第三矢――苦悩
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/11/07 18:28



■オープニング本文

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●遥か昔
 埠頭にある古い小屋の中。怯える様に寄り添う子供達が居た。
 首輪を付けられ、みすぼらしい服を着させられた子供達のいずれも、生まれた場所も親も分からない。
 彼等は皆、何処かから連れ去られて、これから「売られる」と言う現実が待っている。
「ほう。珍しい種が混ざっているな」
 子供らを買いに来たのだろう。1人の小太りな男が足を止める。
 彼の目の前に在るのは、黒の髪に力強さを感じさせる2つの瞳。それが警戒の色を滲ませて此方を見ているのだ。
「双子か。実に良く似ている」
 面白い。そんな色が男の目に浮かんだ。
 確かに男の前に居る子供はどちらがどちらかもわからない程に良く似ている。だが男はある事に気付いた。
「こっちの娘は底知れぬ。それに比べこの娘は実に素直そうだ」
 指先で顎を持ち上げて茶の瞳を覗き込む。
 怯えながらもしっかり見返す子供の瞳は澄んでいてとても綺麗だ。ではもう1人は如何だろう。
 ちらりと見遣った子供の瞳が薄暗く光る。
 その瞬間、男の背に悪寒のようなものが走った。この娘は危険。そう、本能的に察する。
「旦那様。今なら2人同時に買われるのも一興かと。双子でこれだけ似ていれば、色々と使い道もありましょう」
「いや」
 男は娘から手を離すと、今触れていた少女の頭に手を置いた。
「この娘だけを貰おう。そっちの娘は気味が悪い」
 男は鼻息で一掃すると、頭に置いた手で少女の髪を掴んだ。そうして顔を持ち上げながら言う。
「娘。今日からわしがお前の主だ。今までの名、過去を全て捨て、わしに尽くせ」
 娘は髪を掴まれる痛みも気にせず、自分の片割れを抱く手に力を込める。そして今日から自身の「主」になる男へ問うた。
「いもうとはどうなりますか……いもうとも、いっしょに……」
 囁くような声は男の耳に確かに届いた。
 だが男は応えず、娘と片割れを強引に引き離して小屋から連れ出してしまう。そしてこの数日後、小屋では無数の遺体が発見された。
 その原因は不明。
 ただわかっているのは、此処ではかなり前から人身売買が行われていたと言う事。そして何者かが売人らとその客を殺めた――それだけだ。

●花鳥宅
 賊の捕縛を終え、花鳥と紅林を屋敷に送り届けた一行は、紅林の勧めもあり茶をご馳走になっていた。
 其処で出たのが楠通弐(iz0195)の話だ。
「紅林は楠に心当たりはないのか?」

――自分が何者なのか興味があった。

 そう呟いた通弐の言葉は密やかに耳に残っていた。故にそう問い掛けたのだが、紅林はその言葉に首を横に振る。
「確かに楠は私の顔に酷似しています。ですがお会いするのは初めてかと……」
 答えながら紅林の視線が落ちる。
 そして何事かを想いながら口を開いた。
「昔……安香様から私には双子の妹が居たのだと聞いた事があります。事情があって一緒に連れて来る事は出来なかったと言っておられましたが……」
 まさか、彼女が? そう言葉を切った彼女に、開拓者は顔を見合わせる。
 その可能性は大いにあるだろう。だが、絶対にそうとも言えない。
「のう、紅林……紅林はエルフとか言う種族であったな。楠様は如何なのだ」
 花鳥の言葉に皆がハッとする。
「楠もエルフだ」
 誰とも無しに呟かれた声に紅林が俯く。
「アル=カマルが発見以前に天儀で見つかっていたエルフは通弐だけじゃない? 紅林さんも?」
 瓜二つの顔に、同じ種族。そして安香が言っていた「双子の妹がいた」と言う事実。
 それらを合せれば確実性が出て来る。
「……賞金首の、楠が……私の妹?」
 信じられないとでも言う様に固まる紅林の手に花鳥の手が触れる。
 そしてその頃、屋敷の屋根の上で気配を隠して潜んでいた通弐も、信じられない思いで屋敷内部の会話を耳にしていた。
「私に姉? 何の冗談だ……」
 胸の内に湧き上がってくるざわめきに眉を潜める。その上で瞼を伏せると立ち上がった。
「……行こう」
 此処にいたら自分が別者になりそうで怖い。
 望むべきは強き者。成すべき事は強くなる事――では、その考えは何処から来た?
「――……っ」
 通弐は内に浮かんだ答えを振り払う様に頭を振ると、瞳を開いてこの場を立ち去った。

