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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●安康寺、本坊 彼の来訪を、相手は驚きもせず迎えた。 「話をしに来た」 「着替えを用意しておりますので、まずは御召し替え下さい。そのお姿では‥‥驚かれます」 手短に用向きを告げれば鷹取佐門(たかとり・さもん)から苦笑を返されて、やっとゼロは返り血を浴びた自分の格好に気付く。 踵を返す鷹取を追って人妖がふわりと先へ進み、後からゼロも本坊へ上がった。 通された一室で、部屋に用意された別の着物に着替える。常に身につけた物がない違和感に落ち着かず、左手で右の手首を軽くさすった。 夫婦となった証に妻が彼の指へはめてくれた指輪と、初めての『誕生日の祝い』に友より贈られた揃いの腕輪と、成人した日に父から譲り受けた宝珠刀と。 全部を三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)宛に文を添えて、天見屋敷へ残してきた。 これから話をする相手を、下手に刺激したくなかったのだ。 友人と果し合いに立った者達の事を思えば、悔恨は尽きないが、今は‥‥意識の外に置く。 うな垂れている間に、人妖はゼロの髪を束ね。 そこへ障子がすっと開き、現れた女にゼロは居住まいを正して一礼した。 「お久し振り‥‥ですね」 「形式ばった挨拶も、前口上も不要。千代様、俺は話をしに来ただけだ」 薮睨みで返せば、義理の母になる天見千代(あまみ・ちよ)はくすと微笑む。 「ここでは味気ないものです。邪魔もなく、二人でゆるりと話を致しましょう」 着物の裾を引いて千代は先に行き、嘆息してからゼロが立ち上がった。 千代の後に続いて回廊から入った座敷を横切り、奥の部屋へ足を踏み入れる。 途端に甘ったるい香の匂いに包まれ、ゼロが顔をしかめた。 「そのような難しい顔をなさらず。茶でも一服、点てましょう」 釜を掛けた風炉の前へ座る千代に促され、居心地が悪そうに部屋の隅へ腰を下ろす。 何を話すべき、何を切り出してくるか。ぼぅと考える間に沈黙が流れ、気付けば自分の前に干菓子と茶碗が並んでいた。 千代へ顔を上げれば笑んで頷き返され、息苦しさを覚えながらも茶碗を取って、苦い茶を口へ含む。 胃の腑に物が入れば、何も食べていない事に気付き。気付けば更に腹が減って、作法も構わずゼロは干菓子を口へ放り込んだ。 実の子である天見元重(あまみ・もとしげ)の命が危ういというのに、どうして笑っていられるのだろうと不思議に思う。 果し合いの代役が立ったと聞いたのか、別の理由があるのか。 真剣勝負での、果し合い‥‥それが弟の最期の望みなら、応じてやりたかった。 昔から反りが合わない元重が、今なお自分を嫌っているのは、先日の一件で分かった。そしてまた、弟や妹の為に『彼らの母』を守ろうとしている事も。 元重以上に、ゼロは千代と不仲だった。彼は先妻の初の子、後妻の千代とは血の繋がらぬ間柄で、『母』と呼んだ事も、呼んでよいと言われた事もない。 何から話すべきか‥‥茫漠とした考えがまとまらぬままゼロは茶を干し、それでも何か言わねばなるまいと口を開きかけた途端。 くらりと、視界が揺らいだ。 「あ‥‥」 目を開けられぬほどの急な眠気と目眩に、身体が傾ぐ。 力の入らぬ手から茶碗が滑り落ち、意識を失ったゼロは床へ崩れた。 柄杓を扱っていた千代はその音に手を止め、倒れた相手にしょうがないといった感でくすりと笑う。 それから、転がってきた茶碗を拾い上げ。 「お帰りなさいませ、殿」 そう、嬉しげに呟いた。 ●進退両難 夜更けにもかかわらず、どんどんと戸を叩く音がした。 目を覚ました沢下は無視を決め込むが、あまりにもしつこいので、仕方なく寝床から這い出す。 「こっちは、蟄居の身だぞ」 先の果し合いの日。切腹となった元重の為に何かしたくて、更なる厳罰を覚悟しながら沢下は友人の波村と天見屋敷へ忍び込んだ。結果は見張りをしていた開拓者に捕まって終わったが、二人ともきつい御叱りを受けたのみで罪は問われなかった。 元重に御赦免となった為か、当主の采配があったのかは分からない。だが拾われた命、期日が終わるまで大人しくしている最中だった。 欠伸をしながら棒を外し、戸を開けた途端、沢下の眠気は吹っ飛ぶ。 「水原‥‥?」 顔見知りの、死んだはずの友人は、虚ろな表情でにたりと笑ったように思えた。後ろには同じ蟄居の処分を受けている筈の波村や、反目していた山上や森田達の顔もある。 