【朱雀】卒業という日
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/07/15 19:29



■オープニング本文

●朱雀寮の卒業式
 朱雀寮の三年生は、進路も定まり、卒業式の後、それぞれの道を歩むという。
 式典は七月の吉日に行われるが、朱雀寮において式への参列は下級生には許可されていない。
「でも、その代り、式の前に謝恩会があるの〜。三年生主催の御礼パーティね」
 そう言って三年生の遣いだという言う陰陽寮の人妖は、下級生達、一人一人にはいはいはい、と軽快な手つきで手渡して行った。
 綺麗な手漉きの紙に流ちょうな文字で書かれた手紙にはこう書かれてある。

『三年間を過ごした陰陽寮と、そこで出会った人々に感謝の意を表す為に、謝恩会を開きます。
 この日は三年生が感謝を示すものなので、招待客の皆様は一切の気遣いは無用でお気軽においで下さい。

 心からお待ちしております』

「謝恩会の翌日が朱雀寮の卒業式だから、実質三年生最後の日だね〜。
 なんだか、三年生はいろいろと準備してるみたいだし、せっかくの招待だし、良ければぜひ受けてあげてね〜。あと、リクエストがあればできる限り受けるから教えてくれっても言ってた」
 朱雀寮の、三年生主催の謝恩会。
 一体どんなものになるのだろう、と寮生達がそれぞれに思った時
「朱里おねえさま」
 まるで鈴ような美しい声が鳴った。
「あ、陽菜ちゃん」
 朱里が陽菜と呼んだ相手は人妖であった。
 小さいが美しい髪と目をしている太陽のような少女はつつと、朱里に近付きもう一度頭を下げた。
「主様達がお呼びです。何か手伝って欲しいことがあるそうなので」
「りょーかい。今行きますって伝えて」
「解りました。では、皆様。失礼します」
 頭を下げて戻って行く少女を見つめ、寮生達はふと、問いかけた。
「あの子も陰陽寮の人妖?」
 朱里の首は左右に動く。
「ううん。三年生達の子。彼らが卒業したら村に帰る綾森 桜と一緒に行くんだって。あ、あと蒼空音ちゃんも、請われて卒業生のお手伝いに行くことになったから、‥‥三年生と一緒に彼等ともお別れね」
「朱里‥‥」
 彼女が表情にある感情を乗せたのはほんの一瞬の事であった。
「とにかく三年生を送る会のお返しで、一年生最後の行事になるからぜひ来て下さいとのことでした!! じゃあ!!」
 
 走り去っていく少女を見送りながら彼らは招待状に目を落した。

『会場は食堂。出し物は中庭にて。
 食べ放題、飲み放題。
 皆で賑やかに楽しみましょう』

 こういうものを見るといよいよなのだと思い知らされる。
『三年生』との別れの時が‥‥。

 寮生達は渡された手紙を大事にしまって委員会活動に向かう。


 少女の目から零れたものは、見ないことにして。


■参加者一覧
/ 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 玉櫛・静音(ia0872) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / アッピン(ib0840) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 天空神ゼウス(ib7135


■リプレイ本文

●終わりの始まり
 その日、朱雀寮は不思議な静寂に包まれていた。
 初夏から夏に変わるごく普通の晴れた日。
 けれど、その日はいつもと違っていた。
 入寮してから今日までこんな日を見たことが無かった。と思う。
 何の音も聞こえない。
「静か、だな」
 一年生の講義室から外を見ていた劫光(ia9510)がぽつりと呟いた声に作業をする寮生達が手を止める程に、朱雀寮は静まり返っていた。
 
