泰大学祭 〜春華王〜
マスター名:天田洋介
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: やや易
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/11/13 17:06



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 泰大学の構内は活気と焦燥に溢れていた。
 いつもはのんびりと歩いている学生達がとても忙しない。理由はただ一つ。年間で最大の行事『泰大学祭』があと数日で開かれるからである。
 開催期間は十一月の三日から六日までの三日間。多くの学生はこの日のために準備を整えてきた。
 常春が学ぶ芸術学科の面々も大学祭のために用意してきた作品を展示する。
 常春と組んだ学友達は夏と秋の絵を画題としていた。割り当てられた空き教室を展示会場にするべく工夫を凝らす。
 今できることはすべて終わらせてある。常春は自らが描いた二枚の絵の前に椅子を置いて腰かけた。
 光と緑に満ちた夏の森。そして紅葉に染まる風吹く秋の森。額縁に収まった二枚の絵画はどちらも満足がいく出来だ。
 学友達の協力もあって自分が持つ技量以上の絵に仕上がっている。そんな気がしていた。
(「そういえばこっそりと来るっていっていたけど‥‥」)
 実は侍従長の『孝 亮順』と春華王影武者の『秀英』が二日目の大学祭を訪れる予定である。もちろん変装し、素性を隠しての来訪だ。
 ちなみに常春は影武者の秀英のことを『春』と呼んでいた。
 数日前、学友達と開催前日にこの部屋へ泊まり込む約束を交わす。突貫でやる必要はないのだが芸術学科の伝統のようなものらしい。常春達もそれに倣った次第だ。
「もうすぐ十一月。そして‥‥」
 常春は講義の最中に窓から外を眺める。秋の空はとても澄んでいた。


■参加者一覧
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ
七塚 はふり(ic0500
12歳・女・泰
ノエミ・フィオレラ(ic1463
14歳・女・騎


■リプレイ本文

●大学祭前夜
 茜色に染まっていた泰大学に夜の帳が降りる。
 普段の日なら芸術寮の食堂で晩御飯を食べている頃。だが本日の常春と学友達はランタンが灯る芸術学科棟の一室にいた。
 仮につけられた閲覧室の名は『青の部屋』である。
「あみよみによれば明日は快晴ですね」
 炊事場から戻ってきた玲璃(ia1114)が卓に置いた鍋の蓋を取る。湯気立つ鍋の中身はおでんだ。
「明日はついに大学祭なのにゃ♪」
 軽やかな足取りのパラーリア・ゲラー(ia9712)がご飯のお櫃を運んでくる。
「そんな目をしなくても八曜丸の分もちゃんとあるから。心配しなくても大丈夫よ」
 柚乃(ia0638)は足に絡みつくものすごいもふら・八曜丸に話しかけながらご飯をよそった。
「美味しそうですね〜♪ からし、からしっと。はい、常春さん♪」
 ルンルン・パムポップン(ib0234)は食器を並べてから椅子へと腰かける。
「みなさんの分の名札とコサージュもできあがったのでありますよ」
 御茶は七塚 はふり(ic0500)が淹れてくれた。
「わぁ、コサージュ、とても綺麗ですね♪」
 ノエミ・フィオレラ(ic1463)は七塚の胸元を彩るコサージュを眺めて瞳を輝かせる。
「明日からの屋台にもおでんがあるみたいですよ」
「それじゃ先取りだね」
 伊崎 紫音(ia1138)が小鉢に分けてくれたおでんを常春が受け取った。全員が席に着いたところで晩御飯が始まる。
 明日から泰大学祭。
 殆どの作業は終わっていたが、有志一同は青の教室で一晩を過ごす。伝統的なもので誰にも文句をいわれない暗黙の了解があるからだ。
