雪の降る前に‥‥
マスター名:夢村円
シナリオ形態: ショート
危険 :相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/12/23 22:51



■オープニング本文

 彼は、約束してくれた。
「雪が降る前に帰って来るよ。最高の布を仕入れて‥‥お前をちゃんと迎えてやるからな」
 そうお腹をさすって微笑んだ顔を今も忘れない。
 なのに、あの人は帰って来ない。
 もう初雪は溶けて消えてしまったが、空気は冷えてきた。
 次に雪が降れば、村を閉ざしてしまうだろう。
「あんた‥‥早く帰ってきて‥‥。うっ‥‥!」
 胸が痛んだ。精神的な意味ではなく、肉体的な意味で。
 そして‥‥お腹も‥‥
「紗枝さん。ちょっとこの織物のことで相談が‥‥って、紗枝さん!」
 遠のいていく意識の中
「早く‥‥帰ってき‥‥て」
 彼女はそう、必死の思いで何かに手を差し伸べていた。

 土間に倒れ崩れていた彼女が訪れた客に発見されて、医者の元に運ばれたのはその日の夕方の事。
 少年がギルドに剣士に伴われやってきたのは次の日の昼のことだった。
「五行の街道沿いに巨大な鬼とそれに率いられた鬼の集団が現れて、街道を通る者達を襲っている。いくつかの隊商が被害に合っている。退治の為に力を貸してほしい」
 開拓者でもあるサムライ秋成はそう、ギルドに依頼を出した。
「そこまで解っていてギルドに依頼を出すってことは、お前さん一人じゃどうにもならない相手ってことか?」
 係員の言葉に秋成は無言で頷いた。
「ああ、話を聞いて友人と調べに出たんだが敵は獄卒鬼率いる十数匹の鬼どもだ。どいつも子鬼程度の奴らじゃない。俺達だけでは悔しいが手に余るんだ」
「しかも、奴らは襲って捕えた人間達を住処にしている洞窟でいたぶっているようなんです。さらには毎日‥‥一人か二人いえ、もっと多くの人間が‥‥」
 言葉を続けたのは秋成の弟の冬蓮だ。
 彼は開拓者では無い筈だが‥‥。
「兄さんに、隊商捜索の依頼を出したの、僕なんです。行方知れずになった商人の一人は僕の村の人で彼に仕事を依頼したのも僕で‥‥彼は身重の奥さんがいるのにその依頼、受けてくれて‥‥」
 冬蓮は最近、知り合いの紹介である仕事を始めた。
 その仕事に必要なものをジルベリアから輸入して貰う話であったのだという。
「でも、約束の期間が過ぎても戻って来ない。奥さんは心労で倒れてしまうし、心配になって兄さんに調べて貰ったら‥‥」
「しかし、そこまで解っているなら、覚悟はできてるんだろうな?」
 係員の問い詰める様な確認するような言葉に冬蓮ははい、と頷いた。
「荷物の事はとうに諦めています。彼のことも‥‥正直生存している可能性はかなり低いであろうと思います。生きていても多分無事では無い‥‥」
 それでも、僅かな可能性があるなら、と冬蓮は言う。
「俺の友人は偵察の時に敵に見つかり深手を負った。奴らは意外に頭も切れるし、統率もとれている。その時得られた情報はできる限り渡そう。俺も手伝うつもりだ」
「彼の奥さんはもう臨月なんです。心配で、夜も眠れない日々を過ごしている。だから、せめて、ちゃんと知らせてあげたい。どうか、頼む、いや。お願いします‥‥」
 兄弟たちはそう言って真摯に頭を下げたのだった。

