【五行】進級試験と‥‥
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 12人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/06/02 20:02



■オープニング本文

「一度しか見せません。良く見ていなさい」
 
 五月。
 一年生として最後の実習が行われる予定の日。
 集められた彼らの前で持ってきた箱を開くと、朱雀寮寮長 各務 紫郎は前置きなくそれを始めた。
 まず手に取った純白の符に朱の筆でさらりと鳥を描く。
 朱雀を思わせる優美な鳥が符の上で踊っている。
 次に筆を持ちかえ黒の文字を書く。
 寮生達には意味程度にしか解らない文字。だが、その文字が意味と力を持っていることは理解できる。
 そして最後に箱から取り出したのはふしぎな宝珠であった。
 通信用や船の動力などに使われるものとは明らかに違う色合いを放つ宝珠を寮長は、今、描き上げたばかりの符にそっと触れさせる。
「えっ?」
 目を閉じた寮長の指が、宝珠に触れ、微かに動いたと思った瞬間、宝珠から何かが流れ出てくる。
「‥‥瘴気?」
 紫めいた気が符を覆う。
 その次の瞬間、寮生達は我が目を疑った。
「わっ!」
 微かな音を立てて符に瘴気が吸い込まれていくのだ。
 今までただの紙の束、であった符が、力を帯び術符となって行くのを彼等は驚くしかない眼差しで見つめていた。
 紫郎が手に取り、呪文を唱えると放たれた術と共に朱色の羽が、空に舞って見える。
「綺麗‥‥。これが、私達の符‥‥」
 夢のような光景に見とれる一年生達を我に返したのは、やはり寮長の声であった。

「これが符の作成と、いうものです。
 それぞれ専門家には自分なりのやり方がありますが、朱雀ではこのようなやり方で符を作ります。
 とはいえ、本当に0から全て作るのにはもっと難しい手順があるのです。イメージする符に合う瘴気を集めるところから、符に瘴気を安定させる為の呪文の構成などは一年生には難しいし、教えていませんので、ある程度はこちらで整えました。
 君達の意見から生まれたこれが、紅符 図南の翼‥‥。いかがですか?」
 寮生達がそれぞれに笑顔を見せた。自分達の願いが目の前に形になるのはなかなかに感動的である。
「一度、符の作成を始めると終了まで集中を途切れさせることはできません。途中で止めてしまえば符の作成が失敗するばかりか、宝珠に封じられた瘴気が逃げてしまう可能性が高いからです」
 寮長は簡単そうにやってみせた。
 これは一年生の進級試験。つまり陰陽寮の二年生以降は全員ができるということなのだ。
 見学の一年生達に害が加わらないように安全最優先で作業を行うのは神経を使うものであったのだろうが自分達に果たしてできるだろうか?
 緊張が再び寮生を包む中、彼は呼吸を整えると一年生達に宣告した。

「さて、これからが進級試験です。
 第二義
 皆に、符作成の為の瘴封宝珠を与えます。白紙の符の束と、道具も同様に。
 これらを使い朱雀寮で、自分達の符を完成させない」

 試験開始は三日後。場所は講堂。
 それまでに字と絵の練習をすることと寮長は言った。
「当日は試験開始後、符が完成するまで会場を離れることは減点対象となります。
 私はある程度慣れているので比較的早く符を完成させることができましたが、皆さんは時間がかかることと思われます。事前にしっかりと準備をしてくることを勧めます」
「準備って‥‥?」
 寮生の質問に寮長は首を横に振る。

「ここからは、もう試験です。質問は原則として受け付けません。
 ただ、いくつかの注意点は与えましょう。
 符の作成に重要なのは、呪文の書き込みと、瘴気の注入になります。
 字を間違えたらその効果が発揮されないので、気を付けて。
 瘴封宝珠には符作成の為の瘴気が込められています。術を使うのと同様に呪文を唱えると瘴気が解放されます。通常であるなら解放された瘴気は散ってしまいますが、呪文を書いた符の上に置く限り瘴気を符に定着させることができるのです。一度宝珠から瘴気を解放させた後、場を離れたり瘴気を途中で止めることはできなくはありませんが、その場合、符の作成は失敗しますので、途切れない集中力が必要です。
 自分の願いと意思をしっかりと持って符を完成させて下さい。
 では、最後に宝珠から瘴気を開放する呪文と、瘴気を止める呪文を教えます」

 呪文を教え、彼は講堂を去って行った。
 寮生達に与えられたのは一人一つの箱。
 中には白紙の符の束と、朱の鳥の絵と呪文が描かれた符が入っている。後は不思議な宝珠と筆。
「これを見て、呪文も練習して、当日、試験に臨めってことなのかな?」
「自分の願いと意思をしっかりと‥‥か」
 寮生達はいよいよ始まった最後の試験に、身震いする気持ちを止めることができなかった。


