遺恨、仇討つ
マスター名:風華弓弦
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 1人
リプレイ完成日時: 2010/08/29 12:22



■開拓者活動絵巻
1

伊砂






1

■オープニング本文

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●過日の記憶
「明日は後任決定の儀だというのに、二之若が屋敷を抜け出したそうだ」
 困った風に、だがどこか憎めぬといった感じで苦笑しながら、父は帯に刀を差す。
「こんな時間に?」
 不安げな母親の声に外を見れば、もうすっかり暮れて真っ暗だった。
「お屋形様が亡くなられ、誰が次の当主となられるか‥‥家臣の中でも一之若か二之若につくかで、もめておるからなぁ」
『一之若』と呼ばれているのは、長兄の基時(もととき)。
 聡明で思慮深いと言われるが、身体は弱くて志体を持たず、そのせいか武芸の心得はないらしい。
『二之若』は基時の弟、基近(もとちか)。
 先代と同じく志体を持ち、人柄は好かれているが学は浅く、奔放かつ粗暴で短慮だという噂だ。
 天見には他にも更に四人の若と四人の姫がいるが、次の当主は先の二人のいずれかだろうと、領内で暮らす者達の間ではもっぱらの噂だった。
 そんな憶測が、天見の屋敷の中では家臣も分かれての派閥と化し、潰し合いに発展しかねない勢いで争っているという。
 日々それを嘆く、ぼそりぼそりとした父の呟きを襖(ふすま)越しに聞いていたのだが。
 とうとう二之若が、大事な日を前に何か仕出かしたらしい。
「何かあったら、伊之助。母さん達を頼んだぞ」
 父の大きな手が、がしがしと頭を撫でた。
「うん、分かってるよ」
 長兄として信頼に胸を張りたい反面、子ども扱いされている様で口を尖らせながらも頷いて。
 大きく広い背中を、不安と共に見送る。

 ‥‥それが三枝伊之助(さえぐさ・いのすけ)の見た、父の最期の姿だった。

   ○

 駆ける、駆ける。
 深い森の奥、国境への獣道を、急ぎ足でただ駆ける。
「基近様っ。お待ち下さい、基近様!」
「どうか、お戻り下さい。後任決定の儀は、明日でございますぞ!」
「知るかッ!」
 追いすがる声へ、振り返って一喝した。
「俺は、数多ヶ原を出る! 追ってくんじゃねぇ!」
「基近様!」
「後任なんぞ、知らねぇっ。当主はガラじゃあねぇし、継ぐべきなら兄上が正当だろうが!」
 だが、追ってきた者達の気配は引かない。
 足を止めた分、距離を詰められ。
 引けと訴える間に、周りを囲まれる。
「どうしても、お戻りにならないと仰るなら‥‥」
 一人が抜けば次々と、抜刀の気配が続いた。
 頼りない月明かりの下、あちこちで白刃がぼぅと浮かぶ。
 その光景に、背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
「なん、で‥‥」
「どうやら二之若様は、乱心されたようだ」
「ふざけんなっ、俺は正気だぜ!」
 追っ手を率いている奥の一人へ、叫んだ。
 突破口を探って周囲をぐるりと見渡すが、四方八方で刀身が鈍い光を返し、逃げ場はない。
「これは一体、誰の命だっ。答えろ!」
 問う声は、虚しく木々の間に吸い込まれた。
 無言の包囲網が、じわと狭まる。
 見える相手は、ざっと10人足らず。
 見えない場所にも、更に何人か潜んでいるだろう。
 見知った顔も、あまり知らない顔もあり。
 その中で、志体持ちは何人いるのか。
 息を詰めつつ、父より譲り受けた宝珠刀の柄へ、手を置いた。

 ――己が護ると定めたものを、これで護れ。

 成人した際、その言葉と共に託された宝珠刀。
 今の天見一族に、自分以外の志体持ちはない。
 幼い弟妹にも、まだ兆候はなく。
 ならば本来、自分が護るべきは目の前にいる臣下の者達であり、領民である筈だったが。

 ――このままでは、数多ヶ原が割れる。俺達のせいで割れてしまう。

 重い、兄の声。

 ――なら、俺が消える。

 旗印がなくなれば、全て収まると思ったのは、自分の浅慮だったのか。
 そんな記憶と思考が、現状と関係なくデタラメに交錯した。
 朱刀を抜けば、後に引く事は出来ない。
 だが自分を囲む殺気は、距離を詰め。
 口の中が、カラカラに乾く。
「引けよ。俺の事は、構うな!」
「お覚悟‥‥!」
 訴えとは逆に、追っ手の一人が間合いの一歩を踏み越え。
「来るんじゃあねぇ! 来るなら‥‥ことごとく、ブッた斬るッ!」