 ‥‥死にたくないと思う。
 まだやりたいことはたくさんあるし、しなければならないこともたくさんある。
 何より、自分にとって初めての血を分けた子供の顔を見ないうちに死にたくないと心から思う。
 でも、そんな思いも圧倒的な力の前には無力なのだと思い知らされる。
 何人の人間が、目の前で死んでいったかもう覚えてはいない。
 その中には、友も。仲間もいた。
 きっとみんな死にたくないと思っていただろう。
 けれど、どんなに思っても願っても、そんなことは無意味なのだと思うと涙が出る。
 砕かれて動かない足より、空腹よりそれが苦しい
 今日は生き延びた。
 けれど明日死ぬのは自分かもしれない。
「約束‥‥守れそうもない。ごめんな‥‥」
 もし、その時が来たら、せめて愛する者を思い浮かべて死にたいと、そう願いながら彼は目を閉じたのだった。
 頭上には今年二度目の雪が静かに積もろうとしていた。


■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
酒々井 統真(ia0893
19歳・男・泰
ルオウ(ia2445
14歳・男・サ
アルネイス(ia6104
15歳・女・陰
サーシャ(ia9980
16歳・女・騎
ウィンストン・エリニー(ib0024
45歳・男・騎
尾上 葵(ib0143
22歳・男・騎
鉄龍(ib3794
27歳・男・騎


■リプレイ本文

●雪の下で
 その日、また雪が降った。
 今年何度目かの雪だろうか。
 空を見上げた少年は、無意識にその手を目の前で組んで合わせていた。
「どうか。皆さん、ご無事で‥‥」
 小さな願いは希望と共に風に運ばれて消えていった。

「ん、一人足りない、かな?」
 ひ、ふ、みと仲間達を指で数えて酒々井 統真(ia0893)は首を捻った。
「悪いが、待っている時間はねえぜ。急がなきゃなんねんだ。そうだろ? 秋成の兄ちゃん?」
 降る雪に微かに身を震わせたルオウ(ia2445)の言葉にああ、と秋成と呼ばれたサムライは頷いた。
「事態は一刻を争う。急げるなら急げるだけ」
「解っています。今回も‥‥とは言えない状況ですが、よろしくお願いしますね」
 彼の目は真剣だ。心の焦りはかつて弟が誘拐された時と同じか、きっとそれ以上であるのだろう。
 六条 雪巳(ia0179)は静かに微笑むと真っ直ぐに秋成の目を見つめたのだった。
「何かあったのでしょう。その分まで私達が頑張るしかありませんわ」
「そうやな。さて‥‥鬼に張り手を食らわしたるか」
 がしっと、胸の前で自分の手のひらを打つ尾上 葵(ib0143)にウィンストン・エリニー(ib0024)やサーシャ(ia9980)も頷きあう。
「敵の数は十体以上。どれも巨漢の鬼ばっかりということでよろしいのですね?」
 アルネイス(ia6104)は広げられた巻物に記された簡単な地図と情報の纏めを秋成に確認する。
「ああ。俺のシノビの友人が調べてくれたから間違いない。俺も鬼の姿はある程度確認した。小物はいないと思う。苦労をかけるが、やってくれるか?」
「まあ、大変なのは解ってて依頼を受けたんだ。文句はねえよ。ただ、何よりやっかいなのは人質がいるってえことだ」
 真剣な視線を仲間達に向けて言うと、統真もまた依頼人でもある秋成に確認するように問いかける。
「秋成。あんたと仲間は一回敵の所に忍び込んだんだよな? その時、見つかって敵の反撃を受けた、で間違いないな?」
「ああ。人質確認の為に洞穴に踏み込んだからな。洞窟は思ったより広かったが、見張りも多かった。鎧を着た鬼や棍棒を持った鬼もいたな。そして、一匹、どこか体格も、風格も別格の鬼がいた。獄卒鬼って噂に聞いたこともあるが、あれがきっとそうだろうと、そう思った」
 彼は唇を噛みしめると手を強く握った。どちらからか、ギリと聞こえた音は彼の苦悩の音だろう。
「奴らは、動けない人質達の前で、既にこと切れた人間を貪り食っていた。あの骨が砕ける音、啜られる血の匂い。忘れられるものか‥‥」
 多勢に無勢で、逃げ帰るのが精一杯であったと彼は悔しげに告げる。
「まだ死んでないのがいる‥‥か。まずは、捕まってる連中の身柄を確保しねぇと。盾にでもされたら何もできなくなる」
「話や授業で聞いた獄卒鬼は鬼の中でかなりの知恵のある者であると聞きました。可能性は十分にあります〜」
「知恵の付いた鬼ですか‥‥厄介ですがやるしかありませんね」
 頷きあうアルネイスにサーシャ。
 数も体躯も上回る敵に向かうことになるが覚悟はもう疾うにできている。
「結構豪勢な顔ぶれ相手になりそうだ。腕が鳴る、と言いたいとこだが、人の命がかかってる以上は余裕見せてらんねぇか。よしっ! 一気に行くぜ」
「おし! やってやるぜぃ!!」
 そうして彼らは自分達の身の丈も数も。倍の敵が待つ森へと踏み込んで行ったのだった。

