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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 彼は友人だった。 ずっとずっと、幼いころからの友人だった。 あまり友がおらずに、心配したこともあった。けれど子供にはたいそう懐かれていたし、彼自身、捨て子を拾って育てていた。自らの子でもないのに熱心に面倒を見る、そんな彼が誇らしかった。 けれど。 『頼む。お前しか頼れないんだ。絶対に返すから』 『けどなぁ、それを言って何度目だ? うちも余ってるわけじゃない。なぁ、迅。悪いことは言わないが‥‥、そろそろ、諦めろ。な。京助が助かる前に、そんなんじゃお前が死んじまう。食うもん着るもんみんな京助にやって。稼ぎはよくないんだろう?』 『紫藤。この通りだ。あの子を助けたい。頼む』 『‥‥迅』 玄関に額を擦り付けた友人。胸は痛むが、十河家とて無尽蔵に資金があるわけではない。むしろ、どこも余っていないのだ。足りないと騒ぐほどではないにしても。 『迅。元は捨て子だろう? 身体も弱い。お前がどうにかなってしまったら、京助は‥‥。 どんなに頑張っても、人は老いには勝てないだろう。だから、もう。諦めろ。諦めろよ』 『紫藤! よくなるんだ、京助は‥‥すこし、風邪を引いただけなんだ。栄養のつくもん食わせて、ちゃんと育てりゃきっとあいつも』 必死な友人。痛ましかった。ただ、だからといって家を傾けることはできない。 『やめよう。迅。平行線だ‥‥』 ため息をついた。不意に、手にした刀が重く感じる。そう。この刀一本で、京助は助かるかもしれない。 (けど、孝也が上に覚えられ始めて‥‥これからあいつも忙しくなるだろうなぁ。あいつに作ってやった刀だ) これは、どうしても息子にやりたかった。刀を持つ者として、かなうかぎりいいものを持たせてやりたかった。それが息子の命を支えるものだからこそ。 紫藤の意識が刀に向いたせいか。必死だった迅が、それに気づく。 『紫藤、それ‥‥?』 『ん‥‥ああ。孝也にな』 『‥‥匂霞に、そこで会ったんだ』 話せば迅は、なおもしつこく食い下がるだろう。わかっていても、この友人に嘘はつけなかった。まっすぐすぎた、男だから。 持っているのがなんだか億劫に思えてきた。友人の息子と自分の息子、天秤にかけている気さえする。玄関脇に立てかけた。 『‥‥なぁ、迅。俺も息子は大事だ。生きていてほしい。だから、いいもんをやりたい』 『そんな、危ない橋‥‥今渡ってんのか、孝也』 『いや。でも、なってもおかしくないだろう? こんな時勢だからな。 お前の気持ちはわかる。昔からお前、情、深いからな。 だが‥‥。いつまでも俺がこうして、面倒見てやんなきゃいけない男じゃないだろう? 孝也だってもう一人前に認められるところだ。俺がいなくなっても、十分やってけるだろうよ。お前だって本当はそうだ。京助はいい子だ。いい子だ。わかる。けどなぁ‥‥。もう、限界だろう。俺も、友としてお前に援助できる以上をしてしまった気がするよ。もっと前に、言ってあげれず悪かったなぁ』 迅の借金が、こんなにも膨れ上がる前に。 『‥‥』 立ち尽くす迅に、背を向けた。長年の合図だった。話は終わりだ、という。 ‥‥そう。終わり、だった。お互いに。 『っ‥‥!?』 胸に灼熱感。生える藤色の刃。 『がっ‥‥』 『どうしてっ‥‥!』 迅の痛切な声が響いた。 『ぎざ、まっ‥‥』 この刀は、孝也のものだ。 決して、そう、決して。 京助のためのものではない。 呪詛を吐きかけて、意識が途絶えた。 「かたな、‥‥、ここへ、くる‥‥きっと‥‥」 森の中で、女は告げる。浅い息の合間に、ひどく聞き取りづらい言葉。 「おね、がい」 荒れた手が、鉄色をしたそれを差し出した。鍵だった。 「ゆう、ぎり‥‥、かたな、を。 まちに‥‥ちかづけ、ないで‥‥、まだ、たおさないで‥‥おねがい‥‥」 依頼料は、馬車にあるから。そう言って。 「こうやに‥‥しって、ほしいの‥‥」 研師は願いを告げると、彼らが肯定も否定も返す間もなく――意識を失った。 