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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 泰国の転覆を謀ろうとしている反乱組織『曾頭全』を語るには泰国の歴史を紐解かなければならない。 春王朝歴九百二十年前後、天儀歴で数えるところの四百年頃の混乱の時代は『春王朝・梁山時代』と呼ばれている。 二人の兄弟天帝の仲違いによって王朝が分裂。東春王朝と旧春王朝に分かれてしまった。 東春王朝の天子は弟の春華王。旧春王朝の天子は兄の春華王が玉座について二つの威光が天下を照らした。 やがて双方の生き残りをかけた戦いへと突き進む。東春王朝は劣勢に陥って敗走の末に梁山湖付近へと逃げ込む羽目となった。 梁山湖周辺は山に囲まれており、元々内部に地下道が張り巡らされていたのである。 徹底抗戦の構えを見せる東春王朝。しかし旧春王朝の勢いは止まるところを知らなかった。 猛烈な勢いで攻め込む旧春王朝軍。旧春王朝側の勝利が目前といったときに奇妙な状況を迎える。双方巻き込んでの岩盤崩落が起きたのである。後にわかるがこれは全国的な災いだった。 結果、兄の春華王が戦死して弟は生き残る。兄の春華王側近であった人物『曾頭全』は行方不明になったという。 これによって天下は東春王朝が統べることとなるが、時代を経るに従って春王朝と呼称されるようになる。やがて当の東春王朝も公式に春王朝と名乗るようになった。 諸説あるものの、これが顛末である。 現在の泰国において『曾頭全』を名乗る組織は施しによって民衆を誑かし、国転覆を謀ろうとしていた。 率いる人物は現春華王にそっくりな容姿だと噂されている。 泰国もその行動を黙っていたわけではないが、小単位の暴動と軽くみていた。各諸侯に統治を任せた弊害が表面化した格好である。 非常に少ない実権しか持たない春華王だが、市井の常春として集めた情報を元にして対処する。曾頭全の潜在的な危険性が明らかになり、ここにきてようやく官僚達も本気で動き始める。 だがすべては遅きに失した可能性もあった。 泰国の帝都、朱春。 「奇跡?」 市井の常春としてお忍びで街中にいた春華王は道角で足を止める。 壁の張り紙には朱春から東に二百キロメートル程離れた町『龍骸』で奇跡が起こるとあった。 「人騒がせな」 常春は再び歩き出したものの、何度も同じ張り紙を見かける。奇跡と大きく書かれた張り紙とは別に細かい内容が記されたものもある。 剥がれて落ちていた一枚を手にとった常春は道ばたの岩の上に座って目を通す。 『――龍骸の町人共、愚かなり。正しき世を思わず、悪しき世の連綿を願う不届き者達には罰が必要なり。ここに奇跡を持ってして天罰を下さん――』 物騒な言葉で埋め尽くされた内容の最後に奇妙な文字列が並んでいた。 (「なんだろう? どこかで見かけたような‥‥」) 最初はわからなかった常春だが何度も見返して気がついた。奇妙な文字は『曾頭全』の部位を分解して再構成されたものだと。 急いで天帝宮に戻った常春は春華王として手駒の隠密に龍骸の状況を調べさせる。 どうやら曾頭全は秘密裏に龍骸を拠点の一つにしようとしたが町の責任者達に拒否されたようだ。つまりは見せしめである。 (「こんなこと派手なことをしてどうするつもりだろうか‥‥」) その日、常春はずっと考え込んだ。 さすがにここまでの宣戦布告を公にすれば龍骸のみならず国も動く。当分の間は派兵された軍が守ることになるだろう。 曾頭全が嘘によって泰国軍を翻弄するのが目的ならばそれは成功といえる。またどこかの戦力を落とすための陽動もあり得るが、この程度で弱まるほど泰国軍は脆弱ではなかった。 (「割れた柿の基点場所と関連があるのだろうか‥‥」) 割れた柿の基点とは泰国の大地が分割されたときの中心点を指す。 春王朝・梁山時代・梁山湖での天帝同士の最後の戦いで、そのようなことが起こったとされている。