お伽噺 〜春華王〜
マスター名:天田洋介
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/03/23 03:34



■オープニング本文

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 泰国は天儀本島と離れた地。嵐の壁によって隔たっていたものの、今では飛空船での往来が可能である。多数の群島によって形成され、春王朝天帝と諸侯によって治められていた。
 帝都の名は朱春。
 春王朝天帝の名は春華王。十一歳の時に帝位へと就き、今もまだ少年であった。


 本来大学内で保存されるべき書物、資料の一部が泰国南部の官僚、深山家の地下蔵に移送されていた。
 春華王の仮の姿、常春は開拓者達と力を合わせて深山家の屋敷を強襲。その殆どを取り返して秘密基地内へと運び込んだ。
 常春はその中でも幼子に聞かせるための冊子、お伽噺『割れた柿』に興味を引かれる。
 春王朝側を『日陰の民』、東春王朝側を『陽光の民』と置き換えていたが『春王朝・梁山時代』を主題として書かれていた。
 春王朝歴九二○年頃から一○○○年頃までを『春王朝・梁山時代』と呼ぶ。天儀暦に直すと四○○年頃から四八○年頃を指す。
 それぞれを率いる二人の兄弟天帝が覇権を争った内容で陽光の民が勝利する結末だ。現実の歴史も東春王朝側が勝利して泰国は再平定される。
 時代を経るに従って東の文字が外れて単に春王朝と呼ばれるようになった。当の天帝も春王朝と名乗っているが、いにしえに従って呼称すれば現王朝は『東春王朝』で間違いなかった。
 この歴史的事実は春華王たる常春と兄の飛鳥にとって心の隅に置かれた教訓といえた。まったく同じではないが王朝が二つに割れた状況が自分達と重なるからである。
 題名の割れた柿は袂を分かった天帝兄弟を表している。だがもう一つ、二つ目の意味も内包していた。
 それは裂けた大地。
 泰国を成す泰儀本島を高みから眺めた場合、帝都朱春を中心点にして放射状の形をしている。
 大地変動によるものだが、まるで海岸線となる外縁の端を何者かに摘まれ、広げようと引っ張られて耐えきれずに裂けてしまったような形になっている。深い湾や大河はそのようにして形作られたのだと割れた柿では語られていた。
 それは自然現象ではなく日陰の民がある策を使っての人工的な災いであったという。更なる壊滅的な状況になるところを陽光の王が阻み、そして日陰の王を倒して物語は締めくくられていた。
(「単なる夢物語なんだろうか‥‥」)
 天帝宮に戻って春華王としての日々を送る常春の脳裏に割れた柿の内容がこびりついて離れない。冊子そのものは安全を考えて秘密基地内に置いてきた。
 こうなると大学内や天帝宮所蔵の資料にも不審な点が浮かび上がる。黒塗りされたり頁が破られた本が多くあったからだ。
 資料が集められた時点でそうなっていたのだから仕方がないとこれまでは諦めてきた。ただそれらの中には大地が裂けた記述があったと仮定すると前後の繋がりの納得いくものが数多くある。
(「曾頭全が歴史の改竄に関わっていたのならば合点がいくのだけど‥‥」)
 常春は南部の深山家の当主『深山砥』に探りを入れてみようと考えた。
 ただ普通に会ったのでは惚けられるだけ。かといって春華王の正体を証すわけにもいかなかった。
 そこで臨時の司書として開拓者達に大学内の図書館に潜入してもらうことを思いついた。深山砥の執務室もあるので重要な話しも聞けるかも知れない。
 お忍びで出かけた際、ギルドに立ち寄って手続きを行う常春であった。


■参加者一覧
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
ライ・ネック(ib5781
27歳・女・シ
江守 梅(ic0353
92歳・女・シ


