夏の旅 〜春華王〜
マスター名:天田洋介
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/17 17:18



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


 現在、天帝宮に座している春華王は影武者。
 本物は市井の『常春』として泰大学に在学中である。以前からの友人知人、また新しく知り合った学友達と芸術寮にて充実した日々を過ごしていた。
「龍が借りられるって本当なんだ」
 常春は別寮の知人から役に立ちそうな話を聞く。大学に申請して許可が下りれば龍が借りられる仕組みがあると。
(「ゆっくりでいいのなら‥‥」)
 学内の道を歩きながら常春が考える。
 あまりうまくはなかったものの、常春も龍に乗ることはできる。そのうちに大切な懸案を思いだした。
(「今のうちから準備したほうがいいかも知れないな‥‥」)
 常春の脳裏に浮かんだのは秋の行事『大学祭』である。
 芸術学科の講師から長期課題が出されていた。同学科生同士で班を作り、大学祭向けの出し物を用意しておくのがその内容だ。
 例えば絵を展示するとすれば夏の間に描いておく必要がある。
 絵だけが課題をこなすやり方ではなかったが、どうであれ時間をかけた自信作を提出したかった。だとすれば猶予はあまり残っていない。
「龍に乗ってさ。南部の海岸までいってみないか?」
 芸術寮の食堂。常春は夕食の時間に旅の計画を切りだす。
 飛空船は使わない。
 野宿で南部の海岸まで行って戻る行程だ。その間に様々な景色に出会えるだろう。仲間同士の会話も普段よりも増えるはずである。
 龍を持たない仲間も大学から借りればよいので問題はないはずだ。もちろん自前の龍を連れてきても構わない。
 さっそく何人かの仲間が賛同してくれる。龍での旅の計画は順調に進むのであった。


■参加者一覧
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ
雁久良 霧依(ib9706
23歳・女・魔
七塚 はふり(ic0500
12歳・女・泰
ノエミ・フィオレラ(ic1463
14歳・女・騎


■リプレイ本文

●出発
 よく晴れた早朝。
 泰大学敷地内から次々と龍や滑空艇が飛び立つ。
 今まさに芸術学科の有志による南部海岸への旅が始まった。多くの景色に触れて秋に開催される大学祭に展示する作品を模索するためである。
「おっと、うん? こ、これで‥‥」
 春華王の仮の姿『常春』も泰大学から借りた駿龍に乗って大空を飛んでいた。しかし手綱を握る姿はどこかぎこちない。
「春くん、肩の力を抜くといいのにゃ♪ 温和しい性格の龍だから大丈夫だよ〜♪」
「そう、そうだね」
 パラーリア・ゲラー(ia9712)は常春と同じく泰大学から駿龍を借りていた。パラーリアが担ぐ背中の袋から神仙猫・ぬこにゃんがぴょこんと上半身をだして常春に手を振る。
 常春、パラーリア、玲璃(ia1114)、ルンルン・パムポップン(ib0234)の四名は二週間前から暇なときに大学内の厩舎へ立ち寄っていた。借りる予定の龍に自ら餌をあげることでわずかながら絆を深めてきたのである。
 駿龍・トクコを駆る七塚 はふり(ic0500)は常春の一段下を飛ぶ。わざと遅れて常春が視界に入るよう努めていたのには理由があった。
(「はしごからも落ちる方ですから心配でしょうがないであります。とはいえ練習せねば上達しませんし」)
 万が一の落下の際、すぐに常春を助けられるように心がけていた。
「この速さなら問題ないわね♪」
 滑空艇・カリグラマシーン上の雁久良 霧依(ib9706)は鼻歌を唄いながら風を切る。後部の足場にはひとまとめにされた大きな荷物が載せられていた。
 中身は寮で使ってた鍋や包丁などの調理道具。それに天儀の調味料。足りない食材は各地の町村へ立ち寄った際に調達するつもりである。
 玲璃が駆る駿龍の背にも大きな荷物が目立つ。
