望郷、秘す
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: やや難
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/10/04 18:53



■オープニング本文

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●一路、故郷へ
「囲まれているな」
 雨戸の隙間から外を窺って、ゼロが呟いた。
 行灯の光の傍らで、三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)が息を潜める。
 時間は夜、場所は街道より幾らか外れた宿代わりの民家。
 ただ幸いにも、そもそもは空き家で住民はおらず。
 家にいるのはゼロと伊之助、そして道中を共にする開拓者達。
 一方で、家の外に広がる闇に潜むは、アヤカシの群れ。
 蛇羽や剣狼、眼突鴉と、決して手間取る相手ではないが、何より数が多かった。
 だが、襲撃の首謀であろう化猿(マシラ)の姿は、今のところ見えない。
「まったく、いちいち面倒くせぇ事しやがって」
 騒がしい外の音を聞きながら、ぼそりとゼロは愚痴た。

   ○

 何故、数多ヶ原を出て久しい自分を今頃になって‥‥と思案すれば、嫌な予感ばかりが先に立つ。
 何かが、起きているのか。あるいは、これから起こす気なのか。
 そして数多ヶ原に異変があったとして、ならば関わりない者となった自分はどうすべきなのか。
「‥‥面倒な話だぜ」
 長屋の一室で、ゼロは大きな溜め息を落としていた。
 伊之助に話を聞けば、今のところ領内が揺れる程の大きな騒ぎはないという。合わせて数人の情報屋にもあたったが、やはり数多ヶ原の話は流れてこず。表立って不穏な噂がないのは、喜ばしい事なのだろうが。
「とにかく、伊之助は無事に送らないとな。同じ失敗を繰り返す訳にも、いかねぇ」
 ならばあの時、自分が元遊女を送ってやれば、水来村(みなきむら)の一件はなかったのか。アヤカシによって水来村はなくなり、おゆうが本当に水来村の者だったかも、もう分からず。
「あぁ、全く‥‥面倒くせぇッ!」
 考えれば考えるほど煮詰まってきて、思考を放り出したゼロは大の字に寝っ転がった。
 そして転がったまま、ぼんやりと天井板の木目を眺める。
 数多ヶ原の領内では、当然ながらゼロは全く身動きが取れなくなるだろう。
 そうなれば、誰かの手を借りるしかないのは確実で、伊之助や自分の事情を知っている者達が一番頼りになる。
「なに、ノビてるんだよ」
 頭の上から、いつもの不機嫌そうな声が降ってきた。
「‥‥伊之助。数多ヶ原を出る時、仇討ちの事は誰かに話したか?」
「言ってない。心配かけるし、止められるかもしれなかったから」
 父の仇の話を持ってきたのが化猿(マシラ)と気付かず、仇を討ちたい一心で神楽まで来た少年はバツが悪そうにうな垂れる。
「数多ヶ原への護衛を頼みに、今から開拓者ギルドへ行ってくる。野放しの化猿野郎が、道中で仕掛けてくるかもしれねぇからな。てめぇはそろそろ、帰る支度をしておけ」
 半分驚いた顔をする伊之助を他所に、ひょいとゼロは立ち上がった。

   ○

「この場を、無事にしのいだら‥‥」
 雨戸を閉めて行灯の傍らへ戻ったゼロは、ごそと懐を探り。
 一通の書簡を、ぽんと仲間へ投げた。
「こいつを、出来れば当主の天見基時(あまみ・もととき)か、その妹の津々(つつ)に渡してくれ。基時は滅多に外に出ないだろうが、津々は頻繁に街へ様子を見にくるらしい。
 もし渡す事が無理なら‥‥渡せなければ、それでいい。他の奴には、絶対に読ませるんじゃあねぇぜ。津々の顔は、伊之助が知っている」
 ちらと視線を投げるゼロへ、数多ヶ原の少年はこくりと無言で頷いた。
「俺は西の山にある『声無滝』に近い庵へ身を潜め、てめぇらを待つ。あの近辺は天見の者しか出入り出来ねぇが、逆に言えば天見でない連中は近付かない‥‥まぁ、まずはこの場をどう抜けるかが先だが」
 志体のない伊之助の身を考えて‥‥朝まで篭城し、しのぎ切るか。あるいは、一気に打って出るか。
 囲むアヤカシの鳴き声や、戸や壁に体当たりするような音が、家の周りのそこここで止む気配なく響いていた。



※参考資料/天見家直系一覧(天儀暦1010年8月現在)
 父:天見基将(あまみ・もとまさ)‥前当主・死去
 母:初(はつ)‥本妻・死去
  長男:基時(もととき・25歳)‥現在の当主
 【長女:佐保(さほ)‥他家へ嫁いだ後、死去。享年22歳】
 【次男:基近(もとちか・22歳)‥現在はゼロと名乗り、天見家では居ないものとされている】
  次女:津々(つつ・16歳)

