【朱雀】卒業の日
マスター名:夢村円
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/04/11 21:51



■オープニング本文

【このシナリオは陰陽寮 朱雀合格者優先シナリオです。】

 三月の空気は春と冬の入り混じったような不思議な色を帯びている。

 そんなある日の早朝。
 彼は一人、誰もいない講堂に立っていた。 
 紅白の布に飾られている講堂の壁。
 並べられた椅子、舞台の上に置かれた縁台に飾られた花。
 全ての用意が整った場を前に
「今年も…いよいよですね」
 朱雀寮長 各務 紫郎は噛みしめるように呟いた。

 陰陽四寮は国営の教育施設である。
 五行国における陰陽師育成の最高学府であり、その就学期間は三年。
 三年の間に彼らはここで、陰陽師としての高度な知識と技術を身に着け、世に羽ばたいて行くのだ。
 陰陽四寮出身の陰陽師で名を馳せた者はかなり多い。
 一方で厳しい規律と授業、難しい入寮試験、高額な学費などから、通える者は限られており、卒業できる者はもっと限られていた。
 そして、今年五名の若者が卒業の日を迎える。
 日々の授業、委員会活動。
 毎月の課題実習に参加し、難しい課題に取り組んでいた彼ら。
 陰陽師育成というその課題の中にはアヤカシと対することが少なくなく、危険を伴うことも多い。
 命がけの【授業】さえも何度もあった。
 しかし、彼らは、それぞれに努力して課題を乗り越えてきたのだ。

 陰陽寮の就学期間は三年。
 だが今年卒業の時を迎える彼らは実に最長となる三年八か月にも渡る時をここで過ごしてきた。
 五行国の存亡をかけた大アヤカシとの戦いだけではない。
 世界の命運をも左右する護大との戦いも経験し、地上世界という未だ知りえなかった新しい世界への道も切り開いたのだ。

 あと、数刻で式典が始まる。
 講堂の左右には来賓が並び、中央には卒業生達が入場する。
 そして壇上で五行王、架茂天禅が立ち、彼等に卒業の証書を手渡すだろう。
 証書を手にして後、一人一人が壇上で、胸に付けた朱花に手を置き、誓いの言葉を述べるのが朱雀寮の卒業式の習わしである。
 それは…己に対する約束の言葉であると言ってもいい。
 入寮試験の時、彼らに問うた質問がある。
「この陰陽寮で何を為したいか、何を得たいか」
 ここでの誓いはそれに繋がるもの。
 陰陽師として目指す道と志を、己と王と仲間の前で学び舎に誓うのだ。
 これは、永き歴史を持つ、陰陽寮朱雀で、変わることなく行われてきた儀式。
 元、寮生としてもそして、朱雀寮長としても朱雀寮の卒業生の中でここで為された誓いを破った者を紫郎は知らない。
 これまで誰一人、いないと、そしてこれからも現れないと信じている。

 今年の卒業生達はは、どんな思いで式に臨み、どんな思いで誓いを立てるのだろうか。
 予行練習でも語られる事のなかったそれは、その時まで本人達だけのものであるからだ。
 この時を迎え、紫郎にできることは、ただ彼らの巣立ちを見守る事。
 見送ること。
 それだけである。

 式場に背を向け、紫郎は自分居場所へと戻る。

 間もなく、年に数度しか鳴ることのない朱雀の鐘が鳴る。
 講堂の前にはもう卒業生達と、彼らを見守る在寮生達が待っている。
 卒業生達に、教師として、彼の生徒として声をかけるのは今日が最後だ。

 そして、朱雀寮長 各務 紫郎は今年も集まった朱雀寮三年生達に向けて手を伸ばす。
「用意はできましたか? さあ、行きましょう」
 と。


■参加者一覧
/ 星鈴(ia0087) / 芦屋 璃凛(ia0303) / 平野 譲治(ia5226) / サラターシャ(ib0373) / カミール リリス(ib7039