「これぐらいないと足りませんが、少し積み過ぎたような‥‥。崩れそうなときには早めに教えてくださいね」
 玲璃が後方に声をかけると上級羽妖精・睦は元気に返事する。睦ははぐれないよう命綱をつけて荷物の上に座っていた。
 ルンルンは常春の駿龍を驚かせないようにゆっくりと近づいた。
「常春さん、美味しいお弁当作ってきましたからね♪」
「どんなお弁当?」
「食べてからのお楽しみです」
「じゃ、お昼まで待たせてもらうね」
「楽しみといえば、大学祭もとっても楽しみです。一緒にがんばれるよう、この旅で色んなものを見てきちゃいましょう〜♪」
「だね♪ いい景気と出会えるといいなあ」
 ルンルンは常春とお喋りしながら心の中で呟く。景色だけでなく常春のことをもっとよく知りたいと。
 駿龍・BLに乗っていたノエミ・フィオレラ(ic1463)は、ちらりちらりと真横を飛ぶ常春を眺めていた。ついつい気になって仕方がない。
「はふぅ‥‥」
 思い返せば常春にとって自分はただの変な子ではないかとノエミは悩んだ。
(「これまで絵巻の中の殿方に夢中になることはあっても実在の殿方には‥‥」)
 突然に顔を赤くしたり、反対に青ざめたりと気分が激しく上下する。そんなノエミの様子に常春は気がついた。
「どうしたの? 体調が悪いのなら早めに休憩しようか?」
「な、なんでもありません。私は騎士ですから大丈夫です!」
 常春から声をかけられたノエミは背筋を伸ばして声を張り上げる。
 常春を中心とした学友達のやり取りを伊崎 紫音(ia1138)は少し離れたところから眺めていた。
(「恋愛事にちょっと疎いボクでもなんとなくわかります。常春さんの周りで色々な駆け引きがあるような‥‥」)
 伊崎紫音はあくまで見守るだけで口に出すつもりはなかった。
 この旅で何らかの進展があるのかどうか。それぞれに思惑と想いを胸にしまいつつ、一行は澄んだ青い空を飛び続けた。

●支度
 一行はお昼を食べるために野原へ着陸する。茣蓙を敷いて座り、準備してきた炭で湯を沸かす。
「んー、少し朱春から離れただけなのにやっぱり空気が違うね。なんだろうね、旅は数え切れないほど経験しているのにこの新鮮な感じは」
「常春さん、はいどうぞ♪」
 背伸びをした常春にルンルンがお弁当を差しだす。ルンルンが作ったお弁当には卵焼きや唐揚げが並んでいた。
 どれもくどくならない範囲で濃いめの味付けがされている。食べ物は甘くても塩っぱくても保存性が高まるからだ。
 せっかくの旅でお腹を壊したら元も子もない。元気に楽しむためには普段よりも注意を心がけていた。
 人だけでなく龍達も充分に休んだのを見計らったところで空の旅は再開される。
「地上に降りたときに確認してみましたが、今日の天気は快晴です」
「それは助かるね。ずっとそうだといいんだけど」
 玲璃はあまよみで知ったこれからの天候を常春に報告する。但し、慣れない龍の上なので術を使うのは地上に降りた機会に留めていた。
 見下ろす草原の景色は素晴らしかった。街道の往来を上空から眺めるのも印象深い。鳥が列をなして飛翔している様子はそれだけで感動的だった。
「よいところを見つけました!」
 暮れなずむ頃、先行したノエミが野宿に適した場所を発見して戻ってきた。今晩は湖近くで野宿をすることに。
 各自持ってきてくれたおかげで天幕の数は充分に揃っていた。
「悪いね。一人で使うなんて」
 天幕・壱は常春が単独で使うことになる。
 男性同士ということで玲璃と伊崎紫音が天幕・弐。
 以前から約束していた雁久良とノエミは天幕・参へ。
 特に決まっていなかった三人はくじ引きの結果、パラーリアとルンルンが天幕・肆を使う。天幕・伍は七塚専用となった。
 郊外だと危険度は町村内の比ではなくなる。野生動物やアヤカシ、野盗を警戒して交代で見張ることになっていた。
「今、鮎っぽい川魚が水面で跳ねましたよ」
「これはいけるかも」
 食料確保担当になった常春と七塚は釣り竿を肩に担いで湖に流れ込む川へと足を運んだ。神仙猫・ぬこにゃんも一緒である。
 さっそく針に餌をつけて釣りを開始した。
