夏の絵 〜春華王〜
マスター名:天田洋介
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/30 01:20



■オープニング本文

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 泰国南部への旅は無事に終わる。参加した芸術寮有志達の心の中には大切な何かが残ったことだろう。
 常春もそう。寮部屋の窓から青空を眺めながら振り返る。起きたどの出来事もすべて楽しい思い出であった。
(「いけない、いけない。ちゃんと決めないと」)
 常春は重要な案件に思考を戻す。
 秋に催される大学祭の出し物についてだ。それを探るために旅をしたのである。
 やはり自分を含む芸術寮有志にとっては絵が一番だというのがよくわかった。
 彫刻や立像などでもよかったが、それを口にした者はいない。誰もが出品物は絵だと決めていた。
 問題なのは統一された画題である。
 好き勝手に描いた絵を適当に飾っただけでは鑑賞する者達が戸惑うだけだ。一つの筋道をつけてこそまとまった展覧の意味がある。
 この辺りは収集とよく似ていた。雑多に集めてもただの成金趣味に過ぎない。何かしらの核があってこそ収集物に光りが宿る。
 かといって窮屈な画題のせいで学友達が描きたくない絵を用意しなければならないとしたら本末転倒だ。
 ああでもないこうでもないと常春は考え続ける。
 今のところ大学祭は十一月の三日から六日まで開催されることになっていた。
(「大学祭までまだまだ日数があるけど、気を抜いているときっとあっという間だよね。こういう場合の時の経ち方は早いから」)
 常春は講義の最中、大学祭が行われるのは秋だと心の中で呟いた。それをきっかけにして思いつく。夏と秋の対比を画題にしたらどうかと。
 夏と秋の二枚の絵。場所や物を季節を変えて描くことで何かが生まれるはずである。
 自然の景色なら当然、夏と秋は大きく違う。植物などの生物もそうだ。
 建物そのものは季節によって大きく変わるものではない。それでも日差しによる陰影や周囲の変化で夏と秋を描き分けることはできるだろう。
 問題があるとすれば秋の景色を描く期間である。秋が深まるのを待ってから大学祭に間に合わせなければならなかった。
 それはそれとして、まずは夏の景色を用意しようと常春は旅を共にした学友達に声をかける。
 旅の間に気に入った素描が用意できた者は彩色してそのまま仕上げてもよい。
 場所だけを決めた者はもう一度出向いて描く必要がある。
 常春自身は雨宿りで立ち寄った杉の大木周辺にもう一度出向くつもりだ。
 杉の大木は針葉樹なので秋になっても夏と殆ど変わらないはず。しかし周囲にはたくさんの広葉樹が育っていたので秋には紅葉の景色になるだろうと想像していた。
 大学祭用の夏の絵を用意すべく芸術寮の有志達はさっそく行動を開始するのであった。


■参加者一覧
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ
雁久良 霧依(ib9706
23歳・女・魔
七塚 はふり(ic0500
12歳・女・泰
ノエミ・フィオレラ(ic1463
14歳・女・騎


■リプレイ本文

●芸術寮
 泰国は夏真っ盛り。
 泰大学芸術寮の面々は秋の大学祭に向けて着々と準備を進めていた。
 主題は夏と秋の連作である。
 常春は以前の旅で立ち寄った大樹がある森をもう一度訪ねることにした。パラーリア・ゲラー(ia9712)も同じ森を描きたいとのことなので常春に同行する。
 忙しくて前回の旅に参加できなかった柚乃(ia0638)は同じ旅程を辿る計画を立てた。又鬼犬・白房を連れて行くので龍は泰大学から借り受ける。
 玲璃(ia1114)は旅の途中で気に入った草原にもう一度向かう。あまりに手際がよくて学友が気づかないうちに寮から姿を消していた。
 伊崎 紫音(ia1138)が再び訪ねようとしていたのは向日葵畑だ。轟龍・紫に乗って元気に寮の庭から飛び立っていく。
 ルンルン・パムポップン(ib0234)は常春と一緒の森へ行こうか悩んだものの、思い出深い南部の海へ向かうことにする。
 雁久良 霧依(ib9706)の行き先は南部海沿いの港町だ。猫石像にまつわる祭りをあらためて描くつもりである。
 ノエミ・フィオレラ(ic1463)は寮に残る。気に入った素描を作品にまで仕上げるつもりのようだ。
 七塚 はふり(ic0500)も寮に残った一人。庭で育つ朝顔を精密に描くつもりだと常春に語った。
 様々な思いを胸に秘めつつ、芸術寮の有志達はこの夏を写し取ろうと活発に動いていた。

