探し人 〜春華王〜
マスター名:天田洋介
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/09/20 15:19



■オープニング本文

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 泰国は天儀本島と離れた地。嵐の壁によって隔たっていたものの、今では飛空船での往来が可能である。多数の群島によって形成され、春王朝天帝と諸侯によって治められていた。
 帝都の名は朱春。
 春王朝天帝の名は春華王。十一歳の時に帝位に就き、今もまだ少年であった。


 春華王には兄がいる。
 兄もかつては春華王だった。
 兄はある日、突然と姿を消してしまう。残された弟は十一歳で春華王になり、今も泰国を統べている。実際には象徴的な意味合いが濃く、国政については役人達が担っているのだが。
 現春華王の兄がいなくなった理由はいろいろな説が飛び交っている。その中にも含まれているのだが、さる女官との駆け落ちが真相だ。
 兄の幼名は『飛鳥』。弟の幼名は『白鳳』。生活の場で兄は弟を『アス兄』と呼び、弟は兄を『ハク』と呼んでいた。
 失踪当時、泰国の隅々まで飛鳥の捜索が行われた。しかし足取りはすぐに途切れて諦めざるを得なくなり、白鳳が新たな春華王となったのだ。
 夏の昼下がり、春華王は地方の老舗お茶問屋『深茶屋』の御曹司『常春』としてお忍びで朱春を徘徊中、飯店にて自慢話を耳にする。
 交易商人・旅泰の浅黒い肌をした中年女性が同業者に金の細工物を包んだ布の隙間から見せていた。理穴を行商していた途中で若い男から買い取ったと囁きながら。
(「あれはアス兄のものでは?」)
 金の細工物とは文鎮。その文鎮に常春は見覚えがあった。兄の幼名と同じく飛鳥の図案が入ったもの。この世に二つとあるはずがない特別発注品だ。
「そこをなんとか頼みます!」
「んなこといわれてもなあ、兄ちゃん。こっちも忙しいんだよ。‥‥にしても似てるような」
 常春は若い男と出会った場所に連れて行って欲しいと女性・旅泰に頼み込んだ。礼としてその文鎮を言い値で買い取りたいと話しに織り交ぜながら。
「わーたっ。わかったよ! 連れていきゃいいんだろ」
 あまりのしつこさに女性・旅泰が根負けした。
 持っていた紙幣全部を手付け金として渡し、約束を取り付ける常春であった。


■参加者一覧
玲璃(ia1114
17歳・男・吟
伊崎 紫音(ia1138
13歳・男・サ
奈良柴 ミレイ(ia9601
17歳・女・サ
パラーリア・ゲラー(ia9712
18歳・女・弓
ルンルン・パムポップン(ib0234
17歳・女・シ
朱華(ib1944
19歳・男・志


■リプレイ本文

●理穴へ
 雲上を航行する飛空船が二隻。
 一隻は交易商人・旅泰の中年女性『丹澪』が所有する中型商用飛空船『招福号』。もう一隻は常春所有の大型飛空船『春暁号』である。
 丹澪は身なりや物言いから常春が金持ちと判断していたようだが、さすがに大型飛空船を所有しているとまで想像が及ばなかったようだ。朱春近郊の飛空船基地で合流した際、腰を抜かしそうになるほど驚いていた。
 開拓者六名は常春と一緒に操縦室を兼ねる春暁号の艦橋にあった。
「重たいから気をつけてね」
「ほえ〜〜。ピカピカなのにゃ!」
 パラーリア・ゲラー(ia9712)は常春から純金製の文鎮を受け取って声をあげた。見かけよりもずっしりとした手応えを感じ取った。
 丹澪が出発前に文鎮の取引をしてくれたのである。現地に案内してもらってからの方が約束遂行の意味では間違いがないのだが、文鎮を手元に置きたい常春にとっては願ったりであった。
「これか‥‥なるほどな。単に金で出来ているだけでなくこの象眼の細かさは狂気さえ感じさせる」
「お金にまったく不自由しない方が持つ逸品ですね。融かして金塊にするには細工があまりにも素晴らしすぎる贅沢品です」
 朱華(ib1944)と玲璃(ia1114)も文鎮を確かめさせてもらう。