「さっそくの引きが!」
「自分もであります」
 常春が竿をあげると岩場に座っていた、ぬこにゃんの目の前に川魚が落ちる。七塚もすぐにかかって同種の川魚を釣り上げた。
 用意してきた木桶がわずかな間にいっぱいになる。
「お願いするね」
 常春に頼まれたぬこにゃんは木桶を抱えて天幕が並ぶ野宿の場所へ戻っていく。
 木桶の中の川魚は調理担当の学友に渡された。そしてぬこにゃんは龍達と迅鷹を釣り場所へと連れてくる。
「ここからはみんなの食事だからね」
「であります」
 ここからの釣った魚は龍達と迅鷹の胃袋におさまった。ちなみに羽妖精・睦とぬこにゃんは人と同じものを食べるようだ。
「こういうのも、野宿の醍醐味ですよね。強火の遠火でじっくりと焼きましょう」
 伊崎紫音はご飯を炊く際の焚き火を利用して川魚の一部を塩焼きにする。近くに生えていた食べられる野草もさっと湯に通して一品に仕上げた。
「こういうときは鍋が一番です」
 玲璃は川魚の一部をつみれにして鍋料理の具に使った。
「故郷のあれは小麦粉が手に入ってからにしましょうか」
 味噌は雁久良が用意したものだ。彼女には常春に食べさせたい郷土料理があるらしい。
「できあがったのにゃ♪」
 パラーリアが呼子笛で遠くにいた仲間達に食事の時間を伝える。まもなく全員が集まって初日の夕食が始まった。
 和気藹々と会話が弾む。しかし最後になって常春は急いで料理を食べきって席を立つ。
 滅多にない常春の様子に驚く一同だがすぐに合点がいった。夕日があまりに綺麗で常春は絵に残そうとしたのである。
 何人かの級友も夕日を紙の上に写し取るのであった。

●崩れた天候
 三日目の午後。晴天だった天候がわずかな間に崩れて大雨の様相となる。
「このままじゃ‥‥。あそこなんてよさそうじゃない?」
 雁久良が指さした杉の大木に向かって一行は下降する。ひとまず地上の大木で雨をやり過ごすことにした。
 雨粒が肌に触れたの知ってから五分も経っていないのにかかわらず、誰もがびしょ濡れである。
「先程の休憩時に観察したあまよみでは曇り程度だったのですが」
「ということはきっと局地的なものなんだろうね。すぐに止むんじゃないかな」
 玲璃が髪から滴を垂らす常春に手ぬぐいを渡す。常春は髪の毛をざっと拭き終わると濡れた服を脱ごうとした。
 大木を挟んで裏側にいたノエミも常春に手ぬぐいを手渡そうとする。
「常春様、これを使って‥‥」
 ノエミが数歩進むと上半身裸の常春に遭遇した。実際にはわずかだったが、ノエミにとって永遠に近い時間が経過する。
「こ、これ!」
「ありがとう」
 顔を真っ赤にしながら手ぬぐいを常春に投げるとノエミは大木の裏に隠れた。それからまた一時間ほど顔を赤くしたり青ざめたりのノエミである。
 全員が乾いた予備の服に着替え終わったところでお茶にする。落ちていた大量の枯れ枝を燃料にして湯を沸かした。
「常春殿は紅茶でしたよね」
「ありがとう、はふりさん。うん、香りがとてもいいな」
 七塚が手渡した紅茶を飲みながら常春が雨で霞む景色を見渡した。
 杉の大木のおかげかわずかに開けていたものの、ここは鬱蒼とした森の中である。
 上空から見た印象では歩いて横断するには無理のある大きさ。つまり巨大な森のど真ん中といえる。
「なんだかもっと酷くなりましたね」
 雨音が強まってきて伊崎紫音が暗い空を見上げた。雨雲のせいでまるで夕焼けと夜の狭間のようだ。
「日が暮れるまではまだ間はあるのにゃ。でも‥‥」
 パラーリアは神仙猫・ぬこにゃんの身体を拭いてあげながら玲璃に視線を移す。
 玲璃はあらためてあまよみでこれからしばらくの天候を確認する。
「夜半には止むようですが、日中はこのままです。宵の口ぐらいが一番酷くなりますね。風も強くなります」
 それを聞いて常春が全員に相談した。
「これまで順調で予定よりも速い移動だったし、今日のところはここで野宿でどうだろう?」
 常春の提案に誰もが賛成してくれる。
「せっかくの森の中だし、偵察を兼ねてちょっと食料でも探してきますね。これだけの森なら何かあるはずなのです」
