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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●接触〜八月 残暑の熱気が、一気に冷えたような気がした。 何とも言えぬ『とてつもなく嫌な感じ』が四肢を這い回り、菅笠の男を睨みながらゼロは奥歯をギリと噛み締める。 「睨むな。お前の父も兄も喰ったのは、我にあらず」 殺気を込めた視線を毛先ほども気にする様子はなく、相手は涼しげに告げた。 「人の子の成長というものは侮りがたくもあるが、げに面白きものよな。 かの『炎羅』が討たれた事、忘れてはおらぬ。 あの時に集うた開拓者どもは、七百余り。炎羅の周囲においては、五百と幾らか。数百もの開拓者が集まれば、大アヤカシといえど危うい事をアヤカシは知った。 あれから人の世の流れが変わり、それぞれに隔絶された地が繋がり、この地へ来る者が増えた。一方で弓弦童子を始めとする幾らかの大アヤカシが、更に失せた。 時を経て、着々と力を付けておれば尚の事。 長きに渡り、この地を見てきたが……ここ数年の人の子は、目をみはる何かを有している。 さて、何が汝らにそうさせるのか」 面白がるように、そして値踏みをするように男は様々な感情を浮かべた開拓者達の顔を眺め。 前触れもなく、ふと問うた。 「汝ら、我が名代となる気はないか?」 示す手にある赤い布が、風もないのに揺れる。 「名代と言うても、我は強制なぞせぬ。 我が意を汲み、世に不和をもたらすのであれば、如何に動くのは己が判断……幾らかの弱きアヤカシは強い者へ傅く(かしずく)であろうが、それを使うも捻るもまた自由ぞ。 知や力を試す暇つぶしには、良かろう?」 面白そうに一同を誘う笠の下で、大きく口の端が裂けた。 「では、我は三根の嫡男に挨拶でもしてこよう。心配せずとも、今は手を出さぬ」 言い置いた菅笠の男が駕籠の方へ向かえば、途中で気付いた桐里が「無明殿」と声をかける。 その姿が見えなくなるまでゼロはほとんど口を開かず、じっと大妖と呼ばれるモノを睨んでいた。 やっとその場が開拓者だけになると、刀の柄にすら触れなかった自分の手を険しい表情で睨み、ようやく口を動かす。 「そいつを、その赤い布を俺に寄越せ……てめぇらにしがらみのねぇよう、全部叩っ斬ってやるから」 しぼり出す言葉は色を失い、酷く乾いていた。 ●戦支度〜九月 九月に入って数日を過ぎた頃、飯森領にある全ての村に三根家より御触書(おふれがき)が張り出された。内容は『近々、数多ヶ原から攻め込むため、男は藤見櫓(ふじみやぐら)近郊の村へ集まるように』というものだ。 「秋の刈り入れの時期も近いというのに人を出せとは、お殿様も無体をおっしゃる」 「それは数多ヶ原も同じ事さ。戦(いくさ)なら、致し方あるまい」 「飯森の殿様の顔へ泥を塗ったは、数多ヶ原の若造どもじゃ。ちぃとこらしめ、道理を教えてやるが是というものじゃろう」 「見事打ち勝てば、今年の年貢は軽くして下さるそうだ」 「それどころか最初に村へ攻め入った者は、無抵抗の者を殺めぬ限り、好きにして良いとのお達しだろ」 「手柄を立てれば、御目をかけて下さるかもしれんな」 「初戦を率いるのは、やはり跡取りの義久様か。あるいは秀久様自らが、打って出なさるか」 「いずれにしても、楽しみじゃのう」 御触書を見た者達は、老いも若いも様々な憶測をかわし、噂話で持ちきりとなった。 確かに国同士が争えば、少なくない死人が出るだろう。だが相手がアヤカシではなく同じ人間なら、斬られるより先に斬ってしまえばいいのだ。 