 父:天見基将‥前当主・死去
 母:千代(ちよ)‥後妻・存命
  三男:元重(もとしげ・18歳)
  四男:元信(もとのぶ・13歳)
  三女:竜田(たつた・10歳)
  五男:元定(もとさだ・10歳)
  四女:白(しら・8歳)
  六男:元盛(もともり・5歳)


■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
八嶋 双伍(ia2195
23歳・男・陰
劉 厳靖(ia2423
33歳・男・志
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
劫光(ia9510
22歳・男・陰
リーディア(ia9818
21歳・女・巫
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
月見里 神楽(ib3178
12歳・女・泰


■リプレイ本文

●方策
「おやおや‥‥あちらの方々、随分とやる気満々ですね」
 格子窓越しに外を確認した八嶋 双伍(ia2195)が、困ったような笑顔で、僅かに上げていた雨と虫除けの覆い板を戻した。
「また、物騒な里帰りになったもんね」
 苦笑混じりのアグネス・ユーリ(ib0058)とは反対に、からからと鬼灯 仄(ia1257)が笑う。
「いやはや、帰郷を大勢で歓迎されてうらやましいねえ」
「まったくだぜ。美人の一人や二人で構わねぇのに、身がもたねぇ」
 そんな仄の『冷やかし』を、しれっとした顔のゼロは更に冗談で返した。
「手紙は俺が預かろう。ただ、確かめておきたい事がある」
 受け取った書簡をじっと見た御凪 祥(ia5285)は、再度ゼロへ視線を戻す。
「もし捨てる必要が生じたなら、その前に読んでもいいか?」
「いや、読もうとすれば判断が鈍るからな。一見すると、訳の分からねぇ内容だし」
 懐から取り出した手帳へ挟もうとする手を、不意に祥は止めた。
「訳が分からない?」
「ああ。だから渡せなければ、それでいいぜ。気持ちは有難いが」
「そうだ、ゼロ。津々さんや家族の事‥‥その、見た目の特長とか教えてくれよ」
 おもむろに有栖川 那由多(ia0923)が聞けば、何故かゼロは怪訝な顔をする。
「津々が12の時の記憶だが、手がかりになるか?」
「あ‥‥そうでしたっけ」
 それに気付いたリーディア(ia9818)が、ぽむと手を打った。
「年頃の女の子は、人によって変わりますしね」
 どことなくのん気な反応に、ひっそりと劫光(ia9510)は肩を落として脱力する。
「そもそも。手前の命を狙ったモンをわざわざ送ってやるとか、どんだけ人が良いんだか。当事者も、付き合う奴も‥‥」
 言葉の最後はごく小さい呟きだが、嫌味というよりまだ好意的な諦めのニュアンスで。
「いやはや、何でこうも囲まれてばっかなんだろうねぇ」
 ぽしぽしと、劉 厳靖(ia2423)が顎を掻いた。
「そっか。これ実は、げんせーさんのせいだろ」
 別件の依頼で、やはり包囲された場所からの脱出をしてきた顔見知りを、那由多がじろと見る。
「はっは! 何か言ったか、はっちー?」
 聞こえないフリをした厳靖は、その頭をわしゃわしゃと撫でた。
「だから、はっちー言うなって!」
「だけど、『はっちー』も素敵なのです♪」
 戯れる(?)二人へ月見里 神楽(ib3178)は青い瞳を輝かせ、尻尾が揺れる。
「すて‥‥き?」
「はい! 神楽も、こんな素敵なあだ名なら欲しいのです!」
 混じりっ気のない純粋な幼い賛辞に、本日の脱力者二人目。
「にゃ、お兄さん泣いてる?」
「いいや、きっと喜んでるな! んま、何にせよだ。此処からサッサと出ねぇとな」
 気遣う神楽だが、うな垂れた那由多を厳靖は笑い飛ばし、そして同行する顔ぶれを見回した。
「確かに、あんまり漫才やってる時間はないっすね」
 どこか微笑ましい空気とは反対に、騒がしい音の聞こえる窓へ以心 伝助(ia9077)が注意を払う。
「‥‥色々と謎だらけっすけど、今は果たすべき事を果たしやしょう」
 まずこの場を切り抜け、無事に三枝伊之助を数多ヶ原まで送り届ける。
 それが集った者達が受けた『依頼』であり、そこには無論、依頼人であるゼロの身を守る事も含まれていた。
「ま、とりあえずは切り抜けるかね。姫、その依頼人よろしく頼んだぜ」
 ‥‥逆は、言うまでもない。心配ではあるが、それも無用だろう‥‥と。
 算段をつけながら促す劫光へ、リーディアが白いベールを揺らす。
「了解、なのですよ〜」
「俺の事まで、あんま気にするなよ?」
「ゼロ‥‥頼ってくれよ。こんな時くらい」
 そもそも自分の『役』すら不本意そうな依頼人の頭を、ごりごりと那由多が拳骨で小突いた。
「おう、はっちー、死ぬんじゃねーぞ?」
「げんせーさん、俺は回復してやらないから‥‥怪我、しないように」
 物騒な事を言う厳靖にも那由多は頬を膨らませ、それから伊之助の肩を叩く。
「‥‥頼りにしてる、津々に会うのも含めてだ。周囲を見て、不穏な気配や攻撃されそうな時は教えてくれな。俺達が何とかする」
 緊張気味に首肯した伊之助は、次いで祥と伝助、仄の三人へ深々と頭を下げた。
「先日の神楽で仕出かした数々の無礼や暴言、誠に申し訳なく‥‥」
「あぁ、何の事だ?」
 ひらと手を振った仄は謝罪を遮り、祥と伝助もまた顔を見合わせてから頷き。
 ぎゅっと口唇を噛んでから、再び少年は勢いよく一礼する。
「準備がよければ、始めるわよ」
 ブレスレット・ベルを付けた両手をアグネスが軽く振り、三手に分かれた者達はそれぞれの得物へ手をかけた。