「気をつけてね。ん? この飲み物は」
 ルンルンが常春に特製ドリンクを手渡した。疲労回復にとてもよいものだといって。
 それからルンルンは迅鷹・蓬莱鷹との同化して森を駆け巡る。小一時間後に猪一頭を仕留めて戻ってきた。
「これはすごいね」
 常春も手伝って解体し、晩飯は猪の焼き肉となる。切られた肉は雁久良が持ってきた醤油に大蒜を足して作ったタレに浸す。
 朋友達の分を消費してもまだ余る。食べきれない分の肉は燻製にされた。一週間程度持てばよいので味を優先した簡易なやり方が用いられる。
 七塚があり合わせの材料で燻製箱を組み立てた。肉を並べて伊崎紫音が探してきてくれた桜の木枝で燻す。
 パラーリアはこのような機会を想定していたかのように金網を持ってきていた。
 煙いと食べにくいし第一美味しくないので焼き肉用の火力には炭を使う。その他の湯沸かしや汁物、ご飯炊きには拾った枯れ枝での焚き火で賄った。
「風が強くなるっていってたわね」
 雁久良が風避けとしてアイアンウォールで壁を準備してくれる。
 薄暗い雨降りのまま、やがて夜の暗闇へ。落ち込みそうになる状況であったのにも関わらず、杉の大木の下では笑い声が溢れた。

●のんびり
 四日目の昼過ぎに一行は泰国中部を通過して南部へと差し掛かる。龍と滑空艇の集団は一塊となって山岳の上空を飛んでいた。
「今までは、ずっと飛空船の旅だったけど、龍で空を飛ぶのもゆったりして気持ちいいですよね‥‥。あっ、あの雲、ヌシの大ナマズさんみたいです」
「本当にそっくりだ。今も元気にしているかな。余裕があれば帰りに寄っていこうか?」
 ルンルンが指さした方向を常春は長く眺める。
 ヌシのナマズとは常春の兄である飛鳥の家族が隠れていた山頂部内部の湖に棲んでいたケモノのことである。
「あ、まるで一緒に泳いでいるみたいだね」
「本当です」
 ヌシ雲と並ぶように迅鷹・蓬莱鷹が翼を広げたまま滑空した。しばし常春とルンルンは飛鳥親子との思い出話に花を咲かせる。
「常春殿、あれはひまわりではないでしょうか」
 普段よりも微妙に高い声で七塚が常春に声をかけた。七塚が腕を伸ばした進行方向左側に眼をこらしてみれば地上の一部が黄色かった。
「よし、行ってみよう」
 常春が笛を吹いて進行方向の変更を全員に知らせる。一行は黄色い地上へと行き先を変えた。
「これはとても綺麗です」
 玲璃が高度を下げて地上すれすれを飛ぶと羽妖精・睦が満面の笑みで喜んだ。
 一面の向日葵畑は圧巻の一言。どこまでも黄色と緑の世界が続いているような錯覚に見舞われる。
(「向日葵畑の常春様‥‥」)
 ノエミは着地した駿龍・BLの背の上から常春を眺める。龍から下りて近くの向日葵に手を触れようとする姿を。
「これを写さないなんてもったいないですね。さっそく描きましょう」
 伊崎紫音が轟龍・紫に積んでいた荷物を解いて画材を取りだす。
「まったく紫音さんのいう通りだ。これを見逃すなんてできないね」
 伊崎紫音から絵画用の木炭を受け取る常春の瞳は輝いていた。
「春くんのちょっと見せて欲しいのにゃ」
「どうぞ♪」
 しばし経過の後、パラーリアは常春の素描を覗き込んだ。
 最初の一枚は一輪のみの力強い向日葵の大輪だ。二枚目以降は並ぶ向日葵などの様々な構図で描かれている。
「パラーリアさんはどんな感じ?」
「ちょっと照れるのにゃ♪」
 パラーリアは神仙猫・ぬこにゃんが向日葵の花を見上げている姿を切り取るように描いていた。
「絵の中のぬこにゃんは何を考えているだろうね」
「ぬこにゃんはたまにテツガク的なのにゃ」
 現実のぬこにゃんは欠伸をしながら常春側の日陰で寝転んでいた。パラーリアが常春の側にいるので秘密の護衛役はしばらくお休みである。
 雁久良も向日葵の絵を数枚描き終えた後で食事の用意を始めた。
「今朝寄った村で買ったこれで、ようやくあれが作れるわ」
 雁久良が取りだした袋には小麦粉が詰まっていた。
「これをどうするんでしょう?」
 雁久良から手渡された棒を見てノエミは首を傾げる。それは麺棒でこれから作る料理に必要な道具だった。