「なん、で‥‥?」 問いに返事はなく、呆然として後退る沢下へ手が伸び。 夜の闇に響いた悲鳴は、すぐに途切れた。 ○ 「武家屋敷の一帯を、夜歩く屍人が襲っている?」 「はっ。一昨晩と昨晩のうちに、三分の二ほどが‥‥」 天見家当主、天見基時(あまみ・もととき)が問い返せば、平伏したまま家臣が報告する。 「討伐隊は如何した」 「実は‥‥屍人の大半が、例の安康寺の一件で命を落とした者ばかり。隊の者にも動揺が広がり‥‥」 「不首尾に終わったのだね」 「申し訳ありません!」 床へ頭をこすり付けんばかりの相手に、基時は面を上げるよう促した。 「アヤカシの仔細は?」 「最初は二十人程度が今は三倍に膨れ上がり、中には女子供も‥‥縁者や面識のある家から襲い、襲われた者は同様に屍人化するらしく」 「夜に来るという事は、どこかに棲家があるのか‥‥」 「難を逃れた者の話では、夜明け前に安康寺の方向へ引き上げて行ったそうです」 基時の表情が強張り、腕をかけた脇息をぐっと握る。 「すぐさま、屋敷の門を全て開けよ。サムライ、町人を問わず、城町の者全てを屋敷内へ避難させるのだ。城町から出るのなら、それも構わない」 「お屋形様、それでは」 「近隣の町村へも布令を出せ。次の布令があるまで、七日の間は城町へ近付いてはならん」 次々と基時が出す指示に家臣達は座敷を飛び出し、間もなく辺りは閑散とした。 「兄上、少し休まれた方がいい‥‥顔の色も優れない。津々に薬湯を用意するよう、伝えておこう」 口を慎んでいた元重が、兄の具合を案じた。御赦免となった今は以前と変わらず基時を支えようと動いているが、表立って口を出す事は控えている。 そして基時は病が治り切らぬのか、幾らかの頭痛と時おりの目眩を抱えていた。 「後で頼むよ。それにしても、安康寺とは」 「母上と鷹取は、無事だろうか。それに、開拓者が見た『三人目』というのは‥‥」 「気になるだろうが、今は領民を守るのが先。至急、開拓者へ助力を頼まねば」 ○ 小さな手でも人妖は器用に赤い布の端を取り、頭の後ろで固く結んだ。 しっかりと結ばれた事を確かめた鷹取は深編笠を取り、顔を隠す赤い布の上から頭へ被せる。 「もうすぐ、今日の陽が暮れる」 歌うように、文机の鳥籠から小さな声がささやいた。 「明日の陽が昇るまでに、どれだけ増えるかな」 離れぬ人妖は、ちらりと深編笠の奥を窺う。 静かだった安康寺の客殿や従者の間には、物言わぬ屍人達がひしめいてた。 |
■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
七神蒼牙(ia1430)
28歳・男・サ
嵩山 薫(ia1747)
33歳・女・泰
景倉 恭冶(ia6030)
20歳・男・サ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
シア(ib1085)
17歳・女・ジ
ヴァスクリセーニエ(ib6623)
19歳・男・ジ |
■リプレイ本文 ●『人妖』 賑やかな神楽の都を、しとしと降る雨が濡らす。 表通りを抜けたヴァスクリセーニエ(ib6623)は、目的の場所で足を止めた。 ゼロが住む開拓者長屋は普通の長屋で、近所の者に聞いても目ぼしい話はない。手がかりを求め、ゼロと縁のある場所を片っ端から巡っていたのだが。 「ここも、なさそうだな」 数多々原で起きた件は、彼も耳にしていた。安康寺で起きた天見基時派と天見元重派の諍いで死んだ者がアヤカシの屍人となり、城町を襲って犠牲を増やしている事も。 「‥‥まさに地獄絵図、ってやつか‥‥一回り巡って、早いとこあっちに合流しないと‥な」 数多々原は気になるが、神楽での手がかり探しは彼にしか出来ない。 残る心当たりを探しに行こうと、片側に束ねた髪を揺らして踵を返せば。 「よかった。異国の旦那を探してたんすよ」 ほっとした声が、ヴァスクリセーニエを呼び止めた。 背中を少し丸めた小柄な中年男に、はっとヴァスクリセーニエが心当たる。 「あんた、ゼロの馴染みの仲介屋だろ。こっちも探してたんだ!」 「事情はお察ししますが、お天道様の下。大きな声では‥‥!」 「前置きはナシだ」 時間も惜しく、単刀直入に彼は用件を切り出す。 「ゼロが連れてた野良の人妖の事、何か情報があったら聞かせてもらえないか。金は‥‥情報に応じて出すよ。生業柄、タダじゃないだろうしな」 「そりゃあ、ありがてぇ」 手を揉む中年男に、「ただ」と言葉を濁したヴァスクリセーニエ。 「生憎、あんまり手持ちが無くてね。その‥‥払えない分は、ツケが出来るとありがたいんだけど?」 