 この静寂には勿論理由がある。
 明日が陰陽寮朱雀の卒業式であるからだ。一年を共に過ごした仲間が寮を去る日。
 式の準備は先ほど全寮生で行った。
 講堂に椅子を並べたり垂れ幕を下げたりしていると、本当にもう終わりが近いのだと実感させられて皆、感傷を感じてしまうのだろう。
「ほらほら副委員長! ボーっとしてないで働くのだ。最後の仕上げ間に合わないなりよ!」
 腰に手を当てて注意をする体育委員平野 譲治(ia5226)にああ、と頷いて副委員長と呼ばれた劫光は仲間の元に戻る。
 そこでは朱雀寮の寮生達が集まってそれぞれの作業の仕上げに取り掛かっていた。
「ニスを塗って、乾かして。最後に紐で結ぶのですね?」
「朱雀から落ちた翼って感じでいいですねえ〜。本を読んでる朱雀もなんかシュールです」
「この辺の青嵐(ia0508)くんのデザインセンスって凄いなあって思うんだ」
 俳沢折々(ia0401)が感心したように褒めると青嵐は肩を小さく竦めるように上げて笑って見せた。
「保健委員会の朱雀には薬草と救急箱を持たせて貰ったのです。もうじき完成でしょうか?」
「どれ、見せて貰えるか?」
 どうぞ。と泉宮 紫乃(ia9951)に差し出された小さな根付を劫光は手元から下げ下ろす。
 小さな羽根と朱雀を象った木彫りの人形。
 各委員会ごとに少し擬人化したような素振りでアイテムを持つ朱雀は可愛らしく、デザインと削り出しのメインを担当した青嵐の苦労が見えるようだ。
「大変だったな? でもまだ手をかけているのか?」
『私一人で全てやったわけではありませんし。それに、できる限り手をかけて良いものを作りたいので‥‥』
 青嵐が微笑む視線の先にはあくびをしながら「今は」思うさまサボり寝転んでいる喪越(ia1670)がいる。
「こっちが調理委員長用、包丁持つ朱雀。で、こっちは他の人用しゃもじを持つ朱雀。真名(ib1222)さん、どう思われます?」
「面白いわねえ。あ、紐の色は同じにした方がいいんじゃない? 統一感も無いと」
「そうですね」
 尾花朔(ib1268)と真名が持っているものといいさっき見せられた体育委員会用といい、本当にこの根付はなかなかのできだ。
「一年間の用具委員会でだいぶ鍛えられたみたいだな」
 何の気なしの劫光の言葉に、ぴたり。ざわめきが止まった。
 楽しさと多忙さにかまけて忘れたフリをしていた事実が彼らの上に再び現実として落されたのだ。
「あ〜、すまん」
 謝罪の言葉を口にした劫光の服の袖をくいくい。
 小さな手が引っ張った。
「静乃‥‥」
「にぃや。これ、手伝って。ちょっと‥‥難しい」
 瀬崎 静乃(ia4468)が差し出した根付の紐の絡まりは静乃も多分取れるだろう。
 話題と空気の返還。そのきっかけを作ってくれたことに感謝しながら劫光はそれを手に取った。
「そう言えば、保健委員会は誰が副委員長になるか決まったのか?」
 手を動かしながら劫光が静乃に問う。
 今、彼らは三年生がしてくれると言う謝恩会の準備待ちなのだ。
 準備が終わって呼びに行くまで、部屋を出るなと厳命されている。
 委員長達の最後の命令を無視する気はないが、彼らからはもう一つ。
 謝恩会までに各委員会の次期副委員長を決めておくように言われていた。
 劫光の問いにこっくりと首を前に動かして静乃は後ろを見た。
「静音。三人で話し合って‥‥決めた」
 視線を受けて玉櫛・静音(ia0872)がぺっこりと頭を下げた。
「私も異論なく。力を合わせてやっていこうと思っています」
 紫乃も笑みを寄せている。円満決定は良いことだ。
「じゃあ、これでほぼ決定だね。体育委員会が劫光くんで、保健委員会が静音ちゃん。調理委員会が真名ちゃんで」
「朔がいなくちゃやっぱダメ? なんて言わせないから!」
 どこか申し訳なさそうな朔の表情を打ち消すように真名は明るく笑って胸を張る。
「あ〜、用具委員会は青嵐に押し付けた。俺は今年も気楽な平委員ってことで昼寝に精出させて貰うから〜」
『私がいますし、白雪委員長もいますからそうそう昼寝ばかりはできませんがね』
「おい! それどういう意味!?」
 ああ見えて本当は仲が良いらしい用具委員二人を見ながら、だが劫光は作業の手を休めない折々をじっと見る。
「図書委員会は?」
「うち? うちはアッピンちゃんだよ。私はちょっと思うところもあってね」
「折々ちゃんにおされましたし〜。眠くなりそうですけどなんとか頑張ってみようかと思います」
「そうか‥‥」
 納得して決めているのなら、それ以上言う必要は無い。
 小さく笑って劫光も作業に戻る。
 それからどれくらい経ったのか。
 一度だけ、鐘が鳴ったのを聞いた気がするが、気が付いたら昼を超えて作業に没頭していた彼らの耳に
 トントン。
 軽く扉を叩く音と声が聞こえた。
「あ、はい!!」
 近くにいた紫乃が声を上げて扉を開けるとそこには小さな少女が立っていた。
「え〜っと、陽菜ちゃん、でしたか?」
「はい。主様達のご命令によりお迎えに上がりました。準備が整いましたので食堂までおいで下さいとのことでした」
 朱色の髪と金の瞳。
 太陽のような少女に解った、と答えて劫光は仲間達を見た。
 彼らも皆、立ち上がっている。
「よし、じゃあ、行こうか」
 そうして彼らは三年生の待つ会場へと歩き出したのだった。

