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■オープニング本文 前回のリプレイを見る 「晴れ渡っているわねぇ」 遊郭・セルバスタハブの女主人、ブラゥ=オウジェンは遊郭の庭に立ち、眩しげに空を見上げる。 先ほどまで雨が降りしきっていたのが嘘のような青空だ。 その隣には露甘楼女主人・カナリアが。 「見事な薔薇ですね」 オウジェンが自ら育てたという薔薇を、カナリアはそっと撫でる。 雨上がりの日に照らされた薔薇は、雨の雫をすっとはじいた。 「露甘楼の紫陽花も見事だと思うわ。良くこの地で育てきったものねぇ」 ジルベリアは天儀に比べて気温が低い。 その中で天儀の花を枯らす事無く咲かせる事が出来たのはひとえに手入れの良さだろう。 「手折る事無く飾れそうですね」 とある結婚式会場では、会場に飾る花を鉢植えで飾ったとか。 それなら、セルバスタハブの薔薇と露甘楼の紫陽花を、二つの遊郭をつなぐように花道を作れないかとカナリアが提案したのはつい先日の事。 もうすぐ、遊郭の花祭り。 毎年開催されているその祭りで、せっかくだからより一層盛り上げるべく花を飾ろうかと。 切花を飾るのも良いのだが、鉢植えなら花祭りが終わった後もまた来年、美しい花を咲かせてくれることだろう。 遊郭街ではどこもかしこも花祭りの準備で慌しく、それでいて華やかだった。 花祭りでは露店はもちろんの事、遊女達がここぞとばかりに着飾り、歌や芸を披露する。 いつもは遊郭のお客様を主におもてなしする為の祭りだが、今年は一味違う。 色々とお世話になった開拓者の皆にも楽しんでもらう事にしたのだ。 ジルベリアの遊郭を訪れたことのある開拓者はもちろんの事、開拓者であれば誰でも参加できる。 オウジェンとカナリアは、花祭りに向けて最後の飾りつけの準備を始めだした。 |
■参加者一覧
御神楽・月(ia0627)
24歳・女・巫
レヴェリー・ルナクロス(ia9985)
20歳・女・騎
ラシュディア(ib0112)
23歳・男・騎
御桜 依月(ib1224)
16歳・男・巫
長谷部 円秀 (ib4529)
24歳・男・泰
高崎・朱音(ib5430)
10歳・女・砲
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
セフィール・アズブラウ(ib6196)
16歳・女・砲 |
■リプレイ本文 遊郭街は、花で溢れていた。 季節の花々は言うに及ばず。他の季節の花で入口を綺麗に飾った店に、扉や窓をすべて花の模様が入ったものに付け替えた店もあり、出入りする女性達はもちろん着飾った姿のどこかに花をあしらっていた。露店も、日差し避けの布や売り子の衣装などに花模様が入る徹底振りだ。 そんな中、空からも無数の花が降り注いでいた。実際に降っているのは色紙の紙吹雪だが、周りの花の香りが紙吹雪さえ花と錯覚させる。 降りしきる花の下、遊郭街の大通りではより華やかな花々が艶やかさを競っていた。この界隈の遊郭すべての遊女達が出てきたかと思わせるほどの人数が、楽器を奏で、歌い、舞い、眺める人々の目を引き寄せる。 大半が男性の観客の中、たまの休みか可愛らしい装飾品を商う店を覗いていたお仕着せの少女が手を止めて、しげしげと見入っている。 降る花の先を仰ぎ見れば、飛び交う色とりどりの布がまず見えた。それらは龍に掛けられた着物やスカーフ、更に何本も結ばれたリボンで、乗っている者の姿は判然としない。けれども目を凝らすと、龍の上には半玉らしき娘や、いかにも動きやすそうな服装の見目麗しい子供、地上の遊女に劣らぬ衣装を翻す少女と思しき姿が見える。