 そして、試験の最中。
 朱雀寮を悲鳴が切り裂いた。
「キャアアア!」
「た、大変だ!! アヤカシが逃げ出した!!!」
「アヤカシが寮内で暴れている!!!」


■参加者一覧
俳沢折々(ia0401
18歳・女・陰
青嵐(ia0508
20歳・男・陰
玉櫛・静音(ia0872
20歳・女・陰
喪越(ia1670
33歳・男・陰
瀬崎 静乃(ia4468
15歳・女・陰
平野 譲治(ia5226
15歳・男・陰
アルネイス(ia6104
15歳・女・陰
劫光(ia9510
22歳・男・陰
尾花 紫乃(ia9951
17歳・女・巫
アッピン(ib0840
20歳・女・陰
真名(ib1222
17歳・女・陰
尾花 朔(ib1268
19歳・男・陰


■リプレイ本文

●進級試験前のできごと

 そもそも、試験と言うのは出題者が求めるモノがあり、それに受験者がどう答えを出すか見るモノである。
 進級試験前日の夜。用具倉庫の中で人知れず声がする。
「今年もやるんですか? 相変わらず趣味が悪い試験ですよね〜」
 もうじき元三年生になろうとしている寮生が準備の手伝いをしながらそう呟いたのだ。
 二年前、彼等も同じ試験を受けた。
「‥‥本当に、趣味が悪い。私‥‥あの時、不合格って注意されたの今も、忘れないん‥‥だから」
「でも、そのおかげで皆と仲良くなれたでしょ。私はちょっぴり感謝しているのよ。一年間、ずっと心を閉ざしていた貴方があの件と、補習で私達を頼ってくれたこと」
「それは私もです。あの不合格と再試験が無ければ‥‥と、いろいろ話しだしたら止まらなくなるからこの辺で止めにしておきましょう。壺は選びましたか?」
「ああ、そこそこ危なくて、数が多くて、でも奴らならちゃんと止められる奴をな」
「と、言うわけです。寮長。準備が出来ました」
 顔を上げる彼らにそうですか、と微笑して朱雀寮長、各務紫郎は宣言する。

「では、これより朱雀寮一年生、進級本試験を開始します」

 そんな事はもちろん露とも知らず
「朔、見ろよ。この符も陰陽寮の生徒が考案したものらしいぞ」
「気軽に使っていましたが、こうしていると面白いものですね」
 顔を突き合わせて検討を続ける劫光(ia9510)と尾花朔(ib1268)。
「はーい、ちょっと休憩しようか。本を持っての飲食は厳禁だから、本は置いてこっちに来てね〜」
 二人に明るくて、良く通る声が言葉をかける。
 その声と夕暮れ。暗くなってきた部屋で灯りに誘われるように部屋のあちこちに散らばっていた寮生達が集まってくる。
 ここは陰陽寮朱雀、一年生図書室。
 一年生達は最後の試験準備期間。
 それぞれに予習と練習に余念がなく動いていたのだった。
「みんな、勉強の方は進んでる?」
 お茶を用意しそう聞いたのは俳沢折々(ia0401)とアッピン(ib0840)。
 共に図書委員を務める二人は
「いよいよですね〜。楽しいですね〜」
 緊張の面持ちの友人達に笑いかける。
「今日は、閉館時間気にしなくっていいって。明日に響かない程度にゆっくり、無理せず使ってね」
 図書室での事前勉強を希望する友人達と、自分達の為に図書室の利用許可を取ったのだから。と。
「ありがとうございます〜。やっぱり事前に勉強しておかないと不安になってしまうのですよね〜。
 あ、すみません静乃殿ここの所がよくわからないんですが教えていただけますか? この綴りの意味は‥‥」
 パタパタと本を広げようとするアルネイス(ia6104)は図書委員達の様子に気づき、机に背を向けて瀬崎 静乃(ia4468)を呼んだ。
「‥‥ああ、これは、‥‥呪文の効果を高めるもの、だと思う。少し、複雑だけど、覚えれば、大丈夫。一緒に、練習‥‥しよう?」
 ね? と首を傾ける静乃の様子と頷くアルネイスに、くすり、お茶を飲んでいた玉櫛・静音(ia0872)が微笑む。
「随分、熱心ですね〜」
「自分の書き、唱える呪文の意味が解らず試験に臨むのは、あまり良いとは思えません。ちゃんと練習して、理解してからの方がいいと思うのです」
「ああ、それは同感。字だってただ写すだけじゃ、魂が籠らないもの」
「同じく。意味が解らないんじゃ想いの乗せ様も無い」
 ここに集まった寮生達は朝からずっと呪文や、符の書き方などの勉強を続けていた。
 折々の周りにはたくさんの半紙が重なっているし、アッピンも朱の鳥の絵も含めて符の模写を続けている。
「朱雀寮に入ってから実感したんだけどさ。人生って無駄なことは一つもないんだと思う。委員会のお仕事ひとつとっても、今まで体験してきたことがこうして役に立つ日がくるんだ」
 それは習字の練習であったり、絵の描き方であったりするんだけど、そう続けて折々は言う。
「図南の翼に込めた『一歩ずつ前へ進んでいこう』って想いはきっと間違ってないと思う。だから、できる限りのことをやって、その上で結果を待とう。そうすれば、きっと後悔は少なくて済むと思うから」
「ああ。全力を尽くす。今は、それだけだ」
 トン。
 空になった湯飲みをテーブルに置くと、そう言って劫光は立ち上がった。
「ごちそうさん。さて、あと、一頑張りだな」
「お粗末様。あれ? そう言えば他の皆は? 珍しいよね。保健委員の皆の中に紫乃がいないなんて」
「譲治君もいませんね〜」
 劫光の声を合図にするように立ち上がる寮生達を見て、ふと二人は声を上げる。
 その声に振り向いて、劫光と静音は答えた。
「譲治は今頃、部屋で勉強中だろ。昨日、三年生や人妖達を一日中探したのに見つからなかったって落ち込んでたが。まあ‥‥明日は気分転換に組手の約束をしてる。その時に勉強は見てやるさ」
「紫乃さんは真名(ib1222)さんと自主練習をするそうです」
「?」
 二人の名前を聞いたとたん、朔の肩が微かに動いた。
 他の者達は気付かなかったろうが、彼との付き合いは半端では無い。
 劫光は明らかに挙動不審に陥った友人に無理に迫ることは止めることにした。
「用具委員のお二人も、それぞれに勉強をしているようですよ」
「そっか、皆、頑張ってるんだね〜。後でもう一回お茶貰ってきて差し入れしようかな?よし、皆、後、一頑張りだ〜!」
 そんな声をかけを図書委員達もまた茶わんを片づけて勉強に戻って行ったのだった。

