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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●謀策の行方 「ひ、控えろ! 開拓者の分際で、ここを何処と心得ている!」 廊下から聞こえた狼狽する声に、藤見櫓からの報告へ目を通していた桐里(きりさと)が手を止めた。 粗暴かつ大股の足音は静止を聞かず、近付いて来たかと思うと、勢いよく戸が開け放たれる。 氷沼の城内だというのに闖入者は泥と土埃に塗れた風体で、息も荒い。 「何用だ、開拓者」 書面に目を向けたまま桐里が問えば、見下ろすゼロは懐から取り出した懐紙を投げ寄越した。 「約定通り、依頼を果たしてきたぜ」 「ご苦労。ところで……」 言いかける言葉に、踵を返そうとした相手の動きが鈍る。 「相手の顔は、改めたのか?」 「知るかっ。言われた駕籠の客を斬ってきただけだ」 吐き捨てるような返事を残し、足音は遠ざかっていった。 「桐里殿……」 「気にするな。他言も無用だ、大事にする程の事でもない」 開けっ放しの戸から案じる若い侍をそういなし、板間に残された懐紙を取り上げる。 薄汚れた紙を広げれば、中からは黒い髪の束――切り落とされた髷(まげ)が現れた。 依頼を遂行した証左、討ち取った相手の首代わりといったところだろう。 ……だが。 『始末した筈の末成り(うらなり)が変わらず城勤めに出ているのは、どういう事だ!』 此隅へ出向している三根家の次男、秀和(ひでかず)に、命じられた件の首尾を伝えてから数日後。 風信機を介して桐里に与えられたのは、八つ当たりめいた激しい叱責だった。 秀和からの命は、『本国へ戻る天見元信(あまみ・もとのぶ)を道中で斬れ』というもの。それを成す為、剣の腕と天見家との確執を考え、討ち手にゼロを選んだのは兄の三根義久(みね・よしひさ)である。 当然、桐里はゼロへ手を下す相手の素性を伝えなかった。 指定の場所で、そこを通る駕籠に乗った相手を討つ。ただ、それだけだ。 風信機小屋を出ると、彼は深い息を一つ吐き。 「駕籠に身代わりを乗せたか、あるいは……いずれにしても、天見や開拓者に裏をかかれた事には相違ないな」 叱責を受けてなお眉一つ動かさなかった桐里の心情をあばくように、笠を目深に被った男が面白がる口調で呟いた。 「無明殿。いつ、氷沼城へ」 「義久様より、直々にお呼びがかかった故」 「左様でしたか」 「では、失礼する」 本丸御殿に向かう背へ一礼する桐里だが、胸に僅かながら奇妙な陰りが浮かんだ。 面識はあっても無明(むみょう)は未だ素性の知れぬ男であり、繋ぎをつける術は桐里も知らぬ。 用のある時に前後して居合わせたかの様に、もしくは待っていたように『偶然』現れるのだ。 (大殿様との面識はあるとはいえ、折りしも藤見櫓の兵を動かそうという大事な時に……得体の知れぬ者を) 懸念は間もなく、現実となった。 数多ヶ原との国境、藤見櫓に配した部隊の初戦を義久が指揮する予定が、急きょ取りやめになったのである。 乗り気だった義久にどんな心変わりがあったのか、桐里には分からない。 部隊の多くは領民からの徴兵であり、家臣でも限られた者しか知らぬ事であったため士気の低下は避けられたものの、三根家に仕える壮年の侍は一抹の不安を覚えていた。 ●遺恨の合戦場 ――藤見櫓の部隊に加わり、数多ヶ原を攻めよ。 それが、ゼロに科せられた『依頼』だった。 他の開拓者にも同じ依頼が出ているのか、彼には分からない。 