●感謝の宴
「わああっ〜、凄いなあ〜。頑張ったねえ〜〜」
 会場に入った途端、折々はそんな声を上げた。
 いつも見慣れた食堂は、今日、見事に装飾されていた。
 色とりどりのリボンは朱色をベースに七色のグラデーションを美しく流し、色紙で作られた輪飾りに花。『謝恩会』の文字は図書委員長源伊織の手だろう。見事な達筆だ。
 所々に折り紙の朱雀も飾られていて手作りの温かみが感じられる。
 机の上に並べられたのは冷たい飲み物に、温かい薬草茶。
 前菜は春雨のサラダにカツオの刺身をベースにした野菜たっぷりのサラダ。
 美しいなますに小鯵の南蛮漬けが並ぶ。
 メインは定番の鳥の唐揚げ、エビの唐揚げ。大きな白い塊は塩釜焼きであろうか?
 ゆで豚に蒸し鶏。
 色とりどりのちらしずし、巻きずし、おにぎり。冷水と氷に冷やされた素麺もある。
 麻婆豆腐に肉団子、ひんやりとした胡瓜のスープに暖かい味噌汁。
 たくさんの果物に、焼き菓子、ジルベリア風のタルトやゼリー。
 テーブルの上に美しく活けられた花に至るまで全てが三年生の用意、なのだ。
「待たせて悪かったな。ようこそ。我らの感謝の宴へ」
 目を瞬かせる一年生を芝居がかった姿で出迎えたのは体育委員長西浦三郎。
 いつもは実習の時も普通の着物を着ていることが多いのだが、今日はちゃんと狩衣の陰陽服を着ていた。他の面々も色や着こなしこそ違うが同じような服装だ。
 夏の最中に暑いだろうとも思うが、これは彼らにとっての正装。
 謝恩会の招待客への礼儀、ということなのかもしれない。
「お気に召したのなら光栄。では、皆さん。どうぞこちらへ」
 案内役を担当しているのは七松透だ。人形を巧みに操る彼に促されて料理を取り巻くように設けられた席に着く。その配置はどうやらランダムであるようだった。
 二年生の横に用務員がいたり、食堂の料理長の横が真名であったり。朱里も折々の隣に席を作られてちょこんと座っている。蒼空音も静音の側に。
 案内してくれた人妖の少女は三年生の手伝いをしているようだが。
「おいらはここなりね‥‥って、おわっ! 寮長」
 目を剥く譲治にくすりと笑って寮長は着席を促した。
「今日は無礼講です。気にせず早く座りなさい」
「はいなのだ!」
 言われれば遠慮をする譲治ではない。ぴょこんと頭を下げてから椅子に座った。
「フハハ、唐揚げは頂いたー!!」
「『乾杯が終わるまで待ちなさい!』」
 げしっと喪越の頭に蹴りを入れた人形が二つ、それぞれの主の元に帰っていくと場の中央に西浦三郎が立ち三年生達が寄り添う様に集まる。
 誰ともなく会話を止め静寂に包まれた会場で皆の視線を受け、彼は口を開けた。
「今日はお忙しい中、我々三年生の謝恩会にお集まりくださいましてありがとうございます。我々は明日、この学び舎を後にします。陳腐な言葉でしか表現できませんが、長いようであっという間の三年間。でも、本当に充実した日々を過ごすことができました。心から感謝申し上げます」
 三年生全員が静かに頭を下げる。
「さっきも言いましたが、今日は我々の感謝の宴です。この仲間で集えるのは今日が最後。思いっきり楽しみましょう」
 パチパチパチ。
 最初は小さかった拍手がやがて、会場全体に広がる割れんばかりの音に変わって行く。
 やがてそれぞれに配られた杯が高く、高く掲げられた。
 乾杯の音頭を任されたのは調理委員長、黒木三太夫であった。
「では、ここに集いし仲間達の健康と、未来を願って! 乾杯!!」
「乾杯!!」
 杯のぶつかり合う音が明るく響く。
 けれど、その音がどこか寂しく聞こえたのはきっと、一人だけでは無かったろう。