 朱華と玲璃は出発前に丹澪から文鎮を買い取った際の状況を聞いていた。もちろん他の開拓者も興味があったのでその場に立ち会っている。
 文鎮の元所有者は向かっている先の村で招福号一行が飛空船を店代わりにして商っている最中に客としてやってきたのだという。
 最初は鉛に金を被せただけの偽物だろうと疑っていたが、水を使って比重を調べてゆくうちに本物だとわかり、手が震えだしたと丹澪は語っていた。
 文鎮の元所有者は常春によく似ていたが二十歳は越えている印象の容姿。身なりは貧相であったが、破れたところには継ぎ当てがされていたらしい。
 どうして純金製の文鎮を所有していたのか、また売って得たお金を何に使うのかについては聞かなかったそうだ。話してくれたところで嘘しかいわないだろうし、第一そんなものに丹澪は興味がなかった。
 文鎮を買い取った金額については商売人の鉄則なので丹澪は秘密の一点張りである。他に丹澪が覚えていたことが一つ。やけに元所有者は焦った様子であったらしい。
 仲間達が文鎮に注目していた頃、ルンルン・パムポップン(ib0234)は常春の兄について夢想していた。
(「坊ちゃんのお兄さん‥‥。坊ちゃんがこれだけ素敵だから、きっとお兄さんも素敵な人に違いないのです」)
 ルンルンは瞳キラキラで乙女全開状態だ。
(「そういえば‥‥」)
 ハッと常春から説明されたことを思い出す。兄は女官と駆け落ちしたのだと。喜んだり、沈んだりとルンルンはとても忙しかった。
「これ」
 奈良柴 ミレイ(ia9601)はつかつかと常春に近づくと愛想もなく持っていた扇子を渡そうとする。
「黒羽の扇子っていいね。ありがとう」
 にこりと笑いながら扇子を広げる常春を奈良柴はちらりと横目で眺めた。
「見つかるといい」
 そう呟くとそそくさと常春の側を離れる奈良柴である。
 奈良柴は常春がずっと兄を探していたのを知っている。早く会えればいいと奈良柴も心の中で応援していた。
「結構たくさんありますね。これとこれは一緒にして」
 伊崎 紫音(ia1138)は仲間達がこれまで描き貯めたものも含めて常春の兄の似顔絵を卓上で整理していた。何種類かを村人に見てもらえれば一番現状に近い似顔絵を探し当てられるかも知れないと。
 常春はなかなか兄の名前を語ろうとしなかったのだが、さすがに探す段になって内緒とはいかなかった。
「わたしには幼名がありまして『白鳳』と呼ばれていました。兄の幼名は『飛鳥』で‥‥その‥‥成人した後の名前はすみません‥‥。幼い頃、わたしは兄を『アス兄』と。兄をわたしを『ハク』と呼んでいました」
 すべてを話すにはもう少し時間が欲しいと常春は開拓者達に頭を下げる。
「常春は兄に会ったあとはどうするつもり?」
 奈良柴の質問に常春は固まった。それはどうしたいかの考えを持ち合わせていなかったのではなく、気恥ずかしさからきたものなのだが。
「家に戻ってきて欲しいのは山々なのですけど無理強いをするつもりはないんです。ただ居場所は知っておきたい‥‥。その気になれば連絡が取れるよう、会えるように」
 小声であったが常春の希望ははっきりとしていた。

●理穴の村
 朱春を出発して二日目の夕方、二隻の飛空船は目的の地である理穴『平畑村』外縁へと着陸する。その日は代表として丹澪だけが挨拶をしに平畑村へと向かう。
 翌日、朝食時。
「坊ちゃん、坊ちゃん! たぁ〜くさん人がいますよ」
「え? 何でだろう?」
 窓の外を覗いたルンルンが常春や仲間を呼び寄せる。眼下には中型商用飛空船『招福号』に集まる村人達の姿があった。
 単に常春達を村まで案内しただけでなく丹澪はちゃっかりと商売の品を飛空船に積んできたようだ。たくましき旅泰の商魂である。
 急いで食べ終わると常春一行は下船して人だかりへと足を踏み入れた。
「泰の品物が並んでいるのにゃ」
 パラーリアは招福号の外に並べられた木箱を覗き込んだ。海産の乾物が多かったが、比較的日持ちのする根野菜なども並んでいた。陶製の食器、鉄製の調理道具などの実用品も豊富にあった。