 一方、こちらは泉宮 紫乃(ia9951)と真名。
 寮の一室を借りて互いに勉強と練習を重ねている。
 一人が符作成の手順をさらう様子をもう一人が見つめ、間違った場所を教えるのだ。
宝珠を握り、符に向かう紫乃に、まって! と真名は声をかけた。
「紫乃。もう少し力を抜いたほうがいいと思う。肩に力、入りすぎてるから」
「は、はい。ありがとうございます」
「でも、大体の流れは掴めたね。後は、明日劫光達ともう一回おさらいして、本番にしよう。‥‥大丈夫。絶対、皆で合格できるから」
「ええ」
 明るく笑う真名の花のような笑みに、紫乃も笑顔を返す。
 笑顔を交差させた後、真名は
「紫乃」
 ぎゅっと、紫乃の手を両手で握り締めた。
「例えどんな結果になっても私は紫乃の親友のつもり。だから‥‥頑張ろう」
 どんな結果。
 彼女の言う言葉が、決して試験を意味しているのではないと紫乃は知っている。
 だから
「はい」
 彼女はしっかりと頷き、自分の手を包む真名の手に自分のもう一つの手を重ねた。
「どんな結果になっても、親友でいて下さいね」
 手の中の小さな願い、そして約束。
 まるでそれを逃がすことはない、と言う様に‥‥。

 仲良しの保健委員や図書委員達には『用具委員』と一緒にされたが、二人の用具委員。青嵐(ia0508)と喪越(ia1670)はそれぞれ別の場所で、別の勉強をしていた。
 青嵐が主として練習したのは宝珠のコントロール。
 喪越が主として取り組んだのは符の字の練習であった。
 けれど、同じものもある。
 違う場所で異なることに取り組みながら、彼らは己の心に問いかけていた。
『自分の願いと意思をしっかり持ちなさい』
 寮長の言葉が耳に残る。
 青嵐は思い出す。陰陽術の基礎を教えてくれた人の言葉を‥‥思い出す。
『陰陽術は心の技術。想う事だ、信頼することだ。
 心から望めば、それに応えてくれる。
 呪文も術具も、その心の後押しをするものに過ぎない』
『届かない手を届かせる翼を!』
 そうして、彼は一心不乱に練習に励んだのだった。
 喪越も一人試験に向けた練習に励む。
「だ〜っ! 地道な練習なんてガラじゃあねえんだけどな。そもそも綺麗な字ってかなりの苦手分野な気が。芸術を爆発させるんならいくらでもドッカンドッカンやってやるんだが。っと。譲治に練習頼まれてたっけな。気分転換に行って来るか」
 時に背を伸ばしながら彼は目を閉じる。
 自分の願いを再確認する為に。
『俺の願いであり、祈りであり、目指すところ。
 ヒトだろうと。
 アヤカシだろうと。
 物だろうと。
 男だろうと女だろうとオカマだろうと、善だろうと悪だろうと中庸だろうと、子供だろうと大人だろうと老人だろうと。
 この世界の全てに等しく愛を。祝福を。慰めを』
 揺るぎない思い。それを心の中に再確認して。

