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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 市井の常春として大学生となった春華王も寮住まいにも大分慣れてきた。芸術学科の講義を受けて日常の雑多も自分でこなす。 「課題はおわった‥‥今日はもう寝るだけだ」 湯船に浸かる常春が瞼を半分落とした。一日の疲れを洗い流すにはお風呂が一番である。 大学敷地内の大浴場も素晴らしいが、たまに学友を誘って朱春の銭湯へ出かけた。泰大学から朱春までは目と鼻の先。門限さえ守れば何の問題もなかった。 「新しい銭湯?」 朱春で画材を買い求めた帰り際、常春は建築中の敷地前で立ち止まる。無造作に立てられた看板には天儀風の銭湯ができると書かれてあった。 「どうしたもんかねぇ」 常春の耳に敷地の方からの会話が届く。振り向くと天儀の着物姿をした男が大工の前で困った表情を浮かべていた。 浴場内の壁をタイル絵にする予定なのだが、今になって引き受けた職人が泰国来訪を嫌がっているらしい。 「色とりどりのタイルは充分に用意したし、依頼金もかなり弾んだ‥‥。あれで駄々をこねられてはこちらも立つ瀬がない」 「建物の完成はそんなにかかりはしねえですよ」 タイル絵が間に合わないであれば六月下旬の店開きは難しいと天儀の男がため息をつく。 常春は意を決して天儀の男に話しかける。 「あの‥‥差し出がましいようですが、少しお話をさせて頂けませんか?」 「お若いようですが、あなたはどこのどなたで?」 「泰大学の学生で常春と申します。芸術学科を専修しているものですがタイル絵に興味がありまして。困っていらっしゃるのでは?」 「芸術学科の方でしたか」 天儀の男は銭湯の主人だった。 タイル絵といってもいろいろとある。 大きな絵が分割されていてはめ込むだけのものもあれば、様々な色のタイルを組み合わせるモザイク画の手法も。こちらの銭湯で作ろうとしていたのは後者であった。 「天儀風の景色を切り取ったものならば何でも構いません。引き受けて頂けたのなら依頼料を弾みますのでどうか、どうか‥‥」 「わかりました。一人では難しいので学友に相談して明日来ます」 常春は芸術寮に戻ると学友達にタイル画製作の協力を頼んだ。多くの者が快く引き受けてくれる。 「後はどのような景色にするかだよね」 男湯と女湯があるのでタイル画は二枚分製作しなければならない。寮食堂の片隅でどのような図案にしようか相談が始まるのであった。 |
■参加者一覧
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
玲璃(ia1114)
17歳・男・吟
伊崎 紫音(ia1138)
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712)
18歳・女・弓
ルンルン・パムポップン(ib0234)
17歳・女・シ
雁久良 霧依(ib9706)
23歳・女・魔
七塚 はふり(ic0500)
12歳・女・泰
ノエミ・フィオレラ(ic1463)
14歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ●何を描くか 相談を持ち帰った翌日。常春と学友達は朱春内の天儀風銭湯を訪れた。建物の外観は職人達の手によって数日で完成しそうな勢いである。 銭湯の主人は建物を見上げながら困った表情を浮かべていた。 「そうですか。みなさんで引き受けてもらえるのならば――」 常春が学友達を紹介すると、それまで強ばっていた主人の表情が心なしか和らいだ。主人の名は釜吉という。 先に女湯を案内してもらってから男湯へ移動する。左右対称だがどちらの風呂場も基本的に同じ造りになっていた。 「結構深いですね。常春様もこちらにいらっゃいませんか?」 ノエミ・フィオレラ(ic1463)が広い風呂に入って腰を屈める。当然のことながら湯は張られていなかった。 「えっ? ‥‥あ、そうか。そうだよね」 常春は一瞬戸惑ったもののすぐにノエミの考えを理解した。同じように跨いで風呂に浸かる姿勢をとった。 洗い場にいるときは身体を洗うので忙しい。 一息つけるのは大抵湯船の中だ。