百姓や炭鉱掘りも、武器を取れば一人の兵(つわもの)。そして何より、武天の者は血の気が多い。 名を上げれば、家臣としての取り立ても夢ではないと、多くの男達と男勝りの女達は千載一遇の機会に息巻いた。 「領民の集まり具合は、順調なようです」 「兵も布陣に備え、今朝方に氷沼を出立致しました」 「ふむ。万事、滞りなく進んでおるようだな」 氷沼城では、家臣からの報告を受けた三根秀久(みね・ひでひさ)が満足げに頷いていた。 「機先を制する為にも、まず初戦が肝要よ。ここは一つ、お前が率いてみるか義久?」 「私の采配など、父上の足元にも及びませぬ。しかし、直々の命とあれば」 声をかけられた三根義久(みね・よしひさ)は、改まって頭を下げる。 そんな戦を前にした熱気と緊張の張り詰めた場へ、引きつったで一人の家臣が駆け込んできた。 「恐れながら、申し上げます。北の萩野村より、鉱山でアヤカシが出たという報が届きました!」 床に平伏した家臣からの報告に、喜色満面だった三根の顔が見る間に不機嫌なものとなる。 「アヤカシどもめ、水を差してくれる。だがここで、アヤカシ如きに人を割く訳にもいかぬ」 「ならば、開拓者を使えば良いのです。飯森の大事を前にして、かような細事にわずらわされる事はありませぬ」 息子の進言に「ふむ」と三根は重々しく唸り、伏した家臣をじろりと見やった。 「かといって、戦支度を他に悟られる訳にはいかぬ。桐里に命じ、先日の開拓者どもと繋ぎをつけよ」 「ははっ!」 家臣は頭を床に擦り付け、弾かれたように立ち上がる。 それを見ていた義久は何かを思い出したように謁見の間から中座し、廊下を急ぐ家臣を呼び止めた。 「桐里に告げよ。件の開拓者には、先のアヤカシ討伐とは別にやってもらいたい事がある故、こちらに顔を出せとな」 「畏まりました」 深々と一礼をする家臣に頷き、義久は踵を返す。 僅かに押さえた懐には、昼に受け取った文が一通。 そこには、此隅にいる弟の秀和(ひでかず)より風信術で届いた火急の報がしたためられていた。 「お城からの返事は、どうでした?」 地味で質素な着物を着た村の女が、不安げな表情で村長へ詰め寄る。 「開拓者を寄越すから、しばし待て……との事だ」 「しばしって、いつですっ」 「お城の討伐隊は、こないのですか?」 「うちの人、まだ鉱山から戻ってないんです!」 口々に問い詰める女達は、鉱山で働く男達の妻だ。 廃坑の一本にアヤカシが入り込むのを見たという知らせを受け、働いていた鉱夫達はすぐに坑道から避難した。 その後は、鉱夫数人が交代で廃坑を見張っている。 「数多ヶ原との戦が近いからな。こちらまで、手を回せないのだろう。神楽から開拓者が来るなら、三日か四日はかかる。それまでは決して、アヤカシの動きから目を離してはならん」 こらえてくれと女達をなだめ、開拓者達の早い到着を願いながら村長は重い息を吐いた。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
八嶋 双伍(ia2195)
23歳・男・陰
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
ジークリンデ(ib0258)
20歳・女・魔
天青院 愛生(ib9800)
20歳・女・武
二式丸(ib9801)
16歳・男・武 |
