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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●十年前 吸血鬼を倒した。当時の弓術師と人妖は、そう信じていた。 陰陽師の墓に参った弓術師は、故郷の温泉郷に寄った。 全身の傷が、激闘を物語る。しばしの湯治を要した。 「親父、すまん。俺はこのまま神楽の都に住むつもりだ」 露天風呂に浸かりながら、弓術師は眼を細める。親子水入らず。 「…大事な物を無くしすぎた。理穴に来るたびに、心が悲鳴を上げるんだ」 父親は何も言わない。息子の言葉に、耳を傾ける。 「でも年に一度は帰るから、心配はせんでくれ」 心を支えてくれた人たちとの約束があると、弓術師は笑う。 ―――いつか、理穴を緑の森にする。 それが、親友と将来の女房との約束だった。 ●昔話 おしゃべりな人妖、与一(よいち)は教えてくれた。弓術師の若気の至りを。 「旦那が、女将に一目ぼれしたでさ。女将は呉服問屋の看板娘でやんした」 人妖の制作者とギルド員の忍犬が亡くなって、一年後の事だった。 「親父たちを亡くしてから、ひたすら戦いばかりで…」 弓術師は、すさんでいった。心も、生活も、人間臭さを無くす。 「当時の旦那の生活は、滅茶苦茶でさ。食事は我が作らないと、お粥ばかりでやんす。 着物は、ボロボロ。さすがに理穴の首都「奏生」を通った時に、呉服問屋につれこんだでさ」 吸血鬼との戦い帰りに寄った、呉服問屋。そこが運命の場所だった。 「殺気まみれの旦那に臆せず、女将は『いらっしゃいませ』と声をかけてきたでさ。 笑顔を浮かべる女将には、後光が差して見えたでやんすよ」 お調子者の人妖は、大げさに話す。仏頂面の弓術師に、天変地異が到来したと。 「なぜか旦那は、女将を口説いたでやんす。もちろん、すぐにフラレたでさ。 思わず、我は大爆笑したでやんす。旦那は、引きつった笑みしか出なかったでさ」 弓術師と人妖が、一年ぶりに笑った瞬間だった。 「それから理穴に行くたびに、旦那と我は呉服問屋に寄ったでさ。女将から洗濯や縫物を習ったでやんす」 三年間、続いた。三十路を迎えた弓術師が、吸血鬼を倒したと信じた日まで。 ●親子 理穴の東部には、温泉郷がある。栃面 弥次(とんめ やじ:iz0263)の故郷だ。 露天風呂近くの山小屋に、栃面家一家は仮暮らし中。一家の大黒柱は、ギルド員。 今年の春頃から、理穴東部の魔の森が、急速に拡大し始める。温泉郷も飲み込まれそうな勢いだった。 ギルド員は、故郷を救うために立ち上がる。温泉郷に残された家族は、ひたすら大黒柱を待ち続けた。 魔の森の創造主、大アヤカシを打倒したのは、先日の話だ。ギルド員が宿敵と相対したのも。 温泉郷も、夏の季節を迎える。一本角を持つ修羅の子の仁(じん)は、小屋の外でスイカをかじっていた。 「…はぁ」 修羅の子からもれる、盛大なため息。隣に居た人間の幼子が、見上げる。 「にーたん、どーちたの?」 「なんでもないってんだ!」 舌足らずで尋ねる幼子は、血の繋がらぬ弟。尚武(なおたけ)と言った。 「…はぁ」 「仁、ため息をつくと幸せが逃げるぞ」 修羅の子は、再びため息をつく。その背中に向かって、ギルド員の声が飛んだ。 養い親は、縁側にやってくる。修羅の子の右隣に陣取った。 「尚武、台所で母さんの片づけを手伝って来い」 「う?」 「尚武様。後で、お散歩に行きましょうか。忍犬の子犬が居る所ですわよ」 「いにゅ、いきゅー♪」 ギルド員は、下の息子に手伝いを言いつける。