「大学に来られる日に時間を作って夏の絵を描いた海岸までいってきたの。たまたま飛空船に乗せてもらえて、朋友のみんなと一緒に遠足みたいで楽しかったな」
「その雰囲気がでているよ。柚乃さんの絵」
 柚乃と常春が同じ壁へと振り返る。そこには柚乃が描いた二枚の絵が飾られていた。海岸付近の自然を写した夏と秋の風景画である。
「常春さんから聞きましたが、明後日に孝さんと春さんが訪れるそうです」
「会ったらご挨拶するのにゃ♪」
 並んで座る玲璃とパラーリアは小声で話す。
(「大学祭‥‥思いっきり楽しんで‥‥そして‥‥」)
 ルンルンは頬を染めながら常春の横側を眺める。
「あの藍色の花瓶を用意したのは、はふりさん?」
「治療院の先生とお花を譲ってもらう約束をしたのであります。明朝に伺おうかと」
 常春に頼まれた七塚が御茶に続いて紅茶を淹れた。
「ボクは頂いたひまわりの種を絵のところに置こうかなと思ってます」
 伊崎紫音は様々な案を出してくれる。室内を夏や秋に想像させる小物で飾ったり、各絵の間にさりげなく区切りとして調度品が置かれていた。
 晩御飯が終わった後も一同は元気そのもの。いつでも眠れるようノエミが用意した毛布などの寝具が敷かれたが、その上でゴロゴロと他愛もないお喋りが続いた。
(「常春様とおおおお、泊まり‥‥」)
 ノエミは枕に顔を半分埋めつつ常春をじっと見つめる。布団の位置は常春の寝顔が眺められる位置をキープ済み。変な声が出そうになって自らの口を抑えた。
(「幸せなのです‥‥あう、やはり眠れません。けど少しは寝ないと‥‥でも見ていたい‥‥」)
 やがてノエミは静かに寝入ってしまう。
 ルンルンも視線をちらりちらりと常春に向けていた。
(「みんなそわそわしているような?」)
 学友達の雰囲気に小首を傾げる柚乃であった。

●伊崎紫音
 夜が明ける前から泰大学は動きだす。
 一般参加者が正門を潜って敷地内にやってきた頃には学生達の準備は万端に整っていた。
 青の部屋で最初に受付係を担当したのは伊崎紫音と常春である。
「こちらによろしくお願いします」
 伊崎紫音が差しだした筆で入場者が記帳する。始めは芸術寮の同期や先輩が観覧にやってきたが、次第に外来の参加者も増えていく。
「誰も来なかったらどうしようかと思ってたよ」
「ボクもです」
 常春と伊崎紫音は自分の絵の前に鑑賞者が立ち止まる度に気が気ではなくなる。
(「どんな感想なのでしょうか‥‥」)
 単独の鑑賞者は何も語らないことが多い。表情や態度から読み取る他なかった。連れがいるときにだけたまに印象が語られる。
「夏は向日葵よね」
「この種、あの向日葵のものかしら?」
 普段はのんびりと構えている伊崎紫音も何気ない鑑賞者達の会話で一喜一憂した。
 絵の感想を書き残せる台も用意してある。鑑賞者が書いているのを眺めるだけでも心臓は高鳴った。
 誰かが持ち物を落とした音で伊崎紫音ははっと我に返る。隣を見れば常春も緊張が解けたような顔をしていた。
「怖いですね。特に見知らぬ人達からの感想は」
「この部屋から逃げだしたくなったよ。賊に囲まれたときでもこんな気持ちにはならなかったのに」
 二人でくすりと笑う。
 二時間が過ぎ去って伊崎紫音は玲璃と受付係を交代する。
 まずは別の教室で展覧されている芸術寮の同期や先輩の絵を観ていく。
(「感じるものはあるんですけど、具体的に何処が良いとか、考えると難しいですね」)
 自分達のように画題を決めてある絵の展覧は比較的見やすかった。ばらばらの画題の絵を寄せ集めて飾っただけの展覧は目も当てられない。
 光った絵は埋もれることはないが、言い換えればその他はすべて引き立て役になっている。
(「ただ絵を描くだけではいけないんですね」)