氷沼を離れる事が出来ず、神楽の都にも長らく戻っていなかった。 理由は三根の動きと、無明を名乗る大アヤカシ『無貌餓衣』の存在だ。 「全く、面倒くせぇ話だぜ」 うめいて乱暴に髪を掻くゼロに、一人の浪人らしき男が赤い鬼の面を寄越した。 「なんだ、コレ?」 怪訝な表情で受け取るゼロに、自分の面をコツコツと拳で叩く。 「我らはこれを付けろと、三根の義久様からのお達しだとさ。領民や家臣と見分けるつもりなんだろうよ」 「ふぅん?」 渡された面をもてあそぶ様に裏表を返してみる様子を見てから、手渡した男はたむろする一団に戻った。 ゼロが加わるよう命ぜられたのは、浪人達で編成された隊だ。遊撃を目的とし、勝ち戦の後の略奪を目当てに志願した狼藉者の集団、とも言える。 「心配しなくても、『味方』を斬りはしねぇぜ」 見知った気配にゼロが目をやれば、そこには桐里がいた。 「開拓者を見張るのが役目だからな。お前の他に加わる者がいるか、定かでないが」 「強制はしないのか」 「わざわざ、裏切り者を飼う事もあるまい。三根の為に命を捨てる覚悟の上で妙な素振りをするなら、斬り捨てるまで」 「へっ。俺は三根の連中に命をくれてやる気なんぞ、これっぽっちもねぇけどな」 「安心しろ。お前は『特別待遇』だ」 「嬉しくねぇなぁ」 ぼやいて、べしべしと面を手に打ち付ける。 「これも、天見が三根の顔に泥を塗ったが為。彼奴らの自業自得と心得よ」 淡々とした桐里の言葉にゼロは手を止め、眉根を寄せた。 恥をかかせた報復なら、巨勢王も一度は三根家の侵攻を認めるだろう。 しかし二度は、おそらく許されない。それ以上の武力行使は戦の応酬となり、ひいては武天国内の秩序を乱す事となる。 (一度きりの戦で飯森がどこまで数多ヶ原を喰らうか、数多ヶ原が耐え忍んで反撃するか……てトコか。責めを受ける危険を承知で三根は以後の交戦も考えているのか、無明がそそのかす可能性もあるが) 戦場を前にいくら自問しても、答えは出ず。 出陣準備の伝令に鬼面をつける浪人達を眺め、ゼロは空を仰いだ。 時間は早朝、夜明け前。 秋晴れの天気は、このまま一日は続きそうだった。 過去の合戦から考えれば、飯森軍の策は数に任せて一気に数多ヶ原領内へ侵攻し、村落を襲って金品や人を略奪した上で田畑もろとも焼き払う、といった感じだろう。 天見家の配した守備隊はいるだろうが、それは浪人集団か三根家の侍達が対する事となる。 兵として集まった飯森の民の士気は高いが、完全に不安が消えた訳ではなく。 (飯森の民と数多ヶ原の民。どちらの民も出来るだけ傷つけず、コトを終わらせるのは……無理なのか) 身一つ、刀一本で出来る事は限られ、出来ぬ以上は鬼になるしかないかと。 手にした鬼の面を、ゼロは強く強く握り締め。 日の出を待たず、積年の血と因縁と怨恨が染み込んだ藤見櫓の地に出陣の太鼓が響いた。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
天青院 愛生(ib9800)
20歳・女・武
二式丸(ib9801)
16歳・男・武 |
