【急変】左腕の悔い・参射
マスター名:青空 希実
シナリオ形態: シリーズ
危険 :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/07/27 21:31



■オープニング本文

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●十年前
 月涙。弓術師にとって、最高峰の技法の一つ。
 放たれた矢は、薄緑色の気を纏って飛ぶ。
「なんで!?」
 吸血鬼は、己が右目を疑った。魔の森の木々を、すり抜ける矢。
 二本、三本と放たれ続ける。左肩や腕に刺さり、吸血鬼から瘴気を霧散させた。
「こんなはずじゃ……」
 不利を悟った吸血鬼。左腕を失いながらも、魔の森奥へ退避を図る。
「今日こそ、逃さん。滅びろ!」
 霧の立ち込める、魔の森での死闘。弓術師の最後の月涙、渾身の一撃。
 吸血鬼の胴体の真ん中へ、突き刺さる矢。右の深紅の瞳が、弓術師をねめあげる。


―――復讐してやる。
 それが、宿敵の断末魔のはずだった。


●昔話
 朝焼け色の瞳を持つ、ギルド員。栃面 弥次(とんめ やじ:iz0263)は、人の名前を呼ぶことを拒んだ。
 開拓者時代、名前を呼んだ仲間は、全員死んでいったから。
「鑪の矢吹丸(たたらのやぶきまる)に名前を覚えられたら、近いうちに殺されるんだ」
 吸血鬼の前で、相手の名前を呼ぶ。死の宣告に近いと知ってからは、ほとんど呼べなくなった。
 呼ぶのは家族だけ。そして、この手で守れると、確信した者だけ。
「あいつは幻影の霧と魅了能力を使って、襲った村から、俺達開拓者の情報を得ていたらしい」
「我はバカでやんす! まさか、二十年近く、簡単な仕組みに気付かなったでさ」
 自分の頭をたたく、ギルド員の相棒の人妖。首元で、お守り袋が激しく揺れる。
 つい先日、吸血鬼から直接聞かされる。それまで、ギルド員も人妖も事実を知らなかった。
「幻影の霧なら、あいつが生き残っていたことにも、説明が付く。
十年前、確かに俺は矢吹丸をこの手で、滅ぼした。魔の森で、三日三晩戦い続けた」
 霧の立ち込める、魔の森での戦い。早春の時期だから、ギルド員は自然現象と思っていた。
 違う。吸血鬼の起こした霧だった。
「幻影の霧で、滅んだように見せかけた。それから、霧化能力で、逃亡を図ったんだろう。
…十年間、あいつは魔の森から出てこなかった。滅んだと思わせるには、十分な時間だな」
 アヤカシにとっては、一瞬に過ぎない。変わらぬ吸血鬼の外見。
 けれど、人間にとって、十年は長かった。白髪も混じり始めた、ギルド員の頭。
「矢吹丸は、ひたすら時機を伺っていたんだろう」
 ギルド員は、愛用の弓を手にする。朝焼け色の瞳は、矢筒を見た。
 年取った体は、昔のように動かぬ。技法も、思ったように撃てなくなった。
「与一(よいち)、行くぞ。」
「旦那に、どこまでもついて行くでやんす!」
 それでも、戦う理由がある。ギルド員の脳裏に、亡くなった仲間たちが浮かんだ。
 小さな弓を空に掲げる、人妖。ギルド員の親友であった、制作者の形見の符が、お守り袋に入っている。
「今度こそ、滅ぼしてやる。俺の命を賭けてもな!」
 往年の開拓者は、言葉をかみしめた。