●敵と味方の作戦
 開拓者達は二手に別れることにした。
 一チームは街道を歩く。
 ガシャン、ガシャンとアーマーが鋼の音を立てた。
「しかし、アーマーを使うならやはりアーマーケースは用意しておくべきか」
 ため息にも似た反省を呟くウィンストン。
 アーマー内の言葉は聞こえることはないが、さっきアーマーケースからサーシャと葵がアーマーを展開させるのを見て、しまったと思ってしまったから仲間達にも知れているかもしれない。
 アーマーはこうして歩行しているだけでも練力が消費されている。
 秋成が用意してくれた隊商用の荷車などが無ければ目的地に到着する前に練力切れしてしまうことになっていただろう。
「今後の課題だな。さて‥‥」
 ウィンストンは注意深く周囲を見回した。
 雪も僅かながら残っているが見通しのいい、森なのに一匹の動物の気配も感じられなかった。
「方角は、こっちで良い筈だろう? アルネイス。雪? しっかし、このままじゃこっちの方が先に洞窟についちまうぜ」
 頷きながらも舌打ちし、気をはやらせるルオウの様子に気付いたのだろう。
 側を歩いていた猫又雪は、諌めるように窘めるように小さくジャンプしてルオウの肩から頭上へと跳んだ。
 だが、次の瞬間、一度だけアルネイスと目線を合わせてからその前を見据えた雪の瞳が怪しげに光った。
「来た、みたいですね〜。ルオウさん」
「ああ。出やがったなぁ」
 彼等に少し遅れて気付いたルオウは手を上げると馬を立ち止まらせた。
 見上げる体躯の鬼達が、一匹、また一匹とこちらに近付いてくる。
 集まってくる敵の数は四〜五体というところか。
「ふん。俺達を甘く見てるようだな。直ぐに後悔させてやる!」
 手に持った棍棒や、鎧、刀に付いた赤黒い染み。
 アーマーを見ても下卑た勝ち誇った笑いを隠そうとしない鬼達の顔を睨みつけるとルオウは大きく息を吸い込んだ。
「俺が相手だぜぃ!!」
 森を切り裂くような咆哮が木々の間に響いていく。と同時頭上から駿龍が舞い降りて彼らの側に付いた。
「雪、援護を頼むぞ!」
 ルオウが言うより早く、雪は彼の頭上から地面に降りてその背を守るように立つ。
 さらに彼の左右には三機のアーマーが仁王立っている。
「いくで! 弦月!!」
「新たな初陣だ。バルバロッサ!」
「ミタール・プラーチィ。出撃です」
 背後を守るアルネイス。そして
「行くのです! ムロンちゃん!」
 彼女の呼び出したジライヤが駿龍と共に並び立った。
 ルオウの咆哮に誘われたのか、次々に鬼が集まってくる。
 これこそが彼等の狙い。
 微かな笑みを真剣な眼差しに隠し、開拓者達は鬼達と向かい合ったのである。

