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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●餞別 ぽいと無造作に投げ置かれた赤い布へ、周りにいた蟲達が一斉に群がった。 先を争って切り刻み、引き千切り、貪り食い、瞬く間に『布』は消え失せる。 「こんなところ、かな」 平らげて這い回る蟲達の様子をしばし眺めていた『人妖』が、呟いた。すると蟲達は人妖の足元へ集まり、その影へ次々と潜り込んでいく。蟲の全てが消えると、影から遊離するように人の形をしたモノが起き上がった。 「用は済んだ。こうして分かつ意味も、今はないだろうに?」 「ほんの、座興だ」 表情を変えぬまま、同じ顔をした二体の人妖は言葉を交わす。 「ああ。座興といえば、あれらには餞別でもしておくか」 「無意識からか、あ奴はアレを持っては来なかったからな」 「血、か。面倒なものだね」 淡々と話す人妖が伸ばした手から手品の様に一羽の蛾が現われ、指に止まったまま羽を震わせる。 ちりーんりんと鈴に似た微かな音が響き、間もなく音に誘われたように様々な羽模様と大きさの蛾が複数匹飛んできた。 「だが得られればそれでよし、得られなくばそれもよし」 二言三言と何事かを命じられた蛾の群れは、ひらひらと飛んでいく。 西の山から人妖が見下ろす先、見慣れた数多ヶ原の地に向けて。 ●戦いの後 「とにかく、食べなきゃダメだよ。少しでも何か食べて、体力を回復させないと‥‥もたないよ?」 枕元に粥の膳を置いた天見津々(あまみ・つつ)は、床で目を閉じたままのゼロへ言い聞かせる。 「開拓者の人達には、思いっきりお礼を言わないとね。すっごく心配してたし、あの人達がいなかったら今頃‥‥」 明るく話しかけていた津々だが、不意にぎゅっと眉根を寄せて唇を噛んだ。 ほぼ全身に包帯を巻かれたゼロはずっと熱があり、薬湯を飲ませても下がらない 屍人による傷も治りが遅く、時おり右の手首をさするような仕草を繰り返したり、左手の指を動かしたりする‥‥その意味は、津々には解らないが。 ただ一日のうち数回、話が出来る程度に意識は回復するようになっていた。時間は短く、会話も思考がまとまらないせいか散漫だが。 「また、後で膳を下げに来るね」 膳を残した津々が部屋から出ると、容態が気になったのか天見元重(あまみ・もとしげ)の姿が廊下にあった。 「具合は?」 「神楽まで旅が出来る程には、回復したと思うけど‥‥瘴気感染、だっけ。あれって、普通の薬とかじゃ治らないんだね」 「そのようだな」 深く溜め息をついた二人の耳に、きゃっきゃと明るい声が届く。 庭では弟妹のうち一番幼い元盛(もともり)とその上の白(しら)が母の千代(ちよ)を囲み、元定(もとさだ)と竜田(たつた)は走り回って遊んでいた。再び母と一緒の日々が戻ってきて嬉しいのだろうが、元重は複雑な表情でそれを眺める。 ○ 安康寺から開拓者が『保護』した千代は、元重が自分の子だと分からなかった。 同じく、別の開拓者によって捕縛された鷹取佐門(たかとり・さもん)は、『果し合いの相手であるゼロが現われた事で、元重が討たれたのだと思い病んだのだろう』と推測した。現に元重以外の子供達とは以前と変わらずに接している。また子供達といる間は変わらないが、一人にすれば『殿』を探して夜な夜な奥の座敷を徘徊した。 「心を、病んでしまわれたのか」 天見家当主の天見基時(あまみ・もととき)は千代への尋問を行わず、代わりに奥座敷から出さぬよう侍女達へ命じた。 半ば錯乱した状態では、真っ当な話も望めず。