一人二人、男もいるようだが‥‥客の視線はそこには留まらなかった。 龍が飛び交い、花を降らせ、その下では各遊郭が趣向を凝らした衣装を纏った女達が笑顔を振りまいていた。行列の先頭では猫の獣人の女の子が、歳の割に堂々とした態度で、着飾った犬を従えて、花びらを辺りに撒いている。 その後ろに続くのは、和洋折衷の衣装と趣向で身を飾り、芸妓の技量もあらゆる儀に通じると評判の露甘楼の遊女達だろう。多くが肌をあまり見せない中、舞手の一人は天儀の着物を大胆に切り、ジルベリアのレースを合わせたドレスに大胆な舞で人目を引いていた。 「なるほど、花祭りと言うだけある」 なにやらこの世のものではないような景色から少し外れて、遠目ながらも行列の華やかさを楽しんでいた客が、手にした盃に満たした酒にはらりと落ちた花びらに目を落とし、くすりと笑って呟いた。 そんな景色より時間を戻して、まだ午前中のこと。一風変わった景色が、露甘楼前に展開していた。 じっと固まったかのような、炎龍・カルラ。 真っ白な体に深紅の稲妻めいた模様が目立つ、炎龍・姫鶴。 中空を眺めて思索に耽っているような、深紅の甲龍・クリムゾン。 上品な赤から青を加えた色に変化する紫の衣装を纏った、甲龍・レイ。 自分がいるところが分からないのかきょろきょろしている、駿龍・天津。 五頭もの龍を遊女達が囲んで、楽しげに造花やリボンを着け、大きな布地を羽織らせて飾り立てているとなれば、人目も引こうというもの。中には話の種にと、近寄ってきて撫でたりする御仁もいるが、龍達はいたっておとなしかった。 そんな龍達とは正反対に賑やかなのが、露甘楼近くの露店の前で。 『それ、きれいもふ〜。美味しいものもふ?』 もふらさまのもっふるが、本日何軒目かの露店巡りで目を輝かせつつ装飾品を覗き込んでいた。先程見事な飴細工を見てしまったもっふるの目には、なんでも美味しそうに見えている。 もふらさまが一頭だけでうろうろしているのはかなり珍しい。ついでに猫又が尻尾をゆらゆらさせつつ、露店を覗いているのも滅多にないことだ。こちらの猫又・クロさんが気になるのは、見た目か声が良いと売られている小鳥の方。 途中、これまた露甘楼の一角、窓の下にのんびりと伏せている忍犬・碧を発見して、猫族らしくしかめ面をしたが、関わらなければいい事に思い至ったようだ。何か言い付けられているわけではなし、のんびりしていいはず。 『お祭りだって言ってたし』 花祭りは、これから盛り上がるところだ。 遊郭の客でなくとも、開拓者なら歓迎との太っ腹な招待に足を向けた彼、彼女達は、思い思いの場所に足を向けていた。流石に龍はつれて歩けないので露甘楼に預けてあるが、店に花代を落とさなくても良いとの別格待遇だ。 とはいえ、流石に店の者を連れ出そうとすれば、相応の対価を支払うのは当然で。 「芸妓さんだよね?」 気晴らしにと紗々芽を祭り見物に誘ったラシュディア(ib0112)は、横合いからのからかいに声を上擦らせていた。『床もご予約しておきます?』と言われたからだが、この程度で取り乱しては野暮というもの。 「色っぽい話はなしっ。一人で見物は寂しすぎるだろ」 「まあ、残念」 虚勢を張ってみたところ、当の紗々芽に艶やかな流し目を寄越されて、ぎょっとするラシュディアがいる。だが、今日は珍しい出店がたくさんあるから案内すると言えば屈託のない笑顔に変わって、最初の心配は薄れる。 「じゃあ、お菓子を選んでくれないか?」 ごく自然に差し出された手に腕を貸して、寄り添うように歩き出したラシュディアは、 「どなたへのお土産でしょう?」 