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■オープニング本文 ●来年度の事 「へえ〜、三年生は卒業試験が始まったんですか?」 進級試験の小論文をとりあえず提出し終え、一息ついた一年生寮生達に、二年生達はああと頷いた。 「生命に係わる大事な試験って話で、場所もかかる時間も極秘だそうだ。だから、今回も三年生は参加しないからってさ」 そう笑いながら告げたのは二年生の立花一平であった。 体育委員会副委員長を務める彼の側には図書委員会の土井貴志に保健委員会の藤村左近、調理委員会の香玉。さらには用具委員会の白雪智美までいる。二年生の副委員長達揃い踏み、である。 「ちなみに僕達の実習試験は五月に君達とほぼ同じ時に行われる予定なんだ。課題は、術道具作成なんだけどね」 次の委員会活動について大事な話があると呼び出された一年生達は少し緊張しながらも顔を見合わせる。委員長不在で、二年生が『大事』と言う話は一体、なんだろう? と。 その疑問を読み取ったのだろう。 「緊張しなくてもいいって。別に大したことじゃあないんだ。あんた達、来年、どこの委員会に所属するか決めてるかい?」 「二年生?」 思いもかけない問いに一瞬固まった一年生達。苦笑の色を浮かべながら貴志は説明する。 「君達だって進級試験が始まっているだろう? 合格するか、不合格になるかはまあ結果が出てからの話ではあるけど、誰だって最初から落ちるつもりでは受けてない。君達は試験に通れば来年は二年生になるんだ」 ああ、今更のように彼らは思い出した。 進級すると言う事は、二年生になるということ。後輩を迎え今までとは違う立場になるということなのだ。 「委員会は基本、一年交代だから今年の委員会から、別の委員会に変わっても構わない。勿論、慣れた委員会でさらに専門的な知識を深めてもいい。でも、その結論は新入生を迎える七月までに決めて提出してもらうことになっているから、そろそろ考えて置いては貰わなくっちゃならないんだ。今月末には進級、卒業試験の結果が出る。来月の委員会は三年生を送る会の予定だしね」 なるほどと納得した一年生を前に左近の言葉を引き次いで白雪智美が説明をしてくれた。 「それで今月の委員会は年度末の作業になりますが、その合間を見て別の委員会への移動を考える人はその委員会を見学していいことになっています。作業の手伝いとかもしながら来年自分はどこの委員会に所属するか、その検討の参考にして欲しいのです」 委員会見学会の学内バージョン。実務を見て次年度どこの委員会に所属するかを決める参考にするというわけである。 「それから、これは参考までにですが、陰陽寮朱雀の委員会活動に置いて委員長は三年生が、副委員長は二年生が担当することになっています。ただ、委員長、副委員長となればある程度の仕事は覚えていなければならないので原則として一年時、その委員会に所属した者の中から副委員長は選ばれます。同じように二年間務めた者がいない場合を除いて委員長は同じ委員会に三年間務めた者がなることになっています。基本的にはその学年の委員の相談によって決めて構わないことになっていますが揉めた場合には前委員長が指名します」 「実はあたし達は来年度の委員長に、ほぼ内定してるんだ。ま、進級試験に落ちなければ、だけどね」 つまり、委員長、副委員長の称号を目指すのであれば同じ委員会に所属するのが前提と言う事だ。 そして香玉の口ぶりからして二年時、副委員長になった時点で、三年時に委員長をやることはある程度期待されているのかもしれない。 幅広く知識や経験を積むなら委員会を変え、知識や経験をより深く掘り下げるなら同じ委員会に属するのがいい。 