●睡蓮の池
 理穴東部にある、霧の立ち込める池。睡蓮が花開く。
 蓮に似た花。午後には、花びらを閉じて睡眠する花。


「九郎(くろう)も食べる?」
 吸血鬼は屍鬼に、親しげに声をかける。包帯を巻いた左腕で、干からびたエサを差し出した。
「血はボクが吸いつくしたけど、肉はそのままだからさ。あれ、要らないの?」
 興味を示さぬ、屍鬼たち。吸血鬼は肩をすくめた。用済みのエサを、池に捨てる。
 死龍の一体が勝手に飛んだ。エサをくわえると、岸に戻ってくる。
 そのまま、身体を丸めて、エサを抱きかかえた。吸血鬼の視界から隠すように。
「もう、そんなもの取らないよ!」
 不機嫌になる吸血鬼。死龍はエサを横取りされると感じたと、そう理解した。
「キミ達って強いんだけど、扱いづらいんだから」
 新しい配下は、たまに勝手に行動する。従順なくせに、エサにかけての執着が凄い。
 吸血鬼は、食べ残しの肉を与えるのだが。先ほどの死龍のように、他のアヤカシに取られないようにする。
 稀に、埋めてしまうこともある。後で食べるつもりだろうと、吸血鬼は自由にさせていた。
「九郎。今度こそ、弥次を殺すよ。さっきのエサで、ボクの回復は済んだからね」
 吸血鬼は左腕の包帯を、解いて行く。先日、温泉郷で吹き飛ばされたが、もう再生した。
 続いて右手を伸ばして、左目の包帯をずらす。十九年ぶりに、左のまぶたを持ちあげた。
 深紅の瞳が、そこにあった。遂に再生させた、吸血鬼の左の眼球。
「弥次はきっと、ここに来る。ボクらの思い出の土地だからね」
 十四年前、九郎と呼ばれる屍鬼が、人として散った場所。
 十年前、吸血鬼とギルド員が、最後に戦った場所。


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
デニム・ベルマン(ib0113
19歳・男・騎
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
海神 雪音(ib1498
23歳・女・弓
杉野 九寿重(ib3226
16歳・女・志
劉 星晶(ib3478
20歳・男・泰
アルフレート(ib4138
18歳・男・吟
神座真紀(ib6579
19歳・女・サ