 いよいよ明日が試験と言う時と時間。
「お頼み致しまするっ!」
 朱雀寮に平野 譲治(ia5226)の元気な声と組手の音が響く。
「試験‥‥なりか。ここまで来たら一緒なりよねっ! なれば、いつも通りが最良なりよっ!」
「そうだな。ほら! そこっ! 守りが空になってるぞ!」
 容赦ない言葉と蹴りが一緒に飛んでくる。
「はいっ!」
 素直に譲治は応じて拳に力を入れる。
 練習は一生懸命やった。やるべきことは全てやった。
 後は全力を尽くすのみ。
「頑張って下さいね〜」
 そんな見物人たちの応援を受けながら、少年と相手の組手は遅くまで続いていた。

 そして最後の夜。
「劫光さん‥‥」
「何だ?」
 一人の悩める人物が試験では無い、だがそれ以上の悩みの答えを求め友に問いかけた。

 それぞれの夜が終わり、朝がやってくる。
 たった一度きりの朝が。

●朱雀寮進級試験
 試験会場に向かう寮生達。
 どこか緊張の面持ちの彼らの表情を緩めるように
「だいじょうぶ。みんなが一生懸命練習してきたのは知ってるしね。
 符を作るなんて機会はそうそうないし、楽しむくらいの心構えで良いんじゃないかな。
 まずは深呼吸ー」
「そうですね〜。楽しみですよ〜。なんだかわくわくです」
 明るく折々が笑いかけた。答えるアッピン。
 それがきっかけになり、互いが互いを励ましあう姿が見られるようになる。
「トイレよーし、水分補給の準備よーし、当たって砕ける覚悟よーしってか?」
「砕けては拙いのでは?」
「ぐはっ! 突っ込まれた!」
「何をしてるんだ? 譲治?」
「サイコロ占い。気の持ちようって、出たなりよ」
 ちょうどいい具合に力も抜けた頃、彼らの前に試験会場と笑顔で待つ寮長の姿が見えた。

 講堂は既に試験会場に変化している。
 板と布で簡単にではあるが間仕切りされ他者の様子は見えないようになっていた。
「中に準備は全て整えてあります。以降、全ての質問は受け付けません。自分の責任において行動しなさい。では、進級試験を開始します!」
 寮長の表情は見えないが、宣言ははっきりと聞こえた。
 寮生達は符の作成に向かい合う。
 純白の符に呪文を紡ぎ、絵を描く。寮長が見せた作成手順を、練習を踏まえて慎重になぞっていく。
 それぞれの個人差はあるが、彼らが符を描き終え瘴気の注入を開始した時だった。
 ドオン!!
 爆発音が寮生達の耳に届いたのは。やがて朱雀寮を悲鳴が切り裂いた。
「キャアアア!」
「た、大変だ!! アヤカシが逃げ出した!!!」
「アヤカシが寮内で暴れている!!!」
 その声は、試験会場の寮生達の耳にはっきりと届いていた。

「悲鳴?」
 折々は宝珠を握る手を離さず顔を上げた。
 頭の中で冷静に状況を分析する。
(アヤカシの専門家である陰陽師の集う陰陽寮。
 尚且つ、一年生が講堂で進級試験をやっていることは、ほぼ周知の事実のハズ。
 にも関わらずアヤカシ逃走程度で騒ぎが起こるというのは、
 通常ならざる数、もしくは脅威を秘めたアヤカシが暴走している、か。
 もしくは試験の一環として、わたしたちがどう動くかを見るため、のどちらか、かな)
 小さく苦笑し、でも彼女は既に呪文を止めていた。
(前者であれば当然、即座に助けに向かう必要があるし、後者であれば尚の事、自分の意志を見せなければならない場面。
 どちらにしても静観っていう選択肢は、わたしにとってはあり得ない状況だなあ)
 小さく指を鳴らして人魂を放つと折々は即座に個室から飛び出して行った。

