活殺、窮す
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/06/20 21:06



■オープニング本文

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●弟と兄
「津々達から、一部始終を聞いたよ」
 漆喰の壁が、落ち着いた声を吸い込む。
 天見屋敷の外れにある牢屋、格子の向こうでは天見元重が座していた。
「すまないな。だが何故、引かなかった。津々の話に応じ、使いの者を斬るなどしなければ、ここまでの騒ぎには‥‥」
「兄ならば尚更、聞いてくれるな」
 顔を上げぬ元重を、天見家当主の天見基時は見つめる。この場にいるのは兄弟二人、人払いをしたため他に人影はない。
「誰が使いの者を斬ったか、津々は知らないそうだ。お前が簡単に手を下すとは思えないし、実際に命じたのは‥‥あの人だね?」
 基時の問いに、膝へ置かれた手が拳を作った。
「天見への謀叛を企てたのは、全て俺の一存。故に、如何なる罰も受ける。その代わり‥‥と言えない立場を承知の上で。どうか兄上、他の者の罪は不問としてもらえないだろうか」
 畳へ手つき、深々と元重は頭を下げる。
 そんな弟の姿から、じっと基時は視線を外さず。
「そうだね。お前がいなくなれば、あの人は身動きが取れなくなるだろう‥‥おそらく二年か三年し、次に巻き込まれるのは元信か。その間に俺は病で死ぬかもしれないし、津々も嫁いでいるかもしれない。でもそれを待てるなら、何故いま動いたのだろう。あの人は、何を急いたのだろうね」
 尋ねる兄に、黙したまま弟は答えなかった。
「何も話さぬのなら、お前は謀叛のかどで切腹となる。それで、本当に良いのかい?」
 問いを重ねれば、再び元重は床へつくほどに頭を垂れた。
「それが、下された沙汰ならば。ただ一つだけ‥‥天見家の当主ではなく、兄上に折り入っての頼みが」
「何かな?」
「俺も天見のサムライ。どうせ死ぬなら腹を切るより、せめて刃を交えた末の死を選びたい」
 言葉を切り、腹を括った真摯な顔で兄を見上げる。
「あの、ゼロと名乗る開拓者と‥‥真剣勝負がしたい」
「その意味を、お前は分かって?」
「承知だ。だからこそ最期に、兄上と心置きなく戦いたいのだ」
 長い沈黙が、二人きりの空間を支配した。
「お前達の気質は、父上譲りか」
 ふっと基時は苦笑いを浮かべてから、大きく息を吐く。
「望みは叶えよう。切腹の代わりに、開拓者との果し合いを認める。もしお前が勝ったら恩赦を与えるが、負ければ死は免れない」
「兄上、恩赦など」
「ただ死ぬ為の果し合いは、許さないよ。俺も手立てなく弟を失くすのは、こりごりだ」
 身を硬くして俯く元重は、やがて意を決して首肯した。
「では、開拓者ギルドへ依頼しよう。それまで、しっかりと身体を保つよう」
 念を押してから牢の前を離れる基時だが、微かに「兄上」と呟く声に足を止める。
「今なら‥‥決断を下した兄上達の考え、分かる気もする。全てを捨てて逃げた事は、認めぬが」
「それでいい。お前にはお前の考えがあって、当然だからね」
「ありがとう」
 礼を背で聞きながら基時は牢を後にし、元重は暗闇に残された。

●混乱の後
「元信ら弟や妹は皆、屋敷へ保護してくれたかい?」
「はっ。今の安康寺には、千代様と鷹取殿が居られるのみです」
 廊下を歩きながら基時は尋ね、後に続く年配の家臣が答える。
「そうか‥‥動きがあれば、すぐに教えておくれ。元信達は詳しい事情を知らないだろうから、普段と変わらぬように接してやって欲しい。他の者達にも頼めるだろうか」
「畏まりました」
「騒動に加わった、他の者達の様子は?」
「夜に出歩く者もなく、大人しくしております」
 安康寺の騒ぎに加担した総勢六十余名には、基時派や元重派を問わず二週間の謹慎が申し渡された。
 国を騒がせた者への処分としては軽いが、罪を被った元重の意を無駄にも出来ず。
 だが騒動の切っ掛けとなった沢下と波村は一ヶ月の蟄居、その後に喧嘩騒ぎの調べが行われ、然るべき処罰が下される予定だ。
「亡くなった者の遺族には、手厚くな。皆、ここで散る命ではなかったろうに‥‥」
 梅雨が近いのか、雲が多くなってきた空を眺める基時だが、不意に軽い咳をする。
「お屋形様。どうか御身を大事にし、今日はお休みになって下さい。まだ快癒された訳ではございませんぞ」
「では休んでいる間に、三枝伊之助を呼んでおいてもらえるかい。開拓者ギルドに用があるので、連絡役を頼みたいとね」
 用向きを言伝し、基時は部屋へ入った。
 途端に目眩を覚えて座り込み、引き寄せた脇息へもたれかかる。
 元重が牢にいる所為もあって、やるべき事は多かった。心労の重なった津々は安静にと休ませ、薬の世話なども最低限の事以外は許していない。
「基近‥‥また、お前達に迷惑をかけねばならないよ」
 ゼロと呼び慣れた方が良いかなどと基時は考えつつ、遠い弟の心痛を思って溜め息をついた。