なにより幼い子供達から『母』を取り上げるのも、はばかられたのだろう‥‥彼もまた、幼くして母を亡くしているが故に。 一方。牢へ入れられた鷹取は、千代に関する事だけを説明したのを限りに、口を開かなくなった。それは元重が尋問をしても同じで、自ら舌を噛まぬだけ良いのかもしれない。 また城町で屍人退治を行っていた開拓者六名のうち、二名が深手を負い。彼らを守りながら開拓者が運んできたゼロは、誰が見ても『異常な状態』だった。 鷹取を捕らえた開拓者の話によると、鷹取曰く「『瘴気感染』を発症した」らしく、病と薬に比較的詳しい津々でも手に負えない。 話を聞いた基時は、「一番近い神楽の開拓者ギルドへ、急いで連れて行くしかない」と結論を出した。 神楽へは馬で二日、乗り合い馬車は三日、徒歩なら四日かかる。ただ『七日の間は城町に近付かぬ事』という布令もあり、乗り合いの馬車は数多ヶ原に入っていない。 長旅に備えて体力を回復させようと津々がついているが、ゼロの容態は思わしくなく、『限界』が近かった。 城町を夜歩いていた屍人の群れは、朝まで入念に町を回った開拓者三名の手によって、最後の一体まで残らず殲滅された。 念のため、昼間のうちに討伐隊が開拓者と共に行動した上で、城町の安全を確認している。 天見屋敷に避難していた町人達も家に戻り始め、荷を担ぐ馬や牛、もふらさまがひっきりなしに天見屋敷を出入りをし。一部の開拓者は、それを積極的に手伝っている。 それもあって、ゼロの輸送に回せる元気な馬は数が足らなかった。有難くも神楽より馬で駆けつけた開拓者の一頭を加えても、四頭が限界だろう。 ○ 「兄上の体調は?」 「良くないけど‥‥開拓者達が寝食を惜しんで働いてくれたのに、国の長である身が休んでいる訳にもいかないよって、笑ってた」 兄の質問に、また津々は嘆息した。 「確かに、ゆっくり休める時ではないが」 まだ安康寺内の安否確認や、被害を受けた城町の修理、そして亡くなった多くの者達の弔いが残っている。元重が力になれる事もあるが、動けない事も今は多い。 「せめて滋養のある物を取るよう、気を配ってくれ」 「元重兄様もあまり思いつめたり、無理をしないようにね。ホントに基時兄様が倒れたら、元重兄様しか頼れないんだから」 表立って手伝えないのがもどかしいのか、歯がゆい表情の兄をそっと妹が気遣う。 「もし、兄上が倒れて‥‥何かあったら、次の当主はお前になるかもな。天見家では女が当主になった事はないが、元信では頼りにならん」 「そ、それは、冗談でも言っちゃダメだよ! ダメだからね!」 わたふたと慌て、うろたえる津々に、小さく元重は笑った。 天見屋敷では、その日のうちにゼロを神楽まで運ぶ準備が整えられた。 滞在する開拓者達へ、当主の基時から直々にゼロの輸送と、道中を護衛する依頼が告げられる。 屍人騒ぎの後、安康寺と城町から姿を消した人妖は依然として発見されず、なんらかの襲撃を仕掛けてくる可能性が捨てられなかったためだ。 「不肖の『弟』ではあるが、どうか命を救ってやってくれ」 人払いをした部屋で、『兄』として基時は床へ手をつき、頭を深く下げて開拓者達へ依頼する。 雲行きは怪しく、神楽への道中は雨が続くかもしれないが。 徐々に季節は、夏の気配を帯び始めていた。 |
■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
七神蒼牙(ia1430)
28歳・男・サ
嵩山 薫(ia1747)
33歳・女・泰
景倉 恭冶(ia6030)
20歳・男・サ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
シア(ib1085)