 作ったのは雁久良の故郷でよく食べられるという『おっきりこみ』である。
「暑い時には熱いものを食べるといいのよ。さあ召し上がれ♪」
 日が暮れようとしていた頃、雁久良が大きめの椀におっきりこみをよそった。
 お替わりを想定して二種類が用意されている。醤油味、味噌味の二種類の鍋には幅広の麺が今もぐつぐつと煮られていた。
 生麺をそのまま汁で煮るのでとろりとした食感が特徴の料理だ。具は大根に牛蒡、それに適当なキノコ類に里芋が使われている。
「汗をかきながら熱い料理を食べるのもいいもんだね。魚や肉を使っていないのにこの味は美味しいな。霧依さんはきっといいお嫁さんになるね」
 常春がさりげなく口にした言葉を聞いて固まる人物が数名。
「あら、嬉しいこといってくれるじゃないの。本気にしちゃうわよ♪」
 雁久良が常春に顔を近づけつつ空にあった椀を受け取る。最初に食べたのが醤油味だったので味噌味のおっきりこみをよそって手渡す。
「お、お替わりを私も欲しい‥‥です」
 その直後、ノエミはなんば歩きで鍋まで近づいて自ら腕によそった。
「と、常春様。まだ残っていますが食べますか?」
「そうだね。もう一杯いけそうだね。醤油の方、もらえるかな」
 ノエミはぎこちない動きで常春から椀を受け取り、壺から掬った柄杓の水で軽く洗い流す。それから醤油味のおっきりこみをよそった。
 その様子はとても危なっかしく、当人を除いた全員の視線が注がれる。
「あっ?!」
 ノエミが転びそうになった瞬間に常春は支えた。
「ありがとう」
「い、いえ‥‥」
 常春はノエミの手を包むようにして椀を受け取る。
 その日の夜、天幕内にてノエミは雁久良からマッサージを受けた。日課になっていたが、今日は特別だと雁久良が指をうねうねと動かす。
「ひゃっ! なんですかその手つきにゃああああ!」
「がんばったようだからご褒美よ♪ 譲ったりはしないけどね♪」
「ゆずるってなにが‥‥‥‥す、すごく効きます‥‥ね‥‥」
「ふふっ♪」
 あまりの気持ちよさにノエミはわずかな間に寝息を立て始める。
 地図の読み方が間違っていなければ明日には南部の海岸線に辿り着く。誰もが楽しみにしながら眠りに就き、また見張るのであった。

●海での毎日
 五日目の昼前。ついに陸の切れ目が見えるようになる。
「あと一時間ぐらいはかかるかな」
 水平線が見えたとしてもここは高空。海岸線はまだまだ先にあった。
 常春は焦らずに飛んでいこうと学友達に声をかける。
 それでも気分は高揚していく。特に七塚が目を輝かせていた。
「着きました。着いたのですよ、常春殿!」
 駿龍・トクコがまだ大地に足をつけていない状況で七塚は背から飛び降りる。砂地に着地すると下降途中の常春に両手を振った。
 そして今度は海へと振り返り、水平線を眺める。視界におさまらない空と海の境界線に心溢れた七塚は思わず叫んでしまった。
「ずっと観ていたい景色だね」
 常春が七塚の隣に立って一緒に水平線を眺める。
 我に返った七塚は『つい興奮して恥ずかしいのであります』と呟いた。すると常春も大声で叫んだ。先程の七塚と同じように。
「さてと♪ 夕方まではまだまだ時間があるわ。せっかくだし海で遊びましょ♪」
「手伝います」
 雁久良とノエミが着替えのために天幕を一つだけ組み立てた。真っ先に着替えた二人が天幕の中から姿を現す。
「あ、あのこれ、大胆すぎて恥ずかしいですね‥‥」
 ノエミは『ビキニ「マゼンタ」』を身にまとう。購入時の売り子はツーピースの鮮やかな赤色は大人の魅力を引きだすといっていた。
「やっぱりビキニはいいわね♪ とっても開放的になるし♪」
 雁久良が着替えたのは『ビキニ「ノワール」』だ。黒い大胆な意匠の水着は男性陣を破壊力するだけの威力を秘めていた。
 雁久良はノエミの腕を引っ張って常春に駆け寄る。
「常春君、これどうかしら? 似合う?」
 振り返った常春は目の前に雁久良の胸元があってたじろぐ。そして雁久良の後ろで顔を赤くしてもじもじとしているノエミに気がついて笑顔を浮かべる。