■リプレイ本文 ●夜明け前 冷たさを帯びた藤見櫓を吹く夜風には、火薬やにかわ、鉄の匂いが混ざっている。 戦の準備で物々しい様相を眺める八嶋 双伍(ia2195)の笑みは、どこか陰りを帯びていた。 「始まりましたか……分かっていた事とはいえ、辛いですね」 「飯森と、数多ヶ原の長年の関係について。俺は口を挟める立場じゃ、ないし。始まってしまった戦を、一人の力でどうこうするのも不可能……だ」 それは重々承知している、と。凍てた瞳で二式丸(ib9801)が身の丈を越える六尺棍をぐっと握った。 「そうと解かっていながら、僕も二式丸さん達もこの場にいる訳です」 むしろ双伍としては、そちらの方が興味深いのだろう。 今回の藤見櫓での戦において、ゼロ以外の開拓者らに参戦の強要はなかった。今ここにいるのは、自らの選択で戦の先を見届けようと集った者達だ。 「できる事なら……今からでも打つ手があるならば、最も回避したい状況ではございますが。我らのみでは戦の流れを変えるのは難がございますれば、出来る範囲の事を致しましょう」 粛々と、だが凛として、天青院 愛生(ib9800)は西より吹く風に向かう。 「そうですね。今から戦を止めるのは難しいとしても、せめて被害は抑えられるように力を尽くしましょう」 双伍の言葉に、二式丸も首肯する。 「人同士の因縁に。大アヤカシが絡む、ことで。被害が拡大するのは、望まない、から」 戦が三根家の難癖によるものだけでなく、裏でアヤカシが糸を引いているなら。 三根家もまた、踊らされているのならば。 関知しながら見過ごすなぞ、なおさら出来なかった。 (少しでも渦中に……いて、動けるように、しておきたい) 二式丸にとって、それが自身に出来る最大限の大アヤカシへの『抵抗』だった。 「……ま、足掻けるだけ足掻いてみやしょうか」 心強い仲間達に、人知れず以心 伝助(ia9077)は左頬の十字傷に手をやる。 「ただ……一つ、心配事が」 珍しく物憂げに双伍が嘆息し、不思議そうに愛生が小首を傾げた。 「何か?」 「いえ。僕が張り切ると大抵、碌な事にならないのですが……」 「成る程……では、期待しております」 ふふっと、女武僧が小さく笑む。 「まぁ、頑張りますよ。ゼロさんと共に動かれるなら、御武運を祈っています」 被った緑の帽子のつばへ双伍は手をやり、夜闇に姿を消した。 表立って天見にはつかず、裏から三根の足を引っ張るつもりらしい。 「あっしは少し、桐里さんと話してきやす……気になる事がありやすから、戦が始まる前に」 次いで、告げた伝助の横顔は、いつになく緊張を帯び。 「お気をつけて」 声をかける愛生に伝助は軽く会釈をし、足早に本陣へと駆けていく。 「刃傷沙汰にならなければ、良いのですが」 彼女としては特に桐里へ何かを話す用もなく、同行しなかったが。 「皆で押しかけ……他の者から、不審がられたり。不用意に全員が警戒されるより、良いと思う」 淡々と返す二式丸にも、気がかりはある。 「今回の戦で指揮を取る者は、三根家の人間ではないという。数多ヶ原攻めが許されるのは……縁談を反故にした云々を持ち出すなら、一度きりのはず。重大な戦の士気上げ、三根家当主や、せめて恥をかかされた嫡男本人が、鼓舞に現れるのが筋……この考えは、おかしくないと思うのだが」 「久し振りの、数多ヶ原との『喧嘩』で御座いますしね」 打ち明ける二式丸の見方に、愛生も異論はなかった。 「一度きりの戦で、終わらせるつもりがない……のか、今回の戦場で別の何かを仕掛けるつもり、なのか」 「三根の方のゼロ殿への拘り様も、少々引っかかります。ここへきて、ゼロ殿と我らを別に扱った事。それに、この面……」 手にした赤い鬼の面を険しい表情で愛生が見つめる。 「愛生も、気になる?」 「はい。ゼロ殿がつける前に会わねば」 家臣でも領民でもない者達に渡された濃い赤の面は、不吉さを駆り立てていた。 藤見櫓に赴いた開拓者は、四人。 