「さあ! 来やがれ!!」
 咆哮を上げるルオウに向けて鬼が巨大な棍棒を振りかざし真っ直ぐに向かって来る。
 だが振り下ろされる筈であった棍棒はルオウの眼前で止まり、揺れ、落ちた。
『ぐおおおっ!』
 唸り声をあげて頭を押さえる鬼の胴を、そのまま手に持った両手刀でルオウは真っ直ぐに振りぬいた。
『うぎゃああ!!』
 吹き出す黒い瘴気と悲鳴。音を立てて崩れ落ちる鬼の上半身。
 だがホッと息を吐く暇さえ開拓者には無かったのだった。
「くっ! 何と言う力だ!」
 盾で鎧を纏った鬼の突進を受け止めていたウィンストンが微かに歯噛みした。
 この鬼は武器を持っていない。防御を鎧に任せてか、ただ真っ直ぐに攻め続けてくる。
 アーマーの中からも感じる敵の力は油断など許さぬと告げている。
 一瞬でも気を抜けば力負けすることさえあるかもしれない。
「避けて下さい! ムロンちゃん! 螺旋砲!」
『わかったのだ〜〜!』
 仲間の声と意図に気付いたウィンストンが刹那、一歩後ろに後退する。
 そのタイミングを見計らってジライヤムロンがその巨体を揺らすと衝撃の刃を吐き出した。
『ぎぎゃあ!』
 空気の刃に身体を切り裂かれた鬼の隙を見逃さず、ウィンストンはそのアーマーごと懐に飛び込んで鎧ごと一気に切り裂いた。
「やったか!」
 確かにその一体は倒れた。だが、森の影に息を潜め隠れていた次の一体が今度はウィンストンの背後に迫っていた。
「危ない!!」
 ガキン! 響いた鈍い音。
 振り返るウィンストンが見たものは藪を切り払い、手に持った刀で鬼の棍棒を受け止める葵のアーマーであった。
「側背や後方からの挟撃を忘れたらあかんで?」
 背中を見せながら言う葵の言葉も
「ありがとう」
 と言ったウィンストンの言葉も互いには聞こえない。
 だが、互いの信頼は見えたし、聞こえた。
「敵は、存外頭が切れるようだ。連携して襲って来る。こちらも連携せねば」
 敵の金棒の攻撃をほんの僅かの間合いで交わして全重量を乗せた一刀で、サーシャは赤鬼の頭を砕いた。
 既に何匹は倒したと思うのに、敵の数はまだかなりいる。
「アーマーは短期決戦。もう動ける時間もそう多くない」
 既にウィンストンのアーマーは限界に近づいてきている。
「今のうちにできるだけ敵を倒しておかないと!」
「でも、こっちにこれだけ集まってるってえ事は向こうの数は減ってるってことだ」
 息を切らせながらルオウは笑う。彼は既に何度かアルネイスの治療の世話になっている。
 咆哮で敵を引き付けると言う役目の性質上、彼の周りには鬼が集まる。
 1対1であればルオウを下せる敵はそう多くはないが、鬼達はここにいない主の影響かそれとも本能か。
 アーマーを避け、さらに一人生身で敵と当たるルオウに集中するように攻撃を仕掛けてくる。
 背中を守る者達がいなければ到底作戦の遂行など無理だった。
『!!!』
「ありがとな! 香露!」
 背後に迫った敵を雪巳が預けてくれた駿龍がその爪で止めてくれたのだと知ったルオウは軽くサインを切る。
 敵の数は半分になった。
 だが、長期戦になればアーマーは使えなくなる。ここからが正念場だ。
「敵の数が増えてくれるのは、好都合だ。雪、皆。もう少しがんばろうぜ!」
 ルオウが上げた声に無言でそれぞれの手が上がった。
「ムロンちゃん。あと少し頑張りましょうね!」
 視線を上げ、鬼達の背後を見る。ここからそう遠くないところに敵の本拠地の洞窟がある筈だが、今は動くことができない。
 噂に聞く獄卒鬼の姿が見えないので、おそらくは向こうに残っているのかもしれない。
「悪りぃが、そっちに手助けにはいけねえ。けど、こっちはこっちの役割きっちり果たしてやる」
 そう。こちらの役割は陽動。敵が集まってくるのは望むところだ。
 深呼吸をしてルオウは洞窟の方に向けて声を上げた。
「絶対にゆるさねぇ!」
 幾度目かの咆哮に敵の目視が再び集まる。
 彼らの魂の叫びは遠く、身を潜める仲間達の元に確かに届いたのだった。

