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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●兄妹 広げた紙には『焼き剥ぐべし』の一文と、左隅に花押が描かれていた。 「相変わらずだね」 荒っぽい文字と花押に苦笑し、添えられた別の薄い紙へ目を移す。 先の紙から剥いだそれには、手短な用件が箇条書きで並んでいた。 まず、兄や弟妹達の健康を案じ。自分は無事で『家』へ戻る気もなく、何も心配ないという報告。そして最後に、三枝伊之助の『処遇』を頼む件。 そこにはアヤカシの関わりも、仇討ちの件も一切ない。 「変わりは、なかったかい」 「ううん、変わってた」 直接会った妹へ問えば、即座に後ろで一つに束ねた髪を振って返事をする。 「そうか。どう、変わった?」 「少し、怖い時の父様に‥‥似てた気がする」 そう答えた少女は、小さく苦笑した。 「‥‥これの処分を頼めるかい、津々」 「はい」 思案する兄から、天見津々は手紙を受け取る。 「ところで、二日ばかり屋敷を留守にしようと考えているんだが」 「え?」 急に話が変わり、きょとんとする津々。 「先日の事もあるから、開拓者に『護衛』を頼もうと思うのだけどね。使いはこの、伊之助とやらに頼むのがよいだろう。天見の名で動くなら、何者かも下手な手出しは出来まい」 「外出は、供をつけなくて大丈夫?」 「異論は出るだろうが、視察だから‥‥と、しておくか。この時期なら鹿狩りや鷹狩りを理由にするのも手だが、仰々しくてどうもね‥‥それに外の事を元重ばかりに任せては、申し訳ない。津々も、共に来るかい?」 こくりと妹が頷けば、天見家当主である天見基時は穏やかな笑みを返した。 ○ 「お屋形様が、忍びで領内を見に行かれるそうだ」 真っ直ぐ前を見据えて歩く天見元重の後ろを、数人の家臣が続く。 「では、元重様も御一緒に?」 「忍び歩き故に護衛は開拓者に頼み、俺は不在の留守を任された」 「開拓者と言えば、先日の‥‥」 「護衛は連中へ依頼するようだ。誰に頼まれて、何をしに来たかは知らんが」 家臣達は顔を見合わせ、それから遅れた分を取り戻すようにバタバタと足を速める。 「ならば、密かに守り手を手配致しましょうか」 「下手に手を打てば、領内が安全でないと言うようなものではないか」 「それでは‥‥」 「お屋形様の言われる通りにするしか、あるまい。ただし、開拓者には注意しておけ。何の魂胆があるかは知らぬが、津々を通じ、お屋形様への目通りを画策していたからな」 「は‥‥!」 自分の居室へ入る元重の背へ、足を止めた家臣達は一斉に頭を下げた。 ●間隙 木の幹を頼りに、ずるずると重い身体を引き起こす。 西の山は子供の頃から慣れ親しんだ土地で、いくらかの時間を稼げるはず‥‥だった。 飛び掛ってくる怪猿を斬り払い、少しでも庵から離れようと木々の間を抜け。 いくらか開けた場所へ出ると、木々を飛び越えて追いついた怪猿と乱戦になる。 その最中、予想しなかった風切る音へ、とっさに朱刀を振るい。 払い落とした矢に、ぎょっとした。 ――人が、いる。 動揺が、一瞬の動きを鈍らせる。 直後、第二波の矢が見境なく降り注ぎ。 次々とアヤカシを貫き、払い損ねた何本かが自分へも突き立った。 ――ここから、離れねぇと。 真っ白になった頭へ、最初に浮かんだ思考。 爪を振りかざし、牙を剥く怪猿を斬り捨てる。 そして躊躇う暇もなく、急な斜面を転がるように滑り降りた。 ‥‥記憶は一度、そこで途切れている。 骨を折った訳でもなく、深い傷を負った訳でもなく。 なのに動かそうとした身体は鈍く、痺れていた。 