意地悪なのか、単純に疑問に思っているのか。鋭い突込みを寄越す紗々芽相手に、冷や汗をかいている。お土産なら相手の好みに合わせて選ばなくてはと、可愛らしく決意表明されると‥‥穿った見方をする自分がいけないのかと、ラシュディアは困惑しきりだ。 今回はとても仕事とは言えないが、誘いを断るのもまた失礼だ。そんな気分と、祭りでも裏方で見物する間もない者が遊郭にも多々いるだろうと、過去に領主館で働いていた経験から考えたセフィール・アズブラウ(ib6196)は、露甘楼に顔を出す前に露店を覗いて回っていた。 「こちらのお品は、他の色はありませんか?」 同伴の猫又クロさんがたまにねだる食べ物を買ったり、小鳥に手を出しそうになったら首根っこを掴んだりしつつ、セフィールが露店を見る目は真剣だ。せっかくなら露甘楼の遊女達や下働きの人々に、祭りらしい菓子や季節ものの小物などを見立ててあげたいが、全員に同じものでは芸がない。かと言って、一人ずつに似合いの品を見付けるのが大変だ。 「このお品物を色違いで五つ。包む色の布と紐は同系色の濃淡で」 考えてみれば、遊女が同性から貰った品物を客の前で身に付けることはなさそうだから、普段使いの髪留めを選んでみた。でも選ぶのに手抜きはせず、露店ではなく常設の店で、ついでに包み方にも色々と注文をつけている。 ふと店の主が嫌がってはいないかと思い至ったが、幸い相手はセフィールが露甘楼の使用人か、お客のお使いと勘違いしたらしい。必ず店の名前を伝えておいてと、細かな注文に応えながら繰り返していた。 遊郭というのは綺麗なお姉さんと楽しく遊ぶところなのだと、いつだかどこかのおっちゃんが言っていた。確かに目の前で腕を組んで歩いている男女などを見ると、楽しそうで納得だ。 「でも、あの着物じゃぁ、鬼ごっこは難しそうだよな。部屋でお手玉とかか?」 そういえば、扇を投げて的当ての様なことをする遊びもあると聞いたかも。などと、歳相応の『遊び』しか浮かばない叢雲 怜(ib5488)は、その実、遊びより気になるものがあった。 色とりどりの飴や生菓子、飾りのように切り分けた果物などの甘い香りに誘われて、叢雲の目は先程から落ち着く暇がない。 「姫鶴にも何か買ってあげないといけないし、家に送れるようなものもあるといいけど」 今日はすっかりと遊びに来ているが、開拓者になるために実家を出てきてから、帰って家族の顔を見たのは数えるほど。それば少しばかり寂しい年頃の叢雲は、綺麗な飾り櫛や甘味に母や姉達のことも思い出したが‥‥そこはそれ、まだまだ子供。 「それ、なに? え、食べられるの?」 紫陽花の飾りと思った物が菓子だと聞いて、うきうきと財布を取り出している。 夏の花が大半だが、遊郭街には他にも季節と場所を忘れさせる花木が揃っていた。 「これは見事、花をここまで咲かせるとは‥‥しかし手間も相当なものだねぇ」 遊郭出入りの花屋、園芸農家が一年、物によっては数年がかりで準備するのと、馴染みの遊女に富貴なところを見せたい旦那衆の必死の手配だと、長谷部 円秀 (ib4529)の感嘆を耳にした茶屋の店員が教えてくれた。鉢植えの薔薇や紫陽花を連ねた通路をこしらえたり、花模様の絹地で店を囲ったり、大変な手間と時間と金銭と知恵を掛けてあるのは一巡りしただけでも長谷部にも良く分かった。 なにしろあらゆる花で飾り立てているのに、それらが風景の中では喧嘩していない。近くで見ても美しいが、少し離れた場所で眺めても素晴らしい光景なのだ。 それに、大通りよりも人が少なく、喧騒がやや遠いのが長谷部には心地よい。