「じゃあ遠慮なく、百文で」 「百っ‥‥万?」 聞き間違えたかとヴァスクリセーニエが正せば、仲介屋はひらひら手を振る。 「ひゃくもん、です。それ以上はビタ一文負かりません」 「負けないのはいいけどさ。でも、それ‥‥いいのか?」 「こっちも、ゼロの旦那には早く戻ってもらわねぇと。難儀な仕事を気安く頼めるお方は、なかなか‥‥ねぇ」 へらりと笑う仲介屋に、思わずヴァスクリセーニエもつられた。 「分かった、百文は出す。人妖の事は?」 「それがですね。気になって、調べたんですが」 腰の低い仲介屋は手短に、掴んだ事を明かした。 ゼロの元に人妖が現れる前後、神楽や主な街で似た人妖が勝手に消えた話はなく。また神楽に出入りする乗合馬車や荷運びの人足らも、それらしき人妖を見た噂は一切ない。精霊門を通った記録もなく、神楽自体でもゼロが連れ歩く以前に姿を見た者がない。 「つまり、出所不明?」 「へぇ。降ってわいた様に、ある日突然ゼロの旦那の傍に『いた』。ですが裏の伝手を頼っても、一切合財が出てこねぇってのは相当だ。変な話ですが、アレは本当に人妖‥‥なんですかねぇ?」 声を潜める仲介屋に、得体の知れない寒気がヴァスクリセーニエの背筋をぞくりと流れ落ちた。今まで気に留めなかった存在への、疑問に。 「でも人妖は、長屋だけには寄り付かなかったそうで」 「頻繁にゼロと合う人達に、『何か』を気付かれたくなかった?」 「それに旦那は無闇に刀を抜くお人じゃねぇ。喧嘩の末に友人を斬るなんざ、とてもとても」 考えられないと仲介屋は頭を振り、ヴァスクリセーニエも考え込む。 「突然に有栖川を斬って、消えた‥‥ソレ自体、変って事か」 「ジプシーの旦那もお気をつけ下せぇ。必要なら馬の算段もつけますが、お足は結構ですぜ」 「助かるよ、ありがと」 礼と共に百文を渡せば、仲介屋は頭を下げた。 数多々原までは馬でも二日。雲が垂れた雨空に、ヴァスクリセーニエは道中の好天を祈った。 ●『鍵』 雨降る天見屋敷の一室で、有栖川 那由多(ia0923)は三枝伊之助が預かった品を確かめていた。 「ゼロが置いてった物、これで全部か?」 問われて、正座する伊之助が首を縦に振る。 見慣れた装束とお守り、鞘に納めた宝珠刀。指輪と腕輪は紙に包み、短い手紙は乱雑な字で「失くせぬもの故、今は預ける。戻るまで、決して人に渡すな」との走り書き。 「この、大馬鹿野郎‥‥!」 紙を握る手に力が篭り、那由多は唇を噛む。 最後にゼロと人妖を見たのは自分だと、何度も記憶を探る。確か、人妖はゼロを促していた‥‥人が来ないうちに、と。もめるのが嫌だったのか、別の理由があったのか。 「渡すなってあるけど、那由多になら渡す‥‥腕輪、同じのだしな」 以前の砕けた口調で、ぽつと伊之助が呟いた。 「刀は血振りもせず、剥き身のまま転がってたんだ」 「お前が来た時に、か?」 確かめれば、膝で拳を握る少年は一つ頷く。刀を鞘に納める事すら忘れる程、ゼロは動転していたのか。 「俺がもっと、ちゃんと動けてりゃ‥‥くそっ」 うな垂れる那由多に、そっと伊之助が座敷を後にした。 自分を斬った後で我に返った様子、手当しようとした姿‥‥全て、覚えている。彼が背に受けた一刀は深く、傷痕が残るだろうが。 「‥‥何やってんだよ。俺の背中も痛むが、お前だって今、痛ぇんじゃないのか?」 天見屋敷で養生する那由多は揃いの腕輪に触れ、目を伏せた。 「信じてるからな、何があっても」 小雨降る数多々原の城町では、人々が足早に行き交う。 「ゼロ、一体どうしちまったんよ‥‥何でこんなんになっちまったんか、聞かんと分からんが‥‥」 避難を助けながら、もどかしく景倉 恭冶(ia6030)は溜め息をついていると。 「あぁっ、危ない!」 男の声がして、短い悲鳴が上がった。 大八車の車軸が外れ、荷台の年寄りが落ちかけている。 考えるより先に手を伸ばした恭冶だが、相手が老いた女性と気付き。 「ひゃあっ!」 荷台を滑った老婆を、脇から別の腕が掴んだ。 「だ、大丈夫やね!?」 「大丈夫だけどよ。何で、大八を支えてんだ?」 手助けした七神蒼牙(ia1430)が聞けば、荷台を支える恭冶は強張った笑みを返す。 「ありがとう、開拓者さん達」 「気をつけてな」 大八車の修理を手伝い、二人は城町を出る町人達を見送った。 「助かったやね。女性に触るんは‥‥ちょっと」 ごにょりと濁して恭冶が視線を泳がせ、蒼牙も深く問わず。 「避難の手伝いか」 「昼間は屍人も出んみたいやしね。ゼロを探しつつ、やけど」 「手がかり、ないようだな」 「蒼牙も探してるんか。