●包囲突破
 柔らかな鈴音が、眠りを誘う。
 唸っていた剣狼が頭を振り、煩く飛び回っていた眼突鴉や蛇羽は、木の枝や空き家の屋根で羽根をたたんだ。
『夜の子守唄』でアヤカシの群れが眠り始めた頃合いを見計らって、戸が開け放たれる。
 途端に翼を打って急降下した眼突鴉を、中から飛び出した別の眼突鴉が襲った。
「目には目を、鴉には鴉をだ」
 仕掛けてきた相手へ、返せぬ憂さを晴らすかの如く。
 式を放った那由多はすぐさま、合口「呪痕」を手に意識を凝らし。
「道を作れば良いんだよな? ならこれで、こじ開ける!」
『火炎獣』の式が炎を吐き、行く手を塞ぐアヤカシを焼き焦がす。
 そのまま祥はゼロと前へ出て、残るアヤカシを共に薙ぎ払い、斬り捨てながら進み。
 那由多と伝助が、伊之助とリーディアを守るように続いた。
 この顔ぶれが一班となり、ゼロと伊之助を先に包囲から突破させる。
「ごめんっ! 先に行くな。合流場所で待ってる!」
「任せた。そのまま、北へ進め!」
 一度だけ振り返った那由多へ、軽く片手を挙げて劫光が手薄な方角を告げた。

「鬼灯、八嶋、援護は任せたぜ? つか、鬼灯はガチもできるんだっけか?」
 ふと厳靖が尋ねれば、無造作に仄は刀「嵐」を抜き。
「ああ。人を騙しやがった化猿には、後できついお灸をすえてやらねぇとな」
 袖をまくる元志士に、厳靖も腰の刀「翠礁」の柄へ手を置く。
「なら‥‥年の功ってのを、見せつけてやりますかね?」
「あの、一つ断っておきますけど‥‥」
 笑顔で、ちゃきっと死神の鎌を双伍が構え。
「僕はまだ、お二人よりずっと若いですからね?」
 いつもの笑顔も何故か妙に違って思えたのは、気のせいだろう‥‥たぶん。
「ああ、そうだったな。すまん、気にするな」
 笑って詫びながら厳靖は刀を抜き、起きたアヤカシへ一刀を振り切った。
 三人は二班となり、一班が無事に包囲を抜けられるよう援護し、アヤカシを追撃を妨害し、可能な限り殲滅する。

 刻む鈴の音は、緩やかなリズムから一転した。
 鼓舞するように力強く鳴るは、『武勇の曲』。
「うにぃ、アヤカシ沢山ですね‥‥人を襲うのは困るけど、食べられるのはもっと困るのです」
 そのリズムに神楽はうずうず尻尾を揺らしながら、肉球グローブをすぽんと外し、霊拳「月吼」をはめた拳を握り直す。
「かじられそうになったら、すぐ俺の後ろへ下がれ」
 空に飛ばした『人魂』の式より意識を引き戻した劫光が珠刀「阿見」をかざし、陰陽符「九十九」を引き抜いた。
「陰陽師にも、多少荒事に慣れてるのはいるからな」
「じゃあ任せたわよ、劫光」
 ウインクする間も、アグネスは鈴音を絶やさず。
 駆ける一歩、避ける一歩すら、舞踏の一部であるかのように、踊る。
 残る三人三班は一番最後、先の班よりも一拍遅れて動いた。
 最後尾よりアヤカシの動きに警戒し、もし周囲の村や人の住む場所へと散るようならば、それを阻止するのが目的。
 そしてアヤカシの群れは、先行する仲間を追う様に包囲を崩し始めていた。