いかにも花を愛でる風情の彼に、店は大通りも路地も眺め渡せる位置に椅子をずらしてくれる。 供された菓子まで花の形で、長谷部は最初の一杯は茶を楽しむことにした。 外から賑やかなざわめきが聞こえる中、露甘楼の広間でも華やかな笑い声が響いていた。 「また凄い格好じゃの? 似あってはおるが」 「う‥‥ちょ、ちょっと派手にし過ぎた気もするけど」 「いいと思うけどなぁ。でも、おなかにも白粉した方がよくない?」 遊女と招かれた開拓者とが集まって、広げに広げた大量の衣装の品評会めいたことをしている真っ最中だ。 現在はレヴェリー・ルナクロス(ia9985)が持参した衣装を身につけて、皆に披露しているが‥‥知人友人の評価、突っ込みは割と遠慮がない。へそが見えるどころか、腹部の大半が露わな上に、足も網目の大きいレースで大半が透けて見える衣装に『大胆過ぎはしないか』と言うのは高崎・朱音(ib5430)。これはレヴェリーも結構気にしていたのか慌てたが、見た目こそ可愛らしい少女だがれっきとした少年のはずの御桜 依月(ib1224)に、『衣装に合わせて化粧しないと』と指摘されてしょんぼりしている。 肌が露わになる分、そこにも化粧を施すのは芸妓の嗜み。レヴェリーの萎れ具合にくすくす笑っている露甘楼の遊女、月白あたりは、口を開けばもうちょっと辛辣なことを言いそうだ。 挙げ句に、気を利かせたのか本物の半玉達がささっと鏡台や化粧品を運んできた。御桜がすかさず手にとって、一つずつ吟味している。朱音はあまり興味がないようで、のんびりと持参した茶菓子を広げ始めた。 元々朱音は月白とゆっくり話でもと思って露甘楼に寄ったのだが、皆がたくさん仕立てた衣装をぜひ見てくれと勧めるので付き合っているところ。自前の振袖姿で、化粧はたいして必要ないと思っている節もある。 だが、周りはそれを許さず。 「依月も今日はうんと可愛い服着てきたから、それに似合うお化粧に挑戦したいんだよね。せっかくだから、露甘楼ならではのお化粧技術とか教えて?」 一緒に習うのだと、御桜が朱音の手を掴んでいる。もちろんレヴェリーは、月白に正座させられて、まずは今の化粧を落とすところから始められていた。女の子の服は可愛いし、自分には似合うからもっと可愛くなるのだと主張する御桜も、もちろん横に張り付く。 主にレヴェリーを生贄に、きゃっきゃっと化粧品を広げだした女性陣、一部例外ありの輪のちょっと外側、広間の壁際では黙々と筆を動かしている御仁がいた。露甘楼からの花祭りへの招待を見て、挨拶に立ち寄ったまま引きずり込まれていた陽月(ia0627)は、あまりの賑やかさに付いて行けず、ちんまりと座っていたのだ。 ただし、皆のお洒落と美容についての会話を、逐一書き留めていたりする。なんだか一生懸命なので周りも様子を見ていたが、こんな時に爪弾きでは可哀想だとシャルトレーゼが声を掛けたらば。 「あ、あの不躾ではありますが、どうしたら皆様のような魅力が備わるのでしょう?」 勢い込んで尋ねられて、皆の手も声も止まった。遊女達はさっと陽月の全身を見て、痩身だが顔立ちも含めて魅力に欠けるわけではないよねと目線で会話している。 だが陽月当人の希望は別で。 「ゆ、遊女の皆様は、流行の最先端をゆき、己が身を華やかに飾る術をお持ちだとか!」 そう、流行を作るくらいでなきゃ。とは、レヴェリーの感想。 「私は巫女でございますし、恋しい殿方はおりませんが‥‥」 巫女でも、いい人見付けたらいいのに。と、御桜は思った。 「流行にも疎く」 開拓者は各地の品物を目に出来るのだから精進あるのみ。