伝助が持ってきた符水を断り、一日を何も食べずに過ごした友人に、有栖川 那由多(ia0923)も不安が混ざった表情を浮かべる。 「お門違いとはいえ、信乃がゼロを狙ってるのは事実です。そして赤い市女笠の女の存在が、確かなら……」 「確かにゼロ絡みでは、赤にも笠にもろくな記憶がない。だがゼロ以外は誰もそれを見てないのがな」 「だから。俺は、全部をこの目で確かめます」 仄に告げるというより自分自身へ宣言するかの如く。以前にあった水来村での一件を那由多は思い起こしながら、決意を口にした。 「そういえば、女の『貌』は見たのかい?」 今の間にと奏が訊ねれば、浮かぬ顔のゼロは首を横に振る。 「見ていない。薄暗かったし、一瞬だったんだぜ」 「市女笠の女自体が、見間違いという可能性は?」 「それも承知している。ただ目にした以上、俺は手を引けねぇ」 前を見据える険しい眼差しを那由多はじっと見、おもむろに仄が煙管を口に咥えた。 「市女笠の女の真偽がどうであれ。依頼云々ゼロ云々を除いても、せめて辻斬りだけでもきっちりと決着をつけておかねば座りが悪い。女を斬るのは気が進まないがな」 どこか仄はむっとした風に、腰の刀を確かめる。 「でも、遅いね。ボクは先に行っているよ」 揃っていない顔ぶれに奏が腰を上げ、心配そうにゼロも西へ傾きつつある陽を眺めた。 「間に合ってくれるといいがな。相手が……アヤカシであれ人であれ、いてくれると心強いんだが」 それから程なくして、グリムバルド(ib0608)が姿を現す。 「……遅くなった」 「いや、助かるぜ。もし人斬りへ関わる事自体に気が進まないってんなら、退路を塞いでくれるだけでもいい。そういう『汚れ仕事』は、俺がやるからよ」 安堵するゼロは遅参の理由を聞かず、本人も『出来るだけ遅くきた』訳を明かさず。 「辻斬り……背黒さんの知り合いだったのか……」 ゼロの側にも何か因縁めいた、色々と複雑な事情がありそうだと考えながら、先行した者を追う後にグリムバルドも続いた。 ……己では何の助けにもならないだろうと思いつつ、だがせめて事の次第の最後までは見届けようと。 ●二人心中 「ほらよ、探してる赤い刀の男がこっちから来てやったぜ。目的はなんだ? 金か? 女の恨みか? ゼロか? 朱刀か?」 見せ付けかの如く、殲刀「朱天」を抜き払った仄が続けざまに問うも、相対する黒衣の女志士に返事をする気配はない。念のために『術視「壱」』を使ってみるも、何らかの術をかけられている様には見えず。 感情の一切が窺えない信乃の視線は真っ直ぐにゼロを捉え、口上も恨み言もなく、黙って刀を抜いた。 「ああ、こいつは手遅れだな」 最初の襲撃で剥き出しにした殺気の一片もなく血の気のない面に、相手の様子を窺う仄がひと言、無情に呟く。 「手遅れ、か……」 ならば自分が手出しする由もないと、グリムバルドは魔槍「ゲイ・ボー」の穂先を下げた。 「絶対、逃さがさねぇ」 枯れススキの陰に身を隠し、『人魂』の式として飛ばした蝿の目を借りる那由多だったが、赤い市女笠の女の姿は川原のどこにもない。一方で女志士の挙動には、仄が感じたのと同じような違和感を覚えていた。 その間にも斜陽に白刃を閃かせ、信乃はゼロへ斬りかかる。 「あの刀が?」 傷の話を聞いていた梓は、女志士の動きに警戒した。 「手遅れだとしても、ゼロに殺めさせるのだけは……」 避けたい、と。『瞬脚』で間合いを詰める奏の前に、『早駆』を駆使した背黒が立ち塞がる。 己が身を盾にしながら、朱刀を抜いて仕掛けるゼロへは飛ぶ黒い苦無を放った。 寸前でそれを弾き落としたのは、水に濡れた様な美しい刃縁を持つ忍刀「蝮」。 