暗殺者ヤオ 〜春華王〜
マスター名:天田洋介
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/01/31 23:09



■オープニング本文

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 これは常春に内緒の出来事。

 去年の春に春華王が市井の常春として泰大学に入学。学生としての日常が繰り広げられる間、人知れず敷地内で役目をこなしてきた者達がいる。
 侍従長・孝亮順の命によって同時期に泰大学へ。その者達に課せられていたのは常春の身の安全確保だ。
 どこに常春の命を狙う者が潜んでいるのかわからないので、各学科に最低二人ずつ配置されている。
 芸術寮には特別に男性二名、女性三名が送り込まれていた。実は食堂の女性料理人『葉陽』もそのうちの一人である。
 常春とその学友達との交流はほんのわずか。互いに顔を知っている程度の関係に過ぎない。
 適度に離れつつ常春を見守ってきたのだが、ここにきて彼と親しい一部の学友達に協力を求めた。もちろん常春本人には内緒で。
 朱春での話し合いの場に孝亮順も現れたので、常春の学友達は比較的簡単に信じてくれる。
「実は未だ、要注意人物名簿第一位の暗殺者を発見・捕縛できずにいます。学生、または講師などの職員として潜り込んでいるはずなのです。私共は仮に『ヤオ』と呼んでいます」
 孝亮順が直々に説明してくれた。
 暗殺者の存在は天帝宮が総力をあげて調べ上げた情報が元になっている。
 暗殺者ヤオは、かつて偽春華王の親派であった。組織・曾頭全はすでに解体。あくまで個人的な怨恨で常春の命を狙っているらしい。
 元々は金で殺人を請け負う無法者。しかし偽春華王出会ってからは心酔していたようだ。
 変装の名人で男女の性別すら不明。容姿も若者から老人まで化けられるとの噂である。
 孝亮順に続いて葉陽が口を開く。
「‥‥何故今になって協力を求めるのかと不思議に思われることでしょう。敷地内に人が少なくなった冬休みが炙り出す絶好の機会だからです。夏休みのときは残念ながら見つけられませんでした。常春様も寮でゆっくりと過ごされるご様子。きっとヤオも敷地内にいるはずなのです」
 常春の学友達は悩んだ末、暗殺者『ヤオ』の炙りだしに協力する。だがここまで尻尾を掴ませなかった相手だ。綿密で周到な作戦が望まれていた。


■参加者一覧
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
七塚 はふり(ic0500
12歳・女・泰
ノエミ・フィオレラ(ic1463
14歳・女・騎


■リプレイ本文

●作戦会議
 ある日の宵の口、芸術寮の一室。
「夕食の後になりましたが、お風呂に行ってきますね」
「寒いから厚着していったほうがいいよ」
 伊崎 紫音(ia1138)は常春に一声かけて大浴場へと出かけていく。常春は朱春へ買い物帰りに銭湯へ立ち寄って本日の風呂を済ませていた。
「それにしても‥‥たくさんいるね。賑やかでいいけど」
 伊崎紫音がいなくなっても常春は一人ではなかった。寮の部屋は朋友だらけだ。
 上級からくりの天澪とヴェローチェ。天妖・蘭と人妖・てまり。忍犬・浅黄に神仙猫・ぬこにゃん。梁の上には輝鷹・忍鳥『蓬莱鷹』が留まっている。
 すべてが学友達から一時的に預かった子。部屋の片付けや絵画道具の手入れなどをしてくれるのでとても助かっていた。
 数日前にも似たようなことがあったと思いだしながら常春は絵を描く。
(「追っ手はいませんね‥‥」)