つまり湯に浸かる姿勢でタイル画予定の壁を眺めながら図案を練るのは自然なやり方といえる。 「どうしたの、ノエミさん?」 突然、頭をぽかぽかと叩きだしたノエミを常春が止める。 「こ、これは我が家に伝わる精神集中法でして!」 ノエミは完成前とはいえ男性の浴場に初めて入ったことに今更ながら気づいたのだ。しかも真横には慕う常春が座っていた。 つい常春を含めた大勢の男性の裸姿を想像してしまい、頭を叩いて雑念を払ったのである。 他の学友も風呂底に座って予定の壁を眺めようとした。 「こんなに広い‥‥。お世話になっていた呉服屋さんには大きなお風呂があったから、銭湯ってあまり利用したことがないんです」 「壁絵を作り終えたら一緒に‥‥あ、男湯と女湯で駄目か」 柚乃(ia0638)と常春が一緒に笑う。風呂場独特の反響で声が広がった。 上級からくり・天澪も風呂に入る真似事をする。 「銭湯の壁画なのだから落ち着いた情緒ある絵が似合うであります。構図を同じにすると仕上げの確認も楽でありますね」 「それはいいね」 七塚 はふり(ic0500)は常春と話しながら歩数で壁絵の横幅を確認する。聞いていた通りに六畳の長い一辺程度。からくり・マルフタは跳んで縦幅を測った。こちらも事前の情報通りである。 「さらに間違い探しはいかがでしょうか。二枚の絵をほぼ同じ構図にし、若干違うところを仕込んでおくと」 「風呂から上がった男女の会話のきっかけになりそうだね」 具体的な図案はまだだが必要な条件が徐々に揃ってきた。 「タイル画のモチーフは‥‥葱‥‥いえ何でもないわ」 雁久良 霧依(ib9706)が舌をぺろりとだして意見を引っ込める。二つ目の提案は絵のどこかに『もふらさま』を描くことだ。 「それはいいね。かわいいし」 「ただ絵の中に『目』が入ってると視線が気になってゆったりくつろげないって人もいるかもしれないし。にっこり笑って瞑っているのがいいのかも♪」 もふらさまは天儀の精霊。その意味でも天儀風銭湯の画題としてぴったりである。 「もふらさま、描くべきです。神宮の近くには、もふら牧場もありますし。天儀といえば、もふらさまなのです」 柚乃ももふらさまを描くのに大賛成だ。誰もいいださなかったのなら彼女が提案したことだろう。 「この正方形をたくさん並べると絵になるなんて。実際に作ったことはありませんし、早々機会はありませんですし。楽しそうですよね」 伊崎 紫音(ia1138)は釜吉から預かったタイルを照明に掲げてみた。真っ青に色づけして焼かれたタイル一枚は親指先ぐらいの大きさに過ぎなかった。 「春くん、三位湖と安須神宮はどうかにゃ? 天儀でも最大の観光地だし、天儀の安須神宮にいかなくてもお参りした気分になれる銭湯ならいいとおもうのにゃ」 神仙猫・ぬこにゃんを頭上に乗せながらパラーリア・ゲラー(ia9712)は常春に提案する。 「三位湖と安須神宮‥‥うん。それいいね」 常春はパラーリアが出した案をとても気に入ってくれた。 「湖ならば宝船はどうでしょうか。もふらさまもそちらに乗って頂ければ。それに鯉の滝登りもめでたいかと」 玲璃(ia1114)は湖の表現に案を加える。 「確か玲璃さんが前にいってたよね。出世を表すめでたい図案だって」 鯉の滝登りには洒落として『客よ来い(鯉)』の意味もあるようだ。 「坊ちゃ、いえ、常春さん」 ルンルン・パムポップン(ib0234)は常春の右手を持ち上げるように両手で強く握る。 「予定通りに銭湯が店開きするよう頑張りましょう。そういった常春さんの気持ち、私もよくわかります」 「ありがとう。ニンジャのルンルンさんがいたら、百人力だね」 ルンルンは常春に大きく頷く。そしてどんな時も側に居たいからと呟くのであった。 ●下絵 どのような図案を描くかが決まったところで学友一同は三位湖と安須神宮の資料集めに奔走した。 泰大学の図書館に貸本屋、また天儀本島から輸入された浮世絵を扱う店などから手分けして探す。現地を訪ねたことがある者の記憶はとても貴重だ。 七塚によって厳密な壁の寸法も測られる。 門限までに芸術寮に戻り、それぞれ描いた絵を集めて検討する。大雑把になってしまうタイル画であっても安須神宮だとわかる像の輪郭が求められた。 「もう少し神宮が大きい方がいいかな」 芸術寮で唯一男女が一緒にいられる食堂で深夜まで検討が行われる。 