 ‥‥そして窮した天見基近(あまみ・もとちか)は、迫る刃に宝珠刀を抜いた。

●討ち手と仇
 粗末な庵では、ギャアギャアと鴉らしき不穏な鳴き声が群れている。
 伊之助はそれを聞きながら、思い出しては震える手を、もう片方の手で掴んだ。
「大丈夫、大丈夫だ。あいつはアヤカシじゃないし、俺はあいつを刺せた。あいつは人間で刺せば死ぬし、斬れば死ぬ。それで、親父の仇を‥‥討てる」
 呪文のように繰り返し、自分へ言い聞かせる。
 その存在を知らせ、神楽まで自分を連れて来てくれた見届け人は、間違ってなかった。
 自分より長躯で、志体持ちで、剣の腕もずっと上で。
 父を斬り殺し、無責任に故郷を捨てておきながら、神楽の都でヘラヘラと笑って暮らしていた仇の男。
 あいつを倒せば、ようやく‥‥父の無念を晴らす事が出来る。
 片手の震えは、やがて治まった。
 無我夢中で相手を刺し、斬り払った時の事は、正直よく覚えていない。
 だが嫌な感触だけは確かに腕に残り、それを思い出せば訳もなく怖くなって、震える。
「大丈夫だ。あいつは必ず、討ち果たせる。それで、全部が終わるんだ」
 大きく深呼吸をしてから、伊之助は紙を広げ、筆を手に取った。
 自分の助力をしてくれるという開拓者達へ、討つべき仇に果たし合う時間と場所を伝えてもらうために。
 庵の外では相変わらず、ギャアギャアと鴉のような鳥の声が鳴いていた。

 割れるような、蝉の合唱が降り注ぐ。
 一通の文を手渡されたゼロは、ざっとそれに目を通し、文を持ってきた相手へ承諾した旨を伝えた。
 文の内容は、果たし状。
 近日の夕刻、神楽から少し離れた何もない野っ原にて、果し合いを行う――それが、全てだ。
 幸いというべきか、崎倉はまた風来歩きに出たのか、長屋を留守にしている。
 果し合いの当日は勝手に部屋を借り、一戦への『集中』が出来るだろうと算段した。
 人を相手にやり合う事が分かっている場合、その日一日、一切の食事を取らない。
 じっと胡坐をかき、水だけを口にして心身を空っぽにし。
 刃を交える瞬間へ、ただただ集中する。
 幾つかの助太刀はあっても、斬るべき相手は一人。
 出来るだけ速やかに、討ち手の伊之助を返り討てば‥‥顔見知りを傷付ける事なく、終わるだろう。
 薄い雲が漂うのみの夏空を見上げ、ゼロは息苦しさすら覚える重い空気に溜め息をついた。

「あ‥‥あ、面倒だ」
 かすれた声が、雑木林に軋む。
「人の世の、造り‥‥は。実に、面倒だ」
 その呟きに、応じるかの如く。
 頭上の木々で羽根を休める多数の鳥影が、一斉にギャアギャアとやかましく騒いだ。


■参加者一覧
有栖川 那由多(ia0923
23歳・男・陰
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
八嶋 双伍(ia2195
23歳・男・陰
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
以心 伝助(ia9077
22歳・男・シ
劫光(ia9510
22歳・男・陰
アグネス・ユーリ(ib0058
23歳・女・吟
月見里 神楽(ib3178
12歳・女・泰


■リプレイ本文

●吹く風は重く
「今日も、暑いけど‥‥明日は晴れるかな」
 雲すらない空を長屋の縁側から有栖川 那由多(ia0923)が見上げ、ゼロが苦笑する。
「そうだと助かる。夕立の中でやり合うのは、ちぃと面倒だ」
「しかし、仇討ちの相手はゼロさんですか‥‥これはまた、大変な事になったものです‥‥」
 汗で下がった眼鏡の位置を戻しながら、八嶋 双伍(ia2195)は呟いた。
 表情はいつもと変わりない笑顔だが、声にやや困惑の色が混じっている。
「やっぱし、ドロドロしてんじゃねえか‥‥」
 ぽつと小さく、劫光(ia9510)がこぼした。
 手を貸すのは柄じゃないと『仇討ちの助力』を辞した彼だが、別の形で復讐事に関わる羽目になったのは、致し方ない‥‥というか。
「俺を睨んでも、討ち手は向こうだからな」
「言われなくても、分かってる」
 のん気にゼロが髪を掻き、呆れた風に劫光は嘆息する。
「でも、あんな年の子が仇討ち‥‥誰かに、煽られてるんじゃないかしら?」
 じっと考え込んでいたアグネス・ユーリ(ib0058)が、黒い瞳を友人へ向けた。
「ああ。伊之助の後を追った俺の式が消されたのも、気になる」
 アグネスへ首肯した劫光は、ゼロを刺した伊之助につけた『人魂』がすぐに襲われ、消された事を、集った者達へ明かしていた。
「あの依頼人だって言う深編笠の男が何者なのか、だ。状況から考えれば、自然とあいつが怪しくなる」
「確かに伊之助を逃がすように現れたタイミングといい、気になるわよね」
 記憶を辿るアグネスに、双伍もまた頷く。
「僕もあの編笠の方は、どうにも気になるので‥‥調べてみたいですね」
「鴉みたいのが見えたし、同業者って線が高いと思うんだが‥‥そうでなかったら‥‥」
 推測の言葉を切る陰陽師に、同じ陰陽師である双伍も彼を見やった。
「果し合いまで時間がありますね。少し調べ物でも、しましょうか」
「ええ。おかしな事が、バラバラに起こり続けてるけど‥‥繋がってる‥‥誰かが繋げてる、気がするの」
 以前に起きた騒動からまとわりつく嫌な感覚に、アグネスは黒髪を揺らし。
 三人の会話を、那由多はじっと聞く。
(俺に出来る事なんて、本当にあるんだろうか‥‥)
 己へ何度も繰り返した問いだが、未だ那由多に答えは見えず。
 重い風に軒下へ吊った風鈴の短冊は揺れるが、涼しげな音を鳴らす程ではない。
「にゃ。深編笠さんも気になるけど、神楽は伊之助さんとゼロさんがお互いが話し合うべきと思うの」
 胡坐をかいて茶をすするゼロを、じーっと月見里 神楽(ib3178)が凝視する。
「伊之助さんのお父さんを斬った理由も、故郷を捨てた理由も。伊之助さんには知る権利、ゼロさんには語る義務があるんじゃないですか?」
「それを話して、向こうが納まるならな」
 どこか遠くを見るように、天井を仰いだゼロが目を細める。
「『天見基近』は、氏族始まって以来の恥。そもそも、この世に居なかったものとしている。それを仇と、神楽まで追って‥‥仇の言葉で、親を失った者の気が納まるのか。真偽以前に、逃げの口実だと聞き入れない可能性もある」
「確かに相手が若く、周りが見えていないのなら、正しい言葉すら耳に入らないかもしれない」
 土間からの声に集う者達が目をやれば、御凪 祥(ia5285)が軽く一礼をした。
「仇討ちに手が足らぬと聞いて、加わってみれば、な。ただ、ゼロが伊之助の仇だと信じている訳ではない‥‥そう、本人に伝えておこうと思っただけだ」
「てめぇもわざわざ、律儀だぜ」
 苦笑を返すゼロへ、僅かに口角を上げて祥は応じ。
「他の連中にも言っといてくれ。俺は本気で返り討ちに出るから、手ぇ抜くなってな」
「分かった。伝えなくても、承知していると思うがな」
 そして『挨拶』をした祥は、開けっ放しの戸から日が照りつける表へ出る。