●夜半過ぎ
 寝静まった花鳥に布団を掛け直し、紅林は昼間交わした言葉を思い出していた。
「……楠が、妹……」
 居るかもわからなかった妹が存命し、しかも彼女は開拓者や賞金稼ぎから狙われる存在。
 思いも寄らない事実だが、もしそれが事実なら――
「――いや、私には花鳥様が居る」
 ふるりと思いを振り払うが、内に浮かんだ想いはそう簡単には振り払えない。
 紅林は健やかな眠りを貪る花鳥を見下ろし、柔らかな髪を撫でる。そうして瞼を伏せると、緩やかな息を放った。
「私の命は花鳥様の為に……」
 そう、これが正しい。これこそが自身の望むこと。
 紅林は瞼を上げると自身の部屋に戻ろうとした。が、その動きが止まる。
「……音?」
 屋敷の外で何かがざわめく音がする。
 それにしているのは音だけではない。屋敷の周囲を囲むように潜む人の気配も複数感じられる。
「昼間の騒動を聞き付けた者達か」
 紅林は眠りに落ちたばかりの花鳥を起こすと、その身を抱き上げた。
 花鳥は眠い眼を擦りながら問う。
「紅林、如何したのかえ」
「私の情報を耳に入れた者達がやって来たようです……正確には、楠の情報でしょうが」
 楠が神楽の都にいる。
 この情報は思った以上に速く周囲へ流れたようだ。
 結果、顔の酷似している紅林が狙われるのは道理。それにもし何者かが河原でのやり取りを見ていたなら、紅林を狙えば楠が来ると考えるかも知れない。
「……開拓者は気遣って楠を警戒してくれていましたが、楠がアレでは致し方ないでしょう」
 牽制する姿を見せて楠とは無関係を装ってくれた開拓者の姿を思い出して苦笑する。
「花鳥様。万が一の為に用意しておいた隠し通路より外へ」
「紅林?」
「……私は此処に残ります」
 屋敷を囲む者達の目的が楠なら真っ先に狙われるのは自分だ。もしその自分が花鳥の傍に居たら如何なる。
「花鳥様をお守りする為です。ギルドまでの道の音は覚えておいでですか?」
 まだ数えるほどしか向かっていない場所。其処へ目の見えない花鳥を1人で向かわせるのは心配だ。
 けれど花鳥は確と頷いた。
 それを見止めて紅林の頬に笑みが乗る。
「素晴らしいです。では、急いで下さい」
「……死ぬでないぞ」
「勿論です。私の命は花鳥様の為に在りますから」
 そう囁くと、花鳥は「必ずだぞ」と言葉を残し去って行った。
 その姿を見送り、紅林の手が刀に伸びる。
「はたして何処までやれるでしょうか……せめて、援軍が到達するまでこの身がもてば良いですが」
 ――そして願わくば、楠が訪れませんように。
 紅林は胸の内でそう願うと、一歩を踏み出した。
 開け放った戸の向こうに整えられた庭が見える。それを視界に紅林の刃が月の光を反射して輝いた。


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
海月弥生(ia5351
27歳・女・弓
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
フィン・ファルスト(ib0979
19歳・女・騎
ハーヴェイ・ルナシオン(ib5440
20歳・男・砲
ミシェル・ヴァンハイム(ic0084
18歳・男・吟
天月 神影(ic0936
17歳・男・志
樂 道花(ic1182
14歳・女・砂