●ノエミ
「お話があるのですけれどよろしいでしょうか?」
「あらたまってどうしたの?」
 常春が森へ出かける前日の夕食後。ノエミは常春に相談を持ちかける。
「こ、この間の旅で岩場に座って海を眺める水着姿の常春様を‥‥描かせてもらったのですが、あちらを完成させて‥‥大学祭にだしたいかなって」
 俯いていたノエミがちらりと常春を仰ぐ。眉間にしわがあるような、ないような。怖くてきちんと確かめられない。
「あ、あの顔出しがダメならお面‥‥そう、猫のお面をつけて描かせていただきますので! 霧依さんの猫石像を手伝ったおかげか猫の顔は結構うまく描けるようになったんです! ‥‥だ、ダメでしょうか?」
「お面を描き足さなくてもいいよ。とてもいい素描だったし。それよりもノエミさん大丈夫? 汗びっしょりだよ」
 常春が怒っていると感じていたのはノエミの勘違いだった。いつもの優しい表情でノエミのことを心配してくれた。
 万歳をして喜ぶノエミ。はっと我に返り、青ざめていた顔を今度は真っ赤に染める。
 翌朝、旅立つ常春を見送った。
「どうかお気をつけて! 行ってらっしゃいませ♪ 精霊のご加護があらんことをー!」
 ノエミは騎士の象徴たる大剣を掲げて旅の安全を祈願する。
 駿龍で浮上した常春は手を振ってから遠くの空へと飛んでいく。
 常春が消えた空を見上げていたノエミだが、気合いを入れ直して剣の代わりに絵筆を取った。
 素描を前にして椅子に座り瞳を閉じる。
 あの日をつぶさに思いだす。潮の香りが鼻腔をくすぐる。風と日光に晒されながら目前に広がっていた情景は常春と海。
 現実と夢想の世界を行き来しながら、ノエミは何日もかけて絵を完成へと導いていく。
「ふふ‥‥うへへ‥‥」
 常春を彩色する際、自然と妙な笑みとうめき声をあげていた。いけないと思いながら真面目に描こうとするがどうしても心が溢れてしまう。
 誰にも目撃されなかったのが幸い。いや、窓から覗いていた駿龍・BLだけはそのときのノエミを知っていた。

 数日後、旅から帰ってきた常春に完成した絵を見せる。
「如何でしょうか! 常春様への愛のけっしょ‥‥いいえ何でもないです!」
「特に海の青さがとってもいいね、どうやって描いたのか知りたいよ」
 しばらくノエミは常春とのお喋りの時間を楽しんだ。

●七塚
(「写実性と正確さこそ自分が求めるものであります」)
 七塚が朝顔を描くために行ったのが工作である。
 内側に目盛りを刻んだ額縁枠を台に取りつけた。それを朝顔が枠に収まるように庭へ置く。
 目盛りを参考にして正確に描写する。
 画材は細筆と透明水彩。筆で輪郭描いて内部は塗りの濃淡で表現していく。
 まずは何輪か朝顔が収まる構図で絵を描いた。
 さらに余白へと花や葉を描き足す際は室内で行う。参考にする朝顔の花と葉を枝ごと摘んで花瓶に生ける。背後に升目をいれた紙を立てたら準備完了だ。
 そして原寸の描写にこだわって何十回とキャンパスと朝顔の花瓶を交互に眺めながら絵筆を動かす。
「‥‥少し休むのであります」
 あまりに集中したせいで頭が朦朧としてきた。時折休憩を挟み、淹れたての紅茶を飲んで心を落ち着かせる。
 ふと紅茶の中に常春を思い浮かべた七塚だ。
(「花びらの青みが少し濃すぎたのであります」)
 絵の反省をしつつ気分が落ち着いたところで再開する。
 原寸の花と葉が描けたところで一輪だけ分解して内側の組織も描写した。日付を記したら完成。花瓶は次の日まで部屋の片隅に飾った。
 毎日朝顔を描き続けて、四日目でようやくそれなりに気に入った仕上がりになる。
 朝顔描きはほぼ日課となった。続けるだけ朝顔の成長過程が記録される。そうなればより完璧になると七塚は喜んだ。
「今日は筆が乗って楽しかったのであります‥‥っと」
 余白部分に感想を残すこともある。
(「もしかしてこれは朝顔の観察日記なのでは‥‥」)
 ふと気づいてしまったが七塚は言葉にはしなかった。

