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■オープニング本文 前回のリプレイを見る アヤカシとの戦いに朱藩国も冥越へ大規模な派兵を行っている。 国王の興志宗末が留守の間、城主代理を務めていたのは妹の興志深紅だ。双子の興志真夏に相談しながら日々様々な案件をこなしていた。 ある日、安州城へと泰国から再確認の親書が届く。 「これって‥‥どうしましょう」 深紅は読んだばかりの親書を真夏に手渡す。 「どれどれ‥‥‥‥‥‥一言でいうと泰国の春華王がこっちにくるから歓迎の用意をしておいてくれってこと?」 「そういうことですね」 「文面からすると前から決まっていたことなの?」 「確かめたらそのようで‥‥。まったく宗末ちゃんたら出かける前に教えてくれればいいのに」 「それだけ深紅のことを信頼しているんだよ、兄ちゃんは」 「それでよいのか悪いのか‥‥」 軽くため息をついた後で深紅は考え込む。 市中見学については担当奉行に任せればよい。深紅が心配していたのは晩餐についてだ。 泰国といえば食通が多いと聞き及んでいる。ましてや天帝と呼ばれる人物。へたなものを出したりしたら朱藩国の沽券に関わること必至である。 「ちょうどいいのがあるじゃん。この間のチョウザメの卵、あれなら泰国でも珍しいんじゃないかな?」 「そうですわね。宗末ちゃんはキャビアを宣伝したいようですし。儀弐王様の件に続いてちょうどよい機会なのかも知れません」 興志姉妹は以前に理穴国でキャビア料理を振る舞われたことがあった。手土産として贈ったキャビアを理穴国側が調理してくれたのである。 今回は春華王に振る舞う立場となる。 「うまかったよね‥‥」 「おいしかったですわ‥‥」 興志姉妹は天井を見上げながら、儀弐王と一緒に堪能した素晴らしい料理の数々を思いだす。 「あれ?」 真夏が首を傾げる。キャビアを含む料理の味は覚えているのだが、どのようなものだったのか具体的な形を思いだせなかった。 「困りましたわ‥‥」 深紅も同様に思いだせない。脳裏に浮かぶのは黒い粒々のみ。あまりに夢心地の体験で二人とも記憶が曖昧になっていた。 「あ、新しい料理を考えて頂ければ問題はありませんわ‥‥」 「そ、そうだよ。その通りだよ。決してあたしたちが完全に忘れてしまったから、じゃないよ。見聞が広い開拓者に任せればきっと大丈夫!」 キャビアは希儀から定期的に送られてくるので食材の確保は万全である。 興志姉妹は焦りつつ開拓者ギルドに募集をかけた。 調理の腕に覚えがある開拓者ならば自ら考案したキャビア料理を作って欲しい。そうでない開拓者は四日の間にキャビア料理を任せられそうな板前を連れてきて欲しいとあった。 やがて依頼初日。すでに春華王が来賓するまで十日を切っていた。 |
■参加者一覧
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
十 砂魚(ib5408)
16歳・女・砲
エラト(ib5623)
17歳・女・吟
七塚 はふり(ic0500)
12歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ●城へ 朱藩国の安州城。 開拓者一行は来城した当日に興志姉妹と朝食を頂いた。 姉妹は双子だけあってとてもよく似ていたが、興志深紅からは温和な印象が感じられる。興志真夏ははつらつとしていた。 「王である兄の不在でどうしたらよいのやら正直困っているのです。みなさまの力を是非に貸して頂けるでしょうか」 膳が片付けられた後、深紅が晩餐会の段取りを説明する。料理に求められる条件はすでに依頼書で伝えられていた通りだ。 