●三年生の進路、そして‥‥
 パーティは立食形式で好きなものを好きなだけ、自由に取ることができる。
 席は作ってあるが、そこに座っているのはほぼ料理を食べる時だけ。
 けれどそのタイミングを見計らって皆、やってくる。
「飲み物は如何?」
「あ、委員長。ありがとうございます」
 静音は飲み物を注ぎに来た保健委員長綾森 桜に慌てて立ち上がるが彼女は柔らかい笑みでそれを制した。
「もう、明日からは委員長じゃないんだから。‥‥これからは貴方が皆を支えてくれるのね。副委員長?」
 まだ耳に慣れないが自分を指し示す言葉に静音ははい、と頷き答えた。
「‥‥副委員長には私が立候補を行う事になりました。委員長を目指して頑張っていきたいと思います」
「ダメよ。私なんかで終わっちゃ」
 下を向きかけた思いは、彼女の明るい答えにふと、上を向いた。
「私はね、いつも皆に迷惑かけっぱなし、心配かけっぱなしなの‥‥本当。最後の最後までね‥‥」
「委員長?」
 見れば、桜の目元には雫が浮かんでいる。それは、別れが理由だけでは無い何かがあるようで、静音はそれ以上を問う事はできなかった。
「でも皆は、そんな私を支えてくれた。人妖も、私に預けてくれて‥‥本当に皆のおかげでここまで来れたの」
 桜の進路は知っている。故郷の村に戻ると‥‥。
「だから、貴方は皆を支えてあげられる人になって。貴方なら、きっと、できるから」
 強い信頼と励ましの言葉。静音は自然と手を握り締めていた。
 心の中に蘇る。副委員長に立候補しようと決めた時のあの思いが。
(座して人任せでは追いつけない‥‥私は憧れるのでなく仲間としてありたいんだ)
「はい。お約束します」
 静音の誓いに桜は、その名に抱く花のような笑みで、頷いたのだった。

 最初に三年生が用意した料理の数々はその味と質で、すぐにほぼ捌けてしまった。追加の料理作りに精を出す三太夫の所に朔が
「料理勝負を致しましょう」
 と乗り込んできたのは宴もたけなわの頃。
「流石、調理委員長。でも、最後の勝負。負けませんからね!」
「ははは、若造にはまだまだ負けん!」
「全力で手伝うなりよ!!」
「朔さん、調味料、ここに並べておきますね」
「できた料理から運んでいくわよ。は〜い、変わり寿司に魚の味噌汁。それから鮎の炊き込みご飯はいかが〜」
 会場に負けず劣らず厨房も賑やかだ。
「そう言えば委員長はどちらにお勤めになるのか、伺ってもよろしいでしょうか?」
 勝負と言う名で一緒に料理をする先輩は
「ああ」
 と頷いて
「蒼空音と知望院に入る。暫く、会えなくなるかな」
 そう答えた。知望院は五行のエリートコース。それは祝福するべき事なのだろう。
「それは、おめでとうございます」
「ん。ずっと憧れだったんだ」
 朔の祝福に頷く彼の目は子供のように輝いている。
「料理もそうだけど、俺はいろんなことを知りたいと思う。色々な人、色々な料理、色々な土地、色々なアヤカシ。それらを知って親しくなること。皆の笑顔を作っていくことが俺の夢だからな」
「貴方ならきっとできると思います。どうか、頑張って下さい」
「お疲れ様! これからは私達がきっちりやっていくから任せて♪」
 泣き出しそうな顔になる真名を、同じ顔の紫乃が抱きしめている。
「ああ、任せたぞ」
 そう言って彼は安心しきった顔で、頷いたのだった。