これまで共に関わってきた後の二人が何処にいるか分からないが、彼女らなりに戦を何とかしようと動いているだろう。 「人ならざる者の思惑通り事を運ばせるなど、以ての外(もってのほか)。三根家への助勢と取られるのは不本意ですが、領民の方々への恨みはございません」 「……ああ」 戦に備える飯森の領民達を遠く見ながら、二人の武僧は抗う策を密かに講じる。 例え結果が最善でなくとも、次善となるよう……。 ●忠言 「話とは、何だ」 篝火の下、対面した桐里は伝助に前置きの暇も与えず切り出した。 時が惜しいのは、ムシロに座す伝助も同じ。鞘に収まった忍刀「蝮」を自身の右側へ置いたまま、口を開く。 「戦の前に、桐里さんへお話がありやす。これらは全部あっしが目にした事実のみ、嘘偽りはございやせん」 そう断りを入れてから、彼は飯森であった事を簡潔に明かした。 まず飯森領にて、アヤカシと遭遇した事。 そのアヤカシは見た目には人と変わらず、風体は菅笠を被った侍の姿をしていた事。 加えて、その時に「三根の嫡男に挨拶でも」と口にした事。 「いつの話だ」 僅かに逡巡した伝助は、「先の領内護衛の折りに」と正直に返す。 「つまり義久様の近くにアヤカシがいると知って、お前達は見過ごしたと」 「はい。何せ相手は、簡単に手を出せぬ大妖でやしたから」 真偽を問いただす事はせず、今度は桐里の方が押し黙った。 「……それを俺に伝えて、何とする」 「何も。ただ、事実を伝えておくべきだと思っただけっす」 一礼をしてから伝助は傍らの忍刀を取り、腰を上げ。 「今、本当に戦うべき相手は一体誰なんでしょうね」 言い置いてから、桐里に背を向ける。 残った壮年の侍は身動きせぬまま目を閉じ、迫る出陣の時に甲冑を鳴らして立ち上がった。 「ゼロ殿、これを」 遅れて伝助が合流した浪人隊では、ゼロを見つけた愛生がこそりと鬼の面を渡していた。 「こりゃあ?」 「大妖が三根家に関わっている以上、何事にも用心し過ぎる事はないかと。聞けば、ゼロ殿は神楽にご家族も居られるとか。ならば尚更、無事に生還して頂きたく」 「……すまねぇな。気を遣わせちまって」 「着ける時は他の方々に気取られぬ様、ご注意を」 「浪人達にも、何もなければいいが」 二式丸も直に触れぬよう、さりげなく法衣の袖で面を持つ。 仲間達のやり取りに伝助は少し安堵し、気付いた二式丸は何事もなかった様子を見て、微かに会釈をした。 やがて夜も明けきらぬ藤見櫓に、出陣の太鼓が打ち鳴らされる。 「……いよいよ、ですか」 遠く太鼓の響きを聞きながら、双伍は片眼鏡の位置を正した。 先に国境の辺りを軽く巡り、地理は把握している。 夜のうち、数多ヶ原の側でも何やら動きがあったようだが、同じ時期に開拓者ギルドにあった依頼を思い返し、別の意味で安堵した。 ――後は飯森の側から、自身が出来る事をやるのみ。 濃紺と黒の外套の襟を合わせ、目立たぬよう陰陽師は丘の影へ身を隠す。 ●痩せ地行脚 「徒労に終わるかもしれないけど……もし何か分かれば、飯森の人達の暮らしが楽になるかも」 一縷の望みをかけた柚乃(ia0638)は、逗留していた氷沼から飯森領内の方々へと出来るだけ足を運んでいた。 田畑では女子供が干した藁を集め、土を分けて菜っ葉を籠へ入れている。去年の不作が尾を引いたか、今年も決して豊作とは言えないのだろう。 (今は収穫の時期を終え、次に備える大事な時で、無用な戦をしている場合ではないはず。三根家の数多ヶ原攻め理由は、体面を潰された事の他に……痩せた土地に起因するのかな。