†無限蝶々〜狂気の蝶〜†
マスター名:霜月零
シナリオ形態: シリーズ
EX
難易度: 難しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/31 02:20



■オープニング本文

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「鳩羽、さっさと正気に戻るのよ!」
 恋華が鳩羽に活を入れる。
 蝶の羽を失い、けれど正気も失っている鳩羽は、上級アヤカシ燐蝶祝の呪縛から抜け出せない。
 鳩羽の橙色の瞳が、赤く濁る。
「恋華、はなれて……っ」
 黒目がちな瞳に涙をためて、桜狐が符を放つ――恋華と鳩羽を切り裂くように。
「なぜっ」
 リィムナが叫ぶが、桜狐の判断は正しかった。
 桜狐の放った符は小さな狐の姿を模して、鳩羽をその場に捕らえた。
 直後、鳩羽から放たれたのは、真っ白な光り。
 精霊砲は恋華をかすめ、赤い森を突き抜けてゆく。
 もしも桜狐が拘束しなかったら。
 精霊砲は恋華を貫いていただろう――燐蝶祝の敵として。
「だめだよ鳩羽さんっ、ここにいるのはあなたの仲間なんだよ?!」
 叫びながら、リィムナは即座に呪いをかけた。
 鳩羽にではない。
 彼女を操る、燐蝶祝にだ。
 何もない空間、何も存在しえない場所に、けれど確かに視認出来ない存在が燐蝶祝に襲い掛かる。
 だがそれは彼の身体から湧き出た黒赤の蝶によって阻まれた。
 燐蝶祝の代わりに呪われた蝶は、びくりびくりと空で振るえ、そして瘴気を血の様に吐き散らして千切れた。
(「身代わりも作り出せるということか? 厄介な」)
 劫光が燐蝶祝を守るべく集まりだした赤い蝶を、式の狐で払いのける。
 そしてイリスは詩を紡ぐ。
 ゆっくりと紡がれる歌声は、この深い瘴気の中でも精霊達を揺り起こす。
 ふっと。
 燐蝶祝がその細い瞳を開いた。
 禍々しい瞳は、開拓者達二人を繋ぎ止める。
「こ、この光は、振りほどけません……恋華っ……」
「何が起こっているのでしょうか……白霊弾が使えません……」
 桜狐は恋華に助けを求め、銀髪の巫女は自身の能力が使えなくなったことに動揺を隠せない。
 赤い燐光は鎖のように二人を繋ぎとめ、引き千切る事も掴む事も出来ない。
 能力を使えなくするのか――そう皆が認識した瞬間。
「はうっ……?!」
「桜狐?!」
 なんとか赤い燐光から逃れようと足掻く桜狐の手の平から、白霊弾が放たれたのだ。
 その能力は、銀髪の巫女のもの。
 互いの能力が入れ替わっているのだ。
 大技を放つその瞬間にこの燐光に繋がれたら……。
「鳩羽様を奪わせはしません、貴方には消えて頂きます!」
 マルカの剣が、燐蝶祝を消しにかかる。
 だがその剣も、黒赤の蝶が身代わりに。
(「何か弱点はないのか? 無限に身代わりを作れるのであれば、この森に留まっていた理由は?」)
 長い黒髪の青年が、周囲に目を凝らす。
 近くの景色がぼやけ、その代わり、遠くの景色が鮮明さを増してゆく。
 その瞳に捕らえたのは、黒赤の楔。
 楔は円を描くように8本、地面に突き刺さっている。
 人一人が丁度入れる程度の円だ。
 その円は燐蝶祝を囲うように、合計4箇所に設置されている。
 黒髪の青年は、その黒赤楔の円の一つに飛び込んだ。
「くっ……っ」
 瞬間、身体中を無数の虫が這いずるかのような幻覚と、電流を流されたような衝撃で拘束された。
 練力が流れ出ていくのがわかる。
 動く事が出来ない青年に、榛色の瞳を鋭く光らせたシノビの青年が、苦無を数発、燐蝶祝に放った。
 その攻撃は無論、ただの牽制。
 燐蝶祝が避けることを想定、もしくは望んだ事だ。
 榛色の青年と黒髪の青年が予測したもの。
 それは――。
 燐蝶祝はそれまでの攻撃を全て黒赤の蝶に肩代わりさせていたにもかかわらず、苦無だけは避けた。
 黒赤の蝶は出現せずに。
(「やはりか」)
 拘束が解けた黒髪の青年は、痺れの残る身体をその場から動かさない。
(「この場所に留まり続ければ、あるいは。だが……」)
 留まり続ける事が困難であるのは、自身の身体が告げていた。
 もって、二回だ。
「†友†」
 桜狐による拘束が解けた鳩羽が呟き、白く輝く。
 溢れる光は黒髪の青年を、そして手の平から血を流し続けていたリィムナを、大切な皆を癒す。
「鳩羽っ、正気に」
 戻ったのね?
 そういいかけた恋華は、ぎりっと奥歯をかみ締めて言葉を止める。
 再び鳩羽の瞳が赤く濁ったからだ。
「鳩羽さんを取り戻すには、やっぱりあいつを倒すしかっ」
 リィムナが再び呪いを放つ。
 ぶわりと。
 開拓者達を迎え撃つように、赤い蝶が舞い散る。
 視界が赤く染まってゆく。