頭を振り、辛うじて刀を握る手が動く事を確かめる。 そこへ引きつるような、耳障りな笑い声が降ってきた。 辿れば、樹上には赤い顔隠しの布を付けた化猿(マシラ)が一匹。 「動けん‥‥か?」 擦れたような軋むような声が、哂う。 「生きた、まま‥‥ハラワタ、引きずり出し‥‥喰ろうて、やろう‥‥」 「喰えるモンなら、喰って、みやがれ」 鋭く睨み上げ、樹を背にして、宝珠刀の柄を握り直した。 後はただ、相手の動きと刀を振るう事だけに集中する。 ピンと張った、睨み合いの末。 化猿が、跳んだ。 枝から枝へ飛び移り、そこから鋭い爪を持つ両手を伸ばし、掴みかかる。 それを、緋色の一閃が断った。 化猿は目を剥くが、飛び掛った勢いは殺せず。 どんっ! ‥‥と。 『獲物』へ激突した瞬間、叫び声を上げる。 両腕を断ち落とした刃を、『獲物』は手の内で返し。 躊躇なく、化猿の背中へひと息に切っ先を振り下ろしていた。 両の腕を失い、突き刺された激痛に、頭から布の外れたアヤカシは激怒して牙を剥くが。 相手はそれよりも早く、化猿の顎へ強かに頭を打ちつけ。 仰け反った喉へ、猛然とケモノの如く喰らいつく。 それでもまだ、叫ぶ化猿は塵と化す気配はなかった。 身体の痺れが抜けのが先か、血が抜けて昏倒するのが先か。 いずれにしても、化猿を逃がす気なぞない。 逆に己が尽きるのは、それ以上に論外だと――。 ○ 「‥‥ろ、ゼロッ!」 名を呼ばれ、肩を揺さぶられてゼロは目を覚ました。 ぎょろと目を動かし、見覚えのある少年の姿に飛び起きる。 「なんで、てめぇ‥‥ここにいる!?」 「お屋形様の言いつけで、神楽に来たんだ」 驚いて詰問するゼロへ、神妙な表情で三枝伊之助が答えた。 ●使い 「お屋形様が、『忍び』で領内を見に行かれる。ただお屋形様だから、あくまで『名目』って形で実際に身分を隠す訳じゃないけどな。ともあれ、その護衛を先日の開拓者に頼みたいって、俺に繋ぎをつけるよう仰られた」 「そうか。きっとあいつらも、安心するぜ」 天見家当主の名代を任されれば、何者かも簡単に伊之助へ手出し出来ないだろうと、茶を飲みながら考える。 「それから、山より秋茜が戻らないそうだ」 「‥‥は?」 秋茜は、いわゆる赤トンボだ。 初夏には山地へ移動し、秋になると群れを作って平地へ帰ってくる習性を持つ。 天儀では珍しくもない、秋の風物詩の一つだ。 最初の体色が黄褐色や橙色だが、成熟すると特に雄は鮮やかな赤色へ変化するというが。 「その意味が、開拓者なら分かるだろうって」 「‥‥」 胡坐を組んだゼロは、むっすりと口を結んで話を聞いていた。 「じゃあ、俺はギルドへ依頼に行ってくる」 「おぅ。路銀はあるだろうが、よけりゃあ出立まで長屋に泊まってけ」 慌ただしく部屋を出る背中へ、言葉をかけ。 「俺も、話したい事は‥‥あるんだが」 懐から取り出した守り袋を、ぼんやりとゼロは眺める。 本当はゆるゆると時を重ねた方がいいのかもしれないが、それでも譲りたくなくて、我を張った。 それを時期尚早と呆れるか、昔のように穏やかな笑みで頷きながら耳を傾けるか。 「俺自身も行くべきか否か、だよな。それにあいつ、屋敷から出て大丈夫か‥‥?」 考えれば考えるほどに、気がかりは増える。 だが数多ヶ原では身動きが取れず、面倒そうにゼロは低く唸った。 |
■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923)
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
劉 厳靖(ia2423)
33歳・男・志
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