あくまで邪魔する相手を抑えるべく、伝助が同じシノビへ迫る。 「那由多!」 それを好機とみて、仄が陰陽師へ声を飛ばし。 即座に那由多は手を翻し、符「幻影」を打った。 「……ッ!」 形を成した『呪縛符』の式は信乃へ取り付き、振るう刀の動きを鈍らせる。 式を振り払う為に息を詰めた僅かな隙に、仄は間合いを詰め。 描く淡い朱の弧を、辛うじて志士の刀が弾いた。 殲刀を握る腕の陰で空いた手が素早く返された、その瞬間。 じりっと焼けるような痛みが、サムライの腕に走った。 「チッ」 舌打ちをした仄は後ろへ跳ね、距離を取る。 刃は、見えなかった。 斬り分かれた信乃へ目をやれば、刀とは別の小刀らしきものを逆手に握っている。その刀身が確認し辛いのは袖の陰にあるせいか、徐々に残照を消す薄闇のせいか。 「仄さん!」 「懐刀……袂にでも、隠してやがったか。だが……」 気遣う奏に仄は首を横に振り、黒く蝕む傷を癒そうと意識を凝らす。しかし藍色の光が失せた後も疼く痛みは消えず、血も止まらなかった。 「『解術の法』も効かない、だと?」 それどころか、流れ落ちる血と共に膂力(りょりょく)や胆力も抜けていく感覚に襲われる。一太刀ならばと侮った仄だが、さすがに顔をしかめた。 「仄、市女笠の女はいるか?」 そこへ、奇妙な事をゼロが訊ねる。 「いや」 「そうか……じゃあ、仕方ねぇな」 何が仕方ないのか、確かめる前にゼロは宝珠刀を鞘へ納めた。 「こいよ。一度は斬られた身、特別に斬らせてやらぁ!」 無防備で『咆哮』するサムライへ、信乃が地を蹴る。 直後、前触れもなく両者の間に地より生じた黒い障壁が出現し。 新たな血の香が、黄昏時の空気に混じった。 「あ、あ……そっか」 咄嗟に割って入った那由多が、苦痛に表情を歪めながら友の意図を悟る。 「見えた、ゼロ……市女笠の女は……」 力なく差す指は辛うじて信乃を、傍らで揺らめく赤い薄布を示し。 「那由多!?」 「信乃、もう止せ!」 容赦なく陰陽師へ二の太刀を浴びせようとする信乃の懐へ、忍刀を構えた背黒が飛び込んだ。 「小椿を捨てたのは俺だっ。だから……本懐を遂げろ、信乃!」 邪魔者を払いのけようと志士は黒い懐刀を振るうが、シノビは怯まず。 突き立てた忍刀と身を貫く懐刀ごと信乃をしっかと掴まえたまま、諸共に川へ身を躍らせた。 「背黒さん……!」 伝助が伸ばした手の先で、鈍い水音が響き。 那由多の見つめる先で、水面に立つ赤い市女笠の女は吸い込まれるように流れへ沈んでいく。 薄布の陰で僅かにちらと嘲笑が窺えたのは、痛みが見せた幻か。 「結局、自ら手を下す方を選びましたか」 そして梓はやれやれと、一つ嘆息をした。 ●一幕の終わり 「背黒さんまで死んで、どうするんでやすか。誰が椿さんと信乃さんの事を弔って、本当の事を……覚えていてあげるんっすか」 苦々しく呟く伝助の耳に、苦痛の呻きが届いた。 振り返れば、松明を手にしたゼロが苦しげな那由多の具合をみている。 「急所は外れてるが、傷を焼かなきゃならねぇ……やってくれるか? 俺じゃあ、下手を打っちまうかもしれねぇ」 自信なさげなゼロの訴えに、駆け寄った伝助は首肯した。 「ゼロ、ごめん……お前が、くれたのに……」 開いた血だらけの手は、砕けた琥珀珠の破片を握っている。それを見て、悔しげな那由多の頭をゼロがわしゃりと撫でた。 「馬っ鹿、気にしてんじゃあねぇ。お守り一個を身代わりに、てめぇの命が助かったなら上等だぜ」 「……いいっすか」 松明を手に緊張した面持ちの伝助が問えば、袂を探ったゼロは手拭いを取り出す。 「俺の腕だと、お前が齧るには太いだろ。