「蝶を、返してもらうよ?」
 燐蝶祝が薄く笑う。

 ――長い、永い、戦いの幕が、いま切って落とされる。


________________________________________________


【敵能力】

●黒赤蝶
 体長30cm程度。
 燐蝶祝の身体から出現。
 全ての攻撃を無効化する。
 一撃で消えるか、数撃で消えるかは不明。

●黒赤楔円
 燐蝶祝を囲むように、4つ、設置されている。
 一つの円は8本の楔で作られている。
 開拓者が中に入ると、1タ−ン全ての行動を停止させられる。
 2タ−ン目からは自由意志で出入り可能。
 但し、全身に麻痺が発生。
 麻痺は円から出ても数タ−ン持続。

●下級アヤカシ『粉蝶』
 スキル:幻覚、混乱使用
 数無数。
 決して強い敵ではありませんが、数タ−ンに一回、視界を塞ぐ程に発生。
 幻覚は抵抗力が下がっていなければ、まず発動しないでしょう。
 ですが黒赤楔円に入っている時は、その限りではありません。

●上級アヤカシ『燐蝶祝』
 蝶の羽根を持つアヤカシ。
 飛行能力はあるが、高空へは飛ばない。
 頭部にある触覚は二本。
 15m以上鞭のように伸びる。
 蝶をこよなく愛す。
 鳩羽を半支配下に置く。

 幻覚(強)使用。
 特殊スキル
『蝶の芽』
 敵に植え付ける蝶の種。
 植えつけられた種は敵の体で育ち、支配する。
 植えつけられた場所から蝶の羽が出現、体内には根が伸びてゆく。
 育つ前なら引き抜く事が可能だが、激痛を伴う。 
 直ぐに処理出来なかった場合、タ−ン毎に成長してゆき、10タ−ン後には完全に取り除くことは不可能になる。
 
『燐光赤』
 開拓者のうち2名を赤く光る燐光が繋ぐ。
 繋がれている間、2名のスキルが入れ替わる。
   


■参加者一覧
レヴェリー・ルナクロス(ia9985
20歳・女・騎
浅葱 恋華(ib3116
20歳・女・泰
綺咲・桜狐(ib3118
16歳・女・陰
マルカ・アルフォレスタ(ib4596
15歳・女・騎
リィムナ・ピサレット(ib5201
10歳・女・魔
高崎・朱音(ib5430
10歳・女・砲
ファムニス・ピサレット(ib5896
10歳・女・巫
戸隠 菫(ib9794
19歳・女・武


■リプレイ本文

●心、いまだ捕らわれて
 レヴェリー・ルナクロス(ia9985)が赤の森へ駆けつけたのは、友人の為だった。
 捕らわれていた鳩羽ではない。
 その妹の朽黄だ。
『おねぇちゃんがねっ、お寺に戻ってないみたいなんだよ……』
 そう相談を受けたのは昨日の事。
 親友の高崎・朱音(ib5430)と朽黄の勤める遊郭の露甘楼へ、仕事帰りに遊びに行った時だった。
 こんな時に限って露甘楼では朽黄目当ての上客が来ていて、朽黄は身動きが取れなかった。
「汝の分までレヴェリーと働いてくるでの、汝は自分の勤めをきっちりと果たすがよいぞ」
 力強く請け負う朱音に、いつも元気な朽黄らしくもなく殊勝な表情だったのは、この現状―― 姉が上級アヤカシに捕らわれている事を心のどこかで察していたからか。
(「……あの娘の泣き顔なんて、見たくないからね」)
 レヴェリーは思う。
 間に合って良かったと。
 もっとも、諸悪の根源たる上級アヤカシ燐蝶祝は、悠然とこの場の支配者として君臨しているわけだが。
 新たに現れた開拓者に、燐蝶祝は軽く舌打ちをする。
 その身体から、四匹の黒赤蝶を瞬時に生み出した。  
 そして駆けつけたのはレヴェリーと朱音だけではない。
 戸隠 菫(ib9794)もだ。
(「あたしが少しでも力になれるようなら、それも縁だよね」)
 鳩羽の事を知らずとも、マルカ・アルフォレスタ(ib4596)やリィムナ・ピサレット(ib5201)から話は聞いていた。
 時間の猶予がないことも、敵がそう易々と片付けらる相手ではないことも。
 それでも、大事な友人達が助けようとしている鳩羽を、見捨てる事など出来ようはずもない。
「リィムナ姉さん。さっきの状態をみましたよね」
 ファムニス・ピサレット(ib5896)が双子の姉に目配せする。
「ファムの持ち技は把握してるよ。あとマルカと恋華、それに桜狐と菫も!」
 リィムナは妹が何を言わんとしてるのかを察し、即答する。
 燐蝶祝の使う淡い光りの鎖―― 燐光赤に繋がれれば、自分の技は使えなくなり、繋がれた相方の技を使うことになる。
 そして誰がどの技をいま使えるのか、それを相談する時間などありはしなかった。
 燐蝶祝が合図したのか、それとも、無限に湧き出すのか。
 赤い蝶が、開拓者達の視界いっぱいに沸きあがる。
「待っていてくれる相手ではありませんよね。我がアルフォレスタ家の名にかけて」
 言いかけて、一度、マルカは口をつぐみ、キッと、赤い瞳を燐蝶祝へ向ける。
 赤い蝶よりもさらに赤いマルカの瞳は、決意に煌めく。
「いえ。このわたくし自身の、誇りと、鳩羽様への思いにかけて。必ずや取り戻します、大切な友人を!」
 白銀の穂先を煌めかせ、マルカはグラーシーザで薙ぎ払う。
 自身の身長よりも遥かに長く大きいグラシーザを、全ての蝶を吹き飛ばすかのように。
 まだ燐蝶祝そのものを攻撃はしない。
「蝶、蝶って好い加減にしなさいよ害虫が!」
 浅葱 恋華(ib3116)が叫び、そのまま、黒赤楔円へ飛び込む。
 迷いはなかった。
 大切な鳩羽を助ける為だから。
「鳩羽は、蝶なんかじゃない。鳩羽には、鳩羽っていう、唯一無二の名前があるんだからね!」
 前半は、燐蝶祝に。
 後半は、鳩羽自身へも向かって、恋華は叫ぶ。
 虚ろな瞳の鳩羽が、すこしでもこちら側にもどれるように。
「負けるわけには……いかないのです……」
 恋華と同じように、綺咲・桜狐(ib3118)も黒赤楔円へ飛び込んだ。
 恋華とは別の物にだ。
 桜狐の身体をおぞましい感触が覆う。
 叫びたくなるような不快感。
 そして、流れ出てゆく練力。
「耐えるのよ、桜狐!」
 同じ思いをしているであろう恋華が、気丈に叫ぶ。
「ん、絶対今回で、全てに決着を付けます……」
 膝をつくと思われた桜狐だが、耐え抜いた。
 普段のおっとりとした印象からかけ離れた、強い表情が垣間見える。
「みんな、頼んだわよ! あの忌々しい顔を、私達の分までぶっ飛ばして頂戴!」
 本当なら、自分こそがいの一番に燐蝶祝を殴り飛ばしたかったであろう恋華が叫ぶ。
 レヴェリーが朱音を背に庇い、リィムナをファムニスが庇う。
 燐蝶祝の身体から、黒赤蝶が二匹、出現する。
「†マルカ†」
 鳩羽がマルカの為に、その行く手を阻む黒赤蝶を一匹、精霊砲で粉砕する。
  