どちらにもいい点と悪い点があるというのは当然のことで寮生達は納得をした。 「今回の体育委員会は、いつものトレーニングと共に一年間の五行のアヤカシ出現状況調べの纏めを行うよ。俺は基本的に三郎先輩のやっていることを踏襲する形で進めていくつもりだから」 「僕達図書委員会はいつもどおり、図書室の整理だね。新刊図書の整理とか資料纏めとか。仕事はいろいろあるよ」 「保健委員会も同じく薬草採集と分類を行う。随時補充はしてるけど、備えはいくらしていても足りないってことはないからね」 「調理委員会は初夏の新作メニュー作成だよ。あと、柏餅を作って皆に振舞うから餅つきもする予定だよ」 「用具委員会は新年度に向けた用具の在庫確認と、準備です。‥‥どの委員会もいつも通りの仕事をする予定ですので、委員会勧誘会とは違う普通の委員会活動を見て、体験して次年度の参考にして下さい」 副委員長達の言葉と笑みには、三年生達のそれとは違っても確かな自信が伺える。 自分達も順調であればあとひと月で、二年生になるのだ。 後輩を迎え、導く立場に。 その時、自分達はどうするのか。 何ができるのか。やってくる新しい後輩たちに。 今はまだ一年生の寮生達はもうじきやってくる『その時』の足音を、微かに、だが確かに感じていた。 |
■参加者一覧 / 俳沢折々(ia0401) / 青嵐(ia0508) / 玉櫛・静音(ia0872) / 喪越(ia1670) / 瀬崎 静乃(ia4468) / 平野 譲治(ia5226) / アルネイス(ia6104) / 劫光(ia9510) / 尾花 紫乃(ia9951) / アッピン(ib0840) / 真名(ib1222) / 尾花 朔(ib1268) / 最高神オーディン(ib6779) |
■リプレイ本文 ●委員会交換会 桜の花が完全に花を落とし、朱雀寮は新緑に包まれていた。 若葉の香りに混じる甘い匂いは煮られた小豆の匂いであろうか。 朱雀寮の食堂。その中でぼんやりと手を動かし続ける尾花朔(ib1268)に調理委員会現副委員長 香玉は心配そうに声をかけた。 「あんた、一体どうしたんだい?」 「えっ? あっ? なんでしょうか?」 「柏餅になにを入れてるんだい?」 「何‥‥と、申しますと?」 「梅! 大福じゃないんだよ?」 「えっ? ええっ??」 言われて朔は始めて気が付く。 初夏の新メニュー用の砂糖漬けの梅をスープに入れる為に刻むはずが、いつの間にやら柏餅の中に丸め込んでしまっていた。しかも大量に。 「ああっ! すみません」 「まあいいよ。梅大福と基本は同じだろ? 結構おいしいかもしれない。‥‥で、朔」 平謝りに謝る朔に笑いかけると香玉は、その目を心配そうに見つめた。 「本当に、何をそんなにボーっとしてるんだい。あの子達と一緒に料理しなくていいのかい?」 あの子達、と副委員長が指し示す方向には、朱雀寮一年の少女達が集まっている。 今日は委員会交換会。自分の興味のある委員会を見学していい日なので玉櫛・静音(ia0872)や瀬崎 静乃(ia4468)が楽しげに餅つきをしているのだ。 「餅つきの最初はこうやって、ゆっくりと力を入れて‥‥」 調理委員会の真名(ib1222)が杵を持って餅つきの最初から教えている。 最初は少し危うかった静乃のこねとりの手つきも、真名との杵の流れも、だんだんリズミカルになっている。 キャアキャアと明るい声が響く様子は楽しげで、それ故に副委員長は気になったのだろう。 その輪の中に入ろうとしない青年の事を。 いつもなら、力自慢の仲間を脅して手伝わせでもしそうな彼は、だが今日は俯いている。 「何か、気になる事でもあるのかい?」 