キャビアを前面に押しだした料理が用意できればそれで構わない。 開拓者本人が腕を振るってもよし。腕に覚えがある板前を連れて来てもよしである。 「手に入りにくい必要な食材があったらいってね。朱藩国が全力で取り寄せるよ。板場にはちょくちょく顔をだすからね♪」 真夏は困ったことがあれば相談にのるとのことだった。 開拓者達に割り当てられたのは板場・参である。板長などの料理番が籠もって試作する場とされていた。 さっそく一同が板場・参へ向かう。 玲璃(ia1114)は上級羽妖精・睦が懸命に開けようとしていた扉に手をかける。 「この奥はきっと氷室ですね」 玲璃が静かに開くと奥から冷気が流れてきた。 「真夏さんが氷室の中に食材を保存してあるっていってましたの」 十 砂魚(ib5408)が氷室に入ってキャビアと貼り紙がされた壺を抱えて戻ってくる。質を確認するために全員で味見してみることに。 「これがキャビアでありますか。塩分補給によさそうであります」 七塚 はふり(ic0500)は木製のさじで一口頂く。同じく食したからくり・マルフタは首を傾げていた。 「せっかく泰国の天帝を天儀へお迎えするわけですから、天儀式の料理を提供しようと思います」 エラト(ib5623)は天儀の調味料を使って料理に仕上げようと考える。 玲璃とエラトは足りない食材を求めて城下へ買い物に出かけた。 十砂魚と七塚は腕に覚えがある板前をそれぞれ連れてくるつもりである。心当たりを探すべくこちらの二人も外出するのであった。 ●玲璃 玲璃は野菜類の次に魚介類を求めて魚市場へ向かう。 (「いろいろとあります。どれにしましょうか」) 真鯛を買おうとした玲璃だがつい目移りしてしまう。羽妖精・睦は飛び回り、真鯛が並ぶ店を次々と探しだしてくれた。 玲璃は元巫女なので氷霊結の術で氷を用意できる。しかし一般的に氷はとても高価な代物だ。漁船も同様で氷室を備えているはずがなかった。 水槽の中で泳いでいる真鯛も売っていた。だが悩んだ末に玲璃が選んだのは活け締めされた真鯛である。 「こちらの箱の真鯛、全部頂けますか?」 「あいよ!」 魚屋の主人が一本釣りで獲った真鯛だという。本番のときにも仕入れられるように店名を覚えておく。 荷物運び用に引いてきた小さめの荷車には満水の小樽が載せられていた。 玲璃は二重になった木箱へと真鯛を移す。隙間に注いだ水を氷霊結で凍らせてから急いで帰った。 板場・参に戻ったら試作調理の開始である。 「チョウザメを卸すのを手伝ってくださいね」 玲璃は睦に手伝ってもらいながら雄チョウザメに包丁の刃を入れた。 希儀から運ばれてきたはずのキャビアやチョウザメはとても新鮮。高山の万年雪を飛空船の氷室に取り込んで活用しているようだ。海上の船には真似ができない芸当といえた。 玲璃は泰包丁を振るって巨大なチョウザメをばらしていく。肉以外の部位として軟骨も取りだす。 それなりの大きさになってからは睦も手にした包丁で捌いた。巨大な刀剣を抱えて戦うようなやり方で。 最初に軟骨料理を作る。 軟骨を醤油に浸けてから小麦粉にまぶす。泰鍋に注いだ大量の油で揚げられる。 昼食のおかずとしてチョウザメの軟骨唐揚げがご飯と一緒に並べられた。 睦が軟骨唐揚げを頬張る。 「どうです?」 玲璃が訊ねると睦は両頬を膨らませながら微笑んだ。玲璃も食べてみると想像していた通りの味がした。 「あ、美味しそう♪」 ひょっこりと現れた真夏がご相伴に預かる。 「この美味しい唐揚げ、深紅に持って行ってあげてもいいかな? 嘆願の仕事を捌くだけでも大変で書斎からでることもできないんだよ」 「どうぞお持ちになってください。