【朱雀】新学期の始まり
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 11人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/03 20:05



■オープニング本文

 研究、実験用に、とそれは陰陽寮に預けられた。
 その者の首には、しっかりとした首輪が取り付けられている。
 とはいえ、それは皮製などではない。素材はその肌に近いようで、それでいて硬いらしく、指で叩けばこつんこつんと音を返してくれる。
「これが、鍵ですね。さっそく試してみます」
 若い講師が一緒に託された小さな鍵を取り出した。
 きらきらと白銀色に輝く鍵。
 その鍵を、ゆっくりと首輪の鍵穴に近づける。鍵はすっと奥まで入った
 ゆっくりと指に力を込める。ぐっと押し込むや鍵はちょうど半回転し、それと共にかきんと小さな音が響いた。
「まわった」
 廻りきった鍵が抜ける。
 講師はその身体の側に膝を折り顔を覗き込む。
 周囲に見守る寮長や職員達の視線の真ん中で、からくりはぼんやりと光りを放ち、数秒もするとぴくりと指を動かし、そうかと思えばもう上体を起こしはじめた。ゆっくりと起き上がるからくり。
 ぼんやりと、目を開く。
 からくりは正面に座る講師をじいっと見つめ、やがて。
「‥‥お名前を。ご主人さま」
「へっ? 私?」
 周囲の感動と歓声をよそに瞬きする講師の肩を
「三郎」
 寮長は、真剣な眼差しで掴んだのだった。
 