この分やと心配してる奴は両手じゃ足りないみたいやし、何としても見つけてやるやね」 恭冶は何度か頷き、道行く人々を眺めた。 「加えて屍人の件もあったん、やね? あーもう! 一つ一つ、片付けてくしかねぇか」 「そうだな。屍人は俺も注意するぜ」 「あ、蒼牙!」 別方向へ向かう蒼牙を恭冶が呼び止め、少し言葉に迷う。 「その‥‥あんま、悪く考えん方がええやね」 「ああ、そうするぜ」 微妙に険しい空気を纏った背を恭冶は見送り、重く嘆息した。 「ゼロ。今は一体、何考えてるんよ‥‥」 呟きに返事はなく、ただ雨が笠を打つ。 次第に強くなる雨の中、蒼牙は憤っていた。 「ゼロの奴、何考えての行動だ?! 見付けたら絶対、一発殴る!」 探し出して、問い質したかった――消えた理由と何も言わなかった真意を。 「アイツ、一体何処へ行きやがったんだ‥‥心配掛けやがって、あの馬鹿がっ」 蒼牙はひたすらに、城町を歩き続けた。 「これは、花魁道中? いつ男衆に鞍替えしたのかしら」 屋敷の門を通る艶やかな一団と見た顔に、嵩山 薫(ia1747)が苦笑した。 「廓から避難するのに、怖いって言うからな。ついでだ」 説明する鬼灯 仄(ia1257)は、遊女に囲まれて鼻の下が伸びている。薫と同じく、先の果し合いで精根尽き果てたが、見ぬ間に女遊びに興じていたらしい。 「お屋敷を遊郭にしない様にね」 見送った彼女は、華やかな遊女達の後に続く町人の列へ目を向ける。 「果し合い騒動がひと段落着いたと思えば、今度はアヤカシ‥‥次から次へと、厄介事に事欠かない国ね」 それでも自身と流派の名誉挽回にはなると、頭の中で薫は算段する。少々、不謹慎なのは承知の上。ただ屍人の跋扈は、彼女らの力で阻止できたかもしれないが。 「御武家様の面前で仕合って負けました‥‥だけで終わっては、立場が無いのよね」 体裁を繕う為にも、『武勇』が必要だった。 「昼は、屍人も動き回ってないのね」 「そのようでやす」 首肯する以心 伝助(ia9077)に、少しだけシア(ib1085)は安堵した。 「ここまで事を進めた相手に、少しずさんだったわね‥‥上手く入り込めていれば、三人目の正体も確認できたんだろうけど」 「そこは、仕方ないっすよ」 シアは神楽に帰る気になれず、伝助はゼロの行方が気になり、共に数多ヶ原へ残っている。 「正直、こんな状況になってから乗り込むのも間抜けな気がするけれど、引き下がる訳にはいかないから」 「あっしも気になる事から調べるつもりでやす。例の、千代さんが『殿』と呼んでいた人物の心当たりに、鷹取さんの事‥‥まず元重さんに聞こうかと」 「私も同席していい?」 「安康寺で動く際、必要かもしれやせんしね。仄さんも気にしてやしたし」 シアに伝助は頷き、元重の元へ向かった。 「母が『殿』と呼ぶなら、それは父以外にないだろうが」 伝助の問いに、腕組みをして元重は考え込む。 「その先代当主は志体持ちで、ゼロに宝珠刀を託し、アヤカシに襲われて命を落とした?」 「それは違う」 尋ねた仄をちらと見て、元重が否定した。 「確かに父は志体持ちだったが、宝珠刀を授けたのは八年ほど前。亡くなったのは五年前だ」 「刀を手放したから死んだ訳ではない、か。人となりは?」 「武芸に長け、忌憚ない人だった。民の安寧に心を砕き、政の方針は今も兄上が引き継いでいる」 「死に様は、どうだった?」 途端に元重は眉をひそめ、不機嫌そうに「知らぬ」と呻く。 「知らない?」 「その場に俺はいなかった。アヤカシに喰われれば、遺体も残らん」 「‥‥そうだな」 それきり張り詰めた沈黙に、話途中だった伝助が「あの」と切り出した。 「鷹取さんに蝶や蛾を飼う趣味って、ありやしたか?」 「蝶や、蛾? 見聞きした覚えはないな」 怪訝そうに元重は首を振り、眉を寄せて伝助が思案する。 「日が暮れるわね」 ふと、陰る雨空に気付いたシアが仲間を促した。 「領民のためにも、アヤカシの撃退をよろしく頼む」 自分の手で出来ない事が悔しいのか、苦々しい表情で元重は手をついた。 また一体。獲物を求め、夜を徘徊する屍人を倒した恭冶が重い息を吐く。これが自分達がまんまと『踊らされた結果』だと思うと、歯痒い。 「ついこないだまで生きてたってぇのに‥‥やるせねぇやね」 「だがこれが、供養だ」 女子供の屍人でも、仄は率先して斬り払った。 「ええ。それにしても生者よりも死人の方がある意味では相手にし易いと感じるのも皮肉な話ね。口は災いの元、そして死人に口無しとはよく言ったもだわ」 後の共闘を考えて仄と動く薫は、存分に練り上げた拳を振るう。 