■リプレイ本文

●図書館
 朱春近郊の大学には図書館が併設されている。その蔵書数は泰国内有数。天帝宮の蔵書に匹敵するといわれていた。
 図書館の仕事と聞くと穏やかな事務を想像しがちだが実際には力仕事が非常に多かった。特に新しい蔵書が大量に納められたときは大忙し。常春の手引きがあったとはいえ正体を隠した開拓者達が比較的簡単に司書となれた理由はそのようなところにある。
 仕事の期限は一週間のみ。終了後に本採用か決められるのだが、それは彼彼女達にとって意味のないものである。
 潜入した開拓者四名は深山砥の周辺から新たな情報を入手すべく機会を窺う。
(「調査は慎重に進めましょう」)
 伊崎 紫音(ia1138)は先輩司書からいわれた通りに運ばれてきた書物の分別を行う。一般的な綴じた本もあれば、中には木簡、竹簡などの非常に変わったものも存在する。
 新しく書かれたものもあれば蔵の取り壊しに伴う寄贈など様々な経緯で本は図書館にまで辿り着く。
 今日のところは仕事や他の司書達の動きを覚えるために従順を装う伊崎紫音だ。買い求めた一般人の服装の出番は明日以降である。
「この台車を使って構いませんから」
「わっかりましたのにゃ〜♪」
 パラーリア・ゲラー(ia9712)は本を沢山積んだ台車を押して運んだ。
 廊下の幅や本棚の間隔は台車が使いやすいように配慮されていた。あり合わせの建物を使っているのではなく、熟考の上で設計がされていることがよくわかる。
 パラーリアは変装の一つとして髪を黒く染めている。もう一人、ライ・ネック(ib5781)も普段とは違う黒髪で仕事に従事していた。
「あの部屋は何なのでしょう?」
「ああ、あれは図書館を管理する一人の深山氏の執務室だよ。たまに掃除を頼まれることもあるが‥‥普段、我々は立ち入り禁止さ」
 司書の一人と一緒に移動する際、ライは目的の深山砥の執務室の位置を確認する。袋小路になった廊下の最奥に執務室はあった。
 江守 梅(ic0353)は急病で休んだ司書がいたのでそちらの補充に回る。
 学生が分野別の目録の中から選んだ本を棚から探し出す役目である。閉架式なので施設外への本の持ち出しは基本不可。学生は図書館内で読んで返す形になっていた。
「見事な蔵書ですなぁ。このように魅力的な書物に出会えるとは、司書冥利に尽きますぞぇ」
 江守梅は台車を押しながら本棚の間を歩いた。
 記号と番号が書かれた木札を片手に棚を見上げる。成人男性の身長を軽く越える高さの本棚なので探すのも一苦労。時には梯子を登って書物を手に取った。
 開拓者の朋友のうち、江守梅の駿龍・四髭は宿で常春とお留守番である。いざというときに逃げられる手段があるのは常春にとって心強かった。
 パラーリアの猫又・ぬこにゃんは壁の上でひなたぼっこをしながら大あくび。尻尾を隠して普通の猫を装いながら図書館における人の出入りを確認していた。
 図書館の庭に植えられた木の太枝には二頭の犬がいる。伊崎紫音の忍犬・浅黄とライの忍犬・ルプスである。いつでも主人の下へ駆けつけられるために学生達から身を隠す。
 仕事を覚えながら他の司書達と話して事情を探る。それだけで司書仕事の一日目は過ぎ去った。
 閉館後は大学の敷地外にある宿へ向かう。開拓者達は宿で待っていた常春に一日の出来事を報告する。
「図書館の様子は一見する限りは極普通なんだね」
「そうなのにゃ。みんなまじめでお仕事を一生懸命にやっているよ〜」
 常春によそってあげた鍋のお椀を渡しながらパラーリアは頷いた。
「まだ一日目ですけれど、一緒に仕事した司書さんからは隠蔽に加わっているような胡散臭さは感じられませんでした」
「隠蔽に関わっているとすれば‥‥やはり命令できる上の立場の者でしょうね。深山砥のような」
 伊崎紫音とライが感想を述べる。
「古くから使われているにも関わらず空いている棚が多くあったのじゃ。一緒に働いた司書殿に訊ねてみてもよくわからんとの返事ばかりでのぅ」
 江守梅の一言で常春は思い出す。そういえば深山砥の屋敷から回収した資料の本の極一部に記号と番号が振られていたと。兄の飛鳥から渡された資料を取り出して確認する。
「これらの書物が元々はどのような棚に収まっていたかを調べてもらえますか?」
 常春はいくつかの番号を抜き出して江守梅にメモを預けるのだった。