 別の角度から客観的に再確認できたことは伊崎紫音にとって収穫になる。
 芸術学科の棟を一通り回ったところで外にでた。道の両脇にはたくさんの屋台が並んでいた。
 焼きそばの屋台でもふら・八曜丸を見かける。
『すべてのお店を味わうもふ♪』
 八曜丸は柚乃からもらったお小遣いで食べ歩きの真っ最中だ。
「どれかお勧めはありますか? ちょっとした夜食に、ちょうど良いですし。それに、ボクも機会があれば、こういう風に屋台もやってみたいなと思って」
『もふ‥‥』
 伊崎紫音に訊ねられた八曜丸はこれ以上ない程の真剣な表情で悩む。今まで食べた屋台の中では朽葉蟹の身を使った小籠包が一番だという。
「この旨味‥‥すごい」
 伊崎紫音も食べて納得。夜食用として店主の学生に頼んで蒸す前の小籠包を売ってもらった。
(「泰国薬膳風味の鶏もも肉煮込み、これもいいですね」)
 引き続き屋台を食べ歩いてお腹がいっぱいになる。
 途中で学友達を見かけた。
 紅葉の樹木の下で大きくため息をつくノエミ。樹木の枝に座って物思いにふけるルンルン。芸術学科の棟の屋上で遠くの空を眺めている七塚。
 伊崎紫音は『頑張ってくださいね』と心の中で呟いてその場を離れる。
 二度目の受付係は柚乃と組んだ。
「えっ? 八曜丸ったらそんなことを?」
「ものすごい笑顔で屋台制覇だっていってましたよ」
 柚乃は屋台で花林糖をたくさん買ってきたらしい。伊崎紫音は朽葉蟹の小籠包のことを彼女に話した。

●玲璃
「草原の絵、人気だね」
「常春さんの森に立ち止まる人は多いですよ」
 閲覧者が少ないとき、受付担当の常春と玲璃が小声で話す。
 画題とした夏と秋の対比は鑑賞者達の心を掴んだようで誰もがそれぞれの二つの絵を見比べていた。
 大抵の鑑賞者はどの絵の前でも立ち止まってくれる。素通りされるのが一番心に刺さるので、玲璃よかったと常春に感想を述べた。
 次に話題にしたのは明日来訪予定の『孝亮順』と『秀英』についてだ。玲璃は二人の立場をよく理解している。
「大学を卒業したら天帝宮に戻らないとね。そうしたら春には自由に暮らしてもらうつもりなんだよ。大学を卒業しても玲璃さんやみんなと一緒に居られればとてもいいんだけど‥‥」
 常春が言葉にした春とは『秀英』を指している。
「私が受付を一手に引き受けようかと思ったのですが、みなさん遠慮されまして」
「これはこれで楽しいからね。‥‥批評される場に晒されるわけだから怖いけれど」
 常春の一言に玲璃がくすりと笑う。
 受付が終わると『あまよみ』で再確認。泰大学祭が行われる三日間は天候が崩れる心配はなさそうである。
 一晩が過ぎて二日目。正体がばれないよう変装した孝亮順と秀英が泰大学を訪れた。
「お元気でなによりです」
「常春様、せ、誠心誠意努めさせて頂いてます」
 常春が自ら二人を案内する。
 しばらくして案内係の交代時間になり、常春の後を玲璃が引き継ぐ。いくつかの展示を回った後で二人に相談を持ちかける。
 常春が再合流してから人気がない棟の空き部屋で話すことになった。
「昨日、常春さんが大学卒業後のことを話されていました。ちょうどお客様が来たので途切れて返答できませんでしたが、私自身も友人を長く続けたいと考えています。そのためには何が必要なのでしょうか? 科挙が必要であれば受けます。もちろん受験資格が得られればの話ですが」
「そういう風に考えていてくれたんだ」
 常春は玲璃の前で少々照れながら答える。
 単に天帝宮での務めならば特に科挙の資格は必要はない。ただ何らかの上役職に就くためには科挙の資格は不可欠であった。
「泰大学にも科挙の学科はありますが、今からの編入はお勧めしかねます。科挙への挑戦は大学の卒業後にでも。私の助手をしてもらいながらでも構いませんでしょう」
 孝亮順もそういってくれる。