■リプレイ本文

●卒業の日
 天の神が味方してくれているのだろうか?
「朱雀寮の卒業式の日は滅多に雨が降らないですね」
 と、その日の朝、朱雀寮長 各務 紫郎はそんな事を思った。
 そして小さく笑う。
 こんなどうでもいいことを思ってしまうのは、自分が感傷的になっているからなのだろう。
 と。
 空は快晴。
 どこまでも続く深い青空と眩しい太陽が寮生達の門出を祝う様に輝いていた。

「え〜っと、受け付けはどこかいな?」
 招待状を持ったまま、きょろきょろと周囲を見回す星鈴(ia0087)はやがて目的の場所を見つけると、朱雀の大門を潜った。
 今日は陰陽寮 朱雀の卒業式。
 今頃、卒業生達は式の準備中だろうか?
「年に一度のこと、やもんな」
 周囲もどことなく慌ただしさを感じる気がする。
 ふと、思い出した。
 何を、と問われれば、いろいろな事を。
 親友である陰陽朱雀寮生にして卒業生 芦屋 璃凛(ia0303)。
 彼女を介してではあるが、星鈴もまた朱雀寮に関係するいくつかの事件に関わった。
 朱雀寮には思い出は少なからずある。
「いろいろあったけど、璃凛も卒業かいな。祝い事やし、晴れ姿見に行こうかいな」
 大きく伸びをしようとして、慌てて乱れかけた着物の裾を整えた。
 せっかくの祝いの正装が乱れてしまっては台無しだ。
「式の前に璃凛に声をかけられたらええんやけど…」
 そんな事を考えながら、星鈴はゆっくりと周囲を見回し、歩いていった。

 パタン。
 読み終わった本を閉じ、カミール リリス(ib7039)は立ち上る。
 そして書架のあった場所に丁寧に本を戻す。
 陰陽寮の図書室は静かで居心地のいい場所であった。
 色々な分野に渡るたくさんの本は、三年かけても全部読むことなどは到底不可能だ。
「もう、ここで本を読むことも無くなるのですね」
 今日、自分は陰陽寮を卒業する。
 寮生として本をゆっくり読むのは、読めるのは今日で最後になると思うと、感慨もひとしおだった。
「まあ、まだ今後もお世話になるとは思うのですけどね…」
 五行国に正式に属するわけではないが、陰陽術や遺跡の調査、研究などを主として行っていく以上、今後も朱雀寮や陰陽寮と縁が切れるということはないだろう。
 ここに来ることもきっとある筈だ。
「さて、そろそろ行きますか。主席が逃げ出さないようにちゃんと見張っておかないと」
 呟いて部屋の扉を開けたリリスは振り向いた後、一礼した。
「今まで、ありがとうございました」
 無人の部屋に、本に、先人達の思いの結晶に、深く心を込めて。