●江守梅
 二日目の仕事中、江守梅は一緒に仕事をしている先輩司書からわざとはぐれて預かった記号と番号の棚がどこなのかを確かめた。想像していた通り、使われていない空の棚が収まっていた場所だと判明する。
(「間違いないぞぇ‥‥。春華王殿、いや常春殿が考えていた通りじゃ」)
 ちなみに江守梅は昨晩のうちに常春から自分が春華王だと真実を告げられている。
 空の棚とはいっても実は一冊の書物だけが残っている。頁を捲ってみると黒塗りばかりで読みとれる部分は十頁分にも満たない。
「そこで何をしている?」
「おー、すまぬのぅ。鼠の三十七番の棚を探している間に迷い込んでしまいましてなぁ」
「ここは虎の三十七番だ。鼠はあちらの区画だよ」
「ありがたや。ばぉばに親切するとよいことあるぞぇ」
 江守梅は惚けてその場を凌ぐ。そして先輩司書と再会して仕事に戻った。
 日が暮れて仕事終了。宿に戻った江守梅は報告しながら懐から書物を取り出す。
「これが棚に残っていた一冊じゃ。明日には戻しておくので今夜だけになるが目を通してみたらどうかのぅ?」
「助かります。書名まで黒塗りされているんですね。えっと‥‥泰国薬の本ですか。兄の飛鳥が詳しいんですよ。独学で始めたのに一時はそれで暮らしていたぐらいなんです」
 江守梅に感謝した常春はさっそく文章に目を通す。黒塗りを免れた殆どは気付け薬の作り方である。でももしかするとと考えた常春は飛鳥に見せるために書き写しておく。
 三日目の江守梅は図書館を訪れた学生達を案内する。
「ほぅ、朱春の歴史を調べているのですな。それならばこちらの目録に関連書籍が並んでおりますやろ。お勧めはこちらとこちらどすなぁ」
 学生の望みにあった本を紹介して本を棚から運んで渡す。それを繰り返しているうちに日が暮れた。
(「そうじゃった」)
 持ち出した一冊を返し忘れていた江守梅はこっそりと空の棚へと向かう。今度は誰にも見つからないよう周囲により注意しながら。
(「誰か来たのじゃ」)
 帰ろうとしたときに誰かが空の棚へと近づいてくる。江守梅は壁と棚の間に身を隠す。
 空の棚の前で止まったのは女性司書。彼女は江守梅が返した一冊を手にとって目を通してから立ち去ってゆくのだった。