■リプレイ本文

●信頼
「矢吹丸、やってくれたな」
 ご立腹中の神座真紀(ib6579)。羽妖精の春音を、肩に座らせたまま。
「仁君は目の前で実の母さん殺されて、ようやっと新しい母さんと出会えた。それをその手で殺させようやなんて」
 神座家の長女は、母を早くに亡くした。その分、思う事も色々ある。
「絶対許さへんで!」
 大きな声に、半分眠りかけた春音はパッチリ目覚めた。よく寝る春の妖精は、背中の蝶のような羽根を動かす。
「相討ちとか、そんなご褒美あげる必要ないと思うけど?」
 アルフレート(ib4138)の声は不機嫌だった。相棒の駿龍、クロウは口出しをしない。
「打ち勝って」
 アルフレートの紫水晶の瞳が、弥次を見る。身にまとう、霊鎧「産衣」が衣擦れを起こした。
 両袖には、藤の花が咲きかかる刺繍が。白藤の花言葉の一つは、決して離れない。
「その上で九郎さん達をもう一度緑の森へ送り届けるのは、栃面さんと与一であるべきだよ」
 幾年過ぎようと、友情は断ち切られない。アルフレートの言葉を、弥次はそう感じ取る。
「弥次様の因縁をここで断ち切り、元凶を打破しますね」
 決戦。前へ進むための、決戦。
 ピンと立つ、犬耳。杉野 九寿重(ib3226)の声も、ピンと。
 後ろで、説明を見守る上級鷲獅鳥も、背筋をピンと。九寿重の相棒、白虎だ。
 涼やかな声がした。フレイア(ib0257)はイェルマリオの背中から、矢吹丸を追う。
「人の死や別れさえも弄ぶ。それが吸血鬼の性だとしても、許せるものではありません」
 氷蒼色の瞳が覗くのは、アメトリンの望遠鏡。淡いピンクがかった、紫のカンラン石の装飾が施されていた。
 カンラン石の石言葉の一つは、友愛。
「弥次さん、与一さんは・・気負ったりしてないでしょうか・・?
無理はしないでください・・そのために私達がいるのですから・・」
 往年の開拓者達を、それとなく気づかう柊沢 霞澄(ia0067)。弥次はカラカラと笑い飛ばした。
「…矢吹丸、今度こそ滅します…弥次さんとの因縁と共に…」
 海神 雪音(ib1498)は、弓を握りしめる。喜怒哀楽といった感情は、僅かにしか顔と言葉に出ない。
 相棒の駿龍の疾風は、雪音の性格を知っていた。気遣うように、長く長く鳴き声をあげる。
 淡々した口調で話すため、周囲から冷たい印象を持たれる雪音。今は、まとう空気も冷たかった。
「疾風…大丈夫です…」
 相棒の背中を撫でながら、雪音は答える。
「矢吹丸を倒し、災いの連鎖を断ち切りましょう・・」
 霞澄は祈るように手を組む。隣に宝狐禅が佇んでいた。
 相棒のヴァルコイネンは、口を挟まない。静かに見守るだけ。
「弥次さん、与一さんの為に、そして九郎さん達の為にも・・」
 霞澄のフロスリングが霧の中でも、存在感を示す。美しく緻密な彫金が施された、銀の指輪。
 銀の石言葉の一つは、曇りのない良心。
「私も出来る限りの事をしていきます・・。ヴァルさん、助太刀をお願いしますね・・」
「うむ、油断せず行くぞ」
 やや内気で、強い自己主張はしない霞澄の決意。ヴァルコイネンは、ゆっくりと頷く。
 相棒の霞澄にだけ見せる、表情。優しい師匠のような、眼差し。
「元凶を絶ち、終わりにしましょう」
 デニム(ib0113)の視線は前を向いていた。鷲獅鳥のワールウィンドも同じく。
「矢吹丸への怒りも、犠牲になった人への哀しみも剣に封じて、ただ冷静に、敵を討ちます」
 光を受け、デニムの指輪「ヒートウェイブ」がきらめきを返す。深紅の宝石が輝く様は、夏の太陽。
 ルビーの石言葉の一つは、情熱。ジルベリアでは、軍神の宿る石と言われていた。
「今すぐ蹴りたい所ですが、怒りで失敗するわけにはいきません。
まずは周り片付けるとしましょう。爆発するのは、後です」
 くすぶっているのは、劉 星晶(ib3478)。黒猫耳も、怒りを宿して動きまくる。
 大切な者の危機にはどこまでも懸命で、どこまでも物騒。笑ってない笑顔が怖い。
 御守り「命運」をつけた、相棒の上級鷲獅鳥は押し黙ったまま。翔星も、内心面白くない。
「…片付けると言えば、空にもう一体お礼をする対象が。アレ、結構痛かったですよ…」
 死龍を見る、星晶。怒声を静かに発する。温泉郷の瘴気攻撃は、本当に痛かった。


●清純な心
「矢吹丸が弥次君を葬って、復讐を果たそうとするのは明白です」
 フレイアは、距離を保ちつつ下がるという。情勢不利で押される可能性もあるが。
「自然と味方のラインを下げるようにいたしましょう」
「ライン?」
 不思議そうな弥次の声、横文字は分からない。ジルベリアの貴族は、自信ありげに口を開いた。
「戦線の事ですわ。矢吹丸を魔の森から引き離した上で、退路をたち、撃破を狙いますの」
 フレイアは杖を使い、地面に絵を描く。ようやく弥次に理解できたようだ。
 アルフレートの呼びかけに、弥次は振り向く。朝焼け色の瞳は、不思議そうに見返した。
「魔の森から出来るだけ離れて戦って欲しい」
「どうした? 俺はそのつもりだぞ」
「…栃面さんが九郎さんと戦う苦悩も、自身が手を出す愉しみも…矢吹丸を森から引き離す材料に成り得る筈」
 銀糸の髪は、うつむき加減になった。軽めの口調がなりを潜める。
「…胸が悪くなる話だけど」
 アルフレートが紡ぐ声は、重低音だった。歌詞を乗せた表現方法が苦手だが、今は素直に表現できる。
「矢吹丸の執着心は、ある意味奴にとっての盲点。俺達に付け入る隙があるとすれば‥多分そこだ」
 自信家の吸血鬼。人間をエサとしか、見下していない。
 そのくせ、なぜか弥次はエサ以上と認めているようだ。自覚のないまま。
「頼りにしているぞ、お前さ…いや…」
 弥次はアルフレートの肩を叩く。続きの言葉は、発するまで時間がかかった。
 顔を上げた紫水晶の瞳は、弥次の唇を読み取る。開拓者たちの名前を、一人ひとり呼んでいた。