●絶対防御
「蝶でもないモノがこの場所に足を踏み入れたことを、後悔させてあげるよ」
 くつくつと笑いながら、燐蝶祝は暗い光りを放つ。
 燐く光る赤い鎖が菫とレヴェリーを繋いだ。
 燐蝶祝への攻撃を繰り出そうとしていた菫は即座に距離をとる。
(「恋華さんと桜狐さんが黒赤楔円に入っている間に、攻撃したいけど」)
 攻撃出来る時に攻撃を与えておきたい菫だが、レヴェリーの技がわからない。
 だがそこで立ち止まる彼女ではなかった。
 燐蝶祝への攻撃ではなく、それを阻む黒赤蝶へと狙いを変える。
 振り上げた天輪棍は、黒赤蝶を叩きつける。
(「あれ? あんまり手ごたえがない」)
 渾身の力で振り下ろしたから、無傷ではない。
 けれど入った感じもないのだ。
「あなたは防御に回って頂戴! 私と繋がれている今なら、最強の防御力を発揮できるわ」
 レヴェリーが叫び、菫の代わりに黒赤蝶へ走る。
「ならレヴェリーさんは士気を高めて印を結んで! レヴェリーさんと相性の良い精霊が、力を貸してくれるんだよっ」
 後衛の朱音とリィムナ、そしてファムニスが狙われた場合直ぐに動けるように、菫は立ち位置をレヴェリーのように変更する。
 走りながらレヴェリーは頷いて、意識を集中する。
 朽黄でも鳩羽でも燐蝶祝でもなく、黒赤蝶へ。
「この地にもいるはずの精霊達よ、私に力を貸しなさい!」
 レヴェリーの大胆な要求に、精霊達は力でもって答える。
 流れ込む精霊達の力を感じ取りながら、レヴェリーは神槍「グングニル」と自らの腕で印を刻み、そのまま黒赤蝶へと白銀の穂先を突き刺した。
 だが黒赤蝶は消えない。
 常よりも強力な力を得ているとはいえ、ただ槍を突き刺すだけでは致命傷を与えることが出来ない。
(「本当に厄介な攻撃なんだよ。せめて誰と誰が繋がれるか事前にわかればいいのに」)
 レヴェリーをよくよく観察し、持っているであろう技を想定し、菫は動く。
 燐蝶祝が放つ触角を、菫は天輪棍でせき止めた。
 レヴェリーの技を、不慣れながらも徐々に使いこなしていく。
「二人の行動を無駄になどしませんわ」
 誓いを胸に、マルカはグラーシーザと一体となって敵に向かう。
 漆黒のオーラはその軌跡を槍に変え、燐蝶祝を貫く。
 だがその攻撃は黒赤蝶によって打ち消された。
 黒赤蝶を生み出すのに必要な楔の結界は四つ。
 一匹でも黒赤蝶が残っているのなら、ダメージは一切通らないのだろう。
(「黒赤楔円に人が入っていても、既に出現した黒赤蝶は無効にはならないのですね」)
 燐蝶祝にダメージを入れることが出来ずとも、燐蝶祝の身代わりとなった黒赤蝶はマルカの強力な一撃で瘴気へと還って逝く。
 恋華と桜狐の犠牲だけでは黒赤蝶は止めきれない。
 ふわりふわりと、四匹の黒赤蝶はこの状況を楽しむように漂う。
 それを見たレヴェリーの行動は一つだった。
 燐光赤に繋がれたまま、黒赤楔円に飛び込んだ。
「これで残るは一つよ。今いる黒赤蝶を消せば、もうそいつは一匹しか作り出せないはずだわ」
 皮膚の中まで虫が這いずり回るかのような感触に冷や汗を零しながら、レヴェリーもまた、屈しはしない。
「下手な鉄砲も数撃てばあたるっ、小さなダメージだって塵も積もればなんとやらっ」
 リィムナが黒い呪いを連撃する。
 この世ではない、どこかから呼び出したナニカ。
 決して人の目には触れえぬそれが、燐蝶祝に何発も放たれる。
 もしも目に見ることが叶うのならば、燐蝶祝をいくつものおぞましき存在が絡めとり、あちらの世界へ連れ込もうとするのを見れただろう。
 そして同時に、黒赤蝶がそれらを自らに呼び込み、阻み、そして消えて逝くのも。
「恋華さん、どうぞ飲んでください。動けずとも、話すことが出来るなら、飲み込む事もできる筈です」
 ファムニスは一番側の黒赤楔円に入っていた恋華に、梵露丸を渡す。
 黒赤楔円に入った二人から、多量の練力が流れ出ているのが感じ取れた。
 わかっていても、ファムニスにその練力の流れを止める事はできない。
 けれど補う為に協力することは出来るのだ。
「どうせなら汝と我を繋げばよいものを。さすれば汝を汝の技にて仕留めてやろうというもの」
 朱音が燐蝶祝を挑発気味に嗤い、その巨大な魔槍砲「翠刃」から光りを放つ。
 貯められた練力は渦巻く光りの刃となって風を切り、黒赤蝶を、燐蝶祝を、狙い撃つ。
 散り散りに刻まれてゆく赤い蝶と、瘴気に還って逝く黒赤蝶。
「蝶でないモノは、地を這うといい。醜い芋虫のようにね」
 燐蝶祝の手の平から、蝶の芽が放たれる。
「止める方法はいくらだってあるんだよ。例えばこの天輪棍でもねっ」
 菫が朱音と燐蝶祝の間に割って入り、天輪棍を構える。
 さながら盾のように。
 菫に埋め込まれるはずの蝶の芽は、菫から立ち上るオーラに阻まれて、弾かれた。
 全ての攻撃を無効化するスィエーヴィル・シルトだ。
 燐光赤に繋がれたレヴェリーが黒赤楔円に入っていても、彼女の技は使えるようだ。
(「大丈夫、繋がれてたって、戦い続けてみせるんだから」)
 菫は伊達に数多のアヤカシと対峙してはいないのだ。
 臨機応変に動けなければ、これまで生き残れているはずがない。
「†燐蝶祝様†」
 鳩羽の瞳が赤く濁る。
 その直後、鳩羽の全身から衝撃波が迸る!
 強烈な衝撃波は鳩羽の周囲にいた開拓者全員をその場から吹き飛ばす。
 無論、黒赤楔円の中で一切の行動を封じられていた恋華と桜狐、そしてレヴェリーまでも。
「僕の蝶。実に愛おしいよ」
 燐蝶祝が、高らかに笑いながら黒赤蝶を生み出す。