「ゼロさん、どうでやした?」
 井戸端の陰で待っていた以心 伝助(ia9077)が聞けば、ちらと祥は長屋を振り返った。
「ああ、特には。仇討ちや依頼人について、話をしていたようだがな」
「野郎の過去を詮索してもな。ま、連中が調べるんだ、誤解とかなら判るだろ」
 知ったこっちゃないと鬼灯 仄(ia1257)は一笑に付し、ひとしきり笑うと胡散臭げに頭を掻く。
「しかし志体も剣の腕もない相手に、なに余裕のない顔してるのかねえ。適当にあしらやいいだろうに、若さか?」
「どうでやしょう。ただ乗せられてる感のある伊之助さんを、放っては置けないんすよねぇ」
 ふっと伝助も懸念を口にし、嘆息した。
「真っ当にやりゃあ勝敗は解っちゃいるが、それでもだ。さて、時間だな」
 言外に含めた仄が歩き出し、伝助と祥は後に続く。
 果し合いの日時を知らせた相手へ、仇討ちの打ち合わせる為に三枝伊之助と会いたい旨を伝えた。即座に反応はなく、無理かと思われた頃に「会う」と連絡が来たのだ。
 伊之助に会えるか不明だが機会があるのは幸いと、三人は長屋横丁を後にした。

「ともあれ。ここで顔を突き合わせていても、進展しません」
 双伍が腰を上げ、アグネスも立ち上がる。
「私は、あの深編笠の男を探るわ。後は果し合いの場所も、気になるわね」
「伊之助さんも、見つけられたらいいですね!」
 気合いを入れて、ぎゅっと神楽が小さな拳を握り。
「まだ時間はある‥‥俺達に出来る事、あるよな」
 短冊を那由多が指で揺らせば、ちりんと澄んだ音が一つ。
「すまねぇな」
 通り過ぎざまの礼に、俯く頭を軽く叩き。
 最後に劫光がわらじを履き、振り返る。
「どんな理由があるにせよ‥‥あんな小僧に不覚を取るとは思えねぇ。もしやべぇってんなら、俺が直々にぶん殴ってやる」
 ‥‥過去がどうあれ、今は護るべきもんがある筈。それを選んだ筈なんだからな。
 憮然と思うそれは口には出さず長屋を出れば、突き刺す陽射しに一瞬目が眩む。
 額に手をかざして空を仰いでも、屋根や空に過ぎる影はなく。
 足早に、劫光は仲間の後へ続いた。

●討ち手の意地
「えぇと‥‥あった。これでやすかね」
 神楽の都へ出入りする門の、すぐ傍。
 小さな地蔵堂の裏を探していた小柄な影が、折りたたんだ紙を手に立ち上がった。
「用心深いというか、面倒なヤツだな。で、待ち合わせ場所はどこだ?」
 尋ねる仄へ伝助は紙を広げ、落ち合う場所を伝える。
「ゼロ側には教えないと約束するって、言っておいたんだが」
「完全に、信用されている訳ではない‥‥という事だな」
 祥の指摘も、当然といえば当然だった。
 仄はゼロと同じ長屋の住人であり、伝助も何度かゼロと行動を共にしている。
「こうして指定の場所に来たのを、どこかでこっそり見ている可能性もあるっす」
 軽く周囲を見回すが、神楽を出る者に来た者、道を行き来する旅人はそれなりに多く。
 蝉はうるさく鳴き、トンボは行ったり来たりを繰り返し、梢では鳥が羽根を休めている。
 そのどれかが、例えば陰陽師の放った『人魂』だったとしても、彼らには分からない。
「ま、行くか。暑いしな」
 切り出す仄に二人も異論はなく、紙に記された場所へと歩き出した。