遅くに帰った開拓者たちを出迎え、血まみれの研師に絶句し。医者を呼び、話を聞き。 「崖は長さがあるので、簡単には迂回できないでしょう。ゆっくり眠る時間はあります」 そう言う孝也のすすめで休眠をとった、翌朝。 孝也はいろいろな感情が内心に吹き荒れているらしく、なんとも形容しがたい表情で朝のあいさつをした。 「なおのことわけがわからなくなって来ましたが‥‥、研師の意識が戻れば、話も聞けるでしょう。峠さえ越えてくれれば、そのうち目を覚ますはずですが‥‥。本人の体力に任せるほかはないでしょうね。 アヤカシについては‥‥研師の望みを聞くのなら、森の奥にアヤカシを撒いてくる必要があると思います。 研師の意図がわからない以上、どうもためらうのですが‥‥」 まだいまいち研師を信用しきれないようで、彼の言葉は歯切れが悪かった。 「ああ、それと、馬車の中は念のため、先に検めさせて頂きました。細かくは調べていませんが、皆さんにお支払いする依頼料だけは充分あることを確認いたしましたので。研師の依頼をお受けいただくのに、不足はないと思いますよ」 どうやら、依頼主は一時的に研師へと変わるらしい。 「余裕があればで結構ですが、研師や迅先生、父の身辺を別の方法で洗いなおすのも‥‥考えていただいてもいいでしょうか。父と先生だけならわかるんです。でも、なぜそこに流れ者が関わってくるかが‥‥どうにも解せない。 それに正直、アヤカシが全部悪かった、で丸くおさまるには‥‥違和感が、拭えないんです。なにか、事件の中核の情報がごっそり抜け落ちてる‥‥、そんな気がして」 これは本当に、余裕があればの話ですが。孝也はそう言って締めくくった。 |
■参加者一覧
神咲 輪(ia8063)
21歳・女・シ
そよぎ(ia9210)
15歳・女・吟
グリムバルド(ib0608)
18歳・男・騎
真名(ib1222)
17歳・女・陰
鹿角 結(ib3119)
24歳・女・弓
橘(ib3121)
20歳・男・陰
ディディエ ベルトラン(ib3404)
27歳・男・魔
マルカ・アルフォレスタ(ib4596)
15歳・女・騎 |
■リプレイ本文 血塗れた着物や、治療の際に使った手拭いや包帯、ディディエ ベルトラン(ib3404)は、そういったものを集めた。罠作りである。 匂霞の枕元に替えの着物を置き、集めたそれらを持って出た。 (追ってくるとなりますと〜。 刀アヤカシは知能を備え何かを辿って町までやって来る、と言うことになりますでしょうかぁ?) あるいは、自分の歩いた道のりを覚えているのか。 藁を取りに、裏へ回った。藁を束ねて筒状にする。そこへ、血まみれの着物をくくりつけた。羽織と、着物と単。ちょうど三枚あり、あとの一枚は、囮の神咲 輪(ia8063)に渡しに行く。 乾きかけた血の匂いが、した。 「前回はごめんなさい。またお世話になるわ」 真名(ib1222)のはっきりした言葉に、孝也は柔らかく頷いた。あいかわらず顔色はよくないが。 「ありがとうございます。こちらこそ、よろしく頼みます」 そんな孝也を気遣いながらも、真名はひとつ、問いかけた。 「真相はまだわからない。でも確認させて」 真摯な言葉に、孝也は改めて真名に向き直った。冬の朝のよく冷えた空気が、言葉をつむぐたびに肺を撫でていく。 「調べた結果、知らないほうが良かったっていう事になっても‥‥貴方は真実を知りたい?」 ぎり、と奥歯が噛み締められた。それから、搾り出すように。 「知りたい、です」 「いいのね」 「‥‥はい」 かすかな躊躇いが含まれていたが、孝也は頷いた。 「紫藤さん、迅さん、匂霞さんに京助くん‥‥これ以上に刀に絡む人が出てくるのかしら?」 そよぎ(ia9210)は考えつつも、馬車へと向かう。主な人間は四人、うち二人は既に亡い。孝也も関係者ではあるが、どうも蚊帳の外、といった風がある。明確に事件に関与しているのが匂霞で、京助は‥‥関わっているのかいないのか、それもよくわからない。 (人の思いが強い案件はやりきれないから苦手なのよー) 胸のうちは言葉にはしないが、どうもすっきりしないのだ。出発前に、と馬車を検めに中へ入った。 「文箱ね」 出てきたのはひとつの箱。