 一年生の入寮式が終わり、二年生は一足先に通常授業に戻った。
 一年生は来月の初めに寮内見学会があり、その後最初の体験学習を経て定期的な授業に入る筈だ。
 一緒に委員会活動を始めるのは九月か十月くらいからであろうか。
 そんなことを考えながら二年生の、今までとは違う講義室にやってきた二年生寮生達は緊張の面持ちでやってくるであろう新任講師を待っていた。
 新任とはいえ、良く知る相手。緊張する必要はあまりないのだが‥‥。
「よう、久しぶり! 改めて今年一年よろしくな」
 大きな荷物を抱え、元気に入ってきたその講師を全員は起立して出迎えた。
 彼はそれに片手を上げて答えると、そっと荷物を近くの台に置いて教壇に立つ。
「改めて。今度陰陽寮の講師として赴任することになった西浦三郎だ。寮長はいろいろと忙しくなってくるし、新一年生の担当もあるので二年生の実習は私が基本担当することになる。よろしくな」
 ほんの少し前まで先輩であった教師はそう言って明るく笑った。
 性格は以前と何も変わってはいないようだ。
「さて、二年生の初めての授業で、皆には決めて貰わなければならないことがある。一つは専門授業だ」
「専門授業?」
 聞きなれない言葉に首を傾げる彼らに講師三郎はああ、と頷く。
「簡単に言えば何を専門に勉強するか。だ。一年生の時は実習が多かったが、二年生は陰陽寮内での研究も多くなるから。
 主に二年生だとアヤカシと術応用に分かれる。アヤカシの方を選んだ者はアヤカシの生態研究や実験を主にする。ちょっと貴重な専門書物なども閲覧できる。実習でもアヤカシの生態調査などを先頭に立ってやって貰うことになるな。
 術応用の方は術の幅広い勉強と研究だ。新しい術なども研究していくこなるだろう。
 基本、決めた授業は一年間通すことになるがどっちも同じ授業内でやるし、選ばなかった方は全然学べないって訳では無いから、これはまあ気楽に決めてくれ」
 流石に二年生ともなると授業内容が色々と変わってくるようだ。
 メモを取りながら真剣に話を聞く寮生達に、簡単に専門授業の説明をし終えると、
「それから、これはもう一つ、決めて欲しいと言うかお願い、になるな」
 三郎はそう、寮生達に言ったのだった。
「お願い? ですか?」
 メモを取る手を止め寮生達は三郎を見る。
 彼にしては歯切れの悪い言い方である。つばを飲み込む様子もどこかいつもと違う。
「ああ‥‥。こっちに集まってくれ」
 二年生達が全員教壇の前に集まってきたのを確かめて、彼は横に置いた包みを、そっと、優しく開く。
「えっ?」「こ、これは‥‥?」
 寮生達は驚いた。
 包みの中には目を閉じた長い髪の少女がいたからだ。
 体は一重の着物を纏っているが、素足に白い手。その両方にスリットのようなものが見える。
 陶磁器のような白くて固い肌。顔に流れる線。
『これは、まさか人形? ですか?』
 ああ、と頷いて三郎は頭を掻き、苦笑しながら
「遺跡から発見され、陰陽寮に預けられた研究用の人形だ。起動はしてある。まだ、一度目覚めただけで研究も実験も、何もしていないがな‥‥この人形をお前達二年生に預ける。それが今年最初の課題だ」
 だがはっきりとそう告げた。
『「「「「「「「「「「え〜〜〜〜〜っ!」」」」」」」」」」』
 講義室の中に大小の差こそあれ同じ響きの声が上がる。
 驚いたように目を見開く彼らに三郎は説明を続けた。
「この人形は実験、研究用にと国から預けられたものだ。遺跡から発掘されたこれらは、起動した時一番最初に目があった人物を主人と認識すること、起動したばかりは子供のようなもので常識その他、基本的な知識を持っていないことが判明している。それ以外はまだ各国で研究中で陰陽寮ではさらに深い研究を期待されていたのだが‥‥この人形、私を主人として認識してしまったようなんだ」
 苦笑する三郎にああ、と寮生達は苦笑いを返す。
「私一人で女の子を‥‥、ああ、この人形は女性形態をしている。育てるなんて無理な話だしな。そしたら寮長が二年生に預けるようにと指示されたんだ。
 今回の件は通年課題のような形をとる。この人形に知識や、人としての常識、行動技術などを与えてくれ。もちろん私も手伝うが、基本は君達二年生に任せることになるな」
 一緒に遊んだり世話をしたり、勉強や散歩をしたり。
 人形に人格を与え育てるということは、かなり責任の大きな仕事になりそうだ。
「しょっぱなから大仕事だが、お前さん達なら大丈夫と見込んでの事だ。よろしく頼むな」
 そう言うとまだ身動き一つしない人形に三郎は
「凛」
 そう呼びかけた。
 人形はその声に答えるようにゆっくりと目を開け、身を起こす。
 長い黒髪がさらりと揺れた。蒼い空のような瞳が寮生達を見つめている。
 身長は高くない。まだ少女というより子供に近いくらいだ。
「はい、ご主人様」
「ここにいる者達が、お前に色々教えてくれる。私と同様に言う事を聞くように」
「はい‥‥」
 目の前で動き立ち上がる人形。
 きしきしと音を立てながら、でも流麗に流れるように動く。
 その一挙手一投足から寮生達は目を離すことができなかった。


■参加者一覧
俳沢折々(ia0401
18歳・女・陰
青嵐(ia0508
20歳・男・陰
玉櫛・静音(ia0872
20歳・女・陰
喪越(ia1670
33歳・男・陰
瀬崎 静乃(ia4468
15歳・女・陰
平野 譲治(ia5226
15歳・男・陰
劫光(ia9510
22歳・男・陰
尾花 紫乃(ia9951
17歳・女・巫
アッピン(ib0840
20歳・女・陰
真名(ib1222
17歳・女・陰
尾花 朔(ib1268
19歳・男・陰


■リプレイ本文

●新学期最初の課題
 陰陽寮朱雀の玄関口。
 朱雀門の前には龍の待ち合い場がある。
「ご苦労様です。嵐帝」
 ひらりと龍から降りた青嵐(ia0508)は愛龍の背中をぽんぽんと叩く。
 と、上空から風が動いて彼の髪を乱した。
「青嵐。どいてなのだ〜〜」
 青嵐が言われた通り、少しスペースを作るとそこに少年と龍が飛び込んでくる。
「うわっち!!」
 なんとか倒れることなく着地した平野 譲治(ia5226)は龍の背でほお、と大きな息を吐き出す。
「なんとか間に合ったなりね。強。ありがとうなのだ」
「まだ時間はありますから、焦らなくてもいいと思いますよ〜。やわらぎさん。授業中は待っていて下さいね」
「気を付けた方がいいですね。龍は急に止まれませんから。ねえ。十六夜?」
 くすくすと笑う尾花朔(ib1268)やアッピン(ib0840)も龍を繋いでいる。
「新学期そうそう遅れたら大変だと思ったのだ!」
「そうですね。そろそろ行かないと‥‥」
 龍達を置いて彼らは走り出す。のんびりしてはいられない。
 陰陽寮での二年目はもう始まっているのだから。