「これはどういうことだ?」
「おー、旦那方にお嬢さん方」
 朱華が訊ねると丹澪は悪びれた様子もなく商売繁盛に胸を張った。
「あっちから集まってもらった方が探しやすいだろ。ほら、あの人なんて確か文鎮を買い取った時に客としていたはずだぞ。聞いてみたらどうだ?」
 豪快に笑う丹澪にあきれながらも朱華は行動に移す。仲間から受け取った似顔絵を手に。
「その時の状況を教えてくれないか?」
「あたしゃ驚いたねぇ。あんな高価なもんを拝めるのは今後ないだろうねぇ〜」
 老婦が似顔絵を眺めながら朱華の質問に答えてくれた。文鎮の元所有者はこの村の者に住んではいないようだ。
 朱華と老婦のやり取りを眺めていた常春と他の開拓者達も聞き込みを開始する。
「この人に似ている人物、村で知らない?」
 奈良柴は護衛も兼ねて常春と行動を共にしていた。似顔絵も併用するが一番の手がかりは常春の容姿だ。
「いないね。こんな風に整った顔の男はこの村にはいやしないさ。いたらあたしがほっとくわけないだろ」
 中年女性が常春の頬に手を当てて顔を近づけながら首を横に振る。顔を赤くした常春はしどろもどろになりながら近くの村や集落ではどうなのかと聞くと中年女性は呻った。
「噂には聞いたことがあるけどね。身なりはボロボロだが浮世絵から抜け出したような美男子が歩いているのを見かけたとか」
 今夜自分の家に泊まっていけとしつこい中年女性の手を振りきり、常春と奈良柴は春暁号へと戻る。
「常春のお兄さんらしき人が足を運べる範囲にこの村も入っているのかも。だけど生活圏ではないみたい」
「きっとそうだろうね。アス兄だと思うんだけど‥‥」
 奈良柴と常春は昼食の準備をしながら仲間達が戻るのを待つことにする。
「これが坊ちゃんのお兄さんと一緒に駆け落ちした女官さんの顔‥‥」
 ルンルンは登った大木の枝に座って常春の兄と駆け落ちをしたといわれる女官の似顔絵をあらためて眺める。常春がこの地に着く前に春暁号内で描いてくれたものだ。
「手掛かりは一つだけじゃないはずだもの」
 ルンルンは女官を中心にして常春の兄探しをする。常春によれば女官は器量よしで今現在の年齢は二十歳前後のはず。だとすれば一番注目するのは若い男に違いなかった。
「こんな美人さんを見かけなかったです?」
「ああ見かけたさ。三週間ほど前だったかな。そんなことよりもだな――」
 ルンルンは村の青年を探しては女官の似顔絵を見てもらう。確認してもらうと丁寧に礼をいってささっとニンジャの素早さで姿を消す。残るのはがっかりと肩を落とした男の姿だけだ。
「この土地にもきっと美味しいものはありますよね」
 伊崎紫音は招福号周辺の調査を仲間達に任せて村の商店を探す。
 しかしさすがにのんびりとした田舎。戸には『出かけています』の札がぶら下がっていた。おそらく店の人達も招福号に買い出しに行っているのだろうと伊崎紫音は想像する。
 近くにあった大木の切り株に腰掛けて小一時間。ようやく店主達が戻ってきた。ちなみに村にある商店は二軒のみだ。
 閉められていた戸が開けられて店が再開し、伊崎紫音は地元の品を見定める。里芋が美味しそうなので箱ごと買い求めた。
「あの、こういう人を探しているのですが、心当りは有りませんか?」
「知らないなあ‥‥。いや、まてよ」
 伊崎紫音の前で腕を組んだ店主が呻り続ける。
「そうそう。二ヶ月に一回ぐらい味噌を買ってった女の人がいたんだがね。その女の人を遠くで待っていた男がこんな感じだったよ。ほら、あの通りの角になる茂み辺りで」
 店主は女が買った味噌を男が担いで去ってゆく様を何度も見かけていた。
 そもそもこの土地の者ほとんどが自家製の味噌を作っている。買う者などいないといっても過言ではない。この店にも通常味噌は並べてられていなかった。購入を希望する者には店主の家庭で使用している自家製味噌を分けて売っているのである。
(「自家製で味噌を作るつもりはないということになりますね。探し人はこの周辺の土地に根付いて暮らしていないのでは?」)