夜になると開拓者達は人気が少なくなった城町へ赴き、犠牲者を増やそうと徘徊する屍人を屠っていた。身体を休める時間は少なくなるが、一気に多数の屍人を相手にする事を思えば‥‥である。 「逆に、ここで屍人を減らし過ぎるといざという時に向こうが動かないかもしれないから、注意しないとね」 あくまで逃げ遅れの確認などのついで程度にと、シアは仲間達へ釘を刺す。『反撃』にあって倒されるなら、多くても20辺りが妥当だ。 順当に『仕事』を進める中で、蒼牙は浮かぬ顔をしていた。 「相談もして貰えずに、あんな行動取られるってのは‥‥信用されて無いんかね」 ふっと呟き、溜め息をつく。 果し合いの間にいなくなったゼロを思うと、やり切れないのだろう。那由多もまた、背中に鈍い疼きを覚えるが。 「ゼロの守りたいものを、あいつが居ない間に失う事があっちゃダメだ。屋敷と町人は、絶対守りきらないとな」 家に燃え移らぬよう『火炎獣』の式を打ち、刀を振るう者達を援護した。 ○ 二日目の夜。二度目の屍人減らしに出た七人は、始めて深編笠の男を目にした。 相手を前にしながらも、今は手出しをせず。状況が整わぬうちに戦いとなるのを避ける為、接触せぬよう一行は道を迂回した。 その間も天見屋敷では門の付近に応急の防壁を作り、塀を登られぬよう周りに生える木々の枝打ちを行って、着々と準備を整える。 そして、三日目の昼過ぎ。 閑散とした城町を抜けたヴァスクリセーニエが、天見屋敷へ到着した。 「皆、無事なのかっ?」 「待ってたぞっ」 「無事に着いたんやね!」 駆けつけた彼を迎えたのは、蒼牙や恭冶らの安堵の表情。 「それで、屍人は?」 「少しずつ数を減らしているわ。神楽での首尾は、どうだったの?」 「それだけどさ‥‥」 シアに聞かれ、とりあえず腰を落ち着けたヴァスクリセーニエは仲介屋の話を全て伝えた。じっと耳を傾けていた那由多は、話が終わると大きく息を吐く。 「やっぱり、あの人妖‥‥何かの鍵を握ってるのかな」 「そうは思えなかったぜ」 最初の騒動の合間にゼロと行動した蒼牙は唸るが、彼への腹立たしさは消えず。 「ひとまず、人妖は後回しね。まずは屍人と例の深編笠の男を、どうにかしないと」 「そういえば、ソイツを嵩山達は見たのか?」 怪我の癒えた様子に少しほっとしながら、ヴァスクリセーニエが薫へ確かめる。 「見たわ。接触はしてないけど」 「そっか。よかった、いない間に怪我とかしてなくて。俺がいても‥‥大した力にならないかもしれないけど」 いつになく項垂れたヴァスクリセーニエの肩を、ぽんと伝助が叩いた。 「そんな事ないっすよ。表の皆さん次第で、寺の調べも変わりますし」 「そうやね。こっちが目立ちゃ、寺に行く二人も楽になりそうやし」 恭冶も励ませば、小さくヴァスクリセーニエは頷くが。 「でも。やられっぱなしで、何にも出来ていない気がしてさ」 「だから、やり返しに行こうぜ。それでゼロを‥‥」 もどかしい思いに頷く那由多は、ふっと言葉を切る。友人は今、どこで何をして、何を思っているのか‥‥。 「やっぱり、無事なら一発殴らねぇと」 「周りの人が怪我しないよう、やりなさいよ」 憤慨する蒼牙に、薫は茶を静かに口へ運んだ。 「日が暮れたら、本格的に反撃開始やね」 雨が止んだ庭へ恭冶が目をやり、青い髪を軽く手で梳いたシアは嘆息する。 「その前に‥‥そろそろ、起こしたらどう?」 座敷の隅では、肩肘を枕に寝転がった仄が高いびきをかいていた。 夕暮れ、戻った討伐隊の斥候が安康寺より屍人が出たと知らせた。人に残った町人はおらず、屍人の群れは真っ直ぐ天見屋敷を目指すだろう。 二日の間に厳重な守りを固め、那由多の頼みで屋敷中に明かりを灯した天見屋敷から、二人が先に安康寺へ向かった。少し時間を置き、屍人退治に赴く六人も城町へ走る。 「御武運を!」 「屋敷は頼んだやね」 弓を構え、屋敷の門を守る討伐隊の隊員達へ恭冶が託した。 「兄上。開拓者達が、アヤカシの討伐へ出立しました」 「そうか。今は、彼らの無事を祈るしかない‥‥もどかしい事だね」 元重の知らせに基時は報告書から顔を上げ、そして目を伏せる。 長い夜に、なりそうだった。 ●『赤』 「悪ぃが、ここで手間取ってる訳にゃあいかねぇんだよ! 突き進ませてもらうっ!!」 先陣を切り、恭冶が屍人の群れへと突っ込んだ。 相手を引き裂こうと、手を伸ばすアヤカシ達。その真ん中で大きく一歩を踏み込むや、振るう二刀の「鬼神丸」が辻風の如く屍人を薙ぎ払った。 『回転切り』を喰らって周りの屍人が塵になっても、構わずに屍人は突き進む。その気勢を削ぐように、炎の舌が骸の一群を舐めた。