 知望院の助手を務めるという蒼空音は寂しげに、でも晴れやかな笑みを浮かべていた。
『私を必要として下さる方がいるのなら、全力を尽くしたいと思っています』
 最初に出会った時の悲しい目ではもう無い。
 しっかりと前と未来を見据えた眼差しに
「よかった。」
 折々はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
 三年生の人妖、陽菜は桜に預けられ彼女の故郷の村に行くと言う。
「蒼空音ちゃんも陽菜ちゃんも大丈夫。きっとどこでも頑張れるよ」
 ことさら明るく笑う朱里に、そうだね、と折々は頷いてから
「あ、そうだ。皆に贈り物があったんだ。青嵐くんがね〜、時間ぎりぎりまで作ってくれたやつ」
 服の隠しから小さな箱を取り出した。
「私に? 何?」
 朱里は箱を受け取るとリボンを取ってそっと開ける。
 中には小さな朱雀の木彫りが三つ可愛らしく並んでいる。それは朱里の良く知るものにそっくりで
「朱花‥‥どうして?」
 彼女は驚きの声を上げたのだった。
「もどき、だけどね。皆で作ったんだ。あ、ちゃんと寮長の許可は取ってるよ」
「お前さんたちも、間違いなく俺達の仲間、だからな」
 会話にそっと割り込んだ劫光は箱から朱花を一つ摘み取ると朱里の前に跪いた。
 彼女の胸に朱花を着ける為に。
「開拓者は飛び回るのが仕事。どっかで会えるさ」
「私達はどこに行っても仲間、だからね」
 折々も蒼空音の胸にそれを着けてやる。青嵐は陽菜に。
「ありがとう‥‥」
 今までずっと我慢をしていたのだろう。急に涙腺が切れたように泣き出した朱里を折々はそっと抱きしめながら優しく、落ち着くまでの短くない時間、背中を優しく撫でていた。
 
 人妖達の様子を確かめてから、青嵐はそっと人の輪を離れ目的の人の所へと向かった。
「おや、どうしました?」
 宴の雑踏から少し離れた所で、余興のように笛を奏でていた透はやってきた青嵐に演奏の手を止めて笑いかけた。
『演奏の邪魔をして申し訳ありません。ただ、どうしても卒業を前にした貴方に、お伺いしたいことがあったのです。お答え、頂けますか?』
「私に、答えられることであるなら」
 そう言って頷いた透に青嵐がした質問は
『貴方は、自らの望みに、近づけましたか?』
 であった。
『陰陽師になって、この寮で学び。貴方はどんな自分を目指したのですか?』
 小さな沈黙の後、透は一度だけ下げた眼差しを上げて青嵐を見つめ返し
「目標はまだ、遠くに。けれど近づけた実感はあります」
 はっきりと、そう答えたのだった。
「私はかつて罪を犯しました。本来なら、この場にいるどころかこうして生きているのさえ許されない罪人です。地獄のような日々から、ある人が手を差し伸べ、救い上げてくれたのです。そしてここに入れてくれた。本当に、ここは天国かと思いましたよ。今までとあまりに違い過ぎて、馴染むのに時間がかかりもしましたが」
 彼は『罪』も『地獄』も口にしない。横に置いた人形を撫でながら、宝物を抱きしめるように言葉を紡いでいく。
「私は、やっと得られた大事なものを守りたいと思った。その為の力を得たいと思った。その為にここで学び、色々な体験をしました。まだ道は半ばではありますが、目標さえも見えなかった昔に比べれば、ここでの生活は目指す自分とその為の力を与えてくれたと思いますよ」
 そう言って、透は言葉を止め、青嵐を見た。
「貴方は、それを見つけられそうですか?」
『まだ、解りません。でも‥‥二年後にはきっと‥‥』
 自然をなぞり返すように交差させて顔を見合わせた二人の言葉はそこで止まる。
 けれどもその眼差しは確か微笑んでいた。
 お互いの未来に幸運を祈るように、優しく‥‥。

 宴は賑やかに過ぎて行った。
 三年生は歌を歌ったり、手品のようなものを見せて場を楽しませる。
 三郎の見せた芸はなかなかのものであった。
「こういうのには術を使わないのが浪漫なんだ」
 というよく解らないポリシーがあるらしい。
 七松透の笛に桜と伊織が音楽を重ねた時には、その美声に驚いたものだ。
 特に伊織が大声を出すことはまず無かったので、その澄んだソプラノには誰もが聞き惚れていた。
「伊織の歌はやっぱり最高だな」
 三郎が感嘆の声と拍手を上げると伊織は微かに顔を赤らめていた。
「? あ〜、もしかして?」