●鬼と人と
「絶対にゆるさねぇ!」
「よし! 行くぞ!」
 その声が届くと、統真と雪巳、そして案内役に着いてきた秋成は頷いて洞窟へと踏み込んだ。
 人質が捕えられているこの洞窟に彼らが辿り着いたのは仲間達が戦端を開く前であった。
 洞窟から次々と鬼達が仲間の元へ向かって行くのを開拓者達は黙って見ていたのである。
「敵を引き付けて下さっている皆さんの為にも、失敗はできませんね」
「勿論、失敗なんかするつもりはねえさ。雪白? どうだった?」
『鬼達はいっぱい集まってたけどね、それっぽいのはいないようだったよ』
 鳥が統真の肩に舞い降りて主にそう告げる。
 ちっ、と統真は舌を打った。
「やっぱりこんな程度の策は織り込み済みか。こっちに残っているな?」
「残っているのは獄卒鬼と、あとはそうは多くは無いでしょうが‥‥」
「でも、数的にはこっちの方が不利だ。だからこそ‥‥雪白!」
 無意識に手を握り締めた統真は自分の肩を見た。
『なあに? 統真?』
 小鳥が小首を傾げるようにして聞く。
「危険で悪いがこっちが見張りの前に立ったら人魂で鼠にでも化けて奥へ向かって、隙を作ってくれ」
『ええっ?』
「気が逸れたその一瞬に踏み込む! 雪巳は何より人質の安全確保。秋成はもし、獄卒鬼が一人じゃなかった場合、残りの鬼を抑えてくれ。俺が獄卒鬼を倒すまででいい」
「解りました」
「了解だ」
 残った敵の数はそう多くは無いとはいえはっきりと解っている訳でもない。
『我が主ながら、なかなか無茶を言ってくれるね。ボクも身軽ではあるけど、強くはないんだけれど‥‥』
 けれど、躊躇いのない主と躊躇いなく頷く二人を見つめ、小鳥は小さく手を広げたように見えた。
 フッとその肩から飛び降り人妖の姿に戻る。
『まあ他ならぬ統真からの頼みだ。あとでご褒美、よろしくね?』
「ああ」
 頷いた統真は自分の人妖の変化を確認して仲間達に目をやった。
 声を潜め気配を殺す。洞窟に入った時から感じていた死の匂いがさらに強まっている。
 もう曲がり角の向こうに敵が、いるようだ。
 ひょっとしたら、彼らは自分達の襲撃を読んでいたのかもしれない。
 洞窟の奥、残っていた鬼は三匹であった。
 見張りの鬼は二匹と、奥で石座に腰かけ腕を組む獄卒鬼。
 作戦を練り直している時間は無い。
 人妖の行動開始と同時、一度だけ大きく深呼吸して彼は叫んだ。
「行くぞ!」
 そうして渾身の力で彼らは踏み込んで行ったのである。