と、朱音はちょっと厳しい。 「食物を摂取しても身にならず」 世の中の痩せたい女性達から呪い殺されそうね。と、遊女達は見守っている。 「せめて一時でも、皆様のような魅力を持ってみたいのです」 陽月の視線の動きから、憧れているのはレヴェリーや濡羽、シャルトレーゼのようなメリハリのある体型だと、その場の全員が察した。 「それは今日一日では難しいお話ですわねぇ」 難題に皆が迷っていたところ、するりと当然の発言を降らせた者がいる。 「今のお姿を輝かせるお手伝いならいかがでしょう?」 皆のパレードの準備具合を確かめに来たのだろう。露甘楼の女主人カナリアが、今にも伏して頭を下げそうな陽月の脇に座って、しっとりした微笑で申し出た。背後では委細心得た様子で、遊女達が装飾品や化粧品を選び出している。 カナリアの手解きを受ける事になった陽月は感激して涙目だが、直後に『豊満な胸は無理でも、うちの衣装が似合う肌着はある』と腰を締め上げられて、悲鳴を飲み込んだ。もとより化粧し直しのレヴェリーも、全部一から始めさせられている。女同士は、こういう時に遠慮がない。 「依月もそのお化粧してみたい!」 「なんじゃ、我もなのかっ」 露甘楼の衣装合わせと化粧の吟味は、もうしばらく続きそうだ。落ち着かないが、祭りの日とは準備する時さえも楽しいのだから仕方がない。 陽月にとっては、少しばかり厳しい時間だったかもしれないけれども。 日が傾いてくると、そろそろ遊郭街は祭りの喧騒の中に普段の顔を覗かせる。どこの店にも馴染みの旦那がやってきて、先程まで通りを飾っていた歌も楽も舞も、全てが店の中に移って行く。 「マリエールが、菓子の礼を言っていた」 紙吹雪を撒く手伝いをしたラシュディアが、駿龍天津の汗を拭ってやっているところに、昼過ぎに見たきりの顔がやってきた。セルバスタハブ女主人ブラゥ=オウジェンの元で働いているシノビも紙吹雪を入れていた籠を持っていたのが可笑しいが、命の恩人だというブラゥに恋情なく一心に仕えている彼なら、これは働いたうちに入らないのだろう。 「かえって怖がらせて悪かったよ。これもあげてくれるか」 人妖のマリエールに手荒な真似をした詫びに行ったら奥に逃げられたラシュディアは、天津に結ばれていたリボンをシノビに差し出した。持って帰ればいいのにと言われて首を傾げたら、『待ち人がいるのだろう』と苦笑された。天津にしっかり結んだ土産で察したらしい。 「たくさん貰ったからいいんだよ」 昼に色々尋ねた時には、半分も返事をしなかったくせに、こんな時には気も口が回ると悔しく思ったラシュディアだが‥‥自分の誓いを軽はずみに口にしないのも有り様かと納得した。 が、やはり悔しいので、近くの酒場に引きずり込もうと相手の隙を窺っている。 ぜひ散々皆に弄られた後に通りを一巡りして来なさいと放り出された陽月は、なぜかもふらさまを抱えていた。 「はぁ、癒されますわぁ」 雪の中に見える模様を象った簪も手にいれ、紫陽花はじめ様々な花を象った菓子も買い込み、持ち帰り出来る料理は一通り包んでもらい、しかもあらゆる店でこれまでの人生の何倍も『綺麗』と誉められた陽月は、もふらさま・もっふるを抱きしめて、幸せを満喫していた。 あまり世間を知らない彼女は、確かに美人振りが上がっていたが、でもお世辞も全部真に受けた。現在はもっふるを抱きしめて大満足で、背後で炎龍カルラが地団駄を踏み、通る人が皆がそれを振り返るのに気付いていない。 露甘楼の中では、手土産持参でやってきたセフィールが、時間を持て余していた。