開くと紙が入っていて、検分するには時間がかかった。仕事のやりとりだろう、いろいろな書類が無造作に詰め込まれていて、それらしきものを探し当てるには苦労する。が、ややあって。 「手形?」 べったりと、黒い墨で取られた、手形が出てきた。すこし指が長めに見える。一緒に折られた紙を広げれば、夕霧の銘と、刀の姿絵と特徴、どこをどのように作って欲しい、といったような内容。二つの異なる筆跡が、あちこち細かく注釈をつけている。 片方は紫藤の筆跡だ。前に紫藤の字を見ていたそよぎは判断する。 読み勧める中で、ひとつの記述を見つけた。柄の部分だ。 「手形をもとに、すこし太めに作ること‥‥?」 すこし長い指をした、依頼主の顔が思い浮かんだ。 鹿角 結(ib3119)は、馬車から一枚の羽織を取り出した。変装というほどではないが、刀が引っかかってくれるに越したことはない。 (刀のアヤカシが事件に全く関係ない訳はありませんが、最初から最後まであのアヤカシの仕業だとするのは、無理がありますね‥‥) 自分の装備の上からそれを羽織る。白を基調にしたそれは、結の黒髪をひときわに際立たせた。 (仮にそうだとすると、刀のアヤカシは紫藤さんを害した後、誰にも見つからず誰も襲わず、町を抜けて森で迅さんを襲ったことになりますし) どこまでが誰の犯行なのか。どこで誰が何を考えたのか。切り分けていかなければ迷走するだろう。 (まだアヤカシを倒さないで欲しいという願いも考えれば、根は深そう、ですね) 研師の頭の中を引っ張り出せれば、いくらか状況も変わるのだろう。なぜ――わざわざ、時間稼ぎを望んだのか、と。 羽織を引っ張り、動きにくさがないよう調えて。結は馬車を降りた。 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)は、地図を見ながら困ったように首をかしげた。 「もうすぐ崖に近づく‥‥と、思うのですが‥‥」 獣道は複雑すぎて記していない、という地図。森は山菜取りか子供の遊び場でしかないから、詳細な地図を起こす必要がなかったのだろう。地元の孝也とて、入ればなんとなくわかるが、記憶を辿るにはややこしすぎて覚えていない、と言うありさまだった。たしかに前回入ったときも、獣道の多さに捜査が難航したものである。 「当たりだわ。向こうに崖が途切れるところ‥‥いた、刀よ。こっちに来る」 人魂の視界を借り受け、真名が注意を促す。なにも聞こえない――、思って輪ははっとした。相手は刀、無機物だ。浮いて移動する相手が、そうそう音など立てはしないだろう。 「では、わたくしは奥に」 「お願いしますねぇ」 ディディエから受け取る藁の束を抱え、マルカは大きく迂回して奥へ向かう。それからディディエはアクセラレートを、輪と結にかけた。そよぎが続けて加護結界を続ける。 匂霞の着物を羽織る結と、おなじく匂霞の――こちらは乾きかけた血まみれの衣を羽織る輪。風上を選んで立った輪に、刀は反応して追い始めた。 (何か事情があるんだろうが‥‥) 壊さないで、と願った研師の言葉に、まいったな、とグリムバルド(ib0608)は内心呟いた。 (生物ならともかく、刀じゃ俺には難しいかな‥‥。ヤバイ扱いしなきゃ大丈夫とはいえ、明らかにヤバイ扱いをしそうだからな、俺) 力の強さには自信があるものの、だからこその不安なのだろう。やりにくさを抱えつつ、囮のサポートにつく。とはいえ囮と刀は一気に走っていってしまって、これではグリムバルドも、そよぎもバックアップができない。追いつくとか、無理だあれは。 「皆にかける必要がありましたかぁ、ちょっと待ってくださいねぇ〜」 言ってディディエがそれぞれにアクセラレートをかけた。そうして追いかけることしばし。ようやく追いついたところで、刀に並走し、進行方向に槍を差し出した。 鬱陶しげに刀は槍を弾き、グリムバルドに向き直り――。 ざっ! 大きく振りかぶられた刀身が、わき腹を浅く薙ぐ。飛び散った赤が、近くの木立に色を添えた。続けて入る二撃目、三撃目を不動で耐える。 「倒しちゃ駄目なんだもんな‥‥」 壷でも相手にしているような気分ではあるが、すこし甘く見ていたかもしれない。