 やがて、宴が最佳境になろうと言う時。
「あれ?」
 寮生達はいつの間にか自分達の服の隠しに覚えの無いものが紛れ込んでいたことに気が付いた。
「これは‥‥勾玉?」
 小さな包みを開けた手にころんと、転がり出てきたのは美しく磨き上げられた勾玉だった。
「赤い勾玉だ」「おいらのも!」「私のは青ですねえ〜」「黄色の勾玉だな」「私達のは白です」「黒の勾玉。これって委員会ごとに違っているのかしら?」
 寮生達のざわめきに答えるように気が付けば、三年生達が集まっていた。
「それは、ささやかだけど私達からの礼と祈りだ。受け取って欲しい」
 寮生達は彼らの言葉に終わりの時を告げられたような気がして沈黙した。
 俯いてしまう者も多い中、折々が仲間達に小さく目くばせをする。
 それを合図に一年生が全員前に進み出た。
「三年生に、私達からお願いがあるんだけど聞いて貰っていい?」
「ああ、何だ?」
 そう返した三郎に折々は丁寧に頭を下げて微笑んだ。
「朱雀寮のこと、ずっと覚えていて下さい」
 そうして、自分達が作った根付をそれぞれに渡す。
「今日のことも、今までのことも、わたしたちのことも、出会った全ての人達のことも。楽しい思い出ばかりじゃなかったかも知れないけど。それでも‥‥」
 気丈で折々が声を詰まらせる。そんな彼女を小さな伊織がぎゅうと抱きしめた。
「当たり前だ。我々は巣立っても心はいつも皆の側に置いていく。ここは、私達の故郷だから‥‥」
「ずっと‥‥側にいるよ。忘れない‥‥」
 号泣に近い涙を流す者も、抱き合う者もいる。
 迫る別れの時。けれど、その胸に互いを照らす灯火が灯ったのは間違いなかったろう。
 互いを思う心と言う灯火が。

 さらに夜はふけていく。宴はまだ続いているが劫光は動かずにその様子を少し離れた所から見つめていた。
 正確には動けないと言うのが正しい。
 自分の膝で寝息を立てる静乃を起こさないように彼は静乃の残した沢庵を齧る。
 珍しく酒を飲み落ちてしまった静乃の言葉が胸を過る。
「先輩達がこれまで培ってきたり護ってきたモノを、同じ様にしないと、ね」
 酔いに任せた言葉ではなく、彼女の本心。
 彼自身もそう思うからそっと優しく静乃の髪を撫でた。
「ん?」
 ふと彼は外に動いていく二つの影を見つける。
 譲治が用意した篝火に向かって歩いていくのは、三郎と喪越であろう。
 喪越も珍しく狩衣を着て何やら本気の空気を身に纏っている。
 さっきまで三郎とは酒飲み勝負をしたが、ザルだと言う彼には叶わなかった。
 けれど、あの様子は‥‥。
 気になるが静乃を起こすわけにはいかない。
 そっと、彼は静かな格闘を始めたのだった。
 向こうで発生した大きな格闘の前に。

 そして、宴の終わりの終わり。
「はあ〜〜っ。リベンジならず、はちと悔しいねえ」
 暗闇の実技訓練場で転がる二つの影があった。
 救急箱を手に治療をする伊織に包帯を結ばれながら立ち上がる影の一つは喪越。
 もう一つのそれは、まだ地面に転がったままだ。
「何を言って‥‥寮生同士の、手合わせに‥‥血の契約に、混沌の使い魔‥‥って、ありえない‥‥マジ、死ぬかと‥‥思った」
「いや、喰らったら死ぬだろ、実際」
「劫光‥‥」
 声と一緒に差し出された手ぬぐいを受け取ったもう一つの影は三郎で、顔を拭きながら小さく笑み返して答える。
「先手取られたし避けるのも無駄だから突っ切って術者を狙った。術が完成する前に爆式拳が通らなかったら、まあ、おしまいだったたかな」
「あと一手打ててたら、まあなんとかなったかもしれないんだけどねえ〜。ちょっと本気になりすぎたってことで、今日の所は卒業生に花を持たしときましょ」
 ほこりを払いながら治療の礼を伊織に言って喪越は丁寧にお辞儀をした。
 完璧な礼節の態度である。
「人生は出逢いと別れの繰り返し、いつか再び見えん事を‥‥ってな」
「‥‥ありがとう。またな」
 軽く笑って去って行く喪越を座ったまま見送り三郎は寝転んで空を見上げている。
「なあ? 三郎?」
 問う様に顔を見つめる劫光になんだ? と三郎は彼を眺め返した。
「あんたは引くとか、逃げるとかしないのか?」
「俺は‥‥逃げてばかりだよ。一番大事なものから」
「?」
「だから、私はそれ以外のものからは絶対に逃げないと決めているんだ」
 暗闇で微かな明かりはあるとはいえ、意図して顔を背けたであろう三郎の思いは劫光には見えない。ひょいと飛び起きた時の彼はいつもの笑みを浮かべていた。
「さあ、行こう。もう疲れて寝てしまった奴もいるだろう。夏とはいえ夜は寒いからな」
「ああ、そうだ。静乃。おい、待て三郎!」
 先を行き走り出す三郎を、その背中を劫光はまだ黙って追いかけて行ったのだった。
 