ちっと我慢しろよ」 手拭いで那由多へ猿ぐつわを噛ませたゼロが頷くのを見て、深呼吸をした伝助は火を黒い刀傷へ近付けた。 「痛ッ……ぐ、うぅぅーーぅっ!!」 「すまねぇ。少しだけ我慢してくれ」 押さえた腕の下で暴れる友人へゼロが幾度も謝りながら、傷を焼く手際を見守る。いつになく真剣な面持ちの伝助は、やがて『処置』を終えると肩の力を抜いた。 「那由多さんは、気を失いやしたか。後は仄さんの傷っすね」 「仕方ねぇ。自分で焼くのは無理そうだからな」 視線を向けられた仄は、苦々しげに血の止まらぬ傷と松明を見比べる。 暗い水の流れに、落水の波紋は既に消え失せていた。 周囲を『心眼「集」』で窺っても、川から上がってきた者の気配はない。 「残念ながら、二人とも死んだようです……全部抱えたまま」 確かめた事柄を梓が告げ、僅かにグリムバルドは眉根を寄せる。 彼はずっと見ていた。川原で起きた全てを、一切の手出しをせず見届けた。 重く息を吐いて顔を上げれば、暗い夜空の先から冬の名残りの雪片がちらほらと舞い落ちる。 ――何もせず、漠として見届けた結果は果たして、良しか悪しか……。 ただ今は恋人の歌が聞きたいと、天を仰ぎながらグリムバルドは心の底より思った。 揺れる感覚に意識を取り戻した那由多は、腹で疼く鈍い痛みを覚えると同時にゼロの背に負ぶわれている事に気付いた。 「ゼ、ロ……」 「気がついたか。言っとくが、謝罪とかなら聞かねぇぜ」 「でも、俺……また失敗……」 「失敗なんぞ、俺もしょっちゅうだ。気に病むな」 「けれど、最初の時から……何度も、連中に……踊らされて……今回も、例に漏れなかった……。どうしたら、もう……誰も死ななくて、済む、のかな?」 「分からねぇが、諦めたらこっちの負けだ。足掻けるだけ、足掻くしかねぇだろ」 「俺じゃ……止めるのに、力が無さ過ぎる。だけど、『一』にもならねぇ力でも、手を引いたら、本当にお前は『零』になっちまう……」 「お前は、そんなちっこい力じゃあねぇよ。だから今はあんま喋るな、体力を使う」 ゼロが諌(いさ)めても、朦朧としているのか那由多は言葉を止めず。 「やり方……わかんねぇなら、俺が勝手に、手を取るだけだ。そしたら一割でも、一分でも一厘でも……『零』じゃあ、ねぇ……」 ――こいつを巡る謀略で誰かが死ねば、こいつは誰より悲しむだろう……だから。 広い背中で揺られながら、悔しさに那由多はギリと歯を食いしばる。 「安心して下さい、那由多さん。勝手に手を取るのは一人じゃあない、あっしもいやす」 安堵させるように伝助がぽんと軽く肩に触れ、静かに言葉を返した。 「那由多の傷、ちゃんと手当てしたいから廓(くるわ)へ戻るぜ。前に俺を治療した医者なら、何も言わず診てくれるだろ」 「そして那由多さんとゼロさんで二人、廓で仲良く枕を並べるんっすね。その筋の方に売ったら、いい金になりそうな……」 「待て、伝。それは待ちやがれっ!」 冗談めかす伝助にゼロが狼狽し、思わず那由多もくすと弱く笑う。 「やれやれ、だな」 「仲がいいって言うのかな。あれは」 先を歩く三人に仄が渋面で呆れ、顔色の悪い彼を支える様に隣を歩く奏が苦笑した。 「あいつらは全く……ゼロとか、ゼロのためになんて、なぁ」 「あれ。仄さん、もしかして妬いてる?」 「何にだっ」 他愛もない会話を交わす幾人かは複雑な感情を抱きつつ、賑やかな街への帰路を辿る。 数日後、辻斬りに関わった開拓者達へ文が届けられた。 「やたら愛想のいい男から頼まれたんですよ。日が過ぎてから、旦那らに渡してほしいって」 そう言って使いをした情報屋が残した文に、差し出し人はなく。 開けば幾らかの金子に、『御迷惑料にて候』と一筆のみが添えられていた。 |