傷が冗談抜きに深かった。間髪入れずそよぎが閃癒をかけてくれるが、まったく追いつかない。 「こっちよ」 輪が風上から血臭で煽るも、見向きもしない。刀はグリムバルドに狙いを定めたのか、集中的に攻撃を浴びせかける。そよぎが咄嗟に加護結界をかけるものの、一撃受ければ失われる効果だ。 「このままじゃ――!」 「グリムバルドさん、崖に走って! こっちに!」 輪の言葉に、駆け出した。その背を鋭く切りつける刀に、並走するディディエ。切れたアクセラレートをもう一度かけ、すぐに離れた。全力で崖に向かい、一気に刀を引き離す。けれどしつこくついてくる刀の目前に、真名が岩首を落とした。一瞬で迂回するものの、その一瞬の隙があれば十分。 輪は妙にもこもことした縄を刀に巻き、勢いをつけたまま崖下に飛び降りる。 「っ!」 抱えた手の中で、刀が暴れる。その刃に触れたところの縄が裂け、空中で輪の腕をも切り裂いた。あらかじめ受けた加護結界が一撃目を緩和するが――。 着地の瞬間を狙って、刀は輪を切り裂いた。早駆で間合いを取るが、しつこく背後の刀は迫る。羽織る衣は、輪の血を吸ってなお赤く濡れた。 「掴まれ! 引き上げる!」 上からグリムバルドが縄を投げる。輪がそれを掴んだ、瞬間。 ざんっ! 刀は縄を切り裂いた。 「学習してるの‥‥?」 先回りして崖の奥に行った、真名がぽつりと呟いた。前回、縄を伝って逃げたのを覚えていた――のだろう。ともあれ、隙を見つけるのが先決。刀が真名の射程範囲に入る。小さな虫の式を飛ばした。一度目ではかからなかったが、二度目でかかってくれる。そのあと、岩首をもう一度落とした。 真名の作った隙で、輪は三角跳で崖上に戻る。空中で羽織った衣が肩から外した。赤黒く染まったそれが、ひらりと空に舞い、崖下に落ちていく。 「大丈夫?」 閃癒をかけて問うそよぎ。輪の傷がすこし和らいだ。 「ええ、ありがとう。平気。結さんのために、とっておいたほうがいいわ」 夕霧は分散した攻撃をしてこない。匂霞をしつこく狙っていた理由は、たぶんこれだろう。確実に、一人ずつ落としていく。こういう手法をとられたとき、閃癒は効率が悪いと言えた。 複数人を一度に癒せる利点を生かすなら、互いに庇いあって、ダメージを分散するとよかったかもしれない。 「このあたりでいいでしょうかねぇ」 仲間から離れ、抱えた藁束を木のうろに押し込めるディディエ。堂々巡りしてくれるように。 「いずれにしましても街道まで来させないようにしなくてはなりません、はい」 奥へと行った刀と接触しないよう、そっと離れた。 「倒さず、となるといささか厄介ではありますが‥‥やる前から諦めるわけにもいきませんね」 たったひとり。結は崖の下、さらに奥へと刀を撒いて走っていた。アクセラレートの効果はいつのまにか切れている。するりと羽織った着物を脱ぎ、木にくくりつけ、心覆を使いそろりと離れる。 しかし、いくらも行かないうちに。 すい、と刀はその木の前でとまり、一瞬動きをとめ――。数拍を置き、結を見つけ出す。なにでダミーだと判断したのかわからないが、着物だけでは効果はなさそうだ。そして、付け加えるならたぶん、姿を隠す遮蔽物――木でも草むらでも、なにかに隠れてやり過ごせば、もうすこし見つかりにくかっただろう。 見る間に追いつかれて、いたちごっこが始まった。虚心で攻撃の筋を読み取って、身をひねる。頬をかすかに裂き、背後の木の幹に刀身が浅く突き立った。地面を蹴り上げ距離をとる。が、直後に詰められた距離で、背後からの一太刀をまともに浴びた。 (まだ、動ける範囲ですね) 痛みを押しやり走り出す。視界に映る木々を選別した。太くて手ごろなものは――。 見つけた。 ずしりと太い樫の木。それに背を向け迫る刀を見た。切っ先がまっすぐに結の心臓を狙い定める。 す、と身構え迎撃体勢を見せ。 ――今! 紙一重で飛び退く。刀身の半ばまで深々と幹に突き刺さったのを見て、迷わず駆け出した。 刀も身を捩り、樫の木を抉り、切り裂きながら、なんとか抜け出す。 が、そのときには――。 結の姿は、もう見当たらなかった。 帰り道の途中。もうほとんど日が傾きかけていたので、そよぎは調査を諦めた。