「馬鹿な。元重が、あの‥‥基近と、命を懸けた果し合いをすると!? お前が、ついていながら‥‥!」
 安康寺の本坊では、知らせを聞いた千代が硬い表情で鷹取佐門を問い詰めた。
「どうか、あまり取り乱されぬよう。いま動くのは、得策ではありません。下手をして、元重様のお心遣いを無駄にするのは如何なものかと」
 控えた鷹取がやんわりと諌め、ギリと千代は唇を噛む。
「おのれ‥‥おのれ、基近! ああ、元重‥‥どうか‥‥」
 嘆く母親を鷹取は冷たく見、黙ってその場を後にした。
 部屋へ戻れば、文机の鳥籠では小さな人の姿をしたモノが、眠っているのか動かずにいる。
 そう、いま動く必要はない。動かずとも‥‥。

●空虚の縁
「なんでこうも、無駄に命が失われなきゃならないんだろうな」
 ぽつと呻くゼロへ、隣にいた人妖が冷ややかな視線を向ける。
「ふぅん。それを言う資格、あるの?」
「いや‥‥ないか、俺には。ないな」
 虚ろに答えながらゼロは右手首の腕輪と左薬指の指輪に触れ、瞳を閉じる。
 ここで思考も閉ざしてしまえば、楽だろうが。
「それでも生き足掻かねぇと‥‥あいつらに笑われて、大馬鹿ってどやされて、張っ倒されて、蹴っ飛ばされて、挙句の果てに燃されちまうぜ」
 だからまだ、大丈夫だと。
 思い浮かぶ沢山の者達の顔に、ゼロは目蓋を開いた。
「だが、果し合いとはな。元重自身の頼みとはいえ‥‥」
 三枝伊之助より聞いた『基時からの依頼』を思うと、相変わらず気は重い。
「でも頼まれたなら仕方ない、よね」
「あー‥‥ああ。仕方、ないな‥‥仕方ないんだ」
 繰り言を繰り返し、野っ原に立ち竦んだゼロは曇った空を仰いだ。

 開拓者ギルドに張り出された天見家の依頼は、簡素なものだった。
『謀叛の首謀者を処罰に当たり、当人の希望で「開拓者との果し合い」を行う。
 場所は数多ヶ原、天見屋敷中庭の白洲にて。
 果し合いの立会い人や、処罰を快く思わぬ者への警戒――襲撃の危険は低かろうが、念の為の警戒を行う者を求める。
 出来る事なら、安康寺での顛末を知る者を先ず希望したい。また果し合い代役の申し出があれば、理由によっては一考する』


■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
七神蒼牙(ia1430
28歳・男・サ
嵩山 薫(ia1747
33歳・女・泰
景倉 恭冶(ia6030
20歳・男・サ
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
シア(ib1085
17歳・女・ジ
ヴァスクリセーニエ(ib6623
19歳・男・ジ