「今は、やや左めが手薄でやすっ」
『暗視』と『超越聴覚』を駆使した伝助が、先を切り開く二人へ状況を伝え。
「承知した」
 振り返らずに祥は応じ、十字槍「人間無骨」を振るった。
 降下する蛇羽を容易く鉤刃が断ち落とし、飛び掛る剣狼を難なく薙ぎ払う。
 手練の前では、剣狼や蛇羽も手こずる相手ではない。
 だが数の多い事だけが、難点だった。
 遮る障害だけを、斬り捨てる事に集中するが。
 次から次へとアヤカシは牙を剥き、爪をかざし、クチバシで隙を突きにかかる。
 それらを断つゼロは返す刃でも足りなければ、更に拳で殴り、あるいは蹴り飛ばした。
「伊之助さん、大丈夫ですか?」
 猛然と進む武人二人に、刀を抜く余裕すらない少年をリーディアが気遣う。
「うん。平気、だから‥‥俺は」
 日頃から鍛錬はしているだろうが、やはり志体の有無は大きい。
 遅れぬ様に続くだけで懸命な伊之助の手を、那由多が掴んで引っ張いた。
「あと、少しだ!」
『人魂』を放った訳でも、見えている訳ではないが、励ましの言葉をかけ。
「ああ。もう少しだ、走れ!」
 先を行く祥もまた、前を見据えたまま少年を鼓舞する。
 前触れもなく背後から照らす光に、後ろを振り返れば。
 双伍の放った『火炎獣』が、後方より牙を剥くアヤカシどもを焼いていた。
「振り返っては遅れます。前へ進む事だけを、考えなさい!」
 向けられた視線に、伊之助を促す双伍。
 その間にも、『呪縛符』で眼突鴉の動きを鈍らせ。
 隙を突いた厳靖が、翠礁で断ち落とした。
「どこからこれだけ、集めてきたんだか」
「全くだ。特に闇夜の鴉ってなぁ、面倒だな!」
『炎魂縛武』の炎を明かり代わりに、闇へ浮かんだアヤカシを嵐で切り捨てる。
 追うアヤカシを守りに徹した二人は手馴れた風に片付け、双伍までは近付けず。
 自ら鎌を振るうまでもなく、状況に応じて双伍は練力の余力を計りながら、式を打った。
「散ったアヤカシは、三班が対応してくれますよね」
 懸念はあるが、双伍は仲間を信じて託す。
 やがてアヤカシの壁を、先頭が踏み越え。
 向きを転じた三人はその場へ留まり、追いすがる群れを迎え撃ち、押し戻しにかかった。

「誰も、食べさせないのですっ!」
 小柄な泰拳士が、駆けるアヤカシへ小柄な身を躍らせた。
 その身から鋭い剣が生えた剣狼へも、恐れず神楽は腕を伸ばし。
「ハ‥‥ッ!」
 密着した掌から浸透勁を叩き込み、体内よりの攻撃を放つ。
 果敢に『暗勁掌』を仕掛ける神楽だが、その身が届く距離には限界があった。
 その頭上から、鋭い爪が急降下し。
「唸れ、雷の竜!」
 召還された小型の竜が、眼突鴉へ雷撃をほとばしらせる。
「にゃっ。お兄さん、ありがとうなのです!」
「礼なら、後だ。まとめて聞いてやる」
 答える劫光は、神楽の手が届かぬ空のアヤカシを『雷閃』で狙い撃っていた。
「群れが散る様子は、あまりないわね。完全にゼロ達を見失ったら、分からないけど」
 鈴の音を絶やさぬアグネスは、舞い踊る間もアヤカシの動きを注視する。
 その背後から、突進する剣狼の刃を。
 ギンッ! と、鈍い音を立て、阿見が阻んだ。
「劫光、無茶しないでよ!」
「男のプライドって奴だな。悪ぃが、付き合い願うさ」
 気遣う友人に、劫光は刀を構え直す。
「ウン・バク・タラク・キリク・アク!」
 九十九をかざして呪を唱えれば、『霊青打』の式が刃へ宿り。
 刀身へ竜のような光を纏った阿見が、アヤカシを一息に斬り裂いた。

 領土の境近くで待つうちに、東の空が白み始める。
 広がる一面の田に、ぽつぽつと農家が見えた。
「ゼロさんの故郷‥‥まだ何も、起きてないと良いですが」
 珍しくない天儀の田園風景を眺め、リーディアが心配そうに呟く。
「庵に化猿が出るって事もあるんだろうんで、あんまイチャついて油断するなよ」
「うっせ。そっちこそ、待ってるぜ」
 からかう仄へ、ゼロが口を尖らせた。
「夜が明ける前に、行くか」
「よろしくお願いしますね」
「じゃあ、後でな。頑張れよ、はっちー」
 声をかけるゼロにリーディアが一礼し、厳靖がひらと那由多へ手を振る。
「しかし、同行を断ると思ったが」
「断っても、ついてくるだろ」
 渋面の答えに、ニッと厳靖は口角を上げた。
「ここでお前さんに怪我でもされたら、自責の念で潰れちまいそうなのがいるしなぁ」
 見送る那由多をちらと振り返る厳靖に、ゼロは苦笑し。
「過ぎるのは逆に心配だが、気持ちは有難い。心配かけねぇのがいいんだが」
 それも難しいよなぁとぼやく横顔に、リーディアは小さく笑む。
 そして人目を避ける三人は、西の山へ向かった。