焼き焦がすのは式が放った紅蓮の炎。 「この間にっ」 「ああ!」 那由多の呼びかけに蒼牙が応じ、炎に焼かれるアヤカシを刀「出海兼定」で斬り払う。 「それじゃ‥‥一つ、踊るとしようか」 バラージドレスのスカートを翻したヴァスクリセーニエもまた、アキケナスを手に身を躍らせ。素早く鋭い斬撃で、燃える骸の急所を狙う。 今まで抑えていた分を発散するように、派手に暴れながら一行が進む。その先には深編笠を被った男の姿があった。倒れる屍人を庇う事も、助太刀をする気配もない。 「ハアァッ!」 纏うスピリットローブにも触れさせず、屍人の手をすり抜けた薫は手を翻して型を取り。群れの中で丹田に力を込め、大きく一歩を踏み出す。 直後、ドンッと円状の衝撃波が彼女を中心に放たれ、周囲の屍人が吹っ飛んだ。 「あいつのところまでは、俺が切り拓かしてもらうっ」 屍人を塵に返した恭冶が、薫へ呼びかける。 「だから、力は温存してほしいやね!」 「頼んだわ」 ひと振りごとに打ち倒し、返す刀で更に斬り倒す。 通りを埋める屍人を塵と変えながら、刀の間合いに入ったところで深編笠の男が足を止めた。 「さて、『出番』だな。以前から裏で色々と蠢いてるようだが、情報不足。同じ轍を踏まない為にも、情報が取れそうなコイツはとっ捕まえないとな」 戦列の後ろで悠長に構えていた仄が、前に出る。 「だがつい先日、命懸けでし合った嵩山と肩を並べる‥‥こういう事があるから戦いは面白いな。もしあれがゼロなら、更に楽しい」 ニヤニヤしながら仄は殲刀「朱天」を抜き、ちらと薫へ視線を投げた。 「こっちはいつでも、いいわよ」 「屍人の相手は任せてほしいやね」 脇の路地からも現れる屍人を、油断なく恭冶が屠った。一方、じっと蒼牙は深編笠を睨んで動かない。 「あの背格好‥‥やっぱり、ゼロみたいだよな」 「でも以前、深編笠を被った相手がいて、笠を外したらアヤカシの化猿(マシラ)だった事があった。敵に混ざって、妙な奴が居た事も」 那由多の忠告に、ヴァスクリセーニエは独特の瞳を細めた。 「確かに背格好だけで決めるのもね。何処の誰だか知らないけど、捕まえて吐かせるしかないよな」 一振りした鞭「フレイムビート」が、鋭く地を打つ。向けられた刃と音へ呼応する様に、対峙する男は無銘の太刀を抜いた。 終わりのない剣戟が、夜に繰り返される。 前に出て刃を交わす仄には、相手の太刀筋に幾らか覚えがあった。違うのは正面から力で彼を折ろうとし、それだけの力がある事か。 近寄る事も出来ず、だが那由多は符「幻影」を手に機を窺う。 斬り離れた時を狙って『呪縛符』を投じれば、深編笠の男は呪縛を打ち破り。再度、意識を凝らした式を打って、ようやく相手の動きが鈍った。 「今だ、笠を斬ってくれ!」 「いいわ、せめて御尊顔くらいは拝見しておかないとね!」 急ぎ那由多が呼びかければ、刃を受ける仄の陰から薫が神布「武林」を巻いた拳を振るう。 笠を剥ぐように繰り出した拳が、編んだ表を裂いた。 弾け飛んだ笠の下から顕わになったのは、顔ではなく赤い布。 「何!?」 「まさ、か‥‥?」 赤い顔隠しの布に、見覚えのある仄と那由多が言葉を失い。 「あれは、何だ?」 驚く蒼牙達へ、仄が眉根を寄せる。 「さっき言ってた化猿だ。あいつも、赤い布で顔を隠していた」 「じゃあゼロと見せかけて、実はアヤカシか!?」 戸惑う彼らの隙を、殺気立った相手が見逃す筈もなく。 動きの止まった仄へ、重い一撃が叩き込まれた。とっさに庇った小手を砕き、続く刃が胴を薙ぎ。腹を押さえながら自ら体を崩し、後ろへ転がって三撃目を避ける。 「仄さん!」 薫が助け起こす間に、赤い顔隠しの布を付けた男は跳んだ。深手の仄へ追い討ちをかけるでもなく、助ける薫を狙うでもなく。地を蹴って、自らの動きを封じた陰陽師へ矛先を向ける。 「ゼロ!!」 瞬く間に間合いを詰め、刃が振り下ろされる‥‥その寸前。 ぴたり、と。 何故か那由多の目と鼻の先で、何かに阻まれたように白刃が止まった。 時おり微かに、切っ先が振れる。 「二度は斬らぬ、か」 何の感情もない、聞き覚えのある声に蒼牙が顔を上げれば、屋根の上に人妖が浮かんでいた。 「斬り捨てればいいのに」 カタリ。 冷たく言い放つ言葉に、また刃が震えた。 「‥‥すま、ね‥‥こんな、みっともなくて情けねぇ、友達甲斐のない‥‥ので‥‥」 「ゼロ‥‥?」 赤い顔隠しの布の下、食い縛る歯の間から洩れた消え入る声に、那由多が名を呼ぶ。だが下手に動けば、相手の内にある脆い拮抗を崩してしまいそうな直感があった。 「化猿に、喰われろと‥‥野良の傀儡になれ、と‥‥見限られても‥‥それ、でも‥‥!」 