母の提案に、幼子は大喜びでついて行った。 「仁。…母さんを手にかけそうになったことを、まだ悔やんでいるのか? お初(はつ)は、それぐらいで、お前さんを嫌ったりしない。今のお前さんは、信じんだろうが」 ギルド員は、修羅の子を見下ろす。無言を貫く、上の息子。 「あの吸血鬼の魅了は、強かったからな。俺の死んだ仲間でも、抵抗できたのは数人だ。 …聞くか? 俺の昔話を、開拓者時代の話を。それから、最近の戦いを」 ギルド員は、虚ろな眼差しで思い出を語った。 息子を慰めるでもなく、ただ事実を述べる。淡々と、淡々と。 「とーちゃん…皆、灰になったの?」 聞き終えた修羅の子は、ギルド員を見上げる。 「ああ。九郎(くろう)も、継信(つぐのぶ)も、それから龍達もな。 骨だけでも、不死系アヤカシに変わる。俺は、もう仲間を手にかけたくない」 睡蓮の池の脇に、横たわっていた白骨たち。決心をしたギルド員は、全て燃やし尽くした。 「…ほとんどの灰は、風に吹き飛ばされた。俺の元に残ったのは、あれだけだ」 視線の先にある、小さな骨壷。温泉郷と睡蓮の池で、それぞれ手に入れた、一握りの灰。 「あの灰をどうするか、悩んでいる。どこに埋葬するべきか」 灰の持主たちの故郷は、とっくに魔の森に飲まれている。 埋葬していた墓場も、先日、魔の森の一部になった。 「この近くに埋葬するには、敷居が高すぎると思わんか?」 温泉郷を襲った、アヤカシ達の残骸。住民たちの恐怖を取り除くのは、簡単でないはず。 「…今日のとーちゃん、なんかちっこいってんだ!」 ギルド員の質問に、修羅の子は頬を膨らませる。背中に回り込むと、問答無用で飛びかかった。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
デニム・ベルマン(ib0113)
19歳・男・騎
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
海神 雪音(ib1498)
23歳・女・弓
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
劉 星晶(ib3478)
20歳・男・泰
アルフレート(ib4138)
18歳・男・吟
神座真紀(ib6579)
19歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●死者の行く末 「弥次様の因縁も、終止符を打つ事ができましたね」 杉野 九寿重(ib3226)は、ピコピコと犬耳を動かす。過ぎてみれば、一連の出来事はあっという間だった。 デニム(ib0113)は身を正した。相棒の鷲獅鳥、ワールウィンドが後ろで見守っている。 「栃面さん、まずはおめでとうございます」 最敬礼をし、言葉を紡ぐデニム。ワールウィンドも、深々と頭を垂れる。 「…もう矢吹丸の新たな犠牲者は発生せず、犠牲になった方々の無念を晴らせたのです。 だから、生き残った者は兎も角も、晴れやかに笑うべきだと思うんです」 デニムは顔を上げた。無器用な弥次に、笑って見せる。 二十年以上の因縁に、決着をつけられたのだから。 「ただそれだけでは、人の営みが一区切りとは行かない訳ですね。 亡くなった方々を改めて弔ってこそ、己自身に心の平穏が齎(もたら)せる感じでしょうか」 そこに到る道筋は長かった。付き添った九寿重としても、気がかりはたくさんある。 埋葬の候補地は三つあった。神楽の都の弥次の家。弥次の故郷の温泉郷。それから、少し離れた緑の森。 「九郎さんや継信さん達の遺灰を、何処へ葬るか。