●その想いは誰に
 再び六匹に増えた黒赤蝶。
 ひらひらと開拓者達を嘲笑うかのように、燐蝶祝の周囲を舞う。
 このまま増え続ければ未来がないのは明白だった。
「どうか、もってくださいっ」
 ファムニスから溢れた光が、鳩羽から受けた皆の傷を瞬時に回復する。
 だが、全ての傷を、体の異常を、治せるわけではない。
「この程度の苦しみ、どうって事ないわ……鳩羽が、元に戻ってくれるなら!」
 麻痺の残る身体で、恋華は溢れ出した赤い蝶に崩震脚を叩き込む。
 威力は常のそれとは違えど、赤い蝶などに防げるものではない。
 赤い蝶はバラバラと紙のように脆く崩れ去る。
「何度でも……中に入り続けます……恋華と共に、皆と共に、帰るまで……」
 桜狐が這うように、身体を引きずりながら黒赤楔円へと進む。
「無理しちゃ駄目っ。連続でその中に入り続ければ桜狐さんが消えちゃう。鳩羽さんも壊れてしまいますっ」
 ファムニスが桜狐に駆け寄り抱きしめる。
 癒す事はもちろんの事、桜狐を止める為に。
(「拙いね。糞虫ぶっ潰す前にあたしたちがやられちゃう。鳩羽さんを正気に早く戻さないと」)
 リィムナは、再びこの世ならぬモノたちを呼び出し、勝ち誇った表情の燐蝶祝に浴びせかける。
 その攻撃が燐蝶祝にいまは効かなくとも、決して無駄にはならない。
 黒赤蝶を減らせるのだから。
 橙の瞳にもどった鳩羽が、自分がいましたことに絶望しているのを、マルカが叫び、正気に留める。
「鳩羽様、我々は決してそんな奴には屈しません。この程度の事で絶対に死んだりしません!」
 燐蝶祝が笑いながら放つ触角を、マルカは一閃で叩っ斬る。
 切れたように見えて、その実、黒赤蝶の翅が千切れた。
 地べたを這う黒赤蝶はまだ瘴気には返らず、燐蝶祝はマルカに燐光を放つ。
 繋がれた先には、恋華。
 そしてレヴェリーと菫を繋いでいた燐光赤が途切れた。
「直ぐに円から出れば麻痺も残らないのね。私を自由にした事を後悔させてあげるわ」
 純白の盾を構え、そのままレヴェリーは燐蝶祝に一気に突っ込んだ。
 ダンッ……!
 燐蝶祝の身体にレヴェリーの身体が突き当たる。
 瞬間、黒赤蝶が一匹、瘴気へと還り消えて逝く。
 そして燐蝶祝は軽い舌打ちと共に、レヴェリーの肩を掴み蝶の芽を放った。
 完全な至近距離。
 スィエーヴィル・シルトはもう使えなかった。
 盾で防ごうにも防げるものではなく、肩を捕まれているレヴェリーに避ける術もない。
 レヴェリーの身体に蝶の芽が入る、まさにその瞬間。
 世界が止まった。
 燐蝶祝も、黒赤蝶も、燐蝶も。
 開拓者達ですら動きを止める―― ただ一人、リィムナを除いて。
 時の止まった世界で、リィムナは異界から呼び出した影達に命ずる。敵を、蝶の芽を、消し去れと。
 今まさにレヴェリーの胸を貫きその身に根を生やそうとしていた蝶の芽は、レヴェリーを一ミリたりとも傷つける事無く瘴気へと還された。
「……っ!」
 時が動き出した瞬間、レヴェリーは即座に下がる。
 何が起こったのか、皆解らなかった。
 胸に蝶の芽はなく、燐蝶祝も目を見開いている。
 ただ一人、リィムナだけは攻撃の手を緩めない。
 わかっているからだ。
「どんなに湧き出ても、あたしがぶっ潰す!」
 何度でも何度でも何度でも。
 この世ならざるモノたちを呼び続ける。
「ん、それならば、氷龍も蝶を食い尽くすのです……」
 リィムナに合わせる様に、桜狐が氷の竜を作り出す。
 この世ならざるモノと符から生み出された氷の竜が混ざり合い、相互に影響しあって氷と影の欠片を舞い散らせながら、黒赤蝶に喰らいつく。
「身代わりごと攻撃……とは行きそうにないのぉ。じゃが、無限に身代わりを出し続けることも出来なさそうじゃ」
 練力を貯め続けた朱音が、再び魔砲「メガブラスター」を放つ。
 残る蝶は一匹。
 そして菫は一瞬、その青い瞳を閉じる。
 常に力を貸してくれた精霊達が、再び菫に集うのを感じる。
「みんな、いつもありがとう。キミたちの力をまた貸してもらうんだよ」
 黒光りする天輪棍を、黒赤蝶に叩きつける。
 自分自身の技を取り戻した菫は、確かな手ごたえにウィンク。
 全ての黒赤蝶が消え去った。
「†恋華†」  
 鳩羽が愛しい友の名を呼ぶ。
 そして奏でる友への想いは、そのまま皆への癒しと変わる。
 燐蝶祝の頬が引きつった。
「僕の蝶を穢すな。芋虫共」
 邪悪な瞳を、カッと見開いた。 
 