■リプレイ本文

●開拓者ギルド
「それ本当、花鳥さん!?」
 開拓者ギルドの受付前。昼間の騒動の報告が漸く終わる。そんな時、フィン・ファルスト(ib0979)はボロボロの状態で駆け込んできた雪日向花鳥の声に目を見開いた。
「今度は屋敷の襲撃……昼間のアレの類か? 性懲りも無くまた来たって事か」
 舌打ちと共に吐き出されたハーヴェイ・ルナシオン(ib5440)の声に花鳥が俯く。と、其処に捕縛した賊を尋問していたパラーリア・ゲラー(ia9712)が戻って来た。
 その背後からは彼女を呼びに行った天月 神影(ic0936)の姿もある。
「花鳥ちゃんのお屋敷が襲われたって本当なのにゃ!?」
 声を上げるパラーリアに海月弥生(ia5351)が頷いて見せる。
「襲撃者の構成は不明のままね。昼間の状態と同じなら骨が折れそうだけど……」
「そう言えば、賊は自白したのか?」
 ギルドに賊を運んでからだいぶ経つが、そろそろ何かを口にしただろうか。
 そう羅喉丸(ia0347)は問い掛けたのだが、これにパラーリアと神影の視線が重なる。
「……賊は自害した」
「なっ」
 神影の告げた言葉に誰もが息を呑む。そして皆の脳裏にある思いが過る。
「襲撃者連中は失敗すれば待つのは死……死人に口なしとは言うが、今となっては知る術はないだろう」
 だが。そう言葉を切った神影に皆の口が噤まれる。
 昼間の賊は「当主」と言う言葉に反応した。その上自害となると、怪しいのは雪日向家の当主――けれど今それを口にする訳にはいかない。
「如何せん、黒幕がいると考えて良いだろう。それよりもまずは襲撃されている屋敷の情報だな」
 羅喉丸はそう言い置くと、花鳥の前に膝を折ったパラーリアを見た。
「花鳥ちゃん。聞きたい事があるにゃ」
 途中何度か転んだのだろう。擦り切れた膝や掌、其処に傷薬を塗りながら問う。
「花鳥ちゃんはどうやって此処に来たにゃ?」
「……屋敷の、隠し通路から」
 ポツリ、零された声に皆が顔を見合わせる。
「隠し通路か。そんなんがあるなら、そっから侵入したら如何だ?」
 名案だ。そう言わんばかりに声を上げた樂 道花(ic1182)に花鳥の首が横に振れる。
「出来ません……あの通路は、わたくしが通れるくらいの幅しか、ないのです……」
 花鳥が言うには、彼女の母親が万が一のことがあったらと幼い彼女を心配して用意させたのだとか。
「って事は、大人は通行不可だな。子供の襲撃者でもなけりゃ追う事も出来ないだろ」
 今の言葉から察するに、花鳥は母親に愛されていると見える。それを思いミシェル・ヴァンハイム(ic0084)の中に安堵の気持ちが生まれる。だが安心するのは早い。
「とにかく急がねえと!」
 そう、この間にも屋敷の襲撃は続いている。
 開拓者等はある手続きを行うと、迷う事無く花鳥の屋敷に向かおうとした。だがその動きを止める声がする。
「お願いします……っ! 紅林を……紅林を助けて!」
 今にも泣きそうな声にフィンは確りと頷く。
「……大丈夫。必ず助けて来るからね」
 花鳥を安心させるように紡いで駆け出す。それに続き他の皆も駆け出すのだが、パラーリアだけがある言葉を告げる為に足を遅くしていた。
 その言葉と言うのが……
「花鳥ちゃんの身柄が狙われてる可能性が在るのにゃ。だから、花鳥ちゃんを保護しておいてほしいのにゃ」
 花鳥には聞こえない様にギルド職員に耳打ちする。それに対して頷きを貰うと、パラーリアも漸く目的地目指して走り出した。