 ある日、食堂で絵を描く七塚を見かけて常春が声をかけた。
「見せてもらっていい?」
「どうぞであります」
「この朝顔‥‥輪郭はもちろんだけど葉脈までそっくりだなんて!」
「本日のは会心の出来であります」
 常春は花瓶に生けられた朝顔と七塚が描いたばかりの絵を比べて唸る。常春はよい刺激をもらったと七塚に感謝して食堂から姿を消す。
 その日、絵に夢中になりすぎた常春は夕食の時間を忘れる。そんな常春に同室の伊崎紫音から差し入れが。それは七塚から預かったお握りだった。

●雁久良
 雁久良が目指したのは泰国南部の港町である。
 滑空艇・カリグラマシーンで出発したのだが、途中である飛空船の船乗りと知り合って南部まで乗せてもらった。
「一ヶ月も経っていないはずなのに何だか懐かしいわ」
 最初に宿を決めてから町中へと繰りだす。
 目的の猫石像は港町中央部に鎮座する。
 学友達とこの港町にやってきたときには、秋刀魚豊漁を祈る祭りが行われていた。それとは別に本番祭りが控えているはずだった。
「月敬いの風習は八月の五から二十五にかけて行われるらしいけれど‥‥この港町はいつなのかしら?」
 雁久良は焼き秋刀魚屋台の旦那から詳しい話を聞いた。
 港町での敬い風習の呼称は『秋刀魚あっちっち祭り』。八月十一日から十四日まで行われるという。あっちっち祭りでも秋刀魚姿に扮装した猫族達の踊りは見られるらしい。
「その日まで滞在するのは難しいわ」
「明日の夜、あの猫石像のとこ行ってみな。予行練習やってっから」
 感謝した雁久良は焼き秋刀魚の串刺しを三本買って宿に戻る。
 翌日の昼間、猫石像の周辺で秋刀魚姿に扮していた猫族の男女を発見する。お願いして細かい部分を描かせてもらう。
 秋刀魚の頭部を模した帽子を被り、着物の各部にはヒレ代わりの薄い板が取りつけられている。さらにお尻部分から長い尾びれが伸びていた。
 夕方から予行練習が始まる。
 秋刀魚に扮した猫族の若者達が篝火に照らされながら猫石像の周囲で踊りだす。
(「ちゃんと筋書きがあるのね」)
 踊りは恋人が亡くなって嘆く月の女神を癒やすために猫族一同が貴重な秋刀魚を捧げる物語になっていた。実は女神の恋人は生きていて、一緒に秋刀魚を食してめでたしで締めくくられている。
 描く際には月明かりや篝火の明かりを計算に入れた。静と動を採り入れつつ素描を描き終える。
 さらに数日滞在。雁久良は絵を完成させてから泰大学への帰路に就いた。

「私のはどう? 自信作よ♪」
 寮に戻った雁久良は常春を探して絵を観てもらう。
「この一瞬を捉えたのか。大変だったんじゃない?」
 常春が注目したのは躍動感である。踊りの一幕が素晴らしい絵として残されていた。
「昼間に資料の絵描いたけど大変だったわ。体力消耗しちゃうのよね。秋なら平気かもしれないけれどね。その分、夜の様子を描くのは涼しくて楽しかったわ♪」
 雁久良は港町での体験を常春に語って聞かせた。