 真紀はじりじりと動き、魔の森を背にする。屍鬼を逃さない。
 矢吹丸に連れて行かれた、もうひとりの屍鬼。継信(つぐのぶ)という弓術師だった。
「あんたも、九郎さんも、もう人の心は残ってないんか?」
 咆哮する真紀に向かって、継信は矢を放つ。
「自分達を殺した相手に易々と従うて、それでええんか?」
 矢を避けるが、黒い髪は数本斬られた。
「弥次さんの為に戦おて、思てはくれへんのか!?」
 視線の先で、矢が止まることはない。次々と射かけられる。
「…駄目やな、覚悟を決めるで」
 不転退の決意。気合を高め、真紀は突っ込む。不動を使った肉体は、矢を恐れない。
 長巻を握りしめた指には、月蝕の指輪がはめられていた。水晶があらわれている。
 水晶の石言葉の一つは、純真。
「…それが、あんたの心か」
 真紀は見た。継信の口元が動くところを。何かを伝える。
 矢は止まらない。吸血鬼に支配された体。もう人では無い体。
「…助太刀します…」
 空から、雪音の矢が継信の弓矢を狙う。弓術師の意地がぶつかりあう攻防戦。
「寝てばっかりやないって所、見せたりや!」
 虚空に向かって、声を上げる真紀。継信の真横に、透明化していた春音が姿を現した。
 獣剣を構えた春音は、桜色の瞳をキリリと。光る剣で斬りつけた。


「手出しはさせぬ」
 霞澄の近くから、離れずに居たヴァルコイネン。淡々と言葉を紡ぐ。
 冷静に、前方を睨みつけた。直線に電光が飛び、瘴気を吐こうとした死龍を焼く。
 次いで、尾の部分から、四方八方に炎を飛ばした。炎は、死龍を追い払う。
 ワールウィンドは下を見下ろした。かぎ爪を開き、急降下を始める。
 墜落していく死龍を追った。勢いを乗せた一撃は、死龍の真上から迫る。
 デニムの眼前の死龍は、一つの癖を持っていた。瘴気を吐く前に、口元を噛み鳴らす。
 そして、鳴く真似をした。今は居ないはずの、背に乗る開拓者に伝えるかのように。
 おそらく生前からの癖だろう、炎を吐くときの癖。デニムの瞳が険しくなる。
「心ならずも戦わされている彼らを止めるため、力を貸してくれ、ワールウィンド」
 デニムが握る皮製の手綱は、意志を伝えてくれる。ワールウィンドはもちろんだと、雄々しく鳴いた。
 背中から落ちて行く死龍は、瘴気を吐いた。
 ワールウィンド羽ばたく。上へ、下へ。瘴気を引きつけながら、空を翔ける。
 デニムの魔剣の切っ先が、死龍に向いた。再び勢いを増し、鷲獅鳥が死龍に近づく。
 絡み合う翼。龍の牙と鷲獅鳥の爪が拮抗する。
 地面を漂う霧の中に、両者は突っ込んだ。上に乗っていたのは、鷲獅鳥。
「僕は民の盾となり正義を貫く」
 龍の胸元へ、突き刺される剣。刀剣類を見るのも、触れるのも、好きなデニムが選びし武器。
 龍から血など流れない。何度かあがき、屍は動かなくなった。


