【妖志乃】血に濡れた絵師
マスター名:hosimure
シナリオ形態: シリーズ
危険
難易度: 難しい
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/03/10 20:12



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 周囲を畑や田んぼに囲まれた中に、一件の平屋があった。
 農家の人々は作業をしながらも、痛ましそうに平屋を見つめながらボソボソと話をしている。
「かわいそうに……。まだ若かったんだろう?」
「ああ。それに結婚がもうすぐという話だったそうだ。それなのに……」
「病であっという間だったそうだ」
 まだ昼間で天気は快晴だというのに、その平屋だけは暗雲を漂わせていた。


 ――事の起こりは数日前のこと。
 平屋には一人の若い青年絵師が住んでいる。青年は控えめな性格ながらも迫力がある絵を描くことで人気があり、若いながらも成功者と言えた。
 その青年はある日、一人の町娘と恋に落ち、結婚の約束を交わした。
 だがその娘は重い病にかかり、結婚を前に亡くなってしまったのだ。
 それ以来、青年は平屋に引きこもりになってしまう。
 仕事の依頼も断り続け、心配した農家の人々は朝・夕に食事を差し入れていた。
 それでも食事にあまり手をつけず、昼夜関係なくぼぅっと壁に向かって座り込んでいる青年を見て、娘の後追いをするのではないかという心配まで生まれてしまう。
 愛する女性を失った心を癒す術を、青年は未だ見つけられずにいた。
「花笑(かえ)……」
 たまに口を開いたかと思えば、声に出すのは娘の名前だけ。
 娘は実家で息を引き取る前に、『どうかわたしのことは忘れて。次に愛する人を見つけて、幸せになってね』と言った。
 だが青年にとって、娘は忘れられる存在ではない。生まれてはじめて強く愛した女性だったからだ。
 それでもちゃんと生き直そうと思い、久々に絵筆を握ることはあった。しかしいざ紙に何かを描こうとしても、手が震えて形が崩れてしまう。
「ちくしょうっ……!」
 絵を描く事しか能がなかった自分は、これからの未来を描くことができない−−。情けなさと悔しさで、嗚咽が漏れる。
 まだ太陽が出ているうちは、農家の人々が近くで作業をしている気配がしているから声を出して泣き叫べないもの、夜になると青年は大声を上げて泣いていた。