 伊崎紫音はいくつかの推測をたてながら聞き回った。
 やがて昼が訪れる。春暁号で昼食をとった一同は再び常春の兄探しを再開した。
(「普段からこの町に顔を出すような生活は送っていなさそうなのにゃ」)
 パラーリアは自分や仲間の調査から類推し、医者や薬草師の家を探す。文鎮の元所有者の大切な人が病気や怪我をして治療代が必要になったのではないかと考えたのだ。
「パラーリアさん?」
「にゃ?」
 この村唯一の医者の家の前に玲璃が立っていた。一緒に訪ねることにして戸を叩いてしばらく待つ。しかし誰も出て来ず返事もなかった。
 パラーリアと玲璃が迷っていると中から物音が聞こえる。二人が壊れた戸の隙間から覗き込むと千鳥足の誰かが転ぶ瞬間であった。
 二人は急いで家の中に入って誰か抱き起こす。間近で見れば男性でどうやらこの人物が医者のようだがとても酒臭かった。
「おめぇーら‥‥? もしや、取り返そうと頼まれた奴らか!」
 医者は両腕を振り上げながら暴れ出す。
「いえ、そのような。お医者様でしょうか。実はこのような方を探しています。ご存知ですか?」
「とっとと出て行け!!」
 玲璃が似顔絵を提示したものの、医者はろくに見もせず知らぬの一点張りで二人を追い出した。
「‥‥へんだよ〜」
「そうです。やましいことがなければあのような態度をとるはずがないです」
 パラーリアと玲璃は医者の周囲を調べることにする。玲璃が残って監視し、パラーリアは一旦春暁号へと戻って仲間に応援を頼む。
 その後、開拓者の女性陣が近所の井戸端会議に混じって夫人達の話に耳を傾けた。噂によればここ最近になって医者の羽振りが突然よくなったという。
 元々評判のよくない医者である。他に医者がいないので怪我や病気をした時に仕方なく頼るしかない。薬の知識だけはまともらしく、それがなければ袋叩きにされてもおかしくないほどの素行の悪さだった。

●手がかり
(「きっとあれだよ〜。常春クンに教えないと」)
 交代で医者の家を監視する日々。パラーリアは登った木の葉っぱに隠れながら噂に聞いた品物をついに視認した。
 それは医者が一週間程前、酒飲み仲間に自慢した書物だ。医者がいうには幻の妙薬の作り方が載っているもので古来泰国に伝わる門外不出の秘伝だという。今は理穴の田舎に引っ込んでいるが、若い頃には泰国で医術を学んだというのも口癖にしていたようだ。それらが真実かどうかは不明である。
 準備を整えた常春は仲間を連れて医者の家を訪れた。いっぱいに詰まった酒樽を土産に持って。
 酒樽の土産に気分をよくした赤ら顔の医者は常春達を家の中に招き入れた。
 敷居を跨ぐ前に質問には答えるといっていたが約束は果たされずいいかげんな態度。さっそく酒を頂きながらとぼけまくる。
「こちらの人物を知りませんか?」
「いたかも知れねぇが忘れたねぇ」
「ではこちらも」
「知らねぇよ」
 玲璃が捲る似顔絵の束をチラ見しただけで医者は首を横に振る。
 しかし医者の横柄な態度に怒る玲璃ではなかった。何故ならこれこそが作戦。純金製の文鎮のように常春の兄と繋がる物証を確認するのが目的だったからだ。
「おっと、すまない」
「何をするんだお前は!」
 朱華は医者がよそ見をしようとするとわざと周囲の物を倒したりして注意を引く。医者がいらついて振り向くように何度もゆっくりと。
「まだまだお酒はありますよ〜」
「おっとっと」
 ルンルンはすかさず医者の湯飲みに酒を注いだ。こんなふざけた酔っぱらい医者に酌などしたくはないのだが、ここは常春のためと偽の笑顔を浮かべる。
「枝豆が茹で上がりました」
「早くしろよ」
 炊事場を借りていた伊崎紫音は酒のつまみとして枝豆を用意する。炊事場に物証が隠されていないかを確認したのも伊崎紫音だ。
「‥‥こんなところに」
 奈良柴が床板を外すと地面に半分埋められた壺を発見する。壺の中にパラーリアが見かけたと思われる書物が隠されていた。
 奈良柴はすぐさま常春に確認してもらう。
 書名は『妙体心草木』。泰国薬奥義の一冊と呼ばれ、春華王が代々引き継ぐものとされるものだ。