●パラーリア・ゲラー
「今日は特に重たくて大変だったでしょう。ところでこれから用事はあるかしら?」
「帰って寝るだけなのです♪」
 三日目の夕方、パラーリアは組んで働いていた女性の先輩司書から食事に誘われた。ちょうどよい機会なので行くことに。
(「これを届けて欲しいのにゃ」)
 帰り際にパラーリアが落とした紙片を猫又・ぬこにゃんが銜えて拾う。そして塀を跳び越えて姿を消す。常春を仲介にした念のための仲間達への連絡である。
「司書が力仕事だなんて全然思わなかったの。本が好きだからこうしているけれど」
 飯店に入るとまずは酒を酌み交わした後で注文した料理を頂いた。泰国料理の皿が卓へと並んでゆく。
「重いものはけっこう平気なのにゃ♪」
 パラーリアは餃子をはふはふと頂きながらお喋りに花を咲かせた。
 図書館内の広さに話題が移ると先輩司書が興味深い話を始める。酒を呑んで酔ってきたせいもあるのだろう。
「あの図書館はね、隠し部屋や通路が多いって噂よ。いえ噂というよりも真実ね。いくつかは私も知っているから。もっとわかりにくい部屋もきっとあるはず。建築を命じた誰かか設計技師が思慮深い人だったのね」
「どうして隠す場所が必要なのにゃ?」
 パラーリアが首を傾げると先輩司書はニヤリと笑う。そして鼻息荒く語り始めた。
「非常に長い歴史を誇る春華王朝だけど、内側からの反乱といった意味では盤石だったとはいえないわ。一番有名なのが春王朝・梁山時代に起きた変ね」
「知っているのにゃ。天帝のお兄さんと弟さんが戦ったんだよね」
「そうそう。時の為政者というのは大抵過去の歴史をなかったことにしたがるものなのよ。または都合のよいように改変したり。ここで問題です。そうした場合、真っ先に狙われるのはどこでしょうか?」
「うんと‥‥歴史の書かれた本がたっくさんある図書館が狙われると思うのにゃ」
「正解」
「そっか。だから必要なんだね〜。隠し部屋や通路が」
 パラーリアは深山砥への関心と共に隠し部屋や通路への興味を持つ。程なくして食事が終わり、途中の街角で先輩司書と別れて宿へと戻った。そして飯店で購入した焼き魚をご褒美としてぬこにゃんにあげる。
「お使い助かったのにゃ♪」
 美味しそうに食べる猫又・ぬこにゃんを眺めながら、パラーリアは明日からの行動をどうするべきか考えるのであった。

●伊崎紫音
「用事があると仰っていましたよね。それはボクがやっておきます」
「そうかい。すまないね」
 四日目、伊崎紫音は組んでいた先輩司書を先に帰らせて最後まで図書館に残る。そして見つかっても正体がばれないよう私服に着替えて深山砥の執務室を探った。
 窓を静かに開けると夕焼けに紛れて忍犬・浅黄が飛び込んでくる。侵入がばれないよう浅黄の足についた泥を布で拭ってから調査開始である。
「この香り、覚えていますか。この部屋ではどうなのか教えてくれるでしょうか?」
 伊崎紫音は常春から借りた香木の黄熟香を包んでいた布を浅黄に嗅がせた。
 執務室の中を嗅ぎ回った後で壁に向かって小さく吠える浅黄。隠し通路があるのではないかと伊崎紫音は丁寧に探ってみたものの扉や隙間などは見つからなかった。
(「どうであれ深山砥が黄熟香を所持しているのは確かなようです‥‥」)
 伊崎紫音は以前に曾頭全が黄熟香を欲しがった理由を思い出す。
 特殊な加工を施した黄熟香の香りを嗅がされると幻覚幻聴が呼び起こされるという。この効果を利用して曾頭全の上層部は末端の信者達を洗脳していたようだ。
 忍犬・浅黄の行動をつぶさに観察しているとわかることがある。最初に吠えた壁以外でも黄熟香の香りがしている反応を示す。
(「推測すると‥‥この執務室で黄熟香が焚かれたことがあるのではないでしょうか。そして最初に浅黄が吠えた辺りにはたまたま香炉が置かれていて特に強く香りが残っただけ‥‥そう考えるのが自然なようです」)
 あまり長居をすると探りがばれる可能性が高い。もうすぐ司書が図書館を受け持つ時間が終わる。その後は警備巡回の時間だ。
 伊崎紫音は浅黄を窓から逃がして執務室を後にする。悩んだものの執務室の壁に飾られていた肖像画を拝借し、宿へ戻って常春に見せた。
「浅黄の反応からすると黄熟香が執務室で焚かれたのは確かなようです。誰かの洗脳に使ったのか、単に黄熟香の香りを楽しんだのかまではわかりませんでした」
「黄熟香は貴重なものだから‥‥これで曾頭全との繋がりの疑いが非常に濃くなったね」
 伊崎紫音と常春は一緒に夕食の拉麺を啜る。
「こんなものかな」
 肖像画は深山砥と考えられたので一晩のうちに常春が描き写す。絵が得意なだけあってうり二つに仕上がった。