今、お重に詰めますので」 姉思いの真夏は玲璃から軟骨唐揚げをもらう。そして冷めないうちにと突風のように板場から姿を消した。 玲璃が午後から作ったのは『真鯛の昆布じめキャビア添え』と『キャビアとチョウザメ肉のちらし寿司』である。 丁寧に包丁を入れて真鯛の柵を用意。薄切りにした身を酢で拭いて湿らせた出し昆布の上に並べる。さらに昆布で挟んで包み、少々の重石を施す。極辛口天儀酒を忘れずに振りかけてから氷室で寝かせる。 程よく締まったところでキャビアを盛りつければ完成だが、暫しの待ち時間は必要だ。 チョウザメの薄切り肉も米酢で締めておく。 次に酢飯を用意する。 あく抜きして刻んだ牛蒡をさやいんげんと一緒に塩を入れた熱湯で下茹で。頃合いで冷水につけておいた。 泰鍋に料理酒を注いで熱し、醤油、砂糖を加えてタレを作成。牛蒡と軟骨の唐揚を加えて煮詰める。 大きめの器に酢飯を敷き、その上へ泰鍋で調理した食材を並べた。最後に刻みのりをかければ完成となる。 両方の料理に米酢で絞めたチョウザメの薄切り肉が乗せられた。こちらの二品も夕食のおかずとして玲璃と睦は美味しく頂いた。 塩加減一つで料理の味は変化する。 最適な分量を探し求めて晩餐会の日まで調理を繰り返す。余った分は侍女や仲間達に振る舞うのであった。 ●エラト 「買い忘れたものはありませんよね」 エラトは上級からくり・庚と話しながら安州城の板場・参へ戻る。 作業用の卓上に購入してきた品を並べた。酢、酒、塩、砂糖。甘味に工夫を加えるために樹糖と蜂蜜も購入してきた。 エラトが作ろうとしていたのは『キャビア軍艦巻き』と『チョウザメ肉団子の煮物』の二品である。 まずは酢飯作り。 米三合に対して料理酒を大さじ二を入れた。さらにだし昆布を入れて炊飯する。 合わせ酢は大さじ三と半分、樹糖は大さじ三、塩小さじ一の比率で用意した。そして炊きあがったご飯に合わせ酢を混ぜる。 庚は酢飯を冷ますために団扇で扇ぎ続けてくれた。面倒な作業だが、おかげでよい仕上がりの酢飯が完成する。 後日、玲璃も酢飯を必要としているのがわかった。それからはエラトの作った酢飯が玲璃に提供される。 酢飯作りが終わると鍋に湯を張って鶏卵を茹でた。半熟の黄身部分を取りだして魚醤と混ぜ合わせておく。 「これを握れば‥‥」 エラトは酢飯を楕円状に握り海苔で巻いた。はみ出した海苔によって器となった部分に半熟黄身をのせる。最後に海老、キャビア、胡瓜をのせて完成だ。 「これなら春華王にも喜んでもらえるはずです。庚も食べてみますか?」 それほどお腹が空いていなかったエラトはキャビア軍艦巻き二貫で食欲を満たす。すぐに次の調理に取りかかった。 チョウザメ肉を細かく切り刻むのは庚に任せる。 エラトはネギを切って生姜を下ろす。塩、料理酒、片栗粉の分量を量っておく。 刻んだ肉ができあがったところで食材すべてをすり鉢に投入。庚に摺ってもらい、エラトは丸めて大きめの団子にした。 団子に片栗粉をまぶしてからオリーブオイル敷きの熱した鍋の中へ。団子は表面を焼いただけで取りだされる。 鍋に料理酒大さじ一、樹糖小さじ一、みりん大さじ一、醤油大さじ二を加える。岩清水も三勺程度加えて沸騰させた。そこに団子を入れてタレが絡まるまで煮詰める。 器へ盛りつける際に胡麻と山椒の葉をのせれば完成である。 二日目の昼。試食の際に真夏が現れた。 「昨日は玲璃さんのを食べさせてもらったんだよ♪」 真夏はエラトの料理をパクパクと食べる。特にチョウザメ肉団子の煮物が気に入ったようだ。 「手伝いに来たつもりなのにいつももらってばかりで悪いね。ありがとう〜♪」 玲璃のときと同様に真夏はエラトから深紅の分のおかずをもらう。 「仲の良い姉妹ですね」 エラトは走り去る深紅を眺めながら呟く。