そう香玉が声をかけてくれたのに長いこと沈黙していた朔はやがて、顔を上げた。 「あの‥‥少し相談に乗っていただけませんか?」 悩みぬき、考え抜いたであろう青年の声に。 「勿論」 香玉は母親のような笑顔で微笑んだのだった。 朱雀寮体育委員会の活動と言えば、ランニングを主とする体力づくりとアヤカシ退治、ならびに調査である。 その為圧倒的に野外活動が多いのだが、偶に、今日のようにデスクワークもある。 今やっているのは今年一年間の五行周辺のアヤカシの分布調査のまとめ。 「‥‥副委員長。これでいいかな? 確認してほしいんだが」 副委員長。一年生にそう呼ばれた朱雀寮二年生。体育委員会副委員長。立花一平は自分の書類から目と顔を上げ立ち上がった。 そして差し出された書類に目を通し 「うん、いいよ。問題なし」 彼は大きく頷いて一年生達にそう笑いかける。彼等の顔に安堵の笑みが浮かんだ。 「良かった。これで、今日の体育委員会の仕事は終わりですね」 ホッとしたように言うアルネイス(ia6104)に一平はもう一度うん、と頷く。 「ご苦労様。後は、自由活動で構わないから、他の委員会見学、行くなら行っておいで」 今日は各委員会ともそれぞれ、仕事をしている筈だが、他の委員が見学や手伝いをしていいことになっているのだから。 筆を置き、一年生の一人が立ち上がる。 「それなら、お言葉に甘えてちょっと出させてもらうかな」 「おいらも! ちょっと見に行きたいところがあるのだ!」 劫光(ia9510)の後に平野 譲治(ia5226)がぴょん、と飛ぶように着いていく。 「じゃあ、ちょっと行ってくる」 「行ってきます! なのだ! 「交換会」なりよねっ!? 沿う事も必要なりよねっ♪ 遊ぶなりよっ♪」 「どこに行くつもりなんだ?」 「ん〜っとね、用具委員会にお邪魔するつもりなのだ! 壷封術に最近興味津々なり! 劫光は?」 「俺は図書委員会に行くつもりだ。では」 部屋を出ていく委員達の背中を見送る一平は、どこか寂しそうに見える。それに気づいてアルネイスは 「どうしたんです?」 首を傾げ、年下の先輩に声をかけた。 「いや、来年、体育委員会は減っちゃうのかな、と思ってさ。毎年体力的についていけないって止める人もいるからね‥‥って、どうしたの?」 今度は一平が首を傾げた。 委員会室に残ったアルネイスは言っている事が解らない、というように暫く目を瞬かせいたのだ。そしてポン、と手を叩く。 「ああ、そういうことですか。でも、心配いりません。あの二人はどっちかというと委員会見学が目的でいったようなものですから。来年度も体育委員会を継続するつもりらしいです」 「えっ?」 「次期副委員長は劫光さんですかねえ〜」 今度瞬きするのは一平の方だった。 そんな彼の顔を見つめながらアルネイスは 「私も他の委員会に興味はあったんですけど、皆、結局のところ住めば都なんですよ〜。これもひとつの節目でありますし、心機一転して頑張って行こうと思います!」 力強く、明るく微笑んだのだった。 ●住めば都? 春の空気はのどかで温かい。 窓を全開にした図書室の窓からは優しくて気持ち良い風が吹き込んでくる。 「ふあぁあ〜。いい陽気ですねえ〜。試験前の一休みですかね」 図書室の貸し出しテーブルで、大あくびするアッピン(ib0840)の頭上 「こら!」 明るい声と貸し出し簿が降ってきた。図書委員会副委員長の土井貴志である。 「気を抜いたらダメだろ? まだ進級が決まったわけじゃあ、ないんだから」 「それは解っていますけどね〜。ちょっとくらいいいじゃないですか」 小さく涙目になるアッピンを、ハハハと俳沢折々(ia0401)や劫光、青嵐(ia0508)の笑い声が包む。 