 そして、人がいなくなった訓練場でこんな会話が聞こえる。
「伊織せんぱい? ひょっとして三郎体育委員長が、お好きだったんですか?」
「三郎は、桜が好き‥‥、でも、桜には好きな人がいる。‥‥だから、私は‥‥今は、まだ‥‥いいの。大丈夫、諦めない‥‥から」
 自分の質問に頬を真っ赤にして答えた伊織を、アッピンはぎゅう、と強く、抱きしめたのだった。

●一年の終わり、一年の始まり
 楽しいことだけの時間はすぐに過ぎ去って行ってしまうもの。
 夜遅くまで続いた謝恩会の宴。
 いつお開きになったのか解らない程に盛り上がった夜。
 その後、朱雀寮の大部屋に場を変えても語り合い笑い合った。
 そして、朝。
「あ‥‥」
 目覚めた時一年生と二年生達は、既に三年生達がその場から姿を消していることに気付いた。
 食堂は綺麗に片づけられ、ロッカーや研究室には何もない。
 夢のようだった一夜の証は、昨日の戦いでえぐり取られた練習場の地面と、寮生達の手元に残った勾玉だけ。
「本当に、行ってしまうのですね」
 紫乃は会場ではなんとか我慢した涙を、もう止める事ができなかった。
 その時、朱雀寮に
 ゴーーン。
 ひときわ高い鐘の音が響いた。
 誰ともなく駆け出した先は、朱雀門。
 そこでは式典を終えた三年生達が、今まさに外に出ようとしていた。
 三人肩を寄せ合って泣く人妖達の姿も見える。
「先輩!!」
 寮生達の呼び声に彼らは振り向く。そして、大きく手を振った。
 彼らの手には書状が治められたであろう筒がある。
 その下に揺れるのはあの根付‥‥。
「おう!!」
「元気でやれよ!」
「いつかまたお会いしましょう」
「貴方達のことは忘れません」
「‥‥ありがとう。またね」
 そうして彼らは顔を見合わせると、朱雀寮と、寮生達に背を向け門を潜る。
 もう足を止めることはしなかった。
 真っ直ぐに、自分達の信じる道に向かって歩んでいく彼らの背中を、
「以後、まみえる事皆無と言えず。叶わくば朱雀の加護在らん事を。これより先幸多からん事を」
「卒業おめでとう。あんた達の事は決して忘れない。その志、しっかり継いで行く!」
「皆に会えてよかった。この出会いは私にとって宝物。いつまでもお元気で!」」
 寮生達は自らの心に刻み込むように滲む目でいつまでも、いつまでも見つめていた。

 そして、その数日後。
 朱雀寮に新しい実技担当教官が赴任すると聞いて、二年生と三年生となった寮生達は講堂へと集まってきた。
 二年生の指導も担当すると言うその教官の顔を見て、ある者は硬直し、ある者は目を見開き、そしてある者は
「やっぱりな。こんな予感がしたんだよ」
 笑い出したと言う。
 寮長が悪戯っぽく笑う中、最後に別れた時とまったく同じ笑顔をして彼はこう、挨拶をした。
「よう! 新任教官。西浦三郎だ。これからもよろしくな!」

 朱雀寮の一年が終わった。
 そして、新しい年がまた始まる。