「よし、任せて」 彩色は常春が担当することとなった。 「常春くん?!」 「あ、柚乃さん、おはよう‥‥」 そして翌日の朝食時、柚乃は常春の姿を見て驚きの声をあげる。目の下にくっきりと隈が浮かんでいたからだ。 六畳と同じ縦横比率で描かれた大きさな二つの大きな絵は見事に仕上がっていた。 しばらくして学友一同は朱春の天儀風銭湯へ。 「お昼寝していてくださいね。あとは任せてくださいっ!」 「こちらはボクが分割しますね」 常春が休んでいる間に元絵へ升目が足される。 ルンルンが女湯用の絵、伊崎紫音が男湯用の絵に精確な線を引いていく。 升目ごとにあらためて色が指定される形で常春が描いた元絵が単純化されていった。これでも少し離れて眺めればちゃんとした景色となる。 ここから先は更に根気のいる作業が続いた。 「えっと、縦が漢数字で横は英数字。間は『・』でいいのよね?」 「間違いありません。絵の縦横には数字を書くだけですみますが、大変なのはタイルに実際書き込む段階ですね」 雁久良と玲璃が男女の絵の升用に数字を割り当てていった。 升目の色に合わせて実際のタイルを選ぶ作業は七塚とパラーリアが担当する。 「青はたくさんつかうけど、単調にならないように気をつけるのにゃ」 「自分は安須神宮の部分を担当するのであります」 パラーリアと七塚が元絵の升目に一番近い色のタイルを探しだす。 順次壁に貼っていければ早いのだが、並べ終わった後に全体を眺めて修正するはずなのでひとまず保留にされる。急がば回れといったところだ。 洗い場の床には升目入りの巨大な継ぎ接ぎの紙が敷かれている。その上に選ばれた色つきタイルが置かれていく。 ノエミは男湯の片隅で寝ている常春に扇子で風を送っていた。 (「常春様ったらかわいい寝顔‥‥」) ノエミはどきどきしながら思わず常春に自分の顔を近づけてしまう。 「一人では大変ですから手伝いましょう」 いつの間にかルンルンが隣に。驚いたノエミは座ったままぴょんと飛び跳ねて退くのであった。 「あっ‥‥ごめん。一人で寝ちゃっていて」 午後の一時頃になって常春が目を覚ます。 色つきタイルの選びと並びが終わるのはまだまだ先である。 常春、ルンルン、ノエミ、柚乃の四人はタイルが填められる予定の壁に手をつけた。 先に漆喰でならしてわずかな凸凹をなくしておかなければならなかった。梯子を使っての作業はとても大変である。 ノエミは常春が登った梯子をしっかりと支えた。 ルンルンはニンジャの身のこなしで高いところを担当する。 ちなみに図案として大凧に乗ったニンジャを提案しようとした彼女なのだが、つい言いそびれてしまった。常春が察してくれたのか元絵には小さいながらそれらしき凧が描かれていた。 「と、常春クンも気をつけてね」 「だ、大丈夫だ、よ。柚乃さん」 漆喰の乾燥を待つ間、柚乃と常春は長めの定規を使って壁外枠部分に等間隔のあたりをつけていった。 六畳の壁に升目を書くのは机上と全然違う。非常に神経がすり減らされる作業だった。 休憩後、常春が梯子を再び登るときに事故は起こる。かけた足を滑らせたのだ。それでも下からノエミが支えてくれたおかげで事なきを得た。 「はぁ‥‥助かった。ありがとう」 「騎士の務めですので」 常春はノエミにお礼をいってから壁の升目書きを再開するのであった。 ●一段落ついて 「ここを変えれば‥‥」 「修正完了なのであります」 四日目の午前十一時頃、男湯用のタイル並べがようやく終わった。 タイル選びが一段落ついたパラーリアと七塚は早めの昼休み休憩に入る。他の者達もしばらくして昼休みをとった。 「はふりさん、お疲れ様」 常春が持ってきてくれた冷たい紅茶を七塚は受け取る。この間の山中から持ち帰ったアヤメの鉢が話題にのぼった。 「寮母さんへお願いして庭へ埋めかえたのであります」 「もう咲いている?」 「紫色で鮮やかに咲いているであります」 「そうなんだ。今日の帰りにでも観ていこうかな」 「他の花の種も蒔きたいのであります。今からすぐ花が咲く品種だと‥‥朝顔か秋桜?」 「朝顔がいいな。なんとなくだけど」 常春の意見を採り入れて七塚は朝顔の種を蒔くことにする。 ノエミがちょっとした買い物に出かけていた最中、常春は雁久良に一つの秘密を打ち明けた。 「常春くんが春華王?」 「えっ、あっと‥‥。