 蝉の声を聞きながら、雑木林の端に沿った道を進む。
「果し合いの場所から、そう遠くないな」
 辺りの風景を見ながら、草を踏んで祥が呟いた。
「指定の場所は、この先っす」
 やがて涼しげな水音が聞こえ、変わり映えのしない風景にそう広くもない川が加わる。
 その川原に、少年が一人で立っていた。
「伊之助、か?」
「そうだ。仇討ち、ちゃんと手伝ってくれるんだろうな」
 問う祥へ応じる返事はしっかりとして、幾らか薄汚れているが着物もちゃんと整っている。
 警戒の色を窺わせた伊之助は、雑木林や彼らの後ろへ視線を走らせた。
「あっしら三人の他には、誰もいないっす。伝言したとおり、果し合いの際にどう動くかを相談しに来やした」
 川原へ降りる三人を、じっと伊之助は見守る。
 警戒しているが、逃げる気はないようだ。
「果し合いの件、あっしは伊之助さんへの攻撃を防ぐ感じで動きやす。ですから、攻める方は伊之助さんが」
「それなら、俺が全面的にぶつかって隙を作るか。合図をしたら、攻撃を‥‥」
「待て待て。仕掛けるならむしろ、俺がやるぜ」
 提案をする伝助に祥は思案し、にやにやと仄が遮る。
「ゼロとは前々から、本気でやり合ってみたかったからな」
「いや、討ち手は伊之助だから‥‥」
「ああ。伊之助を狙ってくるなら、全力で防ぐ。大将首を取られる訳には、いかないからな。殺らせんよ」
「そこは、あっしが‥‥確かに、一人で守り切れるとは限らないっすけど」
 あれこれと話をする三人の様子を、しばらく見ていた伊之助だが。
「なんだ‥‥ちっとも、話になってないじゃあないか」
 失望したように背を向ける少年に気付き、急いで祥が後を追う。
「待て、話を聞きたい!」
 呼びかけても、伊之助はすたすたと歩を進め。
「本当に、仇討ちをする覚悟があるのか?」
 追いつき、歩調を合わせて問えば、少年の足が止まった。
「ある。だから、こうして神楽へ来た」
 じっと真っ直ぐ祥を見返す伊之助の即答に、伝助が言葉を選ぶように考え込む。
「お節介っすけども。伊之助さん、敵討ちのその先って考えてやす? 先の感じですと、貴方が人斬りの重みを抱えきれるのか心配でやして」
「今は‥‥余計な事を考えず、あいつを斬る事に専心するだけだ。斬って、俺は親父の無念を晴らす。この間だって‥‥!」
 ぐっと刀の柄を握った伊之助の手は、微かに震えていた。
「どうせ、真剣に慣れてないんだろ。刀を怖がってちゃ、斬る時も斬られる時も無様な動きしかできないからな。親父に剣くらい、習ったんだろ?」
 問いを投げられた伊之助は、にわかに敵意を顕わにして仄をキッと睨む。
「親父が殺されて、何もしてなかったと‥‥覚悟もなく、この刀もどうせ粋がった若造の飾りだって、馬鹿にしたいんだろ」
「いや、まぁ多少は使えるとしてもだ。万全の態勢なんて、その実力じゃ無駄だろ」
「だから助太刀を頼んだ。相手が志体持ちの二之若でも、仇を討つためにだ! それが志体のない者の無駄な足掻きだと可笑しく思うのなら、ずっと嘲笑っていろ‥‥ッ!」
 言い放つと、踵を返して少年は駆け出した。
「伊之助、話はまだ終わってない!」
 祥が名を呼んでも、伊之助は振り返らず。
 駆ければ追いつくのは簡単だっただろうが、何故かはばかられ。
 拒絶された開拓者三人は、遠ざかる背をただ見送った。