割れた柿とはそのことを記したお伽噺の題名である。 この前得た情報によれば泰国朱春が基点になっていた。 発生の中心地である泰国朱春と、大地を動かす舞台装置があるとされている梁山湖とはかなりの距離がある。俄には信じがたいのだが、それが可能だとすれば『龍骸』に何かを起こすことなど簡単なことに違いなかった。 「嫌な予感がする‥‥。しかも絶対に当たりそうな‥‥」 意を決した常春は『龍骸』の全体避難を決定する。町民すべてを移動させるなど非常識にもほどがあるのだが、人命には変えられない。 春華王は事を押し進めるのであった。 |
■参加者一覧
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
ヘラルディア(ia0397)
18歳・女・巫
伊崎 紫音(ia1138)
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712)
18歳・女・弓
朱華(ib1944)
19歳・男・志
ライ・ネック(ib5781)
27歳・女・シ
七塚 はふり(ic0500)
12歳・女・泰
衛 杏琳(ic1174)
11歳・女・砂
浪 鶴杜(ic1184)
26歳・男・巫 |
■リプレイ本文 ●開始 常春一行が龍骸に到着したのは泰国兵による大規模な避難誘導の真っ最中である。退去そのものは三日前から始まっていた。 穏やかに従う者、悪態をつきながらも自ら退去する者、頑としてきかず、まるで罪人のように兵に引きずられる者。様々ではあったが龍骸内の人口は減っていった。 それなりの保証は特別に泰国によってされるのだが、だからといってすべてが元通りになるはずもない。 春華王は市井の常春の姿でその瞳へと焼き付ける。見かけた者によればとても真剣な眼差しであったという。 また常春は初めて共に行動する開拓者と時間をかけて話し合う。その上で自らの身の上を明かした。各々、内緒にしてくれると約束してくれる。 避難勧告の期限が過ぎ去ったところで常春一行の出番となった。 楽観的な判断で勧告を無視して町内に隠れている者はおそらくいるはずである。また逃げたくても何らかの理由で留まっている者もいることだろう。犯罪をおかそうとする者に対しても注意も必要だ。 龍持ちの開拓者は龍骸へと飛び立つ。 羅喉丸(ia0347)は鋼龍・頑鉄と共に。甲龍・爪飛には衛 杏琳(ic1174)。甲龍・嘉游には浪 鶴杜(ic1184)が騎乗していた。 龍騎の三名は龍骸の地図で大まかに探索地域の担当を決めてある。手を振って合図をしつつ龍骸上空で散開する。 地上から探す常春一行は北門から龍骸の内側へと足を踏み入れた。 朱華(ib1944)は護衛として常春と常に行動を共にする。当然、猫又・胡蘭も一緒である。 ヘラルディア(ia0397)は猫又・灰色猫「ポザネオ」を追いかけるように担当の区域へと向かう。 伊崎 紫音(ia1138)が連れてきた朋友は忍犬・浅黄だ。担当区域が遠くなので少しでも早く着くために大通りの中央を全力で駆け抜けた。 パラーリア・ゲラー(ia9712)と猫又・ぬこにゃんは屋根の上を伝って市場を目指す。 ライ・ネック(ib5781)は又鬼犬・隠と一緒に町を取り囲む塀の上を走った。町の様子を眺めつつ、担当区域を目指す。 七塚 はふり(ic0500)はからくり・マルフタを連れて龍骸中央付近の塔を目指す。数十メートルの高さがある塔は風信器の施設である。塔の上なら見晴らしがよいし、空を飛ぶ仲間とも連絡が取りやすい。 曾頭全が『奇跡』と呼ぶ脅しの期限は明日の今頃まで。それまでに一人残らず避難させるつもりの常春と開拓者達であった。 ●仕事とはいえ 「あの割れた柿の話が本当だとすれば‥‥この地を試しに使ったとしても不思議ではないな」 鋼龍・頑鉄に騎乗する羅喉丸は龍骸の町を見下ろしながら呟いた。常春の説明によれば奇跡は反乱組織『曾頭全』の虚言でなく、本当に大事がこの地で起こり得るという。 