「退屈なら、仕事宜しく。その新刊は、もう仕訳が終わってるから帳簿に記録してから右の棚に。古い本や、破れ、折れのある本は別に避けておいてくれないか」 「はーい。よいしょっと」 明るい声で積まれた本を運ぶ折々の重そうなそれの上半分を劫光は黙って持ち上げる。 「あ、ありがと」 反対側では青嵐が用具委員会から持ってきてくれた修補の道具を運んでいた。 『折々さん、その新刊、呪術道具と人形の本、後で貸して下さいね』 「りょーかい。手続き終ったらね」 雑談をしながら辿り着いた奥の机。そっと本と道具を置くと折々はへえ〜と楽しげに微笑した。 「じゃあ、皆もやっぱり、委員会を移動するつもりはあんまりないんだ?」 それは、本を運びながら折々が聞いた仲間達の今後についての問いの答えの返答、である。 『私ですか? 用具委員会を行いたいと思っておりますよ』 「まあ、俺もな。とりあえずは残るつもりだ。卒業までに三郎にリベンジしないといかんし」 くすっ。折々はアッピンと顔を見合わせる。 「きっと、皆、住めば都っていうか自分の委員会に愛着持っちゃうんだよね〜。でも、誰もいなくなる委員会が出来ちゃうとちょっと寂しいとは思ってたから良かったかな」 「そういうお前さん達はどうするつもりなんだ?」 劫光の問いに折々はもちろんという顔で返答する。 「私は図書委員に残るよ。もっと委員会ごとに連携していろいろできたらいいなあと思うから」 「私もですねえ〜。残るつもりです。二年生になったらもっと貴重な書物にも触れられるかもしれないですしアヤカシ草子作るのが面白かったですしね、図書委員会に残って二冊目三冊目って作っていけたら楽しいかもですよ。アル=カマルとかいう砂漠の世界のアヤカシさんもでてきましたし」 「なるほど、な」 劫光と青嵐も顔を見合わせて笑っている。皆、思いは同じ、ということなのだろう。 「あ、もう、こんな時間か。劫光、青嵐。私はちょっと保健委員会を覗いてきたいと思ってるんだ。薬草採取に行くんだって。あと、こっちお願いしていいかな? はい、青嵐。頼まれてた本。副委員長。ゴメンナサイ」 頭を下げる折々に貴志も劫光も青嵐もアッピンもいいよ、と言う様に笑う。 何冊かの本の貸し出し手続きを終えて、忙しく部屋を出て行った折々の背中を見送りながら 「のんびりしているようで忙しい奴だ。そういえば、朔は来ないな。図書委員会を見学したいとか言ってたのに」 『なんだか悩んでいるような顔をしていましたが、大丈夫でしょうか?』 「まあ、彼なら大丈夫でしょう。とりあえずはお仕事です。本の題名、一つずつ読み上げて貰えますかあ〜」 彼等は古い書物と、新しい本を前にそんな会話と穏やかな暖かい春の日常を楽しんでいた。 春は山歩きと薬草のシーズン、と小柄で細身な割に体力のある保健委員会副委員長はスッスと木の間をすり抜けていく。 そして時折後ろを振り返り背後に着いてくる女生徒たちに 「大丈夫かい?」 そう声をかけた。 「大丈夫です。もう、山歩きにもだいぶ慣れました。折々さんは大丈夫ですか?」 泉宮 紫乃(ia9951)はそう言うとさらに背後を歩く折々に手を差し伸べている。 「だ、大丈夫〜。いつも部屋の中にいることが多いから、ちょっと辛いけどね〜」 ハハハ。少し上ずった笑みを浮かべる折々に保健委員達は小さく笑みを浮かべたのだった。 「あ、スミレが咲いてる。確か、これも薬草なんだよね。根と花ごと使う、だっけ?」 「そうですね。摘んでしまうのは少し可哀そうですけど。不眠症にいいんです。洗って砂糖漬けにもしたりするんですよ。こっちは、ヨモギ。薬効が一番高くなるのはもう少し後らしいですけど、草餅などにして食べるには新芽のまだ産毛が生えているようなのがいいんです。