リーディア(ia9818)
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058)
23歳・女・吟
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ●再び 神楽の都の門脇にある小さな地蔵堂で、有栖川 那由多(ia0923)は手を合わせる。 「最後の化猿の声‥‥ようやく水来村の声と、一致したよ。おゆうさん、ごめんな。多少は、冥土の土産になれば‥‥な」 元遊女へ報告する傍らで、彼岸花が風に揺れていた。 ごつっ! と、アグネス・ユーリ(ib0058)は拳骨を唸らせた。 「格好付け、なんて甘かった。あんたなんか只の大馬鹿よ」 殴られたゼロへ、アグネスはそっぽを向き。 直後、パンッと乾いた音がする。 今度はリーディア(ia9818)が、ゼロの両頬を叩いていた。 「ゼロさん‥‥私はね? 今日まで、悔い続けておりました。何かあれば無茶する人だとわかってた筈なのに、また無茶させてしまった‥‥とはいえ、無茶しやがってこのやろーな気持ちの方がでかかったので、一発叩かせて頂きましたっ」 にっこり微笑んで手を離した友人を、アグネスがぎゅっと抱く。 「ね、リーディア〜。お義兄ちゃんや義妹弟、欲しいと思う? 仲良くしたい?」 「義理のお兄さんとか‥‥? 超欲しいですっ」 「ほほう」 即答する友人に、アグネスはゼロを見やり。 「良かったねぇ、兄弟多くて。自分で、伝えたいと思わない?」 「ゼロさんも、お兄さんに会いたいのでは?」 「判ったよ」 渋々ゼロが応じれば、女性二人は満足げな顔をした。 「じゃあ、馬車を見てくるわ。祥一人に任せるの、悪いもの」 御凪 祥(ia5285)は三枝伊之助と、馬車を確かめている。 横を過ぎざま、小声でアグネスが呟き。 「ていうか、自分で紹介してあげて欲しいの。家族ってものに、人一倍憧れが強い子だと思うから」 「覚えとく‥‥ってぇっ!」 煮え切らぬ反応に、ぎゅっと彼女は脇をつねった。 「頭、痛ぇぜ」と、ゼロが呻き。 「治療符は用意していますが‥‥女性に殴られた程度、不要ですよね」 「自業自得でやすから」 にこやかに目が笑っていない八嶋 双伍(ia2195)に続き、助け舟は出さぬと以心 伝助(ia9077)も突き放す。 差異はあるが、リーディアの思いは彼らも同じ‥‥そも、化猿へ確実な手を打たなかったのは、明らかに失態だ。 だがゼロの『無謀』も腹を据え兼ねた‥‥自分への腹立たしさと、変わらぬ程に。 「俺達に殴られないだけ、マシだろ」 「数多ヶ原へ入る前に消えるようなら、『秋茜』を捕まえに行くからな」 それとなくゼロの逃げ道を塞いでいた鬼灯 仄(ia1257)が笑い、劫光(ia9510)は釘を差した。 「ふぇ。ゼロおじさま、とんぼさんですの?」 「らしいね。祥もそう言っていた」 小首を傾げるケロリーナ(ib2037)に、那由多はゼロを見る。 「俺はさ、ゼロと会えて良かったよ。だからさ。何でもいいから、今日だけ俺の頼み聞いてくれよ‥‥一緒に、行こうぜ」 どこか張り詰めた友人へ、ゼロは苦笑を返し。 「全く。てめぇまで言うなら、余計に引けねぇぜ」 「ま、当主がわざわざ会いたいニュアンスを滲ませているんだ、会わないなんて失礼じゃねえか? こいつは姫の意見」 指を立てた劫光は、それをゼロへ突きつけた。 「それに‥‥離れてたって家族だろが。紹介すべきじゃねぇか? 自分でな」 「分かってる。ただ、な」 刀へ置いた手を、ゼロは強く握る。 「もし杞憂なら、笑い飛ばしてくれ。天見の恥たる『天見基近』が表立った時、数多ヶ原がどうなるか‥‥俺はそれが恐ろしい。再び派閥が争えば、今までの兄上の努力は?」 