どの候補地も一長一短ありそうで難しいなぁ」 神座真紀(ib6579)は、ポニーテールを揺らした。大きな白いリボンも、一緒に悩む。 「…こんなに悩んだのは久しぶりです。埋葬候補、それぞれに、良い所と心配な所がありますね」 空を仰ぐ、劉 星晶(ib3478)。上級鷲獅鳥の翔星も、考えるように目を細めていた。 「『森が一番まし』という事になりそうですかね…」 黒猫耳は、微動だにしない。星晶も、どんな顔をしたらいいか悩む。 「弥次君は、何処を希望しているのですか?」 フレイア(ib0257)の氷蒼色の瞳は、静かに尋ねた。ケリンエルフ一族の女主人として、逃避は許さない。 灰は植物の栄養になるから、庭か森。弥次が考えあぐねた末の、単純な理由。 それでも、温泉郷に跡を残すなら、川に流すのも悪くないと思う、と。 「私は温泉郷、緑の森順で推薦しますわ」 フレイアは、優雅に頷く。弥次の本音を聞けただけでも、前進だ。 「候補地について、いろいろ考えました・・。郷の人達の気持ちやお墓参り、そのほかの事・・」 銀の瞳を伏せながら、柊沢 霞澄(ia0067)は言葉を紡ぐ。胸元で組まれる手。 「その上で、私は緑の森が良いと思います・・」 霞澄の言葉を静かに待つ、相棒のからくり。相棒用メイド服を着用した、麗霞だ。 「お墓を造り死者を弔うのは、生きている人達が自分の気持ちに整理をつける為に行う事・・。 ですが、その気持ちは亡くなった方々を想う気持でもあります・・」 開かれる、まぶた。霞澄は、切に想う。 死者たちを、少しでも故郷の近くで眠らせてあげたいと。 「灰は森に葬るのが一番でしょうか」 デニムの声に、ワールウィンドも翼を動かした。風切の羽根飾が、何度も空を行き交う。 「…少し不便ではありますが、緑の森はどうでしょうか」 海神 雪音(ib1498)も、考え込みながら意見を言う。 「…魔の森が存在している以上、魔の森に浸食されないとは言えませんが。 …氷羅と砂羅を倒し、魔の森の拡大は阻止できましたから」 魔の森の根源、大アヤカシの撃破。瘴気に満ちた森は、今のところ広がるまい。 「…また魔の森が広がろうとするのであれば、再び阻止するまでです」 雪音が背中に背負った、猟弓「紅蓮」の深紅の宝珠が一瞬輝く。生きる力を攻撃力に変える弓。 「私は森をおしますね」 言いながら、九寿重は犬耳を倒す。どこも、問題はあった。 「温泉郷の案は、関係者の心理的抵抗により難しいでしょうし、かと言って神楽の都というのは…」 言い淀む、九寿重。すみれ色の髪を持つ人妖に、視線を向けた。 「与一に近過ぎて、心理的負担が大きいのでしょうね」 九寿重の声に、与一はまたたきする。珍しく、人妖は苦笑を浮かべた。 「俺は、神楽の都をあげる。灰の殆どはもう土に還ってて、理穴の森そのものが彼等の墓標でもあるし」 駿龍のクロウを撫でながら、アルフレート(ib4138)は考えを述べる。 「皆の思いを聞いて、それをどう判断するかは、栃面さん一家に一任するけど」 顔だけ、向きを変えた。視線の先に、与一がいる。 「与一君の傍に、お父さんのお墓を置いてあげたかったですが。 緑ある静かな地に眠れると考えれば、これはこれで。素敵な場所に埋葬してあげましょう」 主の台詞に合わせて、翔星が鳴き声をあげる。でっかい相棒は、森の外でお留守番。 与一の頭を軽く突きながら、翔星は主達を送り出した。 フレイアは、緑の森を眺める。肩に相棒の管狐、フマクトがのっていた。 「アヤカシの脅威は去りましたが、その爪は人々の心に傷を残しました」 相棒の頭をなでながら、フレイアは言葉を続ける。 「それでも、人は前を向いて先へ進んでいかねばなりません。