 だがある夜、平屋の木戸を叩く音が響く。
「誰だ……?」
 潰れた声で問いかけると、木戸は静かに開いた。そして姿を見せたのは、息を呑むほど美しい一人の少女だ。身につけている物の良さから、上級の娘だと分かる。
「おやおや。随分と苦しそうじゃな」
 リンとした美しい声を出しながら、美少女は遠慮なく上がり込む。
「そなたの描く絵、我は気に入っていてのぉ。なのに最近は全く描いておらぬようじゃが……」
「描かないんじゃなくて、描けないんだっ!」
 青年は大声で、自分と娘のことを語った。今までたまりにたまっていたものが爆発したかのように、一気に語り尽くした青年はぜぇぜぇと肩で息をしながら美少女を睨み付ける。
「分かったら出て行ってくれ! もう俺には何もすることもできることもないんだっ!」
 そう言って、机の上に置いていた絵の道具を手で払った。
 娘から贈られた絵筆が、美少女の足元まで転がる。美少女はその絵筆を手に持つ。
 そんなに高級な物ではないものの、絵師の間では人気がある品物だった。割れにくく丈夫な木の柄に獣毛の絵筆には、娘の青年への愛情が詰まっている。
 美少女こと妖志乃は、その顔にアヤカシらしい美しくも恐ろしい笑みを浮かべた。
「絵をもう一度、描きたいかえ?」
「だから描けないんだっ! 彼女が愛してくれた才能だったのに……」
「もう一度、その娘に会いたいか?」
「えっ……?」
 言葉の意味が分からず、青年は改めて妖志乃を見る。
 月が隠れている為に真っ暗な部屋の中だが、それでも妖志乃の赤い唇が笑みを形作っているのが分かった。
「今一度絵描きとなり、娘と会う為ならば、そなたは何でもできるのかのぉ?」
「……ああ、できるさ。叶うならなっ!」
「――よかろう。ならば我が力を貸そう」
 妖志乃は両手に持つ絵筆に、力を注ぎ入れる。すると木の柄の部分が赤い色に染まり、金色の蝶蝶の柄が浮かぶ。また茶色かった獣毛が、真っ白に染まった。
「この絵筆に自分の血を染みさせ、紙に娘の姿を描くと良い」
「あっああ……」
 青年は妖志乃から絵筆を受け取ると、床に落ちた小刀で自分の腕を軽く切る。そして滲んだ血を毛に染み込ませ、紙に娘の姿を描き始めた。
「っ! 描けるっ! 手が震えない!」
 喜びながらも、血で娘の姿を描いていく。
 そうして夢中になって娘の姿を描いた後、大きく息を吐いた。
「ああ……アンタの言う通り、俺はもう一度絵を描くことができて、彼女にも……えっ?」
 ところが青年の眼に、異常な光景が映る。
 描いた絵が震え出したかと思うと紙から浮かび上がり、生きていた頃の彼女と同じ姿になったのだ。
 娘は嬉しそうな悲しそうな表情を浮かべながら、青年に向かって細い両腕を伸ばす。
「あっああ……! そんな、まさか……」
 青年は驚きながらも、彼女を抱き締める。その身体はあたたかく、生前と何ら変わらなかった。
 少し体を離してお互いに微笑み合ったが、娘の姿は突如ぐにゃり……と歪み、赤い絵に戻ったかと思うとそのまま霧散してしまう。
「どっどうして……!」
「血の量が足りぬのじゃよ。それに紙も小さかったろう?」
 妖志乃は手に持つ蝶柄の鉄扇を、娘が描かれた紙に向ける。紙は真っ白に戻っており、大きさは確かに本一冊ほどしかなかった。
「もっと大きな紙に等身大の娘を、大量の生き血をもって描けば、長く存在し続けられる。その為にそなたにこれを渡しておこう。麻牙巳、例の物を」
 妖志乃が鉄扇を横に振ると、後ろから一本の日本刀を持った逞しく、端正な顔立ちをした男が現れた。
 日本刀の柄は絵筆と同じ、血のような朱色と金色の蝶蝶の柄がある。そして持ち手の部分には、黒い糸が巻かれていた。
「この刀と絵筆は通じておってな。刀が吸い取った血は、自動的に絵筆に移る。そうして娘を描き続ければ、ずっと共にいられよう」
「おっおおっ……!」
 青年は狂った喜びの表情を浮かべながら、男から刀を受け取る−−。


 そして数日後、開拓者ギルドへ妖志乃から挑戦状が送り届けられた。
 受け取った受付職員の利高は、忌々しそうに歯をギリっと鳴らす。
「ここ最近、夜になると連続辻斬り事件が起きているとの報告があったと思ったら、妖志乃が裏で糸を引いていたのかっ!」
 被害者達は夜、一人で歩いているといきなり刀で斬られる。後ろから闇に紛れて斬られるせいで、犯人の顔などは見ていないらしい。しかし犯人は地面に流れていく血だまりに刀を刺すと、その刀は血をすすり飲むと言う。まだ死者は出ていないものの、重傷を負った者は少なくない。
「早く絵師の青年を止めないと、このままではっ……! くっ!」
 利高は挑戦状を手で握り潰すと、開拓者に声をかけ始めた。


■参加者一覧
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
ファムニス・ピサレット(ib5896
10歳・女・巫
サエ サフラワーユ(ib9923
15歳・女・陰
クリス・マルブランシュ(ic0769
23歳・女・サ