■リプレイ本文 ●大妖は嗤う 人の形をした不穏を囲んだ開拓者は、用心深く距離を置いていた。 その真ん中で深く菅笠を被った男は身構える様子もなく、問う。 汝ら、我が名代となる気はないか――と。 「はぁ……無名衆……ですか。話には聞いておりましたが、これはまた随分と偉い方がお出でになったものです」 八嶋 双伍(ia2195)は頭を振り、前夜の話が二式丸(ib9801)の脳裏に蘇る。 (……大アヤカシと、直に顔を合わせて話す、なんて、一生ないと、思ってた、けど) 両の拳を握り、腹を据えた二式丸は口を開いた。 「その前に、聞きたい。人の身で、無名衆である者は、何人いる?」 「さて。数など、些末な事だからな」 返事をする男をゼロが睨み、それを以心 伝助(ia9077)はちらと見た。 「さっきの話……彼の父兄を喰らったのが貴方じゃないとしたら、誰っすか」 「数多ヶ原で虫の類のアヤカシが息を殺している事、汝らも察しているのだろう? ただの節穴ではなさげだからな」 「それは、どうも」 伝助は伏せたが、相手は原因が蟲袋と知っているらしい。他に名も出ず、ゼロの父も同じと推測できた。 「何故、数多ヶ原……この地に干渉するのですか?」 動揺を隠して、柚乃(ia0638)が問う。 「そうですね。不和を撒くなら、他にも面白い場所はあると思いますが。ゼロさんをからかうのが楽しいのですか?」 逆に双伍は普段と変わらぬ口ぶりで、ふと思いついた疑問を重ねた。 「確かに面白くはある。この者だけでなく、周囲にいる者も含めてな」 ニィッと、笠の下で嗤う気配。 「名代の某(なにがし)かが動く理由は、その者の勝手よ」 それは、先の「如何に動くのは己が判断」という言に通じる。 「では飯森の三根家とは、付き合いがあるのですか」 静かに緊張をまとう天青院 愛生(ib9800)が、聞いた。 最初の護衛で倒した鬼は赤い布をつけ、その時から菅笠の男の姿はあった。 この場にも現れた事を『偶然』で片付けるのは、論外だ。 「強い獣も衰えれば、弱い獣から狙われよう。くずぶった因縁の火種、再び炎が熾きるのは必定と思わぬか」 「弱った天見家に、三根家をけしかける魂胆ですか」 「さぁな。名代となれば、分かるやも知れぬぞ」 更に追求する愛生へ、そう男はうそぶく。 選択を迫る気配に、ジークリンデ(ib0258)が訊ねた。 「もう一つだけ、よろしいでしょうか。大妖を大妖たらしめている『護大』とは、何ですか?」 「では汝らは、汝らを汝らたらしめている『志体』が何か、知っているか?」 問いに対して返されたのは、問い。 意識せず生まれ持ったモノを、改めて『何か』と問う……まるで禅問答のようだと、二式丸は眉根を寄せた。 「その答えを持ち合わせていませんが、これだけは言えます。 開拓者が大妖すら屠るに至る力は。 決して、誰かに魂を売って得られるモノではありません」 「その言葉、否と取って構わぬな」 「勿論」 ジークリンデは即答し、菅笠の男は柚乃を見やる。 直に目は見えないが笠越しの視線は感じ取られ、背筋がぞくりと冷えた。 「私も、お断りします」 興味がないといえば嘘になるが、それでも拒絶の声は明瞭かつ強く。 「世に不和をもたらす、ことを。暇つぶし、とのたまう、輩に。 ――従うつもりは、毛頭ない」 じっと睨み返しながら、二式丸もまたきっぱりと断った。 精霊と共に在る、武僧の一人として。 何より、過去に選択を間違えて、かけがえのないモノを根こそぎ失った身として。 「そこまで。堕ちた覚えは、ない」 もう……道を違えぬ為に。 「お誘いを頂けた事については光栄に思いますが、現在は学業を優先しておりますのでそんな副業やっている暇がありません。申し訳ありませんが、その赤い布は受け取れませんので持って帰って下さい」 あくまで慇懃に返すのは、双伍だ。 