羅喉丸は常春を信じて住民の避難に取り組むことにしていた。とはいえ上空から眺める限り町は静かなものである。 仲間達以外に泰国の兵も巡回していたが、その他に人影は見あたらない。それはそうだと羅喉丸は心の中で呟いた。 避難勧告の時刻はとうに過ぎている。覚悟の上で留まりたいのであれば建物などに隠れているはずだからだ。そうでない者はとっくに兵によって郊外へと連れて行かれていることだろう。 だからといって上空からの監視が無意味だとは羅喉丸はつゆとも思わなかった。 いろいろと理由はあるのだが特に危惧しているのは曾頭全の潜伏である。自分達開拓者や常春を亡き者にしようと企んでいても不思議ではない。 「天罰があったとして、天に罰せられるべきは龍骸の民ではないだろうに‥‥ん?」 滑空しつつ二階建ての並びの側を通過した際、羅喉丸は建物の中に灯りを見つける。引き返して屋根へと飛び降り、鋼龍・頑鉄を上空待機させた。そして自らは建物の中へ。 「避難はどうした? すでに退去すべき時は過ぎているのだが」 「す、すみません!」 羅喉丸は建物内で一人の若者と遭遇する。話しを聞いてみれば彼は丁稚でこの建物は奉公先の呉服屋の倉庫であるという。呉服屋の旦那に居残りを命じられたらしい。 「一週間後まで反物すべてを守りきったら番頭にしてくれるというので‥‥」 彼の言葉に命がけにしては安い報酬だと羅喉丸は思うが口にはしなかった。 「呉服屋の旦那はそんなに信頼出来る人物なのか?」 羅喉丸の問いに丁稚は俯いて小声で語る。口ごもる様子からしてそうではないらしい。 羅喉丸は丁稚に春華王直筆の書状を提示しながらこう告げた。これがあれば次の奉公先を探すのも簡単。また身上を縛る約束が呉服屋と交わされていたとしても、今回の無体な扱いを理由にすれば反故できると。 筆を取りだした羅喉丸は書状裏に理由を書き記しておく。いざとなれば自分が証人になるからといって手渡した。 丁稚は感謝して自分の荷物をまとめると屋敷から飛び出す。鋼龍・頑鉄に飛び乗った羅喉丸は丁稚が兵に保護されるまで上空で見守った。 兵に連れられて門へと向かう丁稚が振り向いて手を振る。羅喉丸は頑鉄を旋回させて応えた後、捜索を再開するのであった。 ●盗人共 「曾頭全の動きは気になるが‥‥先うは人命だな」 甲龍・爪飛の背中で衛杏琳はバダドサイトを使う。井戸周辺などの生活に密接な施設を中心にして眼を凝らした。 人目を避けて隠れていても腹は減る。水も飲みたくなるだろう。すべてを周到に準備出来るものなど滅多にいるはずがない。 しばらくして衛杏琳は奇妙な集団を見かける。ある屋敷の庭で荷車を牽いていた。ゆっくりとした動きからしてなるべく音を立てないようにしているようだ。 降下して確かめたい気持ちにかられるものの、不審な行動故にしばらく見守る。 その集団は壊した垣根を通り抜けて隣りの敷地に移った。そして荷車ごと、藁束の山の中に姿を消す。 しばらくして再び姿を現した集団は荷車を牽きつつ隣の敷地の蔵まで戻る。そして蔵から品々を運び出して荷車へと載せていった。 (「藁束山の下には飛空船が隠れされているな。脱出で騒がしかった頃に隠したのだろうか」) 待避期限が過ぎているとはいえ、蔵の持ち主ならばもっと堂々とやればよい。その方が捗るからだ。泥棒集団だと判断した衛杏琳は仲間を呼び寄せる。 比較的近くを飛んでいた甲龍・嘉游を駆る浪鶴杜に声をかけ、そして風信器の塔で待機していた七塚にも協力してもらうことに。 「上様、兵を呼んだ方がよさそうな」 「すでにかなりを運び込んでいるので逃がしてしまうかも知れない。それに私には鶴杜がいるから大丈夫だ。だから‥‥早く奴らをどうにかしよう」 衛杏琳は思い切り手を伸ばして心配する浪鶴杜の頭を撫でる。地上では七塚がからくり・マルフタと共に合図を待っていた。 泥棒集団が蔵のある敷地に戻った瞬間、作戦が決行された。 「この蔵の、敷地の主だと証明してほしいのであります」 蔵の裏側から七塚とからくり・マルフタが姿を現す。