「これは‥‥しくじりやした、かね」
 残された伝助は、ぽつと苦く言葉を落とす。
「ヘトヘトになるくらいしごいた方が、余計な事を考えなくてマシになると思ったんだがな」
 やれやれと嘆息しながら仄が煙管を取り出し、伝助は首を傾げる。
「しごく‥‥っすか」
「こう、少しはマシになるよう、仇討ち前に実戦を学ばせようと思ったんだがな。殺気を込めた刃や流血を体感させた方が‥‥剣の腕が上がる訳じゃないが、生き延びる率は上げられるだろ」
「まぁ、ゼロさん相手でやすから‥‥分かるっすけど。あっしらは」
 二人の会話を聞きながら、祥は伊之助が駆け去った方向へ目を細めた。
「確かに、精神面が不安定には‥‥見えたな。惑う様ならば仇討ちは止めるよう、勧めるつもりではあったが‥‥」
 こうなっても、仇討ちを止める事はないだろうという予想は彼にも容易につく。
「やる事は、変わらんか。その方が有難い」
 どこか楽しげな表情から仄の『安堵』に気付いた祥は、携えた自分の槍へ目を向け、ぐるりと伝助が周囲を見回した。
「どの道、伊之助さんは『依頼人』ではないっすからね。けれど、神楽で一ヶ月近くゼロさんの事を聞き回って‥‥そのくせ情報屋を知らなかったんすよね、伊之助さん」
 先の事を、ふと伝助は思い出す。
 名を問われれば、隠しもせずに即座に名乗り。
 いきなりゼロを刺した時の動揺と、毒の一つも仕込まれていなかった合口。
 そして今、侮辱されたと思い込んだか、拒絶して去ってしまった背中。
「義務とは別に、ゼロさんに伊之助さんを討たせちゃいけないって気がするんすよね‥‥」
「面倒だが、伊之助の住処でも探ってみるか? 今からでも、目星がつくかもしれないが」
 走り去った方向へ仄は紫煙を吐くが、伝助は首を横に振る。
「今日は引きやしょう。相当に怒らせてしまったところへ、下手に周辺をうろついて、助力の件が切れるのも不味いっす」
 日を改めての調べが振るわなくても、果し合いの前に話をする事が出来ればいいのだが。
 ただ今は重い足取りで、三人は神楽へ引き返した。

●糸を辿り
「あれから深編笠の男はおろか、伊之助さんもパッタリと神楽へ姿を現さなくなっているようですね」
 一日をかけ、神楽のあちこちで地道に話を聞いて回った双伍が、その『成果』を仲間へ伝えた。
「以前に伊之助から話を聞かれた店の者にも、道行く人にも尋ねてみました。ですがそれらしい姿を、あの一件から全く見かけないそうです」
 あの一件とは、伊之助がゼロを刺した時の事だ。
 ゼロの本名を確かめる為、神楽を聞きまわっていたのだから当然と言えたが、逆にそれ以外の目的はなかったという裏付けにもなる。
 そしてそれは、深編笠の男についても同じだと言えた。
「うにぃ‥‥きっと伊之助さんは町外れとか、人目に付かない所にいると思うのです。かくれんぼみたいに」
「ああ、そうかもしれないね」
 無邪気な神楽の推察に、にっこり笑んで双伍も頷く。
 果たし状を送ってきた事も鑑みれば、伊之助の仇討ちは『次の段階』に入っているとみて問題ない。
「こっちは、開拓者ギルドで深編笠の男の話を聞いてきた」
 話を切り出す劫光に、那由多もこくりと首を縦に振った。
「薄気味が悪いというか、変な人で、受付の人も覚えていたよ」
 夕立の中、ずぶ濡れでやってきた深編笠の依頼人は塗れた状態もいとわず、口述する依頼内容を受付に書き取らせ、帰っていった。
 変わった依頼人だとは思ったが、変わり者を束ねる開拓者ギルド、印象に残った以上に奇妙な事はないという。
「その後、入れ違いでゼロが来たって」
「あら。それじゃあ、ゼロは見てるのね。でも、その時はお互い‥‥何もなかったの?」
 那由多が聞き集めた話に、ふとアグネスは疑問を覚えて劫光へ向き直る。
「そのようだ。深編笠はゼロの顔を知らず、ゼロもまた相手に覚えがない‥‥といったところか」
「3〜4年もあれば、多少は人相も変わるでしょう。それで、深編笠が気付かなかったとか?」
「あれ。でも変、だよな?」
 双伍の言葉に、ふっと那由多は違和感を覚えた。
「確かこの前、似たような話が‥‥」
 記憶を辿り、幾らか前に元婚約者から『天見基近』の名を呼ばれ、驚いて取り乱したゼロが盛大に神楽を逃げ回った事を思い出す。
「それって‥‥話を組み立て直せば、発端じゃないの?」
 思案していたアグネスが、それに気付いて顔を上げた。
 元婚約者が『天見基近』に気付き、逃げたゼロを開拓者達が追いかけて。
 その騒動を知った伊之助はゼロが『天見基近』か確かめようと、人々に聞いて回った。
 そしてゼロが伊之助と接触しようとして開拓者に協力を求め、結果として五人は今ここにいる。
「だけどゼロの話だと、天見の家では『天見基近』が存在しないって事に‥‥なってるのよね?」
「居ない人間を、誰かが表に引っ張り出したがっているのか」
 アグネスの疑問に、眉根をひそめて劫光が唸った。
「俺、ゼロに話を聞くよ」
 決意する那由多へアグネスが視線を向け、少し考えてから友人を見やる。
「無理に聞くのもね‥‥って思ってたけど、そうも言ってられないみたい。こっちは任せて、劫光」
「ではこちらは、深編笠をもう少し探りますか」
「にゃ、かくれんぼの伊之助さんも、探すね!」
 翌日の算段を確認する双伍に神楽が尻尾を揺らし、情報を交換すべく集った一同は分かれた。