「実は私、常春様の代わりを務めている合間に科挙の勉強をしています」
 秀英も力を貸してくれるという。
「常春さんや大切な人達が何気ない日常を送ること。それを見ている事を大切にしたいと思っています。時々混ざりたい気持ちもありますが、いろいろしがらみや難しいこともあるでしょうし。多くは求めません」
 詳しくは大学祭が終わった後に相談することとなる。
「前向きに考えさせて頂きますのでご心配なく」
「そうなったときには私も心強いです」
 予定が空いたとのことで孝亮順と秀英は三日目も泰大学に来訪する。
「では本日は私がご案内しますね」
 玲璃は二人の案内役を引き受ける。そうやって親睦を深めていくのであった。

●七塚はふり
 絵の横に立つ七塚が鑑賞者達の質問に答えていく。
「こちらの絵は南部の海岸を描いたものであります」
 学友達が書いたレジュメを参考にする。絵そのものの印象については訊ねられない限りは口にしなかった。それは鑑賞者各々の心から湧きだすものだからだ。
「名札とこれはふりさんが用意したんだよね」
「そうであります」
 七塚が受付の席に戻ると常春は自分がつけていた胸元のコサージュに触れる。秋の七草で作られており、室内に飾られている藍色の花瓶にも生けられていた。
「私がつけているコサージュはススキだよね」
「ススキの花言葉は活力なのであります。意外でありますね。撫子は純愛。女郎花は美人。桔梗は誠実。萩は思案。葛は芯の強さ。常春殿はどれが学友の誰に似合うと思われますか?」
「え、えっと‥‥」
「いえ無理に答えなくてよいでありますよ。自分は藤袴であります」
「その花言葉は?」
「‥‥とんと存じません」
 七塚が何ともいえない表情をしたので常春は言葉に詰まる。
 時間帯によっては青の部屋が空くときもある。そんなとき七塚は筆をとって絵葉書を描いた。
「それ、いいね」
「常春殿もどうでありますか?」
 常春も七塚から道具を借りて夏と秋の葉を絵葉書に描く。ご自由にとの札と一緒に置いておくと鑑賞者が持ち帰っていった。
 二回目の受付係も無事にこなす。
 日が暮れる頃には青の部屋への入場が閉められた。仲間が用意してくれた晩御飯を頂いた後に退散。去る前に七塚は花瓶の水を替えておく。大浴場で一日の疲れを流してから芸術寮へと戻った。
(「明日は春殿と亮順殿が来られるとか」)
 七塚は布団の中で目を瞑りながら日中での出来事を思いだす。
 泰大学祭二日目の午後。七塚は常春と一緒に孝亮順と秀英を案内する。
「お元気なようで何よりです」
「お久しぶりであります、亮順殿、春殿」
 午前中は常春と玲璃が芸術学科の棟を案内したようなので、他の学科を回ってみることにした。
「へぇ、文学科の学生が協力した舞台みたいだね」
「前評判が高く、また一日目の公演も素晴らしかったと聞き及んでいます。操演も使っているとか」
 冒険譚の演劇を鑑賞。秀英が特に気に入ったようだ。小腹が空いたので屋台が並ぶ道へと足を運ぶ。まずは野外の卓を確保した。
「それなら自分が」
「いいからいいから。はふりさんと春はここで待っていてね」
 常春が七塚の肩に手を置いて座らせる。常春と亮順殿が屋台料理を集めに卓から離れた。
「その服、以前とは違う印象がありますね」
「衣替えしたのであります。秋も深まりましたゆえ。この帯は以前常春殿が朱藩で選んでくれたのでありますよ」
「よくお似合いです。常春様の見立ての帯なんですね。‥‥なるほど、お二人はそういう感じなのですね」
「親密に見えるでありますか」
 秀英が意味深な表情を浮かべる。
「確かに常春殿はやさしいでありますが学友だからでは?」
「七塚さんは常春様をどう思われているんです?」
「どう? どうといわれても‥‥」
 七塚は周囲に人がいないのを確認する。
「彼は王でありますゆえ、ふさわしいお人がいらっしゃるでしょう」