17歳・女・ジ
ヴァスクリセーニエ(ib6623)
19歳・男・ジ |
■リプレイ本文 ●出立前 天見屋敷の正面では、三頭の馬と小型の馬車が待っていた。 準備をするヴァスクリセーニエ(ib6623)は、四頭目の馬‥‥神楽から彼が乗ってきた借馬を撫でてやる。 「‥‥帰りも、宜しく頼むぜ、ちょっと辛いかもしれないが‥‥」 「君のお陰で助かるよ。送り手が一人でも多いと、心強い」 礼に振り返れば、天見家当主の天見基時が多忙の身ながら見送りに来ていた。 「ゼロは、ちゃんと俺達が神楽へ送るよ‥‥本当は博打は勘弁なんだけどね。俺達に出来る最善、最良は尽くすから」 真摯に返すヴァスクリセーニエに基時は頷き、嵩山 薫(ia1747)へ目を向ける。 「貴女の技量は先の席で拝見させて頂いた、嵩山流宗家、嵩山薫殿。この場にいる者達なら、手遅れになる前に神楽へと行き着けるだろう」 「そう言われると、くすぐったいわね」 託された薫は、手綱を繰りながら苦笑した。 「君達のお陰で、数多ヶ原もしばらく落ち着くだろう」 「そうあって欲しいっすけどね」 浮かない顔で以心 伝助(ia9077)が答え、有栖川 那由多(ia0923)は戸惑いの表情を返す。 「それに俺は‥‥別に、何も」 「そんな事はない。もしその気があり、出来る事なら神楽における天見の‥‥」 「い、痛たたたた‥‥何!?」 不意に、ゼロへ付き添う天見津々が基時の言葉を遮った。 「ゼロ?」 担架の前を持つ景倉 恭冶(ia6030)が足を止め、後ろの七神蒼牙(ia1430)が驚いて尋ねる。 「何かあったのか」 心配そうな蒼牙に、ゼロの口元へ耳を寄せた津々は小首を傾げた。 「えっと‥‥「取るな」って?」 それを聞いた基時が何故かくすくす笑い、話が見えない蒼牙は恭冶と顔を見合わせる。 「ゼロは、何を?」 「いや、俺が怒られてしまったようだ。もし「その気があれば」という話だが、『友』を譲りたくないらしい」 尋ねた那由多に基時が呟き、何でもないと身振りで津々を促した。 「宝珠刀はどうするの?」 ゼロを馬車へ乗せる恭冶と蒼牙の背中へ、シア(ib1085)が尋ねる。 「屋敷へ置くんかね?」 「それなら、俺が預かりたいが」 「でもゼロの手紙には、「戻るまで決して人に渡すな」ってあったから‥‥」 皆まで言わず、那由多は言葉を濁した。『野良』を逃した事もあり、どこで何が聞いているか分からない。 神楽への一行は馬車の扱いに慣れたヴァスクリセーニエが御者となり、那由多と薫が馬に乗る。そして、馬車に乗る四人目は恭冶となった。 「どちらにしたって、全員でついていくには馬が足りないもの」 残るシアが苦笑し、申し訳なさげに恭冶は首を振る。 「人数が多いようなら、残るつもりやったけど」 「こっちも、空席があればって腹積もりだったからな。その代わり、ゼロを頼んだぜ」 蒼牙は担架からゼロを抱え起こし、座席に座らせた。 「お前、俺達の事を大事だから危険に晒したくないって言ってたな。俺達だって同じだぞ? お前を危険に晒したくない。だから、遠慮なんかしないで手を借りてくれ」 ゼロの意識は明瞭でなく、蒼牙の声が届いているかも定かではないが。 「お前には、確かに並大抵の事は切り抜けられる力がある。でも一人じゃ大きな危険でも、皆で力を合わせれば一人一人の危険は小さくなるハズだ。だから、一人で抱え込むな‥‥」 「準備は終わった?」 「ああ‥‥死ぬんじゃねぇぞ、ゼロ。元気になったら、皆で飲もうぜ」 尋ねる薫に答え、言い置いた蒼牙は馬車から降りた。 「気休めにもなりやせんけど、せめて」 伝助が懐の『不動明王のお守り』を取り出し、ゼロの荷物へ忍ばせる。 