●花鳥宅
 本来であれば静かに眠りを貪る時刻。其処を叩き起こすように響く喧騒に、遠目にだが野次馬が顔を覗かせているのが見える。
 道花はその事に眉を寄せながら、遠見の術で辺りを見回した。其処に在るのは闇と喧騒に包まれる貴族の屋敷だ。
「屋敷をぐるりと囲んでやがる……!」
 敵の数はそれこそ不明。
 ザッと見ただけでもかなりのものだ。それでもこれを突破して進まなければ、紅林を救い出す事は出来ない。
「樂さん。玄関の方は如何だ?」
「んー……」
 羅喉丸の声に目を凝らすが、如何見ても門前に複数の人影がある。あの様子から察するに正面突破は難しいと考えて良い。
「あっちは無理だな。侵入するなら敵の数が少ない場所からだろうけど」
 パッと見た感じでは判断し辛い。そんな彼女に耳を澄ませたミシェルが呟く。
「樂、あの方角に敵はどれだけいる?」
「んー、どれどれ?」
 身を乗り出すように目を凝らす事僅か。
 道花の口角が僅かに上がり、彼女の手が4と言う数字を示す。
「やっぱそうか。んでも、あの塀を越えた先は他と同じに賊が居るかも知れねえ」
「如何いう事だ?」
 平素の状態では聞き取れない音がミシェルには聞こえている。故に神影はそう問うたのだが、これにミシェルの肩が竦められた。
「あの辺りから喧騒っていうか、騒ぐ音が聞こえるんだよ。ただそれは他も一緒だからさ」
 ミシェルはそう言うと、皆を振り返った。
「俺と樂が気を惹く。その間に今言った場所から入ってくれ。まあ、ほぼ勘だけどたぶん其処が近道だ」
 聴覚がどれだけ通用するかはわからない。それでも何の宛てもないよりはマシだ。
「了解した」
 羅喉丸は明確な答えを返すと、闇夜に光る鎖帷子に墨を被せた。そうして自らの足を撫でて意識を集中する。と、道花のぼやくような声が響いてきた。
「くそっ、こいつら一体なんだってんだよ……自害した奴等の仲間とかじゃなけりゃいいけどさ」
 強さ云々よりも使命感が半端ではない。
「一体何が目的なんだよ……」
 くそっ。そう口中で吐き出して地を蹴る。そうして顔を上げるとミシェルと目が合った。
「俺も思う事はいっぱいあるけどな。今は楽の目が必要だ。貸してくれるか?」
 ミシェルの聴覚と道花の目。そのどちらが欠けても侵入速度は変わるだろう。
「そうだな。どんな奴らが襲撃してんのかわからねぇと、こっちも手の出しようがねぇし」
 わかった。そう頷くのを見止めてミシェルが駆け出す。それに合わせて道花も駆け出すと、2人は先程人影の数を確認した場所へ向かった。
 彼等が向かったのは、屋敷のやや裏手。調度隣の屋敷との間に在る路地のような場所だ。
「おい! んなとこで何してやがる!」
 突如上がった声に、其処で塀を登ろうとしていた男が動きを止めた。それと時を同じくして、屋敷を伺おうと隣の塀に登ろうとしていた男の動きも止まる。
「そこは貴族様の屋敷だぜ? まさか泥棒って訳じゃねえよな?」
 道花は容赦なく其処に控える男達を見据えながら言葉を紡ぐ。その手は何時でも応戦できるように腰に帯びた曲刀へ向かうのだが、それをミシェルが遮った。
「俺達は開拓者だ。事と次第によっては強制的に引きさがって貰うが?」
 如何する? そう問い掛けたミシェルに、壁によじ登りかけていた男が足を下げる。そうして警戒しながら視線を寄越してこう言った。
「お、俺達はここに楠が居るって聞いたから来ただけだ。賞金首を倒せれば金が手に入るからな」
「へぇ」
 先程まで道花を抑えるために感情を押し留めていたミシェルの目が細められる。そして何かを堪える様に拳を握り締めると、静かな声音で問う。
「アンタ等、自ら調べるって事してねえのか……?」
「何?」
「全く、どいつもこいつも金ばっかりかよ」
 苦々しげに口中で呟いた瞬間、彼の視界に白く光る物が飛んでくる。それを道花の刃が受け止めると、ミシェルの奥歯がギリッと鳴った。
「交渉決裂! つーか、弓を使わない楠なんざ、聞いたことねぇけどな!」
 道花はそう叫ぶと、獰猛に瞳を光らせ襲い掛かる賊に刃を反した。