朔さんに教えてもらいました」 「なんだか、皆、生き生きしてるね〜。すっごく楽しそう」 「‥‥土筆、ウド、ワラビ。ミツバ、セリ、ハコベラ、ホトケノザ。薬草は春の食材にもいいって‥‥。調理委員にも頼まれたから、頑張って集めよう」 紫乃だけではない。静乃、静音も山歩きや採集に慣れない折々を気遣いながら色々教えている。 「でも、面白いですね。こんな山の中に食材が生えているなんて、家の中にいては決してわかりませんでした。このタンポポだって、花も葉っぱも食べられて美味しい、根っこまで飲み物になるなんて‥‥驚きです」 「本当にね〜。世の中、本だけじゃ解らないことがいっぱいだ。でも、本で解る事もいっぱいある。私は図書委員だから、他の委員会を情報の面でサポートできればいいなあって思うんだよ」 「と、いうことは折々さんは委員会を移動はなさらないと言う事ですか?」 自分を見つめる静音にうん、と折々は頷いて見せる。 当然、と言う様に。 「さっき、皆も言ってたじゃない。調理委員に教えて貰ったって。二年生になったら、もっと委員会同士の連携を強められたらって考えてるんだ。その時に他の委員会のお仕事を知っていれば、より効率的にサポートできるかなーってここに来たの。委員会の移動は考えていないから、本来の趣旨とは離れちゃうかも知れないんだけど」 苦笑する折々だが、副委員長藤村左近はいいんじゃない、と片目を閉じた。 「良いと思ったことはどんどんやっていけばいいさ。朱雀寮をより良くして行く為の委員会活動なんだから」 「図書委員長や寮長もそう言ってくれてたから。‥‥そう言えば、皆は移動しないの?」 折々に逆に問われ、保健委員の少女達は顔を見合わせた。 それぞれはっきりと口にしてはいなかったが、一年間、一緒に仕事をしてきたのだ。 なんとなく、互いの考えは解っているつもりだった。 「‥‥僕は、残るつもり。他の委員会の視点から見る為に、体験会は‥‥参加してきたけど。来年も気を引き締めてやっていく」 ぐっと手を握り締める静乃。 「私も、まだまだ学びたいことが沢山ありますから委員会を変わるつもりは無いです」 紫乃も静かに微笑した。 「何も無ければ図書委員になろうって‥‥思っていたんですよね。でも‥‥」 そっと目を閉じた静音の瞼の裏に移るのは、一年間の色々な思い出、様々な経験、そして目を開いても確かにあるであろう、仲間達の笑顔。 「1年前までの自分が本当に何もしてこなかったのだと恥ずかしく‥‥でも今からでも自分を広げていきたいと、そう思います。保健委員として知識を広げつつ、他の委員会のお手伝いなどもしていきたいのです」 「ハハ、じゃあ、皆、同じだね。やっぱり住めば都?」 折々がそういうと、他の委員達の間からも笑い声が零れる。 「じゃあ、いろいろ協力してね」 「ええ」「‥‥うん」「はい」 少女達はそれぞれ、三者三様の笑みを見せた。 「さあ、早く採集を終えて帰ろう。昼過ぎまでに戻れば、今日の夕飯は新鮮な山菜料理だ。調理委員会が待ってるぞ!」 左近の声に委員達の手が大きく空にあがる。 元気に歩き出す彼等のその後ろから、 「調理委員‥‥」 ふと思い出したように静乃と静音は顔を見合わせ、いつもと変わらないように見える、でも確かに何かが変わった親友の背中を見つめたのだった。 ここに来る前に会った調理委員会の二人の様子を思い出しながら。 ●愛情と恋心 昼のランチタイムを終えると今度はおやつの準備と、夕食の下ごしらえ。 「料理長。今日の夕食の定食は山菜のてんぷらにしませんか? 保健委員が採ってきてくれるって言っていましたから。