だが即座の答えも、笑いもなく。 「ま、行くか行かぬか、俺には関係ないこったが‥‥一つ言うなら、気にし過ぎだ」 重い空気を払う様に、劉 厳靖(ia2423)がひらと手を振った。 「そうだな。独り言だ、忘れてくれ」 「で、あんとき何で一人残り、俺らを先に逃がした?」 拳の力を抜くゼロへ、ふと厳靖が真意を問う。 「三人で逃げれば、前夜の二の舞。厳靖の腕なら俺がしくじっても、あいつを守れると思ったからよ。惚れた女の命、信頼できねぇ奴に預けられるかって」 ふて腐れたゼロが口を尖らせ、思わぬ返事に厳靖は苦い顔をした。 「つうか、一人で抱え込むんじゃねぇよ。少しは周りを頼れよな」 忠告してから、思い出した様に付け加える。 「あ、俺は当てにすんなよ? それから、意地張ってるなら止めとけ」 カラカラと厳靖は笑い、ケロリーナがゼロの袖を引いた。 「けろりーなもおじさまのちからになりたいですの☆ ゼロおじさまはやさしいけど、苦しいことは黙って無理するから、周りの人は心配になるですの。基時おじさまもきっと一緒、だからちゃんと会ってお話するといいと思いますの」 苦笑するゼロは、少女の頭を撫でた。 ●忍び道中 秋晴れの下、近付く馬車に畑で働く領民達が深々と頭を下げる。 「慕われたもんだな」 御者台で祥が呟き、外を見る天見基時は少し困った顔をした。 「わざわざ頭など下げずとも、逆に頭を下げたい心持ちだよ」 「民は田畑を耕し、それを武人や為政者が守る。どちらが頭を下げるものでも、ないと思うが」 「それもまた、確かなのだがね」 祥と話す基時を見て、仄はぶらりと馬車の脇を歩く。 「んー、もうちょい思ってたのと違う様子かね。まぁ、兄弟‥‥って事か」 「こういう大胆な所は‥‥案外、似ているのかもしれやせん」 名前は伏せて、伝助も同意した。 依頼は、領内視察の護衛。 襲撃は元より目と耳も警戒し、基時とゼロの関係も口外を避ける。 「それにしても‥‥当主様は、穏やかそうな方ですね」 歩きながら、双伍が金色の田を見渡す‥‥旅を思えば出来ぬ相談だが、こんな主なら仕え甲斐もあるだろう、と。 「数多ヶ原、羨ましいです」 金の波間を飛ぶ秋茜へ、双伍は目を細めた。 一行は時おり道端へ馬車を止め、基時も外に出て休憩を取る。 「俺‥‥ごめんなさいっ。あの時は必死で‥‥!」 移動の間に打ち解けたアグネスと話す津々へ、ぺこんと那由多が頭を下げた。 「え、えっ!?」 「初対面で唐突に当主様に会えないかって‥‥無茶だよな。それに、津々さんに不信感を与えたんじゃないか、気がかりで‥‥」 驚いて目を瞬かせた津々だが、急いで頭を振る。 「どうか、お気に病まず。兄の元重は平素より素っ気ない人で‥‥先日は有難うございました」 「こちらこそっ」 逆に一礼する相手に、今度は那由多が慌てた。 「津々も大変ね。身内が厄介な男ばかりで」 冗談めかすアグネスに津々は笑い、のどかな風景にケロリーナは画帳へ筆を運ぶ。 がさりと道脇の茂みが揺れ、緋色の槍の穂先が突きつけられた。 「や、これは‥‥」 舞靭槍を前に、一瞬武芸者らしき身構えを取った旅客は、強張った笑みを繕う。 「秋茜が山より下るを当主は愛でておられる、これ以上、立ち入るな」 言葉は珍しく諧謔交じりだが、青眼鋭く祥が見下ろせば、険しい表情の男は足早に去る。 「お偉いさんの警護ってのは、気疲れするなぁ」 自分の肩を叩きながら、厳靖が声をかけ。 「害意がないだけ、マシか」 「確かに」 どこか憮然とした祥へ、厳靖は肩を竦めた。 夕暮れの中、無事に一行は目的の村へ着き、一夜の宿へ入った。 「離れても居場所も知れなくても、家族ってずっと家族なの。あたしは、いつだってそう思って生きてるわ」 外から見えぬ死角に控えたゼロへ、アグネスが告げ。 