 紫乃も正直、解っていた。
(先輩の術かもしれない、試されているのかもしれない)
 けれど、本当に助けを求めている可能性が少しでもあるのなら。
 彼女の身体は頭より正直だ。もう手の中の宝珠は動きを止めている。
(私は以前と同じ答えしか出せません。合格か救助なら救助を選ぶ。その上で合格の為に最善を尽くす)
 個室から外に出て外で待つ寮長に一礼すると彼女は講堂の外へと出て行ったのである。

 悲鳴を聞いてすぐ、劫光は立ち上がっていた。
 宝珠はとうに静止させた。
 ここで立ち上がることに、試験の失敗に未練が無いと言えば嘘になる。
 この1年は決して軽くない。何時かの様に誰かの仕業ってのも頭を過ぎる。
 だが、悲鳴は別だ。握りしめたこぶしに力が入る。
 助けを求める声に答えない等今までやってきた事の否定だ。
「からかわれただけなら俺が間抜けだったで終わり。
 だが、そうでなかったら後悔する。後悔しない為に俺は行く!」
 自分に言い聞かせるようにそう言って彼は試験会場を出たのだった。

「これまで学んできた事を全て込めて‥‥」
 静音は練習し覚えた道具の使い方を反芻しながら、ゆっくりと作業を進めている。
 そして紅符『図南ノ翼』に呪を込めていたその時、悲鳴が彼女の耳に届いた。
 一瞬、迷い目を閉じる。
「ここで出るのは先輩達を信じていない事になるのではないでしょうか」
 けれど逡巡は一瞬。声はため息よりも早く呪を止める呪文を唱える」
「人命がかかっている時に私の尊敬する人達は動かない事はありません」
 外に出れば確実にいる同じ思いの仲間達の元に、彼女は道具を置いて走り出していた。

 額傷を軽く掻いていつになく真面目な顔で、喪越は符に向かっていた。
「どれ、始めますか」
 だが、聞こえてくる騒ぎに動きが止まる。
「アヤカシが逃げ出したって? ウチらしいっちゃウチらしいなあ」
 苦笑う彼にけれど、助けに行かないという選択肢は無かった。
「人手がいりそうなら試験を一時中断してでも、俺達も行くべきじゃねぇかな? こんなんで怪我人出てもつまらんだろ。
 ま、出ていったとしても、まず説得を試みる俺なんかはある意味邪魔かもしれんけど。理想と比べて現実はショッパイやね。だがヤるしかねぇんだ」
 欲しいものが手から零れ落ちる苦さは知っている。また、かもしれないと思う気持ちもある。
 けれど、彼の選択に迷いは今はないのだった。

 符の名付け親はいわば彼女である。
 故に真名の符に寄せる思いは格別であった。
「紅符『図南ノ翼』‥‥皆で考え形にした私達の符‥‥試験ってだけじゃなく絶対良い物にしたい」
 深呼吸して試験に臨む。
「志を抱き羽ばたく私達の思いの為に‥‥」
 練習し学ぶ内積み重ねた想いと技術、その全てを符に込めていた。
 けれど
「キャアアア!」
 悲鳴を聞いた瞬間、手を止め、瘴気を止めて外に出ていた真名。
「試験を投げ出す事になったとしても‥‥ここで止まる事はできない‥‥ごめんね!」
 残した言葉は友、そして作りかけの符に残した思いであったのだろう。

 アッピンは宝珠を持つ手に力を込める。
「世界の神秘を知り、高みを目指すという想いを込めて。もてるものすべて出し切るのです!」
 意志と願いを込めた全力行動。
 けれど、周囲の騒ぎに気付いた瞬間、彼女はもう立ち上がっていた。
「え〜、寮長。おトイレですが〜、いいでしょうか?」
 部屋を出て明るく笑うアッピンの周囲にはもう、寮生達が集まっている。
「あ〜皆さんもおトイレですか〜?」
 楽しげにアッピンは笑う。本当に笑ってしまう。
 仲間たちが大好きで。
「真面目な話、見てみぬ振りはダメですよね〜。試験よりも大切なこともあるということで、ひとつよろしくです。アヤカシ鎮圧にお手伝いにいきましょ〜」
 そう言って頷く友と一緒にいられることに誇りを持って彼女は一緒に歩き出した。


「皆さん、落ち着いて!」
 走り出した仲間を呼び止めて朔は人魂で場所と状況を確認した。
「中庭、ですね。そこで職員の方が襲われています!」
 既にそれぞれが自分の役割を理解して動き出している。
 朔は寮長に一礼すると、まだ入り口が揺れない小部屋に小さく声をかけて外へ向かう。
「待って!」
 講義室を出ようとする朔の背を呼び止める声が聞こえた。
「静乃さん?」
「僕も‥‥行く」
 符の作成を優先しようと思った。けれど、符を手にした瞬間に解ったのだ。
 自分のやるべきこと。
 とるべき行動を。
「大事な人達の‥‥役に立ちたいんだ」
「解りました。行きましょう!」
 二人が外に出て遠ざかる足音。
 講堂は再び静寂に包まれた。
 一人、残った寮長は腕を組み静寂を、その意味を呑み込むようにして目を閉じたのだった。
 