私に出来ることがあるとするならば…。 では、参りましょう」 流れるような黄金の髪が、歩きだした。促すように、フマクトが鳴く。 「お墓も、日当たりがいい方が良いのでしょうか?」 上を見上げ、考え込む星晶。緑の森の中は、木が茂る。 「あまり奥深くない、出来るだけ開けた所が良さそうだ」 アルフレートは、顎に手を当て、少し考える。入口近くに決まった。 弥次は、伸びかけた若木を選ぶ。星晶と共に、穴を掘った。 唐突にひっくり返される、骨壷。驚く星晶の前で、弥次は灰を穴に落としこむ。 同じく驚いた与一が、穴の中に身体を突っ込んだ。アルフレートに引っ張りだされる。 灰が、森の肥料になるように。死者たちが、森と共にあるようにとの願い。 「起こしてしまってすみません。今度こそ安らかにお眠りください」 若木にでっかくなれと、話しかける与一。星晶は、小さく笑みを浮かべ、お供えの古酒を差し出した。 墓の前に、デニムは並んだ。ジルベリアの若き騎士として。 魔剣「ストームレイン」を、墓の前につきたてる。肩膝をついた。 (……二度と、このような犠牲が出ないように。心ならずも操られて仲間を傷つける人がでないように。 剣に誓って、死力を尽くします。だから、どうか安らかに眠ってください……) 民の盾となり正義を貫く、それが騎士。シュタインバーグ家の次期当主は、心の中で祈りを捧げた。 「霞澄様、数珠をお持ちしました」 「ありがとうございます‥」 霞澄はほほ笑みを浮かべ、麗霞から数珠を受け取った。しゃがみこみ、両手を合わせる。 静かに祈りを。霞澄の開いた銀の瞳が、懐かしげな色を浮かべた。 麗霞は、不思議そうに尋ねる。淡々とした口調ながら、心配がにじみ出ていた。 「霞澄様、いかがいたしました?」 「少々思い出してしまいました・・」 もう亡くなった両親。霞澄は、天儀人とジルベリア人の間に生まれた。 おぼろげな記憶。ジルベリア出身の親は、数珠も珍しかったかもしれない。 千早「如月」を揺らし、霞澄は立ちあがる。心の傷は、日々の暮らしの中で癒していくもの。 「心ならずも、友と戦わざるを得んかった彼らに、魂の安寧を願うで。 どうか、今度こそ、安らかに眠って欲しいからな」 真紀の祈りの言葉に合わせて、アルフレートが華彩歌を奏で始めた。 桜色の三つ編みを揺らし、真紀の相棒も歌う。春の妖精の歌う、鎮魂歌。 墓に手を合わせたあと、真紀は弥次に向き直った。 「あたしの勝手な思いかもしらんけど、弥次さんに伝えておいた方がええと思うから」 最後の戦いの際見た、継信(つぐのぶ)の心を。 ●理穴の景色 温泉郷の子供たちと、人妖や羽妖精たちが遊んでいる。蝶ネクタイをした、朱雀の声が聞えた。 「アタシは、上級人妖なのだよっ。負けないのさっ!」 「私も負けません。冬の妖精の名にかけて!」 朱雀は、泥まみれだった。雪音と競っている。イモ掘りの腕前を。 「寂しいと思い、久方振りに朱雀を連れ添ってみたのですが…大人しくして貰えると助かりますかね」 ため息をつき、見守る九寿重。五人姉妹弟の筆頭としての性格が、見え隠れする。 霞澄と麗霞も、子守の手伝い。犬の鳴き声が聞えた。茶色い子犬が、麗霞の足にまとわりつく。 「まちぇ、まちぇ!」 全力疾走の尚武が、子犬を追いかけていた。お初が息を切らして後を追う。 霞澄は子犬を抱き上げた。尚武に、優しい抱き方を教えてやる。 「亡くなられた方々への一番の供養は、私達が前を向いて生きていく事だと思いますから・・」 ほほ笑みを浮かべる霞澄。子犬はハチの子孫だと言う。幼子の将来の相棒は、忍犬かもしれない。 翔星と足湯を楽しんでいた星晶。