「ずるい!!」
「は?」
 オリエンテーション開け、最初の授業で開口一番そう告げた俳沢折々(ia0401)に二年担当教官となった西浦三郎は目を瞬かせた。
 二年主席は頬をまるで風船のようにふくらませている。
「何が、ずるいんだ? 私が何かお前達を出し抜くようなことしたか?」
「してないとでも言うのか?」
 ツッコむ劫光(ia9510)の言葉に首を傾ぐ三郎。その目の前で、折々はがしっと、彼の前で椅子に座る人形を抱きしめたのだ。
「だって凛ちゃんはすっごくかわいもの。三郎くんはご主人様なんてずるい。わたしも凛ちゃんが欲しかったよ」
「あ〜! 折々もずるい! 私も凛ちゃんをぎゅってしてあげたいのに!!」
 聞いているだけだと争っている様にも聞こえるが、実際には折々と真名(ib1222)は髪を撫で、頬を撫で、きゃわきゃわと楽しそうに凛を間に遊んでいるのだ。
「この子が‥‥人形。私達と変わらないように見えますけど」
 真剣な顔で見つめる玉櫛・静音(ia0872)の横で泉宮 紫乃(ia9951)は膝を折って目線を合わせる。
「はじめまして。よろしくお願いします。凛さん」
「‥‥初めましてだね。僕は瀬崎なの。よろしくお願いするよ」
「ああ、ご挨拶が遅れました。静音と言います。よろしくお願いしますね」
 彼女の後で瀬崎 静乃(ia4468)と静音も彼女に挨拶をする。
「三郎先‥‥生、凛さんを育てる為の品物は用意してあるのですか?」
「この狩衣も悪くないけど、女の子だもの、もう少しセンスのいい服着せてあげなくっちゃ」
 女性陣の方は、凛に興味深げである。
「んっ! おいら、姓を平野っ! 名を譲治っ! 生まれてからの歳月を十一とする者なりっ! ジョージと呼んでくださいましっ!」
 後は子供が物おじせずに飛び込んでいく。
 とはいえ、男性陣が興味を持っていないわけでは無いのだが。
「黒髪碧眼のお子ちゃま人形ねぇ。昔の人、まさかロ‥‥」
『そこから先は口にしてはいけませんよ。彼女はある意味「過去からの留学生」なのですから粗相の無いように』
 どこかやる気なさげな喪越(ia1670)を青嵐が諌めた。
『珍しいですね。興味はないのですか?』
「ま、興味が無いと言ったら嘘になるんだが、人形とはいえ少女の姿をしたモノをあれこれいじくり回すなんて、俺がやったら即お縄でも文句言えんだろ、絵的に。まあ、お人形遊びはお嬢さん達に任すわ。手伝いはすっけどな」
『そうですね。はじめまして。凛さん。よろしくお願いします』
 微かに微笑みを浮かべて、女性達の勢いに押されながらも丁寧にあいさつをした青嵐は仲間たちと柔らかい眼差しで『凛』を見ている。
「ねえねえ、まずは服とか選んであげていい?」
 形式上は質問の形を取っているが、あの妙にテンションの高い女性達に逆らえるはずはない。三郎は頷く。
「どうぞ。任せた。必要経費は持つから。ただ、まだぼんやりしてるからあんまり突っ走るなよ。凛。私は大丈夫だから彼女達と一緒に行っておいで」
『はい。ご主人様』
「了解。皆、行きましょ。男性陣は覗いちゃだめだからね?」
『私も行ってもいいですか?』
「ああ、行って来い。双樹」
 凛の手をしっかりと握りしめて去って行く女性達。
 その背中をため息と共に見送りながら
「なあ、三郎?」
 劫光は、ほんの少し前まで先輩であった先生に、そう呼びかけたのだった。