それにちょっとピリッと辛みを利かせた春大根のスープとデザートは柏餅と花びら餅で」 皿洗いをしながらそんな風に笑いかける真名の提案に朱雀寮の食堂を預かる料理長は 「そりゃあ、いいな。よし、天つゆにはとっておきの昆布を使ってやろう」 楽しげに笑って頷いた。 「そういや、朔の奴はどうした? 香玉も昼から見えないな?」 「ちょっと裏の方で在庫整理とかやっているみたい。少し、二人にしておいてあげて」 「真名‥‥」 料理長は、何かを言いかけるような目で真名を見た。 食堂の料理長というのはある意味、寮の殆どの生徒を毎日見る職場だ。 生徒が悩んでいるとき、落ち込んでいるとき、嬉しいとき、悲しいとき、そのすべてが食べ物を前にした時の様子に出る。 だから、彼は生徒達の心の機微にかなり敏感であるのだ。 そんな彼であるから朔と真名。二人の一年生調理委員の間に何かあったであろうことを感じるのは容易いこと。けれど 「朔となんかあったのか?」 のど元まで出かかった言葉を彼は口に出すことはしなかった。 聞かれては欲しくない事なのだろうと察したからだ。 代わりに 「そうか」 と、だけ頷いて 「で、お前さんは来年も調理委員会を続けるつもりか?」 と、聞いた。真名は首を小さく前に向けて動かす。 「調理委員にそのまま残ります。他を見たいっていうのもあるんだけど‥‥今はこのままで」 「じゃあ、来年もよろしくな。副委員長に立候補するのか?」 「やってみたいとは思ってるんだけど、朔の方がふさわしい気もするので‥‥まだ考え中」 「お前さん達は筋がいいからな。楽しみだ。‥‥おっと、真名。保健委員が来たみたいだ。山菜を受け取って来てくれ。ついでに料理に誘ってもいいぞ。お前は、一人じゃないんだからな」 「料理長‥‥ありがとう」 指を立てた料理長への感謝の言葉は、勿論、保健委員の訪れを教えてくれただけではない。他愛もない会話と、暖かい思い‥‥。 真名は小さく頭を下げると、仲間の元へと駆け出して行った。 「大切だと思う人が居て、それと同じぐらい大切になった人、二人とも愛しい人達‥‥初めての事で、こう、どうして良いのかが」 (随分、動揺してるねえ〜) 話を聞きながら香玉は小さく苦笑していた。心の中で。 いつも冷静で、どこか洒落めいた笑みを崩さなかった青年。 その初めての動揺を彼女はどこか、微笑ましく思っていたのだ。 進級を前に、二人の同級生から告白を受けた、と朔は香玉に切り出した。 示し合わせたとは思わないが、同日、ほぼ同時刻。 委員会交換会が始まる直前に、まず、紫乃が朔を呼び出していた。 『どうしたんです? 紫乃さん。改まって‥‥』 『試験が終ってからのつもりでしたけど、今を逃したら言えない気がして』 『なんですか?』 『朔さん好きです! これ、読んで下さい!』 いつももの静かな紫乃とは思えないはっきりとした声で、そう言うと彼女は朔の手に手紙を渡して走り去って行ったのだと言う。 手紙を持ったまま呆然と食堂に戻った朔を、今度は真名が待っていた。 『朔、ちょっと、話があるの。付き合って‥‥』 『な、なんでしょう?』 『私‥‥貴方が好き。皆が大切、じゃなくて‥‥私だけ特別に見て欲しい。 それが私の気持ち。できたら貴方の気持ちを聞かせて。 私だけ、見てくれる? ‥‥朔‥‥。返事は、急がないから‥‥』 「私は、どちらも好きで、大切だと思っていました。今も、それは変わりません。でもお二人が私に持ってくれている感情は、私のそれとは違っていて‥‥」 紫乃がくれた誠実で、優しい手紙。真名が向けてくれた真っ直ぐで熱いまでの愛情。 花壇の端に腰かけ、掻き毟るように頭を押さえる朔は縋るような目で、立ったままの香玉を見上げた。 「私の持つ感情が、恋とかそういうものではないのは、なんとなく解ります。