●ルンルン
 泰大学から駿龍を借りたルンルンは途中で輸送用大型飛空船に乗せてもらう。
 南部に近づくとお礼をいって下船。一人辿り着いたのは学友達との思い出深い海岸である。
「常春坊ちゃんと一緒に眺めた大ナマズ雲、楽しかったな‥‥」
 ルンルンは砂浜の流木に腰かける。
 滑空する上級迅鷹・忍鳥『蓬莱鷹』の向こう側には入道雲が浮かんでいた。
 空と海は季節によってまったく違う景色を彩る。
 今回の画題は『真夏の海と入道雲』。秋には違う景色を見せてくれるはずである。
 ルンルンは龍に積んでいた荷物の中から画材を取りだして絵を描き始めた。
 もくもくと力強い入道雲を観察しながら、この海岸で常春から聞いた言葉を一つずつ思いだす。
「料理の腕も昔と比べたら信じられない位上手になったけど、私、常春坊ちゃんの理想の子に近づけてるのかな‥‥。でも、最初は坊ちゃんが好きなものだから始めた絵は、すっかり大好きになっちゃいました。今なら坊ちゃんの気持ちもよく分かる気がします」
 ルンルンは脳裏の常春へ答えるように呟いた。
 彼女が野宿して海岸に留まったのは三日間である。彩色を含めた仕上げは芸術寮でやる予定なので早々に立ち去った。
 ちなみにルンルンが天幕で寝ている間、蓬莱鷹が見張ってくれる。おかげで道中、何事も起こらなかった。

 常春もすでに芸術寮へ戻っていた。
 庭の木陰で絵を仕上げをしていると学友から教えてもらったルンルンは会いに向かう。
「常春さん、冷たい飲み物とお茶菓子はどうですか? こんなに暑いから根を詰めすぎると倒れちゃいますよ」
「ありがとう。ちょうど休憩しようと思ってたんだ♪」
 ルンルンは持ってきた自分の素描を常春に観てもらう。常春も自身の絵の感想をルンルンに求めた。
 常春にとっても楽しかったようである。会話は一時間以上に及んだ。
 ルンルンがその場を離れてからしばらして通りがかると常春は昼寝をしていた。木漏れ日の下、雑草の上で仰向けになって。
(「えっと‥‥。よ、よし!」)
 どうしようかと悩んだルンルンだが、そっと近づいて膝枕をしてあげた。

●伊崎紫音
「ちょっと迷ったけど、ここで間違いありませんね」
 伊崎紫音は轟龍・紫で飛びながら眼下を見下ろす。
 広がっていたのは向日葵畑。
 日の浅い自分だと微妙な景色の変化は描ききれない。そう判断した伊崎紫音が選んだ題材が向日葵である。
 前の旅の間に素描は何枚か描いていたが、腰を落ち着けてじっくりと描こうとこの地を訪ねた。彩色用の道具も持ってきたので、風景画として最後まで仕上げるつもりでいた。
 伊崎紫音は最初に畑の持ち主から許可をとる。そして紫の背中に乗って気に入る構図を探した。
 高く飛んだり、反対に超低空を滑空したりも。向日葵畑の後ろに山の稜線が入るのが理想である。しかしこれと感じる場所はなかなか見つからない。
 最後には徒歩で探し回ってようやく決まった。
 天幕を近くに張ってしばらくの生活拠点とする。食料や水の備えはたっぷりと用意してあった。
「紫は中には入れないから、広げて屋根みたいにしてあげますね」
 樹木の枝に広げた天幕の布を張って紫用の日除け兼雨避けを作っておく。
 素描にかかったのは二日間。さらに彩色が終わるまで六日間を要した。
 その間に畑の持ち主から話しを聞かせてもらう。
 向日葵畑で穫れた種から油が搾り取られる。そして絞り滓は畑の肥料として使われるそうだ。
「これならきっと」
 伊崎紫音が描いた向日葵は強い日差しを浴びて元気いっぱいである。山の稜線と青空に白い雲が黄色の花びらを引き立たせていた。
 満足な絵が仕上がったところで紫に頑張ってもらって芸術寮へと戻った。
 伊崎紫音と常春は寮の同室なのでさっそく絵の感想を聞いた。
「この向日葵。まるで紫音さんみたいだね」
「ボクみたいですか?」
「そう。元気いっぱいでみんなに力をくれる。そんな感じかな」
「なるほど」
 伊崎紫音は常春にいわれてこの絵がもっと好きなる。種の収穫前にもう一度向日葵畑に行こうと心に決めた。