 雪巳が真っ直ぐ人質の方に走る。
『!』『?』
 足元を走る鼠に気を取られ動きが鈍った見張り鬼の一体。
 その胴を秋成は雪巳に近寄らせない為に防御度外視の突進で一気に振りぬいた。
 ジルベリア風の大剣が腹を裂く。
『ぐああ!』
 断末の叫びが爪と共に秋成の頭上に振るが、致命傷になりかねないそれを秋成はなんとか避け躱した。
 だが肩を爪が深くえぐるのは止められない。
「秋成さん!」
 人質を背後に庇っていた雪巳が治療にと呼ぶが、寄っている暇さえ彼には無い。
「‥‥待って下さい。今、お助けします。秋成さん!」
 雪巳はうつろな目で自分を見る人質達にそう声をかけると同時、術を発動させた。
 白く光を帯びるのと同時閃癒の光が人質達と秋成を包む。
「感謝する!」
 傷の全てがふさがったわけでは無いだろうが、秋成は残るもう一匹の鬼と既に向かい合い、剣を合わせていた。
 二体一になっていた秋成の戦いを統真は気付かなかった訳では勿論無かった。
 だが、単純に彼にはそれを顧みている余裕は無かったのである。
「このおおっ!」
 一気に瞬脚で踏み込み獄卒鬼の懐を狙っていたから。
 左手で着座している鬼の顔を狙う。
 だが、それは左手で止められ、右手の武器の一閃で払われた。
 勝ち誇った笑みを浮かべる獄卒鬼。
 立ち上がったそれは統真の三倍近い身の丈で、自分を見下ろしている。
 彼は小さく何事か呟くと不敵に笑った。
「せいぜい見下してやがれ。勝つのは俺達だ!!」
 そうして彼は、文字通り渾身の撃を自分の眼前。鬼のくるぶしへと叩き込んだのだった。
 鎧鬼などと違い、この鬼の身を守る装備は殆どないに等しい。
 だから、統真は初撃の攻撃をわざと緩め、油断させ二度目の今、何重にもかけた紅焔桜と破軍で力を高めた攻撃を打ち込んだのである。
『ぐああああっ!』
 鬼と人の急所が同じかどうかは解らない。だが向う脛を砕かれた鬼は悲鳴に近い叫びをあげて崩れた。
 膝を付き、視線で殺せそうなほどの強い目で統真を睨む。だがその目に統真は怯んだりはしなかった。
「まだ戦えるか。流石だな。だが、負けねえ!!」
 膝を付き、動けないながらも棍棒を振り回す獄卒鬼と統真の戦いは、文字通り死闘と呼べる誰も手出しできないほどの凄惨さで繰り広げられていった。

 戦闘開始からいったいどれほどの時間が経ったのだろうか?
 ルオウ達は、やっとのことで辿り着いた洞窟の中に慎重に入って行った。
 猫又以外の朋友は動かなくなったアーマーと共に外に置いてきた。
 サーシャと共に残党の確認と襲撃に動いている。
 入った途端に感じる血の匂いと腐臭に顔を顰めながら
「統真さ〜ん、雪巳さ〜ん、秋成さ〜ん!」
 彼らは仲間を信じてその名前を呼ぶ。だが返事は帰らない。
 最悪の想像を過るたび頭から振り払いながら歩いて行った彼は、やがて微かな明かりに照らされた最奥へとたどり着く。
「統真!!」
 ルオウが駆け寄った。苦しげに肩を揺らしながら膝を付く統真。
 その奥には腰を下ろして息を荒げる秋成と、人質達の治療を続ける雪巳がいた。
「大丈夫ですか〜。お手伝いします〜」
「お願いします。そちらの方が重体で。治癒の術もかけますが、その薬草も使って下さい」
「解りました」
 アルネイスが駆け寄って治療の手伝いをする。
 葵も奥に向かうが、二人を手伝いながら何かを探しているようでもある。
「大丈夫であるか?」
 懐から止血剤を取り出して統真の治療をするウィンストン。痛みに口元を歪めながら統真はルオウを見て問うた。
「そっちは、片付いたのか?」
「ああ。なんとかな。全員無事だ」
「こっちも、なんとか、な‥‥。ああ、きっつい戦いだったぜ」
「ご苦労さん」
 パチンと手を叩きあう二人。それを見つめる二人の朋友たちはどこか目を細めているようだった。