■リプレイ本文

●役目確認
 果し合いの前日、天見屋敷にある客間の一つ。
 通された八人の開拓者は、天見家当主の天見基時より直々に世話役を任ぜられた三枝伊之助と対面していた。
「今回の果し合いに際して、依頼したのは立会人となる者。果し合いの間に、襲撃を企てる輩へ備える者。そして希望があれば、果たし合う者の代役が各一名、だったのですが」
「安康寺の警戒は、依頼の範疇に入らないの?」
 問うシア(ib1085)へ、まだ年若いサムライの少年は首を振る。
「問題ありませんが、果し合いが終われば戻って下さい。謀叛騒動は、ひとまず収まった訳ですから」
「長居は無用って事ね。分かったわ」
「果し合いの予定は、明日の昼から夕方でやすね?」
 念を押す以心 伝助(ia9077)に、「はい」と伊之助は即答した。
「他に屋敷の警護へあたるのは、景倉殿。ヴァスクリセーニエ殿が、立会人‥‥ですね」
「嵩山が代役になれば、だけどな。もし立会人に回る事になったら、俺は景倉と警護につくから」
 説明しながら、ヴァスクリセーニエ(ib6623)は二人を順番に見る。
「警護やけど、元重の牢屋付近を調べておくってのは出来っかな? 出来れば、当主本人に断った方がええやろけど」
 話だけは通しておきたいと景倉 恭冶(ia6030)が確認し、伊之助はそれを紙へ書き付ける。
「立ち入ったり、外から元重様へ話しかけなければ、問題ありません。お屋形様からは屋敷の奥への立ち入りは禁じる事のみ、念を押されていますから」
「屋敷の奥?」
 首を傾げる恭冶に、また伊之助はこくりと頷いた。
「お屋形様の弟君や妹君がおられます。ですが今回の件は、伏せられていますので」
「じゃあ、こっちも気をつけとくやね」
「よろしくお願い致します。それで‥‥」
 伊之助は深い呼吸を一つしてから、代役の希望者達へ向き直る。
 謀叛の首謀者、天見元重の処罰は切腹ではなく、本人の希望で『開拓者との果し合い』となった。果たし合う相手に元重はゼロを名指しし、ゼロも『依頼』を受ける。一方で基時は理由如何で両者の代役を認めるとし、元重の代役に鬼灯 仄(ia1257)が、ゼロの代役は七神蒼牙(ia1430)と嵩山 薫(ia1747)の二名が名乗りをあげたのだ。
「代役はお屋形様が直々に選定しますので、お三方やヴァスクリセーニエ殿は役目が変わっても問題なきよう、心積もりを願います」
「分かってるよ。っていうか、堅苦しいなぁ」
 改まったやり取りが窮屈そうに、ヴァスクリセーニエはぐるぐる肩を回した。
「もう少し、気楽に出来ない?」
「かっ、仮にも皆様は客人ですからっ。あと、非常に申し上げにくい事ですが‥‥」
 声を落とした伊之助は、歯切れ悪く付け加えた。
「お屋形様はあまり細事を気にせぬ方ですが、側近の方々には礼儀に厳しい方もいらっしゃいます。御前では、お気をつけ下さい」
「そういえば、いきなり基時さんへ目通りを願おうとして、元重さんに睨まれた事もあったっけ」
 苦い記憶を、ふと有栖川 那由多(ia0923)が思い出す。
 相手は氏族の長であり、狭くとも土地を治める領主‥‥なのだが、あのゼロの兄という事もあってか、つい気が緩むのかもしれない。
「そういえば、ゼロさんは?」
 肝心の男の不在に、薫が伊之助へ尋ねた。
「別室で控えています。代役が立っても、果し合いが終わるまでは」
「代役は基時さんが直々にって事だけど、ゼロさんが選ぶ訳ではないのね?」
「お決めになるには、お屋形様です。かたや国を騒がせた重罪人、かたや依頼を受けた一介の開拓者。決定を拒む事は出来ません」
「重罪人と一介の開拓者って、兄弟だろ。それで、片方のみの命をかけた果し合いだと? ゼロにンな事、させるのかよ?!」
 蒼牙が憤りを訴えれば、にわかに伊之助は焦る。
「お、大きな声で兄弟とか‥‥ゼロ殿はあくまで開拓者、ですので」
「あ〜‥‥そうだったか」
 やるせなく蒼牙は息を吐き、煙管をふかす仄がぼやいた。
「元重と話せるのも、その後か。ま、逃げねぇだろうが」
「逃げようものなら、大問題よね」
 薫が苦笑いをし、再び蒼牙は伊之助へ目をやった。
「ゼロとも、正式に代役が決まってからか?」
「はい。それに集中したいので、出来るだけ一人にしてほしいと言われてます」
「もしかしてあいつ、飯とか食わず?」
「水だけ、ですね」
 なにやら思い出した那由多の問いにも、隠す事もなく世話役は答える。
「そっか‥‥」
「では、各々方の役目は確かに。今は皆様、お寛ぎ下さい」
 深く頭を下げると、伊之助は部屋を後にした。

「あーっ、疲れた!」
 世話役が消えた途端、ヴァスクリセーニエは大きく手足を伸ばし、ごろんと転がる。
「楽にしていいって言われても、堅苦しいわよね」
 肩をほぐすシアに、小さく薫が笑む。
「そこは、仕方のないところね」
「けど、果し合いで今後の沙汰が決まるんかい‥‥随分変則、な決め方やね」
 足を崩した恭冶も、ほんの僅かにだがほっとして息を吐いた。
「まぁ、あれか。これで基時は元重を害したいって訳やないって、確信持てるもんやろね」
「でも腹違いだろうがなんだろうが、兄弟なんだぞ? なんで仲良くさせてやれねぇ‥‥権力なんて、どうでも良いじゃねぇか」
 もどかしく蒼牙が溜め息をつき、煙管を咥えた仄の脳裏に寺門での一件が浮かぶ。
「仲良く、か」
「それにしても、これが『天儀のサムライ』の気性なのかしらね。頭が痛いわ」
 蒼牙とは別の意味で嘆息したシアが、緩やかに髪を揺らした。
 一年前、ジルべリア争乱の時に天儀からきた開拓者の姿勢や心には、正直言えば胸を打たれたものがあった‥‥無論、自分達ジルべシア人も立場によって気性の違いがある事は、十分に承知しているが。
「『天儀のサムライ』も、いろいろやからね」
 その一人でもある恭冶が、気まずそうに髪を掻く。
「でも時を待てば良い元重さんや千代さんが、いま事を構える必要性は薄く‥‥危険も多いっす。かといって、津々さんや基時さんが元重さん達を陥れるべく画策するとは考え辛い。とすれば‥‥」
 言葉を切った伝助は、青い視線を左右に走らせた。
「伊之助さんの時のように第三者が絡んでる‥‥とか、考えられないっすか?」
「第三者、か」
 繰り返した那由多は唇を噛み、それ以上の言葉を胸の内に仕舞う。
 懸念を払うには、友と顔を合わせなければならない。
「いずれにしても、分水嶺かな‥‥? やれる事やって、何としても‥‥」
「景倉の言う通りだよな。俺達にできる事はきっと、そんなに多くない。けど、未だやれる事はあるはずだ。影に居る‥‥誰かの思惑から、外れる方法が」
 恭冶に頷いたヴァスクリセーニエは、仰いだ天井の木目模様を見つめた。
 彼らが絡め取られた蜘蛛の巣から脱する為の、糸口を辿ろうとする様に。