●『人形』という名の少女
 さらさらと流れる髪は闇を流したよう。
「本当に綺麗だね。凛ちゃんは」
 髪の毛を紫乃の櫛で梳かしながらうっとりするように折々は言った。
『キレイ‥‥ですか?』
 三郎が言った通り、凛の反応はまだ鈍い、というかぼんやりしている。
 寮生の言葉をおうむ返しのように繰り返し、されるがままになっている様子は夢うつつと言った風情だ。
「ええ、キレイですよ。綺麗とは美しくて心を動かされること。この、花のように‥‥」
 紫乃は手に持ったナデシコとアジサイの花を差し出す。
「凛さんは、どちらの花が好きですか?」
『好き? わかりません』
 首を傾ける凛にじゃあ、両方にしましょうね。と紫乃は微笑んだ。手早く花かんざしを作っている。
「‥‥まだ、言葉は使っていても意味がよく解らない、って感じかな? だんだんに教えてあげていけると‥‥いいと思う」
 静乃の状況分析に仲間達も皆頷いた。
「うんと綺麗にして三郎くんをビックリさせてあげなくっちゃ‥‥ねえ、凛ちゃん。凛ちゃんと三郎くんてどんな感じ?」
 ぼんやりしていた目に力が帯びる。
『‥‥どんな? ご主人様です。絶対の』
「う〜ん、じゃあさ、三郎くんと悪い人がケンカしたらどうする?」
 軽い雑談のように見えるが、これは折々が意図して入れた真剣な質問であった。
 寮生達も耳を欹てる。
『勿論、戦います。私はご主人様を守ります』
「あ〜、やっぱりそうか〜。もし、相手が私達でも多分同じだね?」
『はい』
「自分の身が危なくなっても? 三郎くんがもし、自分が壊れてしまうかもしれないって命令をした時でも?」
『従います』
「じゃあ、凛ちゃんが今一番したいことってなに?」
『一番、したい‥‥こと? ご主人様を守れるようになること‥‥です』
 表向き変わらない表情で服や飾りを選びながらも寮生達はさりげなく、思いと視線を交差させた。
「やっぱり、無垢な状態だからこそ躾はちゃんと教育しておくべきですね」
「できれば、命令に従うだけの方にはなって欲しくないのですが」
 アッピンの躾と言う言葉に、少女達はどこか寂しげに泳ぐ。
「人間への安全性、命令への服従、自己防衛。人形の人格? を形成するに当たって、根幹になる倫理的な部分だけはきちんとしておかないとダメってことです。でないといつどんな悲劇を巻き起こすかもしれない」
 彼女の言葉は事実であり、真実である。
 けれど‥‥
「できるなら凛さんがご自分の気持ちを話してくれる様になってほしい。好きなものや嫌いなもの、あれがしたい、これが欲しい。そんなことを素直に言える子になって欲しいのですが」
「自我をしっかり持って、その上で自分と、大切な人の身を守れるようになって欲しいと思うよね」
 自分と、その所に折々は力を入れた。自分自身を簡単に捨てる様にはなって欲しくない。
「よし、まずは自分のことを考えられるようになって貰おう! 三郎くんの側にいる為にも自分を知って貰わないといけないからね」
『自分、ですか?』
 折々の言葉に女性陣は全員が、頷く。
「そうね。着物の着せ方とか、身の回りのこと、もね。やってあげるのは簡単だけど、自分でできるようにならないと意味がないから、っと、その花かんざしと凛ちゃんの目なら赤紫にしてみましょうか?」
「もう少し、華やかなのでもいいと思いますよ」
 双樹も着物や装飾品を並べたりと楽しそうだ。
「素直で真っ直ぐに、女性らしく〜。楽しくなりますね〜」
「女性らしく‥‥か」
「どうしたんですか? 静乃さん」
「ううん、なんでもない」
「そうですか? 程度の差こそあれ、世間知らずな私も彼女と変わらないのでしょうね」
「静音?」
 凛という少女はまるで自分達を写す鏡のようだ。
 それぞれの思いを胸に抱きながら、彼女達は凛に笑顔を向けたのだった。