ぐっと刀を握り直し、大きく相手は後方へ跳んだ。 ひしめく屍人の群れを背に大きく間合いを開き、高々と頭上へ刀を振り上げ。 「仕掛けてくるかっ!?」 「下がって、仄さん!」 血を流しつつ身構える仄の前に、薫が立つ。 だが顔を隠した相手は、その刀を渾身の力で地面へ叩き付けた。 ガキンッ! 鈍い音を立て、刀身が折れる。 「‥‥ふぅん?」 何が起きたのかと場にいる全員が把握しかねる中、すぃと人妖は折れた刀を構える男の肩へ移動した。 「まぁ、十分かな」 そしてするりと、貼りついていた赤い布を剥ぐ。 「お前‥‥っ」 思わず、恭冶がうめいた。顕わになった顔は酷くやつれ、血色がない。虚ろな目はどこも見ておらず、ぐらりと身体が仰け反って。 「いいよ、もう」 ふわりと離れた人妖が告げたのを合図に、屍人達が『獲物』を捕らえた。 「ゼロ!」 「そっから先は、通行止めだよ‥‥!」 とっさに那由多が『治癒符』を飛ばし、ヴァスクリセーニエが屍人の群れへ飛び込んだ。 餓えた群れは阻もうとする彼も噛み付き、爪は皮膚を裂き。痛みに逃げ出したくなる‥‥が、踏み止まったヴァスクリセーニエは懸命にその場を守る。 予期していなかった笠の下と、人妖の出現と、ゼロの変貌と。 言葉をなくしていた者達が、それを切っ掛けに遅れて動き出す。 恭冶がヴァスクリセーニエへ加勢し、貪られるゼロから蒼牙は屍人を引き剥がし。薫は屋根の上へ移動した人妖を追って、屍人を足場に飛び上がる。だが人妖は赤い布を懐へ仕舞うと鳥へ変化し、夜空を安康寺の方角へ飛び去った。 「しっかりしろ、ゼロ!」 「頼、む‥‥倒して‥‥彼ら、解放‥‥」 「分かってるから、話すな!」 掠れた声に、蒼牙が肩を貸し。 「俺も‥‥っ」 「お前さんじゃ、潰れるだろ。それに屍人を始末する手と、怪我人を治せる奴がいる」 手を伸ばす那由多を深手を負った仄が引き止め、一瞬その身が淡く輝いた。 「俺のは、これで『打ち止め』だ」 最後の力で『閃癒』を使った仄に、那由多は唇を噛む。 「ゼロの頼みだ。こいつらを解放してくれって、言ってた」 「お前の志したもの、俺じゃ解らないかもしれねぇ。けど、一人で抱えるなよ。一人じゃ辛すぎるだろ‥‥この、馬鹿野郎!」 蒼牙が伝えた『頼み』に、符を握り締めた那由多が踵を返した。 ――誰も彼も手を貸すと言うのは有難いが。その手を俺は‥‥どう、借りればいい? てめぇら皆、俺には大事で、誰も危険に晒したくねぇんだぜ。 那由多の背に、何故か蒼牙はうな垂れる友人の姿をふっと思い出す。 「人妖には逃げられたわ‥‥歩ける?」 屋根から飛び降りた薫が、仄へ聞いた。 「まぁ、な。ゼロを担いでは、ちときついが」 「こっちも技は使い切ったから、ゼロは俺が運ぶぜ」 「お願いするわ。ヴァスクリセーニエさんも、酷い怪我だから」 「俺はまだ‥‥って空意地張っても、今は足手まといか」 銀鱗を持つ蛇のアヌビスでも、生身の丈夫さは天儀人達と変わらない。鱗は小手や鎧の代わりにはならないのだ。 「後は任せて、頼むやね!」 刀を振るう恭冶が急かし、屍人を睨む那由多は『火炎獣』で焼き払って援護する。頷く薫ら三人を残し、朦朧として正体のないゼロを背負った蒼牙は傷の重い二人を気遣いながら天見屋敷へ急いだ。 ●『無』 屍人が出払った安康寺は、不気味な静けさに包まれていた。 「千代も鷹取も、屍人化はまだしていない‥‥と、思いたいわね」 「そうでやすね。生きているなら、連れ帰りたいっす」 裏口に回ったシアは、伝助と頷き交わした。 伝助の手を借りてシアが土塀を登り、向こう側へ姿を消す。本来ならシノビの伝助の方が身軽なのだが、さすがに女の子を足場に‥‥というのは、気が咎める。 間もなくカタンと閂が外される音がして裏戸が開き、シアが顔を出した。 「感謝しやす」 「行きましょう」 会釈した伝助は、彼女の後に続いた。 明かりは本坊の一部にしか灯っておらず、外に人影はない。じっと伝助が耳をすませても、足音は聞こえなかった。二日の間に屍人の数を減らしたせいで、相手の守りが薄いのか‥‥身振りでシアへ伝えてから、伝助は本坊へ足を向けた。 シアは彼と分かれ、別方向から本坊への侵入を試みる。明かりが漏れる部屋は避け、だが光を頼りに、夜の闇に紛れて移動する。明かりから距離を取った位置でシアはぬれ縁へ上がり、そっと障子を開けて忍び込んだ。 座敷を横切り、次の間を抜けた伝助が暗い廊下に出ると、不意に覚えのある甘い香りが漂った。用心しながら匂いを辿って廊下を進み、それらしき襖へ手をかける。 