●闇に沈みし夜
「ゼロ‥‥ちょっと、いいか?」
 声をかけて、那由多はがらりと戸を開け放つ。
 薄暗く感じる部屋の真ん中で、胡坐をかくゼロが顔を上げた。
「何か、分かったのか?」
 だが那由多の後から部屋へ上がる女性二人に気付き、喉の奥で低く呻く。
「あら、嫌だった?」
「そんなんじゃあねぇよ」
 冗談めかすアグネスへゼロは口を尖らせ、そんな二人の間にリーディアが座った。
「で、何の話だ?」
「四年前の話を、聞きに来た」
 単刀直入に那由多が用件を明かせば、相手の表情は少し曇らせる。
 だがそれでもと、なお那由多は膝を進めた。
「俺とは、直接関係ない因果だ。けどさ。ゼロがどう思っていようが、俺にとってお前は特別に大事な友達だ。俺、馬鹿だから果し合いとか因縁とかよくわかんねえけど、怪我してないか、へこんでないか‥‥心配したっていいだろ!」
「下手に巻込むだの何だの‥‥は、聞きたくない」
 胸に詰まっていたモヤモヤを、ひと息に那由多は吐露し、同意するように髪を揺らしたアグネスもまたゼロへ問いを投げる。
「最近の不穏な気配について、あんたが知ってる事‥‥それと、予想してる事。全部喋って頂戴、ゼロ」
「そうは、言われてもな」
 迷うように小さくこぼし、視線をさ迷わせる相手をアグネスは見据える。
「もう解ったでしょ。あんたが避けようとした処で皆も‥‥あたしも、勝手に関わるわ」
「何度も言っただろ。俺は‥‥勝手に行くからな」
 決意を伝える二人に、傍らの恋人を見やり。
「てめぇも聞きたいか?」
「ゼロさんが、本当に伊之助さんの仇なのか。故郷で、何があったのか‥‥知りたいです」
 頷いて真摯に返す瞳に、重い息をゼロは吐いた。

 四年前にあった、天見一族の『後継争い』。
 当時の当主がアヤカシに襲われて落命し、誰が後継者になるかで数多ヶ原は揺れた。
 最有力は長兄の基時と、次兄の基近。
 天見の家臣は二派に分かれ、もめたというが。
「下がそこまで引っくり返っていたなんて、俺は知らなかった。病弱でも、兄が継ぐべきと思っていたからな。親父が突然に死んだ事の方が‥‥あまりに大きくて、気付いた時には遅かった」
 本人達が状況を掴めぬまま『後任決定の儀』は迫り、兄と弟は相談した末、弟が数多ヶ原を出る決意をする。
 だが基近を連れ戻そうと、追っ手が放たれた。
 志体持ち一人に、志体の有無を問わず手練れが十人以上も。
「それが誰の命なのか、俺には分からない。あいつらは俺を連れ戻すんじゃあなく、本気で‥‥殺気を込めて刀を抜いた」
「伊之助の父親も、そこに?」
 那由多の疑問に、ゼロは大きく溜め息をつく。
「おそらくな。夜だったから顔は分からないし、俺も家臣の名と顔の全てを覚えてはいないが」
「『天見の二之若』って呼び名は?」
「位の低い家臣が使う、一種の『あだ名』だ。兄弟は多いし、名を直接に口にするのを避けたんだろう。だから、神楽で聞くとは思わず‥‥驚いた」
「さっき家臣が二派に分かれたって言ってたけど、追っ手がどっち派かは‥‥?」
 更に那由多は問いを重ねるが、力なく相手は首を横に振った。
「すまねぇが、それも俺には分からない。派閥自体が‥‥何で勝手に、兄上と俺とで対立する派閥なんか出来たのか、理解できねぇ」
 うな垂れて、ギリとゼロが歯噛みする。
 それがなければ自分は出奔する事もなく、追っ手は放たれず。伊之助の父親は生きて、仇討ちもなかったかもしれない、と。
「でもそれだと、俺がゼロと会えねぇだろ」
 むくれた顔で、那由多は友人の膝をてしと叩いた。
「ああ、その通りだぜ。それに、悔いても時は戻らない。それでも『もう居ない存在』をこの世から消したい奴は、いるらしいが」
 去年の暮れに仕掛けられた『一戦』は明らかにゼロを狙い、逆に邪魔をする動きもあった。
 そして花街の毒盛り騒動を発端とした一連の事に、今回の仇討ち。
「ゼロは全部が繋がってると、思ってるのね」
 用心深く確認するアグネスに、相手は首肯する。
「問題は誰が繋げているか‥‥名は浮かんでも、それがアヤカシと結びつかねぇ」
「誰よ、それ」
「言えねぇ」
「全部喋ってって、言ったわよね?」
「言いたくねぇんだ、天見の者だから」
 投げ捨てる様な返答に、詰め寄ったアグネスも言葉を飲んだ。
「俺の勘違いか、あるいは諦めて捨て置いてくれれば、いいんだけどなぁ」
 寂しげに苦笑して、俯いたままゼロは髪を掻く。
 重い沈黙に、ちりんと小さく風鈴が鳴った。
「‥‥頃合いだ、俺は仕度にかかる」
「ゼロ!」
 立ち上がろうとする友の膝へ、ぐっと那由多が手をつく。
「俺は‥‥大切な奴が目の前でしんどい想いしてるの、見てるだけなのは嫌なんだ。それに、伊之助がゼロにあんな目を向けてるのも辛い。頼むから‥‥自分の身体も心も、傷つけ過ぎないでやってくれよ」
「ありがとよ」
 いたわる那由多に軽くゼロはその肩を叩き、礼を告げた。