宴会があるので、差し入れをしに行った裏方はとても忙しそうだったが、今回は一応お客様の自分が手を出しては失礼だと自制して‥‥大変に居心地が悪い。働いている方が何倍も楽しい性分なのだ、顔には全然出ないけれども。 「こう待つだけなのは色々と‥‥」 思わず室内の灯りの数を数えてしまい、それもいかがなものかと周りを見渡して、セフィールはクロさんがいないのに気付いた。首を巡らせて探すと、早くも他人の膝の上でご馳走にありついている。 散々外歩きをしたまま、人様の膝の上に行くとは困ったものだと思ったセフィールは、クロさんが嫌がるのは承知で全身丸洗いを決心していた。 しばし後。 「あー、もうびっくりしたっ」 「あ〜、向こうに一緒が良かったなぁ」 クリムゾンと姫鶴の龍二頭が浴槽の傍らに鎮座した男湯で、叢雲と御桜がそれぞれに声を上げていた。 さっきまで、色々習っているうちに露店巡りがあまり出来なかったと嘆いていた『お姉さん』に、たっぷり買い込んだ戦利品の数々を譲ってあげたつもりだった叢雲は、宴会が一区切りしたところで入浴を勧められた際、その『お姉さん』が付いてきたのでびっくり仰天していたが‥‥実は同性だと知って、またびっくり。 一見すると、どちらも女湯に放り込んでも良さそうな顔だが、露甘楼の露天風呂は男女別。残念ながら、御桜が本物のお姉様方の入浴での美容法を目にすることは叶わない。板塀の向こうから、きゃーとかうわーとか聞こえるから、ご一緒していてもそれどころではなかったかもしれないが。 ああびっくりとああ残念、が並んでお湯に浸かっているのを横目に、龍達は蒸気で温まってうとうとし始めている。 反面賑やかなのは女湯で、 「碧、まだ終わってないっ」 「レイ、もうちょっと頭を下げてね」 全身に泡をつけた忍犬碧が、一仕事終えたとばかりに水気を振り払い、朱音にたしなめられている。甲龍レイは温泉の蒸気でゆったりしすぎて、動きが鈍くなっていた。 朱音もレヴェリーも、のんびりと温泉を楽しむには少しばかり手間が掛かっているが、もちろん一緒にやってきた月白は手伝わない。朽黄は石鹸を泡立てたりしてくれるが、忍犬や龍を押さえるのは無理がある。 それでも猫又に逃走されていたり、化粧を落とすのが惜しくて入れないよりいいかもしれないが、予定ではこんなに忙しいはずではなかった。 「月白の肌が綺麗なのは、きっとこういう苦労がないからじゃな」 「はぁ、早く温泉満喫した〜い」 思わず愚痴が漏れたが、他人に朋友を任せる気にはなれないもので。 二人が朽黄と月白に背中を流してもらえるのは、もうちょっと後になる。 そろそろ相棒を迎えに行かねばと、ようやく盃を置いた長谷部は、隣の卓に長居していた客も腰を上げたのに気付いた。向こうも会釈してきて、ふと思い付いたか問うてくる。 「お気に召したものはありましたか?」 花の咲く庭でのんびりと酒を嗜む。それだけが目的だった長谷部は、これが特別という思い入れまでは持たなかったが、問われてみれば天儀育ちには薔薇はじめジルベリアで好んで愛でられる花が珍しかった。 それが紫陽花と並んで道を飾っていたのは目に楽しく、まだ片付けられていないならもう一度そこを歩きたいものだと口にすると、相手はなぜだか満面に笑みを浮かべた。 「きっとまだ飾られていますよ」 お先にどうぞと勧められ、花が溢れる道を通れた長谷部は露甘楼に向かい、ふと振り向いた時に、花が飾る道の反対端セルバスタハブの入口で先程話した相手が女主人と人妖とに親しく迎えられているのを目にした。 後だったら、片付けの最中に通る羽目になっていたかもと、長谷部は相手の気遣いに思わず微笑んでいる。 (代筆:龍河流) |