■リプレイ本文

 墨を流したような夜空に真っ赤な満月が浮かび、白い雲が風に流れる中、三人の開拓者は集まった。
「ファム、どうかな? スキルのラ・オブリ・アビスを発動したんだけど、ちゃんと普通の男性に見える?」
「うっうん、見えるけど……大丈夫? 姉さんの動き、何だかちょっとぎこちないように見えるんだけど……」
 双子の妹のファムニス・ピサレット(ib5896)が言う通り、姉のリィムナ・ピサレット(ib5201)の見た目は変わったものの、動きが何だかおかしい。
「まあ大鎧・戦鬼を着ているし、その中には丈夫な木の板を胸と背中に入れているからね。どうしても動きは変になっちゃうけど、相手は妖刀だし、備えはしとこうかと思って」
 妖志乃(iz0265)が絵師の青年に渡した妖刀は、斬れ味がかなり良い。そのせいかおかげか、斬られても致命傷には至っていないらしい。しかし斬られれば、出血多量は免れない。
 ゆえにリィムナは自ら囮となることを決めた時、斬りかかれても大丈夫なように準備をしたのだ。
「にしても妖志乃め、人の傷付いた心をもてあそぶなんて許せないね! 見つけたら一発ぶん殴ってやる!」
 開拓者ギルドに用意してもらった提灯に火を灯しながら、リィムナは怒りの表情を浮かべる。
「リィムナ殿の言う通りです。全く、次から次へと趣味が悪いことを続けるものですね。早く絵師の青年を止めてあげなければ」
 クリス・マルブランシュ(ic0769)は怒りの中にも、呆れた感情が入りまじったため息を吐く。
「いよっし、提灯の火がついたよ。それじゃああたしは情報通り、青年が現れそうな場所を巡ってくるね」
「姉さん、あんまり無茶はしないでね……」
「私達はちゃんと後ろから見守っていますが、何かあった時、すぐに対処できるかは分かりません。合流できるまでは、逃げに専念してくださいね」
「了解。それじゃあ行ってくるよ!」
 開拓者ギルドの依頼調役達が妖刀の調査をしたところ、次に現れそうな場所と、襲われる人物の特定ができた。
 青年は深夜、民家や長屋が集まっている場所に姿を現す。そして家に帰る途中の男性ばかり狙っているようだ。
「お酒を飲んで帰ってくる人や、仕事が夜遅くに終わった人とかなら、あんまり抵抗なく斬られそうだね」
 スキルの超越聴覚を発動させながら、リィムナは周囲を警戒して歩く。
 月が雲に隠されてしまった為、辺りはほぼ真っ暗である。そのせいか、神経がいつも以上にたかぶってしまう。
「それでも女・子供を狙わないのは彼の中に、僅かながらにでも人間としての正気が残っているからなのか……」
 独り言を呟いていたリィムナは不意に、男の声の絶叫を聞きて歩みを止める。
「くぅっ……! 予想していた場所から、ちょっと離れちゃってたか!」
 慌てて走り出して、声がした方向へ向かう。だが近付くにつれて、血の匂いが濃くなっていく。
 そして現場に到着した時、ちょうど月が雲から姿を現し、リィムナは月光の下にあるおぞましい光景を見てしまう。

 地面には背中を斬られた男が一人、倒れている。傷口から流れ出る血は、地面に突き立てられた白銀の刃に吸い込まれていく。刃はまるで血を飲んでいるかのように、赤い波模様を浮かせては消し――を繰り返している。