 その頃、ミシェルと道花が敵を惹き付けてくれているお蔭で難なく塀に辿り着いた羅喉丸は、自らの気力を消費して脚力の強化にあたっていた。
「向こうへ着いたら即縄を垂らす。そしたら来てくれ」
 そう告げて一気に飛び上がる。
「ッ!」
 僅かに脚力が足らなかったのか。それとも何かに失敗したのか。羅喉丸の手だけが塀を掴み、彼の顔に焦りが浮かぶ。
 しかしそれも一瞬の事。
 すぐさま腕に力を込めると、塀を蹴る事で反動をつけ、一気に壁の上へと舞い上がった。
「見ている方がヒヤリとしますね」
 弥生は安堵の息を零し、垂らされるであろう縄を待つ。だが次の瞬間、彼女は弓を構えて空を射っていた。
「ぎゃああっ!」
 ドサッと言う音と共に、縄が目の前に垂れ下がってくる。
「ヴァンハイムさんが言った事、間違って無さそうね」
 出来る事なら悪い予感は外れて欲しいかったが、こればかりは仕方がないだろう。
 弥生は苦笑を零して縄を掴むと、他の仲間と共に一気に塀をよじ登って行った。

●潜り抜けた先に
 雪日向家の屋敷は周辺の貴族の屋敷に負けず劣らずと大きい。なので勿論庭も相当な広さなのだが、まさか此処までとは思っていなかった。
「これだけ人間がいてまだ動けるとは……」
 呆れたように零すハーヴェイの言葉にフィンが小さく息を呑む。その上で現状を把握しようと目を動かすのだが、この場合状況把握を行わないでも現状は明確だろう。
「取り囲まれてますね」
 塀を背にしている開拓者を囲うように控える人影。状況は圧倒的に不利なのだが、此処で足を止める訳にはいかない。
 こうしている間にも紅林は闘い続けているのだから。
「強行突破しかないでしょうか……ならば私が――」
 私が行きます。そう言い切る前に彼女の隙を突いて、1人の男が凄まじい勢いで突っ込んで来た。その動きに羅喉丸が逸早く反応して敵の攻撃を受け流す。
 其処に白刃が迫ると今度は神影がそれを受け止める。
 どうやら此処に居るのは泰拳士と志士の様だ。風貌から察するに開拓者だろうか。
「順序は違いますが説得を行いましょう」
 弥生はそう言うと、ハーヴェイと視線を合わせて頷き合う。そうして武器を掲げる者達に向き直ると、一枚の書面を突き付けた。
「控えなさい! 此処には楠はいないわ!」
 ザワッと取り囲んでいた者達がざわめきだす。
 それを耳に、ハーヴェイも口を開く。
「此処にいるのは貴族のお嬢さんと、彼女を護る護衛だけだ。ギルドからお前らみたいな勘違い野郎共から守ってほしいって依頼が出てんだよ」
 良く見ろ。と、促すように差し出した書面はギルドで作成して貰った本物の依頼書だ。
 急ぐ足と気持ちを抑えて作成した書類には、ハーヴェイの口にしたように花鳥と紅林を護る様にとの内容が綴られている。
「もしこれ以上この屋敷を攻撃すると言うのであれば、開拓者ギルドは勿論、浪志組からも何かしらの沙汰あるかもしれないわね」
 ギルドだけでなく、浪志組も? この名前は思いの外効果があったようで、まじまじと書面を見詰めていた男の1人が口を開く。
「……それは、本物か?」
 そう口にしながら、バツが悪そうに武器を下げる。それを見て1人、また1人と武器を下げてゆく。
 そして最低でも今この場を取り囲んでいた者達が武器を下げ切ると、誰もが胸の奥で安堵の息を零した。
「聞きたいのだが、保護の対象である護衛が何処に居るかわかるか?」
 武器を下げたのであれば敵対する意思はないのだろう。それに開拓者であるのなら協力する意味は少なからずある筈。
 そう問い掛ける神影に志士が言う。
「この庭を突っ切った先って話だ。俺達は其処に辿り着く前にアンタ等を発見したからな……けど、相当数の人間が向かってたぜ」
 あの様子だと助からないかもしれない。