 イェルマリオは翼を動かす。大きく回り込み、まず魔の森をめざした。
 放たれる、力ある言葉。フレイアは、魔の森の境界線にムスタシュィルを設置しながら移動する。
 霧化して魔の森へ脱出を図っても、位置を把握出来るように。矢吹丸の退路を絶つために。
「邪魔する輩は、太刀を振るいて薙ぎ払いますね」
 血気盛んだった。気位が高い九寿重。野太刀を構えて、一歩も引かない。
 矢吹丸をかばう九郎を、睨みつける。僅かな動きも見逃さない。
「…人形?」
 九郎は何かを手にしている。すみれ色の髪と瞳の人形。
 愛らしい着物は、女の子のような。与一が、ぽつりとしゃべる。
「我の妹は、呪術人形でさ」
「…一緒に埋葬したんですね、寂しくないように」
 星晶は、与一の気持ちを察した。九郎は娘代わりに、陰陽道具を作ったのだろう。
 人形に禍々しい気配を感じた。殴りかかってくる人形を、翔星は紙一重で避ける。
 避けた先には、高みの見物を決め込む矢吹丸。視線が会うと霧と化し、自然の霧に紛れこもうとした。
「では、食い散らかすと致しましょう」
 星晶は、即座に印を組む。矢吹丸の周りに、突如として炎が立ち上った。
「次は目が良いですか、腕が良いですか?」
 霧から戻る吸血鬼に、冷たい声を浴びせかけた。
 九寿重は駆け出す。目指して、踏み出す足。突貫役なら、負けはしない。
「親父、我がわからないでやんすか!?」
 お守りを握りしめ、叫ぶ与一。側を、イェルマリオは通り抜ける。
 フレイアは与一を捕まえた。九郎の式、白狐が狙っている。
「…最初に狙うのは九郎君ですわね」
 与一を抱きかかえるフレイア。反対の手をかざすと、矢のように鋭い氷が生まれた。
 アイシスケイラル最大射程から連射する。まず、九郎の手を凍らせた。
 それから、狙いを全身に広げる。足、体、最後は頭。氷の彫刻になる九郎。
「凍てつかせれば、九郎君は動けないはずです」
 フレイアは与一に説明する。古の昔より続く、魔術師の一族の女主人はほほ笑んだ。


「キミ、しつこいよ。諦めたら?」
「嫌ですね」
 矢吹丸は余裕綽々だった。相対する九寿重は、息が切れている。
 挟撃されない様に立ち回るのは、困難だ。
「弥次様、しっかりするですね!」
 九寿重が呼べども、弥次は正気を取り戻さない。矢吹丸の魅了がかかっている。
 ほんの一瞬を狙われた。
 アルフレートが死龍に邪魔された、瞬間を。
 羽刃で矢吹丸を切り裂こうとした白虎が、投げ飛ばされた瞬間を。
「弥次様!」
 九寿重の後ろから、安らぎの子守唄が聞えた。アルフレートの演奏。
 弥次が正気に戻る。
「バイバイ♪」
 そして、矢吹丸の腕が、弥次を背後から貫いた。
 大暴れする翔星。死龍を相手取り、引けを取らない。
 むしろ、圧していた。風をまとった翼は、死龍を切り裂く。
 ふっと星晶は地面を見た。弥次が倒れかかる所だった。
「…さてと」
 現場から離れた雪音の声に、駿龍は速度を上げた。死龍の隙を縫い、気付かれぬよう吸血鬼の背後に回り込む。
 奇襲は時間との勝負だった。でも雪音は、落ち着いている。まだ弥次の危機を知らない。
 疾風の翼は、風を味方にする。雪音は矢吹丸の背後へ、一気に迫った。
 右の手には、焙烙玉を握っている。すれ違いざまに投げ込んだ。
 首だけ巡らしながら、疾風は炎を吐く。龍の火炎袋で破壊力を高めた火炎。
 矢吹丸を狙う。ついでに焙烙玉の導火線に、火が付いた。
 疾風が通り過ぎた後に、爆発音がした。吸血鬼を至近距離で巻きこむ。
「…居ません…」
 矢吹丸の姿は消えていた。煙が上がるのみ。霧化し逃亡を図ったようだ。
 雪音は弓の弦をはじく。鏡弦で、矢吹丸の位置を探した。