 朱雀寮の食堂、台所。
 カタカタと鍋のふたが揺れる音、トントンと包丁の歌う音もする。
 野菜の煮える甘い香り、湯気の暖かさ。
 それは見ていても聞いていても気持ちのいいものではある。
「でも、卒業式がもうすぐ始まるって時まで料理しているのってどうなんだよ。
 俺らはどうせ食べないのに」
「悪いね。清心。お腹がすいたのならその辺の饅頭でも食べててよ。
 あと少しで終わるからさ」
 楽しげに調理に勤しむ親友に呆れたように肩を竦め、清心と呼ばれた青年は言われた通り饅頭に手を伸ばした。
「あ、ここにいらしたんですか? 彼方さん、清心さんも」
「サラターシャ(ib0373)さん?」
 お玉を持ったまま、台所から彼方が顔を出す。
「もうすぐ式が始まります。そろそろ向かわれた方がいいのではありませんか?」
「あ、ありがとうございます。今、終わりますから」
 持っていた道具を洗い、丁寧に拭いて元あった場所に片付ける。
 そして前掛けを外した彼方は、自分を見守っていてくれた台所の責任者。
 料理長に深く頭を下げたのだった。
「今まで、本当にありがとうございました。
 最後の料理は良ければ皆さんで食べて下さい」
「ありがとう。…今まで俺も楽しかったよ。元気でな」
「はい」
 料理長に肩を叩かれ、目元をにじませる彼方をサラターシャと清心は黙って待ち、彼の退室と共に一緒に歩き出した。
 卒業式が行われる講堂に向けて。
 その道行、ふとサラターシャは気が付いた。
 彼方の手には一冊の書物がある。
「それは、先輩が書かれた調理委員会の本、でしたか?」
 サラターシャの問いに彼方は頷く。
「ええ、写し、ですけど。原本は調理委員会が引き継ぎました。でも、僕も持っていたくて写させて貰ったんです。
 地上に戻ってからの参考にしたくて…」
「そうですか…」
「もう、卒業だ…。終わってみると早いもんだよな〜」
 伸びをする清心。静かに空を見上げる彼方。
「ええ、本当に」
 二人の仲間達を見ながら、サラターシャは思い出していた。
 彼らが決めた進路を、サラターシャも聞いてはいる。
 卒業後、彼方は地上世界に戻り、護大派の子供達を教えながら地上と天儀の橋渡し役をすると聞いた。
 清心は、開拓地や地上世界など、今まで行き届かなかった場所へ必要物資を届ける商人を目指すという。
 それぞれが、それぞれに目指す道を見つけ、進もうとしているのだ。
「彼方さん。
 お願いがあるのですが…」
「? なんですか?」
 彼方が足を止め振り返る。
 かつて黒かった髪が今は銀に変わっているがその表情は、今はもう昔と…寮生であった時と変わりはない。
「情報交換を定期的に行いませんか?
 タケル様のご様子伺いと封印解除の件で月に一度は地上に向かうつもりです。
 彼方さんのお仕事についてもご協力させて下さい」
 だから、サラターシャも変わらぬ笑顔で語りかける。
「サラターシャさんは天儀で孤児の面倒を見る施設を作る予定…なんですよね。
 知望院の仕事をされながら…。
 いいんですか? 地上との接触は色々誤解を招きは…」
 心配そうな表情を浮かべる彼方にサラターシャは優しい笑みで首を横に振った。
「そんな事は心配いりません。知望院の者としても、人間としても、地上世界と交流を持つことは何一つ恥ずべき事ではなのですから…」
 強く、眩しいほどに真っ直ぐな意思。
 入学した時から変わらないサラターシャの輝きに彼方は一度目を伏せ、そして顔を上げた。
「解りました。連絡手段については考えます。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「彼方。その連絡手段、こっちにも回せよ」
「解ってるよ」
 そして、それから彼らは式場まで、話をしながら進んだ。
 他愛のない、でも途切れる事のない楽しい思い出話を…。

「あっ! そろそろ時間にならないなりか? 璃凛!」
 高く上がってきた太陽に気付いて平野 譲治(ia5226)は少し慌てた声を上げた。
「わっ! あかん! 先輩。おおきに。ありがとうございました!!」
 並んで座っていたベンチから立ち上がり、璃凛は深く、頭を下げた。
「来てくれて、話をしてくれて、本当に嬉しかったです」
 卒業式の招待に応じて、足を運んでくれた先輩に心からの感謝を込めて。
「いいなりよ。おいらも久しぶりで色々考えたのだ」
 ニッコリと年下の先輩は、しかし璃凛に「先輩」の笑顔で笑う。
「今感じてる事はきっと璃凜にしか感じられないのだ。 
 なりから、胸を張るのだっ! 人に歩めぬ道を歩むことをっ!
 おいらも、寮長も、ちゃんと見てるなりからっ!」
 ぐっと、手を握りしめ、指を立てる譲治。
 その励ましに璃凛は自らの心に浮かんだものを振り払い、
「はい!」
 と強い返事をした。
「その意気なり! 朱雀寮、最後の晴れ舞台。頑張るなりよ!」
「はい!」
 もう一度大きく返事をして、璃凛は走り出していった。
 体育委員会の脚力は健在ですぐに姿が見えなくなる。
「さて、おいらも行くなりかね…って、おわっ!」
「あ! 譲治だ!」
 立ち上がった譲治の元に少女が駆け寄り、しがみついた。
「桃音! 元気だったなりか?」
「うん! …久しぶりに会えて…嬉しい」
 腰にぎゅっと抱き付いてくる少女の頭を撫でた後、譲治は
「今日はおいら、卒業式に呼ばれてきたのだ。式が終わったら、少し話せるなりか?」
 目線を合わせ、そう語りかける。
「いいの? うん、待ってる」
「…ありがとなり」
 嬉しそうに頷いた桃音。
 その頭をもう一度優しく撫でて、譲治は微笑んだのだった。