 スキルを使用していても聞こえないが、リィムナの耳には妖刀が血をすすり飲んでいる音が聞こえてくるようだ。
「……聞いていた以上に、異様な光景だね」
 リィムナの呟きが聞こえたのか、妖刀の柄を握って佇んでいた青年がゆっくりとこちらを向く。ボロボロの着物にげっそりと痩せた顔と体は、生きているはずなのに生気を感じられない。
 妖刀が地面の血をほとんど吸い取ると、青年は刃を引き抜いてリィムナに向けた。
「っ!? うおっと! 思っていたより早いね!」
 青年がこちらに体を向けたと思った瞬間には、リィムナに正面から斬りかかっていた。
 だがこうなることを予想していた為、脚絆・瞬風を身につけている。宝珠の力を借りながら、青年の攻撃を避けていった。
「この腕だと剣豪って言えるね! でも正気に戻って! あなたの本当の天職は絵描きのはずだよ!」
 リィムナが必死になって声をかけるも、青年の光を失った眼は揺るがず、またかたく閉じた口からは息も出ない。
「リィムナ殿、交代します!」
 そこへクリスが駆け付け、スキルの払い抜けを使って妖刀をはじき飛ばそうとしたが、青年は後ろに飛び下がって避けてしまう。だがクリスは動じず、すぐさま妖刀を狙って刀を振るう。
 だが刀・長曽禰虎徹を持ち、開拓者のサムライであるクリスと同等に青年は戦う。夜の闇の中で何度も激しく刃がぶつかり合う音と、金色の火花が飛び散った。
 時にはヒヤリとさせる動きもあり、クリスは苦笑を浮かべる。
「妖刀を持っただけで、これだけの腕前になるとは何とも羨ましいですね。私が今まで積み重ねてきた修行が全て、バカらしく思えるほどです。ですが人を傷付け、生き血をすする妖刀など、所持しようとは思いませんけどねっ!」
「姉さんっ、大丈夫?」
 リィムナと合流したファムニスは、姉の体を心配そうに見回す。
「ファム、あたしは大丈夫だから、あっちの男の人の怪我を癒してあげて」
「うっうん、分かった」
 ファムニスは地面に倒れている男に向かい、スキルの愛束花を発動させる。
 そして青年がクリスと戦っている間に、リィムナとファムニスは男を民家の影に移動させた。
「姉さん、効果があるのか分からないけど……、ファムニスのスキルの一つ、解術の法をあの人にかけてみたいの。妖志乃のような人を操る術に長けている上級アヤカシの呪縛から解放させることは難しいかもしれないけれど、一瞬でも隙ができれば妖刀を手放してくれるかもしれないから……」
「……そうだね。今の彼は妖志乃の妙な力のせいで疲れを感じない体みたいだし、このままじゃクリスさんの方がヤバイかも」
 クリスは軽く息を乱し、顔にうっすらと汗を浮かべている。
 だが青年は息一つ乱さず、次々とクリスに斬りかかっているのだ。
「それじゃああたしも一緒に行くよ。万が一の時はファムを引っ張って、攻撃を避けるから」
「うん、お願い」
 そしてリィムナとファムニスは気配と足音を消しながら、青年の背後に回った。