 盆にたくさんの器を載せた常春が戻ってきて七塚と秀英の会話は終わった。
 暮れなずむ頃、七塚は芸術学科棟の屋上でぼんやりと空を眺める。
「あ、やっぱりここにいた。昨日階段を上っていくのを見かけたから、もしかしてと思ってね」
「常春殿」
 屋上に現れた常春はお盆を手にしていた。
「このお菓子、美味しかったんでね。お礼とお裾分け」
 お盆には葛の茶菓子と湯飲みが二つのせられていた。湯飲みの蓋をとると琥珀色の紅茶が瞳に飛び込んでくる。
 お茶と菓子を楽しんでいるうちに空が徐々に赤く染まっていく。
「紅茶が溢れたようだ」
「常春殿が描いた秋の紅葉のようであります」
 同時に感想を言葉にし、七塚がくすりと口元を動かす。常春は肩を揺らして笑うのであった。

●柚乃
「チラシの部屋、ここだよな」
「入ってみましょうか」
 カップルが扉を潜って青の部屋に足を踏み入れた。右沿いにある受付の卓には誰も居ない。絵が見えたのでそのまま進もうとする。
『お二人ともよくおいでくださったのじゃ。こちらにお名前を一筆頼もうぞ』
 突然の声かけにびっくりしてカップルは立ち止まった。
「ね、猫が受付?」
 声の主は受付の卓に座っていた、まっ白な神仙猫である。実は柚乃が『ラ・オブリ・アビス』で信じさせた姿。謎の隠居さまを演出して翁口調で喋る。
『力作ばかりじゃ。楽しんでいってくだされよ」
 カップルが名前を書き終わる。カップルの青年が神仙猫・柚乃の頭を撫でていく。娘は愛想よく手を振ってから絵の鑑賞を始めた。
(いっそ第二の人生にしてもいいかも‥‥?)
 そんなことを柚乃が考えていると室内の整理を終えた常春が受付の卓に戻ってくる。
「みんな、結構驚いているね」
『ほっほほほっ〜』
 常春の前で神仙猫・柚乃は猫招きの姿勢をしてみせた。
(「あ、止まった。どうかな?」)
 柚乃も自分の絵の評判は気になっていた。鑑賞者が立ち止まると緊張する。
 柚乃が描いたのは海岸付近の自然だ。海だけでなく陸の草木も合わせて季節を表現していた。光満ちた夏と憂いを帯びた秋の対比も込めたつもりである。
「この秋の絵の場所はどこかしら。いってみたいわ」
「夏もいいぞ。この波の輝きとかさ」
 先程のカップルが柚乃の絵を眺めていた。
(「認められるってやっぱりいいよね。秋の絵も完成させてよかった」)
 柚乃は一時期、開拓者稼業を優先するために泰大学をやめようと考えていた時期がある。だが泰大学に通うことで絵を描くことが大好きになった。今はまだ考え続ける。
「そういえばさっき八曜丸が差し入れを置いていったよ」
『八曜丸が差し入れ? あの子‥‥いやいあの食いしん坊のもふらがのう〜』
 常春の前だとつい翁口調を忘れてしまう柚乃である。
 来客の波が一時的に凪となった。そこで八曜丸の差し入れを食べることにする。元の姿に戻った柚乃が隣室へ取りに行くと紙に包まれた竹の器が置かれていた。
「あ、塩ゆでの落花生。まだ温かいかも。紙で包んであったからかな」
「せっかくだから今のうちに食べちゃおう」
 常春が淹れた御茶と一緒食べた落花生はとても美味しかった。
「そういえば、これを常春クンに見せようと思ってたの。こっちは箱庭のやつでね――」
 柚乃が竹の器と一緒に隣室から持ってきたスケッチを常春の前で開く。
「この白い塊は不思議だね。もしかして動いたりするの?」
「うん、とてもすばしっこくて杏仁豆腐って呼ばれているの」
 新たな鑑賞者が現れるまでの暫しの間、柚乃と常春は茹で落花生を食べながら別世界の話題に花を咲かせる。
 柚乃が自由時間になったときには他の部屋に飾られている芸術学科同期や先輩の絵を鑑賞した。
(「この人の絵、色使いがとても綺麗。どうやって描いたんだろう?」)