「ちゃんと生き延びてくださいよ‥‥言いたい事、山ほどあるんすから」 荷物を馬車の座席へ置き、同行する那由多へ会釈をした。 「ゼロさん、お願いしやすね」 「分かってる。ゼロを無事、神楽へ送り届ける。治療も受けさせる。絶対、死なせねぇっ!」 以上と覚悟を告げた那由多に、笑んで伝助は頷く。 「お前の腕輪、突っ返してやるから早く目ぇ醒ませ‥‥!」 左腕につけた揃いの腕輪に触れながら、那由多はゼロへ呼びかけた。 「キャラバンでの経験がこんな形で生きるなんてね‥‥さぁ、行くかっ」 離れた家族を一瞬思い、御者台のヴァスクリセーニエが馬に合図する。 「神楽についたら、すぐに連絡するやね!」 ゼロを支える恭冶が、残る者へ声をかけた。 「‥‥斬られた借りを返すまでは、くたばるなよ」 助力が得ようと朱藩開拓者ギルドからの連絡を待つ鬼灯 仄(ia1257)は、風信機のある通信所より天見屋敷を出る一行を見送った。 「こっちも間に合えばいいが」 高速小型飛空船でも、着くのに半日以上‥‥焦れながら、彼は連絡を待った。 ●残りし者 「ゼロが重度の『瘴気感染』にかかった。着いたらすぐ治療出来るよう、手配を頼みたい。襲撃の可能性を考えて最短の道は避けるが、二日程で着く筈だ」 『では、医療所に手配しておきます。道中、お気をつけて』 風信機越しに神楽のギルド係員が応じ、快い返事に蒼牙は少し安堵した。 「これで、出来る事はやった。そっちはギルド長待ちか」 「ああ。首尾よくいけばいいが」 漫然と待つのは蒼牙の性に合わず、仄を残して通信所を出る。 (俺は馬鹿だ‥‥あの時、アイツの本音を聞いたのは俺だけだったってのに) 過ぎた事を悔いても、時は巻き戻らず。 「クソッ。後悔しても、し足りねぇぜっ。あいつには伝えなきゃならねぇ事があるんだ」 まだ寂しい城町を、もどかしく蒼牙は歩いた。 「無理は承知だ。武天の数多ヶ原から神楽までゼロの移送する『足』、飛空船を借りたい」 『時間は惜しいだろうが、然るべき理由を聞かせてもらえるか?』 訊ねる仙石守弘へ、手短に仄が事情を説明した。 その上で、安州騒乱で尽力したゼロの命が危ういという『義』。失うのは惜しいゼロという開拓者の能力と人脈の『理』。国を治める士族への貸しという『利』などを訴える。 加えて天見元重や津々ら身内の『情』を説こうとしたが、同席した元重本人が拒否した。 「とにかく、だ。安州騒乱の際に現われた、『無貌餓衣』と思しき大妖。アレと関わる『無名衆』らしき影が数多ヶ原にあり、ゼロが鍵になるかもしれない」 「数多ヶ原は小国だ。飛空船を保有せず、内密に頼める当てもない。非礼と承知の上で、私人としての仙石殿にお願い申し上げる。今一度、力を貸しては頂けぬだろうか」 仄に続いた元重は見えぬ相手へ頭を垂れ、仙石が逡巡する気配が伝わる。 『心当たりを当たろう。時間が必要だが、良いか』 「勿論だ」 再び連絡すると告げた風信機は沈黙し、ひとまず仄は緊張を解いた。 「兄上に経過を伝えるが、他の開拓者も俺に話があるらしい‥‥この場、任せていいか」 「吉報が届くよう、祈っといてくれ」 通信所を出る元重に、ひらと手を振って仄が見送る。 戻ってきた元重と基時を交え、改めて伝助とシアは安康寺で見聞きした全てを報告した。 「人妖は鷹取を『顔無の一人』と呼んだわ。天見家の力を削ぎ、人々に恐怖を植えるのが目的だったみたいだけど‥‥」 「恐怖‥‥?」 明かすシアへ元重は怪訝そうな顔をし、基時はじっと考え込む。 「ゼロさん、顔隠しの布をしていたそうでやす。『顔無の一人』ってのも気にかかりやすし、図書館にある賞金首『無貌餓衣』の眷属と特徴も重なりやす。