泰拳士たる七塚が拳を構えながら泥棒集団に問う。 「ふざけんなよ、邪魔するんじゃねえ! もうすぐでおさらばできるっていうところでよお!!」 『そちら、だまりやがれくださいまし。どうぞ』 泥棒集団の恫喝に対して、からくり・マルフタはギロチンシザーズをかざして刃を輝かす。数歩後ずさりしつつも泥棒集団は殺気を纏っていた。 七塚がいる方向ばかりを気にしていた泥棒集団は後方からの激しい音にふり返る。 土煙の向こう側に巨大な影が浮かび上がった。 その正体は甲龍・爪飛。背中の上で衛杏琳が『宝珠銃「メレクタウス」』を構える。 「逃げられずに困っている人を探しに来てみれば、悪漢共と出くわすとはな」 衛杏琳は泥棒集団内にいた射撃手の銃砲を狙い射つ。それを合図として戦いが始まったが一分も経たずに終了した。 甲龍・爪飛の身体を利用した圧迫によって泥棒が大地に転がる。 七塚の拳によって飛空船を隠す藁束の上まで刀を手にした泥棒を弾きとばした。からくり・マルフタは槍使いの泥棒をひれ伏せさせる。どちらも命は無事である。 その頃、衛杏琳に頼まれた浪鶴杜は藁束山に隠された飛空船へと乗り込んでいた。甲龍・嘉游が降りた衝撃で藁束の山が崩れて飛空船が露わになる。 「な、なんだ?」 操船室の留守番が驚いているうちに浪鶴杜が船内へと突入。途中、機関手と思われる泥棒を気絶させつつ操船室へと辿り着いた。 「上様が心配なので早めに倒れてくださいね」 「誰だ、勝手に入ってきやがって!」 浪鶴杜は離れた位置から『力の歪み』を使う。死なない程度に目標をずらして泥棒操船を気絶に追い込んだ。 浪鶴杜は窓から顔を出して衛杏琳を探す。蔵の近くで元気な姿を見つけてほっと胸を撫で下ろした。 泥棒退治のみで終わるかと思われた出来事であったが、実は蔵奥に敷地の主を含めた一族十名が縛られて閉じこめられていた。 「あ、ありがとうございます! このまま死ぬのではと諦めて‥‥、孫までも一緒にと‥‥‥‥」 蔵所有の一族は衛杏琳、浪鶴杜、七塚にとても感謝する。泥棒集団は騒ぎを聞きつけてやってきた兵へと引き渡された。 泥棒の飛空船に関しては後で官憲に届ける約束で、蔵所有の一族にそのまま貸し出される。一時間後、龍骸の町を飛空船は飛び去っていった。 ●猫 ヘラルディアとパラーリアはそれぞれに猫又を連れていた。灰色猫の「ポザネオ」と、ぬこにゃんである。 最初、二人は別々に龍骸の町を探し回る。 「気をしっかりしてくださいね。これで少し楽になるはずです」 ヘラルディアは町外れのあばら屋において風邪で衰弱した孤独な老人を発見した。病気そのものは閃癒で治せないものの、体力なら回復させられる。 「な、何とか立てそうだ」 「無理はしないでくださいね。郊外の飛空船待機場所にお医者様がいるはずですから脱出の前に診てもらいましょう」 老人の代わりにヘラルディアは貴重品や最低限の服などを袋にまとめてあげる。その間に猫又・ポザネオは巡回中の兵を連れてきてくれた。 ヘラルディアが老人を背負い、兵には袋を運んでもらう。無事郊外に送り届けたヘラルディアは老人を医者に任せて町へと戻る。 少し遡ってパラーリア。彼女は猫又・ぬこにゃんと一緒に市場を探っていた。 「ど、どうしたのにゃ!」 パラーリアは倒れている姉弟を見かけて駆け寄った。病気や怪我かと心配したものの、聞いてみれば何てことはない。食べ過ぎで動けないだけである。 脱出の混乱のせいで両親とはぐれてしまったという。仕方なく食べ物が残っている市場内に隠れていたそうだ。 パラーリアは町の外へ姉弟を連れて行った。 先に猫又・ぬこにゃんが飛空船待機場所へと向かってくれた。そして兵に姉弟と両親の名前を書いた紙を見せて探すようお願いする。 両親は姉弟が心配でこの地を離れられずにいた。おかげで家族はすぐに一緒になれる。 パラーリアが龍骸へと戻った際、ヘラルディアと遭遇した。 「そちらはどうでしょうか。町はずれは先程見回りました」 「市場を探したけどまだ全部は回っていないのにゃ」 互いの情報をやり取りする中で一つの危惧が浮かび上がった。