●幻覚と現実と
 恋華は、我が目を疑った。
 いつの間にか、恋華は寺院にいたのだ。
 見慣れたその場所は、鳩羽の勤める場所だった。
「†恋華様、私の手料理は如何ですか†」
 鳩羽が手料理を庭に持ってくる。
 庭。
 そこは、以前恋華が鳩羽に料理を教えた事もある。
 けれどそれは子供達や開拓者で大勢の人であふれた為で、本来庭は食事を取るべき場所ではないはずなのだが。
「鳩羽、無事、だったの……?」
「†何の事ですか?†」
「あの忌々しい燐蝶祝よ! 鳩羽を捕らえて……」
「†私なら、皆様と恋華様が助けてくれたではありませんか†」
 鳩羽が心配気に恋華を覗き込む。
(「そう、だった……? あの時、私達は鳩羽を助け出せた……?」)
 記憶が混濁していた。 
 思考が上手く纏まらず、薄気味の悪い違和感だけが恋華を取り巻いた。
「†きっと、疲れが出たのでしょう。美味しい食事を取れば、きっと直ぐに良くなりますわ†」
 鳩羽が薄く微笑みながら、恋華に手にした器を差し出す。
 なぜだろう。
 恋華は、その器を手に取りたくなかった。
 枯山水を壊すように、恋華はじりじりと後ろに下がる。
 けれど鳩羽はそんな恋華に器を突きつけた。
 ぞわりとする感覚に抗いながら、恋華は青い瞳を器に落す。
「こ、これは……」
 漆喰の器に盛られたモノ。
 それは、何かの耳と尻尾。
 銀色に光り、柔らかくて、ふさふさとしていて。
「桜狐!!」
 恋華は鳩羽を通り過ぎ、寺院へと乗り込む。
 開け放った襖の向こうに見たもの。
 それは――。
 血に塗れ、腸を引きずり出され、耳と尻尾を千切られた桜狐の姿。
 畳みを血で黒く染めながら、光を失った桜狐の黒い瞳が、恋華を見つめていた。
「桜狐、桜狐、いやあああああああああああああっ!」
 泣き叫ぶ恋華を、鳩羽が高らかに嘲笑う。  