そういうことになるかな」 より正確には口を滑らせたのだが、いつまでも黙っておくつもりはなかった。つまりちょうど良い機会であったともいえる。 「あらそうだったの♪ じゃあお姉さん、玉の輿狙っちゃおうかしら♪」 雁久良が冗談めかす。どこまで本気にしているのか、常春には今のところ判断がつかなかった。 「神楽で良い画材屋さんを見つけて、道具をげっとしたの」 「神楽の都にしかない画材ってあるのかな? ジルベリアから輸入された珍しい絵の具とか?」 柚乃と常春は画材の話しで盛り上がる。 「泰国の名所?」 「うん。春くんならどんなトコがあるのか知っているとおもったのゃ」 パラーリアが質問に常春はいくつかの有名どころをあげた。 「劉の桃園は見所がたくさんあるよ。ジグザグ長廊の臥竜橋や、蓮の池を望む庵の眺蓮亭。桃花の宴が行われた大殿の望桃堂とかね。他だと‥‥天帝宮は外から眺めるのがやっとだし‥‥。幻の天山も面白そうだけど、どこにあるのかわからないんだ。だから名所としては失格だね」 「天山って?」 「天山には泰拳士総本山の崇山丹があるらしいんだ。けれどはっきりしたことが一般には伝わってこないんだ。秘密なんだろうね」 「泰国には謎がいっぱい満ちているのにゃ♪」 昼食を頂いて休憩をとった学友一同は再び根気のいる作業に戻った。 タイル絵は一枚ずつ壁に貼っていくのではなく、画板の上で膠で固めてある程度の大きさにまとめてから壁へと運ばれる。男湯用のタイル並べは終わったが、女の湯用は取りかかったばかりだ。 パラーリアと七塚が行うタイル並べの作業と平行して行われていたのがタイルの選別である。 一枚のタイルはとても軽いが木箱にまとまればとても重い。そして十分な予備は用意されていたものの、欠けやすいので丁寧に扱わなければならなかった。 全部で八十色のタイルがある。さらに焼き上がりの微妙な色加減で一色につき四から八に分類できた。 選り分ける作業はからくりの天澪やマルフタが担当した。この作業は女風呂の分まで終わっておらず、もう一日ぐらいはかかりそうである。 七塚の計算によれば隙間なく並べると、壁絵一枚あたり四万八千六百枚が必要だという。 実際にタイルを貼るようになってからは上級羽妖精・睦が大活躍していた。気軽に飛べるので足りなくなった道具や取れてしまったタイルを取ってくれたのである。 身軽な神仙猫・ぬこにゃんも梯子をすすっと上り下りして足りない道具やタイルを常春に渡してくれる。 泰大学と朱春の往復の際には雁久良の滑空艇・カリグラマシーン、伊崎紫音の轟龍・紫、ノエミの駿龍・BLがとても役立つ。 二人乗りをして空を飛べばあっという間だからである。そのおかげで講義がある日も効率よい時間を過ごせた。 壁へタイルを貼る際に微妙な加減が必要なときにはルンルンの出番である。上級迅鷹・忍鳥『蓬莱鷹』と友なる翼で同化し、宙を飛んで作業をこなした。 七日目の夕方。男湯の壁絵が貼り終わった頃に女湯用のタイル並べが終わる。 我慢強いはずの七塚とパラーリアがへたり込み、その場で横になった。そしていつの間にか寝てしまう。それぐらい大変な作業を二人はこなしてくれたのである。 「残り三日か‥‥」 できることならば徹夜をしたいところなのだが、それをして寮長に目をつけられるのは避けたかった。最後の手段としてとっておき、学友一同はおとなしく芸術寮へと帰るのであった。 ●追い込み 八日目、九日目、十日目の作業はとても厳しいものになる。 請け負った期日から店開きまで数日の余裕があるので、漆喰が完全に乾く日数は考慮にいれなくてもよかった。 最終日に徹夜すれば実質的に十一日目の朝までの作業が可能である。 常春は学友達に相談して最終日に徹夜を決行した。誰一人として反対する者はおらず、即答で賛成してくれる。 「あ、ごめん」 「い、いえ‥‥」 常春がタイルをとろうとしてルンルンの手に触れた。 「私も大分疲れてきたかな。でもここが踏ん張りどころだね」 「はい、常春さん。それにしてもタイル画って凄いですよね、一つ一つは小さなタイルなのに、集まったら素晴らしい絵になる。私達とも、似てますよね」 ルンルンの笑顔に常春は励まされる。 (「でも、坊っちゃんの事は、私一人で支えられる様に、2人で支え合って行ける様な関係、そうなりたいな‥‥」) ルンルンは想いを心の内に秘めていた。 