相棒に話しかける。 「ところで仁君は元気が無いですね。やはり、まだ気にしているのかな?」 低く鳴く、鷲獅鳥。イモ掘りの場所に、真紀の姿が見えた。長巻「焔」を持ち、仁王立ち。 「仁君、ちょっとこっち来ぃや」 「えー、嫌だってんだ」 「ええーから、来るんや!」 真紀は容赦ない。嫌がる仁を捕まえた。無理やり引きずって行く。 「乱暴は、だめですぅ」 オロオロする、春の羽妖精。相棒の春音を無視して、真紀は歩を進めた。 一歩踏み出した。足元の砂が舞う。袈裟がけに振りおろされる、長巻。 「なんやそのへっぴり腰は! そんなんで大事な人守れるんか!?」 真紀の一撃を受けかね、仁はたたらを踏んだ。真紀の怒声が飛ぶ。 さらに容赦なく、一撃。仁は、逃げた。シノビの技法で、遠くに逃げた。 「そんなやる気ないんは、大事な人守ろいう気が無い言う事か? 弥次さんも、尚武君も、与一さんも」 真紀の足元に、振り下ろした長巻。地面に先端がめりこむ。 「そうか、お初さんも守る気ないんやな。愛してないんやな?」 神座家次期当主の真紀。祖母の厳しい指導にも根を上げない、不屈の魂を持っていた。 気迫に押され、小さくなる修羅の子。戦の民の面影は、どこにもない。 「ひどいですぅ」 見かねた春音が、二人の間に割り込む。あえて真紀は、目尻を釣りあげた。 「春音は、だまっとき!」 真紀は、あえて厳しい言葉をぶつける。仁君の本音と、本気が見たい。 しょぼくれた仁に、デニムは声をかける。騒ぎを聞きつけやってきた。 「仁君、お父さんの話をしましょうか」 若葉色の瞳が、デニムを見上げた。デニムは表情を引き締めたまま、吸血鬼との戦いを語る。 往年の開拓者の選択。昔の仲間の屍に苦しみ、それでも戦い抜いた事。 「栃面さんは強い人だよ」 弥次と一緒に入った露天風呂で、デニムは仁の昔話を聞いた。 アヤカシに襲撃された、冥越の故郷。…ただ一人の生き残り。 二年前、神楽の都で、故郷の仇はとった。直後、栃面家に引き取られた時の、無感動な眼差し。 「その息子の仁君も、苦しさを乗り越えて強くなって欲しいなと思う」 今の仁の瞳は、感情を宿している。葛藤、苦悩、そんな感情。 デニムは茶色い瞳から、強い眼差しを贈る。仁の背中を軽く叩きながら。 冷たい雪水川の流れに沿って、散歩を楽しんでいた。 九寿重は、ふっと、足を止める。浴衣「朝顔」の裾が、少しだけ揺れ続けた。 「一流剣士へなる為に、私も都で修業しましたね」 一人で河原に座る仁に、声をかける。真紀とデニムに、しごかれたようだ。 「男の子なのだから、何時までもクヨクヨせず、前向きに進んだ方がカッコ良いですよ」 九寿重は、水面を見ながら、たった一言だけ慰めた。静かに立ち去る。 犬耳が去った後、黒猫耳が近づいてきた。ジン・ストールで、口元を隠しながら。 「仁君、ため息ついても時間は戻りませんよ」 星晶は、少し厳しめの口調。それでも意外と世話焼きな部分が、顔をのぞかせる。 「お初さんは怪我をしただけです。失くしていません。 不覚を取った事を悔いるなら、次頑張れば良いのです」 膝を抱えながら、仁はちらりと背後を見やった。星晶は、わざと視線を反らす。 言い捨てると、背中を向け歩きだした。相棒の隣に戻り、足湯を楽しみ始める。 翔星は、心配げに鳴いた。特に子供に優しく、一緒に遊んであげたりもする鷲獅子鳥。 「禍福は糾える縄の如く。仁君なら、きっと大丈夫ですよ」 御守り「命運」を揺らす相棒に、星晶は軽く笑みを浮かべていた。 クロウに無理させたことを、気にやむアルフレート。相棒を伴い、温泉川へ急ぐ。 と、クロウが何事が鳴く。