 朱音が気がつくと、露甘楼に佇んでいた。
 目の前には、涙で顔をくしゃくしゃにした朽黄が。
「どうして、おねぇちゃんを助けてくれなかったの……」
「何の事じゃ?」
「おねぇちゃんを、鳩羽おねぇちゃんを、助けてくれるって言ったじゃない!」
 どんっ!
 朽黄が、渾身の力で朱音を突き飛ばす。
 突然の出来事に、朱音はよろめいた。
「待つのじゃ、朽黄、これは一体何が起こっておるのじゃ。我は今まさに、汝の姉を助けておったはずじゃ」
「嘘つき! おねぇちゃんも、レヴェリーも、みんなみんな、死んじゃったじゃないっ」
 どんどんどんっ!
 朽黄が激しく朱音を叩く。
(「何がどうなっておるのじゃ。……くっ、思考が纏まらぬっ!」)
 朽黄を叩き返す事は出来ず、朱音はどんどん後ろに押されてゆく。
 その踵が、床に落ちている何かに躓いた。
 ぐちゃりと柔らかく、生暖かいそれに朱音は背中から倒れこむ。
 見なくは無かった。
 鼻をつく異臭は、戦場で常に嗅ぎなれたもの。
 鉄錆の臭い……。
 朱音の瞳が、何の上に自身が倒れこんだのかを視認する。
「レヴェリー……何故じゃ、何故なのじゃ!」
 全身を刻まれ、既に息途絶えたレヴェリーの上に、朱音は倒れこんでいた。
「解せぬ、そなたほどの者が何故……っ」
「嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つきぃいいいいいいっ!」
 朽黄が朱音に圧し掛かり、その首に手を伸ばす。
「朽黄、止すのじゃっ……!」
「許さないんだよ」
 顔は泣いているというのに、朽黄はケタケタと楽しげに笑い続ける。
 