町中には想像していたよりも野良猫が多かったのである。 人の避難を優先すべきだが、かといって野良猫をそのままにしておくのも忍びない。そこで猫又の二匹に野良猫を説得してもらうことにした。 ヘラルディアとパラーリアは市場周辺を回って誰もいないのを確認する。猫又二匹の猫心眼で隈無く探したので間違いはなかった。 後は市場に食べ物を求めてやってくる者達への対処である。猫又二匹が野良猫の群れを説得する二時間、二人は物影に隠れて市場の様子をうかがう。 その間にヘラルディアとパラーリアは火事場泥棒的なろくでなしを二人捕まえた。兵に引き渡して猫又二匹を呼び寄せると大量の野良猫に囲まれる。 この町の野良猫は二つの集団に分かれていたのだが、それぞれの親分猫をぬこにゃんとポザネオがなるべくやさしく倒したようだ。 新しい親分猫になった猫又二匹は隣町への移動を猫たちに命じる。犬や鳥などの他の動物にも注意を促しつつ、野良猫たちが一斉に町の外へと駆けて行くのであった。 ●誤解 (「大々的に宣伝している訳ですから、陽動で何も無いと言う事は有り得ないでしょうね」) 道ばたで屈んだ伊崎紫音は忍犬・浅黄の頭を撫でる。そして常春との話を思い出す。 天儀では大量の瘴気が龍脈に流れたせいで島の一つが落ちていた。故に割れた柿の記述にも信憑性を感じられる。状況証拠ばかりだが、この地で何かが起こることを伊崎紫音も疑っていなかった。 伊崎紫音は浅黄の鼻に期待して布のにおいを嗅がせる。布に染み付いていたのは醤油を使った煮物の汁である。 天儀において煮炊きをしていれば、これに近いにおいが漂うはず。 炭火を使って煙を抑えてもにおいは漂う。またにおいは慣れてしまうので盲点になりやすい。そう伊崎紫音は考えていた。 突然に走り出す浅黄。それを追いかける伊崎紫音。細い路地を駆けて辿り着いたのはくたびれた一軒家であった。 (「人が居なければ、中から施錠って出来ないですよね」) そっと出入り口の引き戸に触れてみる。どうやら中から閂がかけられているようだ。 浅黄が一軒家をぐるりと回って自信ありげな表情で伊崎紫音を見上げる。間違いなく人がいると判断して戸板を壊しつつ中へと踏み込んだ。 「き、桔梗! 帰って‥‥い、いや誰だ? 人の家に勝手に入り込みやがって」 「避難勧告で指定された時刻はもう過ぎています。曾頭全は怪しげな薬を撒いて人を洗脳したり、町でアヤカシを暴れさせたり、手段を選ばない危険な組織なんです。すぐに脱出しましょう」 家の中には中年男性が一人で食事をとっていた。彼は家出した女房が帰ってくるの待つために居残っているようだ。 「だ、だってよー。俺とあいつの接点はこの家しかねぇんだよ。お互いに天涯孤独の身の上だったし」 怒鳴った後は泣き上戸。伊崎紫音はしばらく中年男性の愚痴につき合ってあげる。 死んでしまっては仕方がないし、相方に戻ってくる気があるなら大丈夫と説得する。家に置き手紙を残し、龍骸避難者名簿に自らの情報を残せばよいと。 中年男性は自暴自棄までには至っていなかったようで素直に受け入れてくれた。郊外まで同行しながら男性の話を聞いてあげる。 女房に内緒で贈り物をしようと本業以外の仕事を始めたのがばれてしまったという。 金が必要なのは他に女を作ったからだと浮気を疑われて、売り言葉に買い言葉。世の中うまくいかないものだと中年男性は溜息をついた。 (「やっぱり女性に間違えられたのですね‥‥」) 桔梗と中年男性に呼ばれたことを伊崎紫音は思い出す。 男だと説明して混乱させても仕方がないと考えながら門を潜って郊外へと一歩を踏み出した。すると夕日を浴びながら遠くから巨大な人影が近づいてきた。 「勘違いだと反省して戻ってみれば!」 巨大な人影は中年男性の女房。どうやら伊崎紫音を浮気相手と勘違いしたようである。 「ぼ、ボクは男の子です!」 疑われ続けたものの、サムライの技を披露してようやく信じてもらう。 夫婦が元の鞘に戻ったところで伊崎紫音は引き返す。