 仲間と合流する為、先に那由多とアグネスは野っ原へ向かう。
 残ったリーディアは、ポケットを探った手をゼロへ差し出した。
「ゼロさん。これ、もらって下さいな」
「ん?」
 手渡したのは、小さなお守り袋。
 癒しと幸運の願いを籠めて、緑の砂金水晶を入れた‥‥手作りのお守りだった。
「離れている時も、守ってくれますから」
「そっか。有難く、もらっとく」
 大事そうに懐へお守りをしまう仕草を、じっと彼女は見守り。
「じゃあ、さっさと終わらせてくるぜ」
 準備を終えたゼロは、いつもの様にニッと笑う。
「いってらっしゃいですよ。気をつけて‥‥」
 振り返らずに駆けて行く後ろ姿を、リーディアは手を振って見送った。

●真剣勝負
 見届け人と共に野っ原に現れた伊之助は、白装束をまとい、無口だった。
 先に来ていた助太刀の三人を一瞬だけ見るが、言葉を交わそうとする気配はない。
「話は、無理そうでやすね‥‥」
 こっそり伝助は嘆息し、呟きを誤魔化すように祥は手に馴染んだ双戟槍を軽く振った。
「伊之助もだが、ゼロを死なせるつもりはない‥‥しかし、互いに命を懸けねば危ういのも確かだな」
「下手に手加減しようって方が、危ないからな」
 腰に帯びた刀「嵐」の位置を、仄が確かめる。
「それで、他の連中の話は?」
「ここの果し合いの場に、仕掛けの類はないそうでやす。それから深編笠の男も伊之助さんも、あれから神楽には一切現れず‥‥伊之助さんの父上を斬ったのは、やはりゼロさんらしいと。ただ誰の指示なのかは、分からないそうで」
 早めにこの場へ来て仲間と接触した伝助が、分かった事を伝えた。
 その見守る仲間の数が足らないのは、何かを探るか仕掛けるか、するつもりなのだろう。
 ギャァギャァッと、鳥が鳴く声がして。
 空を仰げばあちらに一羽、こちらに二羽と、鴉のような黒い陰が雑木林の梢で羽根を休める。
「さて‥‥役者が揃ったぜ」
 仄の声に視線を戻せば、大股でゼロが歩いてきた。

「今日の対面は、亡き父の導き。ここで会ったが百年目‥‥天見基近、いざ尋常に、勝負せよッ!」
 対峙すれば、声を張った伊之助が刀を抜き放ち。
「応。やるからには、覚悟しやがれ‥‥そっちもな」
 向けられた切っ先からゼロは助太刀の三人へと視線を流し、無造作に宝珠刀を抜いた。
 そのまま、じりじりと摺り足で間合いを取りながら、両者は睨み合う。
 助太刀の三人はゼロの出方を窺い、ゼロはじっと伊之助を見据え。
 ピンと張った緊張感に、突き動かされるが如く。
「はあぁッ!!」
 気合いと共に、伊之助が動いた。
 正眼から一歩を踏んで突きこむ切っ先を、あっさり朱刀が弾き。
 一気に間合いを詰めた、赤い一閃を。
 ガキンッ! と。
 嵐と双戟槍が、鈍い音をたてて受け止める。
 二対一では押し込むのは不利と、即座に判じたか。
 すぐさま、ゼロは横へ跳ぶ。
 流すように足元へ払う刃を、祥が石突で跳ね上げ。
 その柄を、相手は左手で更に弾き上げ。
 こじ開けた隙へ、身を捻って刃を叩き込む。
 が、その切っ先は、金属の擦れるような耳障りな音に遮られた。
 咄嗟に伝助がかざした刀が、軌道を逸らし。
 届かぬと見るや、次の手は打たず。
 転がるように跳ね抜けて、ゼロは再び、距離を置いた。
 油断なく次を窺う目付きは、全くの手加減なしだ。
「‥‥デタラメだな」
 乱れた髪を背へ払い、トンと石突で地を突いてから、祥は双戟槍を構え直す。
「あいつは、いつもデタラメだ」
 どこか楽しげな仄も、再び刀を構えた。
「傷付けたくないとか、甘い事は考えてねぇようだな」
「残念だが、俺ぁ器用じゃあねぇ。邪魔するなら、共にヘシ折んぜ」
 その返事に、からからと仄が笑う。
「ゼロさんなら、本気でやりかねないのが‥‥なんとも」
 苦笑する伝助だが、伊之助の様子を窺えば顔から血の気が引いていた。
 だが彼らへの意地か、仇を討ちたい一心か。
 何度も柄を握り直しながらも、腰を落として低い体勢を取ったゼロへ刀を向ける。
「今度は、こっちから行くぜ!」
 気圧され気味な討ち手とは正反対に、仄が間合いを詰めた。
 殺気を込めて、仕掛けると見せかけ。
 迎撃する相手が前に出た次の瞬間、フッと軸をずらす。
 フェイントをかけられた相手は、体勢を崩し。
 白刃が衣を裂くと同時に、崩れた体勢のまま大きく足を払った。
「チッ‥‥!」
 直前に後ろへ跳んで、仄はそれを避け。
 間髪おかず、穂先を揺らす双戟槍が『葉擦』で仕掛ける。
 死角を突いた一撃だが、手ごたえは奇妙に浅く。
 手首を捻って引けば、ガッキと音を立て、朱刀の鞘が宙に飛んだ。
 その軌跡を追う、暇もあればこそ。
 跳ね上げる一閃の逆襲を、刃で弾き、凌ぎ切る。
 切り結んだ両者が離れた直後、とさんと鞘は草の上へ落ちた。
 当然、そこに伊之助が手を出す隙など、微塵もない。
 じりじりと間合いをはかり、互いに仕掛ける隙を窺う。
 その、異常なまでに張り詰めた静寂を。
 いつの間にか樹上に集まっていた鳥達の鳴き声が、打ち破った。