「まぁ……陰陽寮の事が無くても、ご期待には添えられないと思いますが。 なにせ、僕は『めでたしめでたし』で終わる話が好きなもので」 笑みを崩さぬまま、一切の未練を窺わせずに切り捨てる。 残る愛生と伝助もまた、受諾せず。 「それは残念。だが……気が変われば、それを取るがいい」 そうして「三根の嫡男に挨拶でも」と、男は踵を返した――開拓者の足元に、赤い布を残したまま。 「何も、厄介な物を置いていかなくても」 「心配ない。てめぇらにしがらみのねぇよう、全部叩っ斬ってやる」 双伍が呆れ、ようやく言葉を発したゼロは宝珠刀を抜いた。 「受け取ることで見えるコトもあるのでは、とも考えたのですが……戻れる保証も、ないですしね」 困惑顔で柚乃が笑み、こくりと二式丸も首肯する。 「……頼んだ」 だが、伝助は刀と布を見比べ。 「ゼロさんにも聞きたいっす。『宝珠刀で赤布を斬る』事に、何か意味ってありやす?」 「分からねぇ。ただ、そうしてきただけだ」 「なら、これはあっしが処分しやす。誘いを受けたのはあっしですから……この手で、自分の意志で決別したいっす」 「承知した」 ゼロも無理に止めず、忍刀「蝮」を伝助が抜く。 「私も、確かめたい事がありますので」 同じく辞退する愛生は携えた精霊薙刀「花躑躅」をくるりと回し、布へ向けた穂先へ意識を凝らし。 「そうですね。無理だった時は、お願いします」 布から距離を取ったジークリンデも、魔術『ララド=メ・デリタ』の呪文を紡いだ。 いずれの方法でも布は塵と化し、ゼロが残りを断ち斬る。 一方、無貌餓衣……桐里に『無明』と呼ばれた男は言葉通り挨拶のみで、姿を消していた。 「今更っすけど、ゼロさん。その宝珠刀、銘とかあるんすか?」 道へ戻る途中で、不意に伝助が訊ねる。 「いや。親父に貰った刀だから細かい事は知らねぇし、気にした事もねぇぜ」 「そうっすか。元が一つの宝珠なら、相当大きな物っすよね」 「あ〜、確かにな。どれだけの値打ちモンだったのやら」 「ゼロは……金銭感覚、鈍いんだな」 「ええ、かなり鈍いと思われます」 意見の一致をみた武僧二人に、「うっせぇ」とゼロは口を尖らせ。 普段の空気が戻ってきた気がして、柚乃の肩からやっと力が抜けた。 「何時の時代から生きるのかも、気になったのですけど。大アヤカシはまるで、出現した時代を写しているようですね」 「それはなかなか、興味深い意見かもしれません」 野っ原を柚乃は振り返り、ふむと双伍が感心する。 「ゼロ殿。話しておきたい事があります」 そう前置きをして、愛生は胸に収めていた事を切り出した。 「以前の護衛で鬼アヤカシが出た時、私は彼の者の容貌を目に致しました。しかし一瞬の事、思い違いかとも考えましたが……いま思い返せば、相違なく。ただ、その時はゼロ殿の様子が平常とは違った事。そして不明な点が多過ぎた為に、今まで事情を伏せておりました」 「そっか。話してくれて、ありがとよ」 「叱責はしないのですか」 「相手が相手だし、知っていたら妙に勘ぐって、下手を打った可能性もある。それに伏せた方が賢明と愛生が判断したなら、それでいいんじゃねぇか?」 ゼロは笑い飛ばすが、愛生の顔色は優れず。 「人に紛れるは人の心に怨みの種を蒔いているのでありましょうか。戦が起これば、無貌餓衣の思う壺。三根の方々も彼の者の手の上で踊らされているのかと思うと不安でございますね」 懸念はあれど残る道程は何事もなく、一行は氷沼へ戻った。 ●討伐 「ゼロさん、来てないんですね。大丈夫でしょうか……何か、無茶をしていないといいのですけど……」 揃った顔ぶれに、柚乃が不安げな表情をした。 