庚はこくりと頷いた。 ●十砂魚 十砂魚が轟龍・風月に乗って出かけた先は安州の外れにある飯処だ。 「この店のはずですの」 着陸した風月から飛び降りた十砂魚は建物の看板を見上げる。屋号は『れすとらん寿限無』と記されていた。 真夏からの情報によると興志王がよく顔を出す一軒らしい。 「実は安州城が大変なことになっていますの」 十砂魚は店主でもあるコック長に事情を説明した。 「そうですか。興志王様が留守をされている間にそんな大変な事態が」 興志王に普段からよくしてもらっている店主『安堵令』は協力を約束してくれる。翌日から安州城の板場・参に顔をだす。 「私が調理すると味はともかく見た目が色々酷いことになりますの。作ってもらいたいのは『半熟卵のキャビアソース』と『メロンのキャビア掛け』になりますの」 十砂魚がキャビア料理を提示する。安堵令はそれに工夫を加えながら再現することにした。 「大変な手間ですの」 十砂魚は目を見張った。 安堵令がキャビアソースの元になる魚のだし汁『フュメ・ド・ポワソン』を作ろうとしたからである。 主に必要なのは大量の白身魚と香味野菜。せっかくの機会なので白身魚はチョウザメの身が使われる。血抜きのために流水へさらされた。 鍋底でニンニクの欠片を炒めた後で大量の香味野菜が投げ込まれる。しんなりしたところで血抜きが終わったチョウザメ肉も入れられた。 重い鍋を時折振りながら大量の食材に熱を通す。暫し後、大量の白葡萄酒が注がれた。水も足されて煮込まれる。 「丁寧に‥‥丁寧に‥‥」 十砂魚は表面に浮いてきたアク取りを担当する。途中でいくつかの香草を足し、やがて火から下ろされた。 冷めたところで他の鍋にかけた布の上に煮込み汁を少しずつ垂らして漉していく。手間のかかる作業である。 フュメ・ド・ポワソンができあがれば、ソースを作るのはそれほど難しくはない。 天儀風にしたい十砂魚の要望で、この段階からの調理には白葡萄酒の代わりに天儀酒が使われる。隠し味に魚醤もちょっぴりと。 最後にキャビアの粒々を加えることで『キャビアソース』が仕上がった。チョウザメ肉を使ったこれまでにない特別製である。 十砂魚は半熟に茹でた鶏卵の黄身へキャビアソースをかけて食べてみた。 「これほど美味しいのは食べたことがありませんの!」 十砂魚はあっという間に食べ終わる。綺麗な一品にするには半熟卵への工夫が必要なものの、安堵令ならばこなしてくれるだろう。 メロンのキャビア掛けはそのままなので特に難しくはなかった。せいぜいキャビアの塩加減に注意するぐらいだ。 生春巻きにキャビアが添えられた料理も作られる。 「またまたいい香りがする‥‥」 三日目の夕方に現れた真夏にも試食してもらう。彼女が気に入ったのはメロンのキャビア掛けだ。後日判明するのだが、深紅は半熟卵のキャビアソースが好きなようだ。 生春巻きのキャビア添えも晩餐会に出されることとなった。 ●七塚 七塚がからくり・マルフタと一緒に向かった先は安州内の飯処『満腹屋』である。 「七塚さん、こんにちは〜♪ ご注文は決まりましたです?」 「豚玉お好み焼きを一つ。それと実は板前の銀政殿を紹介してもらいたいのであります」 店内の椅子に腰かけた七塚は注文を取りに来た給仕の光奈に事情を話す。光奈は奥の板場から銀政を呼んでくれた。 「どうした? 俺に用があると聞いたが」 「朱藩で腕利きの料理人といえば満腹屋の板前殿であります。是非に力添えをお願いします」 経営者である光奈の父親から許可を取らなければならなかったが、結果として銀政の協力が得られることとなった。 「遅くなりましたが、こちらが話題の食材であります」 七塚の合図でマルフタが持ってきた風呂敷の中身を差しだす。 