  
●正気を保って
(「そう言えば、この戒己説破には随分と助けられてきたなあ」)
 燐蝶祝の気配が変わったあの瞬間に、菫は印を結び、強く瞳を閉じていた。
 無論、瞳を閉じただけで燐蝶祝の幻覚を防げたわけではない。
 精霊達の力を借りて体内を満たし、外部からの干渉を全て意図的に遮断した結果だ。
「何度粗悪な幻覚を見せられても、お父様とお母様の死に様にわたくしが我を忘れることなどありえません。お父様とお母様を失ったあの日から、わたくしは何度も何度もお二人の無念を夢に見てきたのですから」
 マルカの体から漆黒のオーラが立ち上る。
 常のそれよりもさらに濃く暗く。
 深淵を覗き込むかのような深い色合いは、燐蝶祝に見せられた家族の死に、惑うことはなくとも怒りが込み上げているからだろう。
「恋華さん、気を確かに。大丈夫です、皆さん無事ですっ」
 突然叫び、暴れだした恋華をファムニスが抱きしめる。
 そのまま印を結び、ファムニスは術を唱える。
 恋華が藍色の光に包まれた。
(「力が強すぎます。でも、押さえきってみせます!」)
 170cmの長身を誇り、強力な攻撃力を持つ恋華を、100cmちょっとしかないファムニスが抑えるのは困難だった。
 けれど暴れる恋華は、ファムニスを殴りはしなかった。
 燐蝶祝の幻覚に囚われていても、心のどこかで仲間を感じているのかもしれない。
 それとも、強いプライドが、どんな状況下に置いても仲間を傷つけることをよしとしないのか。
 藍色の光りが弱まり、恋華の青い瞳が焦点を結ぶ。
 自分を必死に抱きとめ、見上げてくるファムニスを見て、恋華は悟った。
 今何が起こっていたかを。
「手間をかけさせたわね」
 ファムニスを軽く抱きしめ、燐蝶祝により一層の怒りがこみ上げる。
「よりによって、桜狐の死に様を見せつけてくれるなんてね!」
 無論、桜狐は無事だった。
 朱音を攻撃する燐蝶祝に、氷龍で攻撃を繰り出す。
「朱音さんを……離すといいのです……」
 恋華と同じく幻覚に惑わされた朱音は、燐蝶祝の触覚に首を締められていた。
「鳩羽様、負けないで! 共に帰りましょう、わたくし達の世界へ!」
 再び瞳が赤く濁りだす鳩羽に叫び、マルカは一瞬で燐蝶祝との間を詰める。
 それは、恋華の瞬脚。
(「恋華様と繋がれたのは、不幸中の幸いです!」)
 マルカは覚えていた。
 共に戦ってきた恋華の技を。
 仲間達に目配せし、祈りをこめたマントをなびかせて、マルカはそのまま大きく足を踏み出した。
 瞬間、大地を伝う凄まじい衝撃波!
 燐蝶祝はもちろんのこと、仲間達までもがその衝撃波に晒される。
 だがそれは想定内。
 菫は既に覚戒を唱えていたし、桜狐は治癒符を空に放ち、レヴェリーは正面から盾で衝撃波を受け止めた。
 そしてファムニスの身体からは眩い光が迸り、仲間達の傷を一瞬で消し去った。
 まるで最初から衝撃波などなかったかのように。
 吹き飛び、森の木々に背を打ちつけられる燐蝶祝。
 朱音を捕らえていた触角が外れ、美しくも禍々しい翅は無様に折れた。
「芋虫の分際で、僕の翅にっ!」
 燐蝶祝の手から、次々と蝶の芽が放たれる。
「弾き飛ばしますっ、この、盾で!」
 ファムニスはその背に背負っていた盾を掲げ、恋華を背に庇い蝶の芽を防ぐ。
「当然の事」
 レヴェリーもファムニスと同じく盾で防ぐ。
 蝶の芽は体内に入り込めば恐ろしい威力を発揮するが、体内への進入さえ許さなければ威力はさほどでもないのだ。
 そして恋華は、その拳を槍の様に振り下ろす。
 マルカが恋華の技を使えるように、恋華もマルカの技が今なら使えるのだ。
 瞬間、恋華の前方180度に衝撃波が迸り、彼女と、彼女の後ろにいた朱音に放たれた蝶の芽が吹き飛んだ。
 皆、それぞれがそれぞれの方法を持って、蝶の芽を防いだ―― ただ一人、マルカを除いて。
「マルカ!」
「問題ありませんわ! これしきの事、友の為なら!」
 マルカは肩に咲く蝶の翅を、ものともしない。
 避けなかったのは、黒赤蝶のいない今、燐蝶祝へ攻撃を通す為!
 マルカのグラーシーザは真っ赤に燃え上がる。
 それは精霊の力で満たされた鳳凰の炎。
「共に、帰る為に。この一撃に想いを!」
 マルカのグラーシーザが燐蝶祝を貫く。
「ぁがぁっ!」
 貫かれた腹を押さえ、燐蝶祝が呻く。
 マルカと恋華を繋ぐ燐光赤が途切れ、視界を覆うほどの赤い蝶が出現した。
「†リィムナ†」
 鳩羽が赤い蝶をすべて吹き飛ばし、消し去った。 
  