 そう零される声に、フィンは唇を引き結んで前を見詰める。
「今度こそ突っ切ります! 羅喉丸さん、よろしくお願いしますね!」
 1人では無理でも2人なら。
 フィンは改めて槍を構えると、勢いを付けて勢いで駆け出した。これに羅喉丸も続いて駆け出すのだが、目的地に到着するのと同時に、2人は……いや、駆け付けた者皆が息を呑んだ。
「紅林、さん……?」
 零された声。次いで上がった声無き悲鳴に、皆を援護する為に塀の上を移動していたパラーリアが動く。
「フィンちゃん、何が――ッ!」
 滑り込むようにして駆け込んだ庭で、パラーリアもまた息を呑んだ。
 庭の土に突き入れた刃で辛うじて立つのは紅林だ。彼女は全身の至る所から血を滴らせ、衣を真っ赤に染めて其処に在る。
 その姿は立っているのが不思議なほど。
「うああああああ!!!」
 フィンは自らの腕を掲げると、猛烈な勢いで駆け出した。これにパラーリアも慌てて弓を構える。
 その視線が捉えるのは、庭に控える陰陽師らしき人の姿。彼女は敵が符を構えるのと同時に、自らの矢を引き抜いた。
 これにフィンや羅喉丸、弥生やハーヴェイ、それに神影にしか見ていなかった者達が視線を向けてくる。
 だがそんな事に構っている暇はない。
「羅喉丸さん、後ろにゃ!」
 飛んでくる矢に頬を掠め取られながら叫ぶ。
 その瞬間、紅林の傍に滑り込んだフィンと羅喉丸の双方が、降り注がれる攻撃を受けて立ち塞がった。
 次々と打たれる矢の嵐。そして降り注ぐ刃に、それらを振り払おうと動く弥生が眉を寄せる。
「っ、なんて量……引きなさい! あなた達に通達します。此処に居るのは楠ではないわ! その証拠も此処に――」
 叫んで依頼書を提示しようとした。
 けれどその腕が何者かによって払われてしまう。
 宙に舞った鮮血に腕を抑えるのとほぼ同時だった。紅林の最後のひと絞りとも言える刃が、弥生に迫る腕を叩き斬ったのだ。
「これ以上は拙い!」
 刃を流して滑り込んだ神影が崩れた紅林の体を掬い上げる。そうして息を確かめるのだが、その音が想像していた以上に弱い。
「皆、目を瞑れ!」
 ハーヴェイは最後の手段と言わんばかりに叫ぶと、庭にはびこる敵に向けて銃弾を放った。
 直後、凄まじい光が辺りを包み、武器を向けていた者達に隙が生じる。捕らえるならば今しかないだろう。
「今の内に!」
 ハーヴェイはそう声を上げると、皆と共に襲撃してきた者達を捕らえるべく動き出した。

●優しき想い……そして
「……向こうも静かになったか」
 塀の外で敵の存在を確認しては説得、もしくは捕縛を行っていたミシェルがふと足を止める。
 それに合わせて道花も足を止めると、彼女は縄に縛り猿轡を嵌めた男を振り返った。その姿は塀に並ぶように数名置かれているのだが、それを見た瞬間道花は吐き捨てる様に言い放つ。
「何なんだ、コイツら。花鳥は貴族のお嬢さんで、紅林はお嬢さんに雇われた護衛であり、家族だって言ってんのに反抗するとか!」
「俺だって同じだ。楠と紅林は全くの別人だって言ってんのに聞きやしねえ」
 そう。彼等が対峙した者の殆どが賞金稼ぎだったようで、彼等はミシェルや道花の言葉など聞く耳持たないといった様子で襲い掛かって来た。
「俺は言いがかりをつけて弱い者いびる奴が大っ嫌いなんだよ!」
 言って塀を勢い良く殴り付ける。
 其処に盛大な足音が届く。
「此処に居たのか」
「あん? 天月じゃねえか。如何した?」
 物音がしない事から屋敷内部も落ち着いたものと思っていたが、神影の様子から察するにまた何かあったのだろうか。
「至急屋敷へ来てくれ。俺はギルドへ行ってくる」
 言うや否や駆け出した神影に、ミシェルと道花は目を瞬きながら顔を見合わせた。