●別れへの贈り物
「戦闘時は固定の戦域を作らないから。クロウにはその分無理させるけど、頑張ってくれよ?」
 相棒の首筋をなで、激励するアルフレート。霊鳥の羽根の飾りを揺らしながら、駿龍は長く鳴く。
「霧? まさか!?」
 クロウの背中で、戦況を見守っていたアルフレート。琵琶弾く手を止める。
 遠くで地に這いつくばる弥次を発見した。隣で笑う矢吹丸に、攻撃を食らったようだ。
 アルフレートの曲、天使の影絵踏みの射程外にいた弥次。霧の幻覚にかかってしまった。
「気に入らない。…それだけ」
 アルフレートは、軽く深呼吸をした。人に対する好き嫌いは異様に明確。
 矢吹丸は嫌いの部類に入るようだ。平時とは人が変わったように、表情変化が止まる。
 目的を果たした矢吹丸は、きっと逃走する。させない。
「クロウ!」
 張り詰めた声に、駿龍は答えた。風をまとい、空を突き進む。弾き飛ばした。
 矢吹丸目指して、星晶は飛びおりる。脚甲での蹴撃を、お見舞いした。
「……ふざけた真似をしてくれましたね」
 闘士鉢金をしめた星晶は、静かな怒りを宿している。鉢金の鉄板には、虎の装飾が施されていた。
 鉄の石言葉の一つは、強靱な力。
「…見つかっちゃった」
 ケラケラと笑いながら、矢吹丸は疾走を始めた。後は魔の森に逃げれば良いだけ。
 霧が、クロウの視界を包むんだ。アルフレートは安らぎの子守唄を紡ぐ。
 吸血鬼を眼下に収めた。クロウは翼を力強くはためかせて、突風と共に衝撃波を放った。
「…弥次さん、何があっても死んではいけません…弥次さんには帰りを待つ人達がいるんですから…」
 励ます雪音の声は、悲壮を帯びる。視線の先の血反吐の跡に、僅かばかり動揺した。
「残された私達は、生きて行かなければなりません・・死者の思いを汲むためにも」
 霞澄は、しゃがみこんでいる。這いつくばり、血反吐を吐く弥次に向かって、閃癒を発動させた。
『生きのびろ』
 ぼんやりしながら、台詞を聞く弥次。今の状況に、いつかの九郎の言葉が重なる。