でも、あやふやな心のまま、どちらかを選べば、どちらかを悲しませてしまう。それはどうしても避けたいのです。結婚されていた香玉さんなら何か分かるかと‥‥」 「ふう」 黙って話を聞いていた香玉は大きく息を吐き出すと、朔の横に座り彼をぎゅうと、強く抱きしめた。 「わっ! な、なにを?」 「困った坊やだね」 さっきまでとは違う動揺を見せて、手の中で暴れる朔の背中をまるで子供をあやす様に香玉はぽんぽんと叩いた。 「ねえ、朔? あんたは私がこうやって抱きしめても、驚きこそしても別に胸がときめいたりしないだろ? 私だって同じ。子供を抱き上げているようなもんさ。別にドキドキもしない」 「香玉、さん?」 大きな『母親』の手から抜け出した朔は彼女の顔を見つめた。 優しく、暖かな笑顔がそこにはあった。 「でも、ね、恋っていうのはそう言うのとは違うんだよ。 胸にあふれ出る感情。 他の誰も変わりができない、唯一無二の存在。 あの人がそこに在るだけで零れ溢れる幸せ。恋した人の視線を誰にも渡したくないと思う願い。 愛しさ、切なさ、悲しみ、苦しみ、そして喜び。 それが恋であり、あの子達は確かに、あんたに恋をしている。けれど、あんたはあの子達に恋はしていないだろうさ」 香玉の言葉に朔はしゅん、と頭を落とす。 「皆が好き。というのはある意味、誰も好きではないと言うのと同じ。悪いことじゃない。でも、あの子達があんたに望んでいる事とは、きっと違うと思うね」 自分の甘さを言い当てられたようで朔は言葉を返すことができなかった。頭と心がどんどん下に落ちていく。 朔の顎をきゅっと掴んで香玉は顔を上にあげさせた。視線と視線がぴったりと合う。 「人の恋愛に意見できる奴なんていない。決められるのは自分自身だけだよ。よーくお考え。そして自分で決めるんだ。それが後悔しない唯一の方法だからね」 そうして香玉は視線と手から朔を解放し、彼に背を向けた。 歩きはじめ、去って行こうとする副委員長を 「待って下さい、香玉さん!」 朔は呼び止め頭を下げた。 「ありがとうございました。‥‥良く、考えます」 「落ち着いたら、厨房においで。そろそろ夕飯の準備で忙しくなるからね。料理は精神集中に一番さ。委員会を移ったとしても時々遊びにおいで」 胸に、迷いはある。 けれど 「はい!」 そう答えた朔の視線に偽りや迷いは、無かったのである。 ●目指すもの、願う思い 「は〜い、今日のお勧め定食はウドとヨモギ、タンポポのてんぷら。大根おろし付きに酸味と辛みのレッドスープよ。食後温かい麦茶と柏餅をどうぞ〜」 「うわっ! この柏餅、中に梅の砂糖漬けが入ってる。‥‥う〜ん、案外美味しいかも?」 『搗きたてのお餅の柏餅というのもいいですね』 「せっかく、美味しいから伊織いいんちょに差し入れしてあげようと思ったのに、誰も居場所を教えてくれないのですから。ぷんぷん」 「まあ、仕方ないじゃない。もうすぐ会えるよ」 「試験中に、気負わないで、って励ましてあげたかったのです。残念」 「伊織委員長には借りがあったな‥‥。ちょっと、渡したい物もあったんだが‥‥。三年生を送る会で手わせとか、話、できるかな?」 「そうですね〜。やっぱりそういうのは自分で直接、渡した方がいいと思いますよ。って、私が言う事じゃないですけどね〜」 「ねえ、ねえ〜保健委員から見て、この本とこの本、どっちが解り易いと思う?」 「う〜ん、こっち、でしょうか? 絵も字も多くて‥‥」 「食堂で本を広げると汚れるよ〜」 「あ、ごめんごめん」 相も変わらず、賑やかな食堂の外で、 「よし、今日の現場はあそこにしやう!」 大きく伸びをして工具箱を広げる影があった。 「む! 