 準備ができるまで待つしかない男達の餌というか遊び相手は、新任の教師になる。
「ななっ! さぶろーっ! ‥‥せんせー? んー、なんかしっくりこないなりね」
「別に好きに呼べばいいさ。私は別に気にしないから。で、なんだ?」
 憮然とした顔の三郎を興味津々といった顔で譲治は覗き込んで笑う。
「初めて凛を見たときどう思ったなりっ!? ちょっとはドキドキしたなりか?」
「バカっ! 止めろ。人形相手にドキドキしたら可笑しいだろう?」
『別におかしくはないと思いますが‥‥』
 しかし、顔は赤い。寮生達の何人かは忍び笑いを始めた。
「『凛』ね。良い名前じゃないか。名付けは三郎か?」
「ああ」
 諦めたようにため息をつく三郎の予想通り目をにんまりと歪めて劫光は楽しげに三郎を見つめている。
「パパになった気分はどうだ?」
「冗談は止めてくれ。いきなりの子持ちになって本当に戸惑ってるんだから」
「ハハハハハ」
 劫光のみならず他の男衆からも笑みが零れる。それは多分に彼の性格を知るが故の苦笑と少しの羨望と同情を孕んだ笑みでもある。
「さて、三郎。冗談はさておき」
「冗談だったなりか?」
 譲治のツッコミを軽く流して劫光は三郎を見る。さっきとは違う少し真剣な眼差しだ。
「三郎はあの子にどう育って欲しい?」
「あ、それはおいらも聞きたかったなり。どんな風に育ってほしいなりっ!?」
「どんな風に‥‥?」
「俺達の課題、というのは解ってる。けど保護者は三郎だろう? ブレない思いは持ってた方がいいと思う」
『知識や感情は他人が教えられても、慕う主の思いは別格なのでは、と思いますよ』
 寮生達の問いはけっしてふざけた思いからでは無い。だから真剣に答えなければならない。
 そう思ったからだろうか。普段、即断即決、迷いなど滅多に見せない彼にしては珍しく返事が淀んだ。
 広がる沈黙。それを
「お待たせ〜。可愛く仕上がったわよ〜」
 真名の明るい声と扉を開く音が響き、割った。
「おお〜。さっきまでも可愛かったけど、もっと可愛くなったなりね〜」
『本当に、流石女性陣の腕はお見事ですね』
「はい、三郎くん。お姫様にお言葉をどうぞ」
 賛辞と人に取り巻かれた凛を、背中からぐいっと折々が前に押し出した。
『ご主人‥‥様?』
 目の前の少女は撫子と紫陽花の花かんざしに淡い浅黄色に美しく仕立てられた絽を身に纏っている。裾模様は紫陽花。
 今までとは違う清楚な印象だ。
「ああ。綺麗にして貰ったな。可愛いぞ」
『ありがとう、ございます』
 人形の少女。はっきりとした表情の変化が見られたわけでは無かった。
 けれど、寮生達は感じていた。
 三郎に褒められた時、頭にそっと手を置かれた時の少女の喜びを‥‥。確かに。