●ライ・ネック
(「これは‥‥」)
 仕事中のライは机に置かれていた一枚の走り書きに目を留める。そこには明後日の午後に深山砥が図書館を訪れると記されていた。
 この情報を第一に探っていたライだが、誰に訊ねても気まぐれにやってくる人だからと返ってくるだけでこれまで確定情報が得られなかった。これ以上しつこく聞けば疑われるので試しに各書類を探ってみたところの大収穫である。
(「そういえばこの走り書きは誰が書いたのでしょうか?」)
 疑問を抱いたライはさっそく調べることに。走り書きがあった紙は目録草案の一枚。つまり目録の作成者が怪しかった。
 目録作りは司書の仕事の中でも慎重かつ重要なもの。当然、収蔵する本の選定にも深く関わっている人物といえた。判明した人物は七瀬山奈という女性である。
 深山砥の予定を知っているというだけでも彼女の疑いは濃い。書物の検閲や移送に関わった人物と考えるべきだろう。
 江守梅からの情報によれば七瀬山奈は空の棚にあった疑わしき一冊を気にしていたという。
 それからのライは七瀬山奈に注視し続ける。
 地味ながら容姿は普通。二十歳で未婚。当たり障りない性格。毎日図書館を訪れて仕事をこなして定時には帰っていた。
 深山砥との男女の噂はない。ただ周囲から隠し通しているのかも知れず判断は保留だ。
 ライは帰宅する七瀬山奈の後を忍犬・ルプスに追わせた。
 後でライが自身の目で彼女の自宅を確認する。一軒家の一人暮らしだが生活そのものは質素といえた。
(「とにかく深山が来た時が勝負ですね」)
 ライは深山砥が図書館を来訪する理由が七瀬山奈との密会だと考えた。肝心なのは交わされる会話の内容。そのための準備をライは怠らなかった。