 世に存在してよいのは二冊のみ。春華王の手元以外に原本が宮殿の奥に収蔵されている。現春華王の常春も原本から写された一冊を所有していた。
 しかし今、常春が手にしているのは紛失されたはずの一冊。泰国の決まりでは本来存在してはならない品であった。
(「アス兄‥‥」)
 常春には兄がこの書物を望んで手放したとは考えられなかった。
 純金製の文鎮とは違った意味で貴重な品である。いくら王の立場が嫌で逃げ出したとはいえ、兄が泰国の威信を踏みにじるような真似をするはずがないと常春は思いたかった。
「子僧! 何を勝手に持ち出してやがる!」
「待った」
 医者が気づいて常春に駆け寄ろうとすると朱華が両腕を広げて立ちふさがる。追いついた伊崎紫音とルンルンが医者を羽交い締めにして動けなくする。
「お前等泥棒だな! 放せえぇぇぇ!!」
 さんざん暴れたものの志体持ちに敵うはずもなく医者はすぐに諦めた。
「失礼ですがこれはあなたのような立場の方が所有出来る書物ではありません。これは泰国の宝『妙体心草木』です。誰から手に入れたのですか?」
 常春が質問をしても医者はそっぽを向くだけだ。
「今わたしがしているのは泥棒のように非道な行いなのでしょう。ですがあなたもこれを手に入れる際に非道な真似をしたのでは?」
 常春が淡々と医者に問う姿に開拓者達は並々ならぬ覚悟を読みとった。温和な常春をここまでさせることなのだと。
 そして開拓者達はこの書物の正体を常春が知っているのかを不思議がる。知識としてそのような書物があるのを知っていたとしても、真偽を確かめられるほどの眼力をお茶問屋の御曹司である若い常春が持っているとは考えにくいからだ。
「ふん! 少し医学を囓った程度の子僧が偉そうに」
「この書物の持ち主はわたしに似た人物のはず。どうやって奪ったのです!」
「あのマヌケの血縁者か、お前は。やはり取り返しに来たのだな」
「やはり奪ったのですね」
 常春の顔を真っ直ぐに見ながら医者は高笑いをする。
「そうさ! 泰国薬を作って欲しいとお前に似た奴がやってきたんだ。大金をふっかけたら本当に持ってきやがった。そしてその書物を持って中に書かれた薬を作って欲しいと。確かめてみたら驚いたのなんの。幻の『妙体心草木』ときた。さんざん疑ってみたが間違いない。こいつは本物だぁ!!」
 常春は淡々とした表情で吐露する医者を見続けた。
 薬はちゃんと作って渡したが、書物は返さずに地元のチンピラを使って常春に似た人物を追い払ったという。
「ふん! お前達も終わりだ」
 医者が吐き捨てるように呟くと陽光が差し込んでいた窓が暗くなる。いつの間にか地元のチンピラ共が医者の家を取り囲んでいたのである。
 どこにも良い人がいれば悪い人もいる。この村も例外ではなかった。異変に勘づいたのだろう。
「やめた方がいいって。怪我するのわかっててやるのはバカがすることだし」
 奈良柴は常春を守るような位置取りをしながら一応チンピラ共に警告してみた。それで丸く収まるはずがないのはわかっていたが。
「痛い目にあわせてやれ!」
 チンピラの誰かが叫んで医者の家の中で大立ち回りが始まる。だが数分のうちに収拾した。十数人程度が武器を手に襲いかかったとしても開拓者達にとっても物の数ではないからだ。
「これ以上は本意ではありません。あなたに薬を作って欲しいと頼んだ人物について教えてください」
 怯える医者に常春は質問を再開するのだった。

●兄の棲家
 観念した医者は連絡場所として兄と思われる人物が住む家を知っていた。常春一行はそこへと向かう。森の簡素な小屋にはもう誰一人として住んでいなかった。
「これは‥‥おもちゃか?」
 朱華が拾い上げたのは木彫りの動物。
「こっちには服が残っています。子供用みたいですけど」
 ルンルンが広げた服は確かに子供用だ。
「作ってもらったお薬はお二人の子供のためだったのでは? 確か熱冷ましだと医者はいっていましたよね」
「あたしもそう思うよ〜。そうでないと大事な品を手放したりしないよ、きっと」