●ありふれた幸せな一日
 その日の授業は凛との顔合わせと、簡単な打ち合わせ。
 そして選択授業の希望表提出で終わった。
「本日の授業はここまで。解散」
「ありがとうございました」
 講義を終えた寮生達の多くは、その後、凜を連れ出して寮内の案内に出ていた。
「はい、それでは御注目。右手に見えますのは〜、右手で御座います〜」
 シーーーーン。
「あのさあ〜。ツッコんで貰えないと凄く寂しいんだけど‥‥」
「オヤジギャグ‥‥」
 容赦のない静乃の言葉に頭を抱えるフリをする喪越を置いて寮生達は凛と朱雀寮を歩いて回った。
「あっちが講堂、こっちが用具倉庫。向こうが仮眠室。食堂は向こうね‥‥と、凛ちゃんは食べ物食べられるの?」
『不要ですが、味は解ります。食べることもできます』
「良かった。後で、食堂行こうね。朔がお料理教えてくれるって。私も腕を振るわなくっちゃ」
 調理委員会の副委員長となった真名が嬉しそうに言う。
「で、あっちが私達の龍や朋友がいる場所。私のかるみもね〜。連れ歩くのはちょっと大変だから一緒に待って貰っているの」
 静乃の文幾重や、静音の不動などの龍達と一緒に霊騎や鬼火玉ものんびりと過ごしているようだ。
『朋友、とは人間に仕える人外のモノのことでしたか?』
 それらを見て、凛は始めて自分からの質問を紡いだ。
「そう。大事なパートナー。家族みたいなものです」
『では、私も、朋友、なのでしょうか?』
 紫乃はふと答えに窮した。おそらくそう、なるだろう。でも、もう彼女はかわいい妹のような存在に思えてならない。
「そうですね。でも貴方は貴方です。自分の有りたい様にあっていいと思いますよ」
 優しく、そしてどこか自分に言い聞かせるように微笑んで静乃は答える。
『そうそう、私みたいのもいますし、仲良くしましょ〜』
 凛の首に抱きついて劫光の人妖双樹が笑う。寮生達も頷いて微笑んだのだった。
「あ、そうだ。折角だから鎧阿の背中に水やりでもしてみるか? この時期は花が枯れないようにメンテナンスが大変でなぁ。周囲への打ち水も兼ねて一石二鳥。自然を愛でる心が無くても、物は経験だ」
「それが終わったら、あっちの塔に行くなり! 夕日がキレイなりよ〜。風を感じるのが一番なりよっ! 座してばかりでは世界は見えぬのだっ」
「じゃあ、その次は食堂ね。皆で、美味しい夕食食べましょうよ。簡単なお料理教えてあげるから。ね」
 わいわいと賑やかな一団の小さな旅はまだまだ続きそうである。

 二年生になって少し変わったことがいくつかある。
 そのうちの一つが上級生用の図書室の使用が許可されたことであった。
「本格的な授業をする前に、いろいろ勉強しておきたいと思って図書室を借ります」
 授業後、静乃は凛の案内をする仲間達から少し分かれて二年生用の図書室の前に来ていた。アヤカシ専攻ということもあって、すんなりと許可が下りる。
 一年のそれよりさらに増えた本、見たこともないような書が嬉しい。
 静乃は席に持って行くのも惜しいようでその場の踏み台に腰を下ろすと、本を開いた。
 基礎知識から応用まで本は読み切れないほどたくさんある。興味深い本を三冊ほど連続で読み終えた頃に、ふと、周囲の薄暗さに気付いて静乃は顔を上げた。
 周囲は物音一つしないほど静かだ。夜光虫を灯すと、ふと立ち上がる。
「‥‥いきなりですが、わんこ体操第七『終舞』。まずは背伸びと、身体を軽く捻る運動から‥‥!」
 ガタン!
 静音が大きく背を伸ばしたのとほぼ同時。
 響いた音に静乃は自分のいた書架の隣の列を覗く。
 そこには腰を撫でながら地面に座り込む朔の姿があった。
「いつから‥‥そこに?」
「あ、すみません。授業が終わってすぐくらいから。本に没頭していたせいでおいでになったのも気づきませんでしたよ」
 苦笑する朔は、何かに気付いたように思い出したように顔に手を当てて窓の外を見た。
「いけない! 凛さんに料理をお教えするとお約束していたのに。では、失礼します」
 立ち上がり本を丁寧に本棚に戻して走り去る朔を見送りながら
「‥‥あっ」
 静乃は知らず赤みを帯びた頬に手を当てたのだった。


●新学期の始まり
 その日の夜遅く。
「さて、っと」
 新米教官であるところの西浦三郎は、提出された書類を纏め終えると大きく、背伸びをした。
 新学期最初の授業で提出された選択授業のグループ分けに思いの他時間がかかった。
「アヤカシ選択が折々と静音、喪越、静乃、アッピン。術応用が劫光、朔、紫乃、譲治、青嵐に真名か。綺麗に分かれたな」