 時間を忘れて魅入ってしまうことも。自分が知らないところで頑張っている絵描き仲間に勇気づけられることもある。思わずぐっと手を握ってしまうほどに。
(「‥‥そういえば、十七歳になるんだな、と。みんなお年頃よね」)
 道の脇に並ぶ甘味屋台を覗きながらふと思いだす。仲間の何人かがそわそわしていることに気づいていたが、具体的な理由まではよくわからない。
 柚乃は甘い物を食べればみんなの気分も落ち着くかもとたくさんの花林糖を購入するのであった。

●ノエミ・フィオレラ
「ノエミさんがこのチラシを?」
「はい♪」
 午後のひととき。ノエミと常春が受付を担当していた。
 常春が眺めていたのはノエミが事前に作成した青の部屋の案内チラシである。
 泰大学が用意した案内とは別に専用の告知が記されていた。門付近だけでなく各所に置かれているという。
 芸術学科棟の二階奥に設置されている『青の部屋』の銘板が目印。泰大学敷地内の芸術学科棟の位置から始まり、出入り口や階段までの通路順をも網羅したノエミの自信作である。
 絵の主題とした夏と秋についてもノエミが考え抜いた説明文が載せられていた。
「ありがとう。訪れる人達が持っていたのはこれだったんだ」
「いえ、当たり前のことをしただけですので」
 常春に誉められたノエミは顔を赤くして照れまくる。
 受付担当以外の時間はドレス姿でおめかしをして外来の参加者を案内した。
「こちらで演舞が行われます。剣術と武術の二部構成とのことです」
 望んだ先まで送り届けて感謝する外来の参加者と別れる。外来の人達が集まる門へと戻ろうとしたとき、肩を叩かれて振り向くと常春が立っていた。
「もしかして道案内をしていたの?」
「そうなんです。お客様に楽しんでもらいたいですから。それに貴族というのは常に民の幸せのために働くものなんです! ‥‥お、大げさでしょうか?」
「そんなことない、とても大切なことだよ。そうだ、よかったらこれから一緒に演劇でも見ない? といってもまだ開園まで一時間ぐらいあるんだけど」
「ぜ、絶対に行きます! そ、そうだ。三十分後ぐらいにあの楓の木のところで待ち合わせましょう。待っていてくださいね」
 まるで風のように去って行くノエミ。約束通りに常春が待っているとノエミがバスケットを抱えて戻ってきた。
 二人して会場に向かうとよい席が空いている。
「はい。チョコレートは頭を使ったときや疲れたときに食べるといいらしいですよ♪ 受付って結構疲れますからね」
「うん、うまい! またすごいね、この梨」
 バスケットの中にはチョコレートに御茶、それに剥いた梨が詰まっていた。梨には常春の絵にちなんで紅葉を刻んであった。
 やがて舞台が始まる。
 内容は恋愛劇。ある国の王様と市井の娘が恋に落ちるといった内容だ。
 ノエミは知り得ないが常春は兄のことを思いだす。夢中になったノエミは常春の手を握りつつ劇に熱中した。
 数十分後。あまりに熱心に観たためか、それとも昨晩の寝不足がたたったのか、ノエミはいつの間にか夢の中へと落ちてしまう。
「常春様‥‥ずっと、お慕い申しております。貴方のためなら‥‥貴方になさりたいことがあるなら私はどんなことでも、この身を持って支えていく所存でございます‥‥。愛して‥‥います‥‥」
 寝言を呟いたことも知らずにノエミはすやすやと終幕まで眠り続ける。座席を立つ人々のざわめきでようやく目を覚ます。
「すみません! お付き合い頂いたのに寝てしまって、私のバカー!」
 半泣きで謝るノエミに大丈夫だからと常春は何度も宥める。
 殆どの観客が立ち去り、近くには誰もいなくなったときに常春はノエミの耳元に顔を近づけた。
「これまで黙っていてごめん。信じてもらえるかわからないけれど、本当のことをいうから。私の正体は春華王なんだ。前に決意したときにノエミさんがいなくて、それから話しそびれてしまったんだよ」