●玲璃
 風に揺れる草原に一頭の駿龍が静かに着地する。
 背中から下りた玲璃が周囲を見渡した。
 夏の野には色鮮やかな花をつけた野草が咲き乱れていた。振り向けば小川に鹿などの動物達の姿も。
 玲璃は上級羽妖精・睦と一緒に草原を移動してある景色が気に入った。
 それは一面の紫色の草原。ヤナギランの自生である。遠くには丘陵や緑濃い樹木が広がっていた。
 あまよみで天候を確認。風向きなどを調べた上で天幕を張る場所を決める。もしものアヤカシ襲撃に備えて護衆空滅輪で周囲の瘴気を減らしておく。
 見張りについては睦に協力してもらった。懐中時計「ド・マリニー」は見張りのときに共同で使う。
「さあ頂きましょうか」
 玲璃は簡易な食事では済まさず毎回ちゃんと調理したものを睦と一緒に頂く。
 画材は油絵用のもの。
 下描きはそこそこに、色を足していくことでキャンバス上に景色を浮かび上がらせていった。
 睦は浮かびながら不思議そうな顔をしてキャンバスを覗き込む。
 泰大学から借りた駿龍は自前で狩りをする程度の甲斐性があった。おかげで食料調達には事欠かなかった。
 一番手前のヤナギランの花びらに蜂を描き足す。油絵だとこういった修正がとてもしやすい。おかげで写実的な景色を切り取ることが出来た。

 玲璃が寮に戻ると常春と伊崎紫音が部屋を訪ねてきた。
「夏はこの草原や命の瑞々しさを。秋はこの草原の豊穣や冬へ備える自然を描くつもりです。油絵でないと私の技術ではそれらを表現できませんでした」
 絵を取りだしながら玲璃はそう説明する。
「自然の雄大さが出ていてとてもいい絵だね。同じ油絵だし、私もがんばらないと」
「ボクもそう思います。この花、綺麗ですけど何ていうんですか?」
 その日、男子三人は夜遅くまで絵について熱く議論を交わしたのであった。

●柚乃
 柚乃に会った瞬間、常春は固まる。正確にいえば柚乃だと判断するのにしばしの時間がかかった。
「‥‥あの技を使えるとすれば‥‥柚乃さん?」
「当たりっ♪」
 ラ・オブリ・アビスは波長を合わせることにより特定の個人だと勘違いさせる術である。
 柚乃は常春の波長を真似た。当人ならば違和感を感じるのは当然なので看破は可能。ただし柚乃だと言い当てたのは常春の推理によるものだ。
 柚乃は常春に案内してもらった厩舎で駿龍を選ぶ。
「長旅だけどよろしくねっ」
 龍の首に抱きついてご挨拶。
 柚乃は常春から前回の旅で使用した地図をもらい受ける。
「さぁ、どんな風景を描こうかな。でもいいな、この感じ♪」
 寮の部屋で寝転がりながら行き先を考えた。
 出発当日は早起きして弁当作り。長持ちするよう氷霊結で作った氷も用意する。
 朝日が昇る頃に龍騎して出発。寮の窓から常春が手を振ってくれた。
「夏はどこも色が濃い‥‥。そう思わない?」
 柚乃は上空からの景色を眺めながら目の前に座る白房へと話しかける。白房は元気よく吠えて返事をした。
 昼には適当に着地してお弁当を頂く。時折通り抜けていく微風が柚乃の心を洗ってくれる。
 数日かけて草原に森、向日葵畑などを通過してやがて南部の海岸へと辿り着いた。
「昨年の秋はどんな感じだったのかな?」
 柚乃は『時の蜃気楼』で幻視を試す。夏の鮮やかな景色とは違って色が薄まったような、そんな景色が垣間見えた。
 場所を変えて時の蜃気楼を繰り返した。同じ波でも秋の方が総じて荒々しい。
 海岸線付近に育っている草花の一部から緑が消えている。樹木は葉を黄色や紅色に染めていた。
 紅葉は山だけの特権ではない。これらを絵に収めれば夏と秋の違いがとても明確になりそうである。
 決まったところで柚乃は紙の上に景色を写す。実際にどのような景色を選んだのかは学友に見せるまで柚乃と白房だけの秘密である。