注意深く隙間を作って覗けば、座敷にそぐわぬ木の棒が何本も等間隔で立っているのが見えた。 (ここは‥‥座敷牢でやすか) 隙間から左右に視線を動かすと、窓もない部屋では小さな行灯が床に置かれている。申し訳程度の弱い光は、壁に格子と人の影を浮かび上がらせていた。長い黒髪と着物から、格子に囲まれた真ん中に座るのが女だと分かる。 (千代さん‥‥? 捕らえられているんでやしょうか) 場所が場所なだけに用心して彼は襖を開き、素早く中へ忍び入った。気付かぬ相手を窺いながら連れ出す手を考えていると、研ぎ澄まされた耳へ淡々とした声が滑り込む。ひとまず伝助は部屋の隅で、そちらへ注意を移した。 「‥‥これで、お仕舞い」 「終わりましたか」 「死ななかったけど。でも、こちらが手を出す事でもない。御方様がアレをそれなりに気に入っているなら、歌わせておけばいい」 「では、津々姫は。『布』は知らぬようですが、口を塞ぎますか」 「それは、そちらの都合次第」 「確かに」 「御方様には感謝しよう。そちらへ「よろしく」と言っても、意味はないが」 「いえ、有難きお言葉。それでは‥‥」 その時、終わりかけた会話を割って、たんっと襖が開け放たれた。 「鷹取‥‥それに、ゼロといた人妖!?」 忍刀「鴉丸」を抜いたシアは、その光景に青い瞳を見開いた。 正座をした鷹取がうやうやしく話をしていたのは、文机に置かれた鳥籠の中身。感情もなく彼女を見上げるのは、いつもゼロの傍らにいた人妖だった。 「この舞台の立役者の一人、です」 「ふぅん?」 鷹取の説明に、人妖は興味もなさげに返す。 「予想以上の働きでしたよ。よくやってくれました」 「あなたを捕らえるわ。多少、手荒な事になってもね」 嫌な空気を感じながらも彼女は鷹取から目を離さず、慎重に忍刀を身構えた。 「そちら側の話なら、こちらは関係ない事。暇(いとま)をするぞ、顔無の一人」 告げた人妖は鳥籠の柵へ手を伸ばし、ぱきぱきと紙細工の様に容易く握り壊す。そして人の形から一匹の蛾へ身を変え、あっという間に開いた窓から羽ばたいていった。 「な‥‥!」 「それで、捕らえてどうするつもりだ」 僅かに頭を下げて蛾を見送った鷹取は慌てる素振りもなく、驚くシアへ口調を一変させて問う。 「天見屋敷へ、連れて行くわ」 「では、応じよう。その程度の花を持たせるのも、悪くはない」 「どういうつもり?」 「言葉の通りだ。お前達は、本当によく働いたからな」 「何の事よ」 眉をひそめるシアへ、一つ二つと鷹取は指を折った。 「お陰で基時様の余命は幾らか削ぎ落ち、厄介な開拓者は瘴気に病み‥‥元重様は謀叛の罪で死ぬ予定だったが、これだけは当てが外れたな。基時様が果し合いなどという戯れに出るとは、予想していなかった」 本当に意外だという風に鷹取は嘆息し、朱藩の貧民街で起きた事を思い出したシアが息を飲む。 「瘴気、感染‥‥まさか」 「数多ヶ原にアレを治せる者はいない。さて神楽まで行けるか、間に合うか」 ちらと鳥籠へ目をやってから、鷹取は先を続ける。 「天見屋敷を守る者は数を減らした。城町で暮らす者も不安に怯え続け、領内の町や村でも起きるかもしれない災厄を恐れ続ける」 「それが、目的だったっていうの?」 憤りと共に睨めば、鷹取は面白がる視線をシアへ返した。 「ほぅ。捕らえて、連れて行くのはどうした。ここで始末するか?」 「‥‥言ったでしょ。生かしたまま捕まえるわ、決して殺しなどしない」 「では」と鷹取は、僅かな所作で立ち上がる。 「参ろうか、開拓者シア」 「立役者‥‥?」 耳をそばだてていた伝助は、くらくらとした目眩のようなものを感じていた。苦労して意識しなければ、頭の芯がぼーっとして会話を聞き逃しそうになる。そして聞こえる声に集中しようとする分、他が疎かになっていたらしい。 「誰そや‥‥我が殿がお戻りになられたという、知らせですか」 聞き覚えのある、女の声が伝助へ尋ねた。 「違いやす、あっしは助けに来た者っす」 助けるという言葉をとっさに使ったのは、相手が牢の中にいるせいだろうか。まだ意識がはっきり保てる間にと、簡素な造りの鍵へ手を伸ばす。 「妾は殿の帰りを待つのです。妾がいなければ、殿は‥‥」 「ここを出て、天見屋敷に行きやしょう。お子さん達も待ってやすし、きっと千代さんの『殿さん』も‥‥戻ってきやすよ」 何故か死んだ夫を待とうとする千代に、牢の扉を開いた伝助はそう促した。 間もなく寺の外で二人は落ち合い、後は天見屋敷を目指して急ぐ。 仲間と友人の無事を、心の内で祈りながら。 一夜のうちに戦いが終わった城町は、蠢く屍人の影一つなく。 静かな夜明けを迎えた――。 |