 大浴場に辿り着いた伊崎紫音は大急ぎで一風呂浴びる。帰り道、誰もいないのを確かめた上で芸術学科棟へと忍び込む。
「お待たせです。常春さんは朋友さんたちが守っているので大丈夫です」
 棟内の大学祭で使った部屋に仲間達は集まっていた。ここに暗殺者ヤオから常春を守るための話し合いが始まる。
 棟内に怪しい人物がいないことは、『超越聴覚』使いのルンルン・パムポップン(ib0234)とリィムナ・ピサレット(ib5201)によって確認済みだ。
「厩舎の閂も緩めておいたので、緊急の事態になったらBLも駆けつけられるようにしてありますよ。えっと、どうするのかの相談でしたね。常春様を狙うなんて‥‥このノエミが許しません」
 ノエミ・フィオレラ(ic1463)の言葉には強い意志が込められていた。
「そうです。常春さんには、指一本触れさせないんだからっ!」
 ルンルンにとって愛しい常春の命を狙う相手は敵でしかあり得ない。
「常春様を狙うヤオについて想像しうることがあります。私たちとまともに戦えるほどの力を持ち合わせていないことです。常春様の健在が何よりの証拠です。使う手は毒、罠、放火等でしょうか‥‥」
 玲璃(ia1114)は淡々と現状を羅列していく。
「暗殺者が潜んでいるなんて、全然知りませんでした。常春さんと一緒に居る機会が一番多いのは同室のボクなんですが‥‥確実にこの人と断言できる相手は、思い当たらないですね」
 伊崎紫音は孝亮順と会った後にずっと思いだそうとしていた。しかし部屋を訪ねた人物は何らかの理由があった者達ばかりだったという。
「ぬこにゃんには春くんに懐いている野良猫役をしばらく演じてもらうのにゃ。同室の伊崎さん、よろしくなのにゃ」
「わかりました。浅黄とも仲良しですし、大丈夫ですよ」
 パラーリア・ゲラー(ia9712)は伊崎紫音に神仙猫・ぬこにゃんをお願いする。
「大学の構内に暗殺者が潜伏‥‥。学友の線だけじゃなくて職員も疑わなければならないし。どうすれば早急に解決できるんだろっ?」
 柚乃(ia0638)は首を傾げながら考え込む。
「おびき寄せるのが一番かな」
 柚乃の瞳を見つめながらリィムナが提案した。春先から今日まで粘ってきた相手だ。余程の隙を作らない限りは動かないはずだと。
 七塚 はふり(ic0500)は自分の考えを学友達に伝えておく。
「ヤオの捕縛ですね、わかったであります。常春殿を必ずお守りするであります。ですが‥‥温情をかけて追い払いませんか?」
 七塚は常春が春華王である限り、これからも似たような事案が続くのではと考えていた。
「この一件で私達の手腕や捕虜への待遇が広まったなら、不穏分子の動きをよい意味で抑えられるかも知れないのであります」
 倒してしまうと死体が残って厄介だとは口にしなかった。
 各々の意見は様々だ。それでもヤオを殺すよりもまずは生かしておくべきだとする意見が大勢を占めた。捕縛するのか、それとも追い払うのかは状況次第ということになる。
 リィムナが『ラ・オブリ・アビス』で常春に扮して囮になることが先に決められた。それを核にして様々な意見が交わされる。
「常春さんを長時間引き留めるのには、絵のモデルになってもらうのが一番だと思います」
「‥‥いい、いいです。とっても!」
 ノエミは伊崎紫音の発案に瞳を輝かせた。

●おびき寄せ前日
「常春様、おはようございます」
「おっはよー♪」
 朝食時の芸術寮食堂。一緒にやって来たノエミとリィムナが常春の正面に座る。
「二人ともおはよう。‥‥あれ、ノエミさんかしこまってどうかしたの?」
「実はですね――」
 ノエミは『士道』を使いつつ、清廉とした態度を演じながら常春に絵のモデルを頼んだ。その話し声は周囲の者達にも届いているはずである。
 現在の食堂には三十人弱の学生と職員がいた。この中にヤオがいる可能性は非常に高かった。
「あたしも一緒に描きたいなって思ったんだ。ね、お願い!」
 リィムナが常春にウインクしながら自分の顔の前で両手を合わせる。
「いろんな服を着ればいいんだね。わかった。でもこの前の猫のはちょっと‥‥」
 常春の返事にノエミのきりっとした表情がへなへなと一気に崩れ去った。泣きそうになっていたノエミに気づき、常春は冗談だといってなぐさめる。
 少し遅れて食堂にやって来た七塚は料理受け取りのカウンター列に並んだ。
「たくさん食べて体力つけないと。御飯は大盛りね」
「葉陽殿、ありがとうであります」
 七塚はよそられたばかりの食器をお盆にのせて学友達がいるいつもの卓につく。
 寮の食堂でだされる料理については葉陽が目を光らせているので安心して食べられる。
 昨晩、玲璃が代表して葉陽に協力を求めた。手渡した協力要請書には食材手配に関する七塚の要望も含まれている。
(「できれば私たちが作ってあげたかったのですが‥‥」)
 ノエミは美味しそうに食べている常春を眺めた。
 もしも常春に食堂で食べないようにといったら怪しむことだろう。日々の三食についてはこれまで仕事をこなしてきた葉陽を信じることにする。
 常春が絵のモデルをするのは明日と決まった。今日という時間は調査と準備に費やされる。
 ここで不自然な態度を晒してヤオに気づかれてしまえば元の木阿弥。秘密の護衛達が夏休みに犯した失敗を繰り返すことになる。慎重な行動が求められた。
(「この姿なら警戒されないよね」)
 柚乃は『ラ・オブリ・アビス』で真っ白な子猫又になり、芸術寮の庭で日向ぼっこをする。それはもちろん見せかけの態度。出入りする者達をこっそりと見張った。
 玲璃は天妖・蘭と一緒に桶と雑巾、箒を抱えて泰大学敷地内を点々とする。
(「寮内は終わりましたので、次は芸術学科の棟を綺麗にしますか」)
 玲璃は常春に危害を加える方法として特に毒を警戒してた。
 毒は即効性のものだけではなく、遅効性でじわじわと追い込むものもある。毒とは少々異なるが、不衛生な環境を作りだして常春を病気にするやり方もあるだろう。
 玲璃はそれらを想定して常春が普段から利用する場所を掃除した。但し、ヤオに気づかれないようできるだけ広範囲を綺麗にしていく。
 天妖・蘭には『人魂』で小動物に変化してもらい、建物内で鼠の大量発生などの異変が発生していないかを確かめてもらう。
 わずかな毒の効果は非常にわかりにくい。すべてをしらみつぶしにするために玲璃は念入りに掃除をする。
「常春さん、ふかし芋もらってきました。一緒に食べませんか?」
「食べる食べる。ちょうど絵を描くのに行き詰まっていたところだったんだ。まだ温かいや」
 常春と同室の伊崎紫音は普段通りの生活を送った。ちなみにふかし芋を持たせてくれたのは葉陽だ。
 神仙猫・ぬこにゃんは伊崎紫音と入れ替わるように窓から外へと飛びだす。
 泰大学の敷地内には結構な頭数の野良猫が棲んでいる。ぬこにゃんはそれらの猫から『猫呼寄』を使って情報を集めた。
「ぬこにゃん、どうだったのにゃ?」
 パラーリアとぬこにゃんが静かな誰もいない茂みで落ち合う。
 どうやら野良猫達も不審者は見かけていない様子である。お願いしたところ、しばらく注意深く観察してくれるそうだ。
「ありがとうなのにゃ。引き続き春くんを頼むのにゃ」
 パラーリアはぬこにゃんに好物のお魚を食べさせてから常春の元へと返す。
(「尻尾もつかめていない現状でありますが、我々は幾度となくヤオとすれ違ってきたはずなのであります」)
 七塚は寮二階の窓枠に上半身を預けて両腕をぶらんとさせながら庭を見下ろす。
 芸術学科の学生達が行き来する様子をジト目で確認し続けた。だらけた様子で監視の意図を悟られないようにしながら。
(「身近な存在で記憶に残らない人‥‥掃除夫? 出入りの卸業者、あるいは専攻違いの学生――」)
 一番あり得るのは寮の先輩達だ。一年生同士なら講義といった接触の機会が嫌でも発生する。もしヤオが上の学年にいるとすれば変装によって誰かしらと入れ替わっている可能性が高かった。
(「身近で常春殿を観察するのであれば男性が有利。いざというときの色仕掛けなら女性が有利なのであります」)
 たくさんの考察を予めしておくことは無駄にはならない。いざというときの素早い判断に繋がる。
 ルンルンは散歩するふりをして常春がよく絵を描いている場所へと足を運んだ。
(「つけ狙う理由が理由だから、暗殺者はきっと自分のその目で成功を確かめなくちゃ居られないと思うのです‥‥その時は絶対周囲にいるはず」)
 落とし穴や獰猛な獣用の罠が仕掛けられていないかどうかを『忍眼』で探った。わずかな傷でも負わすことができれば、塗った毒で死に至らしめることもできる。
 輝鷹・蓬莱鷹にも手伝ってもらいながら念入りに探したものの、罠の類いは見つからなかった。
(「罠を仕掛けていないとすれば‥‥ルンルン忍法顔認証なのです」)
 ルンルンは寮の食堂で休憩をとりながら廊下を通り過ぎていく人々を観察する。記憶を頼りにしてわずかでも自分や常春に関わった人物を探そうとした。
(「あの人は茶碗を割ったとき、一緒に拾ってくれたのです。今、通り過ぎた――」)
 寮に残っていた学生のうち、殆どの人物と接触した記憶がある。
 さすがにここから絞り込むのは難しいとルンルンは諦めた。その代わり接触した記憶がない三名の方が怪しく感じられたので、その名を学友達に伝えておく。
 何事も起こらないまま、陽が沈んで今日一日が終わる。
 いつも通りの平穏な日常だった。しかし暗殺者の存在が学友達の心に強くのし掛かっていた。

●常春を狙う者
 よく晴れた翌朝。
 ノエミとリィムナは常春を連れて芸術学科棟へと向かった。神仙猫・ぬこにゃんと、からくり・ヴェローチェも一緒に付き添う。
「あれ? はふりさんとパラーリアさんも?」
 常春が部屋に入ると七塚、パラーリアの姿がある。
「自分はお茶とお茶菓子を味わってもらおうと思って来たのでありますよ」
「あたしは今朝になって春くんを描きたいって気分になったのにゃ♪」
 七塚とパラーリアは常春達が来る前に芸術学科棟内の検査を終えていた。今のところ棟内に自分達以外はいない。
「さあ、常春様♪」
「じ、自分でやるから」
 常春はノエミが持ってきた下着代わりの薄い生地の服に着替えて、その上にゆったりとした袢纏を羽織る。
 リィムナによれば、モデル用の衣装はもう少し準備に時間がかかるらしい。
 暫しの間、常春の相手は七塚が務めた。
「ちょうどお湯が沸いたのであります。紅茶はミルクとレモンのどちらがお好みですか。それともストレートでいただきます?」
「そうだな。ミルク入りでもらえる? このスコーン、美味しそうだね」
「スコーンは、てまりの手作りであります」
「へぇ〜、てまりさんが作ったんだ。ではさっそく一口‥‥このほろっとしたところがいいよね。すごく美味しいよ」
 常春に誉められて、てまりが鼻を高くする。紅茶も気に入ってくれた。
 スコーンの材料や紅茶を含めてこれらはすべて葉陽が用意したものだ。さらに食堂の調理場を使わせてくれた。
「そういえば去年の暮れ、布団で伏せっていたら誰かが私の頭をぽふぽふなでて、看病してくださったのです。夢ではないと思うのですが‥‥どなたなのでしょう。ご存知ですか常春殿?」
「春、じゃなくて、きっと秀英だね。イブのパーティの日に来たんだよ。講堂に描いた絵を観に。講堂に向かっている途中の道ばたで会って、はふりさんのことを教えたら寮に走って行ったよ。それから講堂で見かけた記憶はないし、おそらくだけど、ずっとはふりさんのところにいたんじゃないかな? どうやって寮の女子側に入ったかは謎だけど」
「そうだったのでありますか‥‥」
 常春が七塚とお喋りしていた頃、リィムナは彼が来ていた服を拝借して着替えていた。
 『ラ・オブリ・アビス』だけでは足跡や匂いはどうすることもできないからだ。詰め物をして隙間を埋め、そこまで追い込んで変装を完璧に仕上げていく。
 ヤオも変装に長けているという噂だ。変装に通じてるのであれば、見破るのにも長けているのではとリィムナは考えていた。
「それではよろしくね。ヴェローチェも常春さんを守ってね」
『了解ですにゃ! 何かあったら人形祓で守りますにゃ』
 常春姿のリィムナが一人、外へ出て行く。
 ノエミとパラーリアはたくさんの衣装を抱えて常春と七塚が待つ隣の部屋へ。
「リィムナさんは突然に用事ができたとかいって出かけていきました」
「かなり焦っていたのにゃ。それはそうとこれに着替えて欲しいのにゃ♪」
 二人が掲げた衣装を見て常春が冷や汗を流す。
 猫耳ニット帽、ベスト、猫尻尾付ショートパンツ、肉球手袋・靴下セットの他に希儀のキトン、ジルベリアの貴族衣装、天儀の傾奇者衣装、エトセラ・エトセトラ‥‥。ノエミの秘蔵コレクションが火炎を噴いた。その他、小道具も揃っている。
「常春殿、自分も用事があるのでこれにて失礼であります。てまりは置いていくので、使ってやってください。では」
 七塚も部屋から姿を消す。
「ふふふっ‥‥」
「春くん始めるのにゃ♪」
 ノエミとパラーリアの笑顔にわずかながら恐怖を感じた常春である。
 そのとき、遠く離れた茂みの中でいたルンルンが身体を震えさせた。
(「常春さんの絵のモデル、二人っきりではなくなって安心していたのですけど‥‥嫌な予感が過ぎったのです。いえいえ、きっと気のせい、気のせいなのです」)
 ルンルンは不安を振り払って監視に集中した。

●ヤオの真意
(「さあ、いつでもいいよ」)
 常春姿のリィムナは画板を抱えて泰大学の敷地をでた。
「衣装を用意できなかったなんて残念だな‥‥」
 絵のモデルをする予定が潰れたことを匂わす独り言を稀に呟く。常春の性格から外れないよう言葉選びを注意しながら。
 どこを眺めても冬枯れの景色ばかりだが、それはそれで興味を惹かれるものがある。胸元で画板を支えて紙の上に木炭を滑らせた。
 描き終わって場所を変える度に泰大学から離れる。しかも人家が殆どない枯れた野が広がる方角へと。
「上には何があるんだろう?」
 野原の一本道を歩いていると石階段が設置された小高い丘が気になった。知らない振りを演じたが、リィムナはこの場所を知っている。
 一段一段と足をかけて、やがて見晴らしのよい頂まで辿り着く。そのとき大樹の裏に隠れていた何者かに突き飛ばされた。
 激しく転がり落ちる常春姿のリィムナ。何度か跳ねながら地面へと叩きつけられる。
 中肉中背の男が石階段を駆け下りながら胸元から小刀を取りだす。
 仰向けの常春姿のリィムナまであと数歩のところで男は進めなくなった。地中から伸びてきた蔓が足に絡みついたからである。
「こんなことやめない?」
 『ラ・オブリ・アビス』で真っ白な子猫又姿の柚乃が茂みの中から現れる。絡みつく蔓は彼女が使った『アイヴィーバインド』によるものだ。
「ここまでです」
 伊崎紫音が刃を返した『殲刀「朱天」』で男が握る小刀を叩き落とす。
「無駄な抵抗は止めるのです‥‥貴方は?!」
 男の腕を掴んで地面に倒したルンルンは気づいた。以前に食堂でうっかり料理を落としてしまったとき、パンを分けてくれた先輩だと。
「確か、楊さん‥‥」
 ルンルンは楊の正体が暗殺者ヤオだと知って驚きを隠せなかった。
 瞬脚で近づいた七塚がヤオの口に猿ぐつわを噛ませる。さらに後ろ手の両手首を縄で縛り上げた。
「痛たたたっ。結構堪えるね。布地が掠れる音は聞こえていたから突き飛ばされる寸前に構えたんだけど」
 リィムナが常春から元の姿に戻った瞬間、ヤオの瞳から生気が消え失せる。
「この人‥‥女の人じゃないかなっ?」
 白い子猫又の姿から元に戻った柚乃がヤオの腰回りを眺めて呟いた。
「ほ、本当なのです‥‥二度びっくりなのです」
 ルンルンは襟首を開いて胸を確かめる。ヤオはサラシを巻いて胸の膨らみを隠していた。
「少しお話しをしませんか? 私は『天津甕星』という蘇生の術を心得ています。ですから舌を噛んだり毒を飲んで死のうとしても無駄ですよ」
 玲璃がヤオの上半身を起こして猿ぐつわを外す。
「‥‥何を聞きたいというのだ? 私が常春、いや春華王を狙っていたのは知っているのだろ? なら貴様等の敵でしかあり得ない。蘇生などといわずさっさと殺せ」
「‥‥曾頭全の一味だったとは聞き及んでいます。恨んだのはやはり、そのことなのですか?」
「そうだといったら、どうにかなるというのか? あのお方にそっくりな春華王がのうのうと生きていて、なのに‥‥。簡単には死なせるつもりはなかった。毒を少しずつ盛ってじっくりと生き地獄を見せてやるつもりだったのに、なのになぜ焦ってこんな失敗を私は‥‥」
「ヤオ」
 玲璃はヤオの頬から涙がこぼれ落ちるのを見て言葉を詰まらせる。
 彼女が喋った断続的な内容をつなぎ合わせると、ヤオが常春を狙った理由がおぼろげにわかった。
 どうやらヤオは偽春華王に惚れていたようだ。それ故の常春に対しての憎悪であったようである。
 また八ヶ月以上、襲わなかった理由がここにある。毒を使った形跡もない。
 志体持ちの学友達が常春の周囲にいたことで手をだしにくかったのは間違いなかった。しかし一番の理由は常春が愛した相手にそっくりだったからだ。
 学生生活を送る常春を見て憎しみを溜め込んだ。それと同時に偽春華王のことも思いだしていたのだろう。
 常春の正体が春華王だと知ったのは偶然だとしか答えなかった。
 ヤオの身柄をどうするのかの決が、この場の者達で採られる。
 輝鷹・蓬莱鷹に手紙を託してから三十分後、孝亮順と配下が乗った小型飛空船が現場に着陸する。そしてヤオを連れて行った。
 幽閉するが殺しはせず、また拷問もしないと孝亮順は約束する。
 常春には秘密を貫いてもらうが、今回の捕縛に関わった者が望むのであれば面会を許すつもりだといって去っていく。
 侍従長の立場上、孝亮順にとってこの落としどころはとても甘いであったに違いなかった。

●日常
 半日の間にノエミとパラーリアが描いた常春の絵は五十枚を越える。
 ヤオ捕縛の一同が泰大学に戻る頃、常春は寮の部屋でくたくたに疲れて寝ていた。伊崎紫音によれば傑作選が壁中に貼られていたという。
 その日の夜、七塚は筆をとって秀英宛の手紙を書く。
『秀英殿へ 看病ありがとうございます。うれしかったのであります。次は元気で会いたいのであります』と。
 芸術学科も二月に入れば試験が始まる。
 課題提出済みの一同だが油断は禁物。勉強に勤しむのであった。