大通りの店も店じまいが始まっている。なんとか話を集められないか、と思った真名だが‥‥、聞く相手の目星をつけていない上、夕方のばたばたした中に割り込むのも憚られ、聞けずじまいだった。 十河家に戻ると、やはり孝也はまだ戻っていなかった。 「ちょっと、京助くんに会ってくるわ」 「あ、わたくしも」 「私も行こうかな」 そよぎとマルカ、そして輪が、少年の部屋に向かう。まだ熱の引いていない子供は、上気した頬で三人を出迎えた。 「うーん‥‥、やっぱり効かないわね」 だめもとで閃癒をかけるそよぎだが、やはり効果はあらわれない。 「あの‥‥でも、ありがとうございます‥‥」 か細い声が礼をのべた。 (孝也と京助の二人が、打ち解ける手助けができたらと思うけど) まだぎこちなさそうだ、と思った輪の思考はみごとに当たってるのだが、いかんせん、なにをどうするのか、考えをまとめていなかった。なので、顔合わせ程度にとどめておく。 「ご本はいかがでした?」 朝に渡していた本をさして、マルカはたずねた。 「あっ、ありがとうございました。楽しかったです」 はにかみながら、マルカの手に返される。体調が優れない中でも読みきったらしい。寺子屋教師の息子であるからして、本好きなのかもしれない。また、もらわずに返せるあたりが、たぶん京助にとって気楽なのであろう。 「まだ熱いわね。寝られそう?」 「大丈夫です」 慣れています、寂しげな微笑みがそよぎに返された。意味を計りかねる「大丈夫」である。眠れないのが慣れているのか、慣れているのか眠れるのか、それとも熱に慣れているから問題ないと言いたいのか。 ともあれ、あまり長居するには熱が高く、そろって部屋を出た。日も暮れるころになってから、ようやく孝也が帰ってくる。半分あくびをかみ殺しているのは、ゆうべ寝たのが遅すぎたせいであろう。同じ時刻に寝ているはずの面々は疲れを見せないので、いささか居心地悪げに報告を聞いている。 「手形?」 「そう、これ。覚えはない?」 そよぎの差し出すそれを、孝也は目を丸くして見つめる。 「‥‥私のです。どうして‥‥」 「発注書みたいなものと一緒になってたわ。夕霧‥‥、あなたのためじゃないかしら。柄のところを見て」 記された記述に目を走らせ、‥‥父の字です。孝也は告げた。ひどく複雑そうにはしていたが、ほかの報告も続けて聞く。 「そうですか‥‥、その、刀は囮の藁にどんな反応を?」 「すみませんねぇ‥‥、そこまでは確認していませんでした」 ディディエももうひとつの藁束を設置しに行ったが、刀とは接触していない。それはマルカも同じであったし、結も藁束のそばには行っていない。 「すこし不安ですね。ずいぶん奥まで行ったようですから、簡単には戻って来られないと思いますが‥‥。頭があるように見えないわりに、思考はするようですし」 ともあれ、お疲れ様でした、と孝也は告げる。 「特に結さん。ずいぶん危険だったでしょうに」 「いえ‥‥。僕も、アクセラレートをかけてもらわなかったら、奥まで行けたかわからないので」 いろいろなところが、そうとうギリギリだった。もうすこし不運であれば、危なかっただろう。それを察したのか、孝也は 「危ないことを頼んでいるのは私ですが、無理はなさらないでくださいね」 苦笑しつつ注意を促す。 そうして就寝のあいさつを交わし、開拓者たちは部屋を出る。が、マルカが残った。不思議そうな顔をする孝也に、笛を取り出して微笑む。孝也も眦を和ませた。 「では、一曲お願いできますか」 唇を軽く笛に添え、マルカは心休まりそうな曲を選んで奏でる。やわらかな笛の音が、夜の静寂に染み渡った。 「‥‥あら、」 一曲を終えると、あぐらをかいたままに眠りこける孝也の姿。微笑ましく思うのも束の間、 「ど、どういたしましょう‥‥」 焦ったところで、京助と孝也の様子を気にかけていた輪が顔を覗かせる。 「あら? ‥‥眠たそうだったものねぇ」 「神咲様。お布団をおかけできないかと思ったのですが‥‥」 「そうね、持ってくるわ。冷えるもの」 にこやかに請け負う輪に、家事が‥‥控えめに言って得意ではないマルカは、ほっと胸をなでおろした。 |