「お二人とも、とても似合います。眩しいくらいに」
 早く早くと雁久良に背中を押されながら急かされた常春も着替えることに。常春は青いトランクス型の水着姿になった。
 それからも学友達は順に天幕の中で水着姿へ変身する。
 七塚は『水着「モノトーン・プリンセス」』。ジルベリア風に仕立てられたもので、黒のレースで彩られていた。
 ルンルンは『ミズチの水着』。全身を覆う露出の少ない水着だが、その分身体にぴたりと張り付いて身体のラインがすらりと出ている。
 パラーリアは可愛らしい黄色いワンピース水着である。
 伊崎紫音と玲璃も濡れてもよい格好に着替えた。
 全員で波打ち際を走り、常春が波の向こうへと飛び込んだ。それを合図にして全員が海に入る。
 うまいわけではないが常春はそれなりに泳げた。山頂秘密基地の地底湖で練習をしたときに比べれば海水は身体が浮きやすかった。
 遠浅の砂浜なので余程沖に向かわない限り足はつく。
「いくわよ!」
 雁久良が持ってきた鞠を放り投げる。
「ド・マリニーで確認したところ、アヤカシはこの辺にいないでしょう」
 迫ってきた鞠を玲璃が右腕で跳ね返した。
「それはよかったです。存分に遊べますね」
 伊崎紫音は鞠を両手で持ち上げるように高く飛ばす。宙に浮いた鞠がノエミへと近づいた。
(「身体を動かすことなら私でも‥‥」)
 それまで恥ずかしがっていたノエミも元気に鞠を弾く。
「常春さん、はい!」
 パラーリアはまるでイルカのように海中から飛びだして鞠に触れる。ふわふわとした鞠が常春の方へ飛んでいった。
「おっと!」
 姿勢を崩しながらも常春は鞠をちゃんと返す。
「ぬこにゃんならできるのにゃ♪」
 パラーリアは神仙猫・ぬこにゃんを肩車していた。まるで猫招きのような仕草でぬこにゃんが鞠を弾いた。
「これで一巡なのであります。勝負、よろしいですか? 雁久良殿」
「そういうのも大好きだわ」
 七塚は全身のバネを使って思いっきり鞠を叩いた。海面の上を滑るように鞠が跳ねていく。
 雁久良は見事受けきって鞠はこれまでにないほどの高さまで上がる。
「あれ?」
 鞠が太陽と一瞬重なって常春は見事に失敗。受け損なって海中へと転んだ。海面から頭を覗かせた常春がはにかむ。
「あ、あの‥‥」
 海からでた直後、ノエミは勇気を振り絞って常春にお願いする。是非に海を背景にした常春を絵に描かせて欲しいと。
「こんな感じでいいかな」
 快諾してた常春はしばらくモデルをやってくれた。岩場に座って海を眺める水着姿の常春をノエミは一枚の紙に写し取るのであった。

●海の幸
 遅い昼食はこれまでに用意した保存食で済ませる。夕食はせっかく目前に海があるのだからと張り切って手に入れることにした。
 海産物を得ようと各自行動を開始する。
 砂浜では潮干狩り。磯では岩の間に取り残された魚介類を狙う。もっと大物を狙うべく、素潜りに挑戦する者もいた。
 幸運なことにちょうど引き潮の時間帯である。
「このハマグリは汁物にしましょう。睦も探してくださいね」
「早めに掘りだしたハマグリは砂出しをすませておきたいですね」
 玲璃と伊崎紫音は砂浜を掘り返し、ハマグリを次々と発見した。
「サザエがあったわ。ウニの棘には気をつけたほうがいいわね」
「これはなんて貝ですか? ひゃっ?! 冷たいのです」
 雁久良とノエミは磯でサザエ、アワビ、ウニを獲る。
 常春、パラーリア、ルンルン、七塚の四名は岩場へ移動して海に入ろうとしていた。
「それでは行って参ります」
 七塚は銛を片手に沖へと泳いでいく。
「それでは私も大物を探してきますね、常春さん、また後で♪」
 ルンルンも颯爽と沖へと姿を消した。
「それではいこうか」
「春くん、無理せずいこう〜♪」
 常春とパラーリアは岩場から少し離れた辺りで素潜りをする。海底までの深さは四メートルから五メートルといったところだ。
(「あれはなんて貝だろう? 美味しいのかな?」)
(「牡蛎だからおいしいのにゃ♪」)
 手振り身振りで決めた合図を出し合いながら二人は海底の貝を確保していく。墨の攻撃を受けながら蛸も手に入れた。