 現れたアヤカシは数は多いが、一体一体は大した実力ではなかった。
 巻き込まれた庭師や一般職員を助けても全員が分担して戦えば、程なく全てを倒すことが出来る。
「本当にアヤカシが出てたのか‥‥とにかく終わったんなら戻ろう」
 瘴気が消えたのを確認して劫光がそう仲間達に声をかけかけた時
「待て! 試験会場に戻ることは許さん」
 一年生達をそう呼び止める声がした。
「どういうことだ! ‥‥三郎!」
「伊織いいんちょ‥‥。皆さんも、どうして?」
 声の主は何か月かぶりに見る三年生達。
「やっぱり先輩方でしたか。でも‥‥なぜ戻ってはいけないのですか?」
「もう、貴方達の試験はほぼ終わっているからよ」
「えっ?」
 彼らは柔らかい笑みで一年生達に告げた。
「進級本試験、合格おめでとう」
 と。

●『試験』の意味
「後でコツを教えて下さいね」
 背中にかけられた声と外に飛び出して行った者達の足音を聞きながら青嵐は符へ込める力を極限まで高めていた。
『やるべき事を、履き違えない』
 早く仲間の元に向かう為に。
 微かに汗がにじむが気になどしている時間は無い。
(不可能ではない。寮長の符の作成を、目の前で見た。あの流れを思い出すんだ)
 彼は渾身の思いで符に力を定着させる。微かな音共に符が完成した。
「‥‥できた!」
 と同時彼は駆け出して行った。仲間達の元へと。

 符の作成に注力。外でも中でも何が起こっても気にしない。
 譲治は自分に言い聞かせるようにそう繰り返していた。
「おいらたちの手から生まれる符、気を抜いたらバチがあたるのだっ!」
 三年生の姿が見つけられなかった事、それは気になるが、今自分にできる一番の事は符の完成で或る筈。
「渾身注入!!」
 永遠にも似た瞬間を終えて朱い符が譲治の手の中に象られていく。
「やった! よーし。行くなりよ!!」
 符を手に扉を開けて外に出る。大きく伸びをして駆け出そうとした彼は、その手を凍りつかせることになる。

 アルネイスは冷静な判断を持ってこの場に残っていた。
「外に出る必要はない。これはおそらく私達を試すモノ」
 符に注ぐ瘴気の注入を早めたりもしない。冷静に彼女は行動を続けていた。
 上がった悲鳴が一般職員の作られたものではない声に聞こえたり戦闘の音が聞こえたがこんな試験のタイミングで丁度良く事件が起こるという事そのものが偶然にしては出来過ぎている。
 寮長はここにいるがこれまでも何度かあったように、先輩達が協力していると考えるのが妥当だろう。
 加え、ここは陰陽寮。しかも1年生が試験をしているという。外部の人がそう簡単に立ち入れる場所では無いのだから外で何か起きたなら2年、または3年の方が起こしたものだろう。で、あるならば基本的には当人だけで解決できる問題の筈だ。
「‥‥私の願いは『陰陽の術をもっと広く使えるようにする事』 先人の知識を応用ができるように発展させ、多くの人が利用できる形にして後世に伝えていくこと」
 符の作成も、進級もその一歩、疎かにするわけにはいかない。
 微かな音と共に瘴気が符に定着する。
「これで、完成でしょうか」
 いつの間にか額に浮かんだ汗を拭きながら微笑んで符を取ると、アルネイスは二人きりになった講堂の扉を開く。
 そこには、ある意味彼女の想像通りの者が待っていたのだった。