●代役評定
「手間を取らせて、申し訳ないね。早速、心構えを聞かせてもらおうか」
 仄と蒼牙、そして薫は、代役を取り決めるため謁見の場に呼び出されていた。
 基時の他に三人の家臣が見守る中、まずは元重の代役を望む仄が話を切り出す。
「俺は、あの騒動で元重の側で先陣切って暴れた落とし前‥‥だな。実際に多くの命が散った場で、騒ぎを収められなかった中心は俺にもある。だのに、返せぬ借りを元重に作られるつもりは無い。ましてや、それを断りもなく、勝手に背負われたんじゃな」
「そうか‥‥承知した。そちらは、開拓者側の代役を希望するのだね」
 仄へ頷いてから、残る二人へ基時が視線を向けた。
「七神蒼牙だ。俺が代役になりたい理由は、一つだけ。腹違いとはいえ兄弟と戦わせた挙句、弟を斬る事にでもなったら‥‥ゼロが傷を負いそうだからな」
 いささかむすっとして蒼牙が告げれば、同席する家臣達は戸惑う視線を交わした。
 ゼロ‥‥天見基近は、天見家より存在自体を否定されている。いない者をいる者として、平然と理由が語られる事に困惑したのだろう。
「俺は、元重の希望に対する思いなんざ知らねぇ。ただ、大事な友人を傷つけたくない一心で、果たし合う役目を代わってやりたい。それでゼロから恨まれたら、それはそれで辛いけどな‥‥」
 ふっと溜め息を落としてから、再び蒼牙は基時へ顔を上げた。
「でもアイツが果し合いをしたら、心の奥底で弟を斬った刀を自分自身に向けたまま、表ではいつも通りに笑ってるのが容易に想像できた。そんな風になるよりゃ、マシだと思ったからな」
 これで仕舞いだと蒼牙が口を結び、基時は続いて薫を目で促す。
「嵩山薫、泰拳士よ。私の場合は仄さんに近いわね。関わりがありながら一連の騒動の阻止に回れなかった責任と、天見兄弟の斬り合いは何の益にもならないという考えからよ」
 それでは、裏で糸を引く者の思う壺‥‥出かかった言葉は、家臣達の存在もあって伏せた。
「ただ果たし合いでは相手が誰であれ、一切手を抜かないわ。ゼロさんも、そうするでしょうしね」
 三人の話を聞き終えた基時は家臣を見やり、彼らも互いに視線を交わして首肯を返す。
「では鬼灯仄、嵩山薫、以上二名を、明日の果し合いに於いての代役とする」
 決定に異を唱える者はなく、かくて代役は正式なものとなった。

   ○

「本音は、元重さんをお救いしたいのだけれど‥‥勝負は勝負。何、大した事は無いわ。ゼロさん相手にするよりは、かなりマシなはずよ?」
「やり合うからには、相手が誰になろうと当然勝ちに行くだけだ」
 微笑む薫に、仄もまたニッと笑いを返した。
「女のアンタに代役をさせる事になったか‥‥いや、薫は強いし、こう言う考え方は失礼だと判っちゃいるが、性分でな」
 自身は代役に選ばれなかったが、ゼロが果し合いの場へ出る可能性が消えて安堵したのか、蒼牙はバツが悪そうに苦笑する。
「気にしないわ。私もそろそろ、部外者の席から降りる覚悟は決めるべきと思ってね。この一件、もはや一開拓者の仕事のみに非ず‥‥ってところかしら」
 重い空気を払うように、薫はぱさりと赤い髪をかき上げた。
「それに人が武とは止戈なりって散々言っているのに、止まるどころか益々過熱するこの現状。全く腹が立つったらないわ。糸を引いてる黒幕に一発入れなきゃ、気が済まないわよ」
「ゼロも、いくら依頼でも嫌なら嫌だと言った方が‥‥言えねぇか、アイツの性格じゃ」
「代役が決まったから、ゼロさんに会えるわね。蒼牙さんも行く?」
 振り仰ぐ蒼牙を薫が誘い、仄も思案する。
「俺も元重と会っとくが、伝言あるか?」
 念の為と聞く仄だが、託す者はいなかった。

 懐かしい筈の場所は、戻ってみれば奇妙な居心地の悪さしかなかった。
 ひそひそ話す声、遠巻きに窺う視線や気配。
 景色は記憶と違わぬが、既に自分の居場所はここではないと改めて悟る。
「ゼロ、いいか?」
 声がして襖が開き、身軽な着物姿で部屋の真ん中に座るゼロは蒼牙と薫へ目を向けた。
「代役の件なら伊之助に聞いた。別に、良かったんだぜ」
「そう言わないで頂戴。こっちも、いろいろあるのよ」
 腰を下ろした薫は、首を横に振る。
「まだ、謝ってなかったな。安康寺じゃあ、てめぇらの仕事に首を突っ込んで申し訳ない。蒼牙も津々の事、ありがとな」
「気にするな。お前の代役になれなかったのは、残念だが」
「何だか申し訳ないわね、蒼牙さん」
「お互い様だ、恨みっこなしだぜ。代わりに立会人は、しっかりやらせてもらう」
「お願いするわ。本音を言えば、元重さんを助ける事が天見の為‥‥という気がするのよね。誰かの思惑の上で、手の内で踊らされているというか。その辺り、ゼロさんに心当たりはない?」
 一応と訊ねる薫へ、目を伏せたゼロが「ない」と否定した。
「依頼が終わったら、飲み明かそうぜ。ゼロ」
「酒代、どっから出んだよ」
 バシバシと背を叩く蒼牙にゼロは笑い、部屋の隅では人妖が三人の会話を無言で眺める。
 それはもう蒼牙や薫にとっても、珍しい光景ではなく――。