 屋敷の中では衣を着替え、ほぼ全身に包帯を巻かれた紅林が布団の上に横たえられていた。
 その脇ではフィンが必死に符水を飲ませようと彼女に促している。しかし――
「如何して……如何して吐き出してしまうんですか! 紅林さん、飲んでください!」
 少しでも良い。少しで良いから飲んで欲しい。
 けれど、竹筒を口に運んで傾けた瞬間、彼女は口に含みかけた符水を吐き出してしまうのだ。それは彼女の意思とは関係なく、体が受け付けていないかのようにも見えた。
 それを見ていた羅喉丸が、部屋の隅に腰を据えたまま拳を握り締める。
「……誇り、か」
 護る事、立ち向かう事、仕事を全うする事。それら全てに誇りを持って取り組んでいる。
 だが時折、こうして手が届ききらない事がある。それは自分が未熟なのか、それとも運命と言う名の何かが阻むのか……。
「ハーヴェイさん、ありがとうなのにゃ」
 桶に汲んだ水で手を洗い、パラーリアが囁く。
 その声に包帯を巻いたり消毒を手伝ったりしていたハーヴェイが首を横に振る。
 襲撃者に思う事は多々あるが、今考えるべき事はそれではないだろう。
「今考えるのは、紅林と花鳥の事……だよな」
 紅林の容態はお世辞にも良いとは言えない。寧ろ、彼女の容態は最悪のものと言って良い。
「おい。なんだよ、これ……」
 神影に言われて屋敷に入った道花は、目に飛び込んできた状況に呆然と息を零した。
 勿論、後から入って来たミシェルも同じだ。
「……花鳥にはあんたが必要なんだぞ」
 彼はそう呟きながら足を進め、目を閉じたまま頬を濡らす紅林の顔を覗き込む。そうして彼女の頬を指の腹で拭うと、慌ただしい足音が響いてきた。
「紅林! 紅林は無事かえ!」
 開拓者ギルドへ向かった神影に連れられて戻って来た花鳥を、パラーリアが玄関まで出迎える。そして必死の形相で此方を見上げる彼女を見て、ツッと目を逸らした。
「……紅林は……!」
 本来ならばこんな顔をさせるつもりはなかった。本来ならば笑顔で彼女を迎える筈だった。
 けれど現実は違う。
「……紅林さんは、こっちだにゃ」
 パラーリアは花鳥の手を取ると、紅林が横になる場所へ案内した。
 其処には紅林の他に、事態鎮圧に尽力した開拓者の姿もある。その中の1人、道花は花鳥が紅林の傍へ寄れるようにと道を作りながら呟く。
「……すまない」
「っ!」
 聞こえた謝罪に花鳥の瞳が揺れた時だ。
「……花鳥、さ…ま……」
「紅林!」
 殆ど吐息とも取れる声音に、花鳥が駆け寄る。そして縋る様に手探りで手を取ると、悲痛な声で叫ぶ。
「死ぬでない! わたくしには紅林が必要だ! 良いかわたくしが良いと言うまで――」
「……申し訳…ありま、せん……」
 言葉を遮る様に発せられた声に、花鳥の目に涙が浮かぶ。
 それと同時に紅林の頬を一筋の光が流れ落ちると、フィンは堪え切れないとでも言うように花鳥の背を抱いた。
「花鳥さん、ごめんなさい……ごめんっ」
 開拓者が悪い訳ではない。
 寧ろ彼等は紅林と話す機会をくれた。もしかしたらあのまま一生言葉を交わす事がなかったかもしれない時に、僅かでも時間をくれたのだ。
 其処には感謝しなければいけない。
「っ……わたくしの、方こそ……申し訳っ、ぅ……」
「謝罪は必要ない……我慢をする必要もだ」
 気丈に振る舞い何とか立ち直ろうとする花鳥に、羅喉丸は優しく声を掛ける。その声を聞き止め、紅林の唇が僅かに笑んだ。
「……皆様…に……お願い、が……」
 既に刀を持ち上げる力はない。引き摺る事も出来ない。その事にもどかしさを覚えながら、愛用している刀に手を伸ばす。
「……何かしら。あたし達に出来る事ならなんでもするわ」
 間に合わなかった事。助けられなかった事。それらの償いになるとは思えない。
 それでも聞ける願いがあるならば。そう想い弥生が口にすると、紅林の唇が「有難う」を紡いだ。
 そして内なる想いを、刀を握り締めて放つ。
「……私の、身を……ギルド…へ……」
 乱れた息の合間に発せられた声。これにミシェルが眉を潜める。
「それは……如何いう意味でだ?」
 大体の想像はつく。けれど本人の口から真意を確かめなければ、それはただの想像で終わりだ。
 だから問うたのだが、紅林の口からは予想通りの言葉が漏れた。
「……髪を、切り……楠……として……」
「ッ! ならぬ、ならぬぞ!」
 花鳥の気持ちはわかる。
 賞金首として亡骸を差し出せば、何をされるかわかったものではない。
 けれど紅林は言う。
「……私は……花鳥様を、お守り…出来たこと……誇りに、思います……。…同じく……楠も……妹も…守り、たぃ……」
 攻撃を受ける際に願ったのは花鳥を守る事。そして楠通弐(iz0195)に来ないで欲しいという事。
 襲撃中に楠が来なければ、自分が倒された事で全てが丸く収まる。けれどもし楠が来てしまえばそれも出来なくなる。
「……ど…か、お……願ぃ……、……」
「紅林! 紅林ッ!!」
 刀を握っていた手から指が零れた。
 それにハーヴェイが慌てて駆け寄る。そして彼女の腕を取ると、奥歯を噛み締めて瞼を伏せた。
「……残念だが」