「朱雀寮 進級本試験。終了、ですね」
 講堂から最後に出たアルネイスの背後で、寮長がそう声をかけた。
「本試験、終了? 符の完成はさせて貰えないのですか?」
 心配そうに問いかける紫乃に寮長はゆっくりと首を振った。
「いいえ。これから戻って全員が符を完成させることを認めます。ただ、もう解った通り、この試験の最大の点は非常時、何を選び、何を選択するか。なのです」
「やはり、さっきの悲鳴は先輩達が仕組まれたものだったのですね」
「ああ‥‥アヤカシは確かにいて、俺達が倒したが、その後試験会場に戻ることは彼らに止められた。試験が終わるまでは、ってな」
 寮生達の背後には三年生達が微笑んでいる。
 九人と三人に分かれた自分達を微妙な笑みで見つめている用具委員長と体育委員長。 その眼差しを見るに‥‥
「この試験で求められていたのは、何があっても動揺せず、符を作ること、ではなく試験を中断し外に出ること‥‥だったのですか?」
「そうです。外に出る減点は確かにありますが、それ以上に外に出なかったことに対して減点の方が大きいですね」
 震える声のアルネイスの問いかけに寮長は肯定するように頷いた。
「陰陽師に分かれ道はつきものです。二つの選択肢があった時、そのどちらを選ぶか瞬時の選択が求められます。この試験はそれを見る為のものです。命令か、信じる道か、進級か命か‥‥。朱雀寮を守ろうという思いがあるかどうか‥‥」
「でも! 決して彼らはそれを軽視したわけでは‥‥」
 頭を下げる三人を庇うように朔は声を上げるが寮長はそれを手で制した。
「それは十分に解っています。けれど、これは試験です。意見は無用。判断は私が下します」
 パン。
 手を叩いて寮長は寮生達を見つめ、微笑んだ。
「では、全員講堂に戻り、符の作成の続きを。今度は集中を欠かさず完成させなさい」
「いいのですか?」
「中断した後、やり直しはできないなどとは一度も言ってはいませんよ。ちなみ制限時間もつけていない筈です」

 講義室に戻ってきた寮生達の表情はそれぞれであった。
 安堵であったり、微妙な怒りであったり、心配であったり不安であったり‥‥後悔であったり。
 けれど戻って後再び、符に向かい合った者達の中に、自分の減点の思いを符に乗せる者はいなかった。願い、誓い、思い‥‥。
 それぞれの思いが象られ符となす。
「できた!!」
 思わずあちこちで上がった符、完成の声と舞う赤い羽の幻が
「朱雀寮 進級試験 全過程終了です」
 寮長の声よりはっきりと試験の終了を告げる。
 まるで新しい命の完成を喜ぶかのように、それは輝いていた。

 全てを終えた夕方。
「すみません。もう少し‥‥時間を下さい」
 紫乃と真名。
 二人の少女を前に朔はそう答えた。
 逃げでは無い。
 二人に告白を受け、真剣に悩んだ結果の彼の出した答えが、それであったのだ。
「私は、お二人が大切です。
 ですがこの気持ちはお二人のお気持ちとは違いますよね。
 だから、少しお時間をいただけませんか?
 大切なお二人が、どのように大切か、見極めるための」
『告白にどう答えたらいいと思いますか?』
 我ながら空気を読まない質問だと思う。だが答えてくれた相手は
『‥‥難題だな』
 と一端その場を逃げたのだが、試験後、そっと彼に囁いた。
『この試験と同じだ。思うままをできるだけ伝わる様に言えばいい。好きなら好きだってな』
 自分自身にあの試験の時と同じように問いかける。
 けれど、どう考えてもまだ答えは出ないのだ。
 少女達の手を取り、真っ直ぐに二人を見つめる。
「鈍感で、気が付かず申し訳ありません‥‥次の時は私の言葉で‥‥」
 静かに重ねられた二つの手と、
「はい、お待ちしています。いつか‥‥朔さんが誰かに恋をする、その時まで」
 二つの笑顔がその答えであった。


●進級試験終了。‥‥そして

 朱雀寮内、寮長室。
 全ての人間を遠ざけて、紫郎は陰陽寮進級試験の採点をしていた。
 進級試験、というが言ってみれば陰陽寮の二年生に進む資格があるかどうか。
 資質、覚悟、能力があるかどうかの適性試験である。
 今まで一年を通しての課題結果、授業態度、全てに加えて『進級試験』の結果でその適性を見る訳だ。
 朱雀寮の二年生となれば陰陽術の暗い面を垣間見ることも多くなる。
 確固たる自分の意思を持てるか。
 自分のやるべきことをちゃんと理解できているか。
 その前向きな心を彼は確かめたいと思ったのだ。
 本来、陰陽寮の陰陽師は五行の駒の一つである。
 そこに属すとなれば、時に思いと違う命令を与えられる場面も出てくるだろう。
 けれど、朱雀寮の者の多くはその命に疑問を持つ。
 そして仮に一時、命令に反することがあったとしても最終的に五行の為、人の為に動くのだ。
 変わり者と言われても、その根底にある意思の力は誰よりも強い。
 闇を背負いながらも、人に信頼され、頼りにされる陰陽師。
 それが朱雀寮の寮生に求められる資質であると寮長は信じているのだった。