「ああ、来やした」
 南を窺う伝助は、追ってきた仲間の姿に安堵する。
「ゼロさんとリーディアさん、庵へ行っちゃったんですね」
 話を聞いた神楽は、残念そうに折れた耳をぴこぴこ動かした。
「二人は、ジルベリアの言葉で『らぶらぶ』って言うんだよね。子供はお邪魔虫だから近づいたらダメだって、聞きました。大人の世界って難しいんだね?」
「いや‥‥間違ってないが、微妙に違う」
 困った風に劫光が嘆息し、くすくすとアグネスが忍び笑う。
「伊之助、城町への案内は頼んだ」
 促す祥に伊之助は頷き、一行は数多ヶ原領へ足を踏み入れた。

●城町探索
 数多ヶ原の中心地『城町』は程よく活気があり、人の流れも多い。
 昼前に着いた者達は、すぐに街へ散っていた。
「津々さん、よく街に出るんだ」
 通りを売り歩く棒手振りを見ながら那由多が聞けば、伊之助が周囲を見回す。
「この界隈では、わりと見るんだけど」
 その伊之助も時おり知り合いから声をかけられ、挨拶のついでに津々の所在を尋ねた。
「夜には宿へ戻り、情報を交換‥‥か」
 その様子を見ながら、祥が呟く。
「今は伊之助さんも一人にならないよう、注意した方がいいっすね」
 家族に無事の顔を見せる時間すらも惜しみ、津々探しを手伝う伊之助を、伝助はそれとなく距離を置いて見守っていた。

「それで、妙な話や面白い噂なんかはねぇのかい」
 小腹をつまみで埋めながら、仄は昼飯に来た客へ声をかけた。
「アヤカシが出たとか、当主が放蕩やってるとか」
「魔の森のせいかアヤカシは出るが、ここは治安もいい」
「御当主も悪い噂を聞かないしな」
「アヤカシも志体持ちを集めた討伐隊を作って、退治しようとしているからの」
「先代様の遺恨があるからなぁ」
「遺恨、ですか?」
 離れた席で話を聞く双伍が、何気なく店の者へ話を振る。
「ああ。先代様は、アヤカシに襲われて命を落とされたんだよ。それで、アヤカシ討伐には力を入れてなさるようだね。ここは都から遠くて、開拓者が間に合わない事もあるから」
「そうですね」
 適度に相槌を打ちながら、双伍は茶をすすった。

「仕事するなら町の様子、色々知っておかないとね、教えてくれる?」
 大道芸を披露する者が多い界隈では、大道芸人や行商人にアグネスが声をかけていた。
「あ、特にご領主一族の事‥‥知らずに商売して、うっかり逆鱗に触れ捕縛、とか洒落になんないし〜」
「なぁに、安心するがいいさ。天見の御当主は、あまり細事にこだわる方でもねぇ」
「そうなの?」
 答えてからキョロと周囲を窺うフリをして、おもむろに声を落とす。
「‥‥何か噂とか、ない? お家騒動的な話とかっ」
「さてなぁ。病弱な方だから、あまり御姿は見ん。領内の見回りなどは、弟の元重様が代わりにされているが。兄弟仲も、特に悪い話は聞かんなぁ」
「ふぅん‥‥?」
 周りを見ても、別の者達から違う話が出る様子はなく。
「話ありがと♪ じゃ、お礼に一曲踊っちゃおうかな〜」
「ほぅ、珍しい。ジルベリアの舞妓か」
 答えの代わりにアグネスはウインクをして、集まる人々の前でしゃらりと鈴を鳴らした。

「‥‥お兄さん達、どこですか?」
 呼んでも返事はなく、不安げに尻尾が揺れる。
「ココ、知らない場所なのです‥‥まさか神楽、迷子の子猫?」
 初めての町に喜んで繰り出したものの、気付けば周りに仲間の姿はなかった。
 気を許せばにじむ風景に、ぐしぐしと神楽は目をこする。
「うにゃ、大丈夫。野生の勘が、アッチだと告げているのです‥‥多分」
 そして、歩き出そうとした直後。
「待て、この迷い猫っ」
「にゃっ!?」
 ぐいと尻尾を掴まれて、思わず神楽は飛び上がり。
 後ろを見れば、とっさに掴んだ尻尾を劫光が放した。
「ちょっと尻尾が見えないと思ったら、またアッサリはぐれたな」
「お兄さんっ!」
 心細さで涙ぐんだ神楽は、いきなり劫光へしがみつく。
「おい、こらっ!?」
「よかったのです。知らない町で神楽、一人ぼっちかと‥‥!」
 訴える少女に劫光は苦笑し、とりあえず頭を撫でてやった。

「聞いてきた。あっちで、津々様をお見かけしたって」
 示す伊之助に那由多と祥は急いで駆け出し、付かず離れずの伝助も後を追う。
 足を止めて周囲を見回せば、近くの薬屋から身なりのよい少女が現れた。
「津々様!」
 真っ先に駆け出した伊之助は、少女の前に回ると膝をつき、頭を下げる。
「無礼と知って、申し上げます。御家にお仕えする、三枝伊之助に御座います」
「三枝の? えっと、往来ですから表を上げて。何用です」
「はい。実は、折り入ってお話したい事があると‥‥」
 顔を上げた伊之助の視線を追って、快活そうな少女が三人へ振り返った。