「誰や?」
 近付く足音に、声を投げた恭冶は両腰に差した刀「鬼神丸」へ手を置く。
「お、見張りか」
「念のために、やね」
 気安く片手を挙げて応じる仄の姿に恭冶は詰めていた息を吐き、解けた緊張にじゃらりと身に帯びた鎖が緩んだ。
「熱心なこった」
「何かあってからやと、なぁ。こうして、実際に目を光らせてるって事で牽制にもなるやろうから、こっちも変に身を隠す必要もないやろね。そっちは元重に用とか?」
 恭冶が目をやったのは、他の屋敷と離れた蔵の様な建物‥‥元重がいる牢屋だ。
「ちょっと、な」
「じゃあ、よろしく‥‥ってのも、変やね」
 笑う恭冶へ仄が肩を竦め、牢屋の中へ入っていった。
 戸が閉まるのを恭冶は確かめ、曇って月明かりも届かない闇へ注意を戻す。
 朝までの間に牢屋を始めとする屋敷の周辺や中庭を改め、何らかの邪魔をしてくる者が潜んでいないか、調べる心積もりだ。
「俺が動く事がなけりゃ、上々。これ以上、妙な動きは許さねぇよ‥‥」
 更なる犠牲は出さぬ覚悟を恭冶はしながら、暗がりへ目を凝らした。

「返せぬ借りを作るつもりはないからな。俺の罪まで持ってって『さよなら』じゃ、借りも返せない。自分の罪ぐらい、自分で覆すさ。それにゼロ側も代役が立ったんで、無駄死にする事もあるまい」
「代役、か」
 格子越しの元重は短く呟き、構わず仄が先を続ける。
「ゼロには借りがあるから、弟殺しの手助けはしたくねえ。んで、ゼロとやり合いたいのはお前だけじゃないんで、なにかの手違いで殺られては困る」
 ひい、ふう、みい、よっと指を折った仄が、その手をひらひら振った。
「まぁ、いろいろある訳だ。それに代役も基時が認めた事だからな。後で勝手に責任とって切腹とか、するんじゃねぇぞ」
 牢の奥に座った元重は、念を押されても浮かぬ顔のまま。
「命が助かって、それでもゼロとし合いたいってんならその時にやれ。一度酒でも飲み交わして、刀を交えりゃいいだろ。その方がもっと楽しめる」
「お前達は気楽なものだな」
 冷たい元重の声に、ニヤリとして仄が返した。
「そりゃあ、開拓者だからな」
「俺が長らえても、あの男と真剣に刀を交える機会はもうないだろう。だから、お前に礼は言わん」
「男に礼を言われても、嬉しくないが。それに機会なんぞ‥‥」
「知らないのか。志体を持たぬ相手にあの男が真剣になるとしたら、相手を殺すと決めた時と、相手に死ぬ覚悟がある時くらいだ」
 遮る言葉に、やれやれと頭を振る仄。
「しかし馬鹿だとは思ってたが、思った以上に馬鹿な事やってんなあ。なにを焦ってたんだ? 早急に、国を纏めなきゃならん理由でもあるのか?」
 軽口めいた調子で話題を変えても、それきり元重は口を閉ざした。

   ○

「それで、伊之助。あの方のご様子は?」
 廊下へ出たシアの耳に、声が届いた。
 何事かと角から声の方を窺えば、数人の男が世話役の伊之助を捉まえている。
「大変な時に戻ってこられたのには、何か理由あるとか」
「お屋形様を心配されてか? それとも‥‥」
「さぁな。だが例の騒ぎ、異国の舞い姫と見事に収めたと聞いたが」
「皆様、御慎み下さい。俺はお役目がありますので、これでっ」
 窮した伊之助は足早に離れ、角を曲がったところでシアと出くわした。
「何か、大変そうね」
「お恥ずかしいところを‥‥皆、気になるらしく」
 申し訳なさそうな伊之助に、ゼロが素性を隠す理由を察したシアが苦笑する。その状況も、安康寺の件で一変したが。
「そういえば、明日は伝助殿と那由多殿の三人で安康寺へ向かわれるんですよね。どうか、お気をつけ下さい」
「ありがとう」
 一礼する伊之助と分かれ、彼女は明日に備えるため客間へ向かった。

 ‥‥そして静かに、果し合いの日が訪れる。

●裏表
「やっぱり、俺‥‥ゼロと話をしてくる。伝助さんとシアさんは、先に安康寺へ行って下さい」
 天見屋敷に緊迫した空気が漂う中、同行する二人へ那由多が告げた。
「じゃあこっちも道すがら、気になる事を街の人へ聞いてみやすか」
「門の近くで待ってるわ。道は大丈夫?」
「うん。ありがと、ごめん!」
 シアと伝助を見送った那由多は、屋敷へ取って返す。
 恭冶は周囲の警戒にあたり、ヴァスクリセーニエと蒼牙は果し合いを前に中庭を調べていた。代役の仄と薫も、それぞれ準備を整えているだろう。
(大事な家や家族から離れて、名を捨てる痛みを。身を斬る様な痛みを乗り越えてまで神楽にやってきた頃の事、思い出せよ‥‥!)
 歯痒さを覚えながら、真っ直ぐに那由多は屋敷の一角へ急ぐ。