龍骸の町で人探しを再開するのであった。 ●大地の異変 龍骸の町に夜の帳が下りる。 「暗くなるまでに何とか間に合いましたね」 ライは隠れている人を探しつつ、又鬼犬・隠と協力して門まで至る通り沿いにたくさんの風鈴を吊していた。 厚い雲のせいで月や星明かりはまったくなかった。 人の営みによる灯りもない龍骸の町は暗闇に包まれる。頭上には龍騎の者達による灯火のみ。風鈴の音は町の外を指し示す道しるべとしての役割を果たしていた。 日中に三名を避難させたライだが、途中で常春と朱華が孤児達を説得している場面に出くわす。その場は二人に任せたのだが、それが約二時間前の出来事であった。 気になったライはその場所へ戻ってみることに。すると説得は今も続いていた。 灯りは常春側の提灯だけ。孤児達がいる廃墟に常春と朱華が対する。 「常春さん、危ないから下がってくれ。無理をしたらその分、俺がアンタに手間をかけなくてはいけなくなる」 朱華が前に出て常春を庇う。時折、廃墟内から石が投げられていた。 「命にかかわる状態になればちゃんと逃げます。ですからここは私の思うとおりにさせてくれませんか?」 「俺にも意地があるからな。ここは退かない。だが話しは続けてくれ」 ライが盾になったまま常春と孤児の代表者とのやり取りは続いた。投石も次第に少なくなる。 「この中には孤児の施設にいた者も大勢いるんだ。だけど酷い扱いをされて逃げてきたんだよ‥‥。何度いったらわかってくれるんだよ! 僕たちは自分達の力で生きていきたいだけなのに」 闇に包まれた廃墟から孤児の代表者の声が響いた。常春もそうだが孤児の代表者もかなり声がかれていた。 「さっき話した通りこの町は危ないんです。孤児の施設に行きたくなければ、それでも構いません! ですが朱春の施設は酷い場所ではありませんから。心変わりをしたのなら訪ねてみてください。この書状があれば大丈夫です!」 額から血を流しながら常春は説得を続けた。 『はー坊にも困ったものじゃ。やれやれ、ほんに猫使いの荒い奴じゃのぉ』 様子を確かめていたライの足下に猫又・胡蘭が現れる。朱華の頼みで廃墟内にいる孤児達を猫心眼ですべて把握してきたという。 「わかりました。五から六歳ぐらいが三人、八から九歳が八人、十から十二歳が二人。そして代表者らしき者は十五歳前後の青年ですね」 猫又・胡蘭の報告を聞いたライは先に説得後の手筈を整えることにする。大型の荷車を牽いて廃墟近くにまで運んでおいた。 常春を含めてこれならば孤児全員を乗せても大丈夫である。 朱華は身体を張って常春を守り続けた。 一晩かかっても説得は終わらず太陽が昇った。それから二時間後、足下が揺れる。 「‥‥こうなったら無理にでも連れて行きましょう。若い命を見殺しにはできません」 常春の決断にライと朱華が頷いた。 廃墟内に踏み込んでみれば半分以上の孤児が疲れて眠っていた。起きていた孤児の殆ども常春の説得に心が傾いていたようで、特に抵抗なく荷台に乗ってくれる。 「触るな!」 「今は静かにしていてくれ」 朱華は孤児の代表者に縄をかけて荷台へと転がす。常春も乗ったところで朱華とライが荷車を牽いた。 又鬼犬・隠が先行して走り、近場の門までの最短の道順を教えてくれる。 猫又・胡蘭は荷台で孤児が暴れたりしないかを見張った。また揺れで落ちそうになった孤児を守ってくれる。 「だ、大地が盛り上がっている?」 走る台車の上で常春は龍骸の変動を目に焼き付けた。 所々大地が裂けつつも、全体的には坂道が形成されていった。ゆっくりとではあったが確実に。 ライと朱華の頑張りによって二十分後には龍骸の外へと脱出に成功する。さらに距離をとった上で一同は龍骸の町が崩れていく様を目の当たりにした。 龍骸の土地が円錐状に盛り上がって山のようになってゆく。次第にそれは例えではなくなっていった。 午後を過ぎて暮れなずむ頃になり、ようやく大地の変動は終わりを迎える。 前日までは人の町があった土地にも関わらず、二百メートル級の山がそこには佇んでいた。 |