 そうして暫くの後、開拓者達はその洞窟を後にした。
 地獄の如き洞穴からいくつかの命と、荷物を救い出して。

●雪の降る前に
 開拓者達の仕事は、成功であるといえた。
 街道周辺を苦しめ続けていた鬼は、残党も含め開拓者の手によりほぼ掃討されている。
 さらに鬼の洞穴から、開拓者はなんとか五人の人質を救出することができたのだ。
 全員が衰弱しきっており、足や腕の骨を折られ重症の者も多かったが命に別状は無いようだった。
 雪巳の術で傷だけはもう治療されている。
 後はゆっくりと休めば外見的には以前の状態を取り戻すだろうと思われた。
 そして運のいいことに生存者五人の中には
「あなた‥‥!」
「紗枝‥‥。すまなかった約束を守れず‥‥」
 秋成と冬蓮の村の商人もいた。
 これは本当に幸運としか言いようのないことだと、夫婦の再会を見つめた開拓者達は笑み、思う。
 とはいえ、彼らの傷は大きい。
 助け出された喜びが過ぎ去ると自分達だけが生き残ったことへの罪悪感や、捕えられていた間の恐怖が彼らを責めさいなむだろう。
 彼らの本当の戦いはこれからなのだ。
 けれど‥‥
「いいえ、貴方は約束を守ってくれたわ。雪が降る前に生きて、ちゃんと帰ってきてくれたもの‥‥おかえりなさい」
 きっと家族の支えがあれば立ち直ることができるだろう。
「ただいま‥‥」
 抱きあう二人を残し、彼らはそっとその場を後にした。
「本当に、ありがとうございました。皆さんのおかげです」
「感謝する。ありがとう」
 頭を下げる兄弟に開拓者達は微笑を向けた。
「後の件はお願いしてもいいですか?」
「ああ、できる限りのことはするつもりだ」
 雪巳の言葉に秋成は頷く。
 彼等は全てが終わってから洞窟の中に残された亡骸を調べた。
 僅かの骨しか残されていない者、遺品しか見つからなかった者もいるが、それらを解る限りは家族の元に返したいと言う雪巳の思いに秋成も仲間達も同意したからだ。
「そういえば、‥‥悪いな。これしか見つけられんかったんや」
 葵が思い出したように冬蓮に小さなカバンを差し出す。
「あ、探して下さったんですか? ありがとうございます」
「なんだ? それ?」
 潰れ、ひしゃげたカバンから中身を取り出した冬蓮は、覗き込む開拓者達の前に広げ見せた。
「ほお、綺麗な刺繍の服とマントだな。ジルベリアの服か?」
「はい。僕達の父さんはジルベリア人です。だから‥‥僕は兄さんみたいな才能は無いけれど‥‥いつか、ジルベリアに行きたい。そして天儀とジルベリア、どっちの人間が着ても似合うような服を作りたい。それが僕の夢なんですよ」
 あちらこちら破けてはいるが、これは、その夢の為の品であったのだと、彼は言う。
「でも、僕の夢の為にあの人が死んだとしたら、僕は自分が許せなかった。‥‥だから、もう一度お礼を言わせて下さい。ありがとうございました。僕の夢と友人。その両方を助けてくれて」
 真摯に頭を下げた冬蓮の頭を統真は軽くぽんぽんと叩いた。
 命がけの戦い。死さえ覚悟した瞬間もある。
 だが、あの夫婦の再会と少年の感謝。
 それだけで、報われた気持ちになったのはきっと、自分だけではないだろうと思いながら彼は微笑んだのであった。

 空を仰ぐと今年何度目かの雪が降る。
 雪が降る前に彼らは、約束と、二つの希望を取り戻したのだ。