●断片
 声無滝へ向かった三人は、昼を過ぎてから待ち合わせの小さな庵へ辿り着いた。
「一応、お腹が減った時の為に用意してきたのですが‥‥食べます?」
 囲炉裏ばたで、リーディアが干飯を取り出す。
「助かる。火は使いたくないからな」
 そのまま三人は干飯で遅い昼食を取り、水で喉を潤した。
「喰ったら寝ておけ。ろくに眠ってねぇし、疲れただろ」
「まだ大丈夫、なのですよ」
 促すゼロに、リーディアが首を横に振る。
「それにしても、手入れはされてるんだな」
 改めて厳靖が小奇麗な庵を注視すれば、家が朽ちぬ程度に手が入っていた。
「一応、氏族の私地だからな。俺はよく来たが‥‥今じゃあ、津々くらいか」
 どこか懐かしそうに、ゼロは目を閉じる。
 耳を澄ませば、微かに大滝の音が聞こえる程の静寂。

 だが緩やかな時間は、不吉な吠え声によって破られた。

『心眼』や『瘴索結界』で確かめれば、庵を囲む多数の気配。
 間髪置かず、その一部が庵へ雪崩れ込む。
 ほぼ不意打ち同然の襲撃に、浅く深く手傷を負いながら何匹もの怪猿を切り捨て。
 休む間もなく第二陣、第三陣と、怪猿の群れは次々に襲撃をかけてきた。
「これじゃあ、らちがあかねぇな」
「逃げましょう‥‥逃げられる間に」
 夜襲もあって、技を使う集中力は既に尽き。
 凌げば凌ぐほど傷を負う状況に厳靖がうめき、リーディアはゼロへ訴える。
「群れを、突破できりゃあいいが」
「いや、ここは天見の当主も使う庵だ。万が一の抜け道が、隠してある」
 襲撃の隙を見て、ゼロは奥の小さな座敷にある襖を開いた。
 頑丈そうな壁板をずらすと、大人二人が並んで通れるほどの空洞が現れる。
「気付かれる前に、早く行け」
 手早く明かりの準備をしたゼロが、二人を促す。
 提灯の灯を頼りに、厳靖を支えるリーディアが湿った空気へ足を踏み入れた。
 直後、前触れもなく背後で壁板の戸が閉まる。
「ゼロさん!?」
「気にするな、行け。抜け道を真っ直ぐ進めば、一気に麓へ出る」
「待て。開けろ、無理するな!」
 叩いても揺すっても、厚い壁板は動く様子すらなかった。
「そっちからは、開かねぇようになってる。伊之助を送って手紙を渡せば、すぐに‥‥あいつらも来るから、心配するな。厳靖、リーディアを頼んだぜ」
「ゼロさんっ!」
「ゼロ、待て!」
 懸命に名を呼んで止めようとするが、単身で庵を飛び出したゼロの、アヤカシを引きつける『咆哮』が響く。
 幾らかの間を空けて繰り返されるそれは、聞こえるたびに遠ざかり。
 遂には二人の耳へも、届かなくなった。

●火急
 宿で出かけた者達が戻るのを待って、津々はゼロの手紙を広げた。
「確かに、これは兄の手紙です。それで‥‥?」
「基時さんに、会わせてほしいんだ」
 単刀直入に切り出す那由多に、仲間も頷く。
「当家の当主に、ですか?」
 突然の事に津々は戸惑い、長考した末、やっと口を開いた。
「会えるか否かは分かりませんが、屋敷へは案内しましょう」

「おそらく、後妻が本妻筋の男子を廃そうとしてる感じがするな」
 屋敷へ向かう道すがら、思うところを祥が明かす。
「確かに今ある情報じゃ、後妻が怪しくはあるんだがね」
 先に伊之助を一人で帰した仄もまた、その考えに同意した。
「現当主の死期が、近いのかねぇ」
「あるいは、志体のない当主を直に始末出来ると踏んだか」
 行く手には、天見の氏族が住み、数多ヶ原の『城』にあたる天見屋敷が見える。
 津々の案内で正門をくぐれば、長身の若いサムライが脇よりぬっと現れ、行く手を遮った。
「開拓者風情が雁首揃えて、天見屋敷へ何用だ」
 一行を止めた男は眼光鋭く、値踏みする様に八人をじろじろと眺める。
「元重、兄様‥‥」
 間が悪いと焦る津々の様子から天見の三之若、元重だろうと伝助は察しをつけた。
「依頼の途中で、仲間とはぐれた‥‥とかで。領内を知らずと踏み荒らす非礼を行う前に、挨拶をしたいって‥‥」
 とっさに津々が適当な理由をつけて、誤魔化そうとするが。
「控えよ、津々。そも天見の当主が、一介の開拓者と会う由なぞない。多忙の身を、些末事でわずらわせるな」
 語る先は津々に対してだが、咎めは明らかに開拓者達へ向けられていた。
 言い返せず口をつぐむ妹に、ようやく元重は八人に視線を移す。
「仲間か‥‥そういえば少し前に戻ったアヤカシ討伐隊が、西の山の麓で手傷を負った開拓者を二人、保護したそうだ。近辺の山中で怪猿に赤鬼が混ざった群れを退治したというから、それに襲われたのかもしれんな」
「二人?」
 表情の強張る劫光に、元重は「ふん」と鼻で笑った。
「心当たりがあるか」
「おそらく仲間です。それで、二人は‥‥?」
 あくまで穏やかな口調で双伍が問えば、不遜な態度のまま元重は顎で門を示す。
「討伐隊の詰め所で休ませているとの事だ。傷は深いが、動けぬ程ではない。何の用で数多ヶ原へ来たかは知らんが、無為に騒がせるな」
 それ以上の用はないとばかりに、元重は背を向けた。
「怪我‥‥それに、アヤカシの群れ?」
 怪訝そうな祥に、仄が津々へ振り返る。
「詰め所ってのは?」
「こっちです」
 踵を返す津々の後に、誰もが急ぎ足で続いた。