 玲璃とパラーリアは常春の兄と女官との間に子供がいるのではと想像する。病気になった子供のために薬が必要だったのではと。常春も同じ考えに行き着いた。
 果たして子供が病から治ったのかはわからないが、周囲に墓らしきものは見あたらなかった。
「こんなものもありました。枯れ葉ではないように見えますけど」
 伊崎紫音は乾燥した草木の欠片を発見する。兄と思われる人物は薬売りの行商をして生計を成り立たせていたようだと常春が呟いた。
「薬売りなのに医者に薬を作ってもらっていたら‥‥おかしいじゃん」
「きっとあの医者が足りない薬の元を持っていたんでしょう。泰国で学んだことがあるといっていましたから」
 奈良柴のもっともな疑問に常春が答えた。
 兄と思われる人物は当初、薬の原材料を求めてきたと医者が白状している。医者が断ったので仕方なく用意してきた大金と妙体心草木を手渡したらしい。妙体心草木については返してもらう約束だったのだが医者はチンピラ共に脅させてそうしなかった。これが真相である。ちなみに妙体心草木は現在常春の手元だ。
 停泊中の春暁号に戻った一行は操縦室で休憩する。パラーリアが用意したハーブティとお饅頭で。
「お味噌を買っていった女性が奏生で行われる豊穣感謝祭を気にしていたって店の人から聞きましたよ」
 伊崎紫音が語った女性とは常春の兄と駆け落ちした人物と思われる。
「坊ちゃんその女性、遠出をする準備もしていたみたいです。きっと奏生に向かうつもりだったのでは?」
 ルンルンも想像力を働かせる。
 秋は実りの時期。各地で収穫祭が行われる。理穴の首都、奏生では『豊穣感謝祭』が毎年開催されていた。九月下旬から十一月の始めまで奏生は市で賑わう。
「アス兄も奏生に行っているかも知れないね」
「常春クンのお兄さんが薬草に詳しいなんて知らなかったのにゃ♪ もしかしてそれが駆け落ちした理由なのかな?」
 常春はパラーリアに答えようとして一旦口を開くものの噤んだ。しかし覚悟を決めた表情を浮かべる。
「趣味で薬草に興味を持っていたけど‥‥違うんだ。アス兄は春華王だったんです」
 常春が放った突然の言葉。
 開拓者達は何度か頭の中で反すうしてようやく理解する。正確にいえばこの時点では誰も半信半疑であった。
「常春さんの兄が春華王? 春華王って泰国のあの春華王だよな」
 首を傾げる朱華に常春が頷いた。
「この書物は春華王だけが持つのを許される品の一つです。純金製の文鎮と同様にアス兄が駆け落ちの際に持っていったのでしょう‥‥」
 常春が書物『妙体心草木』を開いてある頁を見せた。そこには力強い春華王の花押が書かれてあった。
「それだと常春様が今の春華王ということになりませんか?」
 玲璃の質問に常春は「そうです」と強く頷いた。
「えっ‥‥えーっ!」
 ルンルンはあたふたとして意味もなく目の前にあった湯飲みを手にとったり、置いたりする。
(「わわわ、坊ちゃん素敵だと思ってたけど、ほんとに王子様だったのです!」)
 泰国のいろいろな場所に飾られている春華王の肖像画に常春がよく似ているとは思っていた。しかし本当にそうだとは夢にも思っていなかったのである。
「びっくりだにゃ‥‥」
 パラーリアは目を丸くして驚きながらも常春の手をとった。
「きっとお兄さんも女官さんも子供さんも元気だよ〜」
「うん。きっと奏生に向かっているよね」
 パラーリアの優しさに常春は笑顔の瞳に涙を浮かべる。
 物音が聞こえて常春が後ろを振り向くと伊崎紫音が膝を床につけて礼をしていた。
「知らぬ事とは言え、今までのご無礼、どうか御許し下さい」
「い、いや、別に無礼とかそういうのないし。いつものようにして欲しいんだ」
 常春は頭を下げる伊崎紫音をやめさせる。
「お兄さんを追いかけて奏生にいく?」
「さすがに今回は時間が足りないかな。宮殿に身代わりはいるけど、あまり長く空けるわけにもいかないからね」
 いつもと同じような態度で接してくれた奈良柴に常春はほっと安心した。
 この後、丹澪の招福号と別れて春暁号は帰路に就くのだった。