数日前の常春のように学友達も梯子から落ちそうになることが頻発しだした。日が暮れてからはより顕著になってくる。 「危ない!」 雁久良の落下を常春がすんでのところで食い止める。 「ありがとう、常春くん。助かったわ」 「い、いえ‥‥」 何故か常春の顔は赤い。それもそのはず。抱きかかえるとき、雁久良の胸に顔が埋まったからである。 「ちょっとのずれでも、積み重なると端のタイルが入らなくなったりしますし‥‥」 伊崎紫音は慎重にタイルを貼っていった。 ここでやり直しをしなければならないとしたら間に合わなくなる。せっかくの徹夜が意味のないものになってしまうのは避けたかった。 「根を詰めすぎるのはよくありません。このへんで夜食に致しましょう」 玲璃が用意してくれたお弁当で学友一同は空いた腹を満たした。氷霊結によって水を凍らせて、冷たい飲み物まで用意してくれる。 「ご褒美ですよ♪」 ルンルンが一仕事終わった忍鳥『蓬莱鷹』に冷珈琲をあげるととても喜んでいた。 「もふらさま部分の膠固めが終わったら、壁への貼りを手伝うね」 「これで間に合いそうだね」 柚乃が行っていた画板の上でタイルをひとまとめにする作業は佳境に入る。終わってから彼女は常春を手伝った。 深夜零時を過ぎた頃、学友一同はお茶類を飲んで眠気を吹き飛ばす。さらに時間は刻々と過ぎていく。 「お、終わった‥‥」 尻餅をつくようにして常春が座り込んだ。 ルンルンは最後の一枚を常春と一緒に張り込みたいと願っていたがそれは叶わない。そのような思考よりも睡魔の誘いの方がとても強烈だったからだ。 夜空が白む頃に女性用のタイル絵が完成。すべての作業は終わった。 ●ゆっくりと 銭湯開きが行われる前日。 素敵なタイル絵を完成させてくれたお礼ということで、学友一同は釜吉に招かれて無料の風呂を頂くことになる。 出入り口の上に掲げられた看板には『天儀湯・釜屋』の屋号が並ぶ。 「それではごゆっくり」 予行練習のようで番台には釜吉が座っていた。 「こうやって入ると作業していたときと違う印象になるね」 常春は玲璃、伊崎紫音と一緒に男風呂へ入る。 湯煙の向こうには手がけたタイル絵が浮かんでいた。 三位湖と安須神宮。湖に浮かぶ宝船にはもふらさまが乗る。さらに空には凧も。遠くの滝には鯉らしき影が登ろうとしていた。 身体を洗って湯船に浸かり、三人はしばらく眺め続ける。 「完成してよかったですね」 「徹夜を覚悟したときは無理じゃないかって冷や冷やだったよ」 伊崎紫音は絞った手ぬぐいを頭の上にのせる。開店日にも入浴するつもりでいた。 「珈琲牛乳なるものを冷たくして用意してあります。風呂上がりに頂きましょう。女性の方々にも渡してあります」 「それは楽しみだね」 玲璃に常春が答えた瞬間、引き戸が開かれる音がした。軽装ながら服を着たままのパラーリアだ。 「あれ? パラーリアさん。こっちは男湯だよ」 「先に春くんのお背中をながしにきたのにゃ♪」 一瞬悩んだものの、常春はパラーリアに背中を流してもらうことにする。 その後、パラーリアは女湯に戻った。 「春くんの背中、すべすべだったのにゃ」 「そうですか‥‥」 ノエミはパラーリアから常春の背中を流した話を聞く。そして焦りつつ湯船から出ようとした。 「何をするつもりか、まるっとお見通しよ」 雁久良に腕を掴まれてノエミがドブンと湯に落とされる。 七塚は学友達が騒がしい横でタイル絵を見上げていた。 (「昨日は常春殿とアヤメを一緒に眺めたのであります」) 七塚が無表情の中に一瞬笑みを浮かべる。朝顔の種を一緒に買い求める機会もあった。 天儀湯・釜屋のタイル絵張り替えは一年に一度、行われることとなる。これは芸術寮の伝統になるのだが、学友一同はこの時点で知る由もなかった。 (「あのもふらさま、いいな‥‥」) 柚乃は女湯のタイル絵の中で気に入った部分に魅入る。宝船の上で踊っているもふらさまがなんともいえず可愛らしかった。 「それでは私はこの辺で‥‥」 パラーリアは他の女性学友よりも早めに湯からあがった。暖簾がかかる外の出入り口付近で常春が現れるのを待ちわびる。 「あ、パラーリアさん」 そのような歌の内容に彼女は憧れていたようだ。その願いは叶えられた。 翌日から天儀湯・釜屋は開店。大層繁盛したのは飾られているタイル絵のおかげだともっぱらの評判になるのであった。 |