 ガタッ。

「!」
 突然の物音に全員の目が飛ぶ。
 もしギルドの関係者や役人に現状を見られれば、紅林の願いが無駄になってしまう。
 だが、其処に居たのはギルドの人間でも、役人でもない。其処に居たのは――
「――楠」
 神影の声に花鳥が立ち上がる。
 そして音のした方へ歩みを向けると、彼女は通弐の前で足を止めた。
「……楠様。今のお話、聞いておられましたか? 紅林は、貴女の為に……、…身柄を渡せと……」
 震える声で言の葉を紡ぐ彼女に通弐の目が落ちる。そして何も言わずに紅林へ目を向けると、緩やかに拳を握り締めた。
「何よ、この様……開拓者が付いていてこの様なんて……やっぱり人間は人間ね」
「何だとッ!」
 フッと嘲る様に上げられた口角に、ミシェルが飛び掛かろうとする。が、それを神影が遮り弥生が前に出た。
「何と言って貰って結構よ。でも、今の話を聞いていたのなら、自分が如何すべきかわかるわよね?」
 今の話。それは紅林の遺言「髪を切って楠としてギルドに亡骸を渡して欲しい」と言うもの。
 これに通弐の視線が逸らされる。
「……貴様等が……もっと早く駆け付けていれば……」
「通弐?」
「もっと策があったでしょ! もっと、何か……ッ!」
 通弐は近くに在った襖を叩き破ると、驚いた様に此方を見る花鳥に目を落とした。
「……開拓者ギルドは、紅林の存在を知っているのでしょう。なら何をしても無駄よ。あなた達人間は、妙な所で鼻が効くもの」
 絶対に無理。
 通弐はそう零すと花鳥から目を知らして屋敷の外に飛び出した。これにパラーリアが叫ぶ。
「何処に行くのにゃ!」
「……何かが腹の奥で騒いでいるの。何かをしなければ納まらないわ……なら、する事は1つでしょ」
 通弐はあっという間に屋敷の外に出ると、塀の上に飛び乗って庭を振り返った。其処は先程まで紅林が闘っていた場所でもある。
「馬鹿みたい……」
 そう零すと、通弐は夜の闇に紛れる様に姿を消した。