 両手を飾る鈴より、人には聞こえぬ楽を奏で。
 とんっと、アグネスは髪を躍らせて舞う。
 彼女が奏でた『怪の遠吠え』に、突如として雑木林で羽根を休めていた鴉のような鳥影が騒ぎ。
 楽か、鳴き声に気を取られたのかは分からぬが、離れて果し合いを眺める見届け人の注意がそれた。
 そこへ草むらから飛び出した小柄な影が、一気に迫る。
「えぇいッ!」
 背後から『瞬脚』でひと息に間合いを詰めた神楽は、その深編笠へ手を引っ掛けて。
 力いっぱい、弾き飛ばした。
「こぉ、の、小娘‥‥ッ!」
「小娘じゃあなくて、神楽は仔猫‥‥って、うにぃっ!」
 ザワッと一瞬、全身が総毛立ち。
 素早く後ろへ跳躍して間合いを取ったのは、泰拳士の勘か。
 笠の下にあったのは、人の頭ではなく。
 それは、灰色の短い毛に覆われた‥‥。
「‥‥猿!?」
「アヤカシの、化猿(マシラ)です!」
 息を飲んだ神楽に、双伍が駆け寄る。
 と同時に、樹上の鳥達が一斉に飛び立った。
「来るぞ!」
「ゼロ!」
 警戒していた劫光の知らせに、那由多は名を叫ぶ。
「ゼロ、アヤカシが‥‥ッ!」
 だが警告は、鳥の鳴き声にかき消され。
 真っ直ぐに急降下する黒い群れが、離れた五人を飲み込んだ。

 鳥の声に誰もが気を取られた、一瞬。
 伊之助だけは、地を蹴っていた。
 その真っ直ぐな殺気に、一点へ研ぎ澄まされた感覚が応じ。
「伊之助さん!」
 鮮血が、散った。
「目を隠せ!」
 何が起きたかを把握する暇もなく、仄が叫び。
 直後、鳥の群れが彼らを覆う。
 幾度も突き、引っかく浅い痛みが、無数に繰り返され。
 嵐のようなそれが去った後、討ち手と仇の刃が捉えていたのは、狙う相手ではなかった。
「伝! くそっ、大丈夫か祥も!」
 朱刀は伝助、白刃は祥へと突き立ち。
「急所じゃない」
 重く仄が息を吐き、顔をしかめて伝助も苦笑する。
「さすがに、痛いっすけど」
「すぐに手当てしてやる」
 仄が告げ、癒しの光が暗くなり始めた野っ原を照らした。
 一度の『閃癒』で治し切らぬ刀傷は、駆け寄った双伍と那由多が治癒符で補う。
「無茶をする」
「ゼロさんに斬らせらきっと、あっしが後悔しやすから」
 苦く呟くゼロに伝助が苦笑すれば、手当てする那由多がその髪はくしゃくしゃにした。
「なんで‥‥」
 自分の刃を遮った祥へ、伊之助は茫然とし。
「仇討ちした後の、虚しさは‥‥知ってるからな。した所で、何も得る事がない事も。仇討ちをした事に、後悔をしてる訳ではないが‥‥」
 溜め息混じりに、祥は髪をかき上げる。
 ‥‥ただ、己の力不足でまた親しい人を失うのは‥‥嫌だった。それだけだ、と。
「あの見届け人は、化猿だった。それでも続けるか? それこそ、家名に泥を塗るぞ」
 見下ろして劫光が明かせば、目を見開いたまま伊之助は顔を上げた。
「で、どうなった?」
「雑木林へ逃げたわ‥‥赤い顔隠しの布で顔を隠していたけれど、間違いなく化猿よ」
 アグネスの答えに、ゼロの表情が僅かに強張る。
「神楽のお父さんが、言ってました‥‥武術は心を写す鏡。心の痛みを知る者になれ、人の幸せの為に使え。間違った使い方は、自分に戻って来る。そして、やり直しは生きてる限りできる」
 ぺたんと二人の間に座った神楽が、それぞれの顔を交互に見つめた。
「刀は誰の為に、何の為に振るうのですか? お兄さん達やそのお父さんは斬った方も心が痛いって知らない、心なき武人じゃあないでしょ。なのにお兄さん達は逃げてる。心に嘘ついたらダメ。心ある武術は、どんなに迷っても心は真実を知ってる。
 それに、二人とも悪くない。原点の武天で、眠る真実を探る必要があると思うのです」
「‥‥そうだな」
 懸命に訴える少女の髪を、小さく笑ってゼロが撫でる。
「この仇討ち、白紙に戻す‥‥各々方には、申し訳ない」
 やっとそれだけを言うと、魂が抜けたように伊之助はがっくりと俯いた。