 開式を待つ卒業生の控室。
 その扉が静かに開かれた。
「用意はいいですか? 皆さん」
 陰陽師としての正装を身に纏った朱雀寮長 各務 紫郎が…立っている。
「はい」
 立ち上がり、彼らは真っ直ぐに顔を上げる。
 そこにある寮長の笑顔はいつもと何も変わらない。
 けれど、彼の後に続いて歩くのは、これが最後だ。
「卒業式が始まります。…さあ、行きましょう!」
「「「「「はい!」」」」」
 そして彼らはそれぞれの思いと共に、歩き出した。

●卒業の誓い
 陰陽寮朱雀の卒業式は来賓と招待客や家族の他、国王を初めとした五行国上層部も参列する、厳粛な式典である。
「卒業生入場」
 高らかに告げる職員の声に続き、朱雀寮寮長 各務 紫郎を先頭に三年生達が一人一人、入場してきた。
 入り口でお辞儀をしてから静かにそれぞれが席の前に進んでいく。
 先頭は主席 芦屋 璃凛。
 その後にカミール・リリス。彼方、サラターシャ、清心と続く。
 流れるように並べられた椅子の前に向かうと、彼らは直立し演台に向かって一礼の後、着席した。

「開式の辞」
 朱雀寮講師、西浦三郎が壇上に上がり
「これより、陰陽寮朱雀 卒業証書授与式を執り行います」
 と静かに宣言し、続いて
「卒業証書 授与」
 と読み上げられた。
 前に進み出た紫郎は
「卒業生 起立!」
 と号令をかける。全員が立ち上がり前を見る。
 そこに五行王 架茂 天禅が悠然と登っていった。
「陰陽寮 朱雀 卒業生…芦屋 璃凛」
「はい!」
 一度だけ目を閉じた璃凛は真っ直ぐに顔を上げ歩き出し、五行王からその証書を受け取った。
 璃凛が壇上から降りてきたのを確認し、リリスが進み出る。
 すれ違いざま璃凛を見て浮かべた笑みは、どこかホッとしたようであった。
 次いで彼方の名が呼ばれた時、周囲が微かにざわめく。
 しかし、
「彼方さん」
 優しいサラターシャの笑みに励まされ、彼は迷わずに歩み証書を受け取った。
 サラターシャは一歩一歩をゆっくりと大切に歩み、清心は力強く王の前に進み出る。
 全員の手に証書が渡されたのを確認して、壇上の天禅が卒業生達を見て息を吸い込んだ。
「三年余の長き過程を終え、今ここに陰陽寮から巣立つ者達を寿ごう。卒業おめでとう」
 証書授与からそのまま続く五行王の祝辞。
 卒業生達は背筋をシャンと伸ばしたまま話を聞いていた。
「祝辞と言っても、ここまで辿り着いたお前達に今更、我が語るべき事は多くない。
 何を得、何を学んだか、それはお前達が一番よく知っている筈だろう。
 迷うなら己と友に問え。お前達にはその力が既に十分ある筈だ。
 言う事があるとすればただ一つ。
 今後はここで学んだ力は五行の為に使え。
 それが五行国、陰陽寮を卒業した者、全ての使命だ。
 五行に籍を置く者は勿論、置かぬ者もその生き様をもって誇り高き五行、陰陽師の志を常に世に示し知らせよ。
 卒業は終わりだが、また始まりでもある。
 その道に終わりはない。
 故に励め。
 おまえ達の今後の活躍に期待する」
 それは、本当に五行王らしい言葉であった。
 威圧的で感情の欠片もない。
 入寮の時と変わりも殆どない。
 けれど…そこに王なりの寮生への未来を願う心が込められているのを寮生達はちゃんと感じていた。
 だから、心から彼らは頭を下げる。
 心からの敬意と、感謝と共に。