水銀霊討伐に集ったのは五人、伝助は来ぬ旨を伝えてきたがゼロの不在は謎だ。 「桐里殿は来られていないのか」 萩野村に着くと、愛生は開口一番に訊ねる。 「お城からは、どなたも。皆様は開拓者です?」 「はい。件のアヤカシは?」 出迎えた村人は双伍の笑みに力づけられたのか安堵し、鉱山の入り口に案内した。 途上、道ばたや家々から心配げな村人が見送る。 坑道に入ると愛生は足を止め、合掌して四人へ頭を下げた。 「では、私はここで待機致します。お気をつけて」 それは、不測の事態に備えての判断だ。 (武僧として、人を疑うは心苦しいのですが……助けを求めてきた彼らすらも、何をなすかわからぬ所。用心に用心を重ねなくては) 奥へ進む四人を見送り、内と外の両方に愛生は注意を払う。 「開拓者がきたぞ!」 坑道の奥、材木や板で作った防壁の傍には頭や腕に包帯を巻いた数人の鉱夫がいた。 「アヤカシは奥です?」 訊ねる柚乃に鉱夫は首肯し、闇の先へ視線を向けた。 「倒すのは無理だが、何とか廃坑に封じ込めるくらいは、な」 「……ありがとう。後は、俺達がやるから、退避して、手当てを」 二式丸が促しても彼らは動かず、年配の鉱夫はフンと鼻息を荒くする。 「皆、女房や子供が待つ村に近付けたくねぇのさ」 「自分が、危険でも……か」 「では、手早く片付けた方がいいですね」 にこりと双伍が笑み、案内役と別れて防壁の奥へ進む。 手にした松明からジークリンデが鞠に火を移し、奥へと転がす。 しかし転がる鞠は、坑道の途中で止まった。 「必ずしも、下に向けて掘っている訳ではなさそうですね。もしアヤカシが敵と捉えたなら、位置や攻撃方法の参考にするつもりだったのですが」 加えて松明の炎は大きく揺らがず、風の流れも悪い。アヤカシを閉じ込めた場所、風を取り込む立坑などないのだろう。 柚乃の瘴索結界「念」を頼りに勾配のある手掘りの穴を注意深く進めば。 突如、坑道の奥からけたたましい女の笑い声が鳴り響いた。 カン高い耳障りな笑いは坑道に反響し、誰もが顔をしかめる。 しかし、それは合図に過ぎない。 ジグザグに不規則な雷撃が、同時に岩壁を這って迫る。 「気をつけて!」 柚乃が警告した直後、視界を黒い壁が塞いだ。 すんでのところで雷撃は式の壁に遮られ、開拓者までは及ばず。 「アヤカシの場所は?」 確かめるジークリンデに、柚乃は首を左右に振る。 「まだです。瘴気を感じ取れる範囲より、遠くから攻撃してきたみたいですね」 「となると、『ララド=メ・デリタ』も届く確証はありませんか。無闇に坑道を削っては、落盤の危険もありますし」 瘴索結界よりも幾らか射程は長いが、あの雷撃の方が更に遠くから届く可能性もある。 「でも……奥にいるのは、確かだ」 松明を置いた二式丸は六尺棍「鬼砕」を握り、紫の瞳で仲間を見つめた。 「……そうですね」 小さく柚乃が歌を紡げば、首飾りの聖鈴がチリチリンと淡く鳴る。 ゆるりとした拍子の歌に揺り起された精霊は、しばしの間だけ雷撃などに耐える力を仲間に分けてくれる筈だ。 「感謝、する」 「笑い声に、気をつけて下さい」 双伍が壁を消した途端、二式丸は地を蹴った。 身の危険を顧みず一気に駆け、再び坑道に雷が奔る。 笑い声は、ない。 一瞬だけ放射状に広がる雷撃の源に向け、六尺棍を撃ち込むも、手応えは堅く。 「行きなさい、蛇神!」 後方より双伍が呪殺符「常夜」を放ち、巨大な蛇がアヤカシに牙を剥いた。 「そこです、天井の亀裂……!」 柚乃が示す先と、『蛇神』の式が狙う場所は同じ。 そこより、銀色の軟体が天井から壁を張った。 