それは木箱に納まったキャビアとチョウザメ肉であった。一緒に入っていた氷のおかげで新鮮さは保たれていた。 今日のところはこのキャビアとチョウザメ肉で試してみるとのことである。 翌日、約束通りに銀政は城の板場・参へやってくる。 「昨日もらったやつ、面白い食材だったな。試食した光奈や鏡子が喜んでいたぜ」 銀政から感想を聞いたところで七塚は料理のお題をだした。 「聞けば食通は初歩の料理ほど違いがわかるそうであります。自分は銀政殿渾身のキャビア入りだしまき卵が食べてみたいであります」 「だし巻き卵か‥‥。つまりキャビアの塩加減をうまく使えってことだな」 銀政はさっそく取りかかった。 だし巻き卵を作るために炭火を熾す。七塚は邪魔しないようつかず離れず調理作業を見守った。 派手な動きはなかったものの動作の一つ一つに意味が感じられる。レシピからは窺えない職人の技がそこにあった。 七塚はできあがったばかりのキャビア入りだし巻き卵をさっそく頂く。 「美味しいのであります。このふっくらとした――」 「あ! このにおい!」 七塚が感想を口にした瞬間、黄色い声が扉の向こう側から聞こえてきた。 扉が開いて声の持ち主が現れる。真夏であった。 真夏も銀政が作っただし巻き卵を食べさせてもらって大喜び。深紅の分をもらうとご機嫌な様子で帰って行った。 「あれが興志王の妹か‥‥。姿は別にして、態度はどこか王様に似ているな」 「で、あります」 嵐のような真夏が去った後で七塚が銀政を見上げる。 「チョウザメ肉とキャビアのシュウマイは作れるでありますか?」 「大丈夫だ。朽葉蟹の身や卵を使ったシュウマイは定番だからな。俺も作ったことがあるから、応用すればすぐに作れるさ」 「その他にもキャビアを使った泰国風の料理をお願いしたいのであります」 「う〜ん。すぐには思いつかないが何とかなるだろ。晩餐会まで日はある」 それから毎日、銀政は板場・参に現れて新作料理を試す。七塚とマルフタはそれを手伝うのであった。 ●来賓の春華王 春華王が朱藩安州を来訪の日がついやってきた。 市中見学など様々な行事が行われる中、安州城の板場はてんてこ舞いになって料理を準備する。 春華王一行の総人数は二百を越えていたからだ。 市中の行列は春華王自身の要望もあって朱藩の儀礼で行われた。失礼がなければ市井の者達も天子様を眺めて構わない作法である。 かぶき者で名高い興志王が目立ちようがない作法を残しておくはずがなかった。 春華王用の献立は特別なものだが一部の料理は随伴の者達にも提供される。 キャビア料理の中では『キャビアとチョウザメ肉のちらし寿司』『チョウザメ肉団子の煮物』『メロンのキャビア掛け』『チョウザメ肉とキャビアのシュウマイ』がそれに当たった。 (「外交の場でありますね。おつとめご苦労様であります春殿」) 七塚は偶然にも安州城の廊下で春華王を見かける。膝をついて通り過ぎるの待っていると春華王が扇子で口元を隠しながら顔を近づけた。 「お願いがあるのです‥‥」 囁かれた通りに七塚は春華王に割り当てられた部屋を訪ねる。中には春華王の他に侍従長・孝亮順の姿もあった。 七塚は様々な依頼を経て春華王の事情をよく知っている。側にいる春華王は影武者で本当の名は『秀英』という。本物の春華王からは『春』と呼ばれている人物だ。 「実は紅花がこの城にいるのです」 春華王・春の言葉に七塚は普段よりもわずかに大きく瞼を開いた。 春の妹である紅花は旅泰の飛空船に乗り込んで料理人をしている。その旅泰の飛空船がキャビアとチョウザメ肉の輸送を担当しているらしい。 世の中は狭いと思いながら、七塚は仲間達の元に戻って協力を求めた。 