基時さんは以前、あの布の事を言われてやしたよね」 「あれは、『彼』が去る間際に言い残したのだよ」 基時の説明に、黙した元重が険しい顔をした。 「元重さん。安康寺で津々さんを捕らえた理由は、何だったの?」 「津々を守る為だが。使者が斬られたのは知っているな」 「あ、ええ‥‥あと、もう一つ」 忘れていた事をシアは誤魔化し、話を変える。 「元重さんには、自罰も許さない‥‥恥を忍んでも、泥をすすっても、捨てた命と思って、天見家や数多ヶ原を顔無の思うようにしないよう、全力を尽くして欲しい」 「侮るな。死なせた者達の為にも、俺は自らの務めを放棄せぬ」 重く答えた元重は基時へ一礼し、座敷を後にする。 「放棄‥‥ゼロさんの事、でやすか」 「元重にとっても特殊な存在だ。それが予期せず現れたら引けなくなるのを、鷹取に利用されたのだろう」 伝助の呟きに基時が推論し、その間にシアは立ち上がった。 「私は屋敷の守りにつくわ」 「では、あっしもこれで」 畳へ手をついた伝助も、その後に続く。 「民との絆は、取り戻せないだろうが‥‥『家族』、そして『友』の絆か。お前は譲れぬものを得たのだね」 それは羨ましい事だと、遠い弟に基時は思う。 ――民に寄りて、国は成る。我らが守るべきは民の安寧であり、信である―― 代々の天見家当主が守り、永く数多ヶ原を支えるそれらを、急いで紡ぎ直さねばならない。 だが重い身体は動かず、揺らぎ続ける視界に基時は固く目を閉じた。 (元重さんが死んでいない事だけが思惑の外、か‥‥たった一つ外させた歯車、どう反撃に繋げるべきか) 思いにふけるシアは、廊下を走る家臣数人とすれ違った。 「何かあったの?」 「お屋形様が倒れたのだ!」 呼び止めれば一人が短く答え、先に行く者達を追う。 「まさか。さっきまで、普通に話を‥‥」 未だ鷹取佐門の策に囚われているような感覚を覚え、シアは立ち尽くした。 「果し合いの日、千代さんは既にゼロさんを『殿』と認識する異常をみせていやした。あの推測、嘘でやすね」 牢に座した鷹取を、感情を抑えた言葉で伝助が探る。 「千代さんは『病んだ』のではなく、あの妙な匂いを使って『病ませた』んじゃないっすか?」 安康寺に忍び込んだ時の眩暈。原因は恐らくあの甘い匂いだと、伝助は見当を付けていた。 「このままだんまりを通す気ですか、『無名衆』‥‥いや『顔無殿』でしたっけ?」 普段の明るさは影を潜め、表情や仕草、相手の反応をシノビはじっと窺う。 「人である貴方が何故、人を喰うアヤカシに組するのか。そこが一番わからない」 「では何故、人は『嵐の壁』を越えようとするのだろうな」 表情を崩さず、抑揚のない声で鷹取が返した。 「正気の堰が切れる程の歪みが溜まり、あの男が切っ掛けとなっただけの事。それを嘘と思うは自由だ」 「堰が切れると見越してはいた、という訳でやすか」 答えはないが、伝助は確信する。 他にも危うい『堰』があるかは不明だが、彼の目には鷹取が牢で高みの見物をするようにも見えた。 ●災い降る もどかしさに、薫が歯噛みをする。 数多ヶ原領の国境近くで、一行はアヤカシ蛾の群れに襲われていた。 地に奔る衝撃波でダメージを与える『崩震脚』は、周囲の敵を一掃する。だが空を飛ぶ相手に衝撃波は届かず、馬に被害が出かねない。 「この襲撃‥‥早いうちに足を潰して、到着を遅らせる魂胆かしら。一匹ずつ、確実に仕留めるのが良さそうね」 舞い飛ぶ蛾に薫は攻めを変えながら、馬を走らせる。 襲撃に気付いたのは、『九字護法陣』で守りを固めた那由多だった。 「アヤカシが仕掛けてくる!」 向けられた術に護法が解け、即座に仲間へ警告する。 「もう? 早いよ、那由多ッ!」 