 部屋の外で、小鳥が羽ばたくような音がした。
「伝言だよ」
 やがて聞こえた声に目を開けば、人妖が様子を窺うようにじっと顔を覗き込んでいる。
「伝言?」
「――かのお方も、貴殿と同様に天見の今後を憂いていらっしゃる。長らくの確執がある事は存じているが、国を憂う者同士。過去を水に流さずとも、一度この機会に忌憚のない話をしてみるのも如何かと思われる」
 真似ているのか、少女の姿にそぐわぬ青年の声色で人妖が『伝言』を語った。
 そんな違和感にも疑問を抱かないのか、無言でゼロは眉根を寄せ。思案してから、文机へ向かうと筆を取る。それから悩んだ末に、肌身離さぬ指輪と腕輪を書いた文を共に紙で包み、宛名をつけるといつも身に纏う装束へ重ねた。
 最後に文の上へ宝珠刀を置き‥‥息をついたところで、勢いよく襖が開く。
「ゼロ、話がある!」
 緊張した面持ちで立つ那由多は、友人の近くにいるソレに気付くと顔色を変えた。
「‥‥お前が、野良か?」
 驚きもせず視線を返す人妖へ、つかつかと那由多は歩み寄る。
「那由多、どうした?」
「主人は誰だ? 何故、ゼロにつき纏う!」
 ゼロの問いかけも今は置き、答えぬ人妖の首根っこを引っ掴んだ。
「お前が来た時期と天見の争いが激化した時期が、被ってんだよ‥‥!」
「あ‥‥ッ」
 そのまま、小さな相手を床へ押し付ける。
「止めろ、那由多!」
「こいつが答えたら放す。言えないなら、持ち主不明でギルドに届けるしかねぇな!」
 押さえられた人妖は手足をばたつかせるが、さして強くない那由多の力にも抗えないらしい。
「ゼロ、お前は弟を信じてるか? 基時さんは‥‥信じてるから、こうしたんだろうぜ。きっと、弟さんは『自発的に』謀叛を起こしたんじゃない。基時は元より、基時派は争いを扇動する奴もいなかったって話だったな」
「待て、そいつは別に‥‥」
 事情が飲み込めないのか、なおも止めようとするゼロに那由多が勢いよく頭を振った。
「打って出たのは元重派‥‥けど、なぜ今行動を起こしたかが問題だ。当主の座が欲しいなら、今動く必要はない。それでも、争いは起こった」
 そしてもがく人妖を見下ろし、重ねて詰問する。
「言えよ、誰がお前の主人だ!」
「たす、け‥‥助けて、ゼロっ。助けて!」
「妙な動きをするなら‥‥!」
 助けを求める人妖に、那由多は符「幻影」を取り。
 直後、焼ける様な感覚が彼の背を走った。
「ぜ、ろ‥‥?」
 肩越しに見れば、呆然と立ち尽くした男の手から、朱刀が落ちた。
 何が起きたか理解する前に、激痛が思考を粉々にする。
「う、あぁぁぁ‥‥っ!」
 身を捩って那由多が苦痛に呻き、はっとゼロは我に返った。
「誰かある! 伊之助っ!!」
 人を呼びながら自分の着物を裂き、慌てて傷を塞ごうとする。
「すまない‥‥俺は、こんな‥‥」
 苦痛の狭間に届く謝罪は奇妙に遠く震え、符を握る拳にぱたぱたと雫が落ちた。
「もう、行かないと」
「てめぇ‥‥このまま、放って行けって言うのか!」
「人が来ると動けなくなる」
 淡々と促す相手との言い争いは短く。彼を残して、気配が遠ざかる。
「行く、な‥‥ゼロ‥‥!」
 止めようと伸ばす手は、空しく宙を掴み。
 騒がしく足音が近付くのを聞きながら、那由多の意識はそこで途切れた。

「遅いわね」
 焦れながらシアは何度も天見屋敷の方向を確かめ、伝助が空を仰いだ。
「ゼロさんと話し込んでるっすかね」
 陽の位置から察するに、果し合いが始まる昼も近い。
「そういえば、人妖でやすけど。いなくなったとかそれ以前に、街の人は見た事もないみたいっす」
「手がかりなしって訳ね」
「残念ながら。にしても、ゼロさんもあんまりっすよね。『野良』はないでしょう、野良は」
 冗談めかす伝助へ彼女は苦笑を返し、寺の正門を見つめた。
「時間がないわ。せめて、この騒動の黒幕の尻尾を掴むか、最低でも黒幕が存在している確証は得えないと‥‥」
 これ以上は待てないと、潜んでいた道の脇から立ち上がる。
「そうっすね。あっしは、裏から回ってみやす」
 足早に伝助はその場を離れ、シアもまた正面から安康寺へ歩き始めた。