 その後、国の重鎮や他国の列席者からの祝辞が卒業生達に贈られた。
 一般来賓代表として譲治も前に出る。
 そして今回の卒業生全員より年下の先輩は
「おめでとうなり」
 ゆったりと構え、心からの思いを込めた祝辞を贈っていた。

 式の最後、
「卒業の誓い」
 その言葉に促され、寮生達は一人ずつ順に壇上へと登っていく。
 朱雀寮生の伝統。
 未来への志を誓うならわしである。
 
「ここに誓う」
 最初に壇上に立った璃凛は大きく深呼吸をして思いを紡ぐ。
「朱雀の心を忘れずに、周りの人々を守れる人間に成る、と」 

「ここに誓います」
 リリスは今までの寮生活を思い出しながら顔を上げて宣言する。
「朱雀寮生としての日々を忘れず研究者として生きていきていく、と」

「ここに誓う」
 彼方は胸に当てた手を拳に握りしめ、集う五行の重鎮達に向けて誓う。
「ここで学び卒業する恩を忘れず、地上世界と天儀を結び、陰陽術の発展と地上世界との友好の為にこの身の全てを捧げることを」

「ここに誓います」
 サラターシャは、友達の誓いと今までの思い出、そして自分自身の決意をはっきりと言葉にする。
「私は子供達の未来の守り手でありたいと願います。
 世界は変わるでしょう、変わり続けるでしょう。
 変化する世界の中で、拠り所のない子供たちが、自分の意思と力で生きていけるよう。
 自らの翼で飛ぶその時まで、
 学び安らげる場所を作り、見守り育てると誓います」

「ここに誓う」
 清心は一度だけ思い出すように目を閉じた。
 ここまで辿り着くのに随分、回り道をした。
 でも、だからこそここに辿り着いたのだと、解る。
「ここで学んだ多くの事。出会ったたくさんの人々、その全てを大切に。
 多くの人々が幸せに生きる世界をめざし、その為に努力すると誓う」

 最後の卒業生が壇を降り、席に着いたのを確かめて閉式の辞が告げられた。
「これにて卒業証書 授与式を終わります」
 それとほぼ同時。
 高らかに朱雀の鐘が鳴る。
 非常時と卒業の時にしか鳴ることのない鐘は、高く眩しい青空に、美しく響いていた。