 ファムニスが解術の法をかけると、青年の体が淡い藍色の光に包まれる。
「あっ、くぅっ……!」
 青年は自身を包み込む光から逃れようと、苦しそうに両手を振り回す。
「しっかりしてください! 辻斬りなんかして……、花笑さんが喜ぶと本当に思っているんですか? 今のあなたを見たら、きっと悲しみますよ!」
 青年の眼に一瞬、正気の光が宿る。それと同時に妖刀の柄から手が離れそうになるのを、クリスは見逃さなかった。
「罪を生み出す悪しき妖刀は、破壊すべきです!」
 クリスは刀を横に振り、妖刀を青年の手から弾き飛ばす。そして妖刀が宙に浮いている間に何度も刃を斬り砕き、地面には妖刀の欠片が雪のように落ちた。
「これだけ砕けば、再生はできないでしょう」
「でも最後の一撃は、肝心な部分にも与えておいた方が良いね」
 リィムナは地面に落ちた妖刀の柄の部分に向かい、スキルの斬撃符にて攻撃する。妖志乃の髪の毛が巻きついていた柄は、破壊されると黒い煙と化し、風に流れて消えた。
 すると青年の体から力が抜けて、その場にバタッと倒れてしまう。
「ふう……。とりあえず辻斬りの件は、これでお終いでしょう。……ですがこの青年、どうしましょうか?」
 刀を鞘に入れながら、クリスは悩みを口にする。
「本当の意味で正気に戻るかどうか分かりませんし、やはり開拓者ギルドに引き渡すのが一番なんでしょうね」
「まあ、ね。妖志乃に操られていた後遺症が残らないとも限らないし、ギルドが一番安全だとあたしは思うよ」
「ファムニスも……そう思います」
 仲間達の意見を聞いて、クリスは重いため息を吐く。
「こんなことをしてしまった原因は妖志乃にもありますが、花笑さんを深く愛していたからでしょう。花笑さんの代わりに愛する女性がすぐに現れるかどうか分かりませんし、開拓者ギルドでゆっくりとお休みさせた方が良いですね。……まあ私のように色気も素っ気もない女性には、愛を失った青年を慰める方法なんて分かりませんし」
「クリスさん、自虐が入りつつあるよ!」
「クリスさんもしっかりしてください……!」
 リィムナとファムニスに左右の腕をつかまれ、揺さぶられてクリスはハッ……!と我に返る。
「わっ私としたことが……。まだまだ修行不足ですね」
 ガックリと項垂れるクリスを見て、ファムニスはほっと胸を撫で下ろす。
「とっとりあえず、彼から絵筆がある場所を聞きましょう。妖志乃が与えた道具なので、危険性はありますし……って、アレ?」
 振り返ったファムニスは、青年が倒れているはずの地面を見て眼を丸くする。そこには誰も何も無かったからだ。
 慌ててキョロキョロと周囲を見回すと、フラフラになりながらも青年がどこかへ行こうとする背中を発見する。
「あっ、もしかして潜伏している場所へ戻るのかも……。静かに追い掛けましょう」
 ファムニスの意見に賛成するように、二人は頷いて見せた。