「ああ、会えて良かったのですよ!」
 友人達の顔を目にすると、ぱっと表情を輝かせてリーディアが駆け寄る。
 手や足に巻かれたばかりの白い包帯は、痛々しく。
 奥で横になっていた厳靖も、頭の包帯へ手をやりしながら身を起こした。
「傷の具合は、どうだ?」
 尋ねる仄に、座ったままの厳靖が首を振る。
「手酷くやられたが、命に関わる程でもない。怪猿どもに襲われて、抜け道のお陰で無事に麓へ下りたが‥‥」
「ゼロさん、囮になって残ったのです」
 小声で付け加えたリーディアは、組んだ指をぎゅっと握った。
 この場で詳細は語れないが、口惜しげな友人をアグネスはぎゅっと抱きしめ、頭を撫でる。
「やっぱりコッチには、来てないか」
「来れるはず、ないだろ‥‥それだけは、絶対に」
 厳靖の呟きに髪を乱暴にかいて唸る那由多は、ふと不吉な言葉を思い出して手を止めた。
「討伐隊が退治したっていう、怪猿に混ざってた赤鬼って‥‥まさか?」
「心配っすね‥‥いくら腕が立つといっても」
 やはり津々へ手紙を渡してすぐ、急いで庵に向かうべきだったと。
 伝助もまた、今更ながら口唇を噛む。
「すぐ行きましょう。無事ならきっと、神楽達を待ってるですよ」
 訴える神楽に、腕組みをして話を聞いていた祥もまた頷いた。
「そうだな、時間が惜しい。津々さん、出来れば馬を貸してもらえないか?」
「はい、すぐに用意しますので」
「私も、ついていきます。山の中まで行けなくても、麓で待ってますから‥‥ダメですか?」
「気持ちは、分かりますが‥‥」
 尋ねるリーディアに、双伍は困った顔で言葉を濁す。
「討伐隊が怪猿を退治したなら、全員でなくても大丈夫か。宿で待つとしても、残る者は必要だろうしな」
 思案する劫光に、リーディアを支えたアグネスが黙って首を縦に振る。
「では急ぎ、馬車も準備させましょう。屋敷の門の脇で、お待ち下さい」
 津々は詰め所から飛び出し、すぐに一行も行動を開始した。

 麓へ付くと万が一の襲撃に備え、アグネスと神楽、そして双伍と劫光が馬車と共に残り。
 残る四人は、津々の案内で更に山へと分け入る。
 進める場所まで馬を使い、道が険しくなって徒歩で進めば、不意に不気味な遠吠えのような声が森を震わせた。
「この声は‥‥?」
「行ってみやしょう」
 不安げな津々を伝助が促し、吠える声を辿る五人は明かりを手に山の奥へ急いだ。

●後手
 駆けつけた先の空気は、鉄錆びに似た血の香を含み。
 目にした光景は、異様だった。
 一本の樹に背を預ける様なサムライは、化猿ごと自らを刺し貫き、幹に縫い止めている。
 その肩や足には、折れた矢が突き立ち。
 一方、もがくアヤカシの両手は切断されて、肘付近から先が無い。
 奇声をあげ、天へ鋭い牙を剥いて、ガチガチと歯を打ち鳴らすが。
 獲物へ牙を立てられないのは、逆に相手が化猿の喉笛へ噛み付いている為だ。
 猛るケモノの如く、眼は爛々として。
 噛み砕くに到らずとも、アヤカシの喉を喰い千切らんとし。
 ひたすら逃れようと、化猿が足掻く。
 至る経緯は想像し難い‥‥が、すべき事は明白で。
「ゼロッ!」
 名を叫んだ那由多が、『眼突鴉』の式を打った。
 放たれた鴉は、無防備な化猿の目玉を目指して真っ直ぐに飛び。
 投じられた苦無「獄導」が、追ってその頭へ突き刺さる。
 同時に疾走った槍と刀は、動きを封じられた化猿を容易く貫いた。
 アヤカシが崩れ去ると、支えを失ったゼロの身体が傾く。
 柄を強く握った手を掴んだ祥は朱刀を引き抜き、すぐさま仄が『閃癒』で傷を癒し。
 膝から崩れながらも、ゼロは刀の切っ先を落とした。
 草の間で、顔隠しの赤い布が塵と化して消え。
 ――我‥‥名ノ衆‥‥、‥‥ム‥‥ガ‥‥。
 瞬間、軋む様な微かな音が聞こえて、散った。