●別れと未来
「なはは。
 何度やっても慣れないものなりよね。
 …少しばかり、自分の姿に重なるのだ」
 卒業式の後、約束通り桃音の元にやってきた譲治は目元を微かにこすりながら、それでも笑って見せた。
「譲治もやっぱり寂しかったの?」
「それは、寂しかったなりよ。皆や朱雀寮のこと、おいら大好きだったなりからね」
「私の事は?」
「え?」
「私の事は、好き?」
 自分を真っ直ぐに見る桃音に譲治は少し考えて、頷いた。
「好きなりよ。拾とは違う意味で。でも、大切で好きなのだ」
「…ならいい」
 譲治の答えを聞いて桃音は静かにそう告げる。
「私は透兄様の次に譲治が好き。だから、一緒にいたいと思った。
 譲治に好きな人がいて結婚するって聞いて、寂しかった。契約なんて忘れちゃうんだと思った…」
「おいらは! 忘れないなりよ!!」
「解ってる。…でも、もう契約とかそういうのに囚われないでいいよ。
 譲治が自由に笑って欲しい。私の分までいろんなものを見て、いろんなところに行ってそれを教えて欲しいの」
「桃音?」
「寮長が言ってたの。私は卒業しても開拓者としての自由は貰えないって。
 おかあさまの命令でしてきたことは悪い事なんだって」
 静かに自分の運命を受け止めて桃音は笑う。
 その目は切なささえ感じて、譲治は目を反らすことができなかった。
「いつか、ずーっと後にはどうか解らないけど、少なくとも今は、五行国が私を守る代わりに、私は透兄様や他の兄様や姉様のしてきた罪の償いをする為に働く必要がある、って言われた…」
 三年生の卒業を機に、寮長は桃音に全てを話したのだと譲治も聞いてはいた。
「でも、それでいいと思う。私はここで皆を待ってるの。
 そして皆の帰るところを守るの。ここは皆の出会った場所で、帰るところ。
 そうでしょう?」
 桃音の頬に小さな雫が流れ落ちる。それを手で拭いて桃音は譲治に笑いかけた。
「だから、時々でいいから帰って来て。そしていろんなことをお話して。
 私はそれを楽しみに、待っているから…」
「ありがとうなのだ」
 桃音の頭にそっと手を置き、譲治は頷いた。
「それじゃあ、今度といわず今からでもお話していいなりか?
 これまでのこと、たくさん話すのだ」
「うん」
 開拓者になってから、いろんな事をして、寮との出会いから、拾との出会い、縁。
 譲治は少女と、長く、長く色々な話をした。
 卒業生達とは違う意味で、卒業を為した少女へ…。


 その頃、卒業生達は講堂で、朱雀寮長から最後の言葉を受け取っていた。

「皆さん。
 三年前と十か月前、入寮試験という形で皆さんは初めてこの朱雀にやってきました。
 皆さんは、それぞれの思いや願いをもってここにやってきたことでしょう。
 私は、それらを今もはっきりと覚えています」

 胸に手を置き、思い返すように抱きしめるように、優しい声で彼は語る。
 
「いろいろな事がありました。
 本当にいろいろな事が。
 その中で、皆さんは朱雀寮での生活の中、理想と違う現実を感じたのではないかと思います。
 思い通りにならない、いろいろな事。足りない力や後悔に打ちひしがれた日も多くあったのではないでしょうか?
 ですが、それも全て皆さんがここに辿り着く為に必要な事であったのではないかと私は思います」
 
 生成姫との戦いを始めとする数々の戦乱の中、たくさんの苦しみや悲しみを彼らは確かに体験してきていた。
 朱雀寮生でなければ出会わなかった事件や、人、思いも確かにあったろう。
 けれど、それも終わってしまえば全てが、思い出だ。

「地上世界の発見、護大の消失。
 世界そのものの在り方が大きく変わろうとしている今、この時。
 皆さんの力が、これから本当の意味で必要とされるでしょう。
 人生に無駄な過去は何一つなく、全てがより良い明日、未来を創る為の通り道であると私は信じています。
 今、この時を迎える皆さんなら、言うまでもないこと。
 だから、私は今年の卒業生の皆さんにもただ二つだけの事を願い、伝えます。
 この世界はたくさんの人の思いと願いでできている尊い、奇跡のような世界であることを忘れず、一日一日を大切にして欲しいという事。
 そして…自分自身を、その生を投げ出すと言う『死』を決して自ら選ばないで欲しいと言う事。
 この死とは自ら命を絶つことだけではなく、自棄になり努力もせず諦めるという意味もあります。
 諦めた瞬間に全てはそこで終わる。
 でも諦めさえしなければ、いつか何かが続いていくのです」