紅花が接触しそうになった場合に阻止してもらいたいとのことだ。春が影武者をしている事実は紅花には内緒にされていた。 万に一つもないと考えられたが、それは実際に発生しかける。開拓者達と紅花が庭で偶然出会ったときに。 「あそこにいるのはもしかして春華王様かな。本国では中々見られないし‥‥」 春華王の一団に近づこうとする紅花を開拓者達が引き留めた。板場・参に連れて行き、キャビア料理を振る舞うことでごまかす。 「これ本当に食べていいの? 扱っている商品なのに実は食べたことがなかったんだ。うん、美味しいな〜♪ 兄ちゃんにも食べさせたいよ。このキャビア入りだしまき卵はきっと好物のはずだよ♪」 「この嬢ちゃん、何者なんだ?」 紅花が板場にいることを銀政は不思議がった。 「自分の知り合いに偶然出会ったのであります」 七塚は適当に話をでっち上げる。 まもなく広間で晩餐会が始まった。春華王と興志姉妹は同じ卓を囲んだ。 「水出しのお茶も用意するであります」 「折角ですし、この前の炭酸水も試していただいたらと思いますの」 飲み物の準備を指示したのは七塚と十砂魚である。 まず希儀の葡萄酒と泰国のお茶を用意。葡萄酒については水割りの他に炭酸水割りも置かれていた。また赤と白、両方揃えられている。 お茶については泰国風と天儀風のどちらも淹れられる。要望があれば応えられるように味付き炭酸水も多種用意されていた。 最初に卓へ運ばれたのはメロンのキャビア掛けである。 「こちらは泰国産のメロンのようですね。なるほど。泰国と希儀が協力すれば、このような味を彩ることができましょう。希儀の開発に熱心な朱藩ならではの発想です」 春華王は料理の中に政治的意義を見いだしたようである。 彼の食事は続く。 「真鯛とありますがチョウザメの肉も使われているとか‥‥」 真鯛の昆布じめキャビア添えを口に運んでから感嘆を呟いた。キャビアとチョウザメ肉のちらし寿司はもっと食べたかったが、他の料理のために一皿分で我慢する。 「こちらの摘めるお寿司も美味しいです」 キャビア軍艦巻きで食べ足りなかったちらし寿司の不満を解消する。隠し味に引かれた春華王だがその正体はわからなかった。 チョウザメ肉団子の煮物は天儀風と泰国風、両国の食文化が感じられる。友好の意思を朱藩に投げかける春華王だ。 続いては半熟卵のキャビアソースである。 さじで混ぜつつ掬って口の中へ。調和した見事な濃厚味に仕上がっていた。キャビア軍艦巻きの隠し味はこれだったのかと腑に落ちる。 チョウザメ肉とキャビアのシュウマイは非常にまとまった味だ。まるで泰国の料理のためにあつらえたような味わいがした。毎日食べても飽きないような、そのような味である。 「これは‥‥」 銀政が考案した『干し貝柱のスープの茶碗蒸し・キャビア添え」も好評た。春華王は二瓶目を頂いた。 「どれも美味しいね! えっと‥‥美味しいでございます」 つい普段の口調に戻ってしまった真夏は言い直す。 「春華王様、如何でしたか?」 「どれもよいお味でした。自国に戻った際、我が国の料理人にも作らせるつもりでおります」 春華王は深紅に微笑んだ。そして最後に残っていたキャビア入りだしまき卵も口にする。 「しゅ、春華王様?」 「失礼がありましたでしょうか?」 深紅と真夏が驚いたのも仕方がない。春華王が突然に涙を零したのである。 「いえ、あまりの美味しさについ‥‥。それだけです」 その味は亡くなった母が作ってくれたものに近かったようである。チョウザメのキャビアではない他の魚卵が使われていたようだが。 春華王の朱藩安州来訪は無事に終わる。 興志姉妹は感謝の印として帰路に就く開拓者達にキャビアを持たせたのであった。 |