『わたしの当座の目標は、知望院に出入りできる立場を得る事。内容で言ったら今回のアヤカシ研究はぴったりかなと思います』
『私が研究したいテーマは『瘴気のコントロール』。彼らの生態により詳しくなれれば、自分のテーマに近づけるのではないかと』
『俺はほぼ一択ってことで。ラブ&ピースの世界、全てが共存した上で憎しみの連鎖が起きないようにする為には、まず相手を知らなきゃいけねぇからな』
『術以外の知識を得る、丁度良い機会なので』
『アヤカシの研究は私の求めている知識の研鑽に繋がりますし、うまくいけば人造アヤカシである人妖さんの研究もできそうですし』
『『護る為に』その誓いは変わらない。幅広く術を使えるならそれは大きな力になる』
『古今東西の術を調べてみたいです。消えてしまった術の復活、現在有る術の簡易化、強化等やりたいことはたくさんあります』
『普段後方支援に徹していて観察しやすい事を考えればアヤカシ研究の方が向いているかもしれませんが強くなる為には術研究の方が良いと思うので』
『初心は忘れておらずっ! なれど、見聞きしたものを会得するも一つなりっ! 否っ!見聞きした故に別過程を発見したも然りっ! 壷封術覚えたいなりよ!』
『広範囲化や弱化など、「人々の生活に役立てられる術」は、私の希望でもあります。付随して術道具の研究もさせて頂きたいと思っています』
『『治癒符』より回復力が強く、効率の高い治癒の術を編み出せれば、って考えてる。勿論その他の術もね』

 それぞれが提出した志望動機にはそれぞれの未来への希望と思いが込められている。
 全てが叶えられるとは限らないが、少しでも多くの夢が叶えられるようにと、三郎は思っていた。

 既に外は真っ暗だ。
 先ほどまでいろいろと賑やかだった外はもう驚く程静かだが、まだ声は聞こえる。
「もう! 朔ったら。ダメよ。書庫に潜り込んだっきり夕飯にも来ないんだもの‥‥」
「いえ、本当に時間を忘れてしまいました。ダメですね。書庫は‥‥」
「くすっ‥‥朔さんらしいですね。ほら、見て下さい。綺麗な十六夜の月ですよ」
『‥‥あの光は、なんですか?』
「月と星ですね。遠い空から私達を見守ってくれるのです」
「これは、夜光虫という術です。ほら、綺麗でしょう?」
 どうやら、凛も一緒のようだ。
「凛。私はね、ここにいる朔や紫乃‥‥朱雀寮の皆は家族だと思ってるの。貴女にもそう思って貰えたら嬉しいわ。だから新しい家族に心からの挨拶を‥‥朱雀寮にようこそ。これからよろしくね」
 そんな声が聞こえてくる。
 本当に寮生達は凛を大事に思って可愛がってくれている。
 嬉しいと思いながら、三郎はふと、寮生達には見せない目を見せた。
『陰陽寮に研究用』として預けられた凛だ。
 本当であるなら『彼女』に感情を与えるのは、普通の人形に対するそれより悲しいことになるかもしれない。まして、自分を主人として仰ぐなど。
 だから、三郎は寮生達に寮長の命令にかこつけて預けた。
 半ば逃げるような感覚があったかもしれない。
 けれど、

「俺は当たり前の事を望むだけだ。命はかけがえのないものだと知って欲しい。そしてだからこそ自分自身を大事にして欲しい」
「また「一人」、友なのだっ♪」

 寮生達の真っ直ぐな思いはいつも自分の弱さを照らし出す。
 いつか別れの時が来たとしても、心の中が闇に満たされても心の中に出会えてよかったと思う眩しい気持ちが、彼らの思い優しさが光となって凛を導いてくれればいいと思う。
 あの無垢な心に、綺麗なものをいっぱい満たした少女になって欲しい。
 それが‥‥三郎が凛に思う事であり、寮生に願うことである。

 術の練習を続ける青嵐の声が止み、あれから書庫に戻り本に再度没頭したらしい朔が眠い目をこする頃。
 朱雀寮の空はゆっくりと白み始めた。
 夜が明ければまた朝が来る。
 新しい陰陽寮の一日がまた始まろうとしていた。