 寮生一人一人を見つめ寮長から、一人の陰陽師となる青年は最後に笑いかけ、語りかける。

「朱雀は炎の化身である紅の鳥。その身は不死で滅びることなく我々を常に見守っていると伝えられています。
 陰陽寮で学び、その身を鍛え、高い空に羽ばたいて行く皆さんは一人一人が朱雀です。
 新たな朱雀が、広い空に飛び立っていく事を心から嬉しく思います。
 そしてこの陰陽寮が、その少しの手助けになったのならこれ以上の喜びはありません。
 皆さんの…これからの活躍に期待しています。
 卒業、おめでとう」 

 その言葉を胸に、卒業生達はそれぞれが、それぞれに立ち上がり、歩き出していった。

●終わりと始まり
 薄暗い講堂から出た三年生達に、輝かしい春の日差しが降り注ぐ。
「とうとう、終わり…ですね」
 リリスはその目元を軽く押さえながら空を仰いだ。
「卒業…
 名残惜しくもありますが、此処からまた新しく始まっていくのです」
 言い聞かせるように告げるサラターシャの横を
「そう、ですね。終わりではなくここから僕達の新しい人生が始まっていくのでしょうね」
「ああ、全てはここからだ」
 彼方と清心も歩いていく。
 今日、この門を出た瞬間から彼らは朱雀寮生では無くなるのだ。
「あれ? 花びら?」
 彼方はふわりと、空から降ってきたものに首を傾げ指でつまむ。
 それは純白の紙であった。
 紙吹雪が、まるで雪か桜吹雪のように空から落ちてくるのだ。
「…綺麗ですね」
 サラターシャも目元を拭い、空を見上げる。
 青空に舞う紙吹雪。その美しさを心に焼き付けるように。
「リリスさん、ありがとうございます」
 サラターシャの言葉にリリスは照れたように頭を掻く。
 それは彼女と彼女の相棒達からの感謝であったのだった。

 ゆっくりと歩いても時間はもう留まってはくれない。
 気が付けば朱雀の大門はもう目の前であった。
 門の手前で足を止め、寮を振り返ったサラターシャは
「今まで、ありがとうございました」
 感謝の気持ちを込めて深々と長く礼をした。
 深呼吸を一つ。そして歩き出す。
 それぞれの道を。
 胸の上に付けた朱花に無意識に手が行く。
(…朱花に恥じぬように心を決めて)
「ありがとう!」「また会いましょう!」「これからも、よろしくな!」
 パン!
 高く上げた手をそれぞれに合わせて、彼らはそれぞれの道へと歩いていった。

 そして、仲間達の旅立ちと全ての片づけを見届けて後、璃凛は一人門を潜った。
 彼女を見送るのは朱雀寮長 各務紫郎と講師、西浦三郎。
「悖らず、自分を大事にしていられなかった事が情け無いですが、次に会う時は、笑い話に出来たらええなって思います」
「そうしろよ。広い世界を見て、何かを見つけて来い」
 彼なりのはなむけの言葉を贈る三郎に、はい、と頷いて璃凛は頭を下げた。
 彼らと、朱雀寮、アヤカシ牢や施設、その全てへの感謝を込めて。
「次に逢う時には、胸を張れる人間に成って帰ってきます」
「待っていますよ」
「はい! ありがとうございました」
 最後に、一際深く頭を下げて、璃凛は朱雀の大門を潜る。
 振り返ることをしないように黙々と五行の町を出て行く。
(振り返ったらアカン。立ち止まってしまうよって…)
「璃凛」
 自分を呼んだ声に瞬きして、璃凛は前を見た。
 そこには伴侶にしてパートナー。星鈴が立っている。
「おめっとさんやな、璃凛。立派にやりきったやんか。
 一緒に帰ろ」
 微笑んで手を差し出す星鈴に璃凛は
「おおきに。ありがとな」
 目元を擦るとその手をしっかりと握りしめたのだった。

 かくして新たな朱雀が飛び立っていく。
 それぞれの道と未来へ向かって…。