●想いは今ここに
 何度、繰り返しただろう?
 黒赤蝶を何匹も召喚され、見たくもない幻覚に苛まれ。
 鳩羽は開拓者と燐蝶祝の間で揺れ動く。
 それでも、徐々に鳩羽が正気に近づいているのは決して気のせいではなく、彼女を想う仲間達の尽力のお陰だった。
 そして燐蝶祝が動くより早く、桜狐と恋華、レヴェリー、そしてファムニスが黒赤楔円に飛び込んだ。
 ファムニスは本来、その中に飛び込む予定は無かった。
 けれど飛び込んだのは、姉の、リィムナの技を全て通す為。
「リィムナ姉さん、全てを終わらせてください」
 妹の言葉に、リィムナは力強く頷く。
「この時を待っていたんだよ。あたしに掠り傷を付けてくれたお礼もしないとね!」
 にやりと笑い、リィムナは時を止める。
 皆が動けぬ中、リィムナはこの世あらざるものを何体も何体も何体も呼び続けた。
 狙うはただ一つ、燐蝶祝!
 そして時が動き出したその瞬間、燐蝶祝は瘴気を吐き出しながら膝をついた。
「芋虫が、この、僕にっ、ナニをした……っ!」
「たかが上級アヤカシの分際で、あたしに敵うと思うな!」
 荒い瘴気を吐き出す燐蝶祝に、リィムナはさらに追撃を食らわす。
「本当に性格の悪いアヤカシだよねっ」
 菫が天輪棍を燐蝶祝に打ち下ろす。
 性格の良いアヤカシなどいないのかもしれないが、それでも、この燐蝶祝の歪み具合には嫌悪感が募った。
 菫は視ずに済んだ幻覚は、仲間達の苦しみを見れば、どれ程のものであったか想像が付く。
「あまり長く遊んでいるつもりもないでの。我を惑わした罪も、友の姉をかどわかした罪も、一気に終わらさせて貰うのじゃ」
「貴方さえ消えてくれれば、鳩羽様の惑いも消えるはず。その歪んだ愛情を、鳩羽様に残しはしません!」
 朱音の魔砲が火を吹き、マルカの槍が燐蝶祝を突き抜ける―― はずだった。
「リィムナ様、鳩羽様っ、なぜっ」
 マルカが叫ぶ。
 マルカの槍は、燐蝶祝でなくリィムナを貫いていた。
「大丈夫、だいじょうぶだよ……。あたしは、まだ倒れない……ファム、そこから出ちゃダメだよ。大丈夫だから!」
 前半はマルカに、後半は黒赤楔円を咄嗟に飛び出そうとした妹に向けて叫んだリィムナは、マルカの槍を引き抜き、突き飛ばしてしまった鳩羽に手を差し伸べる。
 マルカが槍を燐蝶祝に突き下ろしたあの瞬間、鳩羽の目が赤く濁り、燐蝶祝を身を挺して庇ったのだ。
 そしてその可能性を常に予測していたリィムナは、即座に鳩羽を庇い、その身にマルカの槍を受けたのだ。
 無論、マルカも咄嗟にリィムナの急所だけはずらせた。
 朱音の魔砲「メガブラスター」の前に身を投げ出されなかっただけ、マシというべきか。
 槍だったから、リィムナの身体が粉々に吹き飛ぶことは無かったが、マルカの全力の力を受けたのだからとても『大丈夫』などという状態ではなく。
「蝶、僕の蝶。僕を愛しているんだね」
 燐蝶祝も鳩羽に手を伸ばす。
 鳩羽の瞳がより一層赤く濁る。
「鳩羽。貴女は貴女よ。たとえ身体を支配されても、誰に操られても、其れだけは、絶対に忘れては駄目!」
 黒赤楔円の中から、恋華が叫ぶ。
 もっともっと、伝えたいことがいっぱいある。
 桜狐と恋華で何度寺院を訪れただろう?
 沢山の猫と猫又達と、気の良いお坊様達と。
 依頼の無い時はゆっくりと縁側でお茶を飲んだり。
 沢山、沢山、思い出があって。
 それは、急に現れたアヤカシなんかに奪えるものなどでは決して無いと信じたくて。
 恋華は、鳩羽を信じた。
「†恋華†」
 鳩羽の瞳が橙色に染まる。
 今までと違い、少しも赤みを帯びず、澄んだ橙色の瞳が恋華を見つめ返す。
 鳩羽の背に残る蝶の芽がボロボロと崩れ去った。
 それは、鳩羽が完全に燐蝶祝の支配下から抜け出した瞬間だった。
「貴様等、僕の蝶を返せーーーっ!」
「機会は、逃さないよ」
 激痛を抑え、リィムナは渾身の力でこの世ならざるものを召喚した。
 読めていたのだ、燐蝶祝の行動も性格も。
 鳩羽を奪い返されれば、大きな隙を作るだろうことが。
「ぁあぁがぁああああああああああああっ?!」
 既にボロボロだった燐蝶祝は、その全身を何かに蝕まれる。
 口から漏れ出る瘴気は、今までの比ではなく、全身の穴という穴から、さながら血が噴出すかのように瘴気が溢れ出た。
「……僕の、蝶……」
 瘴気に還り消えて逝くその手を鳩羽に伸ばし―― それが、燐蝶祝の最後だった。  


●蝶々夢散
 燐蝶祝が消えたと同時に、黒赤楔円がぐじゅりと崩れ散った。
 中に入っていた四人に、もう痺れも何も残らない。
「リィムナ姉さん、動かないでっ」
 ファムニスが全力でリィムナに駆け寄り、抱きしめる。
「いた、いたたっ、ファム、お願い、もうちょっとだけ優しくしてっ」
「ダメっ、無茶しすぎなんですから、もうはなしません!」
 ぎゅううううっと。
 常ならば嬉しいスキンシップも、傷だらけの今は傷口に塩を塗られているようなもの。
 リィムナは嬉しさと痛さで涙目だった。
「良かったね。でももう、一人で無理しちゃだめなんだよ」
 菫が軽く鳩羽に注意する。
 どんなに強いと思っていても、必ず弱点はあるのだ。
 鳩羽が最高位の巫女であっても、たった一匹の猫又の命で逆らえなくなるように。
(「あんなに性格の悪いアヤカシは、そんなにいないと思いたいけどね」)
 あとはきっと、みんなで祝杯を上げられればと、菫はうんと伸びをする。
「ん、長かったですけどこれでやっと終わりましたね……。ちょっと疲れましたけど、よかったです……」
 ふわふわっと銀色の尻尾を揺らし、桜狐はいつものほんわかさんに戻っていた。
 そしてマルカは、鳩羽を抱きしめることしか出来なかった。
 言いたいことは山ほどあったのに。
 なぜ一人で森へ行ったのか。
 なぜ相談してくれなかったのか。
 この森に来るまで、マルカは必ず、鳩羽を助け出して、そして叱ろうと思っていたのに。
 出てくる言葉はなく、マルカの赤い瞳からは安堵の涙が溢れ続ける。
 助けれたのだ。
 すべて、終わったのだ。
 生きてこの世界にいてくれるなら、もうそれだけでいい。
「如何やら、あの娘の泣き顔を見ずに済みそうね」
「そうじゃのぅ。あやつの泣き顔は、幻覚でも見とうないものじゃったからの」
 抱きしめあう鳩羽たちを、レヴェリーと朱音は温かく見守る。
「さぁ、皆帰るわよ。深緋に予め宿は頼んでおいたから、この私が皆の好きな物、沢山作るわよ!」
 恋華の提案に皆頷いて。
 長い永い戦いの幕が下ろされたのだった。