 さて、朱雀寮の進級試験における成績は、もちろん百点が満点などでは無い。
 というより満点など存在しない。

 事前説明に置いて合格ラインは『八十点』であると寮長は告げた。
 これはある意味生徒達に解り易く知らせる為の数値ではあるが、一つの目安として言うなら委員会活動と授業における参加点の最大点数者が実は七十点以上を得ている。
 小論文試験の最高点者は五十点だ。
 そして今回の実技試験。
 その点数配分を寮生が知ることは無いが符の完成によって与えられる点が十点。
 試験時間中の外出には減点五点が課せられる。
 だが、実は外に出なかった事に対する減点は三十点であるのだ。
 アヤカシの出現に対して符の作成を優先し、外に出なかった寮生にはその減点三十点を課せられている。
 他、細かい加算や減点もあるが、この減点三十点が寮生の合否を大きく左右するのだ。
 残った者の思いを寮長は理解している。
 彼等の行動が間違いと言うわけでも無い。
 けれど問題製作者の意図し、望んだ答えという点に置いて彼等の行動は正しいもので無かったと言う事なのだ。ここが試験官と受験者が存在し、合格を選ぶ試験の難しい所である。

 改めて紫郎は思う。
 減点を課せられなかった寮生達の合格は既に決定している。
 最高点者は百四十点の俳沢折々。
 全授業参加、功績と試験結果のその両方で減点の無い文句なしの一年主席となる。
 次いで泉宮 紫乃、劫光と続く。
 一年主席が次席となったのは一度の授業不参加と、三年生との勝負で偽物を掴まされた点である。
 皆、能力的に決して劣らないだけに点数評価の結果は如実に出るのだ。
 一方で泉宮は地味ながら確実に点数を重ねる形となった。論文が良くまとめられていたのも決め手だろう。三年生との勝負偽物を掴まされた減点以外の減点が存在しない努力の積み重ねの結果で今回次席まで登る事となった。試験の真意にも気付いていただろうが、その上で自分の気持ちに正直に動いていたことは評価できる。
 尾花は次席にあとほんの僅か届かなかったが十分な好成績、玉櫛も全体に上位に位置している。
 真名は論文がもう少し纏まっていればさらに上位を狙えた。アッピンは現状では中庸の域だ。さらなる積極性と行動力が求められると言うところだろうか。
 大躍進は喪越。高い能力に加え、大事なところでポイントを外さない精神は朱雀寮向きと思えた。
 もう少し真面目であればより上位も狙えそうなのだが‥‥そこはまあ言うまい。
 瀬崎も本来ならもっと上位にいけたのではあるが十分な成績だ。遅れた者達の中でも出てきたのは早い。ただ、微かな迷いが気になるところである。陰陽師は一瞬の判断が命を分けることがあるから。
 問題は残りの三人だ。
 青嵐に関しては主席も狙えた成績を潰す形ではあるが、合格ラインを余裕でクリアしていた。
 技術も知識も優れている。符の作成スピードは初心者とは思えない早さであった。
 問題は平野 譲治とアルネイス。
 彼等二人は本当に際どいラインにいた。
 けれどこの二人はこと、実習成績で言うなら、かなりの上位位置にある。
 実習成績六十五点と六十点というのは十分な好成績である
 現場での的確な行動力、判断力は開拓者として培われたもの。
 平野に関しては最年少と言う事もある。自分の考えに良くも悪くも正直な子供であるので今回は他の仲間を信じて符の作成を優先した、というところであろうか。
 アルネイスは逆に優れた思考能力において、今回の試験の裏を読み切っていたようだ。
 仕組まれたこと=出るべきではないと判断したのであろうが、そこで出るか出ないかの判断こそが試験であるとまで思い浮かばなかったことが彼女の敗因であった。

 ただ、『資質、覚悟、能力』を問うのが進級試験であるというのであれば、落とす要素はどちらにもない。
 それは勿論二人だけに限ったことでは無い。
 今回の三人、いや今年の一年生に朱雀寮生としての資質に疑問を持ったことなど一度もないのだから。
「私も甘いですね」
 落第させるには惜しい、紫郎は苦笑するように笑う。
 そしてしばらく考えて、彼は筆をとったのだった。



 数日後、朱雀門に試験結果が貼り出された。
 緊張の面持ちで紙を見つめる寮生達。

『朱雀寮一年生 進級試験合格者発表

 主席 俳沢折々
 次席 泉宮 紫乃、劫光、

 尾花朔、玉櫛・静音、喪越、真名、アッピン、瀬崎 静乃

 青嵐、平野 譲治、アルネイス

 上記の者の二年進級を認める。

 但し、下位の三名には次の委員会活動において三年生と戦い、勝利することを課題として課す。
 委員会活動不参加の場合には進級資格を保留とするので必ず参加すること 以上』

 朱雀寮の一年が終わる。
 新しい年の幕開けは、もうすぐ側まで迫っていた。