視線を動かせば、河原に修羅の子が居た。 「仁くん、温泉川へ行くかい?」 河原に降りて行き、肩を叩く。仁は行きたくないと、言い訳ばかり。 「…いいんじゃない? 悔いても」 クロウが仁の襟首をくわえた。強制的に立ちあがらす。 「たとえ操られた結果でも、自分の行為を気にやまない事は大人にだって難しい。 けど、悔いを自分の敵にするか味方にするかは子供にも出来る…いや、却って子供の方が上手かも知れないね?」 歩きながら語りかける、アルフレート。仕方なく、仁は歩きだす。 先行くクロウは風の脚絆をつけたまま、温泉川へ座りこんだ。仁に仕草で示す。 「家族を二度と同じ目にはあわせない。味方につけた後悔は、きっと君を強くしてくれると思うよ」 駿龍のお誘いに、仁は走り出す。その背中を見ながら、アルフレートは呟く。 仁が実父の形見の忍刀を握りしめていた事に、気付いていた。 「…疾風は、休んでいて下さい」 駿龍の身体をなでる雪音。一連の戦いの労をねぎらう。疾風は返事を。 体躯を揺らし、温泉川に入ってきた。ちょうどいい温度の所で、座りこむ。 疾風を置いて、雪音と雪花は露天風呂へ。脱衣所で、フレイアが髪をまとめていた。 隣で湯浴み着に着替え始めた雪音と、フレイアは色々話し始める。 「温泉郷の方々に、弥次君の友達が命懸けで戦ったこと。 多くの命が喪(うしな)われて、漸く報われる時が来たことを、理解して頂ければ十分でしょう」 と、フレイアの眉毛が、優美に持ちあげられた。千早「如月」を脱ぎかけ、止める。 侵入者感知の魔法が、何かを捕らえた。露天風呂の脇から、何者かが逃げ去る気配。 「…さてと、雪花」 雪音は静かな怒りをまとい、相棒と目を合わした。頷く雪花の翡翠の瞳に、闘志が宿る。 相棒剣「ゴールデンフェザー」を片手に、空に舞う冬の羽妖精。零下に等しい空気をまき散らしながら。 「そこの人、待ちなさい! 覚悟は、よろしいですね?」 雪花は、不届き者を眼下に収めた。氷の様な水色の髪を振り乱し、逃げる若者の前に立ちふさがる。 「敵は、アークブラストで粉砕ですわ」 たいへん豊かな胸をもつ魔術師も、外に出てくる。透き通った声は、物騒な気配をまとっていた。 「それでは御機嫌よう」 にこやかに、笑うフレイア。とどろく雷鳴、若者の悲鳴。覗き見の代償は、大きかった。 ●右腕の希望 宴会だった。魔の森の脅威が去った祝い、温泉郷の人々も巻き込んで盛大に。 「辛い記憶もあるでしょうけれど、彼らが人のために戦ったこと。そして魔の森が焼き払われ、人の手に…」 フレイアは、里長に向かって、言葉を紡ぐ。昔の理穴は、森の国と聞いた。氷蒼色の瞳は、未来を見ていた。 「かつて喪われた『人の世界が戻る』ならば、勇気を出して新しい一歩を歩みだしてみませんか」 儀弐王が魔の森を焼き払い、理穴の東部が人の手に戻り蘇っていく。 辛い記憶も、やがて来る希望への導となる。フレイアは、緑の夢を見つめていた。 弥次に話しかける雪音。アヤカシと化した先達を尋ねる。 「継信か?」 「…はい。…同じ弓術師としてせめて生前、人間であった頃の事を知っておきたいです」 「俺より五つ年上でな、兄貴分だった。大きなお子さんがいてな」 弥次と与一だけが生き残った、戦い。仲間をかばって、継信は真っ先に命を落とした。 残された子は、成長し、軍人に。今回の理穴の戦いに、参加したと言う。 「…後で尚武の弓の腕前が、どれ程上達したか見せてもらいたいのですが」 表情の変化が乏しい雪音だが、少しだけ眉が動いた。申し出に、尚武は飛びはねる。 「…普段は弥次さんが教えていると、思っていましたが。…与一が、心得担当ですか」 わずかばかり、雪音の声音が驚きを帯びる。