 岩場へあがる度に獲物を桶の中へ。野生動物に盗られないように仙猫・ぬこにゃんが見張ってくれた。
「何尾が獲れたのであります、常春殿」
「天儀だとよく刺身にする魚だよね」
 七塚が銛突きで獲ってきたのはヒラメ三尾と黒鯛一尾である。
「大物が獲れましたよ、常春さん♪ ほら」
「これは‥‥なんて魚だろう?」
 ルンルンが掴まえてきたのはクエだ。
 日が暮れる前に集合して夕食を支度する。
 クエは味噌で味付けされた鍋となった。アラでとった出汁の中で大量の身がぐつぐつと煮られている。
 ヒラメと黒鯛は常春の希望通り刺身に仕上げられた。
 貝類の一部は吸い物になったが、殆どは網の上で焼かれた。砂出しが間に合わなかった貝は朝食用にとっておかれる。
 美味しい海の幸に誰もが舌鼓を打つ。
「あっ、あの、常春さんはどんな女の子に、側にいて欲しいって思いますか?」
 真っ赤な顔をしたルンルンが勇気を振り絞る。真っ直ぐな質問を常春に投げかけた。
 彼女の真剣な眼差しに適当な返答はできないと常春はしばらく箸を置いて考える。
 市井の常春として焦がれるであろう相手と、春華王として側にいて欲しい伴侶はまったく違うからだ。
 両方を兼ね備えた女性は難しい。正反対の要素が混じるのでこの世にいるはずがなかった。
 それに常春の正体が春華王だとを知らないノエミがこの場にいる。春華王だと打ち明けていても、雁久良には証拠といえるものをまったく提示していなかった。よくて半信半疑だと思われる。
「‥‥何もいわずに膝枕してくれる人がいいかな。出身の国はどこでも構わない。それと話していて楽しいひとがいいな。私の趣味は絵だから、それを否定する人はその他がどんなに優れていてもつきあうのは難しいと思う」
 常春は常春として求める女性像を話す。
 食事の締めとしてスイカを食べることになった。
 あみだくじで常春が一番にスイカ割りをすることに。手ぬぐいで目隠しされてぐるぐると回される。
「右です」
「いや、左に一歩!」
 誰もが迷うと思われたが、常春はまるで見えているかのように歩んで木の棒を振り下ろした。予め切れ目が入っていたスイカが衝撃で真っ二つに割れる。
「こういうの、何故か昔から得意なんだ♪」
 常春の勘の良さに一同が目を見張った。
 砂浜は満潮時に危険なので土がある場所まで移動して一夜を過ごす。
 なかなか寝付かれなかった常春は天幕の外に出て夜空を見上げた。
「常春殿、眠れないのでありますか?」
「なんとなくね」
 その晩の見張りは七塚だった。声をかけられた常春は七塚の横に座って一緒に星空を眺める。
「ちょうどよかったのであります。聞いてもらえますか?」
 星を見上げながらため息をついた七塚が悩みを打ち明けた。
「絵の方向性が決まらないであります。山も川も海も遊んでいると楽しいですが、描きたいかと問われると‥‥。でも絵を完成させる技量がなくては修復士にもなれないであります」
「そうなんだ。絵といってもいろいろあるからね。人物画のみの人もいるし、景色専門。一つの画題を死ぬまで追いかける絵師もいるし」
「そういえば先日のタイル画は楽しかったのであります。大きな物を切り取るより、小さな作業を積み重ねる方が自分には似合いのようです。‥‥図鑑のような植物の精密画なら性に合っているかもしれません」
「広く浅くより狭く深い人の方が、最後にはすべてに通じる人になると私は思っているんだ。植物の精密画、とてもいいな。専門にやっている人は少ないけどいるよ」
 常春は七塚の植物精密画の選択を応援する。芸術寮に戻り、一緒に植えた朝顔が咲いていたら描こうと二人は約束を交わした。

●南部の町
 六日目は海岸線に沿って移動する。雁久良たっての希望で港町へと立ち寄った。
「猫族が多いです。あちちもこちらも」
 ノエミの呟き通り、この町の九割が猫族である。
 右を向いても左を向いても頭の上の耳がぴょこぴょこ。ちなみに泰国において猫族は獣人の総称なので猫に似た人達だけを指すわけではない。
「ぬこにゃん、大人気なのにゃ♪」