「俺に言うなっ」 那由多とやり取りするヴァスクリセーニエへの頭上を、影が過ぎった。 「蛾?」 「振り切れそうか?」 中でゼロを支える恭冶に聞かれ、御者の少年は首を振る。 「こっちは重くて、あっちは飛んでんだ」 「やね」 先行した薫も、異常に気付いて馬首をめぐらせた。 「こっちでも引き付けるわ。一刻を争う事態、それに私達は葬式屋ではないのだから、ゼロさんには無事に帰ってもらわないとね」 「お願いします。俺も、敵の的になりますから!」 薫に頼んだ那由多も、符「幻影」を手する。 「刀、を‥‥」 戦いの気配に、指で刀を探るゼロの手を恭冶が押さえた。 「俺らを信じて任せとくやね。お前は、ここで死んじゃなんねぇ奴なんだよ。周りで悲しむ大勢の奴の顔を、俺は見たかねぇんよ‥‥」 風信機ではギルドに回り道すると伝えたが、一行は最短ルートを進んでいた。偽情報の効果があったかは定かでないが、辺りには六匹ほどの蛾が舞う。 「‥‥っ、邪魔だ、其処をどけッ!」 正面から迫る炎蛾へ、ヴァスクリセーニエの鞭「フレイムビート」が踊った。 馬車が燃えるより先に、炎の如き赤い鞭は火種を散らす羽を裂き、叩き落す。 「何があっても、ゼロだけは無事に送り届けるんだ。お前の代わりなんて居ないんだから、お前を助けられるんだったら、俺は‥‥!」 ヴァスクリセーニエは鞭を振るいつつ、片手で手綱を操る。 その馬車を、不気味な振動が揺らした。 直後、被った外套を翻し、馬車から影が飛び出す。 「えっ!?」 「先に行け! 俺は、後で拾ってもらうやね!」 一人分、軽くなった馬車は速力を増し。 「く、悪い、そっちの奴は任せた‥‥!」 ヴァスクリセーニエが、好意に甘える。 身構えた恭冶が対峙するは、馬車へ衝撃波を放った大蛾。 「どんな手を使ってでも、死なせやしねぇ!」 アヤカシを『咆哮』で引き付け、両手の刀「鬼神丸」を抜き払う。 羽ばたく巨大蛾の動きが、一瞬鈍り。 『呪縛符』を打つ那由多の姿を視界で捉えながら、礼より先に恭冶は二刀で斬り込んだ。 「ゼロは、あんな体で術に抗ったんだよな‥‥なら、俺もボロボロになったって守り抜いてみせる」 恭冶の死角から襲う死蛾へ、素早く次の式を放ち。 「見限るもんか。友達甲斐とか勝手に決めんな‥‥お前は‥‥、俺の親友だろうが!」 唇を噛む那由多の耳が、小さな鈴のような音を拾う。 振り仰ぎ、式の目と耳を使って探れば、一匹だけ高い位置を飛ぶ蛾の姿があった。 「薫さん、あれを!」 仰ぎ示せば、素早く型を取った薫が拳より衝撃波を放つ。 羽を吹き飛ばされた蛾は、力なく落ち。 残る蛾も確実に排除してから、一行は先を急いだ。 国境を越えた後はアヤカシの再襲撃もなく、二日目の終わりに小型飛空船が追いついた。 基時が過労で倒れ、飛空船は到着直後にアヤカシ蛾の群れに襲われ、出立が遅れたという。 結局、残り短い旅程は安全を取って馬車となり、早朝に一行は宿を発った。 ○ 「‥‥こ、れは‥‥」 戸を開ければ、気付いたのかゼロが切れ切れに言葉を紡ぐ。 「神楽‥‥の、空気‥‥?」 「うん。おかえり、ゼロ」 手を取って那由多が答えれば、微かに握り返して「ただいま」と彼は深く目を閉じ。 那由多は恭冶と二人で、医療所へゼロを運び込んだ。 「治るのか?」 「まだ間に合います、治しますよ」 ヴァスクリセーニエへ返す係員に、四人は肩の荷を下ろす。 「次は天見家に連絡ね。待ってるわよ」 「俺がひとっ走り、行ってくるやね」 薫に恭冶が頷き、離れ難そうな那由多とヴァスクリセーニエに残るよう告げてギルドへ向かった。 すぐに飛空船で着いた者も集い、報告より先に医療所でゼロの様子を確かめ、安堵する。 久し振りの神楽の空気は、もう夏の気配を帯びていた。 |