「この期に及んで逃げる事もないだろうが、後は任せた」 リーディアに声をかけ、劫光も馬車を後にする。 「少し、いいです?」 「ん?」 残った彼女は、首を傾げる恋人の隣で深呼吸をした。 「私には実の家族がおりませんし、親代わりも既にいない身です。ですから、私にとって家族は‥‥求めて止まない存在で」 祈るように、ぎゅっとリーディアは両手を組む。 「だから‥‥だから、嬉しかった‥‥。私も、ゼロさんと共に生きたい」 告げた直後、ぐいと引き寄せられ、華奢な身体をゼロがかき抱いた。 「ゼロさんっ?」 呼んでも無言で抱きしめる腕が、やがて緩む。 「頼みがある‥‥内輪の仮祝言を、挙げてくれねぇか?」 身を離したゼロの問いに、リーディアの頬が染まる。 「仮の、結婚式ですか?」 「神無月は避けるのが通例だが、形だけでも‥‥いや、違う」 ゼロはうな垂れ、彼女はそっと髪を撫でた。 「違うのです?」 「俺が、そうしたい。さんざ先に言われて今更だろうが、お前を兄妹へ紹介したい」 触れる手を取り、握ったゼロは碧の瞳を見つめる。 「神楽に帰ったら、ちゃんと祝言は挙げる。今は何も‥‥幸を授ける神すらいないが、見届け人は願ってもない」 真摯な恋人に、頬を火照らせたリーディアは頷いて。 「いいですよ。次はいつ、基時さんや津々さんと会えるか分かりませんし」 「ありがとな」 礼を言うと、ゼロは繋いだ手を引いた。 宿へ入ったゼロは土間へ平伏し、天見の当主に願い出る。 ――元の名は要らぬ。ただ今日明日に限り、兄弟の血の絆を認め。今宵この場で、添い遂げたいと願った恋人との仮祝言を挙げる事、許してはくれまいか‥‥と。 予期せぬ行動に皆が驚いたが、基時は面を上げるように言い、そして首肯した。 すぐさま伝助は三つの器を三つ重ね盃の代わりに用意し、双伍が片口へ天儀酒を満たす。 その段取りの良さに、今度はゼロが目を丸くし。 「陰陽師の方々は実に目が利き、以心殿は耳がいい。良き友を持ったな‥‥弟よ」 くつと基時が笑い、一同へゼロは深く頭を下げた。 仲間の前で粛々と二人は三三九度の盃事を行い、リーディアは基時や津々とも固めの盃を交わす。 「ふつつか者ですが、どうか、よろしくお願いします」 最後に彼女は、深々とお辞儀した。 短い仮祝言が終わると、最初の見張り役は準備を始める。 「ゼロ‥‥!」 感無量を言い表せない那由多にゼロは言葉代わりの抱擁を返し、互いの背を叩き合い。 土間へ下りた仄が、ふと手招きした。 「気が逸るのは解るが、初夜は神楽に戻ってからな」 「ばっ‥‥てめぇッ!」 耳打ちされ、狼狽するゼロへ仄は放笑する。 「何だったのです?」 「ん、気にするな」 きょとんと尋ねるリーディアに、赤面したゼロが誤魔化した。 「すまないね。祝い事の後は心置きなく飲み、歌い踊って一夜を明かすところだろうが」 「お二人の身を守るのが、今の役目ですから」 笑顔で答えた双伍は先の二人を追い、その背を見送った基時が杯を手にした。 「では義妹に、酌を頼んでもいいかな?」 「はい、お義兄さん」 打ち解けた風に頼む義兄へ、リーディアは片口を取り。 嬉しそうな友人の笑顔を見守るアグネスは、しゃらと鈴を鳴らして立ち上がる。 「じゃあ余興に、舞を少し‥‥如何かしら」 「有難い。屋敷の奥では、異国の舞を見る機会もなくてね」 恭しく頭を下げたアグネスは望郷の歌に振りを沿え、ゆったりと舞い始めた。 ●去来 翌早朝、囲炉裏端で双伍やリーディアが津々へ神楽暮らしを楽しげに語り、それを聞きながら他の者達は基時と筆談を交わした。 『ご無礼を承知でお聞き致します。 ゼロさんは、アヤカシに過度に付け狙われてるフシがあるように思います。 