   ○

「お屋形様、急ぎお耳に入れたい事が」
 険しい表情をした家臣の耳打ちに、基時は眉根を寄せた。
「如何なされます」
「構わぬ。予定通り、果し合いは執り行う。仲間同士の諍いなら、天見は与り知らぬ事。ただし討伐隊の癒し手が来ているのなら、すぐ向かわせるよう」
「はっ」
 家臣が一礼し、当主の意向を伝えに戻る。
 立ち止まった基時は鈍い頭痛をやり過ごしてから、中庭へ足を向けた。

 どぉんどぉんと低く鳴る太鼓が、果し合いの時刻が迫っている事を知らせた。
「もうじき‥‥やね」
 若干の眠気を覚えながらも、油断なく恭冶は漆喰の塀に囲まれた風景を眺める。
 夜を徹して人が潜みそうな場所を洗った結果、怪しい者はいなかった。見回る自分の存在に気付き、断念したのならそれで御の字と僅かに安堵する。
 しかしまだ、気を抜く事は出来なかった。果し合いが始まれば、決着が気になる人々の注意はどうしても中庭へ向かいがちになるだろう。
「前回前々回と、自分のアホさ、無力さがよっく分かったからな‥‥」
 自分が元重派なら、どう動くか。
 思案をする恭冶の足は、自然と牢屋を目指していた。

●遺恨因縁
「白洲には、変な仕掛けとかなかったよ」
「こっちもだ」
 ひと通り調べたヴァスクリセーニエの報告に、蒼牙もまた頷く。
 間もなく二度目の太鼓が鳴って、白洲へ仄と薫が足を踏み入れた。
 鎧は無粋と身軽な仄は殲刀「朱天」を帯に差し、薫は八尺棍「雷同烈虎」を手にしている。
 二人は並んで腰を落とし、最後に面した座敷へ数人の供を連れた基時が現れた。
「これより、果し合いを執り行う。双方、死力を持って戦うべし」
 朗々と家臣の一人が告げ、相対する二人は立ち上がると互いに距離を取り、向き合う。
「さぁて‥‥覚悟を決めるとするかね」
「嵩山流宗家、嵩山薫の名にかけて。全身全霊を以て挑ませてもらうわ」
 短く言葉を交わして、共に一礼した。
「では、始め!」
 ヴァスクリセーニエの合図で、代役二人は身構える。

 勝負は、睨み合いから始まった。
 八尺棍を握った薫は長さが活きる距離を維持し、仄も相手の出方を辛抱強く窺った。
 ピンと空気は張り詰め、立会いながら邪魔が入らぬよう注意を払うヴァスクリセーニエも二人から目が離せず、自然と息を殺す。
 最初に仕掛けたのは、薫だった。
「ハッ!」
 気合と共に目にも留まらぬ素早さで八尺棍が繰り出され、舌打ちをした仄が殲刀で払うように防ぐ。
 だが裁き切らぬ攻撃が、強かに身体を打った。
 即座に風を切って殲刀が応戦するも、構えからそれと思わせぬ身の動きで薫は切っ先をかわす。
「速い‥‥!」
 目を丸くするヴァスクリセーニエの前で切り結んだ両者は再び離れ、間合いを取った。
「棍とは、な」
「徒手空拳だけが能の女だと思ったら、痛い目見るわよ?」
「面白い。何としても、負けられないからな」
 不敵に仄が笑みを返し、呼吸を整えた薫も白い砂をじりと踏みしめる。
「まずは小手調べってトコか」
 余裕を残す二人に、見守る蒼牙が呟いた。

   ○

 安康寺の正門は、綺麗に‥‥幾つもの骸が転がっていたとは思えぬ程に掃除されていた。
「元重が庇いたがる相手って、こっちの方にしかいない気がする‥‥けれど、千代の様子を見るに、『自分の』子供達に対する愛情や心配は十分にあるように思えるのよね」
 千代に接触しようとシアは門をくぐり、静まり返った境内を奥へ進む。
「誰だ」
 突然の声に外套を翻して身構えれば、客殿の回廊から青年が見下ろしていた。
「開拓者か‥‥お前の仕事は終わった筈だ。疾く、去ね」
「元重から、自分が原因と名乗り出る前に、自分がいない間に母に何かないようについていて欲しいと頼まれたのよ」
「ほぅ。いつ頼まれた?」
 千代にと考えていた『理由』をシアが説明すると、目を細めた鷹取佐門が問いただす。
「それ、は‥‥」
 窮するフリをしながら視線を走らせれば、本坊の廊下に人陰が見えた。
 先に立つ千代に案内され、髪を後ろで束ねた長躯の男が俯いて続く。
 二人の姿はすぐ部屋に消え、ぴたりと障子が閉ざされた。
 一瞬の事で顔は分からなかったが、地味な着物の男は帯に脇差すら差しておらず。
「見ての通り、千代様は来客中だ。邪魔をするな」
 有無を言わせぬ鷹取の口調に、仕方なくシアは引き下がった。
 幾らかの疑念を鷹取に抱かせる事が出来ただろうし、何より『三人目』の存在を仲間へ伝えるべく。