ならば、それを解決できたなら……) しかし「痩せた土地をどうとかする」と一口にいっても、難しい。 土地ごとに一年の気候、地形による陽や風の当たり方、土壌に灌漑(かんがい)など、様々な問題がある。また山に鉱山があれば、麓や川の下流域で作られる農作物が限られる土地もある。 「作物の選び方や方法、肥料でどうにかなる……という訳でも、ないみたい?」 何せ、自分達の生活がかかっている事だ。先祖代々、試行錯誤は絶え間なく続けられてきただろう。 途中で話を聞いた村人達は「土地も休ませなければ実りは減るが、農地の広さによって課せられた年貢も守らないとね」と、重い顔をし。牛馬の肥や堆肥を使うのは言うまでもなく、下肥(しもごえ)も「尻の数は限られているし、まず喰わねば出るものも出ないよ」と苦い笑いで返された。 「後は、田畑に向かない土を入れ替えるくらいでしょうか」 そんな途方もない方法は、精霊に頼んでも無理だ。 仮に人の手で行ったとしても時間がかかり、肥沃な土を何処から運び、荒れ土を何処へやるのか、問題も多い。 「でも、もし氷沼川の上流の土が肥沃なら……」 思案の末、柚乃は飯森領内を流れる氷沼川を遡ってみた。 流域に三根家のお膝元である氷沼の街があるだけに、両岸の土地は飯森でも恵まれている。 (もし、この川が氾濫すれば……この肥沃な土が下流にも渡って、少しでも農地が広がって……) 期待を込める柚乃は辺りを一望するも、野良仕事に精を出す領民の姿や集落が目に入るや、ぞくりと寒気を覚えた。 彼女がこうしているのは「戦は止めたいし、出来ずとも被害を最小限に抑えたい」という思いがあればこそ。 (だから飯森にも数多ヶ原にもつかず、この土地に住まう人々の明日の為に、尽力する所存で……) しかし土を押し流すような川の流れを、人が制御出来るのか。 丹精込めて育てた田畑や家屋が水に浸かり、流されれば、肥沃な土地を失った人々はどうなるのか。 加えて、川の氾濫が原因で流行り病など起これば、それこそ。 (この地に、怨嗟が満ちる) それではアヤカシの所業と、何も変わらない。 「無明……無貌餓衣もまた、他の大アヤカシのように……狙いは『滅び』なのでしょうか」 無明といえば、何故か瘴索結界で瘴気を感知できなかった事も気になる。 思案に行き詰まり、街道の立つ地蔵の傍らで柚乃が休んでいると。 「お嬢ちゃん、ひと休みかい。これでも食べて、元気をつけな」 通りがかった女が足を止め、粟の握り飯を押し付ける。 「いえ、柚乃は……」 「若い子が遠慮しなさんな」 女は土まみれで痩せた顔をほころばせ、しゃがんで地蔵に手を合わせた。 「ここからずっと西では、戦がおっ始まるそうだよ。道中、気をつけて」 集落の方へ歩いて行く後ろ姿を見送り、有難く柚乃は味の薄い粟飯を頬張る。 同じ頃、ジークリンデ(ib0258)もまた飯森の領内を歩き回っていた。 (戦に参加すれば、どちらの陣営につこうとも多くの人の命を奪う事になります。それは無貌餓衣の思う壺のように思いますし、ここは冷静にならなければなりませんね) 次の年に備えて稲藁を撒いた田の中を歩き、凶作に見舞われた村を訪ねては農作業に精を出す村人に声をかけ、あるいは家を訪れ。時に酒を振舞っては老人らの話に辛抱強く耳を傾け、違和感がなかったかを探る。 「虫による凶作は、特に珍しくもないんじゃ。雨が多ければ草木は根腐れするし、日照りが続けば立ち枯れる。食う物がなくなった虫は稲や作物を食い荒らし、病を起こす」 「急に作物が枯れるといった、特異な状況はなかったのですね。