「常春くん、元気にしてた?」
「もちろん♪ 柚乃さんも元気そうだね」
 芸術寮に戻った柚乃は旅での出来事を常春に話す。
「白房が吠えたので目を覚ましたら、野犬に囲まれていたの」
「大丈夫だったの?」
 絵の完成はまだこれから。柚乃は完成するまで寮の部屋で絵筆を存分に滑らせた。

●常春とパラーリア
 泰大学から離陸した飛空船が着陸したのは森の中である。常春とパラーリアは以前の旅で雨宿りをした杉の大樹がある森を訪ねた。
 雇った開拓者は常春達を邪魔しないように護衛してくれる。
「ぬこにゃ〜ん、そこの二股になっている太枝に引っかけて欲しいのにゃ〜♪」
 パラーリアと神仙猫・ぬこにゃんが縄や道具を抱えながら杉の木に登っていた。
「えっと、何しているの? パラーリアさん」
 常春は天を仰ぐようにして枝の上に立つパラーリアへと話しかける。
「春くんにプレゼントなのにゃ♪」
 パラーリアは一緒に杉の木を登ろうと常春を誘った。少しだけ悩んだ常春だがせっかくの機会だしと了解した。
 パラーリアが常春の腰回りに命綱を取りつけたら準備完了である。
「くっ!」
「疲れたら休めばいいのにゃ。早めにいってね、春くん」
 いくら大樹とはいえ龍を使えば頂にあがることなど造作もない。しかしそれでは意味がないことを常春はよく理解していた。
 神仙猫・ぬこにゃんは杉の木の根元で命綱に繋げた縄の長さを調節してくれる。
「飛空船や龍から観た景色とも違うね!」
 頂に登った常春は普段眺めることがない視点からの森の景色を喜んだ。
「春くんもここからの風景描いたらどうなのにゃ?」
「この景色はパラーリアさんに任すよ。ほら、さすがにね♪」
 常春は笑顔を浮かべていたものの、胸の高さまであげた右手が震えていた。予定通り、杉の大樹を含めた森を地上から描くことにする。
 常春は杉の大樹を中心に添えて描く。パラーリアはその大樹の頂から望める森の景色を写す。
 仕上がった絵を見比べたときが楽しみだと二人は野外での食事をしながら談笑する。
 風景画の他に資料として森に住んでいる鳥や昆虫も描いておく。
 省略した表現にするにしろ、ちゃんとした形を把握した上でやったほうがよい。それを常春とパラーリアはよくわかっていた。
 丸二日間の滞在中、どっぷりと絵を描きまくった。それを芸術寮に持ち帰って本番の絵に取りかかる。
 常春が用いたのは油絵である。
 パラーリアは夕日の森を選んでいた。そこで常春は一番光が強く影が濃いといわれている午後二時から三時頃の森を表現する。
 ギラギラの陽光に映える自然の緑。常春は絵の具を重ねた。
「ディテールもおろそかにしないのにゃ」
 パラーリアも寮の部屋で絵筆を振るう。
 夕日を浴びる葉の緑を生き生きと描く。伸びゆくような力強さを目指す。飛び立つ野鳥も描き込んだ。

●全員で
 各地に散らばっていた学友達が戻ってきたところで朱春へと出かける。
 一風呂浴びてから帰ろうと天儀湯・釜屋に立ち寄ったところ、大入り袋的なものをもらう。タイル画のおかげで大繁盛し、感謝しているとのことである。
 寮に帰ってから食堂に集まってお互いに絵を見せ合った。
「いいわね、こうやって皆で絵を描きお互いを高め合っていく感じ♪ この関係がずっと続いたら、とも思うのだけど‥‥」
 辺りを見回した雁久良は『そうもいかないのかしらね♪』と冗談ぽく呟くのであった。