「また逃げるんか。10年前と同じやな。逃げの矢吹丸とでも名前変えたらどないや」
 真紀の声が追ってきた。嘲笑いと、侮蔑の視線が一緒に。
「死んだ振りまでして命からがら人間から逃げ出すなんて、アヤカシ共の間でも評判になっているのでは」
 盾から顔を出したデニムも、同調。矢吹丸を鼻で笑ってやる。
「よく恥ずかしくないものですね、きっと死んだフリ上手の矢吹丸等と嘲(あざけ)られてるでしょう」
 更に小馬鹿にした笑みを、浮かべてやった。内心の煮えたぎる怒りを抑えて。
 矢吹丸が足を止めた。振り返る。
 空気が緊張した。ピリピリとした悪意が、開拓者の肌を突き刺す。
「黙れ!」
 血色に輝く、吸血鬼の瞳。激しい憎悪を浮かべていた。
 矢吹丸は、地を蹴った。一気に、距離を詰める。早い。
 守る、デニムの盾。僅かに矢吹丸の攻撃をかすめながら、受けとめる。
 伸ばされた鋭い爪。デニムの腕に食い込む。肌が裂けた。
 更に矢吹丸は、デニムの頭上を飛び越える。吸血鬼の牙が、真紀の首筋を狙った。
 真紀は気合と共に、身体を硬化させる。首をかばった左腕に、牙が食いこむ。
 血を吸われる、おぞましい感覚。雲耀を仕掛けようとしたがやめ、右手で吸血鬼を掴んだ。
 デニムは盾を投げ捨てた。両手で魔剣を握りしめ、振り返る。
 身体をひねり、勢いを着けた。剣風を起こしながら、一撃を身舞う。
 矢吹丸は、左手首を捨てた。真紀の握りしめていた部分が、デニムの剣で斬り飛ばされる。
 吸血鬼が代わりに得たのは、自由。真紀を足がかりに、空へ。
 デニムの後方から、風が起こった。鷲獅鳥たちが突っ込んできている。
 空の四方に、立ちふさがった。吸血鬼を逃しはしない。
「今じゃな」
 ヴァルコイネンが動く。水の精霊の加護を持つ、首元の宝珠「魚王石」が光をまとった。
 宝狐禅の身体も、きらめく炎と光と変わる。同化し、霞澄の着物に輝きを与えた。
 炎の揺らめきの中で、霞澄は祈る。矢吹丸の方向へ、両手を向けた。
 白銀の髪が、風も無いのになびく。二つの掌が、熱気を帯びた気がした。
「精霊力集積・・精霊さん、力を貸してください・・」
 うずまき、爆発する力。それは、白い光となって、二本の軌道を描く。
 炎の揺らめきを突き抜け、伸びる白。矢吹丸を捕らえる。
「逃がさない…!」
 矢をつがえ、構えた雪音。弓持つ手には、大きな紅玉髄が付いている天貫の腕輪を、着けていた。
 紅玉髄の石言葉の一つは、堅忍不屈。
「心毒翔…奴を蝕め…!」
 雪音の全身に満ちる気力。残された力を、己が怒りを、矢に込める。
 心中の悪意を込められた矢じりは、黒い靄(もや)を纏った。放たれる矢。
 霧と化した矢吹丸に突き刺さった。胴を押さえながら、矢吹丸が肉体をあらわにする。
「…弓術師の矢」
 憎々しげに呟く、吸血鬼。いつもならば、吹き飛ばせるはずの矢だった。
 気力で底上げされた威力は、あなどれない。
 コウモリの群れに、杖を向けるフレイア。杖の先端から、白い吹雪が巻き起こった。
 霧を巻きこみ、コウモリの群れをも巻き込む。本体さえ攻撃出来ればよい。
 薙ぎ払う。矢吹丸に包囲網を抜ける術はない。抜けさせない。
 いつぞやのように、コウモリの群れは落下してきた。集まり人型に戻る。
 流れるような黄金の髪が動いた。恐れず、矢吹丸の背後を取る。
「それでは御機嫌よう」
 フレイア・クルークハイト・ケリンエルフは、ジルベリア式の挨拶を贈る。
 多量のアイシスケイラルが、吸血鬼を貫いた。


「過去を踏みしめて向かうのが未来ですね」
 九寿重の首元で、シルクのストラが揺れ動く。薔薇の刺繍が施されていた。
 棘のない薔薇の花言葉の一つは、誠意。
 青い瞳は、眼前の屍を見つめていた。屍鬼と死龍の慣れの果てを。
 しゃがみこみ、フレイアが拾った呪術人形を供える。九郎の隣に、与一の妹を並べてやった。
「昔、九郎が教えてくれた」
「睡蓮の花言葉には、信頼と清純な心があるでさ」
 弥次は睡蓮の花を摘むと、相棒に渡した。与一は、屍に供え始める。
 睡蓮の花を贈ると言う、行為。その意味は、「お別れ」だった。