アヤカシが多く出た、といった話は?」 「この辺りでは、聞かなんだのぅ」 「化かされた人や、瘴気にあてられた人の話もありませんでしたねぇ」 「つまり、凶作の主因はアヤカシではない……」 ジークリンデが懸念していたのは、それだ。 飯森の凶作は、単に不運がもたらしたものか。それともアヤカシが関与して、もたらされたのか。 かつて生成姫は瘴気の種を使い、大地を穢した。 もし飯森に潜む無貌餓衣のしもべが同じ手を使ったなら、それらを追い詰める事で大妖の企てを阻止し、同時に飯森の困窮を救う事が出来るかもしれない。 アヤカシの仕業でないと判れば、それも一つの成果だ。 田畑を巡って目を凝らし注意を払い、『ムスタシュィル』の結界で動くモノの気配を調べても、奇怪な虫や瘴気を纏う存在はない。また人々の話を総合すると、虫害は飯森の西から発生し、南北と東に拡大していったと推測される。 地道に領内を調べたジークリンデは、やがて一つの結論を出した。 すなわち、飯森の凶作はアヤカシの策略によるものではない――と。 ●謀計 「「「おおぉぉぉぉぉぉーっ!!」」」 戦場に、幾多の雄叫びが巻き起こる。 味方や自身を鼓舞する叫び。怒りや威嚇、あるいは歓喜。恐怖の否定や、本人にも意味の分からぬ慟哭。 様々な感情が渦巻くのを聞きながら、それらの進む方向に双伍は漆黒の符を放ち、布陣を予想しながら要所に罠の式を打つ。 しばらく効果を表す『地縛霊』は、上手くいけば飯森軍の進攻を遅らせるだろう。 次に、飯森軍を指揮する大将……居場所の手がかりとなる旗を目指し、密かに彼は移動を開始する。 大将を討つのが、目的ではない。 それは数多ヶ原軍の誰かの役目であり、彼はあくまで事を成しやすいよう『手助け』をするのみ。 装備を劣化させる『錆壊符』の式を脳裏に描き、乱戦の中でただ好機を待つ――。 戦場の一角で、愉悦の嘲笑が狂気のそれに変わった。 鬼面をつけた浪人隊の一部が、突如として敵味方を問わず刀を振るう。 「伝助、愛生ッ!」 最初に気付き、警告を発したのは二式丸。 同時に、伝助の視界が砕かれた。 重ねたもふら面は粉々となり、落ちた鬼面は浪人に踏み砕かれて地に消える。 咄嗟に愛生も白狼の面に被せた鬼面を打ち捨て、脇より奔る狂刃を儀礼用の薙刀で弾いた。 束ねた青い長髪が流れ、別の方向から突き込む切っ先をツツジの文様が刻まれた柄で受け流す。 「杞憂で終わればと祈っておりましたが……案の定、ですか」 「胸糞の悪くなるやり方っす」 言葉と裏腹に伝助は眉一つ動かさず、投じる漆黒の苦無が赤い鬼面を割り。 追う二投目が名の通り、『獄』へ哀れな犠牲者を導く。 そして先を往くゼロは振り向かず、上段より仕掛ける鬼面の男を無造作に、一刀を以って斬って捨てた。 「桐里さん!」 懸念していた伝助が見やれば、惑う表情ながら桐里も鬼面と切り結ぶ。 敵味方なく襲う鬼面に前線は混乱し、そこへ数多ヶ原側から火の手が上がった。 ますます戦況が混迷を極める中、必死の形相をした伝令が桐里へ駆け寄り、大将首が討たれた事を報せる。 「これ以上の戦いは、無意味だ」 諭す様に、二式丸が桐里を促した。 各自の判断で離脱も出来るが、あえて開拓者達は彼に迫り。 迷う時間は短く、桐里は四人へ「生きて離脱せよ」との命を下す。 同じ頃、氷沼でも混乱が起きていた。 城前での人だかりに、柚乃やジークリンデが足を止めて振り仰げば。 櫓より高々と、槍に刺された首級が晒されている。 ――それは三根家当主、秀久の首だった。 |