壁に亀裂発見!! これより修繕作業に入る。かかれー! おー!」 決して聞こえることのない返事。 冗談交じりのひとり芝居と共に作業を始める。 「ご精がでますね〜なのだっ!」 だから、その影は突然かけられた声に、驚いて振り返った。 「ジョージ‥‥」 喪越(ia1670)は身構えた肩の力をゆっくりと抜く。 そこには敵ではなく、手に大きなお盆を持って、ニコニコと笑う譲治の姿があったのだ。 「はい、これ、青嵐からの差し入れなりよ〜」 差し出された盆の上には暖かい麦茶と柏餅。花びら餅とおにぎりがあった。 「おー! せんきゅーだぜ。ちょーと腹がすいてたところでねえ〜」 盆を受け取って一休み。茶をすする喪越の横に座って譲治は楽しげにぶらぶらと足を振り回している。 「ジョージ。お前さんは夕食はいいのかい?」 「後から行くからいいのだ。ちゃんと取っといてくれるって青嵐、言ってたし」 「って〜、ことは今日用具委員会にいたんだな? 新しい委員会作るとか言ってなかったか?」 「う〜ん、まだちょっと考え中なのだ」 譲治は苦笑いに近い顔で答える。 「おいら、壷封術を習得したいなりよ。でも、術はとっても難しくて、いっぱい勉強しないといけないっていわれたのだ!」 今日、用具委員会で手伝いや掃除をしながら副委員長白雪智美から聞いたことを思い出しているようだった。 「美化委員会でいっぱいお掃除したりとかしたかったなりけど‥‥もうちょっと考えてみるつもりなのだ」 少ししょんぼりと頭を下げる譲治の頭を、ぽんぽんと大きな手が叩く、というより撫でた。 「まあ、ええんでないの? まだ時間はあるからな。それにちょっとは気持ちが解るぜい!」 「喪越?」 首を傾ける譲治は彼の目に一瞬、いつもとは違う何かを見た気がした。 「折角の門出の季節。あちこち修繕して、少しでもおめかしした陰陽寮で別れと出逢いを迎えて欲しいもんだぁと俺も思うからね」 「だから、一人で掃除してるなりか?」 「掃除、つーか修繕、だけどな」 譲治の問いに、まあな、とか、ああ。という返事は返ってはいない。 既にお茶もおにぎりも、柏餅も彼の腹に消えており、う〜んと一つ伸びをした後、返事の代わりに喪越は大工道具箱のふたを開けた。 「やっぱりまだ陽の当たる場所は苦手でね。隅っこでこそこそやってるのが落ち着くのさ。ま、やりたいことなんざ、やりたいって気持ちだけあれば、どこでもできると思うんでね」 背中越しの言葉に、目を丸くした譲治はニカッと笑って喪越の顔を覗き込む。 「喪越って、意外に真面目なりね〜」 「やっと解ったんかい? っと、ジョージ、暇ならちょっとだけここんとこ押さえてくれねえ〜か?」 「りょーかい! なのだ!!」 楽しげに作業をする仲間を、食堂の窓から見ていた青嵐は、フッと目を閉じた。 頬を優しく、五月の風が流れていく。 『季節は巡り、去年の私達のように新たな人が入るのでしょうね』 瞼の裏に、今年一年の思い出がいくつも浮かんでは消えていく。 来年度、もし委員会を移らないようなら副委員長にならないか、と青嵐は白雪智美に声を掛けられていた。 『副委員長? おめーに任せた! つーか、俺がやったら問題ありまくりだろ?』 喪越は茶化したようにそう言っている。 もちろん、実際にそうなれば受けるつもりではいた。 二年生。副委員長。 来年は、今年とはまた違う一年になるだろう。 『幸も不幸も流れのままに、留まる事の無く風のように、世は移り変わります。 せめて、世に出て行く風が温かいものであり続けますよう、願います』 小さな、呟きのようなその祈り、願いを聞いたのは誰であったか。 時の流れは風のように留まることなく、動き、去って行く。 新しい風は、もうすぐそこまで迫っていた。 |