先代様もアヤカシに討たれたと聞いておりますが、今のゼロさんの様な現象はあったのでしょうか。 またもし天見家からの尾行が分かった場合は、如何なさいますか』 先ず夜番三班から起きている伝助の問いに、基時は筆を取る。 『聞いた覚えはない。尾行は身を案じた故とし、不問とす』 そう短く返すと、続けて三つ、仄が問いを並べた。 『ゼロが化猿と共に討伐された討伐隊は、前から予定されてたのか? 後妻の印象は? 先代とアヤカシの間に、何か逸話はあるか?』 『予定はあった。千代殿は千代殿なりに子を案じ、天見の先を案じている方だ』 そこまで書いた基時は、考え込み。 『家に対し、因縁のあるアヤカシはいるか?』 更に劫光が加えれば、「伝え聞きだが」と切り出した。 「この国の礎には、楔の様にアヤカシの牙が深く穿たれているという。如何なるアヤカシかは分からないが、それが動けば数多ヶ原は崩れ滅ぶそうだ」 淡々と語る基時に、津々も口をつぐむ。 その沈黙に、アグネスは昨今の不可解な事件の概要を簡単に一通り語った。 「初対面で『全部話して』は無茶だろうけど、あたし達が『秋茜』の為に出来る事を教えて欲しいの。信じるとか傍に居るとかは、言われるまでもないわ。具体的な程、有難いから」 耳を傾けていた基時は、再び筆を動かす。 『「赤い顔隠しの布」に留意し、決して触れてはならぬ』 「化猿の最後の言葉‥‥『〜ノ衆』。あれが最後じゃない、あいつを狙うアヤカシは他にまだいる」 話を聞く那由多は、急いで筆を走らせた。 『ここの皆は、ゼロの為なら力を貸してくれる。ゼロはそういう、人を惹きつける魅力を持った男だと、俺は思う。あいつは家を出たとか、無関係とか言うけど、どうかいつでも迎え入れてやって下さい』 次いで、リーディアもまた紙を添える。 『ゼロさんを狙う何者かの事で何かわかった事があったら、それをゼロさんに伝えてくれませんか?』 「ここまで付き合った縁だ。何かあれば力にならせて貰う」 劫光に続いて、アグネスもまた頷く。 「城町を歩いたけど、イイ処ね。芸人が仕事しやすい町は好きよ。住人の心に余裕があるって事だもの」 「そういえば、どうして数多ヶ原っていうのかしら〜? いっぱい原っぱがあるですか?」 尋ねるケロリーナへ、基時は二つの名を綴った。 「主な謂れは二説ある。一つは『天高原(あまたかはら)』、もう一つは『数多が在るハラ』。どちらも理由は、定かではないがね」 「俺の兄は‥‥基時さんと変わらぬ歳で、身まかった。だからという訳ではないが、どうか命を大切に、弟妹を安心させてやって欲しい。例え武芸が出来ずとも、身体が弱かろうと、兄の存在は重いだろうからな」 もし自分の兄も生きていたなら、今頃‥‥と。 思う胸中は複雑だが祥は腰を上げ、柱を背に座ったまま眠るゼロへ近付き。 「そろそろ、起きたらどうだ」 「のがぁっ!?」 蹴っ飛ばされ、ひっくり返った弟に基時が小さく笑った。 そして基時と津々を無事に天見屋敷へ送れば、一行は神楽へ帰る。 「あのさ、ゼロ。長屋で一緒に暮らした時間、すげえ楽しかった。俺は、お前を大事な友だと思ってるよ」 右腕の腕輪へ触れ、不意に那由多がゼロへ告げた。 「だから、また会える日まで‥‥さよなら、な」 「那由多、おめぇ、ほんとにそれでいいのか?」 見透かした様な厳靖へ、彼は口尖らせて。 「いいのっ!俺はもう決めたの!」 「んま、好きにするこったな。ほれ、さっさと帰って飲むぞ! 偶には奢ってやろう」 ばんばんと背を叩き、先に歩き出す。 はっちーも頑張った事だしなぁ‥‥そんな呟きを、風に流しながら。 「長屋の俺の部屋、絶対あけとけよ! 汚すの禁止な!」 振り返って念を押した親友の後ろ姿へ、ただ無言でゼロは一礼し。 天を仰げば、蒼穹は漠として広がっていた。 |