 パラーリアが微笑む。ことあるごとに神仙猫・ぬこにゃんは猫族の人達から可愛がられた。
「面白いものを見つけたって睦がいっています」
 空中散歩から戻ってきた羽妖精・睦から聞いた話を玲璃が学友達に伝えた。変わった石像がこの町の中心にあるらしい。
 それこそが雁久良が望んだ古代遺跡の一つだった。
「これが文献に載っていた石像‥‥。五百年以上前に、いえ真贋怪しい書物なら千年前と書かれていたわ」
 全長三メートルの猫石像はたくさんの花で飾られていた。
 猫族には夏のある時期に月へ秋刀魚を捧げる風習がある。朱春でも行われるのだが土地によっては全然違う様式となっていた。
 特にこの港町では水揚げされた秋刀魚が飛空船によって各地に運ばれる。祭りの前の祭りとして秋刀魚の豊漁が願われるのが丁度今の時期だった。
「霧依さんがこの町に来たいって聞いて少し意外だったよ」
「興味があったのよ。私達って突然一人で発生したわけじゃないわ。先祖から連綿と続く、文化や伝統、その他諸々を命と共に受け継いで、私達はここにいるの。何を受け継いできたのか知りたいし、子孫に遺していきたいじゃない? だからよ♪」
 雁久良はさっそく猫石像を描き始めた。学友達も様々な角度から描いて手伝ってくれる。
 日が沈んでからはしめやかな祝いが行われた。秋刀魚の姿を模した猫族の者達が猫石像の周辺を踊りながら回った。
 町中なので野宿はせず一行は宿へと泊まった。
 大きめの二部屋を借りて男女で分かれる。
 男子部屋は早々に眠りに就く。しかし女子部屋では恋バナの花が咲いた。
「あ、あのですね――」
 ルンルンは野宿の際に訊ねるつもりだったが、一つの部屋に女子が集まった今こそが好機だと判断して訊ねた。常春のことを男性としてどう見ているのかと。
「春くんとはずっといられたらいいなと思っているのにゃ♪」
 パラーリアは無邪気に笑う。
「あ、あの‥‥お慕いしています」
 恥ずかしそうにしながらもノエミははっきりと好きだと口にする。
「好みよ、もちろん。でなければこの旅に参加しなかったと思うし」
 雁久良も真っ直ぐに答える。
 七塚はいつの間にか寝ていた。狸寝入りであったかどうかは定かではない。これまで見張り番が続いていたので睡魔に誘われたのが真実であろう。
 ルンルンも女子の学友達に自分の気持ちをはっきりと伝えた。常春が大好きだと。

●旅の終わり
(「何か進展があったような、なかったような‥‥」)
 伊崎紫音は女性陣の様子を眺めながら心の中で呟く。どう思うと玲璃に訊ねてみれば、なるようになるだろうとのことである。
 港町で困っていた船主の荷物運びを手伝った後に一行は帰路の旅に就いた。
 往路とは違う空を飛びながら景色を探す。そして気に入った場所に下りて絵を描く。
「やっぱり人が住まなくなると、様子が変わりますね」
「こればかりは仕方がないね」
 朱春を目前にして山頂内部の秘密基地へと立ち寄った。ルンルンと常春は準備してきた肉塊を地底湖へと投げ込んだ。
 しばらくして湖面に泡が立つ。やがてナマズのヌシが姿を現した。口をもぐもぐしているところからして肉塊をちゃんと食べたようだ。
「また来ますから」
 ルンルンと常春はヌシに大きく手を振って地底湖を後にする。
 泰大学に到着してから誰も旅の疲れがどっと吹きだす。すぐに眠った者、大浴場で身体を癒やした者など様々である。
「ん‥‥。まだ暗いな」
 早めに寝た常春は翌日の夜明け前に目を覚ます。七塚と約束していたのをすぐに思いだし、さっと着替えて芸術寮の庭へでる。
 七塚は朝顔の前ですでに待っていた。
 太陽が昇る頃、二輪の朝顔が花を咲かせる。常春と七塚は瞳の奥に焼き付けながら絵に描き写す。
「朝顔、綺麗ですね♪」
 背後から声が聞こえて常春が振り向く。芸術寮の窓からルンルンが手を振っていた。別窓にはノエミ、雁久良、パラーリア、玲璃、伊崎紫音の姿もある。

 常春と学友達との距離は旅での楽しい思い出のおかげでかなり縮まる。ただ誰と一番一緒にいたいのかまでは常春自身もまだ気づいていなかった。