「これ‥‥」
 覚えのある耳障りな音に、那由多は眉をひそめ。
 ソレが何であるかを考えるより先に、突然襟を掴まれた。
「ゼロ!?」
「り‥‥でぃあと、げんせ‥‥が、庵の、抜けみ‥‥に」
 思わぬ強い力で引き寄せたゼロだが、その声は酷くかすれている。
「‥‥たり、を、先、に‥‥っ」
 喉の奥から振り絞るような訴えに、掴んだ手を那由多がぎゅっと握り返した。
「二人とも、麓で待ってる。げんせーさんもリーディアさんも、無事だから!」
「そ、か‥‥よかっ‥‥」
 友人の言葉を聞けば急に指の力が抜け、大きく息を吐いたゼロは頭を垂れる。
 その様子を見守っていた伝助は足元の折れた矢に気付き、矢尻を確認した。
「これは、もしかして‥‥」
「その矢羽は、アヤカシ討伐隊の印です。強い、痺れ毒を仕込んだ」
 手にした矢を見て説明する津々へ、「やはり」と伝助も頷き。
「なら、こいつも必要だな」
 話を聞いていた仄が、『解毒』の技を施す。
 だが痺れ毒は消えても、強張った感覚が抜けないのか。
 ゼロは何度も手を握り直し、のろのろと宝珠刀を鞘へ納めた。
「来て‥‥くれて、助かったぜ‥‥アレで死なねぇ‥‥から、正直、窮してた」
「話は後だ。どこかで少し、身体を休めないと」
 那由多が気遣うと、まだ聞き取り辛い声で重く頭を振る。
「すぐ、去る‥‥ここに、居ちゃあならない身‥‥これ以上、長居は‥‥」
「待てよ、無理を‥‥!」
 土と血に塗れた身体を起こすゼロに、支えようとした那由多は手にぬるりとした感触を覚えた。
 見れば、樹の幹だけでなく下草や地面を濡らして、赤黒い血溜りが広がっている。
 血の気のないゼロを祥が掴み、無造作に肩へ担いだ。
「世話の焼ける」
「だめ、だ‥‥迷惑、は‥‥」
「ああ、領外まで連れて行ってやる。その足だと、夜が明けても無理だからな」
 うめく相手に憮然として答えた祥は、ちらと津々へ視線を投げる。
「それに‥‥自分の本当の妹すら、分かっていない状態だ」
 その呟きにすら、既に返事はない。
「行かれるのでしたら、必要な馬や馬車は神楽までお使い下さい。馬車には、屋敷での非礼の詫びも積んでますから‥‥」
 くしゃりと表情を歪めた津々は、目を伏せた。
「行くぞ、那由多も」
「うん‥‥津々さん、基時さんに伝えてくれよ」
 仄から肩を叩かれた那由多は、案じながらも津々へ言葉を託す。
「何か出来る事があれば、いつでもって。それに、伊之助の事も」
「確かに。どうか、その方を‥‥お願いします」
 そして少女は顔を隠すように、深々と頭を下げた。

 ごとごとと、身体が不規則に振動する。
 ひときわ大きな揺れにがくんと身体が傾ぎ、鈍い芯の痛みにゼロは低くうめいた。
「ゼロさん?」
 かけられる言葉に重い目蓋を開き、自分がもたれる相手を確かめて、ほっと目を細める。
「リーディア‥‥無事だったか」
「はい、無事ですよ」
「よかった。すまねぇ事をしたな‥‥心配かけた」
「そう、ですね」
 苦笑混じりの返事と、僅かな沈黙に。
「な‥‥俺と、夫婦にならねぇか?」
 己が胸一つに抑え切らぬ感情が、こぼれた。
「我ながら後先とか考えてねぇし、手前勝手もいいとこだ。それでも一緒にいたいし、生きたい」
 しかし無事を確かめた安堵からか、幾らかの言葉を口にするだけでも消耗するのか。
 すぐに意識は重く沈みかけ、その淵でせめてと重ねた暖かい指を握り。
 再びの規則正しい呼吸に、汚れてもつれた髪を彼女はそっと撫でた。
 それから、ふと顔を上げれば。
 見守る者達のどこか微笑ましげで和やかな、あるいは冷やかす視線と目が合う。
「‥‥はわわわわーっ!?」
 一拍遅れでそれらに気付いたリーディアは、にわかに顔を赤らめた。