与一も、尚武に教えているらしい。 弥次の相棒になった後、一から弓術を習った。成敗!に弓を用いる、珍しい人妖に育つ。 「そう言えば、与一から聞いた弥次様の馴れ初め、何と無く父様と母様の状況と似通ってる気がします…」 料理をつまんでいた九寿重。ふっと、もらす。 「聞いた話では…田舎から北面・仁生に繰り出した父様が、修行の為に伯父様の道場に入門願いした際に、受付してた母様に一目惚れしたそうで」 なぜか遠くなる、九寿重の目。聞き咎めた弥次は、視線を向けた。 「その頃、道場の看板娘だった母様を、同輩押しのけてやっとの思いで口説き落したみたいですね…」 「北面にも、旦那の仲間がいたでさ♪」 お調子者の与一が、からかう。盃をもったまま、弥次は固まっていた。 弥次と酒を酌み交わしていたデニムは苦笑する。仁は見計らい、遠慮がちにデニムの服を引っ張った。 「兄ちゃん、おいら、夢があるよ。いつか冥越に帰って、里の皆の墓を建てるってんだ」 「…それから、魔の森を、緑の森に変えるのかな?」 「なんで分かるの!?」 仁の若葉色の瞳が、まんまるになる。デニムは、穏やかな視線を向けた。 「母ちゃんには、まだ秘密。…怒られるの嫌だってんだ」 「その思いを、そのままお初さんへ伝えたらええ。仁君はそれが出来る子やって、信じとるで」 真紀は笑みを浮かべ、優しく促す。特訓時と違って、晴れやかな仁の顔。 「仁さんの気持ちの整理がついたとき、皆で九朗さんたちのお墓参りに行くのはどうでしょう・・?」 霞澄の提案に、仁は頷く。必ず、いつか家族で参りに来ると。 「お墓は良い記憶も、悪い記憶も、呼び起こします・・」 今回の一件では、皆、心に小さくない傷を負った。 「仁さんのように魅了され操られた人、大切な人に傷つけられた人などは特に・・」 思った。自分の気持ちに整理をつけるには、まだ時間がかかると。 考えた。言葉にできる思い出に変わるまで、お墓は遠くにあった方が良いと。 「皆が力を発揮できるように支える、それが巫女の・・私の役割ですから・・」 霞澄は、穏やかな笑みをしていた。時間と未来の可能性を信じて。 と、アルフレートは、与一に服の裾をひっぱられる。お守り袋を見せられた。 意図が分からず、アルフレートは紫水晶の瞳を細める。 「森で種と灰を拾ってきたでやんす」 アルフレートの銀糸が揺れ動いた。森で穴の中に、顔を突っ込んだ与一を思い出す。 与一は、弥次と違う結論を持ったらしい。落ち着いた頃に、家族で神楽の都の庭に埋めたいと。 「弔う気持ちは…死者の為だけじゃなく、残された人達が心穏やかである為の縁。 なら、傍で毎日向き合っていてもいいと思う」 アルフレートは、竪琴「神音奏歌」の弦をはじいた。神木を使って作られた、神聖な竪琴。 「大切な人達が眠る場所にどう想いを寄せるかは…彼等を知り、今を生きていく人達が考えるべき事だから」 再び、弦をはじいた。全ての心を癒すような、澄み渡った音色が広がりゆく。 「理穴の森と共に仲間や家族を傍で見守るのは…割と居心地悪くないんじゃないかな、九郎さん達も」 華彩歌を奏でる、アルフレート。道端のスミレが、花を咲かせ始める。 与一の髪や瞳と同じ、スミレ色が。スミレの花言葉の一つは、小さな愛。 宴会もお開きに。寝る前に、弥次は一杯の飴湯をくれた。 「ほら、気付けに飲んでおけ。俺の仲間たちが絶賛した、栃面家の飴湯だぞ!」 理穴の砂糖が、贅沢に使われている。ショウガたっぷりで、少し刺激があった。 「旦那が唯一自慢できる、料理でさ♪」 湯気のあがる湯のみ。それは、身も心も温まる、理穴の味だった。 |