 青年は何度も倒れそうになりながらも、必死に足を前に進める。そして月が沈み始める頃に、青年は山の奥にあるボロボロの小さな一軒家に入って行った。
「周囲にアヤカシの気配は無いようですね……」
「あの家も、妖志乃が与えたのかな?」
「あるいは偶然、見つけたのかも……」
 クリス・リィムナ・ファムニスは慎重に周囲の様子をうかがう。
 どこかで見ているであろう妖志乃の気配は感じ取れないが、何とも居心地が悪くなるような妙な気配があの家からするのだ。
「……こうしていても、無駄に時間が過ぎるだけです」
「だね。突入してみようか」
「しっ静かに、訪ねましょう。下手に刺激を与えると、どうなるか分かりませんし……」
 そして三人は真剣な面持ちになり、警戒を解かないまま家に近付き、静かに戸を開けた。
「花笑……」
 ちょうどその時、朝日がのぼり始める。太陽の光が木格子窓から入り、中の様子がはっきりと見えた。
 姿・形がおぼろげな花笑と、やせ細った青年が強く抱き合う姿があったが、まるで幻のように儚い。
 青年は描き終えた絵筆を既に手放しており、三人の足元の近くに転がっていた。
 ファムニスは沈痛な思いを抱きながらも絵筆を両手に持ち、クリスの前に差し出す。
 クリスは黙って頷くと刀の柄を握り締め、引き抜くと瞬時に振り下ろし、絵筆を真っ二つに斬った。落ちた絵筆は赤いモヤとなり、消滅していく。
 すると同時に、花笑の姿も徐々に薄れ始めた。
「ああっ……! 花笑、血が足りなかったのか?」
 青年はおろおろするも花笑はうっすらと笑い、彼の耳元で何かを囁く。
 すると青年は大きく眼を見開き、花笑は後ろに一歩下がって身を引いた。そして朝日に照らされる中、花笑の姿は消え去ってしまった……。
 ――幻想的で美しい消滅だった。
 だが次の瞬間、青年は畳の上に倒れてしまう。三人はすぐさま駆け寄るも、青年はすでに虫の息。衰弱が激しすぎて、心臓の音も弱くなりつつある。
「お二人共、離れててください。ファムニスの生死流転を使って、この人を助けてみます……!」
 ファムニスが青年にスキルをかけようとしたので、クリスとリィムナは慌てて離れた。
 スキルは成功して、青年の呼吸や心臓の音は正常になる。だがそれでも衰弱は治らない。
「とりあえず私が彼を背負って、山を下りましょう」
 リィムナとファムニスの手を借りながら、クリスは青年を背負う。だが普通の青年とは思えぬほどの体重の軽さに、思わずクリスの表情が曇る。
「彼、ここで随分と絵を描いていたみたいだね。大きい紙がいっぱいあるし、辻斬りをした後はすぐに花笑さんの絵を描いていたんだろうね」
「……この家に移ったのは妖刀を持ち運んでいる姿を見られない為と、血の匂いを他人に気付かせない為……でしょうか。きっと寝る間も惜しんで、花笑さんの姿を描き続けていたんでしょうね……」
 家の中を見たリィムナとファムニスは、やりきれない思いに駆られる。
「おやおや。妖刀が破壊されたと思いきや、絵筆まで破壊してしまったのかのぉ」
 そこで突如、リンとした少女の声が聞こえてきた。
 慌てて三人は家の外に出ると、山の木の影に妖志乃と麻牙巳が立っている。
 二人のアヤカシの姿を見て、クリスは眼をつり上げた。
「妖志乃っ……! それに、ええっと……」
「ああ、紹介がまだじゃったな。後ろに控えている男は麻牙巳、我の従属じゃ」
 閉じた鉄扇で妖志乃が後ろを差すと、麻牙巳は眼を閉じて肯定を示す。
「こんな悲しい事件を起こして……妖志乃っ! お前は絶対に許せません!」
「おやおや、クリス殿は随分とお怒りのようじゃのぉ。我はただ、男が描く絵を見たかっただけなのじゃがな」
 クスクスと笑いながら、妖志乃は鉄扇を広げて口元を隠す。
「そもそも我が怒られる理由が分からぬ。確かに道具は渡したが、『辻斬りをせよ』などとは言っておらぬ。全てはその男が選んだことであろう?」
「言ってくれるね。じゃあ何で妖刀の柄の部分に、アンタの妖力がこもった髪の毛が巻きついていたんだよ? 操っていた証拠は、残さなかった方が良かったんじゃない?」
「リィムナ殿も勘違いしておる。アレは人を斬りやすくしていただけじゃ。斬る対象は男自身でも良かったのじゃが、他者を選んだのはそやつであろう? 絵を描く力を残す為に、自らを傷つけなかったのやもしれぬがの。全て我のせいにされても、困るというものじゃ」
「そっそんなの言い逃れにすぎません!」
「ふふっ、ファムニス殿は意外に気が強いようじゃのぉ。さぁて、もうしばし話をしたい気もするが、すでにアヤカシの時は過ぎた。人の時に移ったのじゃから、この場は去ろう」
「逃がさないよ!」
「あっ、待ちなさいっ!」
 妖志乃が背を向けたのを見て、慌ててリィムナとファムニスは駆け出そうとした。
 しかし妖志乃と麻牙巳の姿は金色の蝶蝶となり、朝日の光に溶けて消えてしまった――。


 その後、絵師の青年は開拓者ギルドの医療施設へ運ばれた。
 しかし魂が抜けたように、毎日ぼぅっとしているらしい。妖志乃に操られた後遺症ではなく、ただ以前の状態に戻っただけだと医者は言う。
 利高から青年の状態を聞いたクリス・リィムナ・ファムニスは、複雑な表情を浮かべた。
「そういえば花笑さん、消滅する時に何か彼に言ったようでしたね」
「うん。でもあたし達には聞こえなかったよ」
「きっと、二人だけの秘め事だと思います……」


<続く>