「しゅ、しゅ、しゅんか、おうです?」
 まさかと思ったが、そのような予感がしていたことも確かである。それ以降の常春の言葉はノエミの頭に入ってこなかった。
 寝静まった深夜。ノエミは一人で芸術学科棟の青の部屋に出向いて自分が描いた絵を眺める。
「常春‥‥いえ春華王さま?」
 ランタンで照らす絵の中の常春に話しかけるノエミであった。

●パラーリア・ゲラー
 受付係の番になったパラーリアは率先して絵を説明した。
 自分の絵はとても詳しく、仲間達の絵はレジュメを参考に。受付で組んだ相方の絵はその場で質問に答えてもらう。
 常春と組んだ際、鑑賞者の一人から同じ森なのかといった質問を受けた。
「あたしと春くんの絵は遠景と近景だけど、同じところで同じ景色をみていたいのよって心情が表れるにゃ――」
 ニコニコとパラーリアが説明をしていくうちに、初老の紳士から常春の絵に質問が投げかけられる。
「秋の絵のここの部分に大きな影が落ちていて、しかもつむじ風が起きている。夏のには強い光が当たっている部分の草が高く伸びているような。これに意味があるんでしょうか?」
「自由に受け取って頂いて構いません。ですが意図としては秋のその部分はこれから到来する冬の欠片を表しています。反対に夏のその部分は春からようやく夏となった移り変わりを示しました。つまりわずかに残る春と冬の残り香といったところでしょうか」
 初老の紳士は納得したようである。
 二日目には孝亮順と秀英が青の部屋を訪れた。常春が現れるまでパラーリアはしばし二人と歓談する。
「春くんはとてもいきいきと大学生活を送っているのにゃ♪」
「皆様のおかげです。どうかこれからもよしなに」
 パラーリアは二人から常春のことを頼まれる。
 三日目には常春と一緒に各所を見て回った。
「案内チラシを集めておいたのにゃ♪ 絵は全部観たし、この中に春くんが見学したいのあればいいのにゃ♪」
「これなんて面白そうだ」
 屋台で買った味付き炭酸水を飲みながら行き先を決める。常春が選んだのは刺繍の実演であった。
「玄武、朱雀、青龍、どれも見事な出来映えなのにゃ」
「刺繍糸の色数は少ないはずなのに」
 壁に飾ってある布製の外套に四神が刺繍で描かれている。それらを鑑賞した後で実演に注目した。二年の女学生が素速くかつ正確に糸と針を操って刺繍を続けている。
「縫っているのはきっと麒麟だね」
「こんなにすごい手さばきを観られてよかったのにゃ」
 最終となる今日の夕方までに完成させるつもりなのだろう。それを計算してこの数日を過ごしてきたに違いなかった。
 常春とパラーリアは他の見学者と共に最後まで見届けることにした。二時間後、麒麟の刺繍が施された外套が完成する。
「そちらの方、こちらを着て頂けませんか? とても似合うと思いまして」
 女学生に頼まれて常春は麒麟の刺繍が施された外套を纏う。
「春くん、とても似合うのにゃ〜♪」
「そうかな」
 パラーリアだけでなく周囲にいた全員が歓声をあげた。制作者の女学生も満足そうな笑顔で頷く。
 夕方から夜にかけては舞踏会が催される。その後、常春は青の部屋に戻って自分の絵を眺めた。
「春くんここにいたのにゃ♪」
 悩み顔の常春にパラーリアは声をかける。そして常春の手を握って外へと連れだす。辿り着いたのはパラーリアがお気に入りの泰大学と星空が見渡せる場所であった。
「綺麗って言葉が陳腐に感じるくらいに綺麗だね」
「うん♪ あのね、あたしいつだって春くんが一番大切で大好きだよ♪」
 パラーリアの一言はさりげないものであったが常春の心に触れる。これまでの思いが零れたのかも知れない。
 常春はパラーリアの気持ちが嬉しかった。

●ルンルン・パムポップン
 ルンルンと常春が受付係を担当した時間帯は、鑑賞者達が引っ切りなしにやって来る活況の最中であった。