「人、人が‥‥っ」
 裏門より本坊へ忍び込んだ伝助は、思わぬ『来客』に慌てていた。
 どこかに手紙か何かでもないかと探していたのだが、兵法書や歴史書といった本の類や、先代の遺児達が練習した下手な書の束が見つかった程度。
 どこからか漂う甘い香に閉口しつつ、蝶だか蛾だかが入った鳥籠を倒しかけながら、急いで伝助は隠れる場所を変え、『超越聴覚』で様子を窺う。
 間もなくシアを見とがめた鷹取の会話に混ざり、千代らしき女性の声が聞こえた。
「そのような難しい顔をなさらず。茶でも一服、点てましょう」
『客人』の返事はないが、どこか楽しげな様子は天見屋敷で起きている事態とそぐわず。
 不自然さを覚えた伝助が耳を傾けるが、それきり女の声も沈黙した。
 そのうち鷹取が戻ってくる気配を感じ、予定通りに伝助は本坊を後にする。
 ただ去る間際、奇妙に引っかかる一言を彼の耳は捉えた。
 お帰りなさいませ、殿――と。

   ○

 じゃらんと、鎖が鈍い音を立てる。
「まずいな、開拓者だ」
「くっそ。律儀なこった!」
 彼に気付いたのか、牢屋に近い物陰で覚えのある声が毒づいた。
 ばたばたと駆け去る音は明瞭で、迷わず恭冶は後を追う。
「己の身を挺してでも、裏で絵図描いてる奴らの好きにゃさせねぇよ‥‥!」
 逃げる背は二つ。確か、以前にも‥‥。
「あいつらかっ!」
 心当たりに足を早める。彼らなら恭冶が素性を明かさずとも、開拓者だと看破するだろう。
「行け、波村っ」
「ならん。次はお前が先だ、沢下!」
 土塀の近くで問答する間に恭冶が追いつけば、波村が刀を抜いた。
「お前ら‥‥今回は、誰も死なせねぇ!!」
 叫んで剣気を放てば波村は怯み、脇から沢下が刀を腰溜めに突き進む。
 合わせて恭冶も一気に間合いを止め、すれ違いざま、素手の拳を腹へ叩き込んだ。
「ぐっ、が‥‥っ」
 もろに喰らった沢下は俄かに嘔吐し、苦悶してのたうつ。
「誰の指図や!」
 波村の襟を掴んで恭冶が問えば、相手は即座に答えた。
「誰でもない!」
「嘘は為にならんやね!」
「この期に及んで、嘘など。厳罰は覚悟の上、俺と沢下とで企てた事だ。俺達の為に元重様が死罪となるなど‥‥!」
 真剣な波村の眼差しに、恭冶はそれが裏のない言葉だと悟った。
 そも、二人とも蟄居の身。破れば更なる罪に問われるが、それでも元重を助けに来たのか。
「理由はともかく、来てもらうやね」
 処分を決めるのは自分ではないと、恭冶は二人を引っ立てる。
 屋敷を守る者達へ身柄を引き渡す間に、三度の太鼓が重く鳴り響いた。

 数え切れない剣戟を経て、代役の二人は消耗していた。
 しかし打ち合うたびに傷を増やす仄に比べ、薫の負った手傷は幾らか浅い。ヴァスクリセーニエや蒼牙の目にも、彼女の優勢は明らかだった。
 元重は助けたいが、判断はあくまで公平に‥‥そう心したヴァスクリセーニエだが、黙って見守る基時を窺う。
「‥‥正直なとこ、あんたはどっちに勝ってほしいんだ?」
 少年の呟きは、届かず。
 白洲では最後の詰めと、薫が渾身の攻撃を繰り出した。
 突き入れた八尺棍の動きを受けた仄は、脇を締めて抱えるように止め。
 刀を捨て、『鬼腕』によって力を増した腕で、がっしと掴む。
「な‥‥!?」
「でぇっ、りゃぁぁぁぁーーッ!!」
 満身創痍ながらも、未だ仄は勝負を捨てず。
 強力を振るって薫を地に叩きつけ、眩んだ彼女が体勢と呼吸を整える前に喧嘩煙管を一閃する。
 全練力を集中させた『鬼切』の技は彼女の鳩尾へ打ち込まれ、ミシリと身体が軋む音を薫は聞いた。
 ぐったりと二つに身体を折り、前のめりに倒れ伏す。
 そのまま動かぬ様子に、ヴァスクリセーニエと蒼牙は基時を見やり。
「勝者、鬼灯仄!」
 彼が頷くのを待って、高々と蒼牙が宣言する。
 それを聞いた仄もまた、バッタリとその場に引っくり返った。
「詰めが‥‥甘かった、わね」
 咳き込み、苦しげな息の下から薫が苦笑すれば、仄もぜぃぜぃと息を切らす。
「それはねぇな。どっちかっつーと‥‥俺の、まぐれだ。あれが入らなかったら、確実に負けてた」
「そう、かしら。運も実力って、いうじゃない」
 そんな会話をする間に、控えていた癒し手が手当てに駆けてきた。
 立ち上がる基時に居住まいを正そうとする者達を、身振りで当主は制す。
「両者とも、見事な戦いであった。代役を果たした者、申し出た者には褒美に幾ばくかの金子を取らせ、天見元重へは恩赦を与える」
 三度、太鼓が打ち鳴らされ、果し合いの終了を知らせた。
 果し合いの前に那由多を斬って姿を消したゼロは、果し合いが終わっても戻らず。
 伊之助へ宝珠刀を含めた預かり物を託す文を残して、行方知れずとなった。