●密会
 深山砥が来訪する当日、開拓者はこれまで以上の緊張を強いられる。走り書きの予定には午後とあっただけではっきりとした時間が記されていたわけではなかった。
 司書の仕事があるので執務室に入り浸れるはずもない。そこで朋友達の出番となる。
 猫又・ぬこにゃんは発見したばかりの隠し小部屋で待機。執務室の真上なので監視にぴったりである。
 忍犬の浅黄とルプスは図書館に近い二つの門をそれぞれ監視する。深山砥の容姿は肖像画の写しを見せているのですぐに判別出来るはずだ。
 駿龍・四髭は宿の常春と一緒に待機していた。
 ゆっくりと時間が過ぎてゆく。
 そして閉館間近になってようやく深山砥が姿を現す。緑繁む木の上に隠れていた忍犬・ルプスが発見した。
 駆けるルプスが向かったのは図書館の屋根上にある鐘。突然現れた犬に鐘の管理人が戸惑う。
「お、おい、何をしやがる!」
 ルプスは垂れる縄へと掴まって適当に鐘を鳴らす。そして瞬く間に去っていった。
 あまりに適当に鳴らされたので耳にした敷地内の誰もが悪戯と判断した。開拓者とその朋友だけが深山砥来訪の合図と悟る。
 それから約十分後、閉館を告げる本来の鐘の音が鳴り響いた。
 いち早く仕事を抜け出したパラーリアは隠し通路を辿って猫又・ぬこにゃんが待機する小部屋へ。
「どんな感じだったのにゃ?」
 ぬこにゃんによれば執務室を訪れた深山砥は机の椅子に腰掛けたまま外の景色を眺めていたようだ。
 パラーリアは事前に開けておいた穴を覗き込んだ。深山砥の顔は肖像画よりも老けていた。歳は七十歳前後。皮と骨ばかりでとても痩せている。
 この時ライはすでに執務室内にあった。鐘音を聞いてすぐに深山砥を発見して追跡。入室する際に秘術影舞で姿を周囲と紛らせて棚の隙間へと隠れたのである。
(「わずかな言質も逃がしません‥‥」)
 超越聴覚で耳を澄まし、より近い位置で深山砥の独り言さえ記憶しようとライは集中する。
「失礼します」
 そうこうするうちに七瀬山奈が執務室に現れた。
「どうだい? 最近は」
 深山砥と七瀬山奈の話し合いが始まる。
 その頃、伊崎紫音は廊下で通りすがりの司書達を呼び止めていた。
「こちらの本が片づけの最後なのですけれど、棚の位置を示す数字がかすれてしまってよくわからないのです」
「どれどれ?」
 本の記号や数字を半消ししたのは伊崎紫音自身。耳目を集めることで廊下の奥まった場所にある深山砥の執務室への人の流れを制御していたのである。
 七瀬山奈に関しては事前に深山砥との関わりを疑っていたので、わざと素通りさせていた。そしてもう一人、素通りさせた人物は江守梅だ。
 台車に飲茶の準備をして扉の前で待機する江守梅。少し待っていると廊下の天井から軽い打撃音が。中に入るよい時をパラーリアが教えてくれたのである。もっとも実際に天井裏を叩いたのは猫又・ぬこにゃんであったが。
「お茶、お待たせしまいましたなぁ。すぐに並べますよってに」
 執務室へと入った江守梅はさっそく飲茶の用意を始めた。
「頼んでいないが?」
「まあ、よい。ちょうど喉が渇いていたところだ」
 訝しむ七瀬山奈。動じない深山砥。
 立場としては深山砥の方が上のようで江守梅は飲茶の準備を続ける。蒸かした天心も用意されていた。
 茶を淹れてから執務室を後にした江守梅は廊下の扉前に残った。
 誰かに訊かれても飲茶の一式を片づけるためにここで待っていたと理由付けが出来る。また十分に執務室内を立ち聞き出来る箇所でもあった。
 一番の理由は仲間の退路確保と相手の封じ込め。窓の外では忍犬の二頭が待ちかまえているので不慮の事態が起きても深山砥と七瀬山奈は袋小路の鼠といえる。
 執務室の深山砥と七瀬山奈は監視されているのも知らずに秘密の会話を始めた。
「黄熟香の首尾はどうだ?」
「はい。順調に。もう一年もあれば充分な量になるでしょう。加工についても大丈夫です」
「遅いな‥‥。半年が理想なのだが」
「お言葉ですが頂いた量の香木ではどうにもなりません」
 二人の会話を聞きながらライはやはり曾頭全が関係しているのではと想像した。それだけ過去の黄熟香の一件は印象的であった。
「おかげで改良に改良を重ねてより深い刷り込みが出来るようになったからな」
「突然に寝てしまう副作用はかなり抑えられましたが‥‥まだ未完成です」
「副作用には個人差があるからな。現状でも充分に使い物になるだろう。それよりももっと長持ちさせられないものか」
「効果と持続力は相反する関係にありましてなかなかに――」
 二人の会話の中に『曾頭全』の単語が混じる。
 耳にした江守梅は曾頭全が黄熟香の洗脳効果を利用して悪巧みしようとしているのだと考えた。
「それにしてもあの本にはとても惹かれます」
「本来ならあの墨で塗りつぶされた本も回収したいのだが‥‥」
「黄熟香の改良に行き詰まった際、あれを読み返すとよい案が浮かんでくるのです」
「黄熟香の活用方法だけでない‥‥。墨で塗りつぶされていない原典にはすべてが載っているのだからな。泰儀の大地が割れた記述には驚かされたものだ。近代の曾頭全はあの一冊から始まっているといって過言ではない」
 二人の会話はまもなく終わる。開拓者達は速やかに撤収。すでに外は暗く見上げれば星が瞬いていた。

●そして
 報告を開拓者達から聞いた常春は絶句する。再び口を開いたのは翌朝であった。
「墨で塗りつぶされていない原典‥‥手に入れたい。だけど先に黄熟香の開発を止めないと」
 常春は自分の手駒である隠密を七瀬山奈の監視に回すことにする。
 深山砥にも監視をつけたいところだが彼の護衛はとても優秀である。勘づかれるかも知れないので今は控えることにした。
「曾頭全は黄熟香の香りを使って泰国民を意のままに動かすつもりです。それは絶対に阻止しなければ‥‥」
 朱春での別れ際、常春は開拓者全員と握手を交わしてから去ってゆくのだった。