「逃がしません」 再び双伍が『結界呪符「黒」』の式を打ったのは、坑道の奥側。 逃げ道を塞ぎ、隠れる場所をアヤカシから奪う。 「これで……!」 式の壁を伝う水銀霊に好機とみて、紡いでいた『ララド=メ・デリタ』をジークリンデが解き放つも。 自在に身体を変形させるアヤカシは、身体を平たく『伸ばした』。 甲高い音と共に灰色の球体は水銀霊と壁を削ぐが全てを飲み込めず、残った軟体も開いた穴から逃れる。 しかし双伍が式を送還し、銀色のアヤカシは床に張った黒い壁に落ちた。 「……これでっ」 精霊の幻影を宿した六尺棍を、二式丸が打ち込む。 悪あがきか、嘲笑と雷撃が再び身を焦がすも。 「宝蔵院棒術……覚開断ッ!」 怯まず素早く棍を繰り出し、叩きつけられた水銀霊が飛び散った。 「欺けませんよ」 すかさず双伍は『蛇神』を飛ばし、ジークリンデが『ララド=メ・デリタ』を放ち、残骸の一片として逃れるアヤカシを完全に削り取る。 「……消えました。もう大丈夫です」 見守る柚乃の言葉が、ほっとして告げた。 負傷した鉱夫達と外に出れば、すぐ武僧二人は怪我人の手当てを始める。 満足に手当てできぬまま日数が経っているのもあって、傷が深い者が多く、それを見る間に癒す術に鉱夫と家族らは手を合わせて有り難がった。 「でもアヤカシが出て、幸いだったかもしれんなぁ」 村長のこぼした呟きに愛生が首を傾げる。 「それは、どのような意味で?」 「怪我人なら、戦も行かずに済みますからな」 「いくさ……」 それを聞く二式丸は、不安げに西の空を仰いだ。 ●進言 「申し訳ないですが、今回は先約があるので」 同じ頃。秘しての連絡にそう返答した伝助は、独り数多ヶ原へ足を運んでいた。 尾行や見張りがないか警戒しての道中は何事もなく、天見屋敷にて天見元重との対面を願い出る。 突然の客人ながら伝助は客間へ通され、程なく現れた元重に用件を明かした。 「実は先日、飯森で無貌餓衣と合いやした」 途端、元重の表情が強張る。 「真か」 「違いありやせん。菅笠を被った侍姿で『無明』を名乗り、三根家に接触して、何か暗躍をしていると思うっす。 またこのところ、ゼロさんを含む数名が飯森からの依頼で名指しされてやす。それらをお伝えしたく、参上致しやした」 「そうか。大儀であったな」 「それと失礼かも知れやせんが、飯森の状況について天見はどれだけご存知で?」 「詳しい内情までは、な。農作物は去年は続いて振るわず、採掘も合戦続きで相場は高めながら、石や砂鉄を売るのみの飯森では期待もできんだろう。此隅でも何かあったのか、元信が帰郷の途上だ」 「なるほど。ここからは、あっしの推測ですが」 念押しをした上で、伝助は声を落とした。 「飯森の凶作続きと、縁談の破談。この二つによって、戦が起きる懸念がありやす。ここに来る前にもアヤカシ退治の依頼がありやしたが討伐隊を動かさず、到着に三日四日かかる開拓者を呼んだのも、些か不審。 ……杞憂ならいいんすが、打てる手があれば打った方がいいかも知れないっす」 「打てる手、か。民の困窮は気がかりなれど相手は気位の高い三根、今は国境の見張りを増やそう。そちらも三根との関わりを続けるなら、無理をするな。それから私的な話だが……天見に仕える気はないか、以心?」 「……へ?」 「気がなければ、戯れ言と聞き流してくれ。あいつも怒りそうだしな」 申し訳なさげに当主後見役は苦笑い、知らずと伝助は頬の傷をなぞる。 それより、数日後。 早馬で『飯森の軍が藤見櫓の国境を越えた』との報が天見屋敷に届いたのは、見張りを強化した矢先だった。 |