「はい。こちらにお名前お願いしますね」
「その絵はあちらです」
 最初から最後までひたすら忙しさのみで終わる。
「常春さん、大丈夫ですか?」
「‥‥疲れたけど、平気平気」
 交代の後、二人はしばらく隣の控え室で倒れ込む。
「常春さん、他の絵も楽しみにしてるって思って、私、色々調べておいちゃいました」
 ルンルンが持ってきた告知チラシの中に綺麗な版画絵が混じっていた。
「私も調べてみたんだけど‥‥あ、これ知らないな。面白そうだ」
 展示しているのは版画絵のようである。主催集団は芸術学科の同期だが普段の交流は殆どなかった。
「別棟で展示とは気がつかないはずだよね」
「もし良かったら、一緒に見に行けたら‥‥いいですか?」
「もちろんだよ、ルンルンさん」
「よかった♪」
 ルンルンは胸の鼓動を隠して笑顔を浮かべる。目的の版画展示に辿り着く途中で他の教室も覗いていく。
「どうやって作ったんだろ」
「大きいですね」
 天井に接触しそうなぐらいの木彫りの像は二人の度肝を抜いた。
「あ、あの、凄く賑やかだから、はぐれないように私の手握っていて貰えたら‥‥」
 ルンルンの願いに頷いた常春が優しく手を握ってくれる。
(「この手の温もり、私の心臓の音きっと常春さんに‥‥この時間が永遠に続いたらいいのに」)
 混み合う階段を上りながらルンルンはそんなことを考えた。
「これは‥‥すごいね。素晴らしい」
「なんて極彩色!」
 展示の部屋に入った瞬間、常春とルンルンは版画絵に目を奪われる。天儀本島の浮世絵に使われる多色摺の技法を用いながら、泰国の日常を表現していた。
 画題はどうやら朱春の街のようだ。知った景色が版画絵によって再構成されている。
(「よかった。とても喜んでくれている」)
 ルンルンは興奮気味に版画絵の感想を話す常春に嬉しくなった。
 三日目の夕方からは舞踏会が行われる。
 それはまるで夢の中のよう。芸術寮に戻ったルンルンは自室で眠りに就く。ぐっすりと休んだつもりだったが夜明け前に目が覚める。
 展示の片付けにはまだ数日の猶予があった。思い出に絵を眺めておこうと芸術学科棟の青の部屋へと向かう。
「あ、常春さん」
「ルンルンさんどうしたの? 眠れなかった?」
「いえ、朝早く目覚めてしまったので」
「私はちょっと眠れなくてね。ここにまた来てしまったんだ」
 二人はランタンで照らしながら全員の絵を鑑賞する。
 自分の絵を眺める常春の姿を見てルンルンは覚悟を決めた。
「大学祭、一緒に頑張れて凄く楽しかったです‥‥。入学式から、もう随分時間がたっちゃったけど、私、常春さんと一緒にここに入学できてほんとに良かった‥‥‥‥。あっ、あの、常春さん、私、貴方のことが大好きです。何も知らずに初めて合ったあの頃から、ずっと。そしてこれからもずっと側にいて、貴方のその優しさに包まれて、貴方を支えていきたい、私をいつかお嫁さんに‥‥」
 ルンルンはこれ以上常春の顔を見ていられなくなって俯く。
「あっ、常春さんの都合もわかってますから、お返事は今すぐじゃなくても‥‥。私、待ってます」
 高まる気持ちを抑えつつルンルンは顔をあげた。
「ありがとう」
 常春は優しい笑顔でそれだけを告げる。しばらく会話を続けたはずなのだが、舞い上がり過ぎたのか後日のルンルンは覚えていなかった。

●祭りは終わる
 絵画を展示した青の部屋の片付けは三日で終わった。持ち込みすぎて終わらない芸術学科同期の部屋を手伝ったりして一週間が過ぎ去る。
 完成させた絵はそれぞれの寮の部屋に飾られた。
 泰大学に残すのもよし。誰かに贈るもよし。卒業後に自らの